山口小夜の不思議遊戯

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2005年09月24日
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 武人は六年生だった。

 ということは、来年は中学生として市内の中学校に遠路はるばる通うことになる。
 そして、分校を卒業すると同時に、地元の大将の役割も継ぎの者にゆずるのが、この集落の子供たちのならいだった。

 早いもので、もう二月が過ぎていた。
 そして、例年では継ぎの大将が決まっている頃であるのに、その名はまだ誰にも報告されていなかった。

 武人は新しい大将決めのことを、自分の胸の中だけにしまいこんでいた。
 彼はこのところずっと自分自身と向き合って過ごし、心をかき乱されながら、真実を必死につかもうとしていた。

 しかしさんざん考え抜いたあげくにも、浮かび上がってくるのは、ただひとりの名ばかりであることを、彼は自分に対して認めざるを得なかった。



 これを結論にしてしまうと、ある意味でさらに多くの問題を生み出すものだった。

 こうも考えあぐんで、ゆたの名が消えないということは、確かにあの少年がなんらかの形で相生の命運と結びついているにちがいない。

 だが周知のとおり、豊は孤高の少年であり、徒党を組んだ際の働きといい、また年功序列からいっても来年度に六年生になる斥候の綾一郎が次期大将には自然であった。
 その一コ下には、これまた斥候としての覚えめでたい尚敦がひかえている。
 相生を守る者として、他の集落にもよくその力量が知られている綾一郎と尚敦のどちらも適役に違いなく、まったく問題なく決まるはずの新大将と副将だった。

 少年として、大将の地位を願わない者はない。
 武人にしても、今までの働きの報酬として、自分の機動力としての右腕だった斥候の二人に、大将、副大将をゆずってやりたかった。斥候の後任としては、てつが動いてくれるだろう。

 だが自分の選択に素直になればなるほど、どうしてこうも豊の影がちらつくのか。
 武人はそこから意味を読み取ろうとしたが、いくらがんばってみても納得のいく理由はあがらなかった。
 いままで経験した何にもまして、この袋小路は彼を悩ませた。




 本日の日記---------------------------------------------------------

 さあさあ皆様 お唄いなされ
 唄じゃ御器量は下がりゃせぬ

 甚句唄うよな
 いなせないなせな姉さんと


 突然ですが、皆さまは‘甚句’をご存じですか?
 ‘じんく’と読みます。聞いたことがある方もいらっしゃると思います。

 甚句は、江戸時代の中期から各地に誕生したもので、ルーツは定かではないのですが、各地方での謡として、また民謡として今日親しまれているものも多いのです。
 長い物語をうたう口説(くどき)から変化したものともいわれ、仕事うたや盆踊うた,酒宴の席の三味線うたなどいろいろな用いられ方をしています。
 各地の甚句の共通したものとしては、歌詞が七七七五であることがあげられます。

 起源については、
[1]元禄期に流行した兵庫口説のなかに甚九郎という者をうたった節があり、それを甚丸と呼んでひろめられたという説。
[2]各地に発生した土地の句を地ン句と称したという説。
[3]神に供えるうたという意味の神供(じんく)からきたものという説。 など諸説があり、いずれも決定的なものとはなっていません。

 さて、鳥取では、傘おどり、三朝小唄、貝殻節などが甚句のルーツを持ちますが、相生村においては、作業唄や宴の余興として次第に喉自慢、唄くらべとなって、名歌手は様々な場面で喜ばれます。

 こんなことを突然書いたのはですね──

 昨日、父方の親戚の喜寿祝いの式典が都内のホテルであったのです。
 で、来賓の祝辞のほかにも様々な披露があったのですが、客のノリが悪すぎ。トウキョウだから、仕方ないのですが。
 これが鳥取だったら、誰かが一声出した時点でやんやの盛り上がりになり、歌なら歌い出しの一拍目から手拍子合いの手が入るのになぁ~と懐かしく思い出しておりました。

 父がお正月に村の人とともに宴会をした時の甚句は忘れられません。
 もし、甚句をご存じない方のためにここに書きますが、甚句ご紹介以上の意味はありません。甚句はもとより、即興で人をほめていい気分にさせるものですから、内容についてはあまり深い意味のないものです。ただここに、これだけの詩文を即興でおこし、唄つきで歌った者が相生村にいたことを、知っていただきたいのです。

 中村さんとおっしゃる方が即興で作った甚句、聞いてごしなれな。

 人は一代 その名を興す
 アー 生まれは満州大連で
 苦難の末に引き揚げてホイ
 わずか九つその若さ
 ●●の道に合格しホイ
 緑のお江戸は本郷の
 ●●●●進みたる
 姓は山口 名は●●ホイ
 あれから足掛け十五年
 本省勤務の公僕がホイ
 世の人々の手助けの
 かたわら中国残留のホイ
 孤児問題に尽力し
 多く社会に貢献す
 多忙な仕事かたわらにホイ
 ●●●●研究は、
 古今稀なる見識で
 はたまた●●友の会ホイ
 多彩な活動続けたり
 時は流れてここ節目ホイ
 転勤族もひと区切り
 豊かな経験実績を
 活かして進む鳥取県ホイ
 これから更なるご発展
 春風さわやか このよき日
 めでたく迎えし正月祝ホイ
 お世話になりよる ご来賓
 お友達やら皆さまと
 挙げてお祝いヨーホホイ申します

 中村さん、宴の華よ!
 ひとり言が長くなってしまいました。明日は●武人、喜平じぃを訪問す●です。タイムスリップして、喜平じぃという大樹のもとに寄りなんせ。






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最終更新日  2005年09月24日 06時42分01秒
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