2012年GW東北遠征(2)
GW遠征レポート(5)、5月2日のお昼前から。今年の東北遠征の目的は、昨年のGWに見た被災地の変化を見たかったことや本州最北端到達、秘湯めぐりなどいろいろありましたが、下北半島にある原発関連施設の立地場所訪問も大きな目的になっておりました。下北半島の付け根の「六ヶ所村」はよく報道で名前が出ますが、ここには使用済核燃料の再処理施設があるわけです。
11:47、その再処理施設の近くにある六ヶ所原燃PRセンターです。あとで出てきますが、このあたり再処理施設だけでなく、国の石油備蓄基地や、風力発電施設など、エネルギー関連の象徴のような村であることが改めてわかりました。
では、中に入ります。原発関連施設の近くにはこのような立派なPR施設があり、どこも無料で開放しています。ちゃんと予約すれば施設の説明なども詳しくしてくれます。ここは日本原燃という国策会社がやっている施設で、使用済燃料からプルトニウムやウランを取り出してMOX燃料という形に変えて再度原発の燃料に使うわけですが、まだ試運転段階で全面的な稼働が行われているわけではありません。周辺には高・低レベル放射性物質貯蔵施設などもあって、まさに核リサイクルの村といった感じ。
展望台からの景色。正面がむつ小川原国家石油備蓄基地といって、70年代の石油ショック後に日本初の備蓄基地として建設されたそうです。今回来てみるまで全く知りませんでした。
こんな位置関係です。
備蓄基地の石油タンクの向こうには風力発電の風車が物凄い数ありました。むつ小川原ウィンドファームというそうです。
アップにしてみました。
展望台から海側の方に目を移します。再処理工場、低レベル放射性廃棄物埋設センター、ウラン濃縮工場などの向こうが太平洋です。
そのあたりの説明。
下のフロアは核燃料のリサイクルの説明がわかりやすく展示されています。
日本で今まで再処理ができなかったため、これまでは英仏に依頼していたわけですが、一部それが日本に返還されてきているとのこと。
使用済燃料を運搬するのは非常に大変なことなわけです。
これはもちろん模型ですが、ああいうドラム缶に入れて一定期間地下に埋めて貯蔵しておくわけですが、最終処理というわけではなくあくまでも中間貯蔵施設なわけなんですね。
こんなふうにして埋められるわけです。原発全体のサイクルは途方もなくカネと時間と手間がかかるというのが改めてわかります。かといって、今のように感情的に原発廃止とだけ叫んでいる人々には違和感を覚えます。自分の使っている電気も使ったあとこんなふうになっているわけですよね。あと、これまで原発立地地域をいくつも訪れましたが、原発施設誘致をしている自治体は大抵このような村が多く、税収豊富で平成の大合併もせず村のままでいる場合が大半のように思えます。新潟の刈羽村とか茨城の東海村、このあとに出てくる東通村などもその例です。こういった自治体の位置づけをどうしていくのかトータルに考えないと、拙速な感情論のみで目の前から原発という言葉だけを消し去るみたいな風潮はいかがなものかと思ったりするわけです。
さて、次は12:48、六ヶ所村の北にある東通(ひがしどおり)村にある東北電力・東通原発のPRセンター「トントゥビレッジ」に来ました。
霧で霞んでしまいましたが、展望台からは一号機?が見えました。ちなみにここは東北電力の原発がありますが、東京電力の原発も建設途上だったんですね。今はストップしていますが。福島第一原発も東京電力のサービスエリア外でしたが、首都圏からこんな離れたところから電力を持ってくるというのはどうよ、という感じがしなくもないです。
左側の方が東電の建設中の立地。
東北電力の方の原発のジオラマ。
先日、北海道の泊原発が停止して今日本では一つも原発が稼働していない状況になったのは周知のとおりです。ところで、これから行く大間町にも電源開発による原発建設計画があったんですね。知りませんでした。
東通原発はまだ新しいので福島とは同じにならないようにも思います。社会科見学を終え、このあとは下北半島右上の突端、尻屋崎に向かいます。。
GW東北遠征レポート(6)です。5月2日の午後、下北半島めぐりです。六ヶ所村・東通村のあとは下北半島の東海岸を北上、突端の尻屋崎へ。
13:35、尻屋崎灯台に到着。このころ霧がひどく視界は最悪。。
尻屋崎周辺で放牧されている寒立馬(かんだちめ)です。足が太くて体も大きく、迫力のある馬です。
黙々と草を食んでいます。。
津軽海峡方向ですが、全然見えません。
灯台も霞んでいます。
岩場側から灯台方向。
真下から。
津軽海峡はかつて海の難所だったそうで、灯台が不可欠でした。
13:45、尻屋崎灯台を出発。ちなみに今このあたりです。このあとはむつ市内中心部を通り過ぎ、恐山へ。今回楽しみにしていた訪問先のひとつ。
14:36、霊場恐山の表示。このあと山をさらに登っていった先にあります。
14:43、着きました、霊場恐山。
「恐山」というのは、中央にある「宇曽利(うそり)湖」を囲む外輪山の総称だそうですね。
では中に入ります。ちなみに参拝料500円。これを払えば中にある温泉も無料。
門には「○○寺」という名前はないんですね。一応「恐山菩提寺」というのが正式名称のようです。862年に最澄の弟子の慈覚大師が開山したそうです。古い!
本堂へ。
本堂に向かう途中にある湯屋。
反対側にも少し大きめの湯屋。帰りに入浴することにしました。
御本堂です。
裏手にはこのような「地獄」があります。来るまでわからなかったですが、恐山とは東北の温泉地域に比較的よくある火山の噴火口(地獄)に由来しているんですね。
荒涼とした土地が広がっています。
「みたま石」。それぞれに由来があるようです。
地獄側から境内方向。
カルデラ湖である宇曽利湖と、その手前の賽の河原。昔の人は確かにこの風景を見たら霊的なものを感じるかもしれませんね。「宇曽利」と「恐れ」の発音が結構似ていますので、きっと関係あるんでしょう。
「無間地獄」、奥が深そうな名前。
ここは賽銭が投げられる場所ですが、お金が熱で溶けています。恐るべし、恐山。。
GW東北遠征レポート(7)です。5月2日、霊場恐山の続きから。
14:57霊場恐山の中にある恐山温泉に入ることにしました。寺社の中に温泉があるというのはあまりないパターンでは。ちなみにここには宿坊もあって宿泊もできます。
温泉らしい硫黄系の温泉。渋い湯屋です。身を清めさせていただきました。
15:17、風呂上がりに霊場恐山でしか食べられないヨモギアイスをいただきました。合掌。
恐山を降り、再び山の中、15:56奥薬研温泉の「かっぱの湯」に来ました。ここも由緒あるところですね。
横に渓流が流れている静かな秘湯の趣ですが、お湯が熱くて長くはいられませんでした。
湯屋を上から。
横を流れる大畑川。
16:15、物足りなかったので先ほどの「かっぱの湯」より更に奥にある「夫婦かっぱの湯」にも来てみました。
ここはちゃんとしたレストハウスがあり、そこから川の方へ下りて行きます。
写真だと川と一体化しているように見えますね。ここは適温で長く入れました。
反対側からの目線。このあとはこの日の宿泊地、下風呂(しもふろ)温泉へ。地名にも「風呂」がついているのは温泉好きにはとても惹かれます。
下風呂温泉のさが旅館というところに投宿。17:33、部屋の窓から見えた津軽海峡。残念ながらガス(地元の人は霧といわずにガスというそうです)が濃くてよく見えません。
となりの旅館。昨年のGWは震災前に、この「まるほん旅館」に一泊したあと、大間からフェリーで函館に渡り、登別、苫小牧まで行ってそこからさらにフェリーで茨城の大洗港に戻ってくるという旅程を予約しておりました。
こちらがさが旅館。
さが旅館の隣にある下風呂温泉の公共浴場、大湯。夜9時までなので、こちらの大湯にまず入ることにしました。
少し高台にある元湯から見える下風呂温泉街と津軽海峡。
18:25、大湯の風呂上がりに散歩。下風呂温泉には鉄道は通っていないのですが、「鉄道アーチ橋」というのがあります。
下風呂温泉の案内図。小ぢんまりとした温泉街です。
先ほどの鉄道アーチ橋には駅だけがあります。
足湯もあります。
歴史を確認します。
外はそろそろ暗くなってきました。本州の最果ての雰囲気。
この鉄道橋は、そもそも戦前にこの先の大間まで鉄道が通る計画があり、その際建設された橋が今も残されているというわけでした。戦争中の物資不足で建設中止になったのですが、もし青函トンネルが今の津軽半島ルートでなく、下北半島ルートになったら(実際に検討されたそうです)、「幻」にならずにこのあたりに本当に鉄道が通っていたことになるとのこと。
19:15、さが旅館の晩飯。海の幸豊富で嬉しくなりました。翌日はマグロで有名な最北端の大間へ。。
GW東北遠征レポート(8)です。5月3日、今回の最大の目的地、本州最北端大間へ。大間は有名なマグロの水揚げ港でもあります。
7:15、下風呂温泉・さが旅館から津軽海峡方向。この日の天気予報では大雨。もう首都圏などでは雨が降っているタイミングでしたが、このあたりはまだのようでした。
7:22、やはり海の幸が中心の朝飯。ご飯の上の黒いのは何とかという海藻で、真ん中の塩辛をまず鍋に落とした後、この海藻をしゃぶしゃぶして食べるという方法。いろいろな食べ方があるものです。
下風呂のある風間浦村の中心部を通過し、海岸沿いを30分弱走り、8:37大間崎到着。大間は大間町という町ですが、このあたりの下北半島突端西部はなぜか平成の市町村合併がなかったんですね。灯台がある島は大間崎からさらに北にある弁天島という島。
大間崎にはいろいろなモニュメントが立っています。
1945年7月に米軍に撃沈された豊国丸の慰霊碑。商船を改造した特務船だったとのこと。
こちらは石川啄木の石碑。
本州最北端。
逆光になりましたが、これも「本州最北端」。
マグロのモニュメント。数百kgもある巨大マグロとほぼ同じ大きさだそうです。
天気がもっと良ければこの先に北海道が見えるのですが。。
大間崎の店では看板にあるまぐろの塩辛はじめいろいろ買って帰りました。このあと下北半島を一気に南下します。
10:26、下北半島付け根の陸奥湾側にある横浜町の道の駅よこはま。
このあたりはほたてが豊富。
こちらは大間崎で買ったお土産。右の「とろ炊き」はまだ冷蔵庫に入っております。。
こちらは道の駅で買った土産。横浜町は菜の花が有名だそうです。
11:17、途中で右舷に見えた陸奥湾。このあたりから雨が激しくなってきました。。
12:20、道の駅浅虫温泉に到着。上のフロアに「ゆっさ浅虫」という温泉が入っています。
こちらは道の駅の隣にある青い森鉄道・浅虫温泉駅。新幹線が開通してからJRでなく青い森鉄道に分割されてしまい、かつ特急電車も通らなくなったので、このあたりは大変です。
道の駅でほたての稚貝汁をいただきました。
浅虫温泉周辺の陸奥湾。
このチョコレートのような三角な島が気になりました。12:37、青森東ICから青森自動車道~東北自動車道を通って一気に南下。黒石ICで下りて、山奥にあるランプの宿として有名な青荷温泉へ向かうことにしました。
13:40、青荷温泉の手前にある道の駅・虹の湖。
大雨だけでなく、強風も吹いていたのですが、桜はきれいでした。
湖の向こう側の桜もきれいでした。弘前の桜はパスしたので、その代わりにここで堪能。
このあとは青荷温泉へ。雨がさらに激しくなってきました。。