曹操注解 孫子の兵法

林同春老先生 敬白



 ◇「反日デモで被害の大使公邸窓ガラスの補修などに」
 ◇林会長「同胞の青年に代わっておわびしたい」
 中国内で起きた反日デモの参加者が騒ぎ、北京にある日本大使公邸の窓ガラスなどが割られた問題で、神戸にある任意団体「旅日華僑中日交流促進会」(林同春代表)が先月13日、補修費の名目で額面300万円の小切手を外相あてに郵送していたことが12日、分かった。外務省は「原状回復については中国政府と交渉している最中。ご好意は誠にありがたいが、お気持ちだけいただく」とし、同会に近く返還する方針。
 林代表は、神戸華僑総会の名誉会長。交流促進会は小切手とともに、「中日友好を心から願う在日中国人として、同胞の青年に代わっておわびしたい」と話している。しかし、今回の抗議活動については、「日本で言われているような、中国の現体制に対する不満や、愛国主義教育が原因ではなく、日本の首相の靖国神社参拝や教科書問題について、中国人民は心から怒っている。半世紀以上にわたって日本に住み、戦争の悲惨さ、平和の尊さを身にしみて経験してきた者として、両国の人々の気持ちを理解している者として、両国の民衆の誤解を解くためにも、真実を正しく日本の友人に伝える義務がある」という趣旨のメッセージも添えた。
 中国内での反日運動は、小切手が外務省に届いた翌日の先月16日には上海、杭州などに飛び火。しかし、22日にはジャカルタで開かれたアジア・アフリカ会議で、小泉首相が「かつての植民地支配」などについて、痛切な反省とおわびを表明。その後の胡錦濤国家主席との会談では、関係修復に向けた対話を促進させることで一致。中国内でも公安当局が破壊活動を行った容疑者の摘発に乗り出すなどし、反日デモや日本製品のボイコットは鎮静化している。【三谷佳弘】〔神戸版〕[毎日新聞 2005年5月13日(金)]


◆林同春さん-中央実業株式会社取締役社長
波乱に満ちた在日69年◇学校は華僑の精神的支柱

 1925年、中国・福建省生まれ。9歳のとき、出稼ぎのため日本に渡った父を訪ねて来たが、蘆溝橋事件を機に日本の中国侵略が本格化すると、華僑は「敵国人」とされた。
 学校の軍事教練のとき、教官が「本物のシナ人がおるぞ」と言って、ルーズベルトと蒋介石の面をつけた藁人形の前に立たせた。
 「竹槍を抱えて、三人が一斉にその尖端を私に向けて前進してきた。恐怖で叫びだしそうになったが、必死でその声を飲み込んだ」と、著書の『橋渡る人』(エピック刊)に書かれた忘れがたき体験。戦中、スパイ容疑で特高警察の拷問を受けたこともある。
 終戦後、三宮高架下の自由市で食べ物や古着を売った。それが契機でビジネスが急成長し、53年に大阪・船場で繊維卸売りの林商店を設立。海外との取引も拡大した。
 「あのころ海外に住む華僑のネットワークにどれほど助けられたことか。華僑は地縁血縁を大切にするので、絶対的に信頼できますから」
 10年後には、ボーリング場を経営する中央実業(株)も設立し事業を伸ばしていった。その半面、中国大陸と台湾当局の対立や、中・日間に国交がないため在外中国人の悲哀を噛みしめたことも少なくない。故郷に帰ったのは、中・日国交が樹立された72年、実に37年ぶりのことだった。
 神戸華僑総会会長(現・名誉会長)、在日華僑連合会副会長などの重職を歴任してきた林さんの業績のなかでも、私が特筆したいのは教育事業である。
 神戸中華同文学校は1899年に創設されたが、神戸大空襲で全焼して以後、日本の小学校を借りて授業が続けられていた。莫大な費用、台湾当局からの干渉など問題は山積していたが、李萬之校長らと共に「自前の学校を建てよう」という念願を果たすため奔走した。そして59年についに校舎と講堂の竣工式を迎えた。林さんは副理事長を経て、理事長に就任した。
 「学校は華僑の精神的支柱です。わたし自身、厳しい差別のため学校に通えなくなり、涙を流した日々を体験したので、子どもらには決して同じ悲しみをさせたくなかったんです」
 現在、同校には小・中学部に600人以上の児童生徒が通っている。華僑の青年たちは結婚式の日に、必ず祝儀の一部や全額を同校に寄贈するという。
 教育に対する熱意は同校だけに留まらない。95年の阪神大震災は県内にある19の外国人学校・国際学校にも甚大な被害をもたらした。同年7月、全国初となる「兵庫県外国人学校協議会」が結成され、林さんが会長に推された。
 2カ月後、協議会代表たちが貝原知事を表敬訪問した光景を私は鮮明に記憶している。懇談会の場で知事は「兵庫県と神戸市にとって外国人学校は財産です」と明言した。その後、全国で最高レベルの教育助成金が拠出され、また外国人学校と日本人学校と活発な交流が広がるなど、画期的な変化が生じたのだった。
 「教育は、この地で生まれた子どもたちを、その地に感謝する子に育てるか、嫌う子に育てるかという問題です。行政の人々はもっと真剣に考えるべきです」と強調する林さんは、国連人権委員会や文部科学省にも足を運び、外国人学校差別の是正を求める運動を続けている。
 外国人として初めて「兵庫県民最高栄誉賞」の賛賞を受賞するなど、功成り名を遂げることができた。が、いまも心残りなのは祖国の分断である。
 「三通ーー郵便、貿易、往来の自由が早く実現してほしい」という悲願は、在日だからこそより切実なのかもしれない。中国、台湾、日本の間に心の橋を架ける人として、林さんにはまだまだ奮闘していただかなくてはなるまい。

http://sangbong-net.hp.infoseek.co.jp/hitomihonbun2.htm#第6回:2004年6月20日



☆中国の人は立派な人物が多い。

 私も中国で嫌なことはたくさんあったし、ひどい目にあったことは山ほどある。
 でも、いつも「この人がいれば大丈夫だな」という優秀な人物との出会いもある。だから友好の信念は捨てない。
 林同春先生が一人で奮起されたことに、衷心より最敬礼したい。
 ただ、林先生はおそらく靖国神社が何で、どんな組織なのか、実は知らないと思う。
 林先生のために、手紙を書こう。
 そして、彼と靖国神社とが対話することが一つの解決策になるかも知れない。



神戸華僑総会名誉会長・林同春先生 敬白

   林同春老先生への書信

謹啓

 老先生が、わが外務大臣に宛て、中華人民共和国の青年たちの行動について、自ら一人、善意の行動を起こされたことに、衷心より最敬礼を捧げます。
 私も一介の友好人士として微力をつくしたいと念じていましたが、老先生の勇気と義挙を知り、日本人として大いに励まされた気持ちがします。
 老先生の見解と、いろいろな事情を聞き知っている私の立場は、もちろん見解の相違があります。

 しかし、老先生が何ものにも依存せず、何ものにも依頼せず、ただ一人、自分の信念で行動されたことを、誰が疑い、誰が咎めることができましょうか。
 私は老先生の経歴も拝見し、まさに人生哲学の発露として行動されたことに賞賛と尊敬を表明します。

 私が残念に思うことは、老先生が指摘された「歴史教科書問題」。
 これは先生の立場であれば、本当のことはおわかりのはず。
 李登輝さんの意図で、中国と日本の関係に波風を立てようと、台湾の立場の向上のために、台湾系の企業や関連団体から資金が提供されたのです。

 私はこのような事実を認識しても、「中国人の争いだから」と傍観していたのですが、彼らの論調が過激になり、ついに孫文先生の業績まで批判し、国民党の存在否定の上に台湾独立論が語られるようになり、危機感を感じました。
 これは台湾と中国を対立・分裂させるだけではなく、アジア全体を分裂させ、アジアの潜在的な可能性を発揮させないようにする歴史的な国際謀略であると信じるからです。
 しかも、問題の歴史教科書は、採用率が極めて低く、全国の学校で採用された実績はあまりありません。
 ところが、これに対して、中国では連日のように「教科書問題」で宣伝活動があり、各地に抗日記念館が建設され、多くの教師たちが「日本軍国主義、大日本帝国主義が、諸君の目の前で復活しつつある」と生徒たちの前で叫びました。
 これは何でも行き過ぎというものです。

 さて、問題の「歴史教科書」ですが、ようやく中国訳が発行社によって、インターネット公開されることになりました。
 一応、対価のある書籍の内容を無償公開することは、簡単ではない決断です。
 そのことは林先生もよく御理解いただけるでしょう。
 むしろ最初の企画段階から、中国語訳と韓国語訳を製作すべきでした。
 しかし、そうはならなかった。

 公開されず、翻訳もされない「教科書」の内容の問題が、勝手に解釈され、論評され、疑惑と偏見を増大させ、日本と中国の関係をここまで破壊してしまいました。
 「アジアを分裂させよう。そして永遠にアジア人たちの対立と不和を扇動し、彼らを内輪もめの中に閉じ込めよう」という明白な意図をもった歴史的な国際謀略が、現時点では大勝利をおさめたのです。

 私も敗北者です。
 林老先生も敗北したのです。

 もう一つは靖国神社の問題です。
 日本人でも、靖国神社のことを知らない人が多く、特に批判的な立場の説明では、靖国神社の実態を大きく歪曲したものがあります。
 国際理解に尽瘁されてきた老先生は、「一方的な意見、偏向のある考えは危険だ」という感覚をお持ちのはずです。
 林老先生も、ご自分で靖国神社の関係者と、「対話の橋」をもう一つかけていただけませんか。

 たとえ、相手が敵であっても、主張ある者の意見を一方的な運動や非難、罵声で押さえ込み、ただ相手を沈黙させる方法は、何の解決にならないのです。解決を遅らせ、問題を複雑化してしまいます。

 私は以前、靖国神社の実態を詳細に、ある人物に説明し、小泉総理の参拝問題の理由も整頓して説明しましたが、彼は孤立し、失脚してしまいました。
 明日の日記で、靖国神社問題の私なりの賛否の視点をお伝えしましょう。

 そして、忘れてはならないことがあります。
 それは孫文先生が主唱された、アジア団結の初志貫徹であります。

 あえていえば、三民主義は孫文先生の思想の核心ではない。
 それは単に百年前の政策理念にすぎません。
 孫文先生の本当の素志は、アジアの団結であり、アジア人が全世界の主人公として活躍し、全人類に貢献することであります。

 胡錦涛国家主席も昨年、類似のことを発言しました。
 が、それはアジアの団結を省略し、「中華人民共和国一国だけが主人公になり、全世界に貢献する」という内容に変わっていました。
 私は中国の政府関係者に、「この発言は不祥だ。科学的社会主義の発展段階理論を参照していない。現実に中国は国内問題が山積しているではないか」と忠告しました。

 これは毛澤東思想にも逸脱します。
 アジアが分裂して、戦争がおき、アジアは世界大戦の戦場になったのです。
 アジアが団結しなければ、アジアはいつまでたっても内輪もめばかりで、明確な団結力を発揮できない。
 これが毛澤東戦略思想です。

 そして毛澤東主席は、孫文先生を国父とし、アジア、そして世界人民の団結を国是として、天安門に標語を掲示したのです。

 孫文先生は、神戸で急に倒れられる直前まで、くりかえしアジアの団結を訴えられました。
 この理想を放棄する者こそ、そしてこの大理想を理解しない者こそ、全アジアの仇敵というべきであります。
 「アジア分裂」の謀略に心奪われた人々は、これからアジアの歴史に汚名をのこすでしょう。

 林老先生も、私も、アジアの団結の実現を、生きている間に見られないでしょう。
 それでも私は、真の孫文主義が、全アジアの全民族の悲願をかなえると信じて戦っています。

 孫文先生の遺言。
 わが革命、未だ成らず、です。

 われわれも孫文先生のように、素晴らしきアジアの未来のため、大理想のために戦い続けていこうではありませんか。



ban_kanzaki

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