アラフォー女子のおすすめ商品

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長男のこと 誕生~



H6年長男くんを出産。超安産でした。五体満足のかわいい埴輪?宇宙人?顔の子がそこにいました。色が白くて、大きな目をキョロキョロ。本当に可愛くて、お見舞いに来た他の産婦さんのご家族からも褒めていただいていました。

ところが、今思えば(…というか退院後すぐ?)そのころから、
「いつ(新生児室に)行っても、お宅の赤ちゃんは起きて、キョロキョロしてるね。」と言われるほど、寝ない子どもでした。

おっぱいの飲みも悪く、いつも飲み残しを絞り捨てるほどでした。
「よく出ていいね。」なんていわれていたんですが、体重の増加も少なく、明らかにミルク飲みが悪かったのです。(正常範囲の下限は維持していたのですが。)

一週間で、無事退院。そこからが、新米ママには、大変でした。

しかも、私には、母親がいません。(いるにはいるのですが、精神疾患のため、長期入院中です。)主人の両親は個人商店を営んでいるため、負担をかけられません。里帰り出産で、出産時には伯母お世話になり、退院後は、伯父
の奥さんや、いとこのお嫁さんにいろいろ教えていただきました。もちろん、当時超元気だった、祖母にも。近所づきあいが盛んなと言うか、コミニティのしっかりしている地域なので、ご近所の方にも大変お世話になりました。

泣く・寝ない・飲まない・よく下痢をする。これで、本当に疲れてしまって、当時TVで、育児ノイローゼで2階の窓から赤ちゃんを投げ捨てて死なせてしまったお母さんのことが報道されていると、他人事ではない気がしていました。

けれど、私は短大で幼児教育を学んでいたので、初めての経験とも言えないことなので、わが子を育てるのはこんなに難しいものなのか?!世のお母さん方はなんと立派なのだろう。…と、過ごしてきたのです。





(2)検診・親子教室・言語療法・保育園

検診で順調に引っかかって、(小さめなのと、そっくり返って泣くのと、言葉が遅いのと、超多動なのと、人に関心が無いのと…次々問題点を指摘されました。)保健士さんに指導を受けました。

ちょうど2歳離れた次男くんも誕生。
すやすや眠り、泣いてもすぐまた寝る。
長男くんに手がかかりすぎて、泣いても放っておかれるがそれでも寝る。
寝起きがいい。
おしゃべり。起きたらすぐ話に来る。
…これぞ、普通。これでこそ、普通。

じゃあ、長男くんは?

わきあがる疑問??????

思い切って、1歳半から勧められた町主催の「親子教室」へ。
親子教室に指導に来てくれていた医師会の「言語療法室」に3歳ぐらいから通いました。
保育所でいろいろもまれたほうがいいでしょうと言われ、そのころ、保育所に入所もさせてもらいました。

でもそれらは、長男くんにはあまり効果的ではありませんでした。

超多動の長男くんにとって、座って受ける訓練は向いていませんでした。

自閉傾向の強かった長男くんには保育所も刺激が多すぎたり、強すぎたりと感じることも多かったようです。

保育所は相談に応じてくれて、加配を配置してくれたり、知育教材をみんなが取り組む時間には大好きな赤ちゃん組みにお邪魔したり、他の先生のところへいったり、外で加配の先生と遊んだり臨機応変にしていただきました。

医師会の言語訓練はここの場合、老人などの失語症の訓練をメインにされているところなので、障害児向けのプログラムをあまり持っていませんでした。
最初に出会った先生とは相性がよかったのですが、次の先生とは合わず、訓練の1時間中いやでぐずってしまうのでついに辞めてしまいました。





(3)本格的に療育スタート

4歳くらいだったでしょうか、幼児通園施設連絡協議会の巡回相談を受けました。

簡単な発達検査の後に、通園施設の嘱託職員に
「『認知』が悪いから、ADHDがあるね、でも、ADHDだけだとここまで悪くないだろうから、他にも脳に障害があるよ。脳波をとったり、病院で詳しく検査をしてもらった方がいいよ。」
また、当時、ガラスを割ったり大いに大暴れしていた長男くんの武勇伝を聞くと、
「まわりの対応が悪かった場合、(当時、TVニュースで話題だった)ADHDのお子さんが引き起こしたと言われる事件のような子になるかもよ。」
と言うようなことを言われてショックを受けて自宅へ帰りました。
でもなぜか、そうか私の育て方が悪かったわけではなく、この子に障害があったのだと分かると、ほっとしたものです。

そこから、小児神経内科のある病院を訪れ、問診している間に、小児科内の1診~4診すべてのカーテンを開け、ベッドを渡り歩く長男くんに、
「ADHDですね。」
「MRIと脳波の検査をしましょう。」
となりました。

MRIでは異常は見られませんでしたが、MRI検査に映らないような微細な傷などが脳内にあるケースも多いと聞きました。

脳波検査はいつ発作が起きてもおかしくないくらい発作波が出ていると言うことで薬物療法が決まりました。

そして、先ほど私にショックを与えてくださった通園施設の外来にもかかることにしました。





(4)本当の療育!

(3)で外来療育でお世話になったK園に、通園することになったのは長男くんが保育園の年長さんになってからでした。

旦那さまが納得してくれず、手こずったため、募集終了後困っていることを巡回相談の時に伝えると、園へ夫婦して呼び出され、旦那様を説得してくださいました。
それから慌てて、児童相談所に駆け込み入園が決定しました。

ここでの療育は、遊びを中心としたと言うか遊びだけ?と保護者の誰もが戸惑うくらいの大胆な遊びや生活に結びつくような遊び体験ばかりでした。
しかし、これが後に知る作業療法(OT)だったとは…。

それでも、のびのびと遊べる子がうらやましいくらい、わが長男くんは自閉傾向が強く、なかなか設定された遊びや給食の時間でさえ参加しにくい状態でした。

けれど、その参加しにくい状況を理解してくれて、じっと来るのを待っていてくれたり、一人勝手に別のテーブルを出して食事をする長男くんと一緒に食事をしてくださる先生方に次第に心を開いていく長男くん。

この姿を思い出すと、今でも涙があふれてきます。

そうこうする内に、おとなしい子となら遊べたり、好きな遊びだとみんなと一緒でも遊べるようになって来たのです。

やっとなれたと思った時に担任の先生が目の前で倒れられ、担任が、2ヶ月くらい外来でお世話になったことのある先生に代わりました。(でもこの先生も後に小学校に上がった時にコーディネーターとして、小学校をたびたび訪問していただきました。)

最初、ショックだったのですが、「いろんな人に関わっていただけて幸せな子だな」と思うようになりました。

この園では母子通園と言う形をとっていたので、私も母としての勉強をさせていただきました。
講演会や学習会も多く本当に大切なことを学ばせていただいたと思います。

K園ありがとう!





(5)小学校?養護学校(分級)?

就学は、初めての(…でもないか)選択場面でした。

正直結構迷いました。

周りの目もあるし、旦那さまは頑固だし…。

でも、ちょうど年長さんのときに通園施設に通っていたことで、
前向きに養護学校を選ぶことができました。

それに、巡回相談に駆け込みで隣の地域の巡回枠に入れてもらったときに
お世話になった先生が、
「養護学校に見学に行くのでついでに手紙を持ってhatomiさん家に寄るわ ね。」と電話をくださったのがきっかけで、私も見学について行けた事も幸いしました。

やはり、一人で行くには養護学校ってハードルが高いですから。

ちょうど、K園の担任だった先生が倒れてしまって、急だし、進路選択時でK園から見学に行く人、K園に見学・相談に来る人で(しかも我が家は来るまで時間ほどの距離があるので)先生方もどうにも対応できず、一人で見学先生に報告というスタイルをとっていました。

分級ということで、こじんまり家庭的な雰囲気で、場所見知りしてしまう長男くんがスーッと入って溶け込んでしまったのには驚きました。

小学校の方は、障害児クラスが2クラスあっても重度の子でさえほとんど普通クラスへ行かせてしまっていてクラスとして成り立っていなかったのです。

しかも、2時間目の後の大休憩の時に全校集会が毎日あるという変なカリキュラムで、のんびりマイペースで、大集団の苦手な長男くんには不向きでした。

長男くんを連れて行っても、すぐソワソワ、帰るとなると喜んで、
「また来てね。」にも、即答で「いや。」でした。

初めての本人による自己決定でした。

こうなると、それを尊重するしかないでしょうね。

ずいぶん反対や非難も受けました。

通園施設に通う後輩ママさんや、手をつなぐ親の会の人にまで。
でも、これをバネにしていつか見返してやるぞ!
「養護学校を選んでて正解だったよね。」といわれるように!
さらなる、努力目標ができたわけです。

この分級を選んだのには隣接して、隣の学区の小学校があり、校庭の遊具・体育館・給食室は共有していたので、同年代の普通の子と自然な交流ができたからです。このメリットは他の学校ではなかなかないですよね。
これがなかったら、選んでいなかったかもしれません。

通学は、養護学校だと普通スクールバスですが、分級なので、タクシー通学でした。
小学部・中学部は義務教育期間なので、交通費はかかりません。
(一部リッチな家庭はかかりますけど。)
他にも、就学奨励費というのや、いろいろあって、諸費用と給食費くらいがかかるだけでした。

いろんな安心を手に入れることができたので、周りからどうこう言われても強くいられたのだと思います。





(6)養護学校?小学校?

小学部2年生の時、また、転機が訪れました。

交流に地元の小学校へ月に1時間くらいから(大好きなプールとか参加しやすい教科の中で)顔を出すようになって、長男くんの口から
「ぼくも小学校へ行きたい。何でぼく分級なん?」
という言葉が出始めたのです。

ちょうど2歳下の次男くんが小学校入学する時なので、
3年生に上がるころ落ち着いていたら、小学校へ転校しようと、
最初から考えてはいたのですが、それで大丈夫かしら、やっていけるかしら?
と、決めかねていたのです。

当時、分級の子達は重度心身障害児が2名。自閉症で知的障害の子が1人。だったので、かなり物足りないくらいに長男くんは成長してきていたのです。
しかも、みんな休みがちでなかなかそろっていなかったですし。
なので、当然そういう要求(友達と○○したい)が、自然と出てきたのでしょう。

計画通りの長男くんの成長を心から喜び、また、お世話になった分級の先生に感謝しています。

以前、問題だ!と抗議した甲斐あって、地元小学校も 校長も担任もカリキュラムも授業形態もずいぶん改善が見られたことも小学校へ移るきっかけとなりました。

教育委員会の方にも感謝!

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