カツラの葉っぱ 大好き!

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日本語が亡びるとき

<日本語が亡びるとき>
水村美苗さんの「日本語が亡びるとき」を読んで以来「地歴的な条件により現地語(日本語)だけで充足できている稀有な国である」という愛国的認識に目覚めた大使である。
タテマエとしては開国であるが、根は攘夷の大使の目指すものは大東亜共栄圏なのかも知れないな~(オイ オイ)

・英語公用化を進める楽天のその後
・「歌うクジラ」読書中
・英語公用化と絶滅危惧言語
・「日本辺境論」を読んだところですが
・『ユリイカ』2月号
・英語が出来て当たり前か?
・現存する唯一の表意文字
・日本語を愛する者の心の叫び
・青空文庫より

反「英語は世界の共通語」
デジタルネイティブ




<英語公用化を進める楽天のその後>
リタイヤして嫌な英語に縁の切れた大使ではあるが・・・・安全地帯に身をおいて、昨今の商業英語事情を上から目線で眺めてみます(笑)

アマゾンに比べて影の薄い「楽天ブックス」ではあるが・・・・
中国にも進出した楽天は今や日本のEC(電子商取引)の旗艦とも言える存在ですね。
ユニクロと共に、いち早く英語公用化を宣言した楽天の三木谷社長へのインタビューが興味深いのです。


「英語化が成功したら日本に対する最大の貢献だと思う」 より
三木谷社長の3回目は、急拡大する海外進出の成否と話題を呼んだ英語公用語化の狙いについて聞く。

三木谷


海外展開は、僕の感覚の中では猛烈にやっているというよりもまだ遅いという認識です。展開するのは簡単だけど、成功しなければ意味がない。継続的に成長していける仕組みが必要です。僕らはそれを「仕組み化」という言葉で表現しています。

「楽天出身のベンチャー、嬉しい気持ち半分」
 なぜここまでやるのか。うーん、何ていうんでしょう。ちょうど昨日(取材日は1月13日)もグリーの田中良和社長と飯を食ってたんですが、世の中には彼のように楽天出身のベンチャーがうじゃうじゃいる。嬉しい気持ちが半分、複雑な気持ちが半分なんですけどね、僕としては(笑)。

 だけど彼らは楽天の経営メソッドをそのままやっています。もともと自分が銀行を辞めて会社を興したのも、経営メソッドを広げたいという思いがありましたから。僕はいまの日本人がすごく内向きになっていると感じている。楽天が本当に海外で成功すれば、若者の意識を変えられると信じています。

 うちが国際化、国際化、国際化と言い出してから、ほかのIT企業も結構同じようなことを言い出しましたよね。そういうトレンドセッター的な役割はできるのではないかと思っています。ただ、もう1つ。じゃあ、どうやったら本当に成功するのか、です。

 米国のIT企業は、最初から国際化を想定していろいろなモノを作ってきている。英語というアドバンテージも向こうにはある。じゃあ日本はどうか。流通業の国際化が成功しているといっても、本当の意味ですごい成功を収めている訳ではないですよね。

 ハードウエアを輸出するだけなら簡単なんです。ただ、そうではない楽天みたいなIT(情報技術)とサービスのモデルで、日本人でも、日本の企業でも成功できるということを証明したい。自分の中には強烈なモチベーションとして持っていますね。

 (海外展開も)一から作ったものと買収したものがありますが、作った中で一番うまくいっているのは台湾。経済規模が日本とは異なりますが、やり方次第で日本の「楽天市場」と同等の存在感を示せると思います。

 買った会社で言うとフランスのプライスミニスターですね。フランスの中でそもそも知名度が高い会社ですが、今、楽天市場と同様のマーケットプレイス型を始めたんです。その伸び率がすごい。これは非常によかった例と言えるでしょうね。

台湾と中国は違いますね。中国はなんせ大きいですから。もっと差別化しなくちゃいけないなというのはある。もっと自分たちの特徴を出さないと埋もれてしまう。また、中国は偽造品の問題が大きいですよね。かなりのシェアを占めていて、30%ぐらいがそうなんです。我々は明らかに一線を画して、いわゆる品質の高いマーケットプレイスにしていく必要があると思っています。

 ブランディングもこの1年間はラーニングだと思ってやっていたので。ほとんどPRもやってないし、ちょうどあの時は例の尖閣諸島の問題がまさしくど真ん中だったので、あんまりやらなかったんですよね。これから本格的にやっていきますよ。リニューアルもしますし。

 中国の百度との関係は基本的には今後も変わりません。ただ、追加で新しいパートナーを迎え入れる可能性が高いですが。中国で勝たなくちゃという思いがあるかと言われると、そんなでもない。思った通りにはなかなかいってないところはあるんですけれども、それはそれなりの原因がある。その原因を追究して修正するという、アプローチですよね、我々は。

 とにかくこの業界の展開スピードはすごく速いし、特に新興国は早く始めた方がいい。後でひっくり返すのはすごくエネルギーが必要ですからね。まだまだ遅い。

「外国人にも日本語を勉強しろと言っている」
英語公用語化はこれまでもやってきましたが、その「心」が重要です。世界中の子会社は離れていますけど、あたかも1つの会社のようにすべてを経営する。だから今年は「新しいグローバルマネジメントの体制を築く年」と宣言しています。

 例えば、これまでは各国が人事制度や、ノウハウ、技術を別々で持っていた。これを統合していくということがこれから重要になります。別にマーケティングのトップが日本にいなくてもいい。開発拠点がここにいるべきといったこだわりもない。そういう構造を作ります。

 あとはいわゆる地域本社。アジア、欧州、米州の3カ所に地域本社をできるだけ早く作ります。単純にEC(電子商取引)だけ展開するんだったら構わない。ただ、これからは電子書籍も手がけなければならない。トラベル事業も広げていかなければならない。金融事業もエリアによって展開していくことを考えると、日本から全部を見るのではなく、それぞれの地域でやった方がいいと思っています。あるいは外交政策ですよね。どこと組んでどうやったらいいのかということを考えるレベルの人間が必要になるわけです。

 英語化を始めてから1年半ですが、すさまじい進歩を遂げています。レベルの差はありますが、だいたいコミュニケーションできるんですよ、80~90%は。まあ、10%ぐらいは苦しんでますが。
 「日本人だけ集まっている会議を英語でやる必要がないのでは」という意見があるのも分かる。ただ、僕は「これしかない」と思っているんです。そうしないと結局、英語から逃げちゃう。そうなると、外国人は会議に入れなくなってしまう。企業の中に入れずに壁が生じる。僕は基本的に1対1の面接でも英語です。

 中国にいて、中国人同士で中国語だけで会議を開いている中に、自分が外国人の立場で入らなければならないのはすごく嫌でしょう。俺はこの組織に属していない、と感じてしまうかもしれない。英語化ばかりに焦点が当たっていますが、実は最近、外国人にも日本語を勉強しろと言っています。

公用語化の正式移行に向けて、現場はものすごいですよ。朝の7時に社内のカフェテリアに顔を出すとみんなチームを組んで勉強していますから。

 僕はこれが成功したら、私の日本に対する最大のコントリビューション(貢献)じゃないかと思うんですけどね。これができたら、日本人の考え方、感覚も変わるでしょう。そういう影響を与えられればと思っています。

「アフターサービス最下位は申し訳なかった」
年間流通総額10兆円計画を立てています。今の楽天は1兆円。家庭内における消費はおおよそ70兆円。だから1.5%ぐらいですよね。今後、ECも進化すると思うんです。ここで言う進化とは購入プロセス、品揃え、物流も含めてです。市場が拡大すれば価格も下がる、配送料も安くなる。専用の物流プラットフォームもできてくるだろうし。

 その場で買いたい、今すぐ必要という需要は残るでしょう。でも本当に「5時間も待てないの」という世界もある。ここが広がれば、家庭内消費の少なくとも10%、多ければ30%ぐらいまではいけるのではないかと見ています。

 楽天の特徴は各店舗に特色があって、様々な店舗で買うことを楽しむという体験そのもの。アマゾンとは圧倒的に差別化できている。だからこそアマゾンのように商品数を絞るのではなく、どんな商品でも早く持ってきてくれる環境を構築しなければならない。

 アマゾンの物流戦略も正直、何かすさまじいことをやっているわけじゃない。物流は物流なんです。理路整然とした並べ方をして、効率よくピッキングし、過剰な在庫を持たず、かといって欠品をしない。すごく難しいことをやっているように映るかもしれませんが、実は、僕はそんなに難しくないんじゃないかなと思っています。

 最近のはやりの言葉で言うと、クラウド型とハブを組み合わせるハイブリッド型。総合的な品揃えはうちの方が圧倒的にありますから、より大規模な仕組みにはなると思います。

 日経ビジネスのアフターサービスランキングで「楽天ブックス」は最下位。あれは本当に申し訳なかった。システムの遅延と不具合があったところに地震が重なってしまった。在庫管理のところが完全に崩れたんですよ。それを戻すために私が陣頭指揮を執って、1カ月ぐらいの間、毎日会議をやりました。

 問題だったのはリカバリープラン(復旧策)がなかったこと。新システムに移行した時は、ダメだったら元に戻すということを必ず楽天グループはやっていますが、ブックスだけはできていなかった。あってはならないことという認識をしています。だからこそ言い訳はせず、愚直に反省し、もう二度と起こらないようにしていきます。


EC(電子商取引)のうち、書籍ではアマゾンに水をあけられているが・・・・その他の物流では楽天vsアマゾン全面競合のようです。
楽天、対アマゾンで提携加速 だそうで、ナショナリズムをくすぐりますね。


<「歌うクジラ」読書中>
2023年に人類は不老不死の遺伝子、SW(歌うクジラ)遺伝子を手に入れた。
それ以降、階層化の進む日本では反乱移民軍と日本自衛軍との間で2度の内乱があったのです。時は2110年代・・・・

村上龍の新著「歌うクジラ」に移民が使うおかしな日本語が出てくるのです。
この日本語では助詞の使い方が、奇異というか面白いのです。たとえば・・・・・

ヨシマツで移民反乱に終止符に打たれた、ヨシマツでニッポンとわれわれを結びつけることはできる人物だ、唯一を希望をヨシマツだ、こいつをヨシマツで訪ねていくらしい、役で立つをも知れないじゃないか。ヤガラという人は、独り言のようにそう言って、今から仲間にするまで文句をないか、と他の仲間を見回した。そいつだから仲間だ、冗談ほどじゃないよ、とサガラという人が言った。

移民を受け入れた日本で使われる日本語がこれなのか?
水村美苗さんが普遍語としては日本語は滅ぶと予言したが、移民が話す普遍語として生きているとは皮肉な未来というべきでしょうか。
村上龍はこの小説で資本主義の未来を否定的に描いているが、村上龍がこれまでの小説でカナリヤのように警鐘をあげた近未来の一部が本当に招来したこともあるだけに・・・怖いですね。

 第2次移民内乱では外国人労働者の武装組織は西日本の山岳地帯をベースにした。気候が穏やかで食物も豊富だったからだ。日本自衛軍は何百回と大規模な掃討を行ったが、武装組織は女や子供が殺される映像を流して国際世論に訴え、国連が調停に動いた。停戦が実現し、おもな戦闘地域だった中国地方に停戦監視委員会と国連軍が駐屯してきた。反テロ目的で数十社の世界企業が創設したGCA、つまりグローバルシビルアーミー、国際市民軍と呼ばれる軍隊が国連軍の中心だった。他には中国軍と統一朝鮮軍、オーストラリア軍が小規模な部隊編成で加わった。
 世界企業はシビルアーミーを利用して瀬戸内海沿岸でさまざまなビジネスを行ったが、ある穀物商社とエネルギー会社が中国地方の豊かな水系に目をつけた。そして大量の水を安価で買い取り水源が枯渇した国や地域に輸出して莫大な利益を得た。日本政府は黙認したがその地域に住む反乱移民軍が水資源の搾取に反発しシビルアーミーとの衝突が起こり治安が悪化した。

 以上がこの小説の背景なんですが・・・・
北海道では仁義無き中国資本により、水源の買付けが始まっているそうであり、それを防ぐ法律が無いので地方自治体が手をこまねいているそうです。また、100坪程度の値ごろの別荘地も中国人富裕層の土地転がしの対象となっているそうで、感度のにぶいお役人も困ったものである。

とまあ・・・・
図書館で予約して借りた「歌うクジラ」上・下のうち、上巻をほぼ読み終わったところです。
入院中に読むつもりで借りたけど、入院が延期となったので年内に読み終わりそうです。


<英語公用化と絶滅危惧言語>
楽天とユニクロが社内での英語公用化を表明したとのことで・・・・・
輸出企業では英語を避けて通れないが、そこまでやるか!というのが実感ですね。
(楽天ブログなど余技のようなもので、中国などでインターネット市場を商うのが楽天さんのターゲットのようです)

韓国との仕事を通じて、韓国人社員の英語能力には早々と白旗を掲げた大使であるが・・・・
アメリカ嫌いの大使にとって英語習得は背に腹は変えられない問題でもあったわけですが、でも、もうすぐ退役するので英語公用化という荒波にはおさらばできるのである(良かったね)
また一方、戦略的に行動するには、敵性言語を習得する必要があるわけで・・・・・
斯様なモチベーションをでっちあげてでも、英語を習得する必要があるのが、昨今の状況なんでしょうね(残念ながら)

戦前から民主主義の帝国であり、自由の国を自負していたアメリカ帝国は、9.11以後は自由とは程遠い国に成り果て、民主主義どころか全体主義のような国である。
そのあたりについて堤未果さんの新書「アメリカから自由が消える」に詳しく出ていました。

華夷秩序と言ってしまえば実も蓋もないが、歴史をふり返っても生きてゆくには宗主国の言語を学ぶ必要があったようです。(普天間問題で、日本はアメリカの植民地であったことが露になりましたね)
そう言えばかって、戦前の韓国や台湾では、日本によって日本語習得を強要された事実がありました。

文化の揺籃ともいえる言語であるが 危機に瀕する言語 によれば・・・・
アイヌ語とかイディッシュ語など絶滅危惧言語が消えることは、多様な文化の消滅であり・・・・人類の文化とは横暴な経済の蹂躙になすすべがないのか?と落ち込む大使である。

おっと、何が言いたいのだったか?
アメリカングローバリズムを通じて、英語公用化がデファクトスタンダードになったことは残念ながら認めざるを得ないが・・・・
英語習得の際に、アメリカ的なるものが余分に身に付くことが避けられないわけで、慎ましさとか奥ゆかしさが損なわれることになるでしょうね。
とにかく「やられる前に、やれ!」という行動規範がある国だから、過剰適応しないという戒めが必要ではないでしょうか?

英語公用語化に懐疑的な内田先生の弁を紹介します。

ガラパゴスも住めば都 より
能力ランキングの最下位に格付けされてもなお十分に自尊感情が維持できるほどに豊かな生活が保証されているなら、私は競争を必ずしも排するものではない。
しかし、競争に負けると「餓え死にする」というようなタイトな条件においては、相対的優劣を競う暇があったら、生態学的地位を「ずらす」ことで、できるだけ多くの個体が生き延びられる工夫の方に知恵を使った方がいい。
地球上に65億人からの人間がひしめいているというのは、どう考えても「勝つものが総取りする」よりは「乏しい資源をわかちあう」ことに知的リソースを投じる歴史的条件である。
そして、「乏しい資源をわかちあう」ための方法は生物学的には一つしか知られていない。
それは何度も申し上げている通り、種の「ニッチ化」である。
他の集団とそのふるまいができるだけ「かぶらない」ようにする。
「ガラパゴス化」とは、「ニッチ化」のひとつのかたちだと私は理解している。
私が英語の公用語化趨勢に対して深く懐疑的であるのは、それが「ニッチの壁」を破壊しかねないからである。


英語公用語化は第二の「男女雇用機会均等法」だと私は思っている。
その本質は「日本人・非日本人雇用機会均等法」である。
外形的には「政治的に正しい」ポリシーであり、このロジックに正面から反対することはむずかしい。
けれども、企業経営者たちは「政治的に正しい」からそのような雇用戦略を採用するわけではない。
端的にその方が儲かるからそうするだけである。
雇用機会の拡大によって就労競争が激化し、就労者の質が上がり、一方で労働条件の切り下げが可能になる。だから経営者たちは英語公用語化に踏み切る。
「ガラパゴス」がどんどん開発されてゆく。
だが、孤島に固有の生物種が滅び、マクドナルドとセブンイレブンが並ぶ「ガラパゴス」などに私は住みたくない。


地球ことば村


<「日本辺境論」を読んだところですが >
「日本辺境論」を読んだところですが、日本という国名からして、自ら辺境と宣言しているんだそうです。
つまり、日の本(日のいずる処)とは、中華から見て東の方角の東夷(東の蛮国)であると言っているようなものと、内田先生が述べています。

また、日頃から、「韓国人の感性はまだ日本人とそんなに違わないが、中国人は別だなあ」と感じることがあるが・・・・
内田先生は、「この違いは思考方法や言語のなかに華夷秩序(中央と辺境の秩序)があることによる」と述べてます。
なるほど、中国人には中華が、韓国人や日本人には辺境としての振る舞いが歴史的に染み付いていて、行動の端々に現れるからなんでしょうね。

この本には日本語の特質について、目からウロコが落ちるような個所が多々あるので、ここに書き写します。

よく知られているように、philosophyに「哲学」という訳語を当てたのは西周です。西はそのほかに主観、客観、概念、観念、命題、肯定、否定、理性、悟性、現象、芸術、技術などの訳語を作り出しました。そして、その訳語が中国でも用いられた。
 中江兆民の「民約論」はルソーの「社会契約論」をフランス語から直接漢訳したものです。(それが辛亥革命の理論的基礎を築いたと言われています)
 なぜ中国の人たちは日本人の作った漢訳を読み、自身で訳さなかったのか。
 日本人にとって、欧米語の翻訳とは要するに語の意味を汲んでそれを二字の漢字に置き換えることだったのです。西周の例を見てわかるように、彼がしたのも実は日本語訳ではなく漢訳なのです。外国語を外国語に置き換えただけです。ベースになるスポンジケーキは同じものの使い回しで、トッピングだけ変えたのです。日本語が二重構造を持っているから、これが可能だった。
 でも、清末の中国人にはそれと同じことができなかった。これまで中国語になかった概念や術語を新たに語彙に加えるということは、自分たちの手持ちの言語では記述できない意味がこの世界に存在するということを認めることだからです。自分たちの「種族の思想」の不完全性とローカリティを認めることだからです。ですから、中国人たちは外来語の多くをしばしば音訳しました。外来語を音訳を与えるということは母語にフルメンバーとして加えない、それが母語の意味体系に変更を加えることを認めないということです。



私たちの言語を厚みのある、肌理の細かいものに仕上げてゆくことにはどなたも異論がないと思います。でも、そのためにには、「真名」と「仮名」が絡み合い、渾然一体となったハイブリッド言語という、もうそこを歩むのは日本語しかいない「進化の袋小路」をこのまま歩み続けるしかない。孤独な営為ではありますけど、それが「余人を以っては代え難い」仕事であるなら日本人はそれをおのれの召命として粛然と引き受けるべきではないかと私は思います。


内田先生は、こうなったらとことん辺境でいこうではないかと、次にように開き直っています。

なにしろ、こんな国は歴史上、他に類例を見ないのです。それが歴史に登場し、今まで生き延びてきている以上、そこには何か固有の召命があると考えることは可能です。日本を「ふつうの国」にしようと空しく努力するより(どうせ無理なんですから)、こんな変わった国の人間しかできないことがあるとしたら、それは何かを考える方がいい。その方が私だって楽しいし、諸国民にとっても有意義でしょう。


私も開き直りついでに、信太一郎さんの 漢字は廃止できるか? など読んで漢字力の強化に努めたいと思う昨今です。

『日本辺境論』(内田樹)について


<『ユリイカ』2月号 >
『日本語が亡びるとき』に入れ込んだ大使は、その勢いで 『ユリイカ』2月号 まで購入したのです。
1300円と思ったより高価だが、こういうタコ壺のような雑誌だからしゃーないか。



]『ユリイカ』2月号特集「日本語は亡びるのか?」を読む。
水村美苗HP



<英語が出来て当たり前か? >
ノーベル賞受賞式典で益川教授が、日本語で通したことは、英語の民にカルチャーショックをあたえたのではないかと、喝采にたえない大使である。
ところで、学者あるいは知識人はバイリンガルであらねばならないのか?

フリージャーナリストの大野さんなんか 世界中の知識人は英語が出来て当たり前 といっているが・・・・

『日本語が亡びるとき』という衝撃的な本が出た。著者は12歳のときにNYに渡った作家水村美苗氏だが、彼女は日本語で小説を書いている。初期に英語を第一言語に選んでいれば、世界中の人に読まれていただろうが、当時は英語がここまで世界言語になるとは思っていなかったという。ぼくは決して日本語をおろそかにして英語をマスターせよ、と言っているのではなく、むしろ英語をやればやるほど日本語を客観的に見ることができるので、一石二鳥と思っているくらいだ。森恭子さんのように母語は日本語でありながら、最初から英語で小説を書き、アメリカで認められている作家。イーユン・リーは母語が中国語でありながら、英語で小説を書いて第一回フランク・オコナー国際短編賞を受賞している。ちなみに第二回は村上春樹が受賞しているが、これは翻訳だから本来の価値とは異なる。翻訳は翻訳であり、原作ではない。英語もそのまま読む習慣がつくと、どれほど上手い翻訳でも読む気をなくする。別の作品として読むなら話は別だが。

・・・これが世の常識だと思うが、『日本語が亡びるとき』の著者水村さんはちょっと違うんですね。
バイリンガルでもある水村さんはバイリンガルを育てる意義を認めつつも、愛国語主義者を自称しているそうです。

この英語と対峙するスタンスが反米の大使を強く打つのです。
とにかく、この本を読んで「地歴的な条件により現地語(日本語)だけで充足できている稀有な国である」という愛国的な認識ができたのは水村さんのおかげである。

でも・・・・
英語なんかできなくてもいいと開き直っている益川教授は別格として、少なくとも、海外と接点を持つ役人、政治家、ジャーナリストはバイリンガルでないと商売あがったりとは言えるでしょうね。

日本語を愛する者の心の叫び



<現存する唯一の表意文字>
現存する唯一の表意文字・・・それは漢字ですね。
その漢字を排斥する動きが漢字文化圏の各地で起こっては消えました。
そのあたりについて、水村美苗著「日本語が亡びるとき」より引用します。


 1965年 国語審議会会長が、初めて、日本語の表記法は「漢字仮名交じり文」であることを前提として審議を進めることを記者会見で発表する。文部省が進めようとしてきた感じ排除論に初めておおやけに終止符がうたれたのは、前島密が「漢字御廃止之儀」を上伸してからちょうど百年後であった。
 <書き言葉>が<話し言葉>の音を表したものにすぎないという「表音主義」を真に受け、実に百年にわたって、日本語から漢字を排除しようという動きがあったのであった。

 いうまでもなく、もと漢文圏において、漢字を排除したいという思いをもったのは日本だけではない。朝鮮語は日本語よりも抽象語のなかで漢字が占める率の高い言葉だそうだが、北朝鮮では漢字を使うのが法律で禁止されているし、韓国でも今やほとんど漢字を使わなくなってしまった。朝鮮半島の人たちは漢字を捨ててハングル表記だけを選び、いわば、仮名文字論者の立場をとったのである。また、ヴェトナム語はその朝鮮語よりさらに抽象語のなかで漢字が占める率の高い言葉だそうだが、すでに二十世紀の前半に全面的にローマ字アルファベットに変えてしまった。(一部省略)

 思うに、日本から真に漢字排除論が消滅したのは、ここ二十年くらいのことである。(一部省略)コンピューターという技術革新のおかげで、漢字はかってのように「不便なもの」でも、ポピュリズムと相反するものでもなくなたからである。今や漢字は外国人も進んで学ぶようになり、漢文の運命はわからないが、少なくとも漢字という三千数百年の歴史を持つ文字―現存する唯一の表意文字が絶滅する危機を人類は脱した。

いま、インターネットという追い風を得て「普遍語」という地位をゆるぎないものとした英語に対して、日本語を「現地語」というふうに劣位に定義し・・・
また、漢字を駆使した<書き言葉>でもある漢文を「普遍語」ととらえる水上さんの歴史的センスがすごいと思うのです。
 同じ「普遍語」であっても、日本語を磨き上げた漢文と、日本語を滅ぼしかねない英語があるそうで・・・置かれた歴史的条件が違えば、こうなるのでしょうか。

最近では韓国の学校で漢字教育が復活したとかで・・・同じ漢字文化圏の民として、喜びに堪えません。
(大東亜共栄圏の復活も近いかも)

いずれにしても、「日本語が亡びるとき」という著書をとうして、英語と対峙するスタンスが好きですっかり水村ファンとなった反米の大使である。
(大使!贔屓の引き倒しに、なっとるで)

雑誌「ユリイカ」2月号では、水村美苗特集を企画しているそうで、これは買いだ!ということで、期待しております。

『漢字の世界』
漢字文化の全き繼承と發展のために
漢字を放棄することができるか


<日本語を愛する者の心の叫び>
週刊文春のコラム「著者は語る」で水村美苗さんの著書「日本語が亡びるとき」が紹介されていた。
日本語の未来を論じた硬派なエッセーとも、上質な文学作品のようでもあるそうで、興味深い本です。

日本語が亡びるとき

ひとつの国語にすぎなかった英語が普遍語になりつつあるのはyou tubeの画面を見るときにも感じたりするが、”叡智を求める人”は序序に日本語で書かなくなっているとか・・・・エライコッチャ。

また、内田先生も水村さんの著書を引用して、外国語かぶれを糾弾していました。
12/17 内田樹の研究室 より
水村さんはこんなふうに想像する。
アメリカが圧倒的軍事力と科学技術の力をもって列島を占領したとする。もちろんそのあと政治と軍隊と教育と学術の全領域における公用語は英語になる。
「すると、植民地化された国の常として、現地の日本人にとっての最高の出世は、英語を学び、アメリカ人と日本人のあいだのリエゾンたることになってしまう。この場合のリエゾンとは、支配者の命令を被支配者に伝えて、被支配者の陳情を支配者に取り次ぐ役目をになった連絡係である。しかもそのようなリエゾンを選抜するシステムが、出自や貧富を問わない公平なものであればあるほど、日本中の優れた人材が英語を読み書きする二重言語者となる。彼らはあたかも科挙制度が導入されたがごとく、ことごとく英語の〈図書館〉に吸い込まれてしまうようになる。彼らは高等教育を英語で受け、英語で読むだけでなく、英語で書くようになるのである。」(179頁)

彼らははやばやとフランスに留学し、フランス語で論文を書き、フランス語で学会発表をし、日本の生活者の生活言語には関心を示さない。
専門的主題について、日本語で書くことはこの業界ではしばしば「vulgarization」(通俗化)と呼ばれた。
先達が150年かけて錬成してきた「フランス語で書かれたテクストを適切な日本語に置き換える技術」は誰にも継承されずに消える。
私は長い時間をかけてその技術を身につけたけれど、もうそれを伝える「弟子」はひとりもいない。

同じ理由で明治以来の「英文学研究」も「アメリカ文学研究」の歴史もあと一世代で終わるだろう。
そのときは「Murakami Haruki研究」が日本の英米文学者が唯一他国の研究者に「勝てる」領域になったりするのかもしれない。


水村さんはバイリンガルを育てる意義を認めつつ、愛国語主義者を自称しているそうです。とまれ・・・・・
おふたりから、日本語を愛する者の心の叫びが聞こえるようです。
エライコッチャ。

『日本語が亡びるとき…』池澤夏樹・評 より

翻訳という知的営為を通じて、現地語と普遍語の間に橋が架けられ、話し言葉でしかなかった現地語が書き言葉として整備される。小国が乱立していた地域がある程度まで統一され、域内の言語が一つにまとまり、国民国家が成立する。そこで、普遍語で書かれた内容が現地語でも書き得るようになった時、「国語」が生まれる。出版文化はもちろんそれを後押ししただろう。
 要は大きな文化圏と小さな文化圏の間で言葉を介した行き来があり、それを担った二重言語者がおり、彼らの活動が歴史に大きな力を及ぼしてきたということだ。なぜならば「国語」は「国家」を強化するから。


水村美苗氏 英語の覇権憂う書 が反米の大使に響くのである。
「中途半端な国民総バイリンガル化を求めるより、少数精鋭の二重言語者を育て、翻訳出版の伝統を維持する。作文を書かせるより、古典をたっぷり読ませる教育を積む。それが日本語の生命を保つ現実的な方策。もちろん小説家は密度の高い文体を全力で築く。さもなければ日本語はやがて亡(ほろ)びゆく。私たちは分かれ道に立っています」



<青空文庫より>


『青空文庫 全』寄贈計画が目指すもの
石川啄木と小奴/野口雨情

日本文化私観/坂口安吾

坂口 安吾/青空文庫

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