常緑樹27 第三者評価が…


(平成16年8月号 2004/7/20)

「車イスで行けるいいお店見つけた」の企画は三年目を迎え、紹介した数は百を越えた。
公的施設は当然バリアフリーだろうから除いてだ。
聴取者と読者からの情報が頼りだが、最近減り気味。
そこで今後のあり方を打ち合わせた。

お店ごとの色々な取組みが嬉しい。
しかし中には「もっと良くしたいが、費用が大変」「どうしたら良いか分からない」「全ての方に喜んでもらうのは困難」などの声も聞こえる。
「バリアフリーだと聞いて行ってみたら、まだまだ」「全てを事前に調査したいが…」「過去紹介したお店のその後はどうか、再登場は?」などの発言があり、最後に「いっそのこと、採点してみようか」という意見がでた。

実際に採点するとなると、一人では無理だし、その人だけの採点でもおかしい。
分担するとしても評価の基準をどうするか、折角の思いに水を差すようなダメ出しができるのか、など採点の難しさが話題になった。
結局、何とかしようとするその思いを伝えることができるだけでも意味がある、とこれまで通りの方法で紹介していくことになった。
ただし、さらに一歩でも、二歩でも前向きに取り組んでくれることを期待して「思い」の欄には「◎」をつける、そんな気持ちを込めながら。

最近、行政、教育、保育、医療など様々な分野で「第三者評価」という言葉が流行り、介護、福祉の世界でも制度化され話題になっている。
当事者ではない第三者によって客観的に評価し、情報を公表することで、利用者の事業者選びに役立て、事業者間の競争意識を高め、質を向上させることを狙った仕組みである。

当事者とは、その事業者と利用者のこと。
当事者の自己評価では、事業者はどうしても甘めに評価しがちだし、対して利用者は高い理想を描くので、厳しい目で辛い点をつけがちだ。
理想の実現にはお金がかかる。
前者のお金には限りもあるし、後者が、そのサービスを受ける経費は安い方が良いと思っているのも現実である。
事業者も利用者も根っ子は同じ理想を描いているはずで、片方だけに都合のいい採点はありえない。

そこで、第三者の登場となるが、誰が適任かは難しい。
全く興味のない人ではだめだし、高みからものを言う人でも困る。
評価基準とその複数の目線を揃えることが不可欠だ。
全能の神ではないのだから、ある断面だけを評価をして全てことたれりとはならない。
こうしたらもっと良いですよ、との具体的な提案が欲しいところだ。

良いものを良い、悪いものを悪いと言うのは、似ているが少し違うようだ。
良い方は比較的気楽だが、否定的評価は前途を閉ざしてしまう恐れもあり影響が大きい。
そのことを承知した上で、自信を持って判断ができる知識や経験が持てたとき、悪いものを悪いと声を大にして言いたい。


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