山口小夜の不思議遊戯

山口小夜の不思議遊戯

■青木学院物語─83年度版─

青木学園(ママ)物語 第一話




 青木学院は、それはそれは小さな塾だ。
 六畳くらいの部屋がふたつに、三畳くらいの部屋がひとつあり、台所とトイレと、どういうわけが風呂があった。そのひとつひとつがボロボロ。

 建物全体がやっと立っているありさまで、ドアの開閉にいちいちぐらりとゆれるほど。
 それでも主任の佐伯先生はいつもしっかり小4から小6までの生徒の勉強の指導をしていた。
 この先生、今三十代で、結婚済み。静かだけどおもしろい人。

 この塾の生徒の中でとりわけうるさい学年は57年度現在の小5。この物語はその小5全員を主人公とする。

 小5の授業は4時20分からだ。でも、男の子は熱心に、一時間も前から青木の前に集合する。
 何に熱心かというと、お遊びときている。小4が勉強している時に、ぴーぴーぎゃーぎゃーやるのだからたまらない。いつものように、佐伯先生は窓からぬっと顔を出す。が、その時は先生の視界には人っ子ひとりいない。しかたなく、だれもいない外に向かって叫ぶ。
 「おーい、五年生。五年といったら受験勉強の始まりだろ。せっかく早く来たんなら、ちったぁ予習でもしてろ!」
 この様子を見た通行人の人々は、さぞ変に思っただろう。今日に窓から首が出て、だれもいないのに話し始めるんだから。でも、関係者たちはかくれながらも聞いている。
 「ちぇっ、またか。ご先祖のやつよ」
 「せっかく早く来たんだから、ちったぁ遊んでいるってのにさぁ」
 あちこちで、ひそひそ声が聞こえる。ご先祖とは、佐伯先生のニックネームだ。まだ30代なのに・・・。

 「おい知ってるか。千沙子が言ってたけど、今日、もうひとり仲間入りするってよ。名前、なんて言ったっけなぁ。ちぇっ、忘れちまった。千沙子の学校だけど、クラスは違うってさ。つゥことは、おい、オジサンのクラスでないの?」
 目の大きな男の子にオジサンを呼ばれたちびでぶの子は、
 「ふーん。そうなの?」
 と興味ないかんじで返事をした。
 「そうなの?って、お前の学校、2クラスしかないじゃん。お前のクラスメートだってのは確実だよ。仲良くしてやれよな」
 「ほーい」
 「仲良くするといえば・・・そうそう、テキストとイタズラのふたつの同盟は楓と一緒な。楓、退院したばっかで同盟相手持ってなかっただろ」
 「え? おれ? なんで」
 たっちゃんの采配に、楓があきれた顔をしてふり返る。

 その子は男軍に遅れて女軍が到着する(オンナ軍と読む←そうそう、そう言ってた!)より十分も前に、ボロドアの向こうに参上した。
 (おおっ)
 オジサンがつぶらな目をみはったのを、めざとく見つけた楓がすかさず聞いた。
 「やっぱ同じクラスのやつ?」
 「うん」
 「どんな子」
 「あんまり知らない──転校してきたばっかだから。けど、そうだなあ・・・びっくりするような子だなあ」
 意味がわからなかったのか、楓は「ふーん」と言っただけだった。

 その子は、そんなことは全く気づかずに、先生と何やら話しこんでいる。
 「くそっ、聞こえん」
 ベランダから話を盗み聞きしようとしたアキラが、しかめっ面をして戻ってきた。
 「別にたいしたこと話してないだろ。ゴアイサツってやつだ」
 楓がアキラの頭をなでる。

 「オジサン、あいつ、なんて名前だ?」
 たっちゃんが指をさすのを、楓が、
 「佐伯京一」
 とご先祖の名を言ってそらとぼける。
 「うるへ。その横だよ、バカ」
 たっちゃんが楓とオジサンを器用に同時にこづくと、
 「ヤマグチだよ。ヤマグチカヨコ」
 とオジサンは素直に答えてやる。
 「早く言えよ、もう」
 ぷりぷりしているたっちゃんの横で、
 「どこにでもあるような名前だな」
 楓が一蹴した。

 いつの間にか、その子やご先祖は部屋の中へ消えていた。
 さあ、女軍のおでましだ。
 「よお」
 「どう、来た?」
 「来た来た。今、中にいる」
 「楓が同盟相手になるってよ」
 「言ってねぇだろそんなこと」
 女軍にもつつきまわされて、楓が本気でむくれようとした時、授業が終わったのか、小4が朽ち果てそうな玄関からぞろぞろと出てきた。

 「おーい五年生。はいれはいれー!」
 ご先祖が、みんなが首出し穴と呼んでいるところから、なるほど首を出して叫ぶ。
 「どーでもいいけど、さっそく手始めにイタズラはさせてみるぜ。どのくらいのやつか、それでわかるだろうから」
 「ОK」
 ふり返りながら言った楓の提案に、だれも反対する子はいなかった。

 「おー寒む」
 と言いながら、みんなはストーブのまわりに集まる。なにしろ、今日は11月14日、木曜日。
 ご先祖は容赦なく言う。
 「どうする? おまえたち豚の丸焼きか? それとも焼き鳥になるつもりか? 席に着けよ」
 みんなはもそもそとストーブを離れ、同盟相手ととなり同志に席につく。
 “あいつ”は何をどうしていいのかわからないので、突っ立ったままでいる。
 先生も、とくに何も指示をしてこないのだ。

 しばらく居心地の悪い沈黙が続いた後、
 「どの席座りたい?」
 机に片ひじをついたまま、楓が声をかけてきた。
 「同盟結んだから、よろしければとなりの席どーぞ」
 「ドウメイ?」
 セーラー服が返してくるのを、
 「座るの? 座んないの?」
 と顎で空いているとなりの席を示してさえぎる。
 ふんがいしたのか、新入りはなにも言わないまま、ガタンと音を立てて楓のとなりに座った。

 「カップル誕生」
 うしろのたっちゃんが、同盟相手のヒロに言った。そのとたん、新入りがうしろをふり向いた。
 「こんにちは!」
 ヒロがそつなくにこやかにあいさつする。
 新入りは初めてにこっと笑って、また前を向いた。

 授業が始まり、みんなはご先祖に指示された問題を解いていた。
 「もう問題とけたのか?」
 シャーペンを置いたセーラー服に、突然、楓が話しかけてきた。
 「うん」
 「おまえ、ヨゼフではなんて呼ばれてんの?」
 「学校では、姉貴・・・」
 セーラー服の、学校でのあだ名は、姉貴という。
 「おれの名前は知ってる?」
 「さっき楓って呼ばれてた」
 「そう。和崎楓。おれ、おまえより年上だぜ?」
 「年上って・・・どのくらい?」
 「今年で90歳」
 「はあ・・・あたしも三月生まれだから・・・同じ学年のコとは干支は違うよ?」
 かみあってない会話を続ける気がないのか、楓はいきなり話題を変えた。
 「──おまえ今日、イタズラしかけてみる気ある?」
 「だれに」
 「決まってんだろ。ご先祖さ」
 「ご先祖?」
 楓はぷっと吹き出した。
 そうか。こいつなぁんにも知らないんだったなぁ。

 「あのな。ご先祖って、おれが付けた先生のあだ名」
 「なんで」
 「なんでって・・・そうだな、年寄りじみてるからかな。でもジイサンって呼んだら、聞こえが悪くて気の毒じゃん」
 「へえ、優しいんだね楓って」
 「はあ」
 気の抜けた返事をして、楓は続けた。
 「同盟ってのは、オトコとオンナでひとりずつ組んで、イタズラをしたりテキストの宿題を一緒にする“組合”のこと」
 「よろしく」
 すかさず挨拶した姉貴を、楓はヘンな顔をして見つめた。

 説明が遅れたが、姉貴は長く地方にいたので方言が残っている。
 ちなみに、楓はシンガポールから日本に五歳の時にやってきた。シンガポール生まれの日本人。あれ? シンガポール生まれのシンガポール人なのかな。とにかくへんな二人。

 「楓は同盟相手がいなかったの?」
 「ちょっと中抜けしてたもんでね」
 短く言うと、さっきの話だけど、と続けた。
 「今日さっそく、例のご先祖にイタズラをしてやろうと思うんだけど。恒例行事として」
 「ごつい子らっちゃねー」
 「今日のイタズラは、おまえが考えるんだぜ?」
 「もう考えてるよ」
 「は?」
 聞き返す楓に、姉貴はにっと笑った。
 「きっとうまくいく」

 さて、授業も無事にすんで、ぞろぞろと五年生はなにごともないように出ていく。
 しかし、これからがお立会いなのだ。
 まず、みんなが“あすこ”と呼んでいる、玄関続きの階段に座りこむ。ここが唯一の集会場だ。みんなはここが、世界一話しやすい場所だと思っていた。
 「今夜のイタズラは、あたしにとっておきの案があるからまかしといて」
 姉貴が切り出し、ヒロが心底驚いたように言った。
 「楓のオンナ版みたい。姉貴はどこの国から来た人ですか?」
 その言葉の裏には、今まで一度もこんなやつはいなかった。いつも初日は恥ずかしがってばかりで、イタズラの提案なんてしたやつなんてだれもいなかったんだと含まれていた。

 「よっぽど自信ありそうだな。教えろよ」
 楓が先を促す。
 「あんたたち、ご先祖先生の車のありか、知ってる?」
 ご先祖は車で塾に通っていた。それで楓を家まで送っていくこともある。
 「ああ」
 「それでだ。その車に“駐車違反”の張り紙貼るんだ。先生、びっくりするよぉ? まちがいない」
 「ふわあ」
 「やるなぁ」
 みんな口々に騒ぎ出すのを、楓が注意深く見守っている。

 「まず無地の紙を出して──それを、10センチ×5センチくらいに切って・・・それで、コンパスでど真ん中に“違反”のマークを書いて。だいじょうぶ、暗いから、少しゆがんだってわからない。その下に出来る限り活字体で、“神奈川県警”って書くんだ」
 「そこまでする!?」
 「そう。そこまでする。もし万が一イタズラに気づかずにご先祖先生が最寄の警察署に“出頭”しても、気が付かなかった先生が悪い。問題集でいえば、“ケアレスミス”ってとこ」
 「すげえな」
 なんとなくけおされたような一同を見回し、
 「感心しとらんと。はい、できた? なら車まで行くよ。だれかセロテープかのり持ってない?」
 「おれ、のり持ってる」
 「都会はなんでもあるねぇ」
 「今度は姉貴が感心してないで、行こう」
 一行は道に放置してある先生の車のところに行った。

 「これがそうだけど」
 「でーんと、フロントガラスのところに貼るんだ」
 「おまえが考えたんだから、おまえが貼れ!」
 楓がにやにやしながら言うのをさえぎる。
 「さっきから黙って聞いてりゃあ──あたしの名前は“おまえ”じゃない。最初にヒトに名前を聞いといて、“姉貴”の名で呼ばないとはシツレイな。以後、“おまえ”が“おまえ”呼ばわりしたら、返事をしない上に“おまえ”を“おまえ”呼ばわりするからそのつもりでいなよカ・エ・デくん」
 ケムに巻くと、やおらフロントガラスに向き直り、

 ベタッ!
 「これで完了」
 「よっ、それでこそ姐御!」
 「かっくいー」
 「ヒューヒュー☆」
 「楓、この人のことは、今日から姉貴って呼ばなきゃいけないみたいだね」
 「さーねー」
 にやにやするヒロに、楓が気のない返事をしている。

 「ご先祖、どんな顔するだろ」
 「きっとこんな顔さ」
 と、チャンビオンがものすごい崩れた顔をしてみせた。
 「あはははは!」
 みんな大笑いして、それからお互いに手をふって、それぞれの家路についた。

 その夜、みんなはご先祖の驚き顔を思いえがいてみて、にやにやしながら寝返りを打ったことだろう。


                       書き始め 6年3月
                       書き終り 中一4月
                            つづく

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