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シベリア鉄道へ



おかしな話なのだが、あれだけ広い国土を持ちながら、列車はモスクワ時間で運行されている。しかし、実際には最大9時間近い時差があるのだから、戸惑うことしきりで、結局のところ、腹時計を目安に動くしかない。

※確認のために書くが、中国は、新彊ウイグル自治区から、内蒙古、チベット、北京、上海、広州、南の海南島にいたるまで、すべて北京時間で動く。

とにかく、このシベリア鉄道では、食事が一番の楽しみ。その基準としては、腹時計が一番、信用がおける。

ただ、腹時計は時に狂いを生じる。駅のホーム(というかホームというものは存在しないが)に地元の農家の人が食べ物を売りにきて、それで結構、お腹がふくれたりする。そうすると狂いが生じる。

それからいくと、太陽の角度がいちばん分かりやすいのかもしれない。夕日とともに食堂車にいくわけだ。


満州里からザバイカリスクをぬけて、タルスカヤまでは、シベリア鉄道本線とはちがい、むかし東清鉄道とよばれたルートである。ある意味で、支線。

ちなみに日本史で大津事件という、ロシアの皇太子がおそわれる事件があったが、このとき皇太子はシベリア鉄道の全通を祝って、極東の日本まできていた。そのとき、日本で遭難した。

タルスカヤまでは、まるで草原の草木の合間をぬって走るように、列車はすすんだ。わずかに開いた窓からは、夏とは思えない、冷たい空気が車内に流れ込む。ときに、迫った草木がその窓のすきまから、ぴらぴらという感じで車内をかすめていく。

夕暮れなずむころ、シベリア本線に合流。なにしろ、ひっきりなしに貨物列車に出会う。それに、どいつもこいつも長い。このシベリア鉄道本線が幹線であることをうかがわせる。

なかには、戦車などを積んだ貨物列車が、無防備にも、雨曝しのままで、何台ものせられていたりする。民需上はもちろん、軍需上もこのシベリア鉄道が大動脈であることを実感する。

なんで、ハイウエーをつくらないんだろう、と思ったら、零下40度のなか、凍りついた道路は話にならないという。むろん、あれから20年近く、事態はかわっているかもしれない。

また、中国ではなかったが、鉄橋には、かならず兵隊ではないが、番人がついていた。

ところで、食堂車。かわったことは、いくつかある。値段のないメニューは、用意ができないというのはかわらないが、メニューの言語にエスペラントが加わった。

窓際に普通の食パンより、ひとまわりくらい小さな黒パンが、10枚ほど、銀のお皿に盛り付けてあった。そばには、むかし、学校給食でパンとともにでてきた2センチ立方のサイズのバターがあったが、それににたようなものが、窓際に10個ほど置いてあった。

このパン。けっこう癖になるおいしさで、おかわりは自由。なくなるとパンを足してくれる。白いパンもあったが、黒いパンのほうが、おいしく感じられた。

でも、そのあと日本にもどって、いろいろな黒パンをたべたが、なかなか、「癖になる」黒パンには出会っていない。

夏だが、ボルシチが、非常に美味しく感じられた。タイガ地帯をいく列車の窓からは、すっかり日の暮れた漆黒の闇がひろがるのみだった。

あすは、イルクーツクに着く。

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