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『世界史のなかの中国』3

<『世界史のなかの中国』3>
図書館に予約していた『世界史のなかの中国』という本を、待つこと1週間でゲットしたのです。
「文革・琉球・チベット」という三つのテーマで中国人思想家が日中関係を語るという企画が興味深いのです。


【世界史のなかの中国】
中国

汪暉著、青土社、2011年刊

<「BOOK」データベース>より
中国という国家を歴史からとらえなおし、世界のなかにおける中国とは何かを問う。現代中国を代表する思想家が、「文革・琉球・チベット」という三つのテーマを通して、日中関係を根源的に考える。中国からみた世界、歴史からみた中国。

<読む前の大使寸評>
「文革・琉球・チベット」という三つのテーマで中国人思想家が日中関係を語るという企画が興味深いのです。

<図書館予約:(6/27予約、7/05受取)>

amazon 世界史のなかの中国


中国人の民族思想を、見てみましょう。
p265~267
<中国民族主義の三種類の形態>
 この1民族1国家の普遍的規範もまた、中国近代革命の中の民族問題に多くの複雑な要素を付け加えてしまった。それは、エスニックグループ、宗教、言語、文化、習俗といった諸方面でかくも複雑な中国社会において「民族-国家」をいかに構築するのか、ということであった。
 帰納的に考えれば、清末以降の中国の民族主義は、主に三つの形態に区分することができる。一、辛亥革命以前は清朝打倒のために、孫文や章ヘイ麟などの革命派の人物は、反満を中心に漢民族国家論を形成することを唱えた。いわゆる「韃靼ヲ駆除シ、中華ヲ回復ス」のスローガンや、黄帝を中華民族の始祖と尊んだのは、こうした漢民族主義の産物であった。しかし、まさに多くの論者が指摘するように、この漢民族主義は革命に適応して生まれた理論であり、政権掌握の目的がひとたび達せられるや、それは必然的にその他2種類の形態へと転化していくこととなった。

 二、康有為と梁啓超は、国際競争と多民族という歴史的状態を根拠に、「合群救国論」あるいは「大漢族主義」を唱えた。この理論においては、漢、満、蔵(チベット)、回、蒙がすでに同化しあっており、立憲君主の枠組みの下に、民族国家あるいは国民国家を形成するべきだと認識されていた。康有為と梁啓超らは、立憲君主政体という形と礼教(儒教)を国教とする考えを留保することを求めた。そこから実際に透けて見えるのは一種の焦りである。
 すなわち、満、蒙、蔵、回、漢はそろって「中華民族」に属するが、宗教、血統、言語、風俗習慣などの面で巨大な差異が確かに存在しており、そのためこれらの差異を収容できる政体形式及びそのイデオロギーを探さねばならなかったのである。

 三、中華民族成立後に「清帝国の国境線によって民族の範囲を断定した国家主義」あるいは「多元的単一民族論」が三つめの形態であり、それは中華民国臨時大総統就任時の孫文の宣言の中にそれが典型的に現れていた。「国家の基本は人民にあり、漢、満、蒙、回、蔵の緒地を合わせて一国とし、漢、満、蒙、回、蔵の緒族を合わせて一族とし、これを民族の統一と呼ぶ」。

 中国のあらゆる民族を「一つの中華民族」に融化させようとした孫文の観点はその後、国民党及びその周辺の知識人の民族思想において重要な位置を占めた。例えば蒋介石は『中国之運命』でこう言っている。「民族成長の歴史について言えば、我々中華民族は多数の宗族が融和して形成されたものである。中華民族に融和した宗族は歴代増え続けたが、融和の原動力は文化であって武力えはなく、融和の方法も同化であって征服ではなかった」。「上述のことより分かるのは、強固な中華民族意識と、強く柔軟な民族の力、そして悠久広大な民族文化があれば、中華民族は侵略を受けることも、また他の民族を侵略することもない。侵略を受けないからこそ、中原を占める異民族があれば、中華民族は必ず共同して起き上がりこれを駆除し、我々固有の河山を回復しなければならない。他民族を侵略しないからこそ、中華民族は他民族に対して相互に反目し侵略し合う痛苦と災いを取り除くのであり、それと同時に、我が悠久広大な文化によって四方の宗族を融和させ、民族全体の中の本家と分家の関係になっていくのである」。

 顧〇剛は洪〇蓮に宛てた書簡の中で、「中国にはいわゆる漢族など存在しない。漢族とはある種の文化によって統一された多くの小民族にすぎない」と述べている。この見方は実際に、清末革命派の排満ナショナリズムの言論に反駁するために康有為が展開した。漢人史におけるハイブリディティ論述の流れを汲んでいるだけでなく、蒋介石の言い方に通じるものでもある。1934年、国民政府が黄慕松使節団をチベット入りさせたとき、ラサの街頭には中国語とチベット語の双方で書かれた告示があちこちに貼られた。それには「中華民国五族間の関係は一家と同様である」と示されていた。これはこうした観念が国民政府のチベット政策を動かしていたことを証明しているわけである。

 韓国の学者柳〇泰氏は、こうした様々なタイプの中国民族主義の記述全てが「中華民族」という概念を、多数民族がその他少数民族を同化そして融合させていくという前提の下に打ち立てており、こうして「帝国性を内面化させたこと」こそが中国近代民族主義の重要な特性を構成したと論じている。


ウーム なんか言い訳のようにも聞えるし、歯切れがよくないのである。
華夷秩序とは中華思想の根幹をなすわけで、どうしても漢族の上から目線が出るようですね。

『世界史のなかの中国』1 :序
『世界史のなかの中国』2 :民族-国家の視野の中の中国観とチベット観


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