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網野善彦の世界R2
<網野善彦の世界R2>
図書館で網野善彦著『歴史と出会う』を借りて読んだのだが・・・・
今まで、意識して歴史に出会うことが少なかったのは、なぜだろう?・・・
単に仕事で忙しいから歴史の森に分け入ることを、無意識に避けていたのではなかったかと、思い当たるのです。
で、今は年金生活なので、そんな制約から開放されて好きなだけ歴史を遡ろうと思うわけです。
手始めに網野さんの本で、読んだ本、蔵書、読みたい本など、あれこれ集めてみます。
言ってみれば、網野史観の第一歩を踏み出すわけですね。
・日本中世に何が起きたか(2017年)
・歴史の中で語られてこなかったこと(2012年)
・僕の叔父さん網野善彦(2001年)
・歴史と出会う(2000年)
・「日本」とは何か(2000年)
・無縁・公界・楽(1996年)
R2:『歴史と出会う』を再掲
<『日本中世に何が起きたか』3>
図書館で網野善彦著『日本中世に何が起きたか』という文庫本を、手にしたのです。
裏表紙には「宗教と経済活動との関わりを解明」「網野史学の全容を俯瞰できる名著」とのコピーが出ていて華々しいが・・・
この文庫本が装いも新たに今年(2017年)発刊されたわけで、それだけ売れるロングセラーなのかも♪
【日本中世に何が起きたか】
網野善彦著、KADOKAWA、2017年刊
<「BOOK」データベース>より
「なぜ、平安末・鎌倉という時代にのみ、すぐれた宗教家が輩出したのか」。高校教諭時代、教え子から問われて以来30年余、通説を覆す数々の研究の過程で見えてきたものとは何か。「無縁」論から「資本主義」論へー対極に考えられてきた、宗教と経済活動との関わりを解明。中世社会の輪郭を鮮明に描くと共に、国民国家という枠組みをも超えてゆくべき、現代歴史学の課題を提言。網野史学の全容を俯瞰できる名著。
<読む前の大使寸評>
裏表紙には「宗教と経済活動との関わりを解明」「網野史学の全容を俯瞰できる名著」とのコピーが出ていて華々しいが・・・
この文庫本が装いも新たに今年(2017年)発刊されたわけで、それだけ売れるロングセラーなのかも♪
rakuten
日本中世に何が起きたか
<歴史の中で語られてこなかったこと>
図書館で『歴史の中で語られてこなかったこと』という本を手にしたのだが・・・
先日読んだ『無縁・公界・楽』の網野善彦さんと宮田さんの対談ではないか♪
冒頭の対談テーマが「映画『もののけ姫』をめぐって」となっていて・・・
『無縁・公界・楽』よりは、読みやすそうなので借りたわけです。
【歴史の中で語られてこなかったこと】
網野善彦, 宮田登著、 洋泉社、2012年刊
<「BOOK」データベース>より
歴史民俗的な視点で日本列島の歴史を遡っていくと、養蚕と織物の世界では女性が、未来を予見する民俗行事では子供たちが重要な役割を担っていた。さらに、社会の調整役としての「老人力」が、陰から歴史を動かしていたのだ。彼女、彼らの存在抜きには、もう歴史を語ることができない。歴史学と民俗学の泰斗が語り尽くした目からウロコの歴史世界。
<読む前の大使寸評>
冒頭の対談テーマが「映画『もののけ姫』をめぐって」となっていて・・・これが図書館で借りる決め手になりました。
なお、借りたのは2001年刊の旧版です。
rakuten
歴史の中で語られてこなかったこと
武士、農民の他にいた商人や職人に注目するのが網野さんの真骨頂だと思うのです。
そのあたりが出てくる箇所を紹介します。
<江戸時代に“都市が村になった”ことがあった?>
よりp24~27
網野:京都、大坂、江戸は町ですし、博多や堺も町ですが、倉敷や上関(山口県)、越前の三国湊、越中の井波などはみな村になっています。
宮田:すると町名主はいないわけですね。
網野:いませんね。
宮田:村名主になる?
網野:名主、庄屋、そして肝煎がいるわけで、村とまったく同じ扱いです。村ですから検地が行われます。田畑を持っていない商人や廻船人、そして職人や問屋、店屋などはみな水呑身分になります。少しでも田畑を持っていれば百姓です。ただたいていは、ごくわずかな石高しか持っていませんね。
これまでの通説では、農村から都市に人が流れ込み、土地を持っていない半プロ、貧民、日傭や商人が集まってくるから町村には水呑が多いといわれてきましたが、そうではありません。最初から都市を行政的に村にしてしまったわけです。
宮田:今の僕らの感覚だと、村は低く見られますが、当時は?
網野:確かに当時もそううところがあったと思います。百姓と町人、武士ははっきり区別されていました。町人や武士は基本的に町の人間たちです。百姓は村の人たちですが、実態としては商工業者がたくさん含まれていたわけです。
宮田:僕らの考える村は、村の中に八百屋や大工や鍛冶屋や雑貨屋がある地区があり、そこを「町」というわけです。町のまわりを村が囲んでいる。そこを町といってもぜんぜんおかしくない。ですから、字名で町の名は残るんじゃないですか?
網野:小字名では残り得ますね。
宮田:行政的な扱いで町になるということがないわけですね。
網野:基本的にはないですね。時によると、非常に集中度の高い村を町立てにして、代官を定め、住人を町人扱いにし、百姓から町人にすることもあり得たと思います。しかし、そうしたケースは江戸時代を通じてごくわずかだったのではないでしょうか。輪島や上関は幕末まで村ですね。
江戸時代の、都市を村にした場所での住民の職業分類がわかる史料として江戸末期に作られた『防長風土注進案』も見ますと、周防の上関の場合、百姓や門男の中に「農人」がいます。
宮田:農の人と書くわけですね?
網野:そうです。そうした農人は百姓や門男の一部で、上関では他に船持、商人、廻船問屋、鍛冶屋、漁師、船大工などが百姓に含まれています。浦方の門男の場合、農人はまったくいません。輪島と同じで商人や職人が大部分です。ですから百姓=農民とするのはまったく間違いですね。
ただ、『防長風土注進案』の全体を見れば、農人が非常に多いように見えます。ところがその農人の中身をさらに調べてみると、実際は養蚕、木綿、機織をしたり、たばこを作ったりしており、炭焼や製塩をやっている人もいる。しかしそれはみな「農間稼」「作間稼」で農業の副業になってしまっています。都市でなくとも、普通の村の中に酒屋、鍛冶屋、たばこ屋などがいたわけで、私の先祖も百姓ですが、酒屋をやり、山を持ち、金融までやっていました。そうした状況が江戸時代の普通の村に見られたのですが、これが全部これまでは農村としてかたづけられていたわけです。
明治初年の職業を見ると、そうした家はみな商人か職人ですが、ここも村になっています。そして水呑を含む百姓と同じくらいの数の名子(なご)からなっています。これまで名子は、農奴といわれてきましたがまったく違いますね。大石田の名子は、たぶん都市の「地借」「店子」のような人たちだと思います。
宮田:ところで、「水呑」の意味を網野さんに何度聞いても説明してくれませんが、どいう意味なんですか?
網野:よくわからないんですよ。こういう言葉の意味の解明も重要な問題ですね。俗説では「水しか呑めないから」といいますが、これは疑わしいです。ただプラスの価値の言葉ではなですね。そういう点でわからないことが多いですね。
<僕の叔父さん網野善彦>
図書館で『僕の叔父さん網野善彦』という新書を手にしたが…
おお 中沢新一の本ではないか♪ 最近読んだ『東方的』という本が良かったので、この本もいけるかも。
【僕の叔父さん網野善彦】
中沢新一著、集英社、2001年刊
<「BOOK」データベース>より
日本の歴史学に新たな視点を取り入れ、中世の意味を大きく転換させた偉大な歴史学者・網野善彦が逝った。数多くの追悼文が書かれたが、本書の著者ほどその任にふさわしい者はいない。なぜなら網野が中沢の叔父(父の妹の夫)であり、このふたりは著者の幼い頃から濃密な時間を共有してきたからだ。それは学問であり人生であり、ついには友情でもあった。切ないほどの愛を込めて綴る「僕と叔父さん」の物語。
【目次】
第1章 『蒙古襲来』まで(アマルコルド(私は思い出す)/民衆史のレッスン ほか)/第2章 アジールの側に立つ歴史学(『無縁・公界・楽』の頃/若き平泉澄の知的冒険ー対馬のアジール ほか)/第3章 天皇制との格闘(コミュニストの子供/昭和天皇に出会った日 ほか)/終章 別れの言葉
<読む前の大使寸評>
最近読んだ中沢さんの『東方的』という本が良かったので、この本もいけるかも。
rakuten
僕の叔父さん網野善彦
中沢さんと網野善彦の出会いあたりが語られています。
p10~14
<アマルコルド(私は思い出す)>
より
網野善彦は私の叔父にあたる人であった。正確に言うと、私の父親であった中沢厚の妹にあたる真知子叔母の結婚した相手が、当時はまだ駆け出しの歴史学者だった網野さんだったのである。二人は渋沢敬三の主催していた常民文化研究所で知り合ったのだ、と聞かされていた。
「レンアイケッコン」という言葉が、何度もみんなの口から出てきていた。その言葉が口にされるたびに、あたりに甘い香りが漂ってくるのを、まだ幼い私でも感じることができた。
祖父が早く亡くなったしまっていたために、父の兄弟たちは真知子叔母のことを父親がわりになって、かわいがっていた。そのかわいい妹が、少し遅咲きだったが結婚するのである。とりわけ私の父などは民俗学の研究をしていたから、常民文化研究所の動向には並々ならぬ関心を寄せていて、そこの仕事のお手伝いに入った妹が、同じ山梨県の出身で、中世の荘園や漁業史の古文書に埋もれながら研究生活を送っている網野さんと結ばれたことが、よほどうれしかったとみえて、二人がはじめて山梨の実家に挨拶にやってくる日の朝などは、めずらしく私におめかしをさせたあと、いそいそと一人で駅へ迎えに出かけていった。
私はといえば、さわやかな初夏の朝なのに、気分はまったく沈んでいた。あれは1955年の5月のことだったから、私はもうすぐ5歳だった。ひどく人見知りをする性格で、退陣恐怖症の気味もあった。他人が自分に視線を送っているのに気づくと、もうそれだけで頭に血がのぼって、顔が真っ赤になってしまうのである。どちらかというと、一人で遊んでいるほうが好きだった。だから初対面の人などはまっぴらごめんな気持ちだった。
それなのに、私は東京のいとこのお古のビロードの上着を着せられて、玄関先に座って、叔母さんの結婚相手を笑顔で迎えなければならないのだ。祖母たちは、先方は井ノ上村の網野銀行のご子息で、とても上品な方なのである、だからいつものような品の悪いおちゃらかしを言うものではな、ととくに私には厳重に言い含めていた。まったくこんな気持ちのいい朝に、迷惑なお客さまだこと。私は内心むくれていた。
30分ほどして、父親が上機嫌で戻ってきた。そのあとから、ちょっと恥ずかしそうにしながら、叔母が入ってきた。それから大きな黒いかばんを手に提げた、異様に背の高い若い男の人が、少し緊張した顔つきをしながら入ってきた。まずいことにその瞬間、私はその男の人とばっちり視線が合ってしまったのだ。しかい、不思議なことに私は狼狽して真っ赤になったりしなかった。それよりも、その男の人の大きいことにびっくりしてしまったのである。
私は挨拶もそこそこに、急いで母親の背中に隠れて、その耳元にこうささやいた。
「あの人はアメリカ人?」それを聞いてみんなが笑った。
「こちらが網野さんよ」と叔母から紹介されたその人は、背丈が立派であるばかりではなく、とても鼻が高く、ハンサムだった。だから私はてっきりアメリカ兵だと思ってしまったのである。その頃はまだ、ジープに乗って田舎道を走り抜けていくアメリカ兵の姿を見かけることがときどきあった。
初対面にもかかわらず、網野さんと私はすぐに仲よしになった。深い井戸の底から響いてくるような上品な声も好きだったし、大きな目玉をギョロギョロさせながら、子供たちの遊びを興味深げに眺めている、優しい姿も好きだった。年上の姉たちは、「アミノ酸、アミノ酸」と言っては、げらげら笑っていた。
(中略)
この最初の出会いの日から、私と網野さんは、人類学で言うところの「叔父ー甥」のあいだに形成されるべき、典型的な「冗談関係」を取り結ぶことになったわけである。この関係の中からは、権威の押しつけや義務や強制は発生しにくいというのが、人類学の法則だ。そして、精神の自由なつながりの中から、重要な価値の伝達されることがしばしばおこる。こうしてそれ以来40数年ものあいだ、私たちのあいだにはなによりも自由で、いっさいの強制がない、友愛のこもった関係が持続することになった。
<『歴史と出会う』1>
【歴史と出会う】
網野善彦著、洋泉社、2000年刊
<「BOOK」データベース>より
戦後日本の歴史学が生んだ泰斗、網野善彦の仕事は、左翼運動の挫折を乗り越えるための厖大な読書量と、さまざまな人々との出会いから生まれた。その成果は歴史研究の枠をはるかに凌駕してベストセラーを生み出し、さらにその影響力は文学や映像の世界にまで拡がっている。読者と同じ目線で歴史を学び、研究することの愉しさを教えてくれる一冊。
<読む前の大使寸評>
大使の場合、現代につながる近現代史に関心が大きいのだが・・・
網野さんという歴史家の対話を通じて、歴史に対する視野を広げたいと思うわけです。
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歴史と出会う
歴史と出会う
byドングリ
<『歴史と出会う』2>
図書館で『歴史と出会う』という新書を、手にしたのです。
この本は網野さんの対談と、網野さんの書評が並ぶ構成となっています。
その対談者が宮崎駿、北方謙三とか、錚々たる顔ぶれである。
【歴史と出会う】
網野善彦著、洋泉社、2000年刊
<「BOOK」データベース>より
戦後日本の歴史学が生んだ泰斗、網野善彦の仕事は、左翼運動の挫折を乗り越えるための厖大な読書量と、さまざまな人々との出会いから生まれた。その成果は歴史研究の枠をはるかに凌駕してベストセラーを生み出し、さらにその影響力は文学や映像の世界にまで拡がっている。読者と同じ目線で歴史を学び、研究することの愉しさを教えてくれる一冊。
<読む前の大使寸評>
この本は網野さんの対談と、網野さんの書評が並ぶ構成となっています。
その対談者が宮崎駿、北方謙三とか、錚々たる顔ぶれである。
rakuten
歴史と出会う
『歴史と出会う』2
byドングリ
【「日本」とは何か】
網野善彦著、講談社、2000年刊
<Amazon紹介>より
日本中世史に新たな地平を拓いてきた網野善彦が、編集委員として参加している全26巻の日本通史「日本の歴史」の第00巻として著した日本論である。
これまで自明なこととして扱われていた「日本」の起源と地理的範囲、日本列島に限定されていた縄文文化や弥生文化を、北方アジアや朝鮮半島との関係から見直し、基本的用語を問い直す必要があるというのである。また、主従関係、貨幣制度、差別意識などの地域的相違を明らかにすることで、「均質な日本人」という常識の盲点を指摘している。さらに、記紀神話の豊葦原瑞穂国から、班田収受や公地公民といった律令制度、中世の荘園、江戸時代の士農工商制度、明治の地租改正、戦後の農地改革に至る土地所有制度の変遷をたどることによって、日本は農民中心の農耕社会とする従来の日本社会史に疑問を投げかけている。
有史以来、日本列島は北方アジア、朝鮮半島、琉球列島、中国大陸とダイナミックな交流があり、列島内部でも活発な地域間交流があったことが、現在の「日本」を形づくっているとする。
網野史観の全体像を1冊にまとめた格好の入門書といえる。(堤 昌司)
<大使寸評>
父の蔵書を引きつぐものであるが、2000年刊行と比較的新しい本であり、「日本人論」では欠くべからざる本であったのが嬉しい♪
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「日本」とは何か
【無縁・公界・楽】
網野善彦著、平凡社、増補版1996年刊
<「MARC」データベース>より
近代から古代まで遡り、駆込寺や楽市など多様な領域に、人間の本源的自由に淵源する無縁の原理の展開をよみとる。日本歴史学の流れを捉え換えた画期的な名著。
<読む前の大使寸評>
無縁・公界・楽という三つのキーワードが、何やら断定的であり・・・・気になるわけです。ところで、ジャレド ダイアモンド著『銃・病原菌・鉄』の三つのキーワードは具体的であり、まだ分かりやすいですね♪・・・このあたりが欧米のセンスなのか。
<図書館予約:未>
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無縁・公界・楽
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