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『バグダッド・カフェ』という映画がええわけで・・・以下のとおり復刻して読み直してみようと、思い立ったのです♪*********************************************************「バグダッド・カフェ」は1987年のオリジナル版、1994年の完全版、2008年のニュー・ディレクターズ・カット版と三度公開されたようですね。(知らなかった)それだけ息の長い、観客に愛された映画だったのでしょうね。BGMの『コーリング・ユー』がよかった。「Calling you」 Jevetta Steele 『BAGDAD CAFE』バグダッド・カフェ〔ニュー・ディレクターズ・カット版〕より太めの女性とハンサムな地下鉄運転手の愛の物語を綴った「シュガー・ベイビー」(1984)が、映画ファンの間で話題となっていた名コンビ、パーシー・アドロン監督と女優マリアンネ・ゼーゲブレヒト。その2人が再び組んで、世界中の観客を虜にしたのが「バグダッド・カフェ」(1987)(オリジナル版=91分)である。ゼーゲブレヒトが演じるのは、ひなびた砂漠のモーテル兼カフェにたどり着いた、ドイツ人観光客ジャスミン。このカフェの常連で彼女をモデルに絵を描こうとする画家ルーディには、数々の西部劇や戦争映画で強面を印象づけてきたジャック・パランス。当時の年齢で60代も後半に入った彼が、ここでは人の良さそうな老人を味わい深く演じている。(ジャック・パランス氏は2006年11月、カリフォルニア州の自宅で死去。享年87歳。) そしてこのカフェの怒れる女主人で、ジャスミンと時を過ごすうちに徐々に心をほぐしていくブレンダに、ギアナ出身でイギリス、アメリカで演技を学んだ個性派女優CCH・パウンダー。その作品の後にはTVドラマ「ER」や数々の映画で有名になった彼女も、映画での大役は今作品が最初であった。パーシー・アドロン監督の演出の下、ミュンヘン出身のベルント・ハインルが、カラフルな色彩感覚とアングルの面白さで目を引く撮影を担当。音楽はゴスペルや現代音楽など、さまざまなバックグラウンドを持つボブ・テルソンが世界的な大ヒットとなった名曲『コーリング・ユー』ほか、軽やかで懐かしいムードのBGMで熱い砂漠の景色を潤した。 (なお、意外に知られていないのが、『コーリング・ユー』はこの映画のために作られた楽曲だということである。あまりにもこの曲が有名になったため、既存の曲を映画にあてたものと思われがちだが、歌詞を読めば映画のストーリーそのものになっていることが分かる。)なお、日本で1989年3月に公開されたのは91分のアメリカ・バージョンで、1994年8月に公開された〔完全版〕はアメリカ・バージョンの30シーン以上のパートでカットが長くなっている108分のヨーロッパ・バージョンであった。今回の〔ニュー・ディレクターズ・カット版〕は1994年のヨーロッパ・バージョンをベースに、監督自らが色と構図(トリミング)を調整し直し、2008年のカンヌ国際映画祭で初公開された。そのニュー・ディレクターズ・カット版DVDを大学図書館で見つけたので、折をみて観てみようと思っています。なお、H16年に見た完全版の感想を、いつもの鑑賞フォーマットで再掲します。【バグダッド・カフェ】パーシー・アドロン監督、H16.2.1観賞<大使感想>幸せ王国設立請負人みたいなジャスミン♪図らずも、月曜に見た「ショコラ」と似たような映画だった。ただ違うのは「ショコラ」のヴィアンヌは自分の宿命を感じている美人であるが、ババリア出身のジャスミンの方は旅行中に夫と喧嘩別れして行く先のないおデブちゃんということだろうか。モハベ砂漠のハイウェイ沿いのモーテル兼の ガソリンスタンド兼のバグダッド・カフェはどうしようもない店だった。「ビール?・・・ない!免許がないから」「コ-ヒー?・・・ない!機械が壊れているから」笑わせるじゃないか。不条理劇を見ているようなすべりだしにワクワクする!亭主を追い出したばかりで気の荒むアマンダの前に現われたジャスミンはバッドタイミングだったようだ。ホコリっぽい部屋にとおされて、壁に掛かる絵を見て心引かれるジャスミン・・・・私もこのシーンにチョット引っかかったが、やはりこれは意味のあるプロットだった。逗留期間未定で他に行き先のないジャスミンは、翌日からカフェ入口近くの席にオズオズと座るしかなかった。しかし このモーテルに長逗留する住人には、コックスのようなアーティストがいた。コックス(ジャック・パランス)がいい味出しているんだなあー。アマンダとか、コックスとのかけあいにはとぼけた味があり、アメリカ版人情喜劇との感があるのだ。(この映画はドイツ映画になっているが)ジャスミンが触媒のように作用してバグダッド・カフェは変わってゆく♪彼女自身も潜在していた力を放ち、魅力的な女性へと変化してゆく♪そして彼女が店で手品を始めた頃から、映画は明るくたたみかけてゆくのだ♪一度は滞在許可の関係で店を去るジャスミンだが、最後はハッピーエンドが待っています。(最後は見てのお楽しみに)ハイウェイの夕焼けをバックに流れる「コーリングユー」という歌がまたいいのだ。文明果つる所のような剥き出しの風景に、ハイウェイ沿いの安モーテルの乾いた哀愁に・・・・この透きとおった高いキーの歌がよく合っている♪等身大のアメリカが見える映画だが、ドイツ映画だからこそ、乾いた感覚で描き切れたのかも知れない。(何と言う監督だったかな?良く覚えておかなくちゃー)トラック運転手とかの世界を描く、抹香臭さのない良きアメリカが見える映画であるが・・・・抹香臭い原理主義のブッシュにも見せたい映画でした。(どうしてもバカなブッシュを引用したいのですが、今回のはチョット無理ぽいかな?)幸せ王国シリーズより再掲goo映画バグダッド・カフェ***********************************************************■2012年01月27日三度公開された「バグダッド・カフェ」https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201201270001/
2024.11.04
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図書館で『ギャバンの帽子、アルヌールのコート』という本を、手にしたのです。ヨーロッパ映画のアンソロジー集ってか・・・興味深いのである♪【ギャバンの帽子、アルヌールのコート】川本三郎著、春秋社、2013年刊<「BOOK」データベース>より「追憶の名画座」へ、ようこそ。心にしみいる暗さと魅力にあふれた、いにしえのヨーロッパ映画。戦争映画から、詩情をたたえた悲恋物語、シニカルな喜劇まで、永遠の映画少年が50~60年代を中心に、今ひとたび酔いしれたい傑作をふりかえる。<読む前の大使寸評>追って記入rakutenギャバンの帽子、アルヌールのコート「ドイツ映画」、「戦争映画」というツボが疼く『橋』という作品から、見てみましょう。p191~197<少年たちの戦いと死 『橋』> 戦争末期、敗色濃いドイツでは、兵隊が足りなくなり、十代の少年たちを徴兵し、戦場に送るようになった。 1959年に作られ翌60年に日本で公開されたドイツ映画『橋』は、七人の十代の少年たちが自分たちの住む小さな町の橋を守るため、アメリカの戦車隊と戦い、1人を残して無残に死んでゆく戦争映画。15、6歳で死んでいった少年たちへの静かな鎮魂歌になっている。 高校一年生の時、ちょうど少年たちと同じ年齢で見たので、胸が痛くなる感動を覚えた。 ナチスという絶対悪を生んだ国だけに、戦後のドイツ(旧西ドイツ)では、戦争を自分たちの側から描く映画は数少なかった。 戦争の圧倒的な加害者だったから、自分たちも悲惨な目にあったとは語りにくかったのだろう。 わずかにオーストリアとユーゴの合作映画で、ドイツ人のヘルムート・コイトナーが監督した『最後の橋』(54)が、戦争を内側から描いた作品として記憶に残るくらい。敵であるユーゴのパルティザンに捕らえられ、その負傷兵を診ることになったドイツの女医が、「祖国愛か人間愛か」の板挟みに苦しむ物語で、ヒロインを演じたマリア・シェルがカンヌ映画祭で女優演技賞を受賞するなど、国際的に高い評価を得た。 この『最後の橋』でパルティザンの隊長を演じたのがベルンハルト・ヴィッキで、のち監督に転じ作ったのが『橋』。ドイツ人と思われがちだがスイス国籍で戦争体験はないという。それだから冷静に少年たちの敗戦直前の死を描けたのかも知れない。 少年たちはほとんどが素人。従って本稿では俳優名を記さず、役名だけにする。 1945年4月。中部ドイツの小さな町。連合軍(主力はアメリカ)が刻々と迫っている。それでも町にはまだ日常生活が静かに営まれている。 町の高校では普通に授業が行われている。日本と違って敵国の英語の授業もある。シェイクスピアを読む。前半は、七人の少年と、その親たちがスケッチされてゆく。 戦争がそこまで迫っているとは思えないほど一見、平穏に見える。少年たちにとってはまだ戦争は身近に感じられていない。 4月、米軍の飛行機がその町にはじめて爆弾を落としたが、たいした被害はなかったので少年たちは、「どうせ爆弾を落とすなら、学校に落としてくれればよかったのに」「嫌いな数学の授業の前にな」と笑い合う。「爆撃のあとを見に行こう」とピクニック気分もある。 少年たちにとっては、戦争はまだリアルなものというより、どちらかといえば戦争ごっことしてしか理解されていない。だからみんな楽天的だし、勇ましい。後半の悲惨な戦闘をまったく予想していない。無邪気に「敵をやっつける」といいあう。(中略) 七人の少年たちに召集令状が来る。 まだ戦争の現実を知らない少年たちは喜ぶ。国のために戦うことに誇りを覚え、喜んで兵隊になる。戦争ごっこが戦争になる。 前半、高校生だった彼らは、半ズボン姿。英語の恋愛詩を読んだり、恋をしたり、将来の夢を語ったりしている。恋をする者もいる。 それが一転して招集されると、鉄かぶとをかぶり、銃を持つ。「少年」が「兵隊」になる。 七人の少年の先生は、彼らのことを危惧し、以前、先生をしていたという大尉に、何とか危険の少ない部署につかせてくれと頼みに行く。善意からのこの行為が、結果として仇になってしまう。 大尉は少年たちを町はずれの橋の護衛にあたらせる。どうせ、アメリカ軍が進軍してきたら爆破してしまう小さな、小さな橋。大尉としては、少年たちを安全なところに配置したつもりだったが、それが不幸なことになる。 アメリカ軍が橋に近づいて来た時、少年たちは、本気で、橋を死守しようとする。そこから悲劇が始まる。 橋の上に、七人の少年がぽつんと立つ姿を俯瞰でとらえる。大人たちから取り残されたように見える。突然、爆音と共に敵機があらわれる。橋めがけて機上掃射する。少年たちはあわてて地に伏せる。静けさが戻る。少年たちが起き上がる。しかし、1人だけそのままの少年がいる。撃たれていた。最年少のジギー。少年たちは、はじめて戦場の恐怖を知る。 完全に夜が明ける。向こうから米軍のせんしゃがあらわれる。戦闘が始まる。ヴィッキはそのむごいさまをリアルに、そして、感情をこめず、無表情にとらえていく。 たたかわなくてもいい戦いに少年たちは入り込んでゆく。おざなりな軍事訓練を受けてだけの十代の少年たちが、アメリカの精鋭部隊と戦って勝てるわけがない。 最年少のジギーをはじめ、ユルゲン、ワルターと、次々に死んでゆく。それまで戦争ごっこ気分だった少年たちが、戦場のすさまじさに恐怖し、銃声に怯える。小便をもらす。恐怖のあまり錯乱してしまう者もいる。「戦争は格好いい」「国のために命を捧げる」といっていた少年たちが現実の戦闘に直面し、幻想を吹き飛ばされてしまう。その姿が、非情に描かれてゆく。 全編、白黒。音楽もほとんどない。時折り金属音が入るだけ。あとは銃声、戦車の音、叫び声、泣き声といった現実音。画面は墨絵のように黒っぽく、勇壮な戦争映画の雰囲気は微塵もない。 七人の少年たちのうち五人までが死んでしまう。昨日まで元気だった仲間がいまはもういない。生き残ったリーダーのハンスとアルバートが疲れきり、とぼとぼ家へと帰る。そこにドイツ兵がやって来て二人にいう。「橋をこれから破壊する。もともと壊す予定にあったのに余計なことをした」。ドイツ軍はアメリカ軍の侵攻を防ぐためライン河をはじめいくつもの河にかかる橋を破壊した。この橋もそのひとつだった。少年たちに同情した大尉があえて危険の少ない橋の警備にあたらせたのだが、その温情がかえって仇になってしまった。 自分たちの必死の戦いは無駄な戦いだった。仲間の死は無駄死にだった。それを知ってそれまで終始冷静だったハンスが激情にとらわれる。そして橋を破壊しようとするドイツ兵を撃ち、もう一人の兵に撃たれて死んでしまう。 ハンスを助けようとドイツ兵を殺してしまったアルバートが一人、ハンスの死体を引きずりながら「家へ帰ろう、家へ帰ろう」と狂ったようにいうところで、映画は終わる。ここで、くだんの映画鑑賞フォームでこの映画のデータを見てみましょう。【橋】ベルンハルト・ヴィッキ監督、1959年独制作、1960年頃観賞<Movie Walker ストーリー>より敗戦前夜の中部ドイツ。高等学校の最上級生は十六歳。それより上はすでに戦場に狩り出されていた。こんなある日、はじめての空襲警報が鳴った。連合軍の飛行機が町はずれの橋に爆弾を落したのだ。ここは生徒たちの遊び場であり集会所であった。最上級生--母ひとり子ひとりの洗濯屋の息子ジギー、理髪店の息子カール、代々軍人の地主の息子ユルゲン、ナチの地区指導者の息子ヴァルター。疎開して来たクラウス、父を戦場に送ったアルバートと彼の家に同居しているハンスそれとクラウスと仲のいい女生徒フランツィスカの八人は早速出かけていった。橋は無事だった。翌日とぼしい材料を集めてボートを作っていた一同のところに召集令状が来た。親たちの心配をよそに少年たちは“祖国のために”雄々しく入隊していった。その夜突如として非常召集が発せられた。アメリカ軍が近接したのである。少年たちは勇んで出陣した。彼らの守備位置は橋だった。少年たちを戦火にまき込みたくない--と願う隊長のせめてもの思いやりだった。ところが意外にもここに戦車が来た。やがて戦略的に破壊される橋とも知らず少年たちは勇敢に戦った。その反撃は一時的に敵を後退させるほどだった。しかしやがて橋はドイツ軍のため爆破されようとした。生き残ったハンスとアルバートは呆然とするとともにはげしいいかりにかられた。アルバートの銃口がドイツ兵に向けられた。“橋”は残った。あとにはハンスの死体をひきずって町に向うアルバートの姿があった。<大使寸評>追って記入Movie Walker橋
2024.11.01
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朝日の(三谷幸喜のありふれた生活)シリーズをスクラップしているのだが・・・デジタルデータとダブルで保存するところが、いかにもアナログ老人ではあるなあ。三谷さんが、三谷映画の脚本苦労話を語っているが・・・興味深いのです。2024.10.17より 興行通信社調べによる十月最初の週末の映画動員ランキング。一位と十位がアメリカ映画。三位、五位、七位、八位、九位がアニメ。四位が韓国のドキュメンタリー。そして二位と六位が邦画の実写映画。この六位が「スオミの話をしよう」である。 * 累計で動員が百十万人。興行収入は十五億円に到達。大掛かりなロケもない地味な台詞劇ではあるが、大勢の方に楽しんで貰(もら)えて感謝しかない。もちろん二位の「ラストマイル」は超大ヒット。「スオミ~」の何倍ものお客さんが入っている。とはいえ、十億を突破すれば成功といわれている今の邦画界で、「スオミ~」は大健闘だと思う。 なにより嬉しいのは、「ラストマイル」も「スオミ~」もオリジナル脚本だということ。小説や漫画の原作があるわけでもなく、テレビドラマのスピンオフでもない。「ラストマイル」は同じ脚本家が書いた別のドラマの登場人物が登場することが売りの一つになっているが、これはシェアード・ユニバースと呼ばれる手法で、スピンオフとは別物。しかもそれは「ラストマイル」の売りの一つでしかない。 動員トップテンに映画のオリジナル作品が二つも入っていることを、脚本家として心から誇りに思う。自分の作品の方が上位だったらもっと良かったけど、それは忘れることにする。 * 複数の作品と世界観を共有する、このシェアード・ユニバースという言葉。僕は最近知りました。十九世紀のフランスの文豪オノレ・ド・バルザックは、一つの小説の登場人物が別の作品にも現れて、多くの小説がモザイクのように結びつく「人間喜劇」と呼ばれる壮大な世界を作りだしたが、これなどはシェアード・ユニバースの走りだろうか。 この種の趣向は僕も大好きで、だいぶスケールは小さくなるけど、自作のドラマ「振り返れば奴がいる」の重要な登場人物の一人、天真楼病院外科部長の中川先生は、「古畑任三郎」で殺人を犯して古畑警部補に逮捕された。「ラストマイル」の成功でポピュラーとなったこの手法、いつか僕もまた使ってみたいです。 さて、「ラストマイル」の脚本家は野木亜紀子さん。僕より下の世代の脚本家で、これまでも「逃げるは恥だが役に立つ」や「アンナチュラル」といった数多くの名作、話題作を発表している。僕は自分のことを脚本家と名乗ってはいるけれど、作品数でいえば彼女の足元にも及ばない。野木さんは原作ものも手掛けるけれど、オリジナルが多いのが素晴らしい。初めて観た彼女の作品は「逃げ恥」。台詞とドラマとしての話の運びの巧さに驚愕した。 * 一度、何かの授賞式でお会いして、連絡先を交換。話が合いそうだったので食事をしようということになったけど、お互いのスケジュールが合わずにそれっきり。ぜひ実現しましょう、野木さん。僕にとっては、大石静さんと井上由美子さんに続く、脚本家友達になれそうな気がします。 ちなみに僕はまだ「ラストマイル」は観てない。悔しいから観ないかもしれません。(三谷幸喜のありふれた生活1083)広常と泰時、不思議な偶然>2022.04.21(三谷幸喜のありふれた生活984)答えのない問いの中で2022.03.31
2024.10.20
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図書館で『あのころの日本映画101』という本を、手にしたのです。101本の日本映画といえばかなりの本数になるので、観ていない映画や感動した映画もあるだろう・・・ということでチョイスしたのです。*********************************************************【あのころの日本映画101】 立花珠樹著、言視舎、2018年刊<「BOOK」データベース>より50年代の古典から“ちょい前”の問題作まで先がみえない時代だからこそ、生きるヒントや心の潤いになる101本を厳選。1本ずつ「心に残る名せりふ」を解説する。<読む前の大使寸評>101本の日本映画といえばかなりの本数になるので、観ていない映画や感動した映画もあるだろう・・・ということでチョイスしたのです。rakutenあのころの日本映画101『Shall We ダンス?』を、見てみましょう。上質な娯楽映画との評価を得ています♪P32~33<1996年『Shall We ダンス?』質の高さ、リメークが証明> 周防正行監督『Shall We ダンス?』は、老若男女を問わず幅広い人々が楽しむことができる上質な娯楽映画だ。『ファンシイダンス』(1989年)で僧侶の修行、『シコふんじゃった』(92年)で弱小な大学相撲部の奮闘を描いた周防監督が、今回取り上げたのは社交ダンスだ。 前2作と同じように、一般的にはそれほど知られていない世界の魅力と、そこで情熱を燃やす人々の姿を、コミカルな描写を交えつつ、心温まるドラマに仕上げている。 杉山正平(役所広司)は、東京都内の会社に勤める40代前半の平凡なサラリーマンだ。郊外に購入した一軒家で、妻(原日出子)と中学生の娘(仲村綾乃)と3人暮らし。会社では経理課長に順調に昇進し、家庭は円満。何一つ不満はないはずなのに、心の中で、説明できない何かがざわざわと動き始めている。 そんなある日、彼は、通勤電車の途中駅のそばにある社交ダンス教室を訪れる。電車の中から何度か見た、教室の窓のそばに立つ美女(草刈民代)に惹かれたのだ。 杉山は、家庭にも会社にも内緒で、教室通いを始める。最初は不純な動機だったが、個性的なダンス仲間たち(竹中直人、渡辺えり子、徳井優、田口浩正)と一緒に練習に励むうち、次第にのめり込んでいく。 一方、急に夫の帰宅が遅くなったことをあやしんだ妻は、浮気を疑い、探偵事務所を訪れる・・・。 真面目に生きてきた男が、それなりの安定をつかんだ瞬間、自分の人生はこれでいいのか、と迷い始める。どんな人の人生にも、そんな一瞬があるのかもしれない。もちろん、この映画の杉山の迷いはそんなに深刻なことではないのだが。 役所が、覇気のない中年男から、目を輝かして踊る美男子へと変貌する。周防作品の常連、竹中、田口は今回も笑わせてくれるし、ダンス教室のベテラン教師、たま子先生(草村礼子)など脇役陣も好演している。 海外各国で公開され、2004年には米国でリチャード・ギア主演の『Shall We Dance?』がリメイクされた。世界が、素晴らしさを認めたのだ。『Shall We ダンス?』のリメイク行脚を周防監督が綴った本がいいので、紹介します。『Shall Weダンス?』アメリカを行く1『Shall Weダンス?』アメリカを行く2『Shall Weダンス?』アメリカを行く3『Shall Weダンス?』アメリカを行く4『Shall Weダンス?』アメリカを行く5『Shall Weダンス?』アメリカを行く6『Shall Weダンス?』アメリカを行く7『Shall Weダンス?』アメリカを行く8『Shall Weダンス?』アメリカを行く9
2024.07.11
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初代ゴジラ以降に数多くのゴジラ映画が作られ公開されたが、それだけこの題材のインパクトが大きかったのだろう。・・・ということで、ゴジラ映画に関するあれこれをフォローしているのです。*********************************************************ゴジラ映画あれこれR4 山崎監督は初代ゴジラにインパクトを受けていたようですが・・・かつての特撮、現在のVFXに入れ込むところが、いかにも映画作りの職人なんでしょうね。それからハリウッド映画に及ばない低予算にもくじけず、ポジティブにトライするところがええでぇ♪今までに観たゴジラ映画は以下のとおりです。・ゴジラ-1.0(2023年)・ゴジラ キング・オブ・モンスターズ(2019年)・モンスターシリーズ ゴジラ 2019(BANDAI)・「シン・ゴジラ」の見どころ(2016年)・シン・ゴジラ(2016年)・GODZILLA ゴジラ(2014年)・ゴジラ (1954年)・あのころの日本映画101(2018年)R5:『あのころの日本映画101』を追加**********************************************************************去年の11月にこの映画を観ていたので、日記を付けておきます。【ゴジラ-1.0】山崎貴監督、2023年制作、2023.11.09鑑賞<Movie Walker press >よりゴジラ70周年記念作品として制作されたゴジラ作品30作目。山崎貴が監督・脚本・VFXを手掛け、『君の名は。』の神木隆之介が主人公の敷島浩一、『君の膵臓をたべたい』の浜辺美波がヒロインの大石典子をそれぞれ演じる。「東京リベンジャーズ」の山田裕貴をはじめ、青木崇高、吉岡秀隆、安藤サクラ、佐々木蔵之介らが脇を固める。【ストーリー】戦争によってなにもかもを失った日本は、焦土と化していた。戦争から生還するも、両親を失った敷島浩一は、焼け野原の日本を一人強く生きる女性、大石典子に出会う。戦争を生き延びた人々が日本復興を目指すなか、追い打ちをかけるかのように、謎の巨大怪獣ゴジラが出現。圧倒的な力を持つゴジラに、人々は抗うすべを模索する。<観る前の大使寸評>ゴジラ70周年記念として制作されたゴジラ映画とのことで、PRサイトの意気込みがすごいわけで・・・久々に劇場まで繰り出したのです。Movie Walkerゴジラ-1.0『ゴジラ-1.0』を観た***********************************************************************<ゴジラ キング・オブ・モンスターズ>ハリウッド版のゴジラ映画が公開されていて、ハリウッド映画嫌いの大使は観に行くかどうか、迷っていたのだが・・・どでかいモンスターの破壊力を観たいということで、結局観にいくことにしたのです。【ゴジラ キング・オブ・モンスターズ】マイケル・ドハティ監督、2019年、米制作、2019.6.03鑑賞<Movie Walker作品情報>より 日本が世界に誇る怪獣映画シリーズ『ゴジラ』。そのハリウッド版となる『GODZILLA ゴジラ』から5年後の世界を描くSFアクション。 復活した神話時代の怪獣モスラ、ラドン、キングギドラとゴジラが激突。世界の破滅を阻止せんとする未確認生物特務機関モナークの活躍を描く。前作に引き続き、渡辺謙がモナークの生物学者役で出演する。<観る前の大使寸評>どでかいモンスターの破壊力を観たいということで、結局観にいくことにしたのです。<観た後の大使寸評>『GODZILLA ゴジラ』の続編ということで、未確認生物特務機関「モナーク」の秘密基地が世界中に作られていて、やや子供だましではあるが目をつぶっておこう。だいたい太子にしても、アンギラス、ラドン、モスラと見続けてきたが、キングギドラあたりで、もうこんな子供だましは卒業だと思ったわけで・・・可愛げのない子供であった(汗)。おっと、ケチをつけるわけではない。この続編は全篇にわたって怪獣バトルが繰り広げられていて、けっこう騒がしいというか面白いのです。キングギドラが地球外生命体、ゴジラが地球生まれの怪獣として、この2体の覇権争いがメインテーマとしてあるわけで・・・その脇を古代生物学者の家族や、シーシェパードのような環境テロ集団や、ゴジラを愛する芹沢猪四郎博士(渡辺謙)たちがかためております。それから、エンドロールには、アンコール画面が観られるので、お見逃しなく。(かなりネタバレになったかな)Movie Walkerゴジラ キング・オブ・モンスターズ『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』公式サイト***********************************************************************【ムービーモンスターシリーズ ゴジラ 2019 】バンダイ BANDAI ムービーモンスターシリーズ <レビュー>より背びれ等、塗装がしっかりされていて、2014年のものよりも、足が太く、全体的にどっしりしています。<大使寸評>このフィギュアは、よく映画の雰囲気を再現しているなあ♪つまりは、ディズニー映画スタッフたちの初代ゴジラに対する敬意が感じられるのでおます。初代ゴジラといえば・・・生物学的知識とは無縁であり、ひたすら着ぐるみ体形なんですけどね。そのあたりが、このBANDAIのフィギュアに表れています。なお、このBANDAIシリーズにはラドン、モスラ、キングギドラも発売されているが、いまいちの感があります。yodobashiムービーモンスターシリーズ ゴジラ 2019***********************************************************************<「シン・ゴジラ」の見どころ>メディアでは、ちょっとした「シン・ゴジラ」論評ブームをよんでいるようです。あの日経ビジネスまでが「シン・ゴジラ」を取り上げています。2016-09-14シン・ゴジラに漂う「別世界感」の正体より 1954年の第1作から数えると、「シン・ゴジラ」は日本で制作される29番目のゴジラ映画だ。ただし、前作の公開は2004年。同作のタイトル「ゴジラFINAL WARS」からもわかる通り、ゴジラシリーズは50年を区切りに制作が打ち切られていたはずだった。それではなぜ、ゴジラは再び日本にやってきたのか。『さようなら、ゴジラたち―戦後から遠く離れて』(岩波書店)の著者で、文芸評論家の加藤典洋氏に聞いた。 まずは率直な感想を教えてください。 おもしろかった。まず公開3日後くらいに見ました。その後、文芸誌に評論を書くことになったのでお盆の近くにもう1度、映画館に足を運びましたね。どんなところに注目しましたか? 初代ゴジラに戻る、ということを最初から最後まで徹底したところです。ゴジラという作品を、ゼロからこの現代に作り直すとすればどうなるか。これを全身全霊で追求する、という姿勢が独創的だったと思いますね。 この映画のなかの世界では、誰もゴジラのことを知りません。最初に「ゴジラ」と聞いて、みんな「何だそれは」といいます。ふつう、こういう映画に出てくる「現代の日本」というのは、「いま私たちが暮らしている日本」がモデルですよね。ところが『シン・ゴジラ』ではこれまでのゴジラはなかったことになっている。さらに、むろんそこには「ゴジラ映画」も存在していない、そういう設定です。「ゴジラもゴジラ映画も存在しない架空の日本社会」。そういうありえない新しい虚構を作って、リニアモーターカーのように宙に浮かせている。 ただ、その虚構であるはずの日本社会、たとえば東京の街並みや自衛隊の出動の様子、官僚機構の動き方などはかなり精緻に取材し、リアルに描かれています。それが余計に、私たちに一種の浮遊感を抱かせるのです。■アニメ映画を実写で見ているような世界どんな効果があるのですか? 私たちに、一種アニメ映画を実写で見ているような、超平面的(スーパー・フラット)な世界を作り上げるうえで効果を発揮したと思います。 超平面的な世界というのは、簡単にいうと、出生率ゼロの世界です。つまり、内面がない、だから恋愛もない。家庭がないから、出産もない。ですから、あれだけの大事件が起きながら、主要人物たちが官僚世界の公的な場面だけで動きます。主要人物はほとんどの場面で公的な人間(官僚)としてしか行動しないし、主人公の長谷川博己もいっさい家庭的な場面を描かれません。独身なのか妻帯なのかもわからない。 また、一対の男女が出てきても恋愛関係には発展しません。たとえば同じ国難映画でも、2015年の原田眞人監督の「日本のいちばん長い日」だと、例によって主人公格の陸軍大臣阿南惟幾の家族との話が出てくる。夫婦愛などの挿話がちょこっとアリバイのようにさしはさまれるわけだけど、『シン・ゴジラ』はそういう凡庸さからは、ほど遠い。ね、徹底しているでしょう? 彼らの抑揚のない早口言葉が、その別世界感にフィットしていました。 人間なので、本来ならいろいろな喜怒哀楽を抱くはず。だけれど、そこからあえて深みを取り去ることで、別の新しいリアリティーを取り出すことに成功しているのです。街も人間も空も雲も同じ線で描かれる、という意味で、実にアニメ的な手法で私たちを引き込んでいると感じました。***********************************************************************【シン・ゴジラ】庵野秀明総監督、2016年、<Movie Walker作品情報>より日本の怪獣映画史に名を残す“ゴジラ”が、「新世紀エヴァンゲリオン」の庵野秀明が総監督、『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』の樋口真嗣が監督を務め、シリーズ初のフルCGで復活。巨大怪獣の出現で未曽有の危機にさらされた人々の物語が描かれる。長谷川博己、竹野内豊、石原さとみをはじめ、総勢328名のキャストが出演。<観る前の大使寸評>制作方針が初代ゴジラを踏襲しているそうで、わりとハードな即物感を重視しているようです。・・・かなり恐そうやで♪聞くところによると、庵野総監督はゴジラ登場シーンの割合を意識して六分の一に抑えているとか・・・恐いかもね。<観た後の大使寸評>国家の危機管理がメインテーマにもなっていて・・・いい悪い別にして、わりと大人向けの映画になっています。もちろん、子供が見てもゴジラの迫力はじゅうぶんに伝わるでしょうね♪核反応が有機体の中に組み込まれた、まさに「想定外の」生き物が出現したわけで、ある意味、昨今のニッポンの危機管理能力を皮肉っているわけでおます♪このゴジラは、自衛隊の通常ミサイルなどは跳ね返し、米軍の放ったバンカーバスターにやっと傷つくというスーパー生物なのだが・・・怒らせると口と尻尾から例の光線を放つわけで、このシーンでは思わず手を叩きたくなるアホな大使でおました。一時は米軍が核ミサイルをスタンバイさせる危機となったが、結局、なんちゃら凝固材の注入で事なきを得るわけです。とにかく、大田区、東京駅、永田町、虎ノ門など都心のかなりの部分を壊した破壊力が凄い!それから、大使のようなへそ曲りの観客の冷めた鑑賞にも言い訳ができる作りとなっていました。ところで、ゴジラ映画といえば、これまでは着ぐるみ特撮であったが・・・・『シン・ゴジラ』を観るかぎり、それはなかったのではないか?、それだけCG技術が素晴らしいといえるのだが。Movie Walkerシン・ゴジラ***********************************************************************【GODZILLA ゴジラ】ギャレス・エドワーズ監督、2014年、米制作、H26.9.6観賞<Movie Walker映画解説>より日本が世界に誇る怪獣映画のビッグネーム、ゴジラの『ゴジラ FINAL WARS』以来10年ぶりの復活作で、巨大怪獣ゴジラの出現に翻弄される人々の姿を描くパニック・アクション。地球に飛来した未知の生命体の恐怖を描いた『モンスターズ 地球外生命体』のギャレス・エドワーズが監督を、アーロン・テイラー=ジョンソンが主演を務める。<観る前の大使寸評>子供心に、恐怖と哀しみを与えた初代ゴジラであったが、果たして今度のハリウッドGODZILLAはどうなんだろう。Movie WalkerGODZILLA ゴジラ『GODZILLA ゴジラ』公式サイト***********************************************************************【ゴジラ(1954)】本多猪四郎監督、1954年制作、<allcinema映画解説>より 19XX年、南太平洋で行なわれた核実験によって、ジュラ紀の肉食恐竜が甦った。ゴジラと名付けられたその怪物は、大戸島を襲った後、東京へと歩を進めていく。放射能をまき散らすゴジラの前に、帝都は為す術もなく蹂躙されるかのように思われた。だがその時、防衛軍に一つの朗報がもたらされた。それは若き天才科学者、芹沢の発明した“オキシジェン・デストロイヤー”という、核を凌ぐ超兵器の存在である。しかし芹沢は、核の二の舞を怖れ、その超兵器の使用を認めようとはしなかった……。この作品によって本邦の特撮映画は始まった、と言っても過言ではない程の大傑作。<大使寸評>この映画でゴジラが登場するのは、劇中かなり遅くなってからだったが・・・だんだんと現れてくるところが恐いわけで、心憎い演出とも言えるわけです。allcinemaゴジラ(1954)wikipediaゴジラ (1954年の映画)我々、団塊の世代は、初代ゴジラにインスパイヤされた世代であるが・・・その後、引き続いて作られた怪獣映画を飽きもせづ観続けたアホも多くいるわけです。大使の場合、怪獣映画でゴジラ以外で覚えているのはアンギラス、ラドン、モスラぐらいだから、怪獣フリークというよりも、初代ゴジラのファンなんでしょうね。*******************************************************************【あのころの日本映画101】 立花珠樹著、言視舎、2018年刊<「BOOK」データベース>より50年代の古典から“ちょい前”の問題作まで先がみえない時代だからこそ、生きるヒントや心の潤いになる101本を厳選。1本ずつ「心に残る名せりふ」を解説する。<読む前の大使寸評>101本の日本映画といえばかなりの本数になるので、観ていない映画や感動した映画もあるだろう・・・ということでチョイスしたのです。rakutenあのころの日本映画101まず「初代ゴジラ」を、見てみましょう。もちろん私は、この映画を映画館で観た世代であり、圧倒的な影響を受けたのです♪P70~71<1954年『ゴジラ』全編貫く水爆への恐怖>『ゴジラ』という映画を、巨大怪獣の迫力を売り物にした子ども向けの娯楽シリーズと思っている人には、ぜひ第1作を観てほしい。本田猪四郎が監督した1954年の『ゴジラ』は、今の大人が観てもわくわくするような、質の高い映画であることが分かるはずだ。 この年の3月1日、太平洋のビキニ環礁近海で米国が行った水爆実験によって、遠洋マグロ漁船第五福竜丸が被ばく。9月には久保山愛吉・無線長が「放射能症」で亡くなった。この事件をきっかけに急速に広がっていた水爆への恐怖が、11月公開の『ゴジラ』全編を貫いている。 冒頭の場面は、第五福竜丸事件そのものを思わせるし、評論家の川本三郎が「ゴジラはなぜ『暗い』のか」という示唆に富んだ論考で指摘したように、逃げ惑う群衆や病院に収容されたけが人の姿は、東京大空襲や広島、長崎の原爆の犠牲者を思わせる。 もちろん、映画がヒットしたのはそうした理屈とは関係なく、大人も子供もも夢中になるほど、怖くて面白かったからだ。本多をはじめ、特撮担当の円谷英二、音楽の伊福部昭ら日本映画に大きな足跡を残したスタッフが結集。真剣に重ねた努力や創意と情熱が、至る所で実を結んでいる。 ゴジラの叫び声は、「タタタン、タタタン・・・」というおなじみのテーマ曲を作曲した伊福部が「コントラバスの弦を皮手袋で縦に引っ張って」出した音を基に作り上げた。CGを見慣れた目には、船や飛行機の特撮はたしかにちゃちだが、ゴジラそのものは見せ方に工夫があり迫力十分、共感を呼ぶ哀愁も感じさせる。 主な登場人物は、古生物学者、山根博士(志村喬)。博士の娘、恵美子(河内桃子)。その恋人の尾形(宝田明)。恵美子の元婚約者、芹沢博士(平田昭彦)の4人。 映画のラストで山根博士が「もし水爆実験が続けて行われるとしたら」と、警鐘を鳴らす。続編を計算したせりふでもあるだろうが、ここに日本映画が生んだ「ゴジラ」の原点の反核メッセージがある。*******************************************************************■2024年03月16日ゴジラ映画あれこれR4https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202403160000/
2024.07.10
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「テルマ&ルイーズ」という映画を映画館で4回も観たのであるが・・・それはつまり、もっとも好きな監督がリドリー・スコットになるのかなあ。*********************************************************図書館で『映画の巨人たち リドリー・スコット』という本を、手にしたのです。「ブレードランナー」「ブラック・レイン」「テルマ&ルイーズ」とくれば・・・もっとも好きな監督になるのかなあ。【映画の巨人たち リドリー・スコット】佐野亨著、辰巳出版、2020年刊<「BOOK」データベース>よりSFから歴史劇まで、幅広い題材を描きながら、人間の悪意や文明論など明確なテーマ性と独自の映像美で、いまなお第一線で活躍し続けるリドリー・スコットーその魅力と本質をさまざまな角度から読み解く!<読む前の大使寸評>「ブレードランナー」「ブラック・レイン」「テルマ&ルイーズ」とくれば・・・もっとも好きな監督になるのかなあ。rakuten映画の巨人たち リドリー・スコットシド・ミードが作り出した近未来の景観が語られているので、見てみましょう。P48~50<アンドロイドの哀しみ:川本三郎> 核戦争後の荒れ果てた地球、環境汚染と人口過剰で窒息しそうな都市、メディア・テクノロジーの増殖で自己をホログラフィのような空像としか意識しえなくなった人間・・・1982年、53歳で死去したアメリカのSF作家フィリップ・K・ディックはそうしたディストピアとしての近未来にこだわり続けた病的な作家だ。 ディックの短篇集を編んだSF作家ジョン・ブラナーの言葉を借りれば、「ディックの世界はけっして人好きのするものではない。たいていの場合、その世界はさびれ果てている」。 廃墟、マシンや機械人形に囲まれた自閉空間、LSDやスピードやアンフェタミンといったドラッグが生む幻想世界、実像と虚像の差異がなくなったシミュレーションの仕掛け。晩年、霊的世界を見ようとするかのような衝動にとらえられたドラッグの常用へと落ち込んでいったディックは、SFの世界に、テクノロジーの悪夢、実体を喪失した人間の自己幻想、人造人間(アンドロイド)の孤独、現実そのものと現実認識のくい違いといった病的要素を導入していった。「それはけっして快適な世界でも、魅力ある世界でもない」。病気から逃れようと、「医師に処方してもらった薬は、病気よりもひどい副作用を起こす」(ジョン・ブラナー)。 だがその不快な近未来の風景は、読む者にいつか自分たちが見た「懐かしい」風景だと思わせていく魔力を持っている。なぜなら私たちは病なしにはもはや生きられないのだし、河合隼雄の言葉を借りるならば病気とは一つの「ファンタジー」なのだから。SFのFとはサイエンス・テクノロジーの異常な増殖がもたらした病気という「ファンタジー」であるということも可能なのだ。 1982年に製作され、公開当時はさほど話題にならなかったがその後ビデオ化されるや若い世代の圧倒的支持を受け、いまや“カルト・ムービー”になるつつあるSF映画『ブレードランナー』はこのディックの中期の作品(1968年)で、ディック自身が「私のもっとも気に入っている作品の一つ」といっている『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の映画化作品である。 製作は『ディア・ハンター』の製作者でイギリスのEMI社に属するマイケル・ディーリー。監督はゴシック・ホラー調のSF『エイリアン』で名を上げたリドリー・スコット。そして特撮(SFX)は『2001年宇宙の旅』『未知との遭遇』で知られる特撮の第一人者ダグラス・トランブル。この映画ははじめほとんど無名に近い俳優ハンプトン・ファンチャーが原作を読んで感動し、ただちに自分で脚本を書き、SF作家レイ・ブラッドベリを通じて“ハリウッド映画人とほとんど没交渉”の孤高の作家ディックに会い、映画化権を獲得したという、スタートの時点ではごくマイナーな企画だった。 それがディーリーが製作し、リドリー・スコットが監督することになり、さらにダグラス・トランブルが特撮に加わることによって一気にマニアックなまでのSFX(特殊視覚効果)映画へと開花していった。ちなみに映画題名の「ブレードランナー」は、麻薬中毒者の異常な幻想を描いた『裸のランチ』で知られる作家のウィリアム・バロウズの作品からとられており、この映画のクレジットの最後にはバロウズに「スペシャル・サンクス」が捧げられている。 特撮のダグラス・トランブルがこの映画に加わりたいと思ったのは、「(これが)スペース映画ではない」からだったと語っているように、『ブレードランナー』が『スター・ウォーズ』や『スター・トレック』のような「星空をバックに宇宙船をあやつる」美しくファンタジックなSFではなく、近未来のディストピア、痛々しい地球にこだわった「さびれ果てている」病的なSFだったからだ。映画『タクシードライバー』で荒廃したニューヨークのアンダーグラウンドを描いたマーチン・スコセッシ監督もディックの原作を映画化したかった一人だというが、『ブレードランナー』の世界はたしかに未来の広大な宇宙空間よりも、むしろ“娼婦とオカマとヤクの売人と中毒患者がうごめいている”ネクロポリス(死の都)ニューヨークのほうにつながっている。『ブレードランナー』の舞台は21世紀のアメリカの巨大都市。環境汚染と人口過剰のために腐乱した地球から逃れるために人間たちは徐々に他の惑星に移住している。人間たちは惑星での都市建設のためにレプリカントと呼ばれる“人間そっくり”の人造人間を開発した。そのレプリカントの何人かが叛乱を起こし“故郷”の地球に戻ってくる。逃亡者であるレプリカントを殺害するためブレードランナーと呼ばれるハンターが起用される。 物語はこのブレードランナーによるアンドロイドの捜査、追跡、殺害と展開していくのだがこの映画でまず見る者の目を奪うのは、トランブルと、未来派のデザイナー、シド・ミードが作り出した近未来の都市の景観である。 『映画の巨人たち リドリー・スコット』5:アンドロイドの哀しみ『映画の巨人たち リドリー・スコット』4:リドリー・スコットの生い立ちなど『映画の巨人たち リドリー・スコット』3:「ブレードランナー」の論考『映画の巨人たち リドリー・スコット』2:「テルマ&ルイーズ」の論考『映画の巨人たち リドリー・スコット』1:冒頭の論考
2024.06.14
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「プロパガンダ映画にはまった」という記事を、14年ぶりに見直ししたのでUPします。*********************************************************・佐久間ダム・千里馬・栄光への脱出・父親たちの星条旗・キャピタリズムこれらの共通点は何か?・・・ハイ、そこのあなた!これらの共通点は、ジャンルはドキュメンタリー、商業映画とさまざまですが、私がはまったプロパガンダ映画なんですね(さよか)とにかく、映像の威力はすさまじいもので、年端もいかない大使などコロリとはまってしまったわけです。R1:千里馬、キャピタリズムの内容見直し、他*********************************************************その1子供の頃に「佐久間ダム」というドキュメンタリー映画を見て、土木技師を夢見たこともある大使であるが・・・・お役人も土建会社も、世のために働いた幸せな時期が確かにあったが、今となっては状況変化に対応できないその硬直性(石頭)に感慨深いものがあります。お役人とは、自省の予算が減ることを、会社倒産のように恐れるが(それはわかる)・・・ならば、ダム撤去予算をつけて、せめて世のために働いてほしいものである。同じ税金を投入するなら、せめて国民の為に使ってほしいものだが・・・継続性、整合性とかなんか?で、にっちもさっちもいかないのだろうな~?その2『チョンリマ(千里馬)―社会主義朝鮮の記録― 1964年度作品(2006年北朝鮮人権侵害問題啓発週間のシンポジウムより)より シンポジウム第1セッションで映画「チョンリマ」が上映されました。このような機会でもなければ観ることのできない映画のようです。公開された1964年は東京オリンピックがあり、そして拉致被害者 横田めぐみさんが生まれた年でもあります。 写真のパンフレットはシンポジウムでもお話されたジャーナリスト・萩原遼さん所有のもので、40年以上も前(2006年当時)のものです。萩原さんにお願いして見せてもらいました。写真掲載及びブログ掲載の許可もいただきましたので、ぜひご覧になってみてください。写真 映画は当時プロパガンダに利用されたとのことで、複雑な思いでいる方もいらっしゃると思います。そんな中、不謹慎かもしれませんが、私は最近の北朝鮮のテレビ映像ばかり見ているせいか、昔の映像にかえって何か新鮮さを感じました。(会場では時々笑いがこぼれていました)出演者の笑顔も最近の映像で見る作り笑顔と違い、まだ自然な感じがしました。もう一度じっくり観てみたいなと思う映画でした。 この映画を作った監督は、当時の日本人よりは北朝鮮の実情に詳しかったはずであるが、夢を紡いだ裏に、負の側面に目をつむった(見抜けなかった?)としたら犯罪的でさえあったと、今頃気づいた大使である。その3ものごころついた頃に「栄光への脱出」という映画を見て、ユダヤ人の帰国運動に虐げられた民族の希望を見たこともある大使であるが・・・・いま、パレスティナのガザ地区で砲撃を加える軍事大国ともいえるイスラエルには、映画で見たような虐げられた面影は見られません。それにしても、この映画に出演したポール・ニューマン、そしてスクリーンミュージックには惹かれたものです。栄光への脱出かように、プロパガンダ映画に惹かれた(だまされた)大使も、騙されながらも馬齢を加えたせいか・・・・プロパガンダ臭には「ちょっと おかしいんじゃないの?」と眉に唾することもおぼえたのです。その4「父親たちの星条旗」はプロパガンダそのものを描いた映画であり、プロパガンダに従事した者をヒーローとして描くわけでなく、戦争という愚かな行いを批判的に見る高い位置が感じられる映画だった。とにかく、これは別格ですね。その5プロパガンダ映画といえばマイケル・ムーアの最新作『キャピタリズム』はドキュメンタリーというより、プロパガンダ映画そのものなんだろうが・・・こういうふうに立ち位置を旗幟鮮明にした映画を、見たいとも思うのです。市民じゃなくて銀行にすべてを握られている資本主義って何なんだ?-マイケル・ムーア×是枝裕和監督対談より『キャピタリズム ~マネーは踊る~』公式ブログということで・・・関さんのプロパガンダ報道は民意をゆがめるか?などのタイトルに目が行くのです。
2024.06.07
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図書館で『映画の巨人たち リドリー・スコット』という本を手にしたのです。なんか既視感のある本であるが・・・再読でもいいかということでチョイスしたのです。帰って調べると、やはり再読となっています。で、この記事を(その5)とします。*********************************************************図書館で『映画の巨人たち リドリー・スコット』という本を、手にしたのです。「ブレードランナー」「ブラック・レイン」「テルマ&ルイーズ」とくれば・・・もっとも好きな監督になるのかなあ。【映画の巨人たち リドリー・スコット】佐野亨著、辰巳出版、2020年刊<「BOOK」データベース>よりSFから歴史劇まで、幅広い題材を描きながら、人間の悪意や文明論など明確なテーマ性と独自の映像美で、いまなお第一線で活躍し続けるリドリー・スコットーその魅力と本質をさまざまな角度から読み解く!<読む前の大使寸評>「ブレードランナー」「ブラック・レイン」「テルマ&ルイーズ」とくれば・・・もっとも好きな監督になるのかなあ。rakuten映画の巨人たち リドリー・スコットシド・ミードが作り出した近未来の景観が語られているので、見てみましょう。P48~50<アンドロイドの哀しみ:川本三郎> 核戦争後の荒れ果てた地球、環境汚染と人口過剰で窒息しそうな都市、メディア・テクノロジーの増殖で自己をホログラフィのような空像としか意識しえなくなった人間・・・1982年、53歳で死去したアメリカのSF作家フィリップ・K・ディックはそうしたディストピアとしての近未来にこだわり続けた病的な作家だ。 ディックの短篇集を編んだSF作家ジョン・ブラナーの言葉を借りれば、「ディックの世界はけっして人好きのするものではない。たいていの場合、その世界はさびれ果てている」。 廃墟、マシンや機械人形に囲まれた自閉空間、LSDやスピードやアンフェタミンといったドラッグが生む幻想世界、実像と虚像の差異がなくなったシミュレーションの仕掛け。晩年、霊的世界を見ようとするかのような衝動にとらえられたドラッグの常用へと落ち込んでいったディックは、SFの世界に、テクノロジーの悪夢、実体を喪失した人間の自己幻想、人造人間(アンドロイド)の孤独、現実そのものと現実認識のくい違いといった病的要素を導入していった。「それはけっして快適な世界でも、魅力ある世界でもない」。病気から逃れようと、「医師に処方してもらった薬は、病気よりもひどい副作用を起こす」(ジョン・ブラナー)。 だがその不快な近未来の風景は、読む者にいつか自分たちが見た「懐かしい」風景だと思わせていく魔力を持っている。なぜなら私たちは病なしにはもはや生きられないのだし、河合隼雄の言葉を借りるならば病気とは一つの「ファンタジー」なのだから。SFのFとはサイエンス・テクノロジーの異常な増殖がもたらした病気という「ファンタジー」であるということも可能なのだ。 1982年に製作され、公開当時はさほど話題にならなかったがその後ビデオ化されるや若い世代の圧倒的支持を受け、いまや“カルト・ムービー”になるつつあるSF映画『ブレードランナー』はこのディックの中期の作品(1968年)で、ディック自身が「私のもっとも気に入っている作品の一つ」といっている『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の映画化作品である。 製作は『ディア・ハンター』の製作者でイギリスのEMI社に属するマイケル・ディーリー。監督はゴシック・ホラー調のSF『エイリアン』で名を上げたリドリー・スコット。そして特撮(SFX)は『2001年宇宙の旅』『未知との遭遇』で知られる特撮の第一人者ダグラス・トランブル。この映画ははじめほとんど無名に近い俳優ハンプトン・ファンチャーが原作を読んで感動し、ただちに自分で脚本を書き、SF作家レイ・ブラッドベリを通じて“ハリウッド映画人とほとんど没交渉”の孤高の作家ディックに会い、映画化権を獲得したという、スタートの時点ではごくマイナーな企画だった。 それがディーリーが製作し、リドリー・スコットが監督することになり、さらにダグラス・トランブルが特撮に加わることによって一気にマニアックなまでのSFX(特殊視覚効果)映画へと開花していった。ちなみに映画題名の「ブレードランナー」は、麻薬中毒者の異常な幻想を描いた『裸のランチ』で知られる作家のウィリアム・バロウズの作品からとられており、この映画のクレジットの最後にはバロウズに「スペシャル・サンクス」が捧げられている。 特撮のダグラス・トランブルがこの映画に加わりたいと思ったのは、「(これが)スペース映画ではない」からだったと語っているように、『ブレードランナー』が『スター・ウォーズ』や『スター・トレック』のような「星空をバックに宇宙船をあやつる」美しくファンタジックなSFではなく、近未来のディストピア、痛々しい地球にこだわった「さびれ果てている」病的なSFだったからだ。映画『タクシードライバー』で荒廃したニューヨークのアンダーグラウンドを描いたマーチン・スコセッシ監督もディックの原作を映画化したかった一人だというが、『ブレードランナー』の世界はたしかに未来の広大な宇宙空間よりも、むしろ“娼婦とオカマとヤクの売人と中毒患者がうごめいている”ネクロポリス(死の都)ニューヨークのほうにつながっている。『ブレードランナー』の舞台は21世紀のアメリカの巨大都市。環境汚染と人口過剰のために腐乱した地球から逃れるために人間たちは徐々に他の惑星に移住している。人間たちは惑星での都市建設のためにレプリカントと呼ばれる“人間そっくり”の人造人間を開発した。そのレプリカントの何人かが叛乱を起こし“故郷”の地球に戻ってくる。逃亡者であるレプリカントを殺害するためブレードランナーと呼ばれるハンターが起用される。 物語はこのブレードランナーによるアンドロイドの捜査、追跡、殺害と展開していくのだがこの映画でまず見る者の目を奪うのは、トランブルと、未来派のデザイナー、シド・ミードが作り出した近未来の都市の景観である。 『映画の巨人たち リドリー・スコット』4:リドリー・スコットの生い立ちなど『映画の巨人たち リドリー・スコット』3:「ブレードランナー」の論考『映画の巨人たち リドリー・スコット』2:「テルマ&ルイーズ」の論考『映画の巨人たち リドリー・スコット』1:冒頭の論考
2024.05.29
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ドングリ国のパルシネマ(2本立て館)で観た2本立て映画について、以下のとおり並べてみたのです。ま~個人的な鑑賞目次みたいなものです。 R1:「男の友情、女の友情」を追記*********************************************************男の友情、女の友情・・・2本立て館:「テルマ&ルイーズ」4回目お腹ペコペコ・・・2本立て館音楽が人生を変える・・・2本立て館男はつらいよ・・・2本立て館ブルース&ブルース・・・2本立て館あなたがいない世界を・・・2本立て館:「テルマ&ルイーズ」3回目我が子への大きな愛・・・2本立て館 *********************************************************上記リストアップしたもの以前については2本立て館で観た映画R20 に収めています。パルシネマ上映スケジュール
2024.05.23
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図書館で『映画の巨人たち リドリー・スコット』という本を手にしたのです。なんか既視感のある本であるが・・・再読でもいいかということでチョイスしたのです。帰って調べると、やはり再読となっています。で、この記事を(その4)とします。*********************************************************図書館で『映画の巨人たち リドリー・スコット』という本を、手にしたのです。「ブレードランナー」「ブラック・レイン」「テルマ&ルイーズ」とくれば・・・もっとも好きな監督になるのかなあ。【映画の巨人たち リドリー・スコット】佐野亨著、辰巳出版、2020年刊<「BOOK」データベース>よりSFから歴史劇まで、幅広い題材を描きながら、人間の悪意や文明論など明確なテーマ性と独自の映像美で、いまなお第一線で活躍し続けるリドリー・スコットーその魅力と本質をさまざまな角度から読み解く!<読む前の大使寸評>「ブレードランナー」「ブラック・レイン」「テルマ&ルイーズ」とくれば・・・もっとも好きな監督になるのかなあ。rakuten映画の巨人たち リドリー・スコットリドリー・スコットの生い立ちなどが語られているので、見てみましょう。P30~32<リドリー・スコットの生い立ちと原体験:稲田隆紀> リドリー・スコットにはこれまで三度、インタビューを行った。思い起こせば、1980年代は話題作であればプロモーションのために監督、俳優が来日することが定番化していて、取材する機会も頻繁にあった。 最初はスコットが『ブラック・レイン』のロケハンで来日し、『誰かに見られてる』のプロモーションに時間を割いた1988年だった。『誰かに見られてる』はアメリカでの評判も芳しくなく、スコットは意気消沈した風情で取材に応じた。 2回目は1989年、『ブラック・レイン』公開直前のプロモーションで、今度は意気軒昂の彼に取材した。(中略) この時点では彼は巨匠としての風格を身につけていた。 だが、本稿で求められているテーマはスコットの“匠に至る道”ではなく“生い立ちと原体験”だ。これまでの取材のコメントを洗い出し、資料を駆使して挑んだ。 資料によれば、リドリー・スコットは、1937年11月30日に北海に面したサウスシールズ、タイン・アンド・ウェアで生まれた。父親フランシス・バシー・スコットは王立工兵連隊(Royal Èngineers)の将校だった。母親のエリザベスは留守の多い父親に代わって、兄のフランク、リドリー、弟のトニーの三人をタフに育て上げた。彼女は口答えも許さない絶対的存在、強く尊敬に値する女性だった。後にスコットが生み出すタフな女性キャラクターの原型が母親であったことは間違いがない。 時代は第二次世界大戦前夜。父の任地がイギリス、ヨーロッパ各地に及び、家族は父と行動をともにして、各地を巡ることになる。第二次大戦後、スコット一家はダラム州ハートバーン、グリーンズ・ベック・ロードに定住することになった。 スコットが海洋冒険小説、特にジョゼフ・コンラッドなどのファンになったのは、父親の影響だと思われる。実際、彼は兄のフランクが既に輸送船団の一員となっていたこともあり、子供らしい夢として王立工兵連隊に加わりたいと考えていたようだ。 一方で、父親が水彩画を描くのが好きだったこともあって、スコットは絵画やコミックに興味を持つようになり、彼もまた絵を描くのが好きになった。父親は彼に芸術的才能を見いだし、それを伸ばすように勧めた。 さらにこの世代の子供らしく、スコットもまた映画に魅せられた。映画館のスクリーンをみつめながら、夢を育む日々を送っていた。「影響を受けたのは1940年代の英国映画だ。ゾルタン・コルダの『ジャングル・ブック』や『サハラ戦車隊』、マイケル・パウウェルの『赤い靴』、デヴィッド・リーンの『大いなる遺産』。さらにリーンが後に生み出した『戦場にかける橋』や『アラビアのロレンス』にも感動させられた。キャロル・リードの『落ちた偶像』や『第三の男』も忘れられない。みな卓抜したストーリーテラーだった。ハリウッドの作品も見たが、面白いだけで、感銘はなかった」 このコメントは1988年に引き出したのだが、どうも後付け臭い。当時はきれいな映像だけの男という評価に悩み、ストーリーテラーになるべく模索していた頃で、子供時代にこうした監督たちに惹かれたとは考え難い。他のインタビューでは、H・G・ウェルズの小説に熱中し、『恐怖の火星探検』や『放射能X』、『地球が静止した日』などのSF作品を、十代の頃に好んだと語っていた。こちらの方がよほどしっくりくる。 ともあれ、スコットは父の勧めに従い、ウェスト・ハートルプール美術カレッジに進んだ。1954年から1958年まで、彼は本格的に絵画を学び、写真技術やグラフィック・デザインにまで手を広げた。ヴィジアルセンスの何たるかを学んだ時期といえるだろう。 卒業後、今度はロンドン王立美術大学の奨学金を得て、美術的感性をさらに深めていく。デヴィッド・ホックニーやアラン・ジョーンズといった現代を代表する画家とともに学んだことで、スコットの感性は磨きがかかっていった。 この頃からスコットはオーソン・ウェルズや黒澤明をはじめとする世界の映画監督を知り、映画の多様さに眼が開いた。大学の映画部門の設立を積極的に働きかけ、大学の戸棚に置かれていた十六ミリカメラを駆使して、『少年と自転車』という短編を撮り上げる。父親フランシスと、嫌がる弟トニーを出演させたエピソードはつとに知られている。『映画の巨人たち リドリー・スコット』3:「ブレードランナー」の論考『映画の巨人たち リドリー・スコット』2:「テルマ&ルイーズ」の論考『映画の巨人たち リドリー・スコット』1:冒頭の論考
2024.05.20
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<男の友情、女の友情・・・2本立て館>久々にくだんの2本立て館に繰り出したが・・・・今回の出し物は「カラオケ行こ!」と「テルマ&ルイーズ」であり、館主の設けたテーマは「男の友情、女の友情」となっています。「テルマ&ルイーズ」を映画館で再度(4回目)観るために、「カラオケ行こ!」の方はオマケの映画として繰り出したのですが・・・なるほど、館主は「男の友情、女の友情」としてこの2作品を選んだのか♪、と感心したのです。【テルマ&ルイーズ】リドリー・スコット監督、1991年米制作、2024.5.9観賞<Movie Walker作品情報>より旅の途中での偶発事件をきっかけに、鮮やかに自己を解放していく女性2人を描いた女だけのロードムービー。監督は「ブラック・レイン」のリドリー・スコット。製作はスコットとミミ・ポーク、脚本はカーリー・クォーリ、撮影はエイドリアン・ビドルが担当。出演はスーザン・サランドン、ジーナ・デイビスほか。〈ストーリー〉アーカンソー州の小さな町に住む、子供のいない専業主婦テルマ(ジーナ・デイビス)と、ウェイトレスとして独身生活をエンジョイするルイーズ(スーザン・サランドン)の2人は、退屈な日常に別れを告げドライブヘ出掛けた。夕食を取るためカントリー・バーへ立ち寄るが、悪酔いしたテルマは調子に乗り、店の男ハーランと姿を消す。行方を追い駐車場へ向かったルイーズは、レイプされかかっているテルマを発見、ハーランに銃弾を撃ち込んだ。週末旅行から一転、逃避行へと化したものの有り金がない。仕方なくルイーズは恋人のジミーに助けを求めた。一方テルマは夫のダリルに連絡を入れるが、身勝手な夫は一方的に責めるばかり。<大使寸評>レイプされかかっているテルマのエネルギッシュなシーンもあったり、ルイーズのために理由も聞かずに大金を届けるジミーの優しさもあったり、悪化する状況にもかかわらずこの2人の逃亡犯を信じてやまないハル警部など・・・ルイーズが死を選ぶ際の潔さはやや短絡的に思ったりもするが、よくできたシナリオだと思うのです。Movie Walkerテルマ&ルイーズYouTube『テルマ&ルイーズ』90年代ロードムービーの金字塔この映画館ではいつもは幕間にお昼の弁当を食べるのだが・・・・今回は時間帯の関係で、入館前に立ち食いうどんで済ませました♪【カラオケ行こ!】山下敦弘監督、2024年公開、2024.5.9観賞<Movie Walker作品情報>より歌が上手くなりたいヤクザと真面目だけど毒舌な合唱部部長の男子中学生の奇妙な友情を描く和山やまの人気同名漫画を実写映画化。監督を『味園ユニバース』の山下敦弘、脚本を「MIU404」の野木亜紀子が務める。ヤクザの成田狂児を『亜人』の綾野剛が、合唱部部長の岡聡実をオーディションで選ばれた齋藤潤が演じる。〈ストーリー〉合唱部部長の岡聡実は、突然見知らぬヤクザの成田狂児からカラオケに誘われ、歌のレッスンをしてほしいと頼まれる。狂児がいる組のカラオケ大会で最下位になった者には恐怖の罰ゲームがあり、それを回避するため上手くなりたいという。聡実は嫌々ながらも、狂児の勝負曲であるX JAPANの「紅」の歌唱指導を行うことになるが、いつしかカラオケを通じて2人の関係に変化が訪れる。<大使寸評>カラオケの出来が悪いと、手の甲に入れ墨を入れられたり小指を切られたりするヤクザ社会のシーンが描かれる、ビックリ仰天のオマケ映画はスタートするわけで・・・途中で出ようかとも思っていたのだが、脚本、監督の意欲に圧倒されたというか、結局、最後まで観た次第です。館主は「男の友情」映画と捉えたようだが・・・言えてるかも。Movie Walkerカラオケ行こ!音楽が人生を変える・・・2本立て館あなたがいない世界を・・・2本立て館:「テルマ&ルイーズ」3回目パルシネマ上映スケジュール
2024.05.10
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ドングリ国のパルシネマ(2本立て館)で観た2本立て映画について、以下のとおり並べてみたのです。ま~個人的な鑑賞目次みたいなものです。 *********************************************************お腹ペコペコ・・・2本立て館音楽が人生を変える・・・2本立て館男はつらいよ・・・2本立て館ブルース&ブルース・・・2本立て館あなたがいない世界を・・・2本立て館我が子への大きな愛・・・2本立て館 *********************************************************上記リストアップしたもの以前については2本立て館で観た映画R20 に収めています。パルシネマ上映スケジュール
2024.04.11
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<お腹ペコペコ・・・2本立て館>久々にくだんの2本立て館に繰り出したが・・・・今回の出し物は「南極料理人」と「ポトフ」であり、館主の設けたテーマは「お腹ペコペコ」となっています。毎度のことながら、2作品を選ぶ館主のセンスには感心しているのですが、「ポトフ」は観ているだけで美味しそうだけど、「南極料理人」の方はオフザケが多いコメディであることが判ってくる映画でした。【南極料料理人】沖田修一監督、2009年制作、2024.4.7観賞<Movie Walker作品情報>より料理人の西村が単身赴任することに。だが、その行き先はなんと南極ドーム基地! 高級食材なども持ち込み、男ばかりの隊員たちに創意工夫をこらした料理をふるまう西村。やがて、彼の料理は隊員たちの心を癒していく。〈ストーリー〉料理人の西村が単身赴任することに。だが、その行き先はなんと南極ドーム基地! 高級食材なども持ち込み、男ばかりの隊員たちに創意工夫をこらした料理をふるまう西村。やがて、彼の料理は隊員たちの心を癒していく。<大使寸評>見始めてすぐ、越冬基地の作りが貧弱で現実感が乏しいのである。更に、隊員たちのお笑いについていけない、というか、このコメディセンスには乗れないのであった。Movie Walker南極料理人この映画館ではいつもは幕間にお昼の弁当を食べるのだが・・・・今回は時間帯の関係で、入館前に立ち食いうどんですませました♪【ポトフ】トラン・アン・ユン監督、2023年仏制作、2024.4.7観賞<Movie Walker作品情報>より“美食”が芸術の一つとして追求されていた19世紀末のフランスを舞台に、“食”へ情熱を捧げる美食家と料理人の愛と人生を描くヒューマンドラマ。『ノルウェイの森』のトラン・アン・ユンが監督と脚本を務め、『ショコラ』のジュリエット・ビノシュが天才料理人のウージェニー、『ピアニスト』のブノワ・マジメルが著名な美食家ドダンに扮する。料理を監修したのは、三ツ星シェフのピエール・ガニェール。<大使寸評>美食家たちをうならせる天才料理人のウージェニーであるが、フランスの家庭料理ともいえるポトフにも手を抜かないのである。とにかく美味しそうな料理を観えたことで納得できる映画でした。Movie Walkerポトフ『ポトフ 美食家と料理人』公式サイト音楽が人生を変える・・・2本立て館あなたがいない世界を・・・2本立て館パルシネマ上映スケジュール
2024.04.10
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ゴジラ映画あれこれR4 山崎監督は初代ゴジラにインパクトを受けていたようですが・・・かつての特撮、現在のVFXに入れ込むところが、いかにも映画作りの職人なんでしょうね。それからハリウッド映画に及ばない低予算にもくじけず、ポジティブにトライするところがええでぇ♪今までに観たゴジラ映画は以下のとおりです。・ゴジラ-1.0(2023年)・ゴジラ キング・オブ・モンスターズ(2019年)・モンスターシリーズ ゴジラ 2019(BANDAI)・「シン・ゴジラ」の見どころ(2016年)・シン・ゴジラ(2016年)・GODZILLA ゴジラ(2014年)・ゴジラ (1954年)R4:『ゴジラ-1.0』を追加**********************************************************************去年の11月にこの映画を観ていたので、日記を付けておきます。【ゴジラ-1.0】山崎貴監督、2023年制作、2023.11.09鑑賞<Movie Walker press >よりゴジラ70周年記念作品として制作されたゴジラ作品30作目。山崎貴が監督・脚本・VFXを手掛け、『君の名は。』の神木隆之介が主人公の敷島浩一、『君の膵臓をたべたい』の浜辺美波がヒロインの大石典子をそれぞれ演じる。「東京リベンジャーズ」の山田裕貴をはじめ、青木崇高、吉岡秀隆、安藤サクラ、佐々木蔵之介らが脇を固める。【ストーリー】戦争によってなにもかもを失った日本は、焦土と化していた。戦争から生還するも、両親を失った敷島浩一は、焼け野原の日本を一人強く生きる女性、大石典子に出会う。戦争を生き延びた人々が日本復興を目指すなか、追い打ちをかけるかのように、謎の巨大怪獣ゴジラが出現。圧倒的な力を持つゴジラに、人々は抗うすべを模索する。<観る前の大使寸評>ゴジラ70周年記念として制作されたゴジラ映画とのことで、PRサイトの意気込みがすごいわけで・・・久々に劇場まで繰り出したのです。Movie Walkerゴジラ-1.0『ゴジラ-1.0』を観た***********************************************************************<ゴジラ キング・オブ・モンスターズ>ハリウッド版のゴジラ映画が公開されていて、ハリウッド映画嫌いの大使は観に行くかどうか、迷っていたのだが・・・どでかいモンスターの破壊力を観たいということで、結局観にいくことにしたのです。【ゴジラ キング・オブ・モンスターズ】マイケル・ドハティ監督、2019年、米制作、2019.6.03鑑賞<Movie Walker作品情報>より 日本が世界に誇る怪獣映画シリーズ『ゴジラ』。そのハリウッド版となる『GODZILLA ゴジラ』から5年後の世界を描くSFアクション。 復活した神話時代の怪獣モスラ、ラドン、キングギドラとゴジラが激突。世界の破滅を阻止せんとする未確認生物特務機関モナークの活躍を描く。前作に引き続き、渡辺謙がモナークの生物学者役で出演する。<観る前の大使寸評>どでかいモンスターの破壊力を観たいということで、結局観にいくことにしたのです。<観た後の大使寸評>『GODZILLA ゴジラ』の続編ということで、未確認生物特務機関「モナーク」の秘密基地が世界中に作られていて、やや子供だましではあるが目をつぶっておこう。だいたい太子にしても、アンギラス、ラドン、モスラと見続けてきたが、キングギドラあたりで、もうこんな子供だましは卒業だと思ったわけで・・・可愛げのない子供であった(汗)。おっと、ケチをつけるわけではない。この続編は全篇にわたって怪獣バトルが繰り広げられていて、けっこう騒がしいというか面白いのです。キングギドラが地球外生命体、ゴジラが地球生まれの怪獣として、この2体の覇権争いがメインテーマとしてあるわけで・・・その脇を古代生物学者の家族や、シーシェパードのような環境テロ集団や、ゴジラを愛する芹沢猪四郎博士(渡辺謙)たちがかためております。それから、エンドロールには、アンコール画面が観られるので、お見逃しなく。(かなりネタバレになったかな)Movie Walkerゴジラ キング・オブ・モンスターズ『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』公式サイト***********************************************************************【ムービーモンスターシリーズ ゴジラ 2019 】バンダイ BANDAI ムービーモンスターシリーズ <レビュー>より背びれ等、塗装がしっかりされていて、2014年のものよりも、足が太く、全体的にどっしりしています。<大使寸評>このフィギュアは、よく映画の雰囲気を再現しているなあ♪つまりは、ディズニー映画スタッフたちの初代ゴジラに対する敬意が感じられるのでおます。初代ゴジラといえば・・・生物学的知識とは無縁であり、ひたすら着ぐるみ体形なんですけどね。そのあたりが、このBANDAIのフィギュアに表れています。なお、このBANDAIシリーズにはラドン、モスラ、キングギドラも発売されているが、いまいちの感があります。yodobashiムービーモンスターシリーズ ゴジラ 2019***********************************************************************<「シン・ゴジラ」の見どころ>メディアでは、ちょっとした「シン・ゴジラ」論評ブームをよんでいるようです。あの日経ビジネスまでが「シン・ゴジラ」を取り上げています。2016-09-14シン・ゴジラに漂う「別世界感」の正体より 1954年の第1作から数えると、「シン・ゴジラ」は日本で制作される29番目のゴジラ映画だ。ただし、前作の公開は2004年。同作のタイトル「ゴジラFINAL WARS」からもわかる通り、ゴジラシリーズは50年を区切りに制作が打ち切られていたはずだった。それではなぜ、ゴジラは再び日本にやってきたのか。『さようなら、ゴジラたち―戦後から遠く離れて』(岩波書店)の著者で、文芸評論家の加藤典洋氏に聞いた。 まずは率直な感想を教えてください。 おもしろかった。まず公開3日後くらいに見ました。その後、文芸誌に評論を書くことになったのでお盆の近くにもう1度、映画館に足を運びましたね。どんなところに注目しましたか? 初代ゴジラに戻る、ということを最初から最後まで徹底したところです。ゴジラという作品を、ゼロからこの現代に作り直すとすればどうなるか。これを全身全霊で追求する、という姿勢が独創的だったと思いますね。 この映画のなかの世界では、誰もゴジラのことを知りません。最初に「ゴジラ」と聞いて、みんな「何だそれは」といいます。ふつう、こういう映画に出てくる「現代の日本」というのは、「いま私たちが暮らしている日本」がモデルですよね。ところが『シン・ゴジラ』ではこれまでのゴジラはなかったことになっている。さらに、むろんそこには「ゴジラ映画」も存在していない、そういう設定です。「ゴジラもゴジラ映画も存在しない架空の日本社会」。そういうありえない新しい虚構を作って、リニアモーターカーのように宙に浮かせている。 ただ、その虚構であるはずの日本社会、たとえば東京の街並みや自衛隊の出動の様子、官僚機構の動き方などはかなり精緻に取材し、リアルに描かれています。それが余計に、私たちに一種の浮遊感を抱かせるのです。■アニメ映画を実写で見ているような世界どんな効果があるのですか? 私たちに、一種アニメ映画を実写で見ているような、超平面的(スーパー・フラット)な世界を作り上げるうえで効果を発揮したと思います。 超平面的な世界というのは、簡単にいうと、出生率ゼロの世界です。つまり、内面がない、だから恋愛もない。家庭がないから、出産もない。ですから、あれだけの大事件が起きながら、主要人物たちが官僚世界の公的な場面だけで動きます。主要人物はほとんどの場面で公的な人間(官僚)としてしか行動しないし、主人公の長谷川博己もいっさい家庭的な場面を描かれません。独身なのか妻帯なのかもわからない。 また、一対の男女が出てきても恋愛関係には発展しません。たとえば同じ国難映画でも、2015年の原田眞人監督の「日本のいちばん長い日」だと、例によって主人公格の陸軍大臣阿南惟幾の家族との話が出てくる。夫婦愛などの挿話がちょこっとアリバイのようにさしはさまれるわけだけど、『シン・ゴジラ』はそういう凡庸さからは、ほど遠い。ね、徹底しているでしょう? 彼らの抑揚のない早口言葉が、その別世界感にフィットしていました。 人間なので、本来ならいろいろな喜怒哀楽を抱くはず。だけれど、そこからあえて深みを取り去ることで、別の新しいリアリティーを取り出すことに成功しているのです。街も人間も空も雲も同じ線で描かれる、という意味で、実にアニメ的な手法で私たちを引き込んでいると感じました。***********************************************************************【シン・ゴジラ】庵野秀明総監督、2016年、<Movie Walker作品情報>より日本の怪獣映画史に名を残す“ゴジラ”が、「新世紀エヴァンゲリオン」の庵野秀明が総監督、『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』の樋口真嗣が監督を務め、シリーズ初のフルCGで復活。巨大怪獣の出現で未曽有の危機にさらされた人々の物語が描かれる。長谷川博己、竹野内豊、石原さとみをはじめ、総勢328名のキャストが出演。<観る前の大使寸評>制作方針が初代ゴジラを踏襲しているそうで、わりとハードな即物感を重視しているようです。・・・かなり恐そうやで♪聞くところによると、庵野総監督はゴジラ登場シーンの割合を意識して六分の一に抑えているとか・・・恐いかもね。<観た後の大使寸評>国家の危機管理がメインテーマにもなっていて・・・いい悪い別にして、わりと大人向けの映画になっています。もちろん、子供が見てもゴジラの迫力はじゅうぶんに伝わるでしょうね♪核反応が有機体の中に組み込まれた、まさに「想定外の」生き物が出現したわけで、ある意味、昨今のニッポンの危機管理能力を皮肉っているわけでおます♪このゴジラは、自衛隊の通常ミサイルなどは跳ね返し、米軍の放ったバンカーバスターにやっと傷つくというスーパー生物なのだが・・・怒らせると口と尻尾から例の光線を放つわけで、このシーンでは思わず手を叩きたくなるアホな大使でおました。一時は米軍が核ミサイルをスタンバイさせる危機となったが、結局、なんちゃら凝固材の注入で事なきを得るわけです。とにかく、大田区、東京駅、永田町、虎ノ門など都心のかなりの部分を壊した破壊力が凄い!それから、大使のようなへそ曲りの観客の冷めた鑑賞にも言い訳ができる作りとなっていました。ところで、ゴジラ映画といえば、これまでは着ぐるみ特撮であったが・・・・『シン・ゴジラ』を観るかぎり、それはなかったのではないか?、それだけCG技術が素晴らしいといえるのだが。Movie Walkerシン・ゴジラ***********************************************************************【GODZILLA ゴジラ】ギャレス・エドワーズ監督、2014年、米制作、H26.9.6観賞<Movie Walker映画解説>より日本が世界に誇る怪獣映画のビッグネーム、ゴジラの『ゴジラ FINAL WARS』以来10年ぶりの復活作で、巨大怪獣ゴジラの出現に翻弄される人々の姿を描くパニック・アクション。地球に飛来した未知の生命体の恐怖を描いた『モンスターズ 地球外生命体』のギャレス・エドワーズが監督を、アーロン・テイラー=ジョンソンが主演を務める。<観る前の大使寸評>子供心に、恐怖と哀しみを与えた初代ゴジラであったが、果たして今度のハリウッドGODZILLAはどうなんだろう。Movie WalkerGODZILLA ゴジラ『GODZILLA ゴジラ』公式サイト***********************************************************************【ゴジラ(1954)】本多猪四郎監督、1954年制作、<allcinema映画解説>より 19XX年、南太平洋で行なわれた核実験によって、ジュラ紀の肉食恐竜が甦った。ゴジラと名付けられたその怪物は、大戸島を襲った後、東京へと歩を進めていく。放射能をまき散らすゴジラの前に、帝都は為す術もなく蹂躙されるかのように思われた。だがその時、防衛軍に一つの朗報がもたらされた。それは若き天才科学者、芹沢の発明した“オキシジェン・デストロイヤー”という、核を凌ぐ超兵器の存在である。しかし芹沢は、核の二の舞を怖れ、その超兵器の使用を認めようとはしなかった……。この作品によって本邦の特撮映画は始まった、と言っても過言ではない程の大傑作。<大使寸評>この映画でゴジラが登場するのは、劇中かなり遅くなってからだったが・・・だんだんと現れてくるところが恐いわけで、心憎い演出とも言えるわけです。allcinemaゴジラ(1954)wikipediaゴジラ (1954年の映画)我々、団塊の世代は、初代ゴジラにインスパイヤされた世代であるが・・・その後、引き続いて作られた怪獣映画を飽きもせづ観続けたアホも多くいるわけです。大使の場合、怪獣映画でゴジラ以外で覚えているのはアンギラス、ラドン、モスラぐらいだから、怪獣フリークというよりも、初代ゴジラのファンなんでしょうね。ゴジラ画像より**********************************************************************
2024.03.16
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「ゴジラ―1.0」がアカデミー賞の視覚効果賞を受賞したとのことで、新聞やネットでも盛り上がっているが・・・その報道のひとつを見てみましょう。*********************************************************【米アカデミー賞】「ゴジラ―1.0」が視覚効果賞を受賞より 米映画芸術科学アカデミーが主催する第96回アカデミー賞の授賞式が10日(日本時間11日)、米ロサンゼルスで行われ、映画「ゴジラ―1.0」(山崎貴監督)が視覚効果賞を受賞した。アジア映画が同賞を受賞するのは初めて。 映像製作会社「白組」の少数精鋭のスタッフとともにVFX編集を手掛けた山崎監督は、現地で授賞式に出席。結果発表の瞬間、プレゼンターのアーノルド・シュワルツェネッガーが、「Godzilla MINUS ONE」と読み上げると、監督らスタッフは総立ちとなり、喜びを爆発させた。 壇上で山崎監督は、英語でスピーチし「40年以上前に『スターウォーズ』と『未知との遭遇』を見たショックからキャリアをスタートさせた私にとって、この場所は望む事すら想像しなかった場所でした」と感慨深げ。「VFXを志しているみんな!ハリウッドが君たちにも挑戦権がある事を証明してくれたよ!ありがとうございました」と語り、会場の喝采を浴びた。 監督としての受賞は、「2001年 宇宙の旅」のスタンリー・キューブリック監督以来、55年ぶり史上2人目。同賞はその年に公開された映画の中で、最も優れた視覚効果(VFX)を用いた作品に与えられる栄誉で、過去には「スターウォーズ」、「アバター」など映画史を代表する超大作が受賞してきた。これまで、邦画・アジア映画が受賞した実績はなかった。 本作は、ゴジラシリーズ70周年記念作品で、日本製作の実写として30作目。終戦直後を舞台に、敗戦で“無(ゼロ)”になった日本が、ゴジラの脅威により“負(マイナス)”に叩き落とされる物語。日本では昨年11月に封切られ、興行収入60億円を突破。北米でも昨年12月に公開され、世界興収は1億ドル(150億円)を突破する大ヒットを記録している。 ◆山崎監督スピーチ全文 40年以上前に「スターウォーズ」と「未知との遭遇」を見たショックからキャリアをスタートさせた私にとって、この場所は望む事すら想像しなかった場所でした。ノミネートの瞬間、私たちはまさにロッキー・バルボアでした。強大なライバルたちの前でリングに立たせてもらえた事はすでに奇跡でした。 しかし私たちは今ここに居ます。この場所から遠く離れた所でVFXを志しているみんな!ハリウッドが君たちにも挑戦権がある事を証明してくれたよ!最後にスタッフキャストを代表して、去年失った我々のプロデューサー、阿部秀司さんに言いたいです。「俺たちはやったよ!」ありがとうございました。(報知新聞社)山崎監督は初代ゴジラにインパクトを受けていたようですが・・・かつての特撮、現在のVFXに入れ込むところが、いかにも映画作りが好きなんでしょうね。それからハリウッド映画に及ばない低予算にもくじけず、ポジティブにトライするところがええでぇ♪去年の11月にこの映画を観ていたので、日記を付けておきます。**********************************************************************【ゴジラ-1.0】山崎貴監督、2023年制作、2023.11.09鑑賞<Movie Walker press >よりゴジラ70周年記念作品として制作されたゴジラ作品30作目。山崎貴が監督・脚本・VFXを手掛け、『君の名は。』の神木隆之介が主人公の敷島浩一、『君の膵臓をたべたい』の浜辺美波がヒロインの大石典子をそれぞれ演じる。「東京リベンジャーズ」の山田裕貴をはじめ、青木崇高、吉岡秀隆、安藤サクラ、佐々木蔵之介らが脇を固める。【ストーリー】戦争によってなにもかもを失った日本は、焦土と化していた。戦争から生還するも、両親を失った敷島浩一は、焼け野原の日本を一人強く生きる女性、大石典子に出会う。戦争を生き延びた人々が日本復興を目指すなか、追い打ちをかけるかのように、謎の巨大怪獣ゴジラが出現。圧倒的な力を持つゴジラに、人々は抗うすべを模索する。<観る前の大使寸評>ゴジラ70周年記念として制作されたゴジラ映画とのことで、PRサイトの意気込みがすごいわけで・・・久々に劇場まで繰り出したのです。Movie Walkerゴジラ-1.0『ゴジラ-1.0』を観たゴジラ-1.0が超スッキリ感動できる動画!もお奨めです。
2024.03.13
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図書館で「『戦場のメリークリスマス』知られざる真実」という本を手にしたのです。【『戦場のメリークリスマス』知られざる真実】 WOWOW「ノンフィクションW」取材班×吉村 栄一著、東京ニュース通信社、2021年刊<「BOOK」データベース>より1980年代、男が最も美しかった世界、男が最も哀しかった時代。オーシマ、ボウイ、サカモト、タケシ。二度と現れない、しかし、三度も四度も味わいたい、脅威の「創造」力、結集の秘密と奇跡。貴重な発掘資料と関係者へのインタビューで、伝説の映画の知られざる真実を掘り起こす。ピーター・バラカン、大島新への新規インタビューなども加えた「完全保存版」。<読む前の大使寸評>追って記入rakuten『戦場のメリークリスマス』知られざる真実「第六章 躁」では映画撮影の現場がいかなるものか、述べられています。p70~72<第六章 躁> 映画『戦場のメリークリスマス』の撮影は、日本人俳優がラロトンガ入りする直前の8月21日からスタートしていた。収容所でのデヴィッド・ボウイ、トム・コンティの絡みのシーンだ。これが映画のファースト・カットとなった。 大島監督らすでに現地入りしていたスタッフを除く、日本人のキャスト、スタッフらがラロトンガ入りしたのは8月23日。途中、フィジーでの2泊を含む、日本から4日をかけての長旅だった。この長旅の間中、英語の台詞が多い坂本龍一は脚本()とつねに格闘していたという。 到着するなり、そこはもう戦場だった。日本人、外国人のキャスト、スタッフが入り乱れ、宿舎となったラロトンガ・ホテルは収容所ならずとも、戦地のキャンプのような様相を呈していた。 英語、日本語が飛び交い、あちこちで文化の衝突もあれば融合もあった。何人かの日本語に堪能な外国人スタッフたちがその緩衝材、橋渡しの役を担った。 その代表が、外国人キャストへの日本語の台詞指導や大島監督の相談役というポジションにいたロジャー・バルバースだった。ロジャー・バルバース ラロトンガでの撮影中のぼくのスケジュールは、基本的に朝起きてまず、オンボロのトヨタで監督や成島さんらをロケ場所まで送る。ほんとうにこの車は大丈夫かっていうぐらいの錆びた車でした。そして朝食のときに、トム・コンティ、ボウイ、ジャック・トンプソンら外国人俳優と打ち合わせをして、監督の要望を伝えたり、彼らの悩みや相談を聞いたりする。 彼らのほうから「このシーンはこういうふうにやりたいのだけど、どうか?」と訊かれて、監督に伝えもしました。そういうときは監督の答えはほとんど「好きなようにやってください」というものでした。 でも外国人俳優たちに「Do as you like(好きにやって)」と伝えても、彼らはそれに納得しない。自分の提案に対して、もうちょっと監督からの意見や積極的な肯定の言葉がほしい、と。 というと、監督は、そんなのいちいち指示しない、段取りも組まない。好きにやってくれ、と。 撮影現場では本当にそうだったんです。俳優に向かって、ここでこうしなさい、こういうふうに、ということがまったくない。小津安二郎監督とは180度ちがうというか(笑)、本当に演出の指示をしない、俳優にまかせて、大体ワン・テイク。ときには撮影監督がOKを出す前に「よし次!」って(笑)。 監督は、とにかく役者の自発性にまかせて、最初のテイクがいちばんおもしろいっていう天才的なひらめきがある人。自発性とフレッシュネス、新鮮さとその雰囲気を尊重する。フィルムではそれがうまく出ているわけですから正解でした。 これはよく憶えているのですが、あるシーンでトム・コンティが「ロジャー、このハラ軍曹が現れるシーンでは、ぼくはどういうふうにしゃべるのがいいと思う?」って訊いてきたんです。で、ぼくは何気なく「この椅子から立ち上がりながらしゃべるのがいいんじゃない」って答えたら、それを見ていた監督が「ロジャー! 演出するな!」って怒鳴るんですよ。もう本当に北極からの冷たい風が身体を通り抜けたように凍りつきましたね(笑)。「トム、悪いけど自分で考えて好きなようにして!」って(笑)。「『戦場のメリークリスマス』知られざる真実」2:第二次大戦の日本軍と俘虜の関係「『戦場のメリークリスマス』知られざる真実」1:坂本龍一さんへのインタビュー
2024.01.13
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図書館で『スクリーンが待っている』という本を、手にしたのです。『ゆれる』、『ディア・ドクター』などを監督した西川美和の映画作りとあれば、興味深いではないか♪【スクリーンが待っている】 西川美和著、小学館、2021年刊<「BOOK」データベース>より最新監督作『すばらしき世界』に挑んだ五年間の軌跡。【目次】スクリーンが待っている(恋/出会い/ともだち/時代/ホーム/塀/孤児/船/幸福/山/妖怪/異邦の人/花/夜明け前)/映画をはなれて(逃げ場所/私の青い鳥/ピクシーえほん/みつけたともだち/都会の景色/二十三年後の夏/スポーツを「みる」/壁また壁/鋏のこと)/夢日記/蕎麦屋ケンちゃん失踪事件<読む前の大使寸評>『ゆれる』、『ディア・ドクター』などを監督した西川美和の映画作りとあれば、興味深いではないか♪rakutenスクリーンが待っているまず「まえがき」を、見てみましょう。p6~7<まえがき> 本書は、2018年より、小説誌「STORY BOX」に3ヵ月に一度のペースで連載したエッセイをまとめたものです。私にとって6作目となる長編映画作りの過程を、ゆっくりしたペースで書かせてもらいました。 本文中でも触れていますが、映画の宣伝戦略上の理由から、作品の細かい内容や出演者の情報は、公式な「制作発表」がなされるまでは秘密にしておかねばなりません。もったいぶらなくたって大して騒いじゃくれないよ、というのが私の本音ではありますが、何百の人間が関わり、何億というお金が投じられて作る商業映画ですから、そういう約束は約束なのです。 そのような都合のため、企画発表からかなりの長い期間にわたって物語の中身や具体的な固有名詞は伏せたまま書かざるをえず、中盤までは遠回しな説明やイニシャルが多くて読者は読みづらさを感じられるかもしれません。 書いている私もだんだんイライラしてきて、「いったいいつになったら制作発表してくれるんです! これ以上秘密にされたんじゃ、連載に書くネタに困るんですよ!」と無茶な理屈でプロデューサーに詰め寄ったことさえありました。 こうして翻意まとめる今ではすでに多くの情報も開かれた後なので、伏せていた言葉もわかりやすく書き換えようかとも考えましたが、2015年の秋に企画を思いついてから5年を経るうちに、少しづつ物事が進み、それが形になり、やがて人に伝える時期が来て、映画が放たれる、その月日のうつろいのようなものを、そのまま読者にも付き合ってもらうことにしようと思い、あえてそのままの表現を保ちました。 この数年のうちに他誌に読み切りで書いた、映画とは関連のないテーマの文章もいくつか合わせて収録してもらったのち、最後に一つだけ短編小説を加えています。翻訳家の柴田元幸さんから、「探偵モノを書いてみませんか」というお題をいただいたのですが、クランクインまであと2ヵ月という時期だったので、映画に数シーンだけ登場する一人の青年の過去に起きた事件として書いてみました。 劇中の物語とは全く関連のないエピソードであり、映画を観ても「この人物の話だったのか」と気付くこともないかもしれませんが、これもたくさんの材料でこしらえていく映画作りの中の一つの断片なので、仲間に入れて読んでみてください。 映画作りに力を発揮してくれた全ての人々に感謝を込めて。 2020年11月 西川美和
2023.11.26
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『ゴジラ-1.0』のPRサイトの意気込みがすごいわけで・・・久々に劇場まで繰り出したのです。***********************************************************************「シン・ゴジラ」が(2016年)7月29日から全国封切りだそうだが・・・・観る前に、ゴジラ映画あれこれをまとめてみました。個人的に盛り上げて、映画館にくりこもうという算段でんがな♪・ゴジラ-1.0(2023年)・ゴジラvsコング (2020年)・ゴジラ キング・オブ・モンスターズ(2019年)・モンスターシリーズ ゴジラ 2019(BANDAI)・「シン・ゴジラ」の見どころ・シン・ゴジラ(2016年)・GODZILLA ゴジラ(2014年)・ゴジラ (1954年)R5:『ゴジラ-1.0』を追加し、内容見直し***********************************************************************【ゴジラ-1.0】山崎貴監督、2023年制作、2023.11.09鑑賞<Movie Walker press >よりゴジラ70周年記念作品として制作されたゴジラ作品30作目。山崎貴が監督・脚本・VFXを手掛け、『君の名は。』の神木隆之介が主人公の敷島浩一、『君の膵臓をたべたい』の浜辺美波がヒロインの大石典子をそれぞれ演じる。「東京リベンジャーズ」の山田裕貴をはじめ、青木崇高、吉岡秀隆、安藤サクラ、佐々木蔵之介らが脇を固める。【ストーリー】戦争によってなにもかもを失った日本は、焦土と化していた。戦争から生還するも、両親を失った敷島浩一は、焼け野原の日本を一人強く生きる女性、大石典子に出会う。戦争を生き延びた人々が日本復興を目指すなか、追い打ちをかけるかのように、謎の巨大怪獣ゴジラが出現。圧倒的な力を持つゴジラに、人々は抗うすべを模索する。<観る前の大使寸評>ゴジラ70周年記念として制作されたゴジラ映画とのことで、PRサイトの意気込みがすごいわけで・・・久々に劇場まで繰り出したのです。Movie Walkerゴジラ-1.0映画『ゴジラ-1.0』公式サイト『ゴジラ-1.0』1**********************************************************************【ゴジラvsコング】アダム・ウィンガード監督、2020年、米制作、<Movie Walker press >より怪獣たちの戦いにより甚大な被害を受けた人類が再建を図る中、特務機関モナークは未知の土地で危険なミッションを進め、巨大怪獣のルーツをつかもうとしていた。そんな時、ゴジラが再び地上に出現。怒りを露わに、世界を危機へ陥れていくゴジラに対抗すべく、人類は髑髏島からコングを連れ出す。だが、その決断によって引き起こされた“最強”対決は、人類や地球の存亡を左右する事態へと発展していく。 <観る前の大使寸評>子供だましのようなポスターを見て、大使は観に行くかどうか、迷っていたのだが・・・迷わずに観に行くべきでしょうね♪<観た後の大使寸評>未確認生物特務機関「モナーク」はハイテク企業エイペックス社で富裕層向けに惑星移住を企てているように、かなりワルな組織というか、まったく悪役である。で、目覚めたゴジラは特殊な感覚でフロリダのエイペックス社をつき止め、襲うのです。一方のゴングであるが、これも「モナーク」の設けた檻のような場所で不満を抱えて暮らしていたが・・・ゴジラ襲来に対して正義の役割で対抗するのです。ゴジラvsコングの戦いがしばらく続くが・・・エイペックス社製メカゴジラが登場したあたりから、ゴジラ&コングはメカゴジラを共通の敵と認識するわけです。エンドあたりで、ゴジラが戦いを終えて海に帰っていくシーンは、さようならゴジラという感じでまさに正義のゴジラでおました。Movie Walkerゴジラvsコング***********************************************************************<ゴジラ キング・オブ・モンスターズ>ハリウッド版のゴジラ映画が公開されていて、ハリウッド映画嫌いの大使は観に行くかどうか、迷っていたのだが・・・どでかいモンスターの破壊力を観たいということで、結局観にいくことにしたのです。【ゴジラ キング・オブ・モンスターズ】マイケル・ドハティ監督、2019年、米制作、2019.6.03鑑賞<Movie Walker作品情報>より 日本が世界に誇る怪獣映画シリーズ『ゴジラ』。そのハリウッド版となる『GODZILLA ゴジラ』から5年後の世界を描くSFアクション。 復活した神話時代の怪獣モスラ、ラドン、キングギドラとゴジラが激突。世界の破滅を阻止せんとする未確認生物特務機関モナークの活躍を描く。前作に引き続き、渡辺謙がモナークの生物学者役で出演する。<観る前の大使寸評>どでかいモンスターの破壊力を観たいということで、結局観にいくことにしたのです。<観た後の大使寸評>『GODZILLA ゴジラ』の続編ということで、未確認生物特務機関「モナーク」の秘密基地が世界中に作られていて、やや子供だましではあるが目をつぶっておこう。だいたい太子にしても、アンギラス、ラドン、モスラと見続けてきたが、キングギドラあたりで、もうこんな子供だましは卒業だと思ったわけで・・・可愛げのない子供であった(汗)。Movie Walkerゴジラ キング・オブ・モンスターズ『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』公式サイト***********************************************************************【ムービーモンスターシリーズ ゴジラ 2019 】バンダイ BANDAI ムービーモンスターシリーズ <レビュー>より背びれ等、塗装がしっかりされていて、2014年のものよりも、足が太く、全体的にどっしりしています。<大使寸評>このフィギュアは、よく映画の雰囲気を再現しているなあ♪BANDAIの造りもていねいである。yodobashiムービーモンスターシリーズ ゴジラ 2019***********************************************************************<「シン・ゴジラ」の見どころ>メディアでは、ちょっとした「シン・ゴジラ」論評ブームをよんでいるようです。あの日経ビジネスまでが「シン・ゴジラ」を取り上げています。2016-09-14シン・ゴジラに漂う「別世界感」の正体より 1954年の第1作から数えると、「シン・ゴジラ」は日本で制作される29番目のゴジラ映画だ。ただし、前作の公開は2004年。同作のタイトル「ゴジラFINAL WARS」からもわかる通り、ゴジラシリーズは50年を区切りに制作が打ち切られていたはずだった。それではなぜ、ゴジラは再び日本にやってきたのか。『さようなら、ゴジラたち―戦後から遠く離れて』(岩波書店)の著者で、文芸評論家の加藤典洋氏に聞いた。 ***********************************************************************【シン・ゴジラ】庵野秀明総監督、2016年、<Movie Walker作品情報>より日本の怪獣映画史に名を残す“ゴジラ”が、「新世紀エヴァンゲリオン」の庵野秀明が総監督、『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』の樋口真嗣が監督を務め、シリーズ初のフルCGで復活。巨大怪獣の出現で未曽有の危機にさらされた人々の物語が描かれる。長谷川博己、竹野内豊、石原さとみをはじめ、総勢328名のキャストが出演。<観る前の大使寸評>制作方針が初代ゴジラを踏襲しているそうで、わりとハードな即物感を重視しているようです。・・・かなり恐そうやで♪聞くところによると、庵野総監督はゴジラ登場シーンの割合を意識して六分の一に抑えているとか・・・恐いかもね。<観た後の大使寸評>国家の危機管理がメインテーマにもなっていて・・・いい悪い別にして、わりと大人向けの映画になっています。もちろん、子供が見てもゴジラの迫力はじゅうぶんに伝わるでしょうね♪核反応が有機体の中に組み込まれた、まさに「想定外の」生き物が出現したわけで、ある意味、昨今のニッポンの危機管理能力を皮肉っているわけでおます♪このゴジラは、自衛隊の通常ミサイルなどは跳ね返し、米軍の放ったバンカーバスターにやっと傷つくというスーパー生物なのだが・・・怒らせると口と尻尾から例の光線を放つわけで、このシーンでは思わず手を叩きたくなるアホな大使でおました。一時は米軍が核ミサイルをスタンバイさせる危機となったが、結局、なんちゃら凝固材の注入で事なきを得るわけです。とにかく、大田区、東京駅、永田町、虎ノ門など都心のかなりの部分を壊した破壊力が凄い!それから、大使のようなへそ曲りの観客の冷めた鑑賞にも言い訳ができる作りとなっていました。Movie Walkerシン・ゴジラ***********************************************************************【GODZILLA ゴジラ】ギャレス・エドワーズ監督、2014年、米制作、H26.9.6観賞<Movie Walker映画解説>より日本が世界に誇る怪獣映画のビッグネーム、ゴジラの『ゴジラ FINAL WARS』以来10年ぶりの復活作で、巨大怪獣ゴジラの出現に翻弄される人々の姿を描くパニック・アクション。地球に飛来した未知の生命体の恐怖を描いた『モンスターズ 地球外生命体』のギャレス・エドワーズが監督を、アーロン・テイラー=ジョンソンが主演を務める。<観る前の大使寸評>子供心に、恐怖と哀しみを与えた初代ゴジラであったが、果たして今度のハリウッドGODZILLAはどうなんだろう。Movie WalkerGODZILLA ゴジラ『GODZILLA ゴジラ』公式サイト***********************************************************************【ゴジラ(1954)】本多猪四郎監督、1954年制作、<allcinema映画解説>より 19XX年、南太平洋で行なわれた核実験によって、ジュラ紀の肉食恐竜が甦った。ゴジラと名付けられたその怪物は、大戸島を襲った後、東京へと歩を進めていく。放射能をまき散らすゴジラの前に、帝都は為す術もなく蹂躙されるかのように思われた。だがその時、防衛軍に一つの朗報がもたらされた。それは若き天才科学者、芹沢の発明した“オキシジェン・デストロイヤー”という、核を凌ぐ超兵器の存在である。しかし芹沢は、核の二の舞を怖れ、その超兵器の使用を認めようとはしなかった……。この作品によって本邦の特撮映画は始まった、と言っても過言ではない程の大傑作。<大使寸評>この映画でゴジラが登場するのは、劇中かなり遅くなってからだったが・・・だんだんと現れてくるところが恐いわけで、心憎い演出とも言えるわけです。allcinemaゴジラ(1954)wikipediaゴジラ (1954年の映画)我々、団塊の世代は、初代ゴジラにインスパイヤされた世代であるが・・・その後、引き続いて作られた怪獣映画を飽きもせづ観続けたアホも多くいるわけです。大使の場合、怪獣映画でゴジラ以外で覚えているのはアンギラス、ラドン、モスラぐらいだから、怪獣フリークというよりも、初代ゴジラのファンなんでしょうね。ゴジラ画像より***********************************************************************
2023.11.16
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『ゴジラ-1.0』のPRサイトの意気込みがすごいわけで・・・久々に劇場まで繰り出したのです。 冒頭に、ゼロ戦が滑空して穴ぼこだらけの南の島の飛行場に着陸するわけで何というイントロかと驚いたが・・・なかなかの掴みではある。**********************************************************************【ゴジラ-1.0】山崎貴監督、2023年制作、2023.11.09鑑賞<Movie Walker press >よりゴジラ70周年記念作品として制作されたゴジラ作品30作目。山崎貴が監督・脚本・VFXを手掛け、『君の名は。』の神木隆之介が主人公の敷島浩一、『君の膵臓をたべたい』の浜辺美波がヒロインの大石典子をそれぞれ演じる。「東京リベンジャーズ」の山田裕貴をはじめ、青木崇高、吉岡秀隆、安藤サクラ、佐々木蔵之介らが脇を固める。【ストーリー】戦争によってなにもかもを失った日本は、焦土と化していた。戦争から生還するも、両親を失った敷島浩一は、焼け野原の日本を一人強く生きる女性、大石典子に出会う。戦争を生き延びた人々が日本復興を目指すなか、追い打ちをかけるかのように、謎の巨大怪獣ゴジラが出現。圧倒的な力を持つゴジラに、人々は抗うすべを模索する。<観る前の大使寸評>ゴジラ70周年記念として制作されたゴジラ映画とのことで、PRサイトの意気込みがすごいわけで・・・久々に劇場まで繰り出したのです。Movie Walkerゴジラ-1.0映画『ゴジラ-1.0』公式サイト震電<観た後の大使寸評> 冒頭に、ゼロ戦が滑空して穴ぼこだらけの南の島の飛行場に着陸するわけで何というイントロかと驚いたが・・・なかなかの掴みではある。 このお話の時代設定が敗戦直前から終戦直後となっていて、特攻機のパイロットだった敷島浩一は、接収を免れた木造の掃海艇に乗ってゴジラとの戦いに挑むことになるのです。 ストーリー展開はテンポよく、東京に上陸したゴジラは圧倒的な力で破壊のかぎりを尽くすのです。 自衛隊発足前なので日本には正規軍がなく民間人と接収前の軍艦で戦うしかない状況にあり、どういうわけか駐留米軍は助けてくれないのです。 そのような脚本的矛盾などには目をつぶって、見る分には面白いわけで・・・ ラストあたりでは改修整備された試作機震電を駆ってゴジラの口めがけて特攻攻撃を敢行するのだが・・・戦闘機オタクの私としては楽しめる映画となっていました。 おまけに、初代ゴジラを付けておきます。ゴジラ画像より
2023.11.15
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図書館で『こんな雨の日に』という本を、手にしたのです。めくってみると、カトリーヌ・ドヌーブさんを主役にして映画を撮る記録となっていて、私向きの本になっているのでおます♪【こんな雨の日に】是枝裕和著、文藝春秋、2019年刊<「BOOK」データベース>より映画コンテ、自身が撮影した写真、撮影の記録とともに、是枝監督自身が映画について、現在の想いを綴るー【目次】『こんな雨の日に』から『真実のカトリーヌ』へ/伴走ープロデューサー 福間美由紀/グラビア/『真実のカトリーヌ』から『真実』へ<読む前の大使寸評>めくってみると、カトリーヌ・ドヌーブさんを主役にして映画を撮る記録となっていて、私向きの本になっているのでおます♪rakutenこんな雨の日にパリで行われた制作費前貸制度受験のあたりを見てみましょう。p151~154<伴走:プロデューサー福間美由紀> 本作が受けたのは、選択助成ののなかの制作費前貸制度(Àvance sur Recettes)である。フランス映画もしくはフランス寄りの合作が対象となる。この制度だけで年間約35億円が拠出され、1本あたりの助成金額も大きい。選考は2段階。第1段階の脚本・書類審査では、40~50本の応募企画の中から20本程度が残される。第2段階の面接試験では、審査委員会によって5、6本が最終的に選ばれる。その面接試験を2018年6月28日パリで受けた。当日の風景を思い出す。・・・朝。監督、ミュリエル、マチルド、通訳のレア・ル・ディナムさんと16区リューベック通りのCNCに到着。翌週に14区のラスパイユ通りへ大がかりな引っ越しが決まっていると館内スタッフに教えられる。待合室前の廊下に2009年カンヌのポスターが貼られているのが目に入った。『空気人形』のときですね、と監督に話しかけたが、「ですねぇ」とさすがに本番前の集中と緊張の背中。面接審査の部屋に通されると、部屋の奥には委員会メンバーがUの字に並んで座っていた。 映画プロデューサー3名、監督2名、脚本家1名、編集技師1名、映画雑誌編集者1名、映画ジャーナリスト1名の総勢9名。CNCは文化省直属? の機関だが、審査するのは役人ではなく映画人なのだ。持ち時間は15分。委員会メンバーに向けて監督がプレゼンテーションしていく。なぜフランスで? なぜこの2人の女優を? なぜ家族の物語を? 言語の壁をどうやって超えていく? 前日のリハーサルらしきものをふまえながら一通り説明し、矢継ぎ早の質問に対して監督が当意即妙に答えていく。 たとえば、脚本リライトのエピソードを聞かれて、家族の寝室事情における日仏文化のギャップについて、「フランスでは親子は川の字で寝ないし、ましてや家族のつつましい幸せの風景とは思われないとスタッフミーティングで言われた。むしろ6歳の子どもがひとりで寝ないなんて心に欠陥があるの? 夫婦2人が同じベッドで寝ないの? えっ危機なの? と違和感を持たれた」など、ユーモアを交えて話したときはどっと笑いも起きた。 資金調達状況についてはプロデューサーが話した。こうしたプロフェッショナルな審査基準による口頭のプレゼンを経て、晴れて企画が選ばれる仕組みは、書類審査のみの日本の文化庁の制作助成とは異なるが、より透明性があって健全にも思えた。翌日、イーサンと皆で飲茶を囲んでいるときに朗報が届き、胸をなでおろした。 話をプロダクションの進捗に戻そう。仏訳版プロットを、2016年4月下旬にビノシェさんに送った。「ドヌーブさんとは最近アフリカでチャリティイベントに一緒に出席して素敵な出会いだったわ、イーサンとは1週間前にskypeで話したばかりで、なんと世界は小さいんでしょう!」と驚かれた。物語を描き始めたそばから、劇中家族が現実にも接点を持ちシンクロし始めていたとは、これも映画のマジックだ。(中略) 2017年4月初旬、『海よりもまだ深く』のプロモーションでパリへ。Bel Àmi(ベラミ)でドヌーブさんと面談した。ドヌーブさんは是枝作品だけでなく日本やアジアの映画も頻繁に劇場で観ているほどの筋金入りのシネフィルだ。成瀬巳喜男の『浮雲』は大好き、と微笑まれたとき、いよいよ監督と相性が良さそうだなとうかがえた。 9月、パリ郊外で主人公の家のシナハンを行った。「ホームドラマは家で決まる」と監督は常々言う。紅葉する庭があること、『サンセット大通り』のような時代に完全に取り残された大女優とは違って、仕事も人生も晩年ながら現役感のある女優の主がイメージされること、代々家族が過ごしてきた時間が感じられることを重視した。『こんな雨の日に』2:映画撮影の続き『こんな雨の日に』1:2018.8.23
2023.11.07
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<音楽が人生を変える・・・2本立て館>久々にくだんの2本立て館に繰り出したが・・・・今回の出し物は「テノール!」と「TAR」であり、館主の設けたテーマは「音楽が人生を変える」となっています。毎度のことながら、2作品を選ぶ館主のセンスには感心しているのですが、「テノール!」には希望が見えるけど「TAR」には希望が見えないのです。【テノール!】クロード・ジデイ・Jr.監督、2022年、仏制作、2023.10.18観賞<Movie Walker作品情報>よりオペラの才能を秘めたラッパーの青年とその才能に惚れ込んだオペラ教師の出会いを描くヒューマンドラマ。クロード・ジディ・Jr.がメガホンをとり、主人公のアントワーヌをオーディション番組「THE VOICE」で準優勝した経験を持つビートボクサーのMB14、アントワーヌと出会うオペラ教師のマリーを『100歳の少年と12通の手紙』のミシェル・ラロックが演じる。【ストーリー】オペラ座・ガルニエ宮にスシの出前でやってきたラップが趣味の青年アントワーヌは、エリートレッスン生に見下された仕返しにオペラの歌真似を披露。その美声に才能を見いだした教師のマリーは、彼のバイト先に押しかけ猛スカウトする。しだいにオペラに惹かれていくアントワーヌは、自身とオペラ座では住む世界が違うと思いながらも内緒でマリーとオペラのレッスンを始める。<大使寸評>この映画の全編にわたってラップとオペラの楽曲が流れるわけで・・・その双方に才能を発揮するアントワーヌがええでぇ♪この映画には、スシの宅配とかオペラの蝶々夫人とかやたらに日本がでてくるのです。Movie Walkerテノール!この映画館では毎回、幕間にお昼の弁当を食べるのだが・・・・今回もキオスクで買ったおにぎりとパンでした♪【TAR】トッド・フィールド監督、2023年、米制作、2023.10.18観賞<Movie Walker作品情報>よりベルリンフィル初の女性マエストロに任命された女性の苦悩を描くスリラー。『ナイトメア・アリー』のケイト・ブランシェットが主演を務め、「キングスマン」シリーズのマーク・ストロングをはじめ、『燃ゆる女の肖像』のノエミ・メルラン、『あの⽇のように抱きしめて』のニーナ・ホス、「ゲーム・オブ・スローンズ」シリーズのジュリアン・グローヴァーらが出演する。【ストーリー】リディア・ターは、世界最高峰のオーケストラの1つであるベルリンフィルにて女性初のマエストロに任命されることになった。天才的な能力と努力によって地位を確立し、作曲家として活躍するが、マーラーの交響曲第5番の演奏と録音のプレッシャー、そして新曲の創作に苦しめられていた。そんな時、かつて彼女が指導を担当した若手指揮者の訃報が届き、彼女にある疑念がかけられる。<大使寸評>女性マエストロTARの指揮による楽曲の迫力は凄いのだが・・・友人の自殺とか、SNSの炎上とか次第に怖くなる状況に嫌気がさして、席を立って退出したのです。Movie WalkerTARこの二本立て館で映画の途中で寝たことはあるのだが、途中で退席したのは初のケースでした。1勝1敗というところか。あなたがいない世界を・・・2本立て館パルシネマ上映スケジュール
2023.10.21
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図書館で『そして映画館はつづく』という本を、手にしたのです。副題が「あの劇場で見た映画はなぜ忘れられないのだろう」となっていて興味深いのだが・・・ぱらぱらとめくると、日本各地のミニシアターとか映画パンフの作り方なんかが載っていて面白そうである。【そして映画館はつづく】フィルムアート社編、フィルムアート社、2020年刊<「BOOK」データベース>より全国の映画館主をはじめとして、配給、上映関係者、ミニシアター・エイド事務局(濱口竜介、深田晃司ほか)、黒沢清(映画監督)、橋本愛(俳優)、大島依提亜(グラフィックデザイナー)が語る「映画館のこれまでとこれから」。全国の映画館ガイド掲載。<読む前の大使寸評>副題が「あの劇場で見た映画はなぜ忘れられないのだろう」となっていて興味深いのだが・・・ぱらぱらとめくると、日本各地のミニシアターとか映画パンフの作り方なんかが載っていて面白そうである。rakutenそして映画館はつづくグラフィックデザイナーの大島依提亜さんが映画パンフについて語っているので、見てみましょう。p197~200*********************************************************■パンフレットは誰のために?Q:映画パンフレットは映画をこれから観る人、すでに観た人ではどちらに向けて作られるものなのでしょうか。 すでに作品を観た人ですね。ポスターや宣伝ビジュルアルとはまったく違います。チラシやポスターなど宣伝物担当の流れでパンフのデザインもやる場合が多いんですけど、宣伝に伴うパブリックな開かれた部分の仕事と、パンフ作りにある内省的な部分にはかなり差があります。 たとえば試写に来た人に向けてのプレスシートというものがあるじゃないですか。これってメインビジュアルなどを創る宣伝の初期段階に着手するものなんです。その映画に携わったばかりの、暗中模索な時点でつくるものなので、取り組む姿勢がまったく違う。Q:たとえばここに黒澤清監督の『岸辺の旅』(15)のプレスシートとパンフレットがあるんですが、中身がかなり近いところもあれば、まったく違うところもありますね。『岸辺の旅』は僕にしてはわりと踏襲してパンフを制作しているほうかもしれませんが、プレスシートってやはりマスコミ向けの情報をまとめたものなので、広告的な側面がどうしても大きい。ミニシアター・ブームのときなんか、むしろプレスの方が豪華だった時期もあるくらいだったと聞いています。今でもプレスシートとほぼ同じようにつくられているパンフもあるんですが、僕はそれはあまりよくないと思うところがあって。個人的にはもうプレスシートは作らなくていいんじゃないかとさえ思います。Q:ミニシアター・ブームの時代が、いわゆる宣伝・広告文化の花盛りの時代だった名残もあるんでしょうか。 当時はまだバブルの余波もあって資金はあったんでしょうね。いずれにせよ、プレスシートの段階で世界観が完成され過ぎてしまうと、作品の見方の誘導になってしまいます。作品の見方を提示することを目的にプレスシートを作るのは、正攻法ではあるんだけど、そこであまり強く提示しすぎちゃうと、作品がそこからぜんぶ同じトーンで見られたり語られることになっちゃうんじゃないかと危惧するんです。もっと多角的な見方を提示するために、プレスシートは単純に情報をテキストだけで追えるものでいいんじゃないかって気持ちが個人的にはあって。Q:配給や宣伝の方針によっては、パンフの内容がプレスシートを強く踏襲した宣伝・広告的なものに近づくケースもあると思うんです。そうした場合、やはり表紙や仕様へのこだわりで、そういうバイアスを払拭するようなことも考えられるのでしょうか。 あ、いや、こういうことはケース・バイ・ケースですね。そもそも僕はミニシアター・ブーム以前、アメリカの大作映画だけを観て熱狂していた時代から、パンフレットを買うのがすごく好きだったんですよ。 実を言えば理想はこれなんです(写真)。このパンフは『スターウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』(02)ですが、もう表紙に「スターウォーズ」って文字が箔押しで入っていたら、中身がどんなものであろうがそれでいい(笑)。僕の中でのその映画においてのパンフレットの価値は表紙の時点でほぼ達成されたといっていい。 これは自明のことですが、映画パンフレットは映画作品そのものにはなれないんです。パンフを作るときにはいつもその命題に自分も向き合っているんですけど、実はパンフを買うときも同じなんですよ。自分が映画館で観た映画を、なんとか物質化して家に持ち帰りたいという思いがあるわけですよね。でも実際に持ち帰って中身を見ていくうちに、だんだんと萎えてきて、「俺が観た映画はこれじゃない・・・」というような気持になる時ってないですか?Q:わかります。 でも、そうやって再現できないものが映画であるということに、パンフを読んでみると初めて気付かされる。そのことによって逆説的に映画自体も映画館で観た体験も尊いものになる気がするんです。だからこそ、こういうパンフレットも重要だと思ってる。*********************************************************手持ちの映画パンフレットを映画パンフレットR3に収めています。
2023.06.25
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古本屋で買い足したこの際、手持ちの映画パンフレットのリストを作ってみたのです。ざっと見渡したところ・・・・戦争映画が多いようですね。なお、近年は極力、ハリウッド作品を抑えておるところです(笑)R3:手持ちの映画パンフ画像を追加**********************************************************************【日本映画】・あひるのうたがきこえてくるよ(1993年)・Shall weダンス?(1996年)・もののけ姫(1997年)・千と千尋の神隠し(2001年)・たそがれ清兵衛(2002年)【アメリカ映画】・スター・ウォーズ(1977年)・太陽の帝国(1987年)・ブラック・レイン(1989年)・ダンス・ウィズ・ウルブス(1990年)・スターゲイト(1994年)・ウォーターワールド(1995年)・エイリアン4(1997年)・プライベート・ライアン(1998年)・スター・ウォーズエピソード1(1999年)・U-571(2000年)・ラスト・サムライ(2003年)・アレキサンダー(2004年)・父親たちの星条旗(2006年)・硫黄島からの手紙(2006年)・FURY(2014年)・スター・ウォーズTHE FORCE AWAKENS(2015年)・ブレードランナー2049(2017年)【ヨーロッパ映画】・アラビアのロレンス(1962年英)・遠すぎた橋(1977年英)・Uボート(1981年独)・ラストエンペラー(1988年伊)・真珠の耳飾りの少女(2002年英)・戦場のピアニスト(2002年ポーランド、仏)・ナイロビの蜂(2005年英)・サンジャックへの道(2006年仏)・onceダブリンの街角で(2006年アイルランド)・エディット・ピアフ愛の賛歌(2007年仏、英、チェコ)【その他】・ブラザーフッド(2004年韓国)・牛の鈴音(2008年韓国)**********************************************************************【ブレードランナー 2049】ドゥニ・ビルヌーブ監督、松竹、ソニーピクチャー、2017年刊<商品の説明>よりリドリー・スコット監督がフィリップ・K・ディックの小説をもとに生み出した1982年公開の傑作SF「ブレードランナー」から、35年の時を経て生み出された続編。スコット監督は製作総指揮を務め、「メッセージ」「ボーダーライン」などで注目を集めるカナダ出身の俊英ドゥニ・ビルヌーブ監督が新たにメガホンをとる。脚本は、前作も手がけたハンプトン・ファンチャーと、「LOGAN ローガン」「エイリアン コヴェナント」のマイケル・グリーン。<大使寸評>このパンフレットは劇場で700円くらいで買ったのだが、今のアマゾン価格は1800円となっています。・・・でも、売る気はないで!amazonブレードランナー 2049【ラストエンペラー】ベルナルド・ベルトルッチ監督、1987年イタリア・中国制作<商品の説明>より映画パンフレット「ラスト・エンペラー」(1988年刊)、出演 ジョン・ローン/坂本龍一/ジョアン・チェン/ピーター・オトゥール/高松英郎/立花ハジメ<大使寸評>新開地の古書店で、このパンフレットを300円で買ったのだが・・・定価500円だからリーズナブルなんでしょうね。amazonラストエンペラー【スター・ウォーズTHE FORCE AWAKENS】J・J・エイブラムス監督、東宝、2015年刊<登録情報>より発送重量: 358 gASIN: B019HWVQFEAmazon.co.jp での取り扱い開始日: 2015/12/18おすすめ度: 5つ星のうち 4.5 <大使寸評>この映画パンフはアマゾンでは5800円であるが、三宮の古本市で300円でゲットしたのです。だいたい古本市では、映画パンフなどは稀少なものでなければ十羽一からげの300円となっていました。・・・つまりネットオークションのほうが法外な値段でおます。amazonスター・ウォーズTHE FORCE AWAKENS【ブラック・レイン】リドリー・スコット監督、東宝、1989年製作<解説>よりニューヨーク市警の刑事ニックとチャーリーはヤクザの佐藤を逮捕し、日本に連行する。しかし目的地の大阪に到着するなり、佐藤が仲間の手によって逃亡。言葉も通じない国で困惑しながらも、ニックとチャーリーは佐藤の追跡に乗り出す。そんなふたりを監視するベテランの松本警部補。やがてチャーリーが佐藤に惨殺されるという事態に。復讐に燃えるニックは松本とともに佐藤を追う。日米の刑事の友情、そしてその激闘を描くサスペンスアクション。これが遺作となった松田優作も強烈な印象を残す。<大使寸評>ガン治療を取るか、映画出演を取るか?と医者に言われた松田優作の鬼気迫る演技が凄い。eiga.comブラック・レイン『ブラック・レイン』徹底解説!デ・ニーロも松田優作と共演を切望!?『ブレードランナー』との共通点は?**********************************************************************ジョン・ル・カレ著『The Constant Gardener』と映画『ナイロビの蜂』を紹介します。原作が先か、映画が先か風の並べ方になっていますが、もちろん、映画が先でした。『The Constant Gardener』復刻より【The Constant Gardener】ジョン・ル・カレ著、POCKET BOOKS、2001年刊<商品説明>よりイギリス人外交官ジャスティン・クウェイルの趣味はガーデニング。自己流のフリージア栽培に凝り、暇さえあれば、ナイロビにある自宅の庭園で過ごしている。それに、かなり年下の魅力的な妻、テッサを溺愛する夫でもある。一方、テッサはジャスティンとは正反対。社会改革を熱烈に望み、「この世で一番珍しいもの、つまり正義を信じる弁護士」として働いている。その活躍ぶりは、「アフリカ貧者のダイアナ妃」の異名をとるほどだ。しかしそのテッサが、こっそり訪れていた人里離れたケニアのトゥルカナ湖で、死体となって発見される。衣服をはぎ取られ、レイプされて。旅の同行者である、コンゴ系ベルギー人のハンサムな医師、アーノルド・ブルームの姿は消えていた。と同時に、クウェイルの、のんびりした生活も消し去られたのである。 <読む前の大使寸評>映画『ナイロビの蜂』の原作The Constant Gardenerということで、借りたが・・・読破はいつになるやら?AmazonThe Constant Gardener**********************************************************************ところで、阪急三宮駅にミニシアター阪急文化があった頃、若き日の大使はATG作品を鑑賞すべく足繁く通ったのでおます。そのATG作品リストです(パンフレットを入手した作品を●印で示す)#1 尼僧ヨアンナ●#3 おとし穴#4 2ペンスの希望#5 野いちご#8 アレクサンドル・ネフスキー#9 みんなわが子#11 二十歳の恋●#12 5時から7時までのクレオ● #13 夜の終わりに#14 ピアニストを撃て●#15 僕の村は戦場だった●(パンフレット無し)#16 彼女と彼●#19 女ともだち#21 私はそんな女#25 ビリディアナ#26 パサジェルカ●#28 アメリカの影#52 戦艦ポチョムキン●#53 戦争は終わった●#54 華氏451●#56 召使●#57 ベトナムから遠く離れて●#56 初恋・地獄篇●#59 男性・女性●#60 ヒットラーなんか知らないよ●#61 夜のダイヤモンド#62 肉弾●#63 マルキ・ド・サドの演出のもとに・・・#64 小さな兵隊#65 新宿泥棒日記●#67 ポリー・マグーお前は誰だ●#68 心中天網島#69 少年●#74 地の群れ●#76 バルタザールどこへ行く●
2023.06.24
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図書館で『SF映画術』という本を、手にしたのです。副題が「ジェームズ・キャメロンと6人の巨匠が語るサイエンス・フィクション創作講座」となっていて興味深いのだが・・・創作講座というよりもSFが大好きな巨匠たちによるSF賛歌になったような本になっています。画像も多くてビジュアルなところもいけてます。【SF映画術】ジェームズ・キャメロン著、DU BOOKS、2020年刊<「BOOK」データベース>より映画『月世界旅行』(1902)からドラマシリーズ『ストレンジャー・シングス 未知の世界』まで。映画、小説、ドラマ、神話…各巨匠が自身のインスピレーション源を語り尽くす。知られざる「フォース」の正体とは!?ここでしか語られていない、驚愕の映画制作の舞台裏も。<読む前の大使寸評>副題が「ジェームズ・キャメロンと6人の巨匠が語るサイエンス・フィクション創作講座」となっていて興味深いのだが・・・創作講座というよりもSFが大好きな巨匠たちによるSF賛歌になったような本になっています。画像も多くてビジュアルなところもいけてます。rakutenSF映画術「LESSON5 美しきモンスター」でリドリー・スコットとジェームズ・キャメロンが「ブレード・ランナー」、「エイリアン」などについて語っているので、見てみましょう。p234~237<雨の中の涙のように> 広告業界で数多くのCMを制作していたリドリー・スコットは、映画監督に転向後、1979年のスペースホラー映画『エイリアン』でSFジャンルに大改革をもたらしたが、それ以前に撮った長編映画は、1977年の『ヂュエリスト/決闘者』のたった1作だった。 美大出身の画家的な視点を持つスコットは、宇宙船ノストロモ号の天井の低さや通路の狭さを、平面も角度も細部まで手を抜かずに表現したのだが、そこには、ある計算があった。悪夢のような捕食者が解き放たれ、何も知らない乗組員に忍び寄る前に、閉所恐怖症的な感覚をしっかりと観客の中に植えつけていたのだ。 エイリアンの成体ゼノモーフが黒い身体を怪しく光らせ、新たな獲物を求めてさまようとき、シガニー。ウィーバー演じるエレン・リプリーは勇気を奮い起こす。その危険な存在に対峙するため、そして生き延びるために。 スコットの次なる作品は、未来の捜査官リック・デカード役にハリソン・フォードを起用した1982年の『ブレードランナー』だったが、彼は再び、SF映画のスタンダードのレベルを引き上げてしまう。そのアイデアはあまりにも時代を先取りしていたため、『ブレード・ランナー』の精神はその後何年も経ってようやく評価されることになった。それでも、スコットはハリウッドを象徴する存在であり続けた。 彼は、驚くほど多才かつ多産なフィルムメーカーで、視覚芸術家としての素晴らしい才能を思い存分作品に注ぎ込み、誰も見たことないほど美しい銀幕の映像を創り上げていく。しばらくSFから離れていたスコットだったが、『プロメテウス』(2012)と『エイリアン:コヴェナント』(17)で、最近同ジャンルに戻ってきている。この2作は、彼が誕生させた『エイリアン』ワールドの前日譚。さらに、『オデッセイ』(15)は、火星に取り残された宇宙飛行士が生き延びる様を綴ったアンディ・ウィアーの小説「火星の人」(11)が原作で、アカデミー賞7部門にノミネートされた。 このインタビューで、スコットとジェームズ・キャメロンは、AIの危険性、映画史上最も偉大で息の長い人気を誇るモンスターであるエイリアン、『ブレードランナー』の最高に印象的なシーン(レプリカントのロイ・バッティが「雨の中の涙のように」と語るモノローグ)のメランコリックな美しさなどについて語り合う。■アッシュとレイチェル・・・理想的人造人間JC:私は年齢を重ねたら、あなたのようになりたいと思っているのです。今日も、その気持ちに変わりはない。あなたのように、エネルギーと映画に対するパッションを維持したい。あなたはひとつの作品が終わると、すぐに次の作品の撮影に入る。それが終わると、また次の作品・・・というように。そして、信じられないほど審美眼の持ち主だ。RS:結果として、たまたま、そういう道を歩んできただけだよ。私の人生プランは、プランがないことだからね(笑)。JC:今日ここに私たちが揃っているのは、ふたりともSFというジャンルが大好きだから。そして、私と同じく、あなたも子供の頃にありとあらゆるSF作品を観てきたはずだ。そもそもは、デザイナーとしてキャリアを始めたんでしたよね? 大学はロイヤル・カレッジでしたよね。RS:そう。ロンドンのロイヤル・カレッジ・アートでね。当時は娯楽といっても、我が家にテレビはなかった。1954年に初めて、イギリスの自宅にテレビが届いた。しかも、白黒テレビがね。だから、私は本をたくさん読んでいた。SF小説に夢中になったね。初めてのお気に入り作家は、H・G・ウェルズだった。宇宙ものには食指が動かなかったから、アイザック・アシモフに傾倒することはなかった。JC:アシモフは初期に、ロボット工学やロボット三原則に関する本を結構書いていた。あなたは『ブレードランナー』を作り、『エイリアン』シリーズでは第1作の他、『プロメテウス』と『エイリアン:コヴェナント』を監督した。それら全てに人造人間が登場するから、人造人間が出てくるあなたの監督作は4作品だ。RS:『ブレードランナー』のロイ・バッティはAIだが、大陸間弾道ミサイルだってAIだよ。あれがコンピュータで管理された爆弾だということを皆は忘れているようだけどな。コンピュータの美しさは、感情を持っていないということ。否定的な感情も肯定的な感情も、何も持っていない。『エイリアン』の1作目で、自責の念を持たないアンドロイドのアッシュが出てくるが、彼は、なかなか素晴らしいテーブルスピーチを行える、完璧なAIだ。自身の決断や選択を変えてしまうような感情的なものが全くない。JC:だが、あなたは『ブレードランナー』でレイチェルという感情を抱くAIを取り扱った。あれはラブストーリーだった(最後にはラブストーリーだとはっきりする)わけで、そう成立させるためには、彼女は感情を持っていなければならなかった。RS:レイチェルはパーフェクトなネクサス6型(レプリカントの最新モデル。安全装置として寿命は4年に設定されていた)だった。まあ、人間がそう呼んでいるわけだが。とにかく、エルトン・タイレル博士(タイレル社社長で、レプリカントを開発した科学者)が誇る最高傑作だった。彼女は白紙の自慢の種で、博士は、彼女がどこに行こうと誇らしげに見ている。JC:レイチェルは、“人間であることの意味”を常に学び、吸収し続けているという印象を受けました。彼女が人造人間だという結論を下すのに、デカードはすごく時間がかかっている。他の物ごとを決めるときの5倍の時間はかかっているんじゃないかな。だが現実の我々は、AIについての最も重要な問題をのらりくらりとかわしているような気がしてなりません。もし機械が人間に十分近づき、人間同様に複雑な思考をするようになったら、どの時点で、我々は彼らと人間の区別がつかなくなると思います?RS:AI開発を行う人間が本当に優秀であれば、絶対に機械に組み込まないもののひとつとして感情を選ぶはずだ。プログラムの方程式から、感情を除外する。感情は実に多くの様相を導く。愛情と同様に、欺瞞、憤怒、憎悪といったものまでもね。H・R・ギーガーが描くエイリアンについては『リドリー・スコットの世界3』がお奨めです。『SF映画術』2:錆び付いた「未来」『SF映画術』1:『スター・ウォーズ』という革命
2023.06.18
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図書館で『アメリカ人の見たゴジラ、日本人の見たゴジラ』という本を、手にしたのです。横書きで論文調の構成ではあるが・・・何やらマニアックであり、面白そうである。【アメリカ人の見たゴジラ、日本人の見たゴジラ】 池田 淑子編著、大阪大学出版会、2019年刊<「BOOK」データベース>よりゴジラはついに星になった(ゴジラ座、2018)。なぜ半世紀以上も日米で愛されているのか。ゴジラを愛してやまない日米の6人の研究者がその問いに挑む。<読む前の大使寸評>横書きで論文調の構成ではあるが・・・何やらマニアックであり、面白そうである。rakutenアメリカ人の見たゴジラ、日本人の見たゴジラ「ゴジラ(1956年)」のアメリカ版「怪獣王ゴジラ (GODZILLA KING OF THE MONSTERS)」のポスター「はじめに」の冒頭部分で日米のゴジラ映画を、見てみましょう。pi~ⅲ<はじめに> およそ60年以上も前、核に対する強いメッセージが吹き込まれた日本のゴジラ映画は、2011年3月の東日本大震災(3.11)による福島第一原子力発電所の事故以降、国の内外で再評価が始まった。 なかでもアメリカでの反響は非常に早いものだった。2012年1月、初代『ゴジラ』(1954)に英語の字幕が付けられたオリジナル版が、そのアメリカ版であるGodzilla, King of the Monsters!(1956)とともに、2枚組DVDの形でクライテリオンコレクション(The Criterion Collection)から発売され、さらに、2014年には、初代ゴジラ映画のリブート版Godzillaが制作され、世界中で大ヒットを収めた。 一方、国際的な再評価を目の当たりにした東宝は、2014年6月、ゴジラ60周年記念のイベントに、当時主役を演じた俳優、宝田明氏とアメリカの新作映画Godzillaのギャレス・エドワーズ監督を招待し、初代『ゴジラ』のデジタル・リマスター版を劇場公開した。そして2016年7月、一度は自ら終止符を打ったゴジラシリーズを復活させ、新作『シン・ゴジラ』(2016)を制作・配給したのである。 このように、アメリカにおけるゴジラ映画の需要は、日本よりも進んでいる。チョン・ノリエガ(Chon Noriega)の論文「ゴジラと日本の悪夢」(“Godzilla and the Japanese Nightmare”1987年にアメリカで刊行)など、研究もかなり早くから行われてきた。一方、日本でゴジラ映画に関する学術書が現れたのは、1990年代後半になってからのことである。 日本の地政学的な文脈の中で、『ゴジラ』を「怪獣神話」として分析した高橋敏夫が第一人者であろう。3.11以降、日本でのゴジラ研究は急速に増え、なかでも吉見俊哉は、『夢の原子力』のなかでゴジラが戦後の日米関係の象徴であると同時に日本の戦争と戦後の象徴でもあると論じ、ゴジラ表象の社会的・文化的意味を深く掘り下げている。 『シン・ゴジラ』の制作・上映以降のゴジラに関する研究は、『ユリイカ』2016年12月臨時増刊号の総特集「『シン・ゴジラ』とはなにか」、藤田直哉の『シン・ゴジラ論』(2017)、小野俊太郎の『新ゴジラ論』(2017)など、めざましく進んでいる。 しかし、日米両国におけるゴジラ映画の分析は、ほとんどが日本の地政学的文脈で行われたものであり、アメリカの文脈ではあまり行われていないのが現状である。ゴジラ映画がなぜこれほどアメリカで受容され、流通し消費され、半世紀以上も繰り返し制作されてきたのかについて探求した研究は、残念ながら非常に少ない。 ましてやアメリカではGodzillaが2億ドル以上の売り上げを獲得したにもかかわらず、日本で大ヒットした『シン・ゴジラ』が非常に限定された劇場で、しかも短期間しか上映されず、わずか100分の1の約190万ドルしか売上げを獲得できなかった理由を、探求する糸口となるものは見つかっていない。 本書は、編者の2014年から2015年の米国コロンビア大学での学外研究中にアメリカのゴジラ研究者とアメリカでの受容について交わした議論を基に、立命館大学国際関係学部の研究者とともに、ゴジラ映画の日米両国における受容について考察するものである。「不気味なもの」として、またある時は「ヒーロー」として現れるゴジラ表象の正体を明らかにし、日米両国でゴジラ映画が長く受容されてきた理由を解読する手口を見つけることが本書の目的である。 また、それは、ゴジラ映画がなぜ国境を越え、往来するトランスナショナルな存在になったのか、という問いに対する解答を模索する試みでもある。日本のポピュラー・カルチャーの先駆者であるゴジラの「下からのグローバル化」、アメリカでの「ローカル化」を経て、トランスナショナルな存在へと至る過程を紐解く糸口としたい。 池田淑子
2023.06.17
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図書館で『フィルムメーカーズ18 スティーヴン・スピルバーグ』という本を、手にしたのです。スティーヴン・スピルバーグは監督、製作、製作総指揮として映画に関わるわけで・・・数多くのスピルバーグの作品の中で一押しと訊かれたら、私の場合は「太陽の帝国」とか「プライベート・ライアン」とか「ジュラシック・パーク」になるのです。【フィルムメーカーズ18 スティーヴン・スピルバーグ】南波克行著、宮帯出版社、2019年刊<「BOOK」データベース>より充実した完全データ。製作・製作総指揮作品、テレビ作品も含む。作家論、作品論、音楽論、製作総指揮作品について、徹底解剖!「自分が何者であるか」を追い求め、壮大なエンターテインメント作品を描き続けた巨匠のすべて!!1997年から2001年まで発行され高く評価された「フィルムメーカーズ」シリーズを復刊。スタイルを旧シリーズから踏襲し、新たに伝記的な事実を描いた「ライフストーリー」を掲載した。実力派執筆者による充実した批評・論考、座談会。名場面をカラー24ページで紹介。<読む前の大使寸評>スティーヴン・スピルバーグは監督、製作、製作総指揮として映画に関わるわけで・・・数多くのスピルバーグの作品の中で一押しと訊かれたら、私の場合は「太陽の帝国」とか「プライベート・ライアン」とか「ジュラシック・パーク」になるのです。rakutenフィルムメーカーズ18 スティーヴン・スピルバーグ「太陽の帝国」J・G・バラードの小説を映画化した「太陽の帝国」が忘れがたいので、特に注目するわけです。p118~120<大人と子どもの間を揺れ動く:鬼塚大輔>『戦火の馬』(2011)に英国軍人ニコルズ大尉役で出演したトム・ヒドルストンは、独軍の罠に突撃して戦死する場面でスティーヴン・スピルバーグが自分に付けた演出を「これまで監督から与えられた、最も驚くべき演出の一つだった」と述べている。「戦意満々という顔をしてくれ。カメラが君の顔に寄っていくから、カメラが目の前に来たと感じたら、二十歳若くなってくれ。君は二十九だよね。機関銃が自分の方に向けられているのに気づいたら、君は九歳になるんだ。君の中にいる子供が見たいんだ」というのが、スピルバーグの指示だった。 父親不在の少年時代を過ごしたスピルバーグの作品に「父親」、「大人になれない少年」、「少年が大人になって父親としての責任を取ること」というモチーフが繰り返し登場することは、彼のファンにとっては周知の事実である。 『戦火の馬』にニコルズ大尉が登場している時間は決して多くはないのだが、戦争を背景にした三本のスピルバーグ作品『太陽の帝国』(1987)、『シンドラーのリスト』(93)、『戦火の馬』の三本も、「受難による少年時代の終わり」、そして「父親」というテーマが共通しており、『戦火の馬』でのニコルズ大尉戦死のシーンは、これら三本の作品、ひいては、他の作品での「少年の受難」、「大人の中の少年」、「大人になりきれない少年」というテーマを凝縮したものになっている。 J・G・バラードの小説を映画化した『太陽の帝国』の主人公はイギリス人少年ジェイミー(クリスチャン・ベイル)である。迫り来る戦禍にも無頓着なジェイミーは敵機である零戦に憧れ、敵であるはずの日本軍に親近感を抱くほど幼い。 日本軍侵攻時に両親とはぐれたジェイミーは、日本軍の収容所の中で二人の代理父、所内で闇屋として阿漕な稼ぎをするベイシー(ジョン・マルコヴィッチ)と、同朋のために献身的に尽くすローリング医師(ナイジェル・ヘイバース)に出会い、教育を受ける。 収容所に入る前は父親から放任されていたジェイミーは、所内で「闇の父」と「光の父」二人からの教育を受けて、少年時代を満喫する。注意して欲しいのは、スピルバーグは所内でのジェイミーの生活を、降りかかる様々な苦難すら、決して悲惨なものとしては描いてはいないということだ。 彼が大人になることを迫られるのは、皮肉なことに、米軍による解放と収容所の崩壊が迫り、自由が目前になったその時なのである。零戦ではなく目の前を飛ぶ米軍機に喝采し、親しかった日本軍少年兵の不条理な死を目の当たりにし、二人の代理父との別れを経験したジェイミーはもはや子供ではあり得ない。ジェイミーは「大人」になったのだろうか? 違う。彼は一足飛びに「老人」になってしまったのである。 『太陽の帝国』のラストで、ジェイミーは両親との再会を果たす。母親に抱きしめられたジェイミーの顔がアップになるが、この場面でのジェイミーの目は虚ろで、それまでのような活き活きとした光を放ってはいない。スピルバーグ自身が、この場面でのジェイミーの目を「老人の目だ」と言っている。 このラストでもう一つ注目したいのは、ジェイミーの実の父親の姿だ。しっかりと抱き合う母子と少し離れたところで、何か不気味なものを見るようにジェイミーを眺めつつ、決して触れようとはしていないのである。『太陽の帝国』日本版劇場予告編
2023.06.14
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図書館で『SF映画術』という本を、手にしたのです。副題が「ジェームズ・キャメロンと6人の巨匠が語るサイエンス・フィクション創作講座」となっていて興味深いのだが・・・創作講座というよりもSFが大好きな巨匠たちによるSF賛歌になったような本になっています。画像も多くてビジュアルなところもいけてます。【SF映画術】ジェームズ・キャメロン著、DU BOOKS、2020年刊<「BOOK」データベース>より映画『月世界旅行』(1902)からドラマシリーズ『ストレンジャー・シングス 未知の世界』まで。映画、小説、ドラマ、神話…各巨匠が自身のインスピレーション源を語り尽くす。知られざる「フォース」の正体とは!?ここでしか語られていない、驚愕の映画制作の舞台裏も。<読む前の大使寸評>副題が「ジェームズ・キャメロンと6人の巨匠が語るサイエンス・フィクション創作講座」となっていて興味深いのだが・・・創作講座というよりもSFが大好きな巨匠たちによるSF賛歌になったような本になっています。画像も多くてビジュアルなところもいけてます。rakutenSF映画術『2001年宇宙の旅』「LESSON3 夜空を見上げ星間旅行を夢見てきた私たち」でジョージ・ルーカスとジェームズ・キャメロンが「スター・ウォーズ」について語っているので、その続きを見てみましょう。p124~128<『スター・ウォーズ』という革命>■錆び付いた「未来」というアイデアの新しさJC:君は『2001年宇宙の旅』とは真逆な作品を作った。GL:だけど、私としては、『2001年宇宙の旅』はこれまで作られた中で、最高のSF映画だと思っている。宇宙旅行がどんなものを描写した典型的な例だ。モンスターはあの作中には出てこない。JC:人類が誕生させたテクノロジーがくるりと向きを変え、創造主に噛みついてくる話だ。GL:ビジュアルも素晴らしかったよね。さまざまな要素の組み合わせ方も、非の打ちどころがない。だから私は、「『2001年宇宙の旅』みたいなSF映画を作る気はない。あの偉大さに、到達することなど無理だからね」と言ったんだ。だけど、作品には大きな称賛を送ったよ。JC:とはいえ、君はキューブリックが使っていた映画的言語(映画的表現)を採用していた。例えば、『スター・ウォーズ』の冒頭、オープニングクロール(オープニングで流れる説明文)では『フラッシュ・ゴードン』のオープニングをインスピレーション源としているが、その後、逃げる同盟軍の船を追いかける白いスター・デストロイヤーの動きは、『2001年宇宙の旅』で、流れるように頭上を滑空していく宇宙船ディスカバリー号と同じだった。私を含め、あのシーンに誰もが驚いて息を呑んだ。映画を観ていて、何を参考にしたかピンと来て、同時にとても驚いたよ。GL:全て私が一から考えたものだと人々は言うけれど、そんなことはない。どんなアイデアも、自分の頭の中でふっと湧き出るのではない。たとえオリジナルのアイデアだとしても、かつて目にしたことがある何かの積み重ねから生まれるものだ。(中略) 子供たちと話をすると、「『スター・ウォーズ』に出てくるエイリアンのアイデアはどこから来たものですか?どうやって考えついたんですか?」と質問されたりするんだが、そんなときはこう答えているよ。「そうだな、水族館に行ってみてごらん。映画に出てきたエイリアンはみんなそこにいるから」ってね。JC:私が『アバター』でやったのと同じことだ。海に行き、水に潜り、そこで見たものを、パンドラの世界に持ち込んだんだ。GL:『アバター』で最も素晴らしかったのが、パンドラの世界観だった。SF映画の最大の難所は、この世に存在していない世界を作り出さなければいけないこと。しかも、できるだけリアルな世界にしないといけない。黒澤明の言葉を借りれば、「映画に出てくる現実には、何ひとつ疵があってはならない。完璧であれ」ってことになる。JC:その言葉、好きだな。だけど、君は映画を新しいレベルに引き上げた。“使い古されている未来の世界”なんてことを考える作品、思いつきもしなかった。未来はいつだってピカピカに輝いていて、完璧だ。未来は常に、クリスマスの朝のように特別で真新しいものであり続けていた。ディストピア的なSF作品が流行した時代でさえも、未来は滅菌されたかのごとく汚れていなかった。だが君は、「いや、“未来”とて、それまで何千年も誰かが生活してきた世界でなければならないんだ」と言った。 だから惑星タトゥイーンの巨大運搬車サンドクローラーは全て錆びつき、様々な物が壊れている。我々にとっては未来の世界だけれど、長年存在し、きちんと生物が生き続け、歴史を刻んできたのがひと目でわかるようになっていた。そんな考え、一体どうやって思いついたんだい?そんなことを考えていた先駆者はいなかったんだから。H・R・ギーガーが描くエイリアンについては『リドリー・スコットの世界3』がお奨めです。『SF映画術』1:『スター・ウォーズ』という革命
2023.06.13
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図書館で『SF映画術』という本を、手にしたのです。副題が「ジェームズ・キャメロンと6人の巨匠が語るサイエンス・フィクション創作講座」となっていて興味深いのだが・・・創作講座というよりもSFが大好きな巨匠たちによるSF賛歌になったような本になっています。画像も多くてビジュアルなところもいけてます。【SF映画術】ジェームズ・キャメロン著、DU BOOKS、2020年刊<「BOOK」データベース>より映画『月世界旅行』(1902)からドラマシリーズ『ストレンジャー・シングス 未知の世界』まで。映画、小説、ドラマ、神話…各巨匠が自身のインスピレーション源を語り尽くす。知られざる「フォース」の正体とは!?ここでしか語られていない、驚愕の映画制作の舞台裏も。<読む前の大使寸評>副題が「ジェームズ・キャメロンと6人の巨匠が語るサイエンス・フィクション創作講座」となっていて興味深いのだが・・・創作講座というよりもSFが大好きな巨匠たちによるSF賛歌になったような本になっています。画像も多くてビジュアルなところもいけてます。rakutenSF映画術『THX 1138』「LESSON3 夜空を見上げ星間旅行を夢見てきた私たち」でジョージ・ルーカスとジェームズ・キャメロンが「スター・ウォーズ」について語っているので、見てみましょう。p114~116<『スター・ウォーズ』という革命> 神話学者ジョーゼス・キャンベルの著作、日本映画界の巨匠黒澤明監督をはじめとする若い頃に観た数々の映画の影響を受け、ジョージ・ルーカスは映画史上最も人気が高い不朽のSFサーガ『スター・ウォーズ』を創りだした。 監督デビュー作となったディストピアSF映画『THX 1138』(71)、ハイスクールを卒業したばかりの若者の一夜を描き第46回アカデミー賞で作品賞など5部門にノミネートされた青春ドラマ『アメリカン・グラフィティ』に続き、3作目の長編監督となったのが、『スター・ウォーズ』というシンプルなタイトルのシリーズ第一作だ。 『スター・ウォーズ』を劇場公開させるのに多大なプレッシャーを受けたルーカスは、続編『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』(80)と『~ジェダイの帰還』(83)では別の人間に監督を任せ、製作総指揮に回っている。 1作目の制作中、彼は、インダストリアル・ライト&マジック(ILM)という特殊効果制作会社を設立。これにより映画作りに関する技術の向上にひと役もふた役も買い、デジタル・エフェクトの先駆者となった。 1999年から、ルーカスは『スター・ウォーズ』の前日譚となる新3部作(『スター・ウォーズエピソード1/ファントム・メナス』(99)、『~エピソード2/クローンの攻撃』(02)、『~エピソード3/シスの復讐』(05))の監督、脚本、製作総指揮を務めた。2012年、自身の会社ルーカスフィルムを40億5000万ドル相当でディズニーに売却。彼は『スター・ウォーズ』サーガの制作から身を引くことになる。こうしてシリーズは新たな局面を迎えたのだった。 かつてスティーヴン・スピルバーグとともに『レイダース/失われたアーク』(81)を世に出したルーカス。このインタビューで彼は、歴史と人類学への熱い思いがいかにして『スター・ウォーズ』の世界を形作るのに役立ったかを語り、ミディ=クロリアンとフォースの正しい関係性を説明し、人類がますます複雑になる未来を舵取りする準備をするときに、他人を思いやり、相手の気持ちを理解することが重要だと訴えている。■第二次世界大戦と『スター・ウォーズ』 ジェームズ・キャメロン(以下JC):君はたったひとりで、ポップカルチャーにおけるSFの立場を大変革させた。1977年の『スター・ウォーズ』というたった1作の映画でね。私はそう考えている。 当時は、気が滅入るような暗い話、ディストピア的な作品、人類滅亡系のヒストリーばかりが30年間続き、SFは年々金を稼げなくなっていた。そんなとき、君が、驚きと希望と勇気にあふれた未来像を人々に示し、ものの見事に大旋風を巻き起こした。 ジョージ・ルーカス(以下GL):私は人類学畑の出身だ。大学では社会学と人類学の学位を取得する予定だった。自分の興味があることだからね。SFには、ふたつの分野がある。ひとつは科学系で、もうひとつは社会系。わたしは宇宙船といった機械類に瞳を輝かせるたいぷではなく、ジョージ・オーウェルの小説「1984年」(49)などに大きな関心を示すタイプなんだ。 もちろん宇宙船は好きだけど、私がついつい目を向けるのは、科学やエイリアンそのものではない。そういったものに人々がどんな反応を示し、どのようにして順応していくのか?を考え、答えを推測、想像するのが楽しいのだ。しゅうちのとおり、『スター・ウォーズ』はスペースオペラであって、SFではない。ソープオペラの一種だよ。舞台が「宇宙」というだけでね。JC:なるほど。でも、単なる宇宙版ソーープオペラじゃない。君もそれはわかっているはずだ。『スター・ウォーズ』は新たなる神話。釈迦で神話が担う役割を果たしている。GL:『スター・ウォーズ』は神話学のひとつの形だ。そして神話学とは、社会の礎。社会の最も身近で最も小さな形態は、“家族”だ。 父親がボスで、家族の誰もがそのルールに従う。叔父や叔母、義理の兄弟なども含め出すと、家族はどんどん大規模になり、同血族を数種まとめると、今度は“部族”となる。部族となれば、皆を統制できるような社会的機構を持たねばならないという問題が出てくる。さもないと、人々は互いに殺し合いを始めてしまう。JC:君はそういった社会組織というアイデアを発展させ、映画という大きなカンバスに吹きつけているわけだ。GL:社会的機構を築く中で、人類は「汝、殺すことなかれ」と説く理由を持たねばならない。同じ神々を信じ、同じ英雄を信じ、同じ政治システムを信じるようになれば、大勢の人々がまとまり、街や文明が持てるようになる。そこで浮かぶのが、「なぜ我々はこのことを信じているのか?」「どうして自分たちの文化的発想を推し進めるのか?」という疑問だ。年齢を重ねるにつれ、浮かぶ疑問はどんどん複雑になっていく。私は第二次世界大戦後の世の中で成長したが、あの大戦を経て我々(米国人)はとある“安定期”に到達したと思っている。JC:それは60年代まで続く。GL:そう。50年代と60年代だね。60年代に我々はようやく、現実は政府が言っているようなものではなかったという結論に達した。『オズの魔法使』(39)のようなものだ。いざ幕が上がると、我々は真実を目の当たりにし、「なんてことだ。こいつはひどい。自分はベトナムに送られて死ぬことになる」と、愕然とする。 そして、我々が政府、自分自身、社会と交わした大量の契約は変更され、自分はこういう人間なんだと自覚していたことすらも変わってしまう。しかしそれでも、我々(米国人)は己が正しいと信じ、自分たちは共産主義から世界を守っているだと思い込んでいた。(中略)JC:それが賞賛されるべき行動規範だった。GL:そうだね。しかし、その一方でSFジャンルは、やがて心理に訴えるディストピア作品が増え、西部劇の人気は失われていった。私を『スター・ウォーズ』に導いたのは、まさしくそれだった。しかし、導かれる以前の私は、「こいつは最悪だ。来るべき未来がこれでは、たまったもんじゃない」と不満ばかりの怒れる若者に過ぎなかった。口から出るのは、未来についての悪態ばかり。「1984年」のような未来。それは全て現実で、当時、まさにその事態が起こっていた。じゃあ、その“まさに起こっていること”の映画を作ってやれ・・・ということになった。JC:それが『THX 1138』だったというわけだね。GL:その通り。『THX 1138』は未来で起きていることのように見えるが、実は違う。JC:つまり、君は典型的な60年代の申し子ではなく、それより前の時代の影響を強く受けていたわけだが、そんな君がフィルムメーカー、アーティストとして成熟したのが、60年代の終わりだった。『THX 1138』はベトナム戦争を背景にして、暴力や抑圧の手段として登場したテクノロジーへの直接的な反応だったように思えるんだが。
2023.06.13
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図書館で『日本の戦争映画』という新書を、手にしたのです。ぱらぱらとめくると『人間の条件』六部作とか岡本喜八の『独立愚連隊』とか・・・あらゆる視点で戦争をとりあげていて、なかなかのものです。【日本の戦争映画】 春日 太一著、文藝春秋、2020年刊<「BOOK」データベース>より戦後、日本映画はいかに戦争を見つめてきたか。元特攻隊の脚本家、学徒兵だったプロデューサー、戦地から生還した映画監督ー。彼らが映画に込めた想いを追いつつ、スペクタクル、笑い、大スターの共演など多種多様な戦争映画の魅力を縦横に語り尽くす!<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると『人間の条件』六部作とか岡本喜八の『独立愚連隊』とか・・・あらゆる視点で戦争をとりあげていて、なかなかのものです。rakuten日本の戦争映画ATG(アートシアターギルド)で観た『肉弾』という映画が忘れがたいのだが・・・「第二部 岡本喜八の戦争映画」に『肉弾』が出ているので、見てみましょう。p213~216<『肉弾』> 翌1968年に岡本喜八は『肉弾』という映画を撮っています。これは岡本喜八の私小説的な作う品です。 寺田農が「あいつ」という主人公を演じていますが、見た目が岡本喜八そのものです。眼鏡でやせ細っていて。 それから、本土決戦に向けて対戦車特攻「肉弾」の訓練を受けている設定も同じです。「あいつ」は訓練を受けながら、さまざまな人に出会う。それは皆、それぞれに戦争で何かを失った庶民です。その出会いを、コミカルなタッチで描いていく。 例えば笠智衆が演じる古本屋。その古本屋を「あいつ」が訪れると「ああ、ちょうどよかった。今、妻がいないんで手伝って、これ」と。笠智衆が立ち上がると両手がない。戦争で両手を失っているのです。その瞬間、「あいつ」は「ああ、わかりました」と言って小便を手伝ってあげる。 こうした、庶民から見た戦争・・・というのが、岡本喜八の描きたかったことでした。『日本のいちばん長い日』のラストでは「戦争で300万人の日本人が死んだ」とテロップが出ます。その「300万人の終戦」が『日本のいちばん長い日』であれば、今度は「300万分の1」の終戦というのをやりたかった・・・と。その「1」は、岡本喜八自身でもあります。『日本のいちばん長い日』には庶民が出てきません。だから、今度は庶民にとっての終戦とは何だったのかをやりたかったのです。『日本のいちばん長い日』は俯瞰した話なので、「私」がいない。では、「私」にとっての終戦は何だったのか。それが『肉弾』になっていきます。 最初、この脚本は東宝で通りませんでした。それが『日本のいちばん長い日』を撮り終えた段階で東宝から、ご褒美として許可がおります。でも、お金は出してくれない。それで、ATGを使います。作り手が五百万円を集めるとATGが残りの五百万円を出す。それで1千万円で低予算映画を作る。 当時、独立系の映画監督たちはここで映画製作をしていました。ところが、ATG側は「岡本喜八」というだけで企画を拒否してくる。 東宝という大企業でエンターテインメント作品を撮る監督だからATGにはふさわしくないということでした。つまり、岡本喜八は東宝からすると異端と思われて、独立系からするとメジャーの人間と思われていた。難しい立場でした。 それでもなんとか企画が通ります。そうまでして実現させたい企画でした。そこには、『日本のいちばん長い日』を撮り終えたからこその、想いがありました。「事実を再現し得ても、事実を見つめる私は主張し得たかどうか?『日本のいちばん長い日』に欠落した部分が、撮り終えたあとで無性に埋めたくなった」(『岡本喜八全作品集』) だからこそ、岡本喜八は『肉弾』の中に自分自身を描いていきました。 劇中、「あいつ」は軍から二つ選択肢を提示されます。それは、「対戦車用の《肉弾》になるか」、もう一つは「魚雷艇に乗り込んで、アメリカ艦に突っ込んでいくか」。これも戦時中、岡本喜八自身が迫られた選択でした。 最終的に、劇中で「あいつ」は岡本喜八が実際にやるはずだった「肉弾」から配属転換になり、魚雷にくくりつけられたドラム缶に乗り込んで終戦を迎えることになります。では、なぜ「あいつ」はドラム缶に乗って戦うことになったのか。 それは、祖国を守るためではなく、好きな女を守るためでした。岡本喜八はある思い出話を書いています。「昭和20年正月、あせは特甲幹として松戸工兵学校へ出発という夜、この夜は私にとって忘れがたい劇的な夜になった。あきらめきっていた美少女が千人針をそっと持ってきてくれたのだ。『お帰りを待っています』受けとる手がワナワナとふるえた。これで死ねる。工兵学校での八か月の教育期間が終わったらおそらく生きてはいまい。しかし、むしょうに生き残りたいと思った。 私にとって、急造の対戦車地雷をかかえてまもるべき祖国はなんであったか?茫漠とした美辞麗句のためにはシャーマン戦車にぶつかれない。私にとって祖国とは、出発の前の日にそっと下駄箱の隅に置いてきた、履きなれたチビた下駄であり、そっと千人針を渡してくれた彼女であった」(『ななめがね』)
2023.06.10
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周防監督の『Shall weダンス?』は、コミカルでちょっと哀しくて、良かったでぇ♪ということで、 『『Shall weダンス?』アメリカを行く』9をのぞいてみたのです。***********************************************************図書館で『『Shall weダンス?』アメリカを行く』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくってみると、日米の映画産業事情とか、アメリカ人の人間模様が出ていて面白そうである。【『Shall weダンス?』アメリカを行く】周防正行著、太田出版、1998年刊<「BOOK」データベース>より日本映画界の野茂英雄になる-の決意も固く、映画先進国アメリカに乗り込んだ周防監督。ハリウッド流儀を蹴散らし、契約至上主義ビジネスの罠をかいくぐり、米国アカデミー賞に異議を申し立て、前代見聞、満身創痍の悪戦苦闘の末に勝ち取ったのは、「中年の危機」に悩めるアメリカ人の大喝采と、日本映画初の全米大ヒット。強いアメリカに押されっぱなしの日本人のうっぷんを晴らす、痛快ノンフィクション。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると、日米の映画産業事情とか、アメリカ人の人間模様が出ていて面白そうである。amazon『Shall weダンス?』アメリカを行く封切り興行成績が出たので、見てみましょう。p351~354 <封切り興行成績、『ニュー・シネマ・パラダイス』を抜く> 7月13日(日)。昼にカンザスシティへ向けて出発。僕たちを迎えてくれたのは領事館の篠本薫子さん。とにかく彼女にはお世話になった。カンザスシティはデトロイトに比べれば本当に小さな街だった。だからこそ逆に彼女一人でやらなければならないことが多く、相当苦労したようだ。(中略) 7月14日(月)。ミラマックスから11日(金)の封切り週末3日間の興行成績が送られてきた。それによると、ニューヨーク2館、ロス3館のトータルで8万8106ドル。1館あたりの平均1万7621ドルという数字は『イル・ポスティーノ』よりも『コーリア』よりも『ニュー・シネマ・パラダイス』よりも『赤い薔薇ソースの伝説』よりも高いそうで。わざわざ「素晴らしい成績」と書き添えられていた。 そして僕の目を引いたのは興行成績ばかりではなく、各映画館で取れれたアンケート結果だった。どの映画館も「エクセレント」が80パーセントに迫っており、「ベリー・グッド」を合わせれば90パーセントを越える評判のよさなのだ。そして驚いたのは、観客の年齢層の高さだった。50歳以上がどの映画館でも一番多かった。すぐに思い当たる節があった。 質疑応答でもそうだったし、批評記事でも必ずそうだった。つまりこの映画には「セックスも暴力もない」ということが必ずいわれるのである。だから誰でもが安心して観ることができる。最近では珍しい映画なのだ、という評判が立っていた。 電話をかけてきたシンシアは、年齢層が高いと、若い人ほど口コミがきかないのでそこが心配であるといった。そのためにこれからのパブリシティはもう少し若者にターゲットを絞った方がいいだろうと結論づけ、だからというわけではなかろうが、伊良部を知っているかと聞いてきた。伊良部は先週、見事なデビューを飾り、ニューヨークっ子を狂喜乱舞させていた。野茂の次は伊良部か。 シンシアは説明した。 「実をいうと野茂は、あまり感情を表に出さないから、アメリカ人にとってはちょっと不気味なの。つまり東洋的な神秘さが彼にはある。だけど伊良部はアメリカ人にも理解できる。感情表現があるから、絶対彼の方が人気は出るわ」 残念ながら、伊良部の存在は知っていても、個人的にはまったく知らない。そこで伊良部と会って何かやるんだったら、僕を当てにしないでくれといった。まあ、結果的にはその後の伊良部の叩かれようを見れば正解だったわけだが、個人的には伊良部にはアメリカのマスコミだけでなく日本のマスコミをも驚愕させるほどの活躍を来期は期待したい。がんばれ、伊良部! 絶対勝てる。 しかし、ミラマックスのマーケティングというのは、この最初の結果を見ての対応だけで判断しても、日本よりはるかにしつこかった。日本では映画館での初日のアンケート結果や観客動員でその後の宣伝方法を変えて、しつこく宣伝していくなどということはまずしない。つまり宣伝は封切るまでで、後は野となれ山となれという体制が普通なのだ。 さて、ケネディ、薫子さんと、とにもかくにも映画の好調なスタートを祝いながら、今日最初のお仕事はカンザスシティ・フィルムオフィス訪問。ここでまたまた、ぜひカンザスで映画を撮ってくれと、お土産グッズをたくさんもらった。車から見るカンザスのダウンタウンは日本人にはちょうどいい街という広さで、歩いてどこにでも行けるような感じだ。ところがビルも何も新しくて綺麗なのに誰も歩いていない。これだけ小さくてもやっぱり車社会だということか。 ウン 興行成績が『ニュー・シネマ・パラダイス』より良かったということで、大使にもそのすごさが分かるのです♪この本をここまで読んできたが、ことの発端は爆弾ヤンキー娘ことエイミーが『Shall weダンス?』を発見し、ぜひ彼女の会社ミラマックスで海外配給しようとしたガッツでしたね♪。インディー系のミラマックスはハリウッド映画とは一線を隔しているとはいえ、その凄まじいマーケティングには日米文化摩擦を見るようでした。『Shall weダンス?』アメリカを行く1『Shall weダンス?』アメリカを行く2『Shall weダンス?』アメリカを行く3『Shall weダンス?』アメリカを行く4『Shall weダンス?』アメリカを行く5『Shall weダンス?』アメリカを行く6『Shall weダンス?』アメリカを行く7『Shall weダンス?』アメリカを行く8是枝監督が次のように語っています。「ハリウッドの劇場公開作品は、世界中をマーケットにしなくてはいけなくなって、どの国の人が観ても子どもが観ても、英語が理解できない人が観ても理解できる映画を志向せざるをえなくなっています。そこから逆算して企画が立てられるから、作家性の強い監督ほど離脱していく。日本でも最近、「やりたいことはWOWWOWの連ドラで」という監督が増えていて、テレビに出戻っている。現象としては面白いですね」・・・日本はハリウッド作品とは別の国産映画を志向すべきなんでしょうね。インドや日本は国産映画がペイできる特殊な国なんだし。
2023.04.15
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<砂漠の映画あれこれ3>砂漠の映画をあれこれ集めてみました。こう並べてみると、我ながら古くから砂漠に惹かれていたことが分かるのです。途中30年間くらいブランクがあるけど、仕事に明け暮れていたせいだろうか?・砂漠は生きている(1953年)・撃墜王アフリカの星(1957年)・アラビアのロレンス(1962年)・飛べ!フェニックス(1966年)・バグダッド・カフェ(1987年)・イングリッシュ・ペイシェント(1996年)・サハラに舞う羽根(2002年)・ナイロビの蜂(2005年)・草原の椅子(2013年)・奇跡の2000マイル(2013年)・千年医師物語(2013年)なお『奇跡の2000マイル』については、観た後の感想にしたので改3としました。 <砂漠は生きている> 大使が幼少の頃に観た映画であるが、記憶に残る最初の長編記録映画である。その次が『沈黙の世界』(1956年)、『佐久間ダム』(1957年)だったかな。斯様に子供時代の記録映画の印象は強かったわけだが、そのあたりを大人は忘れているのではないか。・・・つまりは、記録映画とか、ドキュメンタリー映画の威力とでも、言いましょうか♪【砂漠は生きている】ジェームズ・アルガー監督、1953年米制作<movie.walker解説>より 「水鳥の生態」「大自然の片隅」「ビーバーの谷」などの“自然の驚異”シリーズを発表したウォルト・ディズニーが、この記録短編シリーズを長編にきりかえ、“自然の冒険”シリーズと名づけて発表した第1作である。総指揮はウォルト・ディズニー、監督ジェームズ・アルガー。 日本版の解説はNHKアナウンサー今福祝が担当した。1953年度アカデミー長編記録映画賞受賞作品。<大使寸評>大使が幼少の頃に観た映画であるが、記憶に残る最初の長編記録映画である。ボブキャットがサボテンを駆け上るシーンは、今でも鮮明に覚えています♪movie.walker砂漠は生きている <撃墜王アフリカの星> 『橋』も『撃墜王アフリカの星』も映画館で見た古くからの戦争映画オタク?の私としても、『撃墜王アフリカの星』は名画だと評価しているのです。砂漠に墜落したメッサーシュミットの残骸のシーンでも、テーマミュージックの「アフリカの星のボレロ」が流れるが・・・・これがいいんだなー。【撃墜王アフリカの星】アルフレッド・ワイデンマン監督、1957年制作<Movie Walkerストーリー>より1939年夏。ドイツ空軍士官学校の生徒たちは青空を飛び廻って青春をエンジョイしていた。なかでもハンス・ヨアヒム・マルセイユ(ヨアヒム・ハンセン)は規律無視の常習犯だった。間もなく、ヨーロッパは戦火につつまれ、マルセイユはアフリカ戦線出動を命じられた。明けてもくれても英軍のスピットファイアーとの空中戦が続く日々がやってきた。愛機のメッサーシュミットを駆って活躍する彼は、たちまち撃墜王として敵から恐れられる存在となった。<大使寸評>最初に観たドイツ映画であり、個人的には記念碑的な作品です。砂漠に墜落したメッサーシュミットの残骸のシーンでも、テーマミュージックの「アフリカの星のボレロ」が流れるが・・・・これがいいんだなー。哀愁を含んだ軽いこの曲が流れるモノクロのシーンは・・・・ハードボイルドな映像詩とでもいうんでしょうね。Movie Walker撃墜王アフリカの星BOLERO, THE STAR OF AFRICA :DER STERN VON AFRIKA 撃墜王アフリカの星byドングリ <アラビアのロレンス> 70ミリスペクタクルの迫力、砂漠の美しさ、それからサウンドトラック・・・どれをとっても、しびれたわけです♪「アカバ!」・・・艱難の果て、アカバにたどり着き、紅海が見えたときのシーンが目に浮かびます。【アラビアのロレンス】デイヴィッド・リーン監督、1962年英制作<movie.walker解説>より T・E・ロレンス自伝『知恵の七柱』からロバート・ボルトが脚色し、「戦場にかける橋」のデイヴィッド・リーンが監督した70ミリスペクタクル。 撮影はフレデリック・A・ヤング、音楽はモーリス・ジャール。出演者は舞台俳優のピーター・オトゥール、「戦艦デファイアント号の反乱」のアレック・ギネス、「バラバ」のアンソニー・クイン・「紳士同盟」のジャック・ホーキンス、「カサブランカ」のクロード・レインズ、ホセ・フェラー、アーサー・ケネディ、アンソニー・クェイルなど。<大使寸評>70ミリスペクタクルの迫力、砂漠の美しさ、それからサウンドトラック・・・どれをとっても、しびれたわけです♪movie.walkerアラビアのロレンス<飛べ!フェニックス>飛行機映画というよりは・・・成せば成る、あるいは絶対にあきらめない心を描いた映画として忘れがたいのである。【飛べフェニックス】ロバート・アルドリッチ監督、1966年米制作<movie.walkerストーリー>より アラビア石油空輸会社所属の輸送兼旅客機が、サハラ砂漠にある採油地から基地へ帰る途中、砂あらしに遭遇し、砂漠の真只中に不時着した。 この事故で、2名の死者と1名の負傷者がでた。操縦士のフランク(ジェームズ・スチュアート)は、事故の一切の責任をとる決心をして、航空士ルー(リチャード・アッテンボロ--)と共に、なんとか、乗客を無事救出すべく策を練った。 年若い飛行機デザイナーのハインリッヒ(ハーディー・クリューガー)は、人手と器材さえあれば、こわれた飛行機から、あたらしい小型の単発機を組立てることができると、フランクに説いた。<大使寸評>砂漠と飛行機といえば、大使のツボを突いているわけです。movie.walker飛べ!フェニックス <バグダッド・カフェ> この映画はドイツ映画の一押しになるのだが(大使の場合)、舞台がアメリカのモハベ砂漠というのが、何とも場違いな感じがしないでもないのです。いずれにしても、砂漠を描く映画としても忘れ難い映画である。(2004.2.1鑑賞)【バグダッド・カフェ】パーシー・アドロン監督、1987年ドイツ制作<Movie Walkerストーリー>より ミュンヘン郊外の田舎町、ローゼンハイムから観光旅行にやってきたミュンヒグシュテットナー夫妻は、ディズニーランドからラスヴェガスの道中で夫婦喧嘩になってしまい、夫と別れ車を降りたジャスミン(マリアンネ・ゼーゲブレヒト)は、重いトランクを提げてあてどもなく歩き出した。やっとの思いでたどりついた、さびれたモーテル兼カフェ兼ガソリンスタンド“バグダッド・カフェ”で部屋を借りようとするジャスミンに、女主人のブレンダは不機嫌な迷惑そうな表情を隠そうとしない。<大使寸評>ハイウェイの夕焼けをバックに流れる「コーリングユー」という歌がまたいいのだ。文明果つる所のような剥き出しの風景に、ハイウェイ沿いの安モーテルの乾いた哀愁に・・・・この透とおった高いキーの歌がよく合うのだ♪ドイツ映画の一押しと言えば、大使の場合はこの映画になるわけです。劇場で1回、DVDで2回観たかな。Movie Walkerバグダッド・カフェバグダッド・カフェbyドングリ三度公開された「バグダッド・カフェ」byドングリ<イングリッシュ・ペイシェント> 看護婦の女優(ジュリエット・ビノシュ)は知っていたが、主人公(レイフ・ファインズ)もどこかで見たと思ったが、「ナイロビの蜂」に出ていたんだ♪・・・なかなか存在感のある俳優ですね。 movie.walkerのストーリーを読んでみると、あらためてややこしいストーリーであったと思うが、寡黙な主人公のガッツが印象に残っています。近々、レイフ・ファインズが出る「グランド・ブダペスト・ホテル」という映画が2本立て館にかかるので、観にいこうと思う。【イングリッシュ・ペイシェント】アンソニー・ミンゲラ監督、1996年米制作<movie.walkerストーリー>より 44年、イタリア。砂漠の飛行機事故で全身に火傷を負い、記憶の大半を失って生死をさまよう男が野戦病院に運び込まれた。戦争で恋人も親友も亡くして絶望にかられていた看護婦のハナ(ジュリエット・ビノシュ)は移動する部隊を離れて、爆撃で廃墟と化した修道院に患者を運び込み、献身的な看護を続ける。男は断片的に甦る思い出をハナに聞かせる。彼の名はアルマシー(レイフ・ファインズ)。ハンガリーの伯爵の家柄に生まれた冒険家の彼は、英国地理学協会に加わり、アフリカはサハラ砂漠で地図作りに没頭していた。<大使寸評>看護婦役(ジュリエット・ビノシュ)は知っていたが、男優もどこかで見たと思ったら、「ナイロビの蜂」に出ていたんだ♪・・・なかなか存在感のある俳優ですね。近々、彼が出る「グランド・ブダペスト・ホテル」という映画が2本立て館にかかるので、観にいこうと思う。movie.walkerイングリッシュ・ペイシェント<サハラに舞う羽根>原作小説『四枚の羽根』の6回目の映画化ということで、原作はイギリスでは古典的名作のようです。砂漠地域を植民地化したイギリスでは、砂漠に対する思い入れが強いのではないだろうか・・・イギリス人に聞いてみたいですね。【サハラに舞う羽根】シェーカル・カプール監督、2002年制作、H24.4.5観賞<movie.walker解説>より「エリザベス」のシェカール・カプール監督が、A・E・W・メイスンの名著を映画化した文芸ロマン。19世紀のアフリカで、苛酷な戦闘に身を投じた若者の運命をドラマチックに描く。<大使寸評>サウジでのきつい仕事のほとぼりが冷めてくると、砂漠とラクダの映像が見たくなるわけで・・・「アラビアのロレンス」のような映画を探していて見つけた映画です。この映画のストーリー展開には疑問も多いが、砂漠の過酷さと美しさは期待どおりでした。なお原作小説『四枚の羽根』の6回目の映画化ということで、原作はイギリスでは古典的名作のようです。ストーリーの疑問は原作によるものか、シナリオによるものか?案外とカプール監督がインド人ということで説明がつくのかも知れないですね。(笑)youtube映像movie.walkerサハラに舞う羽根<ナイロビの蜂>ジョン・ル・カレの原作ということで、サスペンス映画でもあるけど・・・アフリカを舞台にした社会派映画というところも良かった♪【ナイロビの蜂】フェルナンド・メイレレス監督、2005年英制作、2006年9月20日観賞<movie.walker解説>よりガーデニングが趣味の物静かな英国外務省一等書記官のジャスティンは、スラムの医療施設を改善する救援活動に励む妻テッサと、ナイロビで暮らしていた。しかし突然、テッサがトゥルカナ湖の南端で殺害されたという報せが届く。彼女と同行していた黒人医師アーノルドは行方不明。警察はよくある殺人事件と断定して処理しようとするが、その動きや、テッサに密かに思いを寄せていた同僚サンディの不審な振る舞いから、疑念にかられたジャスティンは、妻の死の真相を独自に調べ始める。<大使寸評>よくできたサスペンス映画でもあるわけだが、ジョン・ル・カレの原作ということで納得するわけです。でも、公式HPにもあるようにラブストーリーなんでしょうね。movie.walkerナイロビの蜂ナイロビの蜂byドングリ<草原の椅子>愛憎うずまく日常と、フンザの砂漠がシュールと言えるほど鮮やかな対比を成していますね。育児放棄した母親と、子供を保護する善人たちといえば・・・・よく似た映画を思い出したのです。「キリマンジャロの雪」という映画だが、まったく同じ題材を扱っていることに驚くのです。【草原の椅子】成島出監督、2013年制作<movie.walker解説>より登場人物の繊細な心の動きや、大自然の描写の美しさで絶賛されている宮本輝の同名小説を映画化。『八日目の蝉』の成島出が監督を務め、原作と同じ舞台設定となるパキスタン・フンザで、日本映画初の本格的な長期ロケを敢行し、見事な映像を納めることに成功した。キャストには、憲太郎役に優しさと強さを圧倒的な存在感で表現する佐藤浩市、親友の富樫役にジャンルを越えた活躍を続ける西村雅彦、貴志子役に幅広い世代の女性に絶大な支持を得る吉瀬美智子が配されるなど、見ごたえ十分な布陣となっている。<大使寸評>西域大好きの大使にとっては、砂漠と高山の映像が見られただけでも観た甲斐がありました。フンザの老人が、星の王子さまのような哲学的なせりふをのべていました。movie.walker草原の椅子草原の椅子公式サイト <奇跡の2000マイル> 神戸地域は8/29より公開だったので、満を持して9/2に観に行ったのです。【奇跡の2000マイル】ジョン・カラン監督、2013年豪制作、H27.9.2観賞<movie.walker解説>よりラクダ4頭と愛犬を連れ、オーストラリア西部に広がる砂漠2000マイル(約3000キロ)を横断した女性の回顧録を映画化。オーストラリア各地で大規模ロケを敢行、アリス・スプリングスからウルル(エアーズロック)を経由しインド洋へと彼女がたどった道程を再現している。監督は「ストーン」のジョン・カラン。製作には「英国王のスピーチ」のイアン・カニングとエミール・シャーマンが加わっている。冒険の旅に出た女性を「アリス・イン・ワンダーランド」のミア・ワシコウスカが、ナショナルジオグラフィックの写真家を「フランシス・ハ」のアダム・ドライバーが演じている。第70回ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門出品作品。<大使寸評>ラクダ4頭と愛犬を連れ砂漠2000マイルを横断する実録の映画化なのだが、予想にたがわずかなりワイルドな砂漠、ラクダが見えて・・・ええでぇ♪驚いたのはオーストリアでは野生のラクダが闊歩していることです。世界でも野生ラクダの数はオーストラリアがいちばんとのこと。(オーストリア大陸へ家畜として人間が移入した後に野生化したようです)それから・・・向かってくる野生ラクダを撃ち殺すシーンがあるのだが、実際、野生ラクダは危険なので、砂漠横断には銃の携行はかかせないとのことです。この映画で見えるラクダは、大使がサウジで見た種類よりもやや大きくて、かなり強面の種類のようです。母の死があって以降、人間不信に陥っている主人公は、父親の跡を継ぐように砂漠横断を決意するわけで・・・ラクダを手に入れるために食堂やラクダ牧場で、アルバイトに精を出すのです。ラクダ4頭を手に入れて、砂漠横断に踏み出すと・・・過酷な砂漠や、アボリニジーとの交流がドキュメンタリー映画のように描かれていて飽きないわけでおます♪彼女の砂漠横断は、ナショナルジオグラフィックの資金援助で実現したのだが・・・この映画でも、5,6週間おきにカメラマンが撮影に訪れるのです。movie.walker奇跡の2000マイルmovie.walker公式サイト <千年医師物語> 【千年医師物語】フィリップ・シュテルツル監督、2013年、独制作、H28.9.8観賞<Movie Walker映画解説>より世界中で2100万部以上を売り上げたノア・ゴードンのベストセラー小説を映画化したアドベンチャー大作。11世紀、医学を志して欧州からペルシアへ渡った青年の冒険を描く。監督は「アイガー北壁」のフィリップ・シュテルツェル。出演はイギリスの新鋭トム・ペイン(テレビ映画『嵐が丘』)、「ガンジー」のベン・キングズレー。<大使寸評>2時間半の大作である。この映画の中で、ときどき砂漠の美しいシーンが出てくるが・・・大使のツボがうずくのでおます。それにしても、遠いペルシャまで出向き先端医療を学ぶ英国の青年を描いたドイツ映画というのが・・・コスモポリタンな映画だと思うのです♪Movie Walker千年医師物語ところで、ロレンスたちが破壊したヘジャズ鉄道であるが・・・・その復旧工事を日本企業が受注し、その後、残念ながら破談になったようです。そのあたりについて、丸紅のサイトを見てみました。ヘジャズ巡礼鉄道復旧工事に想いを馳せてより シリアの内戦に続くイスラエルのガザ地区攻撃など中東諸国のニュースを見るたびに、ある感慨を持って思い出す一つのことがある。 それは半世紀以上も遡る1960年代、私がベイルート駐在時代に取組んだヘジャズ巡礼鉄道復旧工事の仕事である。当時、日本の産業や貿易の主流は繊維から脱繊維・非繊維産業へと向かい始めた。又、石炭から石油へのエネルギー利用転換期にあり、経済成長には原油の安定調達が不可欠な情勢だった。 そこで、日本政府は対アラブ中東政策として、ヘジャズ鉄道復旧工事(丸紅受注)と、スエズ運河修復工事(三井物産担当)経済協力を打ち出した。 ヘジャズ鉄道は、映画「アラビアのロレンス」でも知られる、シリアのダマスカスからヨルダンを通り、サウジアラビアのメジナへ通じる1,308キロに及ぶ鉄道である。 第一次大戦中に破壊され、放置されたままになっていたが、その後応急の修復がなされ、ダマスカス~マアン間の464キロが稼働中。残り844キロ(マアン~メジナ間)を修復するのが対象であった。 契約発注者は、シリア・ヨルダン・サウジアラビアの3国政府によって設立されたヘジャズ鉄道復旧実施委員会で、同委員会が国際入札を実施し、日米英をはじめ11社が参加した。 熾烈な競争の末、丸紅グループが落札し、受注に成功。これは官民一体となった丸紅の過去数年に亘る努力の結実であるとともに、サウジアラビア最大の現地建設業者ビンラディン社(アルカイダのリーダー、ビンラディンの父親の会社)と提携したことも成功の鍵と思われる。 受注内容は、丸紅がレール・通信設備等必要機材及び技術指導の55億円。ビンラディン社は、現地工事及び輸入機材の現地通関、国内輸送を担当の23億円と、総計78億円の相当額の契約であった。 その後、契約内容の詰めなど種々紆余曲折があったが、中東諸国の政情不安は如何ともし難く、誠に残念ながら破談を余儀なくされ、結果夢幻のプロジェクトに帰してしまった。まさに慙愧に耐えない結末となった。 当時は日本経済の躍進と海外進出の大型プロジェクト取組みの黎明期であり、本プロジェクトは海外でのエネルギー・鉱石等の資源開発や各種大型機械や重電機械プラント輸出成功の先駆けとなったのではと思える。 現在の丸紅の海外進出や大口案件の成功の数々を見るにつけ、今昔の感一入です。丸紅の益々の発展と隆盛を祈って止みません。アラビアのロレンス・・・サウジアラビアの思い出より 40歳の頃より約3年半の間、中近東のサウジアラビアに仕事で滞在していた。仕事というのは、サウジアラビア紅海沿岸の都市・ヤンブにある工業地帯の電化・配電プロジェクトというもので、そのプロジェクト管理の仕事であった。リタイア前の大使は、サウジアラビアの海水淡水化プラントの仕事に従事したのだが・・・海外進出の黎明期には、先人たちのこんな苦労話があったんですね。
2023.03.14
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移民問題がテーマの『ファミリア』に関心があったので、公開初日(6日)に観てきたのです。封切館に足を運ぶのは久々のことであり、期待の大きさが知れるのだが・・・やや期待外れだったのです。なぜだろう?・・・で、ネットの「ファミリア公式サイト」を覗いてみました。ファミリア公式サイトより【解説】 陶器職人の主人公・誠治と、海外で活躍する彼の息子・学、そして主人公が知り合う在日ブラジル人青年・マルコス。リアルな今を生きる3人の関係を軸に、独自の視野から「家族」という普遍的なテーマに挑んだ感動作が誕生した。 主人公・神谷誠治を演じるのは日本を代表する名優、役所広司。焼き物を本格的に練習して撮影に臨んだ本作では、親の愛を知らずに育ち、不器用だが家族を深く愛する男の複雑な心情をまさに唯一無二の演技で表現している。 息子の学には、NHK大河ドラマ「青天を衝け」に渋沢栄一役で主演した吉沢亮。マルコス役のサガエルカス、彼の恋人エリカ役のワケドファジレらオーディションで選ばれた、実際に日本で暮らすブラジル人の若者や、日系4世らのヒップホップグループGREEN KIDSの“当事者”による演技は、“演技”の域を超えた本物の煌めきを放つ。さらに“サムライギタリスト”として世界的に知られるMIYAVIが強烈な印象を残し、佐藤浩市、松重豊、中原丈雄、室井滋らベテラン俳優が絶妙なアンサンブルを見せる。大物俳優や素人のブラジル人を配したキャスティング、移民問題というテーマはいいのだが、半グレの日本人グループと聖人・神谷との肉体的な闘いが最も印象に残るわけで・・・これでは脚本の未熟さが出ているのではないだろうか。ラストシーンは神谷とマルコスが覗く陶器ガマに希望が見えるという作りとなっているが、これもやや甘いのでは。
2023.01.07
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図書館で『映画の巨人たち リドリー・スコット』という本を、手にしたのです。「ブレードランナー」「ブラック・レイン」「テルマ&ルイーズ」とくれば・・・もっとも好きな監督になるのかなあ。【映画の巨人たち リドリー・スコット】佐野亨著、辰巳出版、2020年刊<「BOOK」データベース>よりSFから歴史劇まで、幅広い題材を描きながら、人間の悪意や文明論など明確なテーマ性と独自の映像美で、いまなお第一線で活躍し続けるリドリー・スコットーその魅力と本質をさまざまな角度から読み解く!<読む前の大使寸評>「ブレードランナー」「ブラック・レイン」「テルマ&ルイーズ」とくれば・・・もっとも好きな監督になるのかなあ。rakuten映画の巨人たち リドリー・スコット「ブレードランナー」の論考を、見てみましょう。P62~64<イッツ・オカルト・タイム:海野弘>■『ブレードランナー』、今 今、『ブレードランナー』を見ると、リドリー・スコットが「イッツ・オカルト・タイム」と言っているように思えた。 そんな妄想にとらわれたのは、コロナに閉じこめられ、なにもすることがないので、占星術や錬金術などのオカルト・アートを調べていたからである。『ブレードランナー』は1982年に公開されている。それは2019年のロサンゼルスを舞台としている。その意味は、2020年の今、ようやく開示されるのではないだろうか。ポール・M・サモンの『メイキング・オブ・ブレードランナー』(1997)は、この映画のすべてを語りつくしたような本であるが、欠けている部分がある。 それはリドリー・スコットが育ったロンドンの1970年代についてあまり語られていないことである。ロンドンのこそが『ブレードランナー』を生み出したのであり、そのことによって現代を予告していたのである。 リドリー・スコットは1937年、イギリス北東部の海岸サウスシールズで生まれた。そしてロンドンの王立美術大学で学び、1961年に卒業し、BBCでテレビ番組をつくり、やがてコマーシャル・ビデオの作家として知られるようになった。 60年代から70年代にかけて、英国のアート・スクール出身の若者たちによる芸術、音楽、演劇にわたるニュー・アートの多彩さは、ようやく明らかにされつつあるが、リドリー・スコットもその中で語られなければならない。 の中心はパンクであり、そこでは新しいものと古いものがごっちゃに集められていた。あらゆるあやしげなものが呼びだされた。 などが寄せ集められ、モザイク状にはめこまれた。『ブレードランナー』のオープニングにあらわれる2019年のロサンゼルスこそ、まさしくそのなのだ。 降りしきる酸性雨に汚染されたには未来的な乗物が飛ぶ一方、ゲイシャガールがスクリーンに映り、新宿や大阪にあるような居酒屋が軒を連ね、異形の人びとがひしめいている。 コンピュータとインターネットのSF的未来が錬金術や占いと共存している。オカルトのをあらわすシンボルは、ウロポリスと呼ばれる。自分の尾をくわえて円形をなす蛇である。過去、現在、未来は円環をなし、ぐるぐるまわっている。リドリー・スコットはそのようなオカルトのを『ブレードランナー』につめこんだ。■パンク、ヘヴィ・メタル、不気味なもの『ブレードランナー』にはのカウンターカルチャーがモザイクされている。にはといった、かつて新しかったが、抑圧されて見知らぬものになったイメージが復活された。古着がはやり、古い建物がモダンに改装された。 ブレードランナーに襲いかかる二人のレプリカントの女もパンク・ファッションである。デレク・ジャーマンの『ジュビリー』(1978)に出てくる70年代のロンドンのパンク・ファッションに似ている。 リドリー・スコットはロンドンでアートとデザインのセンスを磨いた人である。『エイリアン』、『ブレードランナー』などでは特に、が意識されているようである。『映画の巨人たち リドリー・スコット』2:「テルマ&ルイーズ」の論考『映画の巨人たち リドリー・スコット』1:冒頭の論考
2022.12.30
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図書館で『映画の巨人たち リドリー・スコット』という本を、手にしたのです。「ブレードランナー」「ブラック・レイン」「テルマ&ルイーズ」とくれば・・・もっとも好きな監督になるのかなあ。【映画の巨人たち リドリー・スコット】佐野亨著、辰巳出版、2020年刊<「BOOK」データベース>よりSFから歴史劇まで、幅広い題材を描きながら、人間の悪意や文明論など明確なテーマ性と独自の映像美で、いまなお第一線で活躍し続けるリドリー・スコットーその魅力と本質をさまざまな角度から読み解く!<読む前の大使寸評>「ブレードランナー」「ブラック・レイン」「テルマ&ルイーズ」とくれば・・・もっとも好きな監督になるのかなあ。rakuten映画の巨人たち リドリー・スコット次に「テルマ&ルイーズ」の論考を、見てみましょう。P102~105<車は走り続ける:佐藤結>『エイリアン』で“リプリー”という映画史に残る女性キャラクターを誕生させたリドリー・スコットは、そのほかにも『G.I.ジェーン』や『イン・ハー・シューズ』と言った「女性を主人公にした映画」を手掛けている。中でも『テルマ&ルイーズ』は、発表当時、世界中に大きなインパクトを与えただけでなく、30年が過ぎた現在にいたるまで、様々な問いかけを見るものに投げかけてきた。 脚本を書いたのは、この映画でアカデミー脚本賞に選ばれたカーリー・クーリ。当時、ミュージック・ビデオの監督をしていた彼女が「午前4時に突然、ひらめいた」アイディアを出発点として、生まれて初めて完成させた脚本だった。 自分で監督したいと考え資金集めに動いていた過程でスコットと出会い、当初は「製作者として腕のふるい甲斐がある」と感じていた彼が、結局、自らの手で演出することを決める。当時のスコットは、「(『エイリアン』、『ブレードランナー』、『ブラック・レイン』といった作品が続き)ジャンルが偏りつつある」と考えていた時期で、「もっと人間が中心の作品を作ろう」という。『エイリアン』で“男のような女のキャラクター”を演出し、「男女同権を支持する監督だ」と言われ始めてもいたというが、彼自身は「別にフェミニストの監督ではない。常に新しいテーマを求めるのが監督だ」と語っている。クーリと向かい合って1行ずつ脚本を検討し、撮影時に主演の二人からどんな質問を受けても答えられるようになっていたという。 若くして結婚した専業主婦であるテルマとダイナーのウェイトレスをしている年上のルイーズという親友同士が小旅行に出かける。途中で立ち寄ったバーで出会った男にテルマがレイプされそうになり、それを見つけたルイーズが彼を銃で撃ち殺してしまったことから、二人の逃避行が始まる。「日常からのちょっとした逸脱」だったはずの旅は、徐々に後戻りのできない「最後の旅」へと変わっていく。悲劇に向かって進んでいくロードムービーではあるが、スコットはこの映画を「コメディとして」演出したとのことで、冒頭から、子どもっぽくて危なかしいテルマや、彼女のことをまったく理解していない夫を中心に笑いを誘うシーンがちりばめられている。 ルイーズを演じたスーザン・サランドンが「主人公の性別以外、目新しいことは何もない」と語り、脚本のクーリも「女性が主人公のアウトロー・ムービー」であるだけで「女性の地位向上を描いたわけではない」と強調する『テルマ&ルイーズ』だが、観客や批評家たちは、「ただの映画」以上のものとしてこの作品を受け止め、公開から約1ヶ月後の1991年6月24日に発売された週刊誌「TIME」の表紙を飾るほど、大きな話題となった。 オリヴィア・B・ワックスマンによれば「男たちに立ち向かう2人を見て一部のファンやフェミニストが『女性による復讐を描いた究極の物語だ!』と称賛した一方で、他のメディアはこの映画を『男性の品位を下げる』あるいは『二時間にもわたる暴力だ』と評した」という。確かに映画の中で彼女たちは男性を一人殺し、もう一人の男性を銃で脅したが、そうした行動にいたる理由は十分に説明されている。 また、彼女たちに同情的な刑事を始め、悲劇を避けようとする男性たちも登場する。しかし、「女性が男性に対して自分の意思で銃を向ける」という表現そのものが、一定の数の人々の恐怖と怒りを呼び覚ました。(中略) 後半に向かうにつれて削ぎ落された美しさへと変貌してゆくテルマとルイーズの姿や、イギリス人であるスコットの目から見た「アメリカらしい」風景が忘れ難い印象を残す『テルマ&ルイーズ』は、「家族に気兼ねせず、自分で稼いだお金で親友と旅に出かけること」に切実な意味を見出す女性たちが存在し続ける限り、古びることがない。『映画の巨人たち リドリー・スコット』1:冒頭の論考
2022.12.29
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図書館で『映画の巨人たち リドリー・スコット』という本を、手にしたのです。「ブレードランナー」「ブラック・レイン」「テルマ&ルイーズ」とくれば・・・もっとも好きな監督になるのかなあ。【映画の巨人たち リドリー・スコット】佐野亨著、辰巳出版、2020年刊<「BOOK」データベース>よりSFから歴史劇まで、幅広い題材を描きながら、人間の悪意や文明論など明確なテーマ性と独自の映像美で、いまなお第一線で活躍し続けるリドリー・スコットーその魅力と本質をさまざまな角度から読み解く!<読む前の大使寸評>「ブレードランナー」「ブラック・レイン」「テルマ&ルイーズ」とくれば・・・もっとも好きな監督になるのかなあ。rakuten映画の巨人たち リドリー・スコット冒頭の論考を、見てみましょう。P22~24<人生はあわき夢のごとく:渡部幻> 「意思を持つことは感情を意味する。木狩りを感じることもある。この作品の重要なテーマだね」(『デンジャラス・デイズ:メイキング・オブ・ブレードランナー』) リドリー・スコットは、映像の造形力で崇められる巨匠だが、同時にドラマチックなストリーテラーで、人物のキャラクターと役者のリアリティを重視してきた演出家でもある。 ブレードランナーより 最初期の『デュエリスト/決闘者』『エイリアン』『ブレードランナー』から一貫しており、手の込んだ特殊効果と撮影・美術などの技術的な興趣のみに終わらぬ人間くさい感動を観る者の中に残してきた。技術面で絶大な影響力を誇りながら、常に追随者と一線を画すのは、人の生き死にに対する彼独特の感慨に由来し、それを、多彩なジャンルを貫く強靭なバネにしてきたのである。 偉大な大監督というより人情家の指揮官といった風情のリドリーは(実際、王立美術大学に入学する前に、「あと一歩で」英国海兵隊に入るところだった)1977年のイギリス映画『デュエリスト/決闘者』で劇映画デビュー。1979年の『エイリアン』を経て最初のアメリカでの撮影作品となる82年の衝撃作『ブレードランナー』が続いた。 美術とデザインに精通する稀代のフィルム画家は、大過去から近未来、都会の猥雑から戦場の混沌まで実に様々な「映像の絵画」を描いてきた。軍隊、警察、巨大企業などのシステムと個人の対立を好み、主人公には欠陥を抱えたはみ出し者を好む。 彼ら彼女らは社会や組織の捨てゴマに過ぎず、何らかの任務を背負わされた末に既知の認識を揺るがすカルチャーショックを経験する。熾烈な生存闘争の中に投げ込まれ、自らの限界と真実と向き合い、怒りと悲しみを通過して、ある種の悟りへと至るのである。 リドリー映画の多くに共通するのは暗く理不尽な暴力と死の世界観。光と影のコントラストを駆使し、善と悪、男と女、人種と人種、文明と文明、人間とテクノロジーが火花散らす地獄のかまどを造形。そこには熾烈なサバイバルがあり、ある者は生き残り、またある者は死んでいくが、やがて両者を対立させた壁が溶けると、儚く物寂しげな死生観が沁み出してくる。その詩的な余韻に『ブレードランナー』をひとつの典型とする彼の芸術の魂があるが、そうした一貫性が彼を一風変わったメジャー作家にしてきたのだ。「ハリソンは人間だと言い張る。でも映画の最後に、彼はユニコーンを拾いうなずく。あれは納得のうなずきだ。“実は誰かが自分の私的な夢を知っていた”とね。鈍いな(笑)」(映画史ドキュメンタリー『ハリウッド映画の1世紀 1980年代』)『ブレードランナー』を2019年に振り返るリドリーの言葉。ハリソン・フォードが演じたデッガードは、果たして人間なのか、それともレプリカントだったのか? これほどその「定義しがたさ」ゆえにファンを魅惑してきた作品もなかなかない。驚異的な重層性からなる映像の迷宮が、理路整然とした解説の全てを煙に巻いてしまうのだ。この本もリドリー・スコットの世界に収めておくものとします。
2022.12.29
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砂漠を背景にラクダに乗ってロレンスが駆ける・・・巨大スクリーンで昔観た『アラビアのロレンス』が忘れがたいのです。2013.01.14 『アラビアのロレンス』より、以下のとおり復刻します。***********************************************************図書館で借りた「世界の民族地図」を読んでいて・・・昔見た「アラビアのロレンス」という映画を思い出した。 大英帝国史から言えば、「サイクス・ピコ協定」という大英帝国末期のしたたかな帝国主義的謀略が描かれた映画であったとも言えるわけですね。 1916年5月、イギリスは仏・露とともに、秘密裏に「サイクス・ピコ協定」というトルコ領の分割協定を結んでいた。【アラビアのロレンス】デイヴィッド・リーン監督、1962年英制作<goo映画解説>より 1916年、英国陸軍カイロ司令部に勤務中のロレンス少尉(ピーター・オトゥール)は、3カ月の欠勤許可をもらった。理由は、現在トルコに対して反乱を起しつつあるアラブ民族の情勢を確かめることにあった。 早速ロレンスは灼熱の砂漠の中を反乱軍の指揮者フェイサル王子(アレック・ギネス)の陣営に旅立ったが、途中、同じ民族が血を流しあうのを見て愛想をつかし、ハリス族首長アリの案内申し出を断った。 陣営近くで英軍の連絡将校ブライトン大佐に逢ったが、陣営につくや突如トルコ空軍の爆撃を受けた。そこでロレンスは近代武力の前に暴露されたアラブ反乱軍の無力さをまざまざと見せつけられた。 ブライトン大佐は彼らに英軍の武器による指導と訓練を提案したが、ロレンスはゲリラ戦を主張した。つまり、トルコ軍の重要地点アカバの反対側にいるアウダ(アンソニー・クイン)を首長とするホウエイタット族と手を結び、背後から敵連絡網などを叩いて撹乱させるという作戦だった。 アカバでの戦いは苛烈をきわめた。燃えるものは全て焼き尽され、ロレンスが意識を回復したときにはトルコ兵の姿はなく、アウダが役にも立たない秘宝の箱を抱えているだけだった。ロレンスはアカバ攻略を告げるためカイロに向った。 カイロに着くと司令官が変りアレンビー将軍になっていた。ロレンスは、新たな任務を与えられた。ゲリラ戦の指導者である。 何回目かの鉄道爆破のとき、部下のファラジが重傷を負った。ロレンスは秘密のもれるのを恐れ、その場で射殺した。 エルサレムに行ったロレンスは、すでに英仏両国間にアラブとトルコの土地を二等分するというサイクス=ピコット条約が結ばれているのを知り愕然とした。が、ロレンスのゲリラ部隊は再編成され、アリもアウダも参加していた。 部隊がロレンス支持者の集落へ来たとき、すでに集落はトルコ軍の襲撃を受け燃え上り眼前に悲惨な光景が待っていた。怒ったロレンスはトルコ兵を最後の一人までも追って殺害した。 アレンビー将軍の司令部でも、やがてシリアの王となるフェイサルにとっても、ロレンスは無用の者となりつつあった。彼は態のいい追放を受けた。その時はじめて彼の心に孤独感がしみわたった。 大佐への進級と、英国への帰還船に個室が用意されたことだけが、ロレンスの砂漠での功績に対する感謝の印だった。軍用乗用車でダマスカスを発ったロレンスは、窓外に顔なじみを探したが、誰一人として彼に気づく者はいなかった。 ロレンスを覚えているのは荒漠たる砂漠の広がりだけかも知れなかった。 ◆T・E・ロレンス自伝『知恵の七柱』からロバート・ボルトが脚色し、「戦場にかける橋」のデイヴィッド・リーンが監督した70ミリスペクタクル。撮影はフレデリック・A・ヤング、音楽はモーリス・ジャール。<大使寸評>イギリス、トルコそしてアラブ民族との歴史的情勢など無知のまま見た映画であったが・・・この映画で、ただひたすら、ロレンスの格好良さと、沙漠の美しさに酔いしれたのである。goo映画アラビアのロレンス「サイクス・ピコ協定」という歴史的知識は、もちろん「世界の民族地図」という本から得た後追いの知識である。この本では更に、次のような重要な指摘がありました。《第一次大戦で示したイギリスの二重外交こそが、今日まで続く「パレスティナ問題」という悲劇の最大の要因である》この本からイギリス、トルコ、アラブ諸族の関係を紹介します。<東方問題>p389~390 このオスマン帝国解体期の領内民族運動を巡って生じた国際政治上の諸問題を、ヨーロッパの政治家、外交官たちはと呼んだ。とは、19世紀のオスマン朝内外の問題を、あくまでもヨーロッパという外部社会から認識する概念であり、列強がキリスト教徒保護に名を借りて干渉をはかることを正当化する視点に立つものである。 列強は、この寛容な多民族国家オスマン帝国に民族的対立を生み出し、その対立を利用して進出をはかった。列強のへの介入は、パレスティナ問題に限らず、トルコ・アルメニア紛争、レバノン問題、キプロス紛争からバルカン半島の民族問題に至る今日の諸民族抗争に深い影を落としているのである。 列強のへの介入が、アラブ民族主義の強力な抵抗にさらされた19世紀末、列強の、とくにイギリスの中東進出に寄生しつつ、ユダヤ人の殖民運動を進めようとしたのが、シオニズムであった。また逆からみた西欧列強のシオニズム運動支援は、西欧社会が解決しえなかったをアラブ社会に押し付けるものであった。<イギリスの二重外交>p390~391 第一次大戦中の1917年11月、イギリス政府は、シオニズムに対して初めて公式に支援を与えた。イギリスは外相バルフォアの名で、イギリス・シオニスト連盟会長ロスチャイルドに書簡を送り、そのなかで「パレスティナにユダヤ人の民族的郷土を設立する」ことに同意するのである。これがいわゆる「バルフォア宣言」である。バルフォア宣言は、イギリスが大戦を遂行するうえで、ヨーロッパやアメリカ在住のユダヤ人の支持を獲得し、あるいはユダヤ系財閥の財政的支援をとりつけるためのものであった。また、戦後、イギリスがシオニズム運動を通してパレスティナを単独支配するための布石でもあった。 このバルフォア宣言は、1915年から1916年にかけてなされた対アラブ公約を破るものであると同時に、イギリスの帝国主義的意図に便乗したシオニストにユダヤ国家建設の糸口を与えるものでもあった。 第一次大戦で、オスマン・トルコは独・墺側に立って参戦していた。イギリスは大部分がトルコ支配下にある中東での戦局を有利に運ぶため、アラブ勢力に接近し、アラブ人の対トルコ独立反乱と交換に戦後のアラブ人国家の独立を承認していた。これが「フサイン・マクマホン協定」と呼ばれる。アラブ人は同協定にもとづき1916年6月、トルコに対する反乱に立ち上がった。イギリスはこの「アラブ反乱」の最中にアラブ人を裏切り、アラブ人との協定と両立し得ない約束をユダヤ人に対して行ったということである。 このような二枚舌を弄するイギリスの二重外交こそが、今日まで続く「パレスティナ問題」という悲劇の最大の要因である。 パレスティナについてのイギリス政府の舌は、実はもう一枚あって、1916年5月、仏・露とともに、秘密裏に「サイクス・ピコ協定」というトルコ領の分割協定を結んでいた。この秘密協定は、1917年11月のロシア革命成就直後に、ボルシェヴィキ政権により暴露され、アラブ人を大いに憤激させた。<アラブ人とユダヤ人の対立>p391~392 第一次大戦後、パレスティナはイギリスの委任統治下に置かれた。そして、バルフォア宣言に鼓舞されたユダヤ人が欧米各地から各国政府の政策的後援をうけながら、パレスティナに移住してきた。ナチス・ドイツすらが、1941年春までは強力にユダヤ人のパレスティナ移住策を進めたこともすでに述べた。 が、ユダヤ人のパレスティナ移住が進むと、それはたちまち現地のアラブ系住民の反発を招来する。現地アラブ人の抵抗は1920年代初めから始まってはいたが、当初は、イギリス政府の懐柔策が効を奏し、またアラブの地主層も土地代金の入手で潤い、大きな騒動にはなり得なかった。 1929年、エルサレムの嘆きの壁を巡って、ユダヤ人とアラブ人の最初の大規模な衝突事件が起こり、30年代に入ると、入植者の急増やシオニストのアラブ住民排除策に抗してパレスティナのアラブ人の反乱が続発するようになる。30年代末以降、イギリスはパレスティナのアラブ住民の反乱には徹底的に弾圧を加える一方、周辺のアラブ諸国の支配層に働きかけ、シオニストの独走に対する牽制策を採りはじめた。また、パレスティナへの移住制限も始めた。 このようなイギリスの「バランス政策」に失望したシオニストたちは、第2次大戦中に、新たな庇護者を求め、その役割をアメリカ合衆国に見出す。つまりシオニストは、最大のディアスポラ(さまよえるユダヤ人)を抱えるアメリカ合衆国をよりどころに、ユダヤ国家完成をめざすのである。 第2次大戦後、こうしてシオニストの新しいパトロンとして登場したアメリカ合衆国が、パレスティナ問題を巡る国際政治の舞台で主導権を握るに至る。【世界の民族地図】高崎通浩著、作品社、1994年刊<「MARC」データベースより>現代世界は、野放図に噴出する民族的エネルギーに覆われている。人種、民族、語族、宗教…これらの複雑な民族問題を一冊に集約した。 1997年刊の改訂版有り。<大使寸評>これ1冊で、世界の民族問題とか、紛争、テロ活動がわかる優れものです。個人的にはチベット、内モンゴル、新疆ウイグル自治区、北アイルランド、バスク、パレスティナ、朝鮮半島に関心があるんですが。Amazon世界の民族地図1冊の本とネット情報(goo映画解説)があれば、昔見た映画の背景を後追いで調べることが出来るわけで・・・・便利な世の中になったものです。ロレンスの個人的魅力は、このあとwikipediaで読んでみます。wikipediaトーマス・エドワード・ロレンスよりトーマス・エドワード・ロレンス(Thomas Edward Lawrence、1888年8月16日 - 1935年5月19日)は、イギリスの軍人、考古学者。オスマン帝国に対するアラブ人の反乱(アラブ反乱)を支援した人物で、映画『アラビアのロレンス』の主人公のモデルとして知られる。
2022.09.26
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ジャン・リュック・ゴダール監督が13日に亡くなったそうですね。(享年91歳)大使の場合、フランス映画と言えば先ずゴダールが思い浮かぶわけで・・・過去のブログから『ゴダールの「中国女」』を復刻してみます。2012.11.10『ゴダールの「中国女」』より*********************************************************** 大学図書館のDVD棚で何を選ぶか迷ったが・・・・かなり古い映画だけど、中国で共産党大会が始まったことだし、ゴダールの「中国女」を選んだわけです。 この映画では、文化大革命(1966~1977年)のポスターが背景として映っています。文化大革命 (Revolution culuturelle)や紅衛兵と言えば、今では本家の中国でも否定されている歴史的な間違いであるが、当時のフランスでも、また日本でも、左派文化人からは評価されていたわけで・・・・愚かなるイデオロギーの時代でもあったわけです。 ゴダール作品の特徴でもあるが・・・絵画のコラージュのように、カットがちょん切れて、次のカットがこちらの想定を超えて繋がるわけですね。更にこの映画では、毛沢東の教条的なセリフまで出てくるので、消化不良というか食あたりを起こしそうになるわけです。でも、深く理解することをあきらめて感覚的に眺める分には、色彩もきれいだし・・・現代絵画のように楽しめるわけですね♪(大使は、途中で一部寝ていたけど、数カット見なくても大勢に影響しません)哲学科の女学生ヴェロニク(ヒロイン)と大学教授が列車のなかで論争を繰り広げるが、この映画のなかで唯一、論理だった真面目な(何を真面目とするか、異論も出るだろうけど)対話となっていて印象深いのです。要するに、教授がテロリズムを否定して「テロの後に何を目指すのだ?」と諭すわけですが・・・この対話では納得したそぶりを見せなかったヴェロニクである。例えは適切でないかも知れないが、生活体験が未熟な永田洋子の考え違いを、教授が懇々と諭しているようなシーンであった。(goo映画解説によれば、この教授は有名な活動家であり、特別出演であったようです)でも、季節が変わるように、憑き物が落ちるように・・・ヴェロニクが闘争あるいは政治から遠ざかる兆しを見せて、映画は終わるのです。【中国女】ジャン・リュック・ゴダール監督、1967年制作、H24.11.8観賞<goo映画解説>よりジャン・リュック・ゴダール14本目の長編。むろん彼自身の脚本・監督で、紅衛兵と文化大革命を67年のパリを舞台に描いたもので、映画を武器にした政治参加の作品といわれている。撮影はヌーベル・バーグ一派の名手ラウール・クタール、音楽はクロード・シャンヌ、編集はアニエス・ギュモの担当である。出演はゴダールと結婚した新進女優アンヌ・ヴィアゼムスキー、「夜霧の恋人たち」のジャン・ピエール・レオーらの他にソルボンヌ大学の哲学教授であり、アルジェリア戦線からの脱走兵をかくまった〈ジャンソン機関〉の結成者フランシス・ジャンソンが特別出演している。<大使寸評>今見ても、色彩がきれいで・・・・そして、文化大革命に疑問を呈するという政治的メッセージが感じられる映画でした。goo映画中国女 この映画が制作された67年頃と言えば、マルクス・レーニン主義が、政治的イデオロギーとして健在していました。若者が熱くイデオロギーに染まっていた時代でもあり・・・・ノンポリの大使であっても心騒ぐものがあったのです(アホやで)ジョンソンのベトナム空爆が終わった頃で、1989年のベルリンの壁崩壊のはるか以前であれば、こんな観念的な頭でっかちな空論も有りなんでしょうね。 カット、カットで切りまくるゴダールであったが・・・・空論の馬鹿らしさを茶化すところに、ゴダールの先見的な批評眼があったとも言えるのではないでしょうか。ゴダール作品をよく観た大使であるが、一推しを選ぶとしたら・・・何といっても「気狂いピエロ」となります♪「みつかった!何が?永遠が!海に融けこむ太陽が!」wikipediaジャン・リュック・ゴダールより ジャン=ポール・ベルモンドの爆死をクライマックスとする『気狂いピエロ』の大ヒット以降、パリ五月革命に向かって騒然とし始めた世相を背景に、ゴダールの作品は政治的な色合いを強めていく。『小さな兵隊』がアルジェリア戦争を揶揄してのものであったことからもわかる通り、ゴダールは初期のころから政治に対する志向が強く、政治的なテーマや題材をあまり取り上げることがなかった他のヌーヴェルヴァーグの作家たちとはこの点においては一線を画していた。 パリ五月革命の予言もしくは先取りであるなどと言われる、マオイズムをテーマとして取り上げた『中国女』(1967年)において既に政治的な表現の傾向が顕著になっていたが、ゴダールを本当の「政治の時代」へと踏み入らせる直接のきっかけとなったのは1968年の第21回カンヌ国際映画祭における「カンヌ国際映画祭粉砕事件」だった。コンテストの必要性の有無を巡る論争を契機として発生したこの事件においては、トリュフォーとルイ・マルとが最も戦闘的な論陣を張り、ゴダールの関与は必ずしも積極的なものではなかった。 しかし、この事件をきっかけとしてゴダールの周囲や各々の政治的な立場・主張に亀裂が入り、作家同士が蜜月関係にあったヌーヴェルヴァーグ時代も事実上の終わりを告げるに至った。プライベートにおいても女優アンナ・カリーナと1965年に破局が決定的になり、『中国女』への出演を機に1967年にアンヌ・ヴィアゼムスキーがゴダールの新たなるパートナーとなった。この後『ウイークエンド』(1967年)を最後に商業映画との決別を宣言し『勝手に逃げろ/人生』(1979年)で商業映画に復帰するまで、政治的メッセージ発信の媒体としての作品制作を行うようになる。
2022.09.14
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『ジュラシック・ワールド』がまだ封切館にかかっていると気づいたので・・・恐竜が気になる大使は、観る前にネット情報を探してみました。ジュラシックワールド作品情報より【INTRODUCTION】1993年に幕を開け、命を吹きこまれた恐竜たちのリアルでスリリングな映像で、世界中に大興奮を巻き起こした『ジュラシック・パーク』シリーズ。2015年には、『ジュラシック・ワールド』としてさらにスケールアップし、続く2018年の『ジュラシック・ワールド/炎の王国』まで、全世界シリーズ累計5000億円突破という驚異的な記録を打ち立てた。そして、ついに迎えた最終章ではシリーズの生みの親・巨匠スティーヴン・スピルバーグが製作総指揮を務め、監督には『ジュラシック・ワールド』の名匠コリン・トレボロウが復帰する。前作のラストで我々の住む世界に放たれた恐竜たち。地球を支配するのは人類か恐竜か、それとも共存という夢はかなうのか?29年にわたり恐竜と人類の闘いと絆という両極を描いてきたシリーズが、ラストにすべての予想を遥かに超える答えを提示する。主演は前作に続き、クリス・プラットとブライス・ダラス・ハワード。そして、3人の博士がカムバック、アカデミー賞俳優となったローラ・ダーン、ジェフ・ゴールドブラム、サム・ニールのレジェンドたちが、過去作へのオマージュ溢れるシーンで魅了する。また、過去シリーズからの人気恐竜のほかに羽毛恐竜や地上最大の肉食恐竜などの新種恐竜が登場し、日本で絶大な人気を誇るヴェロキラプトルのブルーが、彼女の子供であるベータを連れてスクリーンへ帰ってくる。ところで、『日本の白亜紀・恐竜図鑑』1に鳥類に似たドロマエオサウルスが見られるが・・・『ジュラシック・ワールド』にもこの恐竜が出てきて感激した次第でおます(2022.9.8鑑賞)ドロマエオサウルス
2022.09.11
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2016.10.10『尾野真千子の世界』よりNHK土曜ドラマで『夏目漱石の妻』が放映中であるが・・・尾野真千子が演じる妻の存在感が圧倒的である。 今では飛ぶ鳥を落とすような尾野真千子さんであるが、ブレークの原点は朝ドラの「カーネーション」でしたね。このドラマの岸和田弁で、ツイッターの糸子botが毎朝「起きりー! 朝やでぇ!」と怒鳴っているので・・・・大使も、それに負けないように怒鳴りかえしているのです♪ということで、尾野真千子あれこれを集めてみました。・夏目漱石の妻(2016年)・きみはいい子(2015年)・夫婦善哉(2013年)・そして父になる(2013年)・カーネーション(2012年)・トロッコ(2010年)【夏目漱石の妻】NHK土曜ドラマ、2016年放映<最終回「たたかう夫婦」予告>より最近夏目金之助(漱石:長谷川博己)が女流作家の大塚楠緒子(壇蜜)と親しくしていると知った鏡子(尾野真千子)は、気分が穏やかでなかった。そんなある日、夏目家に親しく出入りしていた足尾銅山の元坑夫・荒井(満島真之介)が、鏡子のいとこの山田房子(黒島結菜)から借金したまま姿を消す。房子と荒井の行方を捜す鏡子。一方その頃から小説の執筆で忙しくなった金之助は、持病の胃の病の療養のために静岡の修善寺に行くが…。<大使寸評>漱石の神経質な演技が、演技過剰ではないかと思えるほどの熱演であるが・・・鏡子(尾野真千子)の演技が、漱石に負けず図太い演技で、より印象深いのである。あの偏屈な漱石さんが「歯茎を見せて笑う女」として意識したそうだが・・・尾野真千子の演技がええでぇ♪nhk「夏目漱石の妻」HP『夏目漱石の妻』byドングリ【きみはいい子】呉美保監督、2015年、H28.1.1観賞<Movie Walker映画解説>より中脇初枝の同名小説を原作に「そこのみにて光輝く」の呉美保監督が映画化した群像劇。とある町に暮らし、様々な悩みや問題を抱えて生きる人々が人と人とのつながりに光を見いだし、小さな一歩を踏み出すさまを映し出す。出演は「横道世之介」の高良健吾、「そして父になる」の尾野真千子、「そこのみにて光輝く」の池脇千鶴、高橋和也、「盗まれた欲情」の喜多道枝、「ドライブイン蒲生」の黒川芽以、「おおかみこどもの雨と雪」の加部亜門、「もらとりあむタマ子」の富田靖子。<大使寸評>親のストレスを子供にぶつけようとする母(尾野真千子)の形相が、こわ~い。また、学校の先生に、精神疾患が増えているそうだが、わかるような気がします。それにしても小学生を演じる子役たちの自然な演技が、憎らしくなるほど上手いのだ。Movie Walkerきみはいい子【夫婦善哉】NHK土曜ドラマ、2013年放映<ストーリー>より大正から昭和へ、大阪が日本一華やかだった時代。その街の片隅で、居場所を失い、自らが招いたのか何一つ報われない男と女―――柳吉と蝶子、あほな二人が繰り広げる究極のラブストーリー。陽気で、迂闊で、一途な あほな女が、不甲斐ない、身勝手な、やさぐれた あほな男と、恋に落ち、何度も裏切られ、何度も傷ついて、でも、また惚れて・・・切っても切れない腐れ縁河童横丁、梅田新道、曽根崎新地、法善寺横丁―――華やかなりし大阪の歓楽街の片隅で、ヤトナ、関東煮屋、カフェー、化粧品問屋と、さまざまな職を転々と、やがて二人は、新天地・別府へ!<大使寸評>追って記入nhk「夫婦善哉」HP【そして父になる】是枝裕和監督 2013年制作<Movie Walker作品情報>より6年間愛情を注ぎ、育ててきたわが子が、もし他人の子だったら? 突然、過酷な現実にさらされた2組の夫婦の姿を映し出すヒューマンドラマ。『誰も知らない』の是枝裕和監督が、福山雅治を主演に迎えた深遠なドラマは、第66回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品されるや、審査員賞に輝いた。<観る前の大使寸評>ドキュメンタリーを意識した監督が、ライフワークのように描くテーマ、家族とはどんなかな?・・・近日中に観に行く予定です。Movie Walkerそして父になるそして父になる・公式サイトさようなら「カーネーション」より朝ドラ「カーネーション」が終わったけど・・・carnation_bot(ツイッター管理者)からていねいな挨拶がありました。岸和田弁を広め、元気を与えてくれたbotに拍手♪@carnation_bot: 〈管理者より〉ついに連続テレビ小説カーネーションが最終回を迎えました。今までこのbotを楽しんでくださったフォロワー(それ以外も)の方々には心から感謝いたします、ありがとうございました。放送が終わったら絶対にお礼を伝えたいと思い、このアカウントからご挨拶させて頂きます。(続)1 私事ですが、自分は関西の人間でありながら岸和田言葉に関しては自信のないことが多く、皆さんにご指摘やお知恵をもらい助けても頂きました。また、個人的に管理に時間をさき難い時期なども、数多くの温かいメッセージに後押しされ、更新の大きな遅れもなく半年を終える事ができました。(続)2ドラマは終わり、更新がなくなり、管理上大きく手を加えることはなくなりますが、今後もアカウントはそのままで、botの発言も続けます。(本家からの苦情等がない限りw)そしてbot宛の質問やメッセージ等へのお返事も、時間はあいてしまうでしょうが、これまで通り行うつもりです。(続)3 最後に。このツイートが届くことがあるかどうかわかりませんが、ドラマ出演者の方々、スタッフの皆様、そして渡辺あやさん、そしてそして3人の糸ちゃん、素敵な素敵な半年間をありがとうございました。本当にお疲れ様でした。このbotを管理できたこと、幸せでした。(続)4【トロッコ】川口浩史監督、2010年制作<goo映画解説>より父を亡くした年の夏、敦(あつし)と凱(とき)の兄弟は母に連れられて、初めて父の故郷である台湾の小さな村を訪れ、祖父母に温かく迎えられる。敦は亡き父が大切にしていた古い写真にトロッコと写る少年が遥か昔の幼い祖父の姿だと知る。山林を走るトロッコに乗れば日本へ行けると信じていたと懐かしそうに語る祖父。ある日、母に置き去りにされるのではないかと不安を募らせた敦は凱を連れてトロッコに乗り込む。<大使寸評>台湾の景色のすばらしさが、よく表れています。ところで、この映画に母親役で尾野真千子が演じていたことを、最近になって知ったのです。movie.walkerトロッコ映画『トロッコ』予告編
2022.09.11
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<">NHK 「難民 命を救う闘い」>NHK映像の世紀「難民 命を救う闘い」の再放送を観たのだが、素晴らしい報道でおました。NHK 「難民 命を救う闘い」より世界の難民・避難民はついに1億人を超えた。100年前、初の難民高等弁務官に就任したのは不屈の精神を評価された冒険家フリチョフ・ナンセン。だが、それは難民救済に消極的な国際社会との闘いの始まりだった。スペイン内戦で難民を撮り続けたロバート・キャパ、ベトナム戦争の難民の実態を世界に知らしめた沢田教一、そして日本人初の難民高等弁務官となった緒方貞子、人類の終わりなき課題と格闘を続けた者たちの物語である。緒方さんの勇ましい写真です。ユーゴの写真かな?緒方貞子―難民支援の現場から 2003.08.26受け継がれる緒方貞子の志と、「人間の安全保障」の今
2022.09.02
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アナログ老人は新聞記事のスクラップに勤しむのですが・・・映画字幕翻訳の達人・戸田奈津子さんのオピニョンをスクラップしていたので紹介します。朝日新聞の(リレーおぴにょん:声を感じて13)というスクラップ記事ですが。 <感情 俳優の声の中に> 私は映画好きの子どもで、よく映画館に通っていました。初めて聞き取れた英語のセリフは「サンキュー」。うれしかったですね。 字幕の文字数はセリフ1秒あたり3、4文字以内です。レイアウトは1行あたり13文字で、2行が限界。それが字幕翻訳の原則です。 人間が一瞬で楽に読める字数には限りがあるから。読みきれなければ、状況が分かれないまま場面が変わってしまいます。 外国映画がこれほど多く字幕で公開されてきた国は珍しいと思います。外国語の映画は字幕でなく吹き替えで観るのが世界の主流だったのです。 なぜ日本では字幕が広がっているか。識字率の高さが背景の一つでしょうが、最大のポイントは「声」だと私は思います。吹き替え役の声優の声でなく俳優本人の声を聞きたいという願望。つまり本物志向です。ハリソン・フォードやロバート・デニ^ロの声を聞きたいという気持ちがあるのです。 来日した海外の俳優から「私の声優に会いたい」と言われることがあります。自分の声は、日本では声優の声に置き換えられていると思っているからです。字幕で鑑賞されていると伝えると横ばれます。苦労して演技した自分の声、その声に託した感情が観客に届いていると分かるからです。 英語の台本と音声つきの映像が渡されて、私の作業は始まります。台本のセリフを日本語に置き換えるとき、私は必ず、映画の音声を聞きながら訳します。声を聞かないと語り手の感情が分からないからです。字幕のわずかな情報量から観客が豊かな物語を感じ取れるのは、俳優の声が感情を伝えているためです。いま若者は字幕より吹き替えを好むようですが、私は俳優本人の声を聞きたいなと思います。 映画「ソフィーの選択」で、メリル・ストリープは、アウシュビッツ強制収容所から生還したあと米国に移住したポーランド女性を演じました。 ポーランド出身者がドイツ語なまりのたどたどしい英語をしゃべる様子を彼女は完璧に表現していました。声の中に主人公の一生があった。それは字幕翻訳にも吹き替えにも置き換えられないものです。お手上げでした。うん 字幕翻訳と吹き替えのどちらかが選べる映画は、字幕翻訳に決めているのでおます。ところで、戸田奈津子「潮時だと思って」86歳で通訳引退とのことで・・・お疲れさまでした。
2022.07.20
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『ドライブ・マイ・カー』が公開中なので・・・久々に映画館に出かけたのです♪ともに心に傷を持つ家福(かふく)と、ヒロインのみさきが徐々に交流を深めていく様がゆるやかなタッチで続くのだが・・・3時間も続くとお尻が痛くなってくるわけです。・・・というわけで、この映画をくだんのフォームで紹介します。【ドライブ・マイ・カー】濱口竜介監督、2021年制作、2022.4.01観賞<Movie Walker映画解説>より村上春樹が2013年に発表した短篇小説に、カンヌ・ヴェネチア・ベルリンをはじめ国際映画祭で高い評価を得た濱口竜介が挑む意欲作。舞台俳優の主人公・家福(かふく)に西島秀俊、ヒロインのみさき役に三浦透子を迎え、愛と喪失、希望の物語が紡がれる。濱口竜介は東京藝術大学大学院映像研究科で黒沢清に師事し、修了制作作品「PASSION」が2008年・第56回サンセバスチャン国際映画祭で注目を浴びた。その後、「ハッピーアワー」が2015年・第68回ロカルノ国際映画祭最優秀女優賞を受賞。2018年の商業映画デビュー作「寝ても覚めても」はカンヌ国際映画祭コンペティション部門に正式出品。さらに2020年、脚本を担当した黒沢清監督「スパイの妻<劇場版>」がヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞(監督賞)に輝く。また、公開を控える監督作「偶然と想像」は2021年・第71回ベルリン国際映画祭銀獅子賞(審査員グランプリ)を受賞するなど、いま世界中から注目を集めている逸材だ。ヒロインの三浦透子は「ロマンスドール」「おらおらでひとりいぐも」の演技に加えて、「天気の子」の主題歌を歌ったことで人気急上昇中の女優・アーティスト。本作では、主人公の愛車を運転する、寡黙でありながら芯のあるドライバーみさきを演じている。<大使寸評>ともに心に傷を持つ家福(かふく)と、ヒロインの岬が徐々に交流を深めていく様がゆるやかなタッチで続くのだが・・・3時間も続くとお尻が痛くなってくるわけです。Movie Walkerドライブ・マイ・カーところで、この『ドライブ・マイ・カー』という短篇小説の原作者は村上春樹ということだが・・・この小説を入れた短編集『女のいない男たち』という短編集を図書館に借りていたのです。5年前のことだから『ドライブ・マイ・カー』という映画は、まだ企画さえなかったのではなかろうか。【女のいない男たち】村上春樹著、文藝春秋、2014年刊<「BOOK」データベース>より絡み合い、響き合う6編の物語。村上春樹、9年ぶりの短編小説世界。【目次】ドライブ・マイ・カー/イエスタデイ/独立器官/シェエラザード/木野/女のいない男たち<読む前の大使寸評>村上春樹の短編小説集ってか・・・『1Q84』ブームの後に、こんな本が出ていたとは、春樹ファンを自認している大使としては不覚であった。rakuten女のいない男たち『女のいない男たち』2
2022.04.07
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<NHKの映画特集>このところ有人宇宙飛行に関する本を読んでいたのですが、NHKがタイムリーにも『ドリーム』を放映してくれたのです。そして、翌日には『チョコレートドーナツ』を。・・・NHKの映画特集だったのです。【ドリーム】セオドア・メルフィ監督、2017年、アメリカ制作、2022.3.13観賞<Movie Walkerストーリー>よりまだ人種差別が色濃く残っていた当時、NASAには黒人技術者の前例がなかった。それどころか、技術者養成プログラムは白人専用の学校でしか行われていなかった。その上、黒人に対する差別に敏感なメアリーの夫も、女性が技術者になるのは無理だと言う。しかし、メアリーは諦めなかった。訪れた裁判所で「肌の色は変えられません。だから前例になるしかないのです。判事のお力が必要です。今日処理する案件で、100年後も意義があるのは?あなたが前例になれるのは?」と、判事に既存のルールに縛られず、前例となることの意義を訴える。1961年、ソ連との熾烈な宇宙開発競争を繰り広げるNASAのラングレー研究所には、ロケット打ち上げに必要不可欠な“計算”を行うために、優秀な頭脳を持つ黒人女性のグループがあった。キャサリン、ドロシー、メアリーは、優秀であるにもかかわらず“黒人だから”“女性だから”という理不尽な差別よって、仕事上で壁に直面する。<大使寸評>有人宇宙飛行の開発競争もさることながら、当時のNASAにおける黒人差別はすさまじかった。でも、優秀な黒人女性のグループが、仕事上の壁を打破してゆく様がええでぇ♪Movie Walkerドリーム翌日に放映された『チョコレートドーナツ』を見てみましょう。【チョコレートドーナツ】トラヴィス・ファイン監督、2012年、アメリカ制作、2022.3.14観賞<Movie Walkerストーリー>より1970年代の実話を基に、育児放棄されたダウン症の少年を育てたゲイのカップルの姿を描くヒューマンドラマ。出演は、ドラマ『グッドワイフ』のアラン・カミング、「ノーカントリー」のギャレット・ディラハント。監督は、本作が日本公開初作品となるトラヴィス・ファイン。第11回トライベッカ映画祭観客賞他受賞多数。1979年、カリフォルニア。ゲイであることを隠しながら生きる弁護士のポール(ギャレット・ディラハント)と、シンガーを夢見ながらショーダンサーとして働いているルディ(アラン・カミング)が出会う。2人はすぐ惹かれ合い、恋に落ちた。ルディが暮らすアパートの隣に、ダウン症の子ども・マルコ(アイザック・レイヴァ)と薬物依存症の母親が住んでいた。ある夜、マルコの母親は大音量の音楽をかけたまま男といなくなってしまう。翌朝、ルディが騒音を注意しに隣に乗り込むと、小さくうずくまって母親の帰りを待つマルコがいた。ルディは助言を求めてポールが働く検事局に行くが、ポールは家庭局に連絡してマルコを施設に預けろと言い捨てる。失望したルディがアパートに戻ると、マルコの母親は薬物所持で逮捕され、マルコはお気に入りの人形アシュリーを抱いたまま、強制的に施設に連れて行かれる。翌日、ポールはルディに昨日の言葉を詫びる。<大使寸評>ゲイのカップルがダウン症のマルコを育てるというお話であるが・・・シンガーを夢見るルディの歌がいいし、弁護士のポールの正義感がええでぇ♪Movie Walkerチョコレートドーナツ今ではLGBTに理解のある社会になったけど、映画に描かれた1970年代当時はひどかったようですね。多様な性について考えよう!より■LGBTであることを告白することカミングアウトとは、Coming out=“coming out of the closet”のことです。社会の差別・偏見や周囲の無理解から自分のセクシュアリティを隠さざるを得ない状態を「クローゼットに押し込まれている状態」にたとえ、そこから出て、陽のあたる場所に自分を置く決意をいいます。カミングアウトは、自分のセクシュアリティを受け入れ、肯定する過程でもあり、自分らしく生きていくための手段の一つです。しかし、カミングアウトするかどうかや、いつ、誰に、どのように伝えるかは、当事者本人が決めることであり、周囲の人が、カミングアウトを強要するようなことは、決してあってはなりません。
2022.03.14
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<クリント・イーストウッド監督作品集R1> 昨日、大学図書館で「アウトロー」を観たのだが、大使好みの映画でした。「グラントリノ」にも似たテイストの映画というか、「グラントリノ」の原点のような映画なんでしょう。とにかく歳を経ても基本がぶれないのがいいではないですか。監督としても秀逸なクリント・イーストウッド・・・・長生きしてくれよな~。これまでに観たクリント・イーストウッド監督作品を集めてみます。私がベスト3を選ぶなら、1:グラン・トリノ、2:硫黄島からの手紙、3:アウトローあたりになります。【R1:クライ・マッチョを追加】***********************************************************・クライ・マッチョ(2021年)・アメリカン・ スナイパー(2014年)・ジャージー・ボーイズ(2014年)・人生の特等席(2012年)・ヒヤアフター(2010年)・小林信彦の「ヒアアフター」評・グラン・トリノ (2008年)・父親たちの星条旗 (2006年) ・硫黄島からの手紙 (2006年) ・ミリオンダラー・ベイビー (2004年)・ミスティック・リバー (2003年) ・スペース・カウボーイ (2000年) ・パーフェクト・ワールド(1993年)・アウトロー(1976年)・イーストウッド監督のことば1,2・監督プロフィール・クリント・イーストウッド監督作品・このあと観たい作品wikipediaクリント・イーストウッド【クライ・マッチョ】クリント・イーストウッド主演・製作、2021年、米制作、2022.01.17鑑賞<Movie Walker映画解説>よりかつてのロデオスター、マイクは落馬事故以来、苦難続きの孤独な日々を送っていた。ある日、マイクは恩義のある元雇い主から、元妻が引き取った息子のラフォをメキシコから連れ戻すという誘拐まがいの依頼を引き受ける。母に愛想を尽かし、闘鶏用のニワトリと路上で暮らしていたラフォはマイクと共に米国境への旅へ出発。メキシコ警察や母の放った追手などの試練が迫るなか、2人は人生の岐路に立たされる。<大使寸評>メキシコとの国境に沿った沙漠のシーンといい、馬やニワトリ(マッチョ)などの動物シーンには大使のツボが疼くのです。それから猛々しいラフォの母親とのかけ引きとか、メキシコ警察陣や盗んだ車のオンボロ具合など・・・見どころも多いのがええでぇ♪公式ホームページMovie Walkerクライ・マッチョ【アメリカン・ スナイパー】2015/01/26映画「アメリカン・ スナイパー」のヒットと反イスラム感情より 週末の北米映画興行収入ランキングは、ブラッドリー・クーパー主演の戦争ドラマ「アメリカン・ スナイパー」が6440万ドル(約75億7000万円)と、2週連続で首位を飾った。北米での累計興行収入は2億ドルを超え、クリント・イーストウッド監督作品の興行収入記録を塗り替えた。 イラク戦争で活躍した米海軍特殊部隊(ネイビー・シールズ)の狙撃手クリス・カイルの半生を描いたワーナー・ブラザースの「アメリカン・スナイパー」は、作品賞を含むアカデミー賞6部門にノミネートされている。 監督のクリント・イーストウッド(84)は、イラク戦争には反対の立場だが、この映画には政治的な意味はないと発言しているといわれる。しかしこの映画は、最近の中東、イスラム情勢の緊張を反映して、米国内では、反イスラム、そして、イラクなどの中東諸国の多数を占めるアラブ人への反感をあおるきっかけになりつつあると報道された。 イランの国営メディア、プレスTVによると、映画「アメリカン・スナイパー」の一般公開が始まったことで、アメリカではイスラム教徒に対する嫌がらせが急増し、反イスラム感情が高まっており、アメリカ・アラブ反差別委員会の報告によると、この映画が一般公開されてから、この委員会やイスラム教徒に対する脅迫が3倍に増えたという。 この委員会はまた、「これらの脅迫の捜査のため、FBI・アメリカ連邦捜査局と協力する」と述べた。さらに、この映画の監督を務めたクリント・イーストウッド氏と、主役を演じたブラッドリー・クーパー氏に書簡を送り、立場や見解を表明し、イスラム教徒に対するこの映画の悪影響や過敏な反応を緩和するよう求めている。 日本での公開は2015年2月の予定。 【ジャージー・ボーイズ】大使は原則として、アップル製品は買わないこと、ハリウッド映画は見ないことにしているのだが・・・リドリー・スコットとイーストウッドの作品だけは別扱いで、これらはわりとフォローしているのです。で、イーストウッドの最新作の『ジャージー・ボーイズ』が気になるのです。(9/27より全国公開中とのこと)以上、個人的な予告編を書いていたが・・・気持ちがはやるわけで、結局、今日観てきたわけです。【ジャージー・ボーイズ】クリント・イーストウッド監督、2014年、米制作、2014年10月1日鑑賞<Movie Walker映画解説>より60年代に数々のヒットを生んだ4人組グループ、ザ・フォー・シーズンズの栄光と挫折を描きトニー賞に輝く大ヒットミュージカルを、クリント・イーストウッド監督が映画化した人間ドラマ。ニュージャージー州の貧しい地区で育った青年たちが体験する出来事の数々を、大ヒットナンバーに乗せて描き出す。<観る前の大使寸評>ハリウッド映画をボイコット中の大使であるが、クリント・イーストウッド監督の作品とあれば、観るしかないか♪それに、60年代オールディーズが聴けるのも・・・ええでぇ♪<鑑賞後の大使寸評>大使が知っていたメロディーはシェリーともう1曲だけでした。でも劇中に流れる60年代ポップスがええでぇ♪田舎町でクラブバンド兼アルバイトでしのぐしがないグループでも夢は大きいのです。なにより、歌に妥協をゆるさない本物志向がいいですね。御歳84歳ならば、普通はもうちょっと枯れた映画になると思うのだが・・・イーストウッド監督のどこに、こんな荒々しい若者感覚があるのか不思議に思うほどです。(合計5人の女性との間に7人の子供がいるとされるようで、女好きなところが活力の素なのかも・・・うらやましい限りです)イーストウッド監督自身、クラブでピアノを演奏した経験もあるとのことで、この作品を造るうえで、音楽的センスは申し分ないようです。Movie Walkerジャージー・ボーイズ『ジャージー・ボーイズ』オフィシャルサイト【人生の特等席】4年ぶりの俳優復帰作が11月23日より全国公開されるそうです。(注)この映画は監督作品ではないけど、最新情報ということでエントリーしておきます。8/29イーストウッド、4年ぶりの俳優復帰作が日本公開決定!老スカウトの悲哀を描いた『人生の特等席』より [シネマトゥデイ映画ニュース] 実質的な俳優引退を宣言していたクリント・イーストウッドの復帰作『人生の特等席』が、11月23日より全国公開されることが明らかになった。現在82歳のイーストウッドの俳優出演は、2008年の映画『グラン・トリノ』以来4年ぶり、自身の監督作以外では1993 年の映画『ザ・シークレット・サービス』以来、実に19年ぶりとなる。 映画『グラン・トリノ』を監督・主演したイーストウッドは「もう積極的に役は探さない」とインタビューで語り、実質的な俳優引退を宣言。その言葉の通り、監督として『インビクタス/負けざる者たち』『ヒア アフター』『J・エドガー』を制作したイーストウッドだが、この4年間、俳優活動を行うことはなかった。 だが、本作では1995年の映画『マディソン郡の橋』以来、17年にわたってイーストウッドから映画作りを学んだ、まな弟子のロバート・ロレンツが監督を務めるということで、スクリーン復帰を快諾。これが最後になるかもしれない出演作で、映画に生涯をささげてきたイーストウッドが演じるのは、野球に生涯をささげてきた男だ。 主人公・ガスは、老化で視力が弱まってきている今、衰えをごまかしきれない大リーグの伝説的なスカウト。それでも引退するつもりのないガスに周囲の目は冷たいが、ひょんなことから娘のミッキーが、ガスの目となるため、スカウトに同行することに。決して仲が良いとはいえない父娘が何年かぶりに時を共にするうちに、お互いを見つめ直すという上質なヒューマンドラマとなっている。【ヒアアフター】クリント・イーストウッド監督、2010年制作、H24.5.9観賞<大使寸評>クリント・イーストウッド監督の最新作ということで観たのだが・・・・とにかく冒頭の津波の場面がリアルである。(津波の場面があったので、東日本大震災のあと公開中止になったとか?) 米英には、わりと霊能者テーマの作品が多いようだが、ご贔屓にしていたシャーリー・マクレーンが神掛かってしまい、いたく幻滅したように・・・・クリント・イーストウッド監督作品であっても、霊能者テーマにはもうひとつのりきれない大使である。goo映画ヒアアフター<小林信彦の「ヒアアフター」評>週刊文春に小林信彦がエッセイを連載しているが、映画評が面白いのです。特にアメリカ映画に対する膨大な薀蓄がすごいのだが、彼の好みに頷くこともあるが、そうでないことも多い。だいたいこの人は戦中派なんで、映画評のターゲットがやや古く、ついていけないのだ。小林信彦の「気になる日本語」というエッセイ本のなかで、2009年度洋画のベスト1として「グラン・トリノ」を挙げていた。おお イーストウッドが好きなのか、大使の好みと同じではないか♪このエッセイ本より、イーストウッド監督の「ヒアアフター」を紹介します。<暗い時代のイーストウッドの最新作>p244~248 あいかわらず机に向かっている。小説はもうすぐ完成する予定だが・・・。 しかし、これがわからない。電車のプラットフォームから落ちて・・・ということがないとはいえない。ラジオを聞いていると、東京ではおびただしい人身事故がおこっている。 人間ドックでは、この1年で、体重が1キロ増えたと注意された。なるべく歩くようにしなければならない。 気が弱くなる日は、もう充分生きた、という気がする。友人たちは病いの床にあるか、亡くなっている。特に2010年は、友人知己がバタバタと倒れた。 政治のニュースを聞くと、これはもう、どうしようもない。タクシーの運転手さでさえ、「小沢一郎さんはどうなりますか」と訊く。1年前にはなかったことだ。 「検察がデキる人間を働かさないようにしている」 私は答える。鈴木宗男も収監された。日本はに占拠され、今のところ、光はまったくない。 戦後の65年を見てきたぼくは、最悪の時代に突入したと思っている。 検察と政治家が悪いだけではない。ダマされる国民がもっとも悪い、とぼくは気づいていた。 すべてが、ユルんでいる。 例―NHKの「龍馬伝」の最終回を観た。龍馬の暗殺には諸説があるが、このドラマでは犯人設定がどうなっているか、興味があったからである。11月28日夜の放送を観た方は呆れたに違いない。1時間に200件もの苦情が局に寄せられたという。 龍馬が暗殺者の奇妙な気配に気づいた瞬間、福山雅治(龍馬)の顔のアップにこういう文字が重なる。―このテロップが26秒出た。 故トリュフォー監督が日本にきた時、テレビで映画を観ていて、そこに何かのテロップが出て、怒り狂ったという話を読んだことがある。 愛知県知事選のテロップを26秒も出すことはないのである。ドラマを作った人たちの側に立てば、このドラマの真のクライマックスはここにあるのだ。テロップは、少しあとで出せばいいのである。 ドラマなどどうでもいいというユルみ―これはNHKに限らず、民放各局にもあるが、11月28日夜のNHKはひどかった。しかも、ドラマのあとに詫び一つないのである。国民は改めて受信料を問題にするべきだ。 外出をしないので目方が増えるのだが、12月3日の夜にパーティがあるので、その前に、クリント・イーストウッド監督の「ヒアアフター(Hereafter)」の試写を見せていただいた。映画を観に出かけるのは7月以来である。 宣伝関係の人が「いつものイーストウッドとちがうので・・・」と困ったように言う。ぼくはストーリーを知らないが、漠然とした紹介文を読んでいたので、そうですか、と言って試写室に入った。 映画はスピルバーグ製作総指揮らしく、すさまじい津波で始まる。場所はタイということになっているが、ロケ地はハワイのマウイ島だ。津波が海岸近くの町まで押し寄せ、人々や自動車を呑みこんでしまう。恋人と休みにきていたパリのテレビ局のキャスターのマリー(セシル・ドウ・フランス)は水の中で奇妙な光景を見る。呼吸停止状態になった彼女は、やがて回復するが、そのを忘れられない。パリのスタジオに戻った彼女は仕事が困難になり、臨死体験を本にまとめようとする。 サンフランシスコ かつては霊能者として活躍していたジョージ(マット・デーモン)は、あの世の人々との対話に疲れ、工場で働いている。人生を変えようとして、夜はイタリア料理の教室に通い始め、そこでメラニーという女性と知り合うが、メラニーのお過去が見えてしまったため、二人は会えなくなっる。メラニーにともなうは、以後、説明がなく、彼女は消えてしまう。 ロンドン 双子の兄と母親と暮らす少年マーカスは、突然の事故で兄を亡くす。問題のある母親と引き離され、里親にあずけられたマーカスは、もう一度、兄に会いたいと思い、たちを訪ね歩くが、いずれもインチキである。インターネットをチェックするうちに、マーカスはジョージの古いウェブサイトにぶつかる。 本を書き上げたマリーは、ロンドンのブックフェアに参加し、自分の本を説明する。ジョージは思いきってロンドンに渡り、大好きなディケンズ(伏線あり)の博物館を訪ねる。 こうして、パリ、サンフランシスコ、ロンドンの三つの生がロンドンに集まり・・・という成り行きで、これからあとは書くのをやめよう。 霊能者が出てくるのはイーストウッドらしくない、というのはどうだろうか。「荒野のストレンジャー」や「ペイルライダー」の主人公は亡霊であり、「チェンジリング」のヒロインもまたではなかった。 5月に80歳になったイーストウッドが、、またはを考えるのは当然であり、そこに持ち込まれていたのがこの脚本と考えれば、映画の方向はきわめてわかり易いが、そうだろうか?をと訳すと、別な意味が生じるが、この題名はと考えていいのではないか。 きわめてイーストウッドらしいショットと感じたのは、少年マーカスが地下鉄のチャリングクロス駅のホームで落とした帽子をなかなかひろえず、電車に乗りそこなう。数秒後にトンネルの中で電車が爆発し、煙が吹き出してくる。 この成り行きにも意味があるのだが、よく考えるとおそろしい。監督第一作「」以来、ヒッチコックが興味を持つようなテーマとイースットウッドがすれちがってきたことを、ぼくたちは了解していたはずだ。このように小林信彦は「ヒアアフター」評価しているが、霊能者テーマにはもうひとつのりきれない大使である。【グラン・トリノ】クリント・イーストウッド監督・主演、2008年制作、2009年観賞<大使寸評>朝鮮戦争の英雄でもあるコワルスキーは子育てに失敗しているような有様で、つれあいを失ったあとは生活が崩壊しかかるが・・・・隣屋のモン族の一家の優しさに、徐々にその偏見が溶けていくのです♪一家の息子の意気地なさに業を煮やしたコワルスキーが、建設会社への就職前に男としての特訓を行うのだが・・・・・なに 建設会社のオーナーの気を惹く態度、ため口の特訓なのだが、笑ってしまいます。寅さんのため口をもっと柄を悪くしたようなもので、このへんのセンスは日本人の不得意とするもので・・・・・それは見てのお楽しみ♪その隣屋が、チャイナマフィアのようなごろつき連中から機関銃の掃射を受けるや・・・・・行き着けの散髪屋で髪をととのえ風呂にまで入り(つまり死に装束を調えて)、丸腰で出かけるが・・・・連中を死出の道連れにしてして一掃するところが、過激な老人の面目躍如というところです。連隊記念のライターを握り締めて、こときれるところなんか・・・泣けるぜ。goo映画グラン・トリノグラントリノbyドングリ【父親たちの星条旗】クリント・イーストウッド監督、2006年制作、2007年観賞<大使寸評>むかし「硫黄島の砂」という戦意高揚プロパガンダのような映画を観た記憶がかすかにあるのですが・・・・この「父親たちの星条旗」はプロパガンダそのものを描いた映画でもあり、ストレートな反戦ではないかも知れないが、戦意高揚とは相容れない映画なんですね。硫黄島の戦いは、国単位で争った地上戦としては最も過酷なものだったかもしれないが・・・この壮大な喪失を描く映画で、何か語るとしたらやはりイーストウッド監督のことばになるのでしょう。事実を風化することなく記憶することが、双方の死者に対する最善の弔意になるのかもしれませんね。goo映画父親たちの星条旗【硫黄島からの手紙】クリント・イーストウッド監督、2006年制作、2007年観賞<大使寸評>せりふは全て日本語であり、役者は全て日本人だし・・・見終わったあと、これはアメリカ人監督の作った映画だったんだとあらためて思った。確かな考証があり、日本人が見ても違和感のない“日本映画”であったと思うが・・・・まず感慨を覚えるのはこのような“日本映画”を作ったアメリカ人とは?監督とは、脚本家とはどんな人なのか?ということです。goo映画硫黄島からの手紙渡辺謙さんの【硫黄島からの手紙】プレミア舞台挨拶僕はこの映画は日本映画だと言い続けています。僕たちが忘れ去ろうとしていた日本の歴史を、クリント・イーストウッドというアメリカの監督が撮ってくれる、そのように思っていました。素晴らしい理解をクリントは示してくれました。本当に僕たちの先輩たちの無念を、そして彼らが受けた辛い思いをしっかりと受け止めて、この映画に残してくれました。この映画に参加できて心から誇りに思っています。皆さん、僕たちが少しでも感じた硫黄島の苦しみや哀しみ、そして少しだけの喜びを今日一緒に体験してください。そして、僕らが忘れ去ろうとしていた日本の歴史を思い直すきっかけにこの映画がなれば、本当に僕らは幸せです。ありがとうございました。【ミリオンダラー・ベイビー】クリント・イーストウッド監督・主演、2004年制作、H24.1.27観賞<解説>より「自分を守れ」が信条の老トレーナー、フランキーは、23年来の付き合いとなる雑用係のスクラップと、昔ながらのジム、ヒット・ピットでボクサーを育成している。有望株のウィリーは、教え子を大事に思う余りタイトル戦を先延ばしにするフランキーにしびれを切らし、別のマネージャーの下へと去ってゆく。そんな折、フランキーの前に現れた女性ボクサー、マギー。マギーはフランキーの指導を乞うが、昔気質のフランキーは女のボクサーを認めようとしない。<大使寸評>マッチョだけど弱い者の味方という(桃太郎のような)イーストウッドの基本を押さえた作品です。終わり方が静かすぎるのはやや拍子ぬけという感もあるが、これがいいのかも知れません。goo映画ミリオンダラー・ベイビーミリオンダラー・ベイビーbyドングリ【ミスティック・リバー 】クリント・イーストウッド監督、2003年制作、2004年観賞<解説>よりボストンの貧困地区。路上ではジミー、デイブ、ショーンの3人組がボール遊びに興じていた。ボールが排水溝に落ちたとき、不審な車が少年たちの傍に停まる。警官を名乗る2人連れは、3人の内からデイブだけを車に乗せ、静かに走り去った。数日後、デイブは暴行を受け、無残な姿で発見される。それから25年・・・<大使寸評>重い題材なので、私好みではないのです。goo映画ミスティック・リバー【スペース・カウボーイ】クリント・イーストウッド監督・出演、2000年制作、2001年観賞<解説>よりロシアの宇宙衛星が事故を起こし、これを修理できるのは、伝説のパイロット・チーム“ダイダロス”の一員だったフランクしかいないことが判明する。フランクはかつての仲間たちと宇宙へ飛び出すことを条件に、ミッションを引き受ける。40年前宇宙へ飛び出す機会を、こともあろうにチンパンジーにさらわれた4人のパイロットたち。その夢をついに実現させる勇気と誇りの物語。<大使寸評>この映画の記憶が薄れています。goo映画スペース・カウボーイ【パーフェクト・ワールド】クリント・イーストウッド監督・主演、1993年制作、1994年観賞<解説>より脱獄犯と人質の少年との交流、そして男を追う警察署長の苦悩を描いた犯罪ドラマ。「ボディガード(1992)」のケヴィン・コスナーが主演し、「ザ・シークレット・サービス」のクリント・イーストウッドが監督・出演と、二大スターの初顔合わせが話題を呼んだ。<大使寸評>ケヴィン・コスナーがいい味出てます。この二大スターには多民族の血が混じっているところが似ています。goo映画パーフェクト・ワールド【アウトロー】クリント・イーストウッド監督・主演、1976年制作、H24.6.13観賞<解説>より南北戦争も終わろうとしていた1860年代なかば。ミズリーの丘を越えてやってきたカンサス・レッドレッグ(北軍秘密軍事組織)の一隊が、罪もない農夫ジョージー・ウェールズ(クリント・イーストウッド)の妻と息子を殺し、リーダーのテリル大尉(ビル・マッキニー)の剣で重傷を負ったジョージーを残して立ち去った・・・・南北戦争時代。北軍に妻子を殺された男の復讐の旅を描く。製作はロバート・デイリー、監督は「アイガー・サンクション」のクリント・イーストウッド、脚本はフィリップ・カウフマンとソニア・チャーナス。<大使寸評>「グラントリノ」にも見られたイーストウッド監督・主演のプリンシプルが、ここにも見られました。。つまり、マイノリティに寄り添い、単身でも暴力集団に立ち向かう基本が1976年の作品にすでに貫かれています。インディアンとの交流は「ダンス・ウィズ・ウルブス」を、暴力集団との攻防は「7人の侍」を彷彿とします。とにかく、インディアンをまともに描いた西部劇という点では、「ダンス・ウィズ・ウルブス」と双璧ではないでしょうか♪(そんなにたくさん西部劇を観たわけではないが)goo映画アウトロー■イーストウッド監督のことば1私が観て育った戦争映画の多くは、どちらが正義で、どちらが悪だと描いていました。しかし、人生も戦争も、そういうものではないのです。私の2本の映画も勝ち負けを描いたものではありません。戦争が人間に与える影響、ほんとうならもっと生きられたであろう人々に与えた影響を描いています。どちらの側であっても、戦争で命を落とした人々は敬意を受けるに余りある存在です。■イーストウッド監督のことば2クリント・イーストウッドの手紙より確かに両サイドから描いていますが、アメリカ側からの視点は戦闘場面だけではありません。硫黄島はアメリカ海兵隊にとって最大の激戦地でした。でも私が描いているのはあの島で戦った兵士たちが帰還後、どのような人生を歩んだが、戦争のために彼らの人生がどのように変わったかを描くことが主眼です。硫黄島の経験がネガティブに働いた人もいるし、まあまあの人生を歩んだ人もいますが、特にクローズアップしたのは擂鉢山に星条旗を掲げて生還した3人です。彼らはとても有名になり祖国に戻って国債を集めるために政府に利用されたのです。国債を売って戦争費を集めるために利用されたのです。ですから彼らにとってこの戦争は個人的な影響が大きかったのです。心の葛藤さえも与え、戦いのインパクトがその人たちを変えていったということが、アメリカ側のエピソードが描くところです。 日本側は守備の立場でしたが、あの島に行った兵士たちはもちろん生き残って国に帰りたいと思ったでしょう。でも最初から帰ることはできないと覚悟して行った人たちです。私は彼らの気持ちや死を覚悟するとはどのようなことか共感できず、出来る限り日本兵の気持ちになろうと一生懸命自分で勉強し、共感できるように持っていきました。2005年4月に硫黄島へ行ったとき、島を歩いて本当感動しました。多くの母親があの戦争で息子を失ったのです。それは日本側もアメリカ側も同じです。ですからこの映画はどちらが勝った負けたの映画ではないのです。戦争というものが、特に若い人たちの人生を中断させ、あるいは人生を失わせて、どういう効果・結果を及ぼしたかを描くことが日本側のポイントです。 <監督プロフィール>1968年に映画制作会社マルパソプロダクションを設立。1971年に『恐怖のメロディ』で初監督。俳優業の傍ら『荒野のストレンジャー』『アウトロー』などの作品を立て続けに発表。監督業に進出した他の役者と違い、所謂「大作」や賞レースに関わる作品への出演はせず、自らのプロダクションで製作した小規模ともB級とも呼べる作品でのみ主演し、監督業と俳優業を両立しながら地位を確立した。1987年の第45回ゴールデングローブ賞において、生涯の功績を称揚するセシル・B・デミル賞を受賞。1992年、師であるセルジオ・レオーネとドン・シーゲルに捧げた“最後の西部劇”『許されざる者』を監督兼主演で制作。第65回アカデミー賞監督賞、作品賞を受賞、第50回ゴールデングローブ賞監督賞を受賞した。この頃から『マディソン郡の橋』『ミスティック・リバー』といった文芸性の高い作品も手がけている。<クリント・イーストウッド監督作品>1970年代:恐怖のメロディ (1971年) - 荒野のストレンジャー (1973年) - 愛のそよ風 (1973年) - アイガー・サンクション (1975年) - アウトロー (1976年) - ガントレット (1977年) 1980年代: ブロンコ・ビリー (1980年) - ファイヤーフォックス (1982年) - センチメンタル・アドベンチャー - (1982年) - ダーティハリー4 (1983年) - ペイルライダー (1985年) - ハートブレイク・リッジ 勝利の戦場 (1986年) - バード (1988年) 1990年代:ホワイトハンター ブラックハート (1990年) - ルーキー (1992年) - 許されざる者 (1992年) - パーフェクト・ワールド (1993年) - マディソン郡の橋 (1995年) - 真夜中のサバナ (1997年) - 目撃 (1997年) - トゥルー・クライム (1999年) 2000年代:スペース・カウボーイ (2000年) - ブラッド・ワーク (2002年) - ミスティック・リバー (2003年) - ピアノ・ブルース (2003年) - ミリオンダラー・ベイビー (2004年) - 父親たちの星条旗 (2006年) - 硫黄島からの手紙 (2006年) - チェンジリング (2008年) - グラン・トリノ (2008年) - インビクタス/負けざる者たち (2009年) 2010年代:ヒア アフター (2010年) - J・エドガー (2011年) - スタア誕生 (2012年) <このあと観たい作品>・許されざる者・J・エドガー
2022.01.22
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大使は原則として、アップル製品は買わないこと、ハリウッド映画は見ないことにしているのだが・・・リドリー・スコットとイーストウッドの作品だけは別扱いで、これらはわりとフォローしているのです。イーストウッドの最新作『クライ・マッチョ』が公開されたので・・・久々に映画館に出かけるでぇ♪・・・というわけで、くだんのフォームで予告編を作ってみました。【R1:大使寸評を追記】【クライ・マッチョ】クリント・イーストウッド主演・製作、2021年、米制作、2022.01.17鑑賞<Movie Walker映画解説>よりかつてのロデオスター、マイクは落馬事故以来、苦難続きの孤独な日々を送っていた。ある日、マイクは恩義のある元雇い主から、元妻が引き取った息子のラフォをメキシコから連れ戻すという誘拐まがいの依頼を引き受ける。母に愛想を尽かし、闘鶏用のニワトリと路上で暮らしていたラフォはマイクと共に米国境への旅へ出発。メキシコ警察や母の放った追手などの試練が迫るなか、2人は人生の岐路に立たされる。<大使寸評>メキシコとの国境に沿った沙漠のシーンといい、馬やニワトリ(マッチョ)などの動物シーンには大使のツボが疼くのです。それから猛々しいラフォの母親とのかけ引きとか、メキシコ警察陣や盗んだ車のオンボロ具合など・・・見どころも多いのがええでぇ♪公式ホームページMovie Walkerクライ・マッチョちなみに、イーストウッド監督作品についてはクリント・イーストウッド監督作品集としてフォロー中でおます。
2022.01.18
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大使は原則として、アップル製品は買わないこと、ハリウッド映画は見ないことにしているのだが・・・リドリー・スコットとイーストウッドの作品だけは別扱いで、これらはわりとフォローしているのです。イーストウッドの最新作『クライ・マッチョ』が公開されたので・・・久々に映画館に出かけるでぇ♪・・・というわけで、くだんのフォームで予告編を作ってみました。【クライ・マッチョ】クリント・イーストウッド主演・製作、2021年、米制作<Movie Walker映画解説>よりかつてのロデオスター、マイクは落馬事故以来、苦難続きの孤独な日々を送っていた。ある日、マイクは恩義のある元雇い主から、元妻が引き取った息子のラフォをメキシコから連れ戻すという誘拐まがいの依頼を引き受ける。母に愛想を尽かし、闘鶏用のニワトリと路上で暮らしていたラフォはマイクと共に米国境への旅へ出発。メキシコ警察や母の放った追手などの試練が迫るなか、2人は人生の岐路に立たされる。<大使寸評>追って記入予定Movie Walkerクライ・マッチョちなみに、イーストウッド監督作品についてはクリント・イーストウッド監督作品集としてフォロー中でおます。
2022.01.17
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図書館の雑誌類リサイクルフェアで『ゴダール2015(ユリイカ(2015年1月号)』という本を手にしたのです。ヨーロッパでのゴダール人気が載っているようで興味深いのです・・・でも、まだ人気はあるのかな。【ユリイカ(2015年1月号)】ムック、青土社、2015年刊<商品情報>より2015年1月、ゴダール最新3D作品『さらば、愛の言葉よ』が公開!!ゴダール初の長篇作品『勝手にしやがれ』から半世紀以上が経過し、この度、最新3D作品『さらば、愛の言葉よ』が公開される。ゴダール以上に映像の可能性を試し、示し続けて来た作家はいないのではないだろうか。進化をつづける映画の巨匠、ゴダールの批評精神に迫りたい。<読む前の大使寸評>ヨーロッパでのゴダール人気が載っているようで興味深いのです・・・でも、まだ人気はあるのかな。rakutenユリイカ(2015年1月号)ゴダールに関する蓮實重彦×阿部和重の対談を、見てみましょう。p77~79<社会攪乱者としてのゴダール>蓮實:感想を申し上げる前に、ひと言触れておかねばならぬ問題があります。それは今回公開されるゴダールの新作『さらば、愛の言葉よ』が、フランス映画社の「BOWシリーズ」で公開されたのではないということで、その事実が私にとっては大きな事件だったからです。 これまで、1970年以降のゴダールの作品を日本で精力的に公開してきたのは、世界最強のタッグと言っていいフランス映画社の柴田駿と川喜多和子の二人でした。ゴダール以外にも様々な作品を公開しながら刺激をもたらしてくれたこの二人の活動がひとまず一段落したという時に、我々がたまたま生きているのですが、その一段落こそが21世紀の真の到来なのか、という気もしないわけではない。ことによるとゴダールはすでに、初めから21世紀の映画を撮っていたのかもしれない、という気もします。 すなわち、日本人がゴダールについてこれほど饒舌になれたのは、あるいはそう強いられていたのは、この最強のタッグが東京にいてくれたからであり、そのフランス映画社の消滅という事実に、深い感慨を抱かざるを得ない。柴田氏なら別の形で公開したかな、と思ったりしながら、これについて語っていくのは、単にゴダールの最新作ということ以外の、東京に生まれた者として私の映画的なこだわりみたいなものがどうしても出てきてしまう。 阿部さんも、「BOWシリーズ」には、ずいぶん恩恵を被られたわけでしょう?阿部:本当にその通りですね。ゴダールの映画を最初にスクリーンで観たのも、BOWシリーズの…あれは80年代末の有楽シネマでの再映だったと思うんですけど、『勝手にしやがれ』(1959年)と『気狂いピエロ』(1965年)だったんです。僕はまだ映画学校の学生だったんですが、やっとゴダールの映画をスクリーンで観られるということで、嬉々として観に行ったんですね。当時はもう「単館系」という言葉があったのか、定かでないですが、ジム・ジャームッシュやテオ・アンゲロプロスといった、ヨーロッパやアメリカのいろんな映画を、BOWシリーズの配給によって観続けてきました。 だから、フランス映画社の活動停止というのは本当に大きな損失であると、僕もひとりの観客として実感しているところです。学生時代も、卒業後もお世話になってきましたし、僕が小説家としてデビューしたての頃から、フランス映画社からは試写状を送っていただいたりして、そういう形で何段階にも大変にお世話になり続けてきているので、まずはその話をしておかなければならないだろうなと、僕も思います。蓮實:個人的には、柴田駿と川喜多和子に深い感謝の念を捧げることしかできません。ゴダールがごく自然に映画館で観られる都市など、世界にもそうは存在しなかった。アメリカだって、ニューヨーク映画祭での上映というケースはあったにしても、すべてが一般公開されていたわけではない。 だから、東京でゴダールが日常的に観られることが当たり前だったということに、もう少し驚かなければいけない。もちろん今回、コムストックという会社がこの作品を買い付けて配給されたということにも、別の意味での感謝を捧げたいと思いますけれど…。 *蓮實:阿部さんは、つい最近スイスに行かれて、ゴダール関係の土地を跳梁されたそうですね。阿部:はい。今年の5月にジュネーブでブックフェアのイベントがあったんですが、スイスのレマン湖のほとりに来たのであれば、やはりゴダールだろうと、空き時間を使っていろいろと散策をしました。当然、ロールには行かねばならないということで連れて行ってもらったんです。完全にミーハーゴダール観光ですね。 あわよくばゴダール本人と出会えないかとということで、案内してくださった国際交流基金の方に街ゆく人に声をかけてもらって、「ゴダールの家はどこですか?」と訊いたりして、きわめてストーカー的に、自分の小説の登場人物かと疑われそうなことをいろいろやってきました(笑)。 結局、ゴダールには会えなかったんですが、どうやらここのアパートに住んでいるらしいということを突き止めて、あるいはミエヴィルさんのお宅もここじゃないかというところも突き止めて、その前で記念撮影をしたりして。その後は、そこから近いというので、今回の『さらば、愛の言葉よ』にも関係してくる、『リア王』の撮影で使われたホテルにも立ち寄って、そのカフェでお茶を飲んできました。フランス映画社の「BOWシリーズ」を見れば、柴田駿&川喜多和子夫妻の目の確かさが偲ばれます。『ゴダール2015(ユリイカ(2015年1月号)』1
2021.11.14
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図書館の雑誌類リサイクルフェアで『ゴダール2015(ユリイカ(2015年1月号)』という本を手にしたのです。ヨーロッパでのゴダール人気が載っているようで興味深いのです・・・でも、まだ人気はあるのかな。【ユリイカ(2015年1月号)】ムック、青土社、2015年刊<商品情報>より2015年1月、ゴダール最新3D作品『さらば、愛の言葉よ』が公開!!ゴダール初の長篇作品『勝手にしやがれ』から半世紀以上が経過し、この度、最新3D作品『さらば、愛の言葉よ』が公開される。ゴダール以上に映像の可能性を試し、示し続けて来た作家はいないのではないだろうか。進化をつづける映画の巨匠、ゴダールの批評精神に迫りたい。<読む前の大使寸評>ヨーロッパでのゴダール人気が載っているようで興味深いのです・・・でも、まだ人気はあるのかな。rakutenユリイカ(2015年1月号)ゴダールへのインタビューを、見てみましょう。(聞き手はフィリップ・ダジェン+フランク・ヌーシ、Godard をJLGと表記する)p66~67<Godard 2015、Adieu au langage>Q:現在ヨーロッパで起こっていることをどう分析されますか。ひとこと言いたいことがおありなんでは?JLG:ああ、意見はあるね。国民戦線がトップに立つといいと思うよ。オランド大統領はマリーヌ・ル・ペンを首相に指名すべきだね・・・このことはフランス・アンテル(の番組)でも言ったんだが削除されてしまった。 Q:その理由は?JLG:それで少しは動きが出るだろう。例え本当に行動しなくとも、そのふりをするためにはね。何もしないふりをするよりはましじゃないかね(笑)。それにみんな忘れてるが、国民戦線は全国抵抗評議会に二議席持っていたんだからね。当時は親共産主義の組織だったんだ。それでも国民戦線と名乗っていたんだ。 Q:それは名前が同じだけでは…。JLG:違う。人は名前が同じだけというかもしれないが、名前は残り、事実は忘れ去られる。そういうものだ。名づけることの重要さを考えるとね、もちろん名前が同じだけなんだが…。ルクセンブルグの首相はユンケル(Junker)という。これはドイツの爆撃機の名前でもある(Junkers、ユンカースはナチス・ドイツの爆撃機製造会社の名前、爆撃機はJu88)。 Q:ユンカーとはプロイセンの貴族でもあります。JLG:当時のドイツの田舎貴族だ。ともかく言語学に関心を持つ必要がある。君たちは知っているか分からないが、ミッシェル・ゴンドリーのちょっとした映画があった。とても素晴らしい、チョムスキーとの対話だ。信じがたい仕事で、しまいには繰り返しが多くなってくるんだが。Q:フランス、イギリス、デンマーク、いたるところで極右への票が伸びていますが、これは何を意味するのでしょう。JLG:それは私のケースに直結するね。私は彼らの敵方だから。昔、ジャン=マリー・ル・ペンは、私をフランスから追放するよう要求したことがある。だが、私は事態が動くのを望んでいるだけなんだ。偉大なる勝者、それは棄権主義者だ。私はかなり前からその一人だ。Q:なぜ前に進むことができないのでしょう。JLG:老いすぎているか、若過ぎるかなんだ。そういうことだ。カンヌでの賞を見るといい。私とグザヴィエ・ドランだ。ドランが誰か私は知らないが、カンヌは、若い映画を作る老いた監督と、古い映画を作る若い監督をいっしょくたにしたんだ。ドランは映画の形式も古い。少なくともそう聞いている。なぜ人は動かないか?その方が彼らにとってはいいからだ。 彼らは指導者を求める。結構。指導者を手に入れる。指導者たちを望む。指導者たちは現れる。しかしたちまち彼らは指導者が動かないことに腹を立てる。自分たちは動けないくせに。 私は昔、たった1ヵ所だけ、何かを変えられる場所があると知った。映画の作り方において、つまりシネマの領域だ。それは小さな世界だった。たった一人の個人ではなく、社会の生きた細胞ではあったが、みんなに役立つあの有名な細胞のように。バクテリアの何とかいう…。Q:大腸菌ですか。JLG:それだ!社会学的な比喩を使えば(私は今よく使われる社会的という言葉があまり好きではない)、それは1本の映画の誕生であり、思春期であり、死であるということになる。 3ヵ月から4ヵ月の間に起こり、巨大プロダクションであれば最大100人、私たちの場合は3人だが…。わずかな人数なので、その場所でだけなら、少なくともその小さな社会をどう生きるかということを変えることができるだろう…。いや、そうなっていない…。Q:そんなことはありません。その証拠にあなたがいます。
2021.11.13
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<『デューン 砂の惑星』が公開されたが>『デューン 砂の惑星』という映画が10月15日から公開されたが・・・これは期待できそうである♪『メッセージ』を制作したドゥニ・ヴィルヌーヴ監督なら、このSF小説をどう映像化するのか期待するので、観に行く前に個人的予告を作ってみました。【デューン 砂の惑星】ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督、2021年、米制作<Movie Walker作品情報>より10190年、銀河系が分裂し、人類は地球以外の惑星に移住し宇宙帝国を築いていた。1つの惑星を1つの大領家が治める厳格な身分制度が敷かれており、皇帝の命で砂漠の惑星アラキス(通称:デューン)を治めることになったレト・アトレイデス公爵は、妻や息子ポールを連れデューンに乗り込む。アトレイデス家はデューンで唯一生産されるという、抗老化作用を持つ香料で富を得るはずだったが、陰謀により彼らの運命は思わぬ方へ進み始める。<観るまえの大使寸評>『メッセージ』を制作したドゥニ・ヴィルヌーヴ監督なら、このSF小説をどう映像化するのか期待するのでおます♪Movie Walkerデューン 砂の惑星Movie Walkerでドゥニ・ヴィルヌーヴ監督へのインタビューが観られるが、その一部を紹介します。「スパイスをめぐる闘争」というキャッチコピーには個人的ツボが疼くのです。「デューン」で大勝負に出たドゥニ・ヴィルヌーヴ監督に独占インタビューより 10代のころから原作を愛読し、長い間映画化を夢見ていたドゥニ・ヴィルヌーヴ監督による『DUNE/デューン 砂の惑星』が、ついに公開。 時は10191年、彼を取り巻く数奇な運命によって、砂の惑星(デューン)のアラキスに向かうアトレイデス家の後継者ポール(ティモシー・シャラメ)。デューンにおいて、人類は希少な自然資源スパイスの権利をめぐり闘争を続け、灼熱と砂嵐、そして巨大生物サンドワーム(砂虫)と対峙することを余儀なくされる。 アトレイデス家のレト公爵の側室でポールの母親、そして聖なる戦士であるレディ・ジェシカを演じたレベッカ・ファーガソンと、自身最大の意欲的なプロジェクトを極上の映像体験へと昇華させたドゥニ・ヴィルヌーヴ監督が独占インタビューに答えてくれた。 ヴィルヌーヴ監督は、「映画制作における最高で最大の決断はキャスティング」だと断言する。『DUNE/デューン』のキャスティングは、脚本を執筆している段階から脳裏に浮かんでいたそうで、ポール役のティモシー・シャラメに関して「第一で唯一の候補だった」と述べる。 「ティモシーはとても知的で成熟した若者でありながら、古典的な魂も持ち合わせています。映画監督として作品を作るたびに感じることは、映画の撮影を始めた時と完成した時では、同じ人間ではないということ。映画作りはとても変化の多いプロセスで、自分自身について、映画について、そして人間についても学ぶことができます。ティモシーも私と同じように『DUNE/デューン』を通じて多くのことを学んだと思います。以前観た『メッセージ』を紹介します。【メッセージ】ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督、2016年、米制作<Movie Walker作品情報>よりSFファンから絶大な支持を受けるテッド・チャンの短編小説を映画化し、第89回アカデミー賞で8部門にノミネートされ、音響編集賞に輝いたSFドラマ。突然、地球に襲来した異星人との交流を通して言語学者が娘の喪失から立ち直っていく姿が描かれる。主人公の言語学者をアカデミー賞では常連の演技派エイミー・アダムスが演じる。<観るまえの大使寸評>言語学とSF映画という大使のツボが二つかぶると・・・期待はいや増すのでおます♪Movie Walkerメッセージ『メッセージ』は公開初日に劇場で観たが、もうそんなバカみたいな気力は湧かないのです(笑)。
2021.10.19
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2021年9月6日、88歳で死去した仏俳優ジャンポール・ベルモンドさんを偲んで・・・代表作でもある『気狂いピエロ』を探してみました。しかしまあ、ヌーヴェル・ヴァーグは今や昔になったものだ。【気狂いピエロ】ジャン=リュック・ゴダール監督、1965年仏制作<amazon紹介>より「見つかった 永遠が 太陽と一つになった海」ヌーヴェル・ヴァーグとゴダールが到達した最高作! 字幕は寺尾次郎訳。★映画史を変えたデビュー作『勝手にしやがれ』(59)と同じベルモンドの主演で、青春を過ぎた男の破滅に向かう無軌道を描くヌーヴェール・ヴァーグの最高作! ★溝口健二監督『山椒大夫』へのオマージュとされるラストシーンに画面外から聞こえる台詞「見つかった/何が?」はランボーの詩「永遠」の一節。★『小さな兵隊』(60)の後、結婚したアンナ・カリーナとはこの後、同年の『アルファヴィル』(65)の公開後、離婚することになる。<Customer reviews>より映画史上、古今東西でナンバーワンの名作です。確かに観る人を選ぶ作品ではあります。けなす人は徹底的にけなすでしょう。ですが、これほど映画の自由と可能性を切り拓いた作品は他にありません。「勝手にしやがれ」と並び、まさにゴダールによる奇跡です。<大使寸評>このCustomerは「古今東西でナンバーワンの名作」と持ち上げているが・・・不肖大使も、そう思わないでもないでぇ♪wikipediaによれば、当初ゴダールはマリアンヌ役にシルヴィ・ヴァルタンを考えていたが、ヴァルタンのエージェントに断られているとのこと。amazon気狂いピエロ
2021.09.16
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