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2017年12月10日
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おはようございます、ひなこです。

先日、ビーフストロガノフを作ったんですよ。ひなこ、好きなんです。
ところが、夫に「俺はこんなもん食わん」と言われました。「一体、それ何語やねん?」などと突っ込まれました。まあバシャメルソースも嫌いな人なので。(ひなこ、ホワイトソース大好き。クリームシチューはたまに自分用に作ります)
「ロシア語かなー」と答えたひなこ、結局一人でこれを片付けることに。
つるとんたん(うどん屋)に、”クリームのおうどん”なんてあるし、昨日は、うどんとからめて食べました。
明日は、フェトチーネとからめるか・・・。

2年ぶりのどうでしょうゼミナール開校です。
放送日は、2002年1月6日。


どうでしょうゼミナール直前必勝特別講座。

とってもテンション高い二人ですが、収録は朝の5時から始まったそうだ。
そこへ、テンション低めの大泉校長先生が、「案ずるな受験生」と登場。

どうでしょうゼミナール、略して”どうゼミ”第3弾の今回は、日本史だそうです。
今回の講師は、校長先生。

千歳空港へ向かう車内。
安田さんとミスターがは、学生服に学生帽。
今回はミスターも生徒。どこへ行くかも知らない。フリーなので、よく喋るミスター。
一方緊張している校長先生。
今回、洋ちゃんは行先を知っている。事前に「この本読め!」と大量の本も渡された。
藤やん「実は大泉さんは教員免許を持っている。ご専門は?」
洋「高校地理歴史です」

ミスター「光栄です!」

今回も、もう言う必要もないでしょうが、生徒二人が試験で満点を取れなければ、四国八十八箇所を周る。
今回は、満点を取れなかった生徒も一緒に周る。
満点取れた生徒は行かなくていい。
校長「ちょっと待ってくれ。ただ私が四国に行く確率が上がっただけじゃないのか?」

安田さん「僕はバカです。でも前回のあの悔しさは忘れていません。帰りの飛行機の中で、僕は泣きました」
BGMは吉田拓郎さんの♪今日まで僕は生きてみました。

今回の出題範囲。
校長「歴史を勉強するうえで一番大事なのは興味を持つということ。やはり一番面白いのは戦国時代。織田信長!」
織田信長の天下統一の足取りをたどりながら旅をして勉強するそうです。
歴史好きのミスターは、わくわくしてます。
織田信長のデビュー戦は桶狭間の戦い。名古屋へ行く。
ミスター「(藤村さんの)お母さんには会えるんですか?」
藤やん「そんな時間はありません」

洋「V止めてくれよ。この本読まないとないんだ」と取り出したのは、漫画で読む・日本の歴史。
ミスター「漫画じゃねえかよ!」

午前8時50分千歳発のANA機で名古屋へ。

名古屋到着。
車で移動の車内。

校長「満点を取りたいかあ?」
生徒二人「おお」
これはアメリカ横断クイズのコピー。

ここから校長先生の講義が始まります。
織田信長、鳴かぬなら殺してしまえホトトギスの人。
1338年、足利尊氏が室町幕府を開き、室町時代が始まった。
1338年とだけ言った後に、ミスターがすかさず、「早すぎませんか?」
戦国時代はその室町幕府の力が弱った100年後になる。
1467年の応仁の乱をきっかけに、戦国大名が台頭した。

キーワード。
『守護』
1185年に武家社会の警察である守護を源頼朝が諸国に置いた。
しかし、室町時代になると守護請の権利を持つようになり、守護が荘園や公領の経営を任され、毎年一定の年貢納入を請け負うようになった。
そういう人たちが守護大名となった。
守護領国制。
あー、ひなこ、もう訳わかんない。
有名なのは、敦賀の今川義元、信濃の武田信玄、薩摩の島津貴久。
今川仮名目録”分国法が書かれている、これは、覚えて。

さて、守護は京都に住み、代わりに守護代を地元に置くようになった。
守護代で有名なのが、越後の上杉、越前の朝倉、そして尾張の織田。
織田家は守護代出身。
信長のお父さんの代。
ミスター「お父さんの名前は?」
校長「恒彦」
ミスター「そりゃあ、あんたのお父さんでしょ」
校長「受験生、試験に出ないことは覚えなくていい!」

校長「安田君、もし君が北海道を治めようと思ったら、どこを押さえる?」
安田「富良野」
校長「へそだからね。違うだろ。札幌でしょ」

戦国大名は、京都に出ようとした。当時一番勢力を誇っていたのは、今川義元。1560年の地図が出てくる。
そして1560年5月12日に、今川義元は京都に向け出発した。
織田信長は27歳。
安田「今の私と同じ年」
今川勢2万⑤千人、織田勢3千人。
桶狭間の戦い前夜、信長は清洲城にいた。
この後、藤やんと校長先生の小芝居。
信長は籠城案を蹴り、戦うと宣言。
5月19日の午前2時、今川が攻めてきたという伝令が届き、信長は敦盛を舞い、午前4時に7,8人の家来を従えて出て行った。そして勝っちゃった。
ええ?!どうやって?!

後枠。
校長先生が話している後ろの坂道を生徒二人がソリで滑り降りてくる。
校長に激突しそうになる。

続く。





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最終更新日  2019年12月21日 12時09分44秒
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