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2017年04月21日
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おはようございます、ひなこです。

日本の実家に英国旅行の古びた写真が未だに残っていたのを発見し持って帰ってきたので、英国旅行の話を書くことにしました。
って、33年前なので、思い出すの大変ですけど。
(いつの間に、33年も過ぎたんだろう)

小学校の卒業文集に「将来の夢:外国行くぞ!特に英国!」と書いたひなこですから、いつかはイギリスに行くぞというのは、心の奥底にいつもあって、高校に入る前にバイトした書店でイギリスのガイドブックを買って、自分の部屋にはロンドンとイギリスの地図を貼ったりもしていました。↓当時の写真。


で、短大生になって、せっせとバイトをして、お金を貯めて、2年生になる前の春休みに1か月念願のイギリスへと初海外旅行に行きました。当時、リクルートさんが、大学生向けに安いパッケージを組んでいたので、それを利用しました。
行きと帰りの飛行機往復と、初日のロンドンと最終日のロンドンのホテル(二人部屋)が1泊ずつついているだけで、その中間の1か月は自由行動。添乗員さんもいません。
利用航空会社は、香港のキャセイ・パシフィック、南回りのロンドン行きでした。
本当は、女友達と二人で行こうと思っていたのですが、友達の都合が悪くなったので一人で参加しました。一人っ子なので、一人でも全く平気な私。買い物なんかも、若い時から大体一人で行ってましたね。



当時、札幌に住んでいたので、道庁で初のパスポートを作りました。未成年だったので、親のハンコも必要で、実家に書類を送って、送り返してもらってと面倒でしたけれども。

札幌でリクルートの説明会があった時、参加したのですが、女子大に通っていたので、いつのまにか女の園の生活にすっかりなじんでいたようで、説明者の方が何か冗談を言って参加していた皆が「ワハハ!」と笑ったら、声のトーンが低くて、「ひえ~!」と驚愕したのを今でも覚えています。
高校の時は、文系のクラスだったけど、男子が女子の倍いたんですよ。
人間って、こんな短期間にすぐ新しい環境に順応するのね、なんて感慨深かったものです。
その説明会では、とにかく外国は治安が悪くて危ない、日本のようにのほほんとしてちゃだめだよというのをすっごく言われました。定番の「だるまになった日本人旅行者」の話で、慄いたりして。

そこで、ひなこは、お手製の腹に巻く貴重品袋を作って、パスポートとトラベラーズ・チェックはずっと腹巻貴重品袋に入れて旅行していたんですよ。
おかげで、パスポートもトラベラーズチェックも、ちょっとふにょふにょになりましたけど、泥棒には遭いませんでした!
そういえば、高校の同級生で、クイズで香港旅行が当たって、香港にいる間すっごく気を付けていたのに、日本に帰ってきてほっとして気を抜いたら東京でカメラ盗まれちゃったという人がいたけど。

荷物は、高校の修学旅行の時買ったスポーツ・バッグ1個で行きました。
身軽な方が移動も楽だし、プラクティカルですからね。
服は、もうあれですよ、着替えを上下1着ずつ持っただけで、洗濯して交互に2着あればいいっしょみたいな、もうおしゃれとか無縁な考え方です。足りなきゃ、現地調達でいいべという。


後期の試験が終わって、そのまま札幌から東京へ行きました。
1984年2月18日土曜日のようです。(黴臭いアルバム情報による)
成田を夜発つ日の朝一の千歳→羽田の飛行機を取りました。(スカイメートが使えたあの頃・・・。遠い目)
そうしたらですね、忘れもしません。
その前日に関東一体で大雪が降りましてね。2月17日の金曜日だったんだ。
https://my.plaza.rakuten.co.jp/diary/update/draft/?d_date=20170321&d_seq=14178948

その日は、札幌はとっても良いお天気でした。

で、翌日、2月18日土曜日はかなりの早起きをしたのですが、えー、札幌、吹雪でした・・・。
https://my.plaza.rakuten.co.jp/diary/update/draft/?d_date=20170321&d_seq=14178948
まだ、早朝で除雪車も入ってない状態ですから、もう、膝までずぼずぼっと道なき道を歩いて札幌駅まで行きました。(札幌駅に歩いて行ける距離に住んでいた)
心の中では、こりゃ、ロンドンどころか、ひなこ、千歳空港に着いておしまいかもよ?つーか、千歳空港も危なかったりして?と95%くらい思ってましたね。これじゃあ、羽田行きは欠航だろうって。

で、まあ、なんとか千歳空港につきまして(あの頃の千歳空港って南千歳の駅から歩いて行くようになってたんだよな。遠い目)、千歳は雪が降っていなかったので、なんとか羽田へ行くことができました。
高校時代の友達が二人羽田でお迎えしてくれて、成田までお見送りということで、一緒に来てくれました。
成田に着く前に、バスの中で身分証明書のチェックとかされたのが、物々しくて衝撃的でした。(まあ、2年前にもまだ同じことされましたけど、今は物々しさ消えましたよね)
で、友達が「さあ、日本を出る前に最後に何食べたい?ひなこが決めていいよ」と言うので、「うーんと、カレーライス」とカレーを食べました。「お前は、生田斗真か!」とツッコみ。
食い意地が張っているので、33年過ぎても、食べた物はしっかり覚えているひなこであった。

集合場所に行くと、リクルートの方から航空券をもらい、「君たち、ラッキーだったねえ。昨日出発だったら行けなかったもんねえ」と言われました。
参加しているメンバーは、皆さん、卒業旅行の方々で、私が一番年下でした。
(そして、どなたも海外旅行は既に経験済み)
私は初海外ということで(そして多分なおかつ北海道から出てきた田舎娘ということで)、「大丈夫なのお?!」と一同から大心配されました。
申し訳ございません!!!
多分、成田の時点で、既に「お上りさん」の雰囲気を醸し出していたんだと思います。てへっ♡(19歳ですからね、ちょっとかわいこぶってもまだ許されます)

リクルートの方に、「ロンドンの空港にうちのスタッフいますから。気を付けてね!」と見送られ出国です。
で、やはり集団で行動するにはリーダーが必要ですから、誰が言い出したという訳でもないのですが、大学4年生のある男子がなんとなく、このグループのリーダーという感じになって、彼がロンドンまで仕切る形になりました。

まだ前日の残雪残る成田の滑走路、いざ香港まで・・・、いや、違った、その前に台湾に行ったんだった。
搭乗の列に並んでいる時、前にいたおばさんが「あなた、どこまで行くの?」って日本語で話しかけてきて、当然日本人のおばさんだと思って、「ロンドンですう!!!どこまでですか?」って聞いたら、「私は台北に帰るのよ」と言われ、「え?日本語すっごい上手ですね」と言ったら、「だって、ほら私達世代は、学校で日本語で教育受けたでしょ」と言われ、ひなこは全く歴史知らずなので、「なぜ?」という顔をしていたら、「昔台湾はね、日本の植民地だったのよ」と歴史の説明を受けました。
おばさんの手には、日本で購入した炊飯器がありました。

というわけで、台北経由で、まずは香港を目指します。
続く。





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最終更新日  2020年04月04日 07時37分00秒
[1984年2月―3月英国1周貧乏旅行] カテゴリの最新記事


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