2014年12月・沖縄&台湾遠征
一週間経ってしまいましたが、先週の沖縄・台湾遠征レポート。台湾は小規模社員旅行も兼ねていましたが、せっかくなので私は那覇経由で行くことにしました。
9時台の那覇行きに搭乗。あらかじめ右舷窓側席をとっていたので、富士山ばっちり。FlightRadarというアプリで飛行ルートを研究するようになってから富士山ばっちりの確度が上がりました。
沖縄は2006年に台北の帰りに一泊して以来8年ぶり。今回も往路であること以外はほぼ同じよう亜行動パターン。那覇空港で予約していたレンタカーに乗り換え、沖縄自動車道を北上。途中の伊芸SAで一服。
今回の目的地はここ、名護市辺野古です。報道で頻繁に出てきますが、一度現地に行ってみたいと思っていました。真ん中の看板の上にも書いてありますが、この先に「辺野古社交街」というエリアがあります。普天間飛行場の代替候補地になっている辺野古崎はこの左側の方角。キャンプシュワブという米軍基地があるので見ることはできません。このエリアはかつてキャンプシュワブの米兵で賑わっていたそうで、米軍将校?の名前をとってアップルタウンとも言われていたとのこと。地元ではここにモールを作って再開発する構想もあるようです。しかし、様々な動きに翻弄されて進んでいる印象はないような。。ここも原発立地地域と同じような問題を感じます。。
平日の昼前ということもありますが、ちょっと閑散とした感じ。このあとキャンプシュワブのゲート前を通過しましたが、付近では少人数の抗議デモが行われていました。ごく短時間の訪問ですが、いろいろ考えさせられます。
その後道の駅許田へ。沖縄の道の駅は独特な特産品が多いので楽しいですね。
さらにブセナビーチというところに来ました。ここにある海中公園が目的地。
素晴らしい。私はダイビングは無理なので、これはうれしい限り。
ずっと見ていても飽きないですね。ダイビングした気分になりました。
米軍機が頭上を高速で飛んで行ったりしました。このあと那覇へ戻る途中、普天間飛行場の周辺を一周しました。沖縄に来ると、本当に基地が至る所にあることが肌で感じられますね。
レンタカーを返し、国際通り近くのホテルにチェックイン後、沖縄料理の店へ。ちょうど島唄のライブをやってました。
泡盛サワーを飲みながら、海ぶどう、ゴーヤチャンプルー、アグー豚の餃子。
これはモズクの天ぷら。翌日は台北へ。。
沖縄・台湾遠征その2。20日(土)、那覇から台北へ。
那覇空港にあったプリペイドSIMカードの自動販売機。SONETのものですが、まだあまり他の空港でも見たことないような気もします。
空港内でやっていた沖縄の歴史展示。この後10時台のEVA航空で台北へ。
台北桃園空港着。台湾は9月以来3カ月ぶり。写真は空港内のプリペイドSIM売り場。主要キャリアのブースが並んでいます。
周辺はこんなところ。右側に無印良品があったり、左に銀座ラーメンとかあるので言われないとどこだかわからんですよね。この後同行者とは別れ、ホテルにチェックイン。ホテルは市内から結構離れた深杭というところのホテルでした。
一休みしてホテル周辺の景色。このあたりは豆腐料理で有名とか。
再び市内で同行者及びその友人と夕食のためタクシーで台北101方面へ。台湾のタクシーもカーナビ付きが多くなりましたね。
このあとこの中の店で晩飯。クリスマス前の土曜日ということもあり、多くの人でごった返していました。。
夕食後、台北の原宿ともいわれる西門町へ。この建物は日本統治時代からあった劇場を復元したものかと。
ここからは台北2日目の21日(日)。生憎の雨でしたが、同行者の友人が車を出してくれたので、九份に行くことになりました。九份はかつて日本統治時代以降、金鉱で栄えたところですが、その後廃れたものの、台湾の2・28事件を描いた映画「非情城市」で登場してから観光地として復興、さらには「千と千尋の神隠し」のモデルにもなったという話もあり、人気のスポットとなったところです。ただ、あまり交通の便がよくなく、自力で行くには面倒くさそうだったので、車で行けてラッキーでした。車があれば市内から高速で1時間もあれば着くところです。
この狭い商店街を抜けると九份の中心部。
周囲には日本人観光客も大勢いましたが、日本人が惹かれるものが台湾にはたくさんありますね。
茶館を出て再び散策。。
日本統治時代に建てられたものと思われる小ぶりの映画館。今は博物館的になっているようですが。
炭鉱町の往時を感じさせるところです。もともとは昭和9年に造られたという説明がありますね。日本でも炭鉱が盛んなころは、街中よりずっと炭鉱町のほうが栄えていたなんてことは普通にありましたし。しかし、いいですね、この台湾の雰囲気。。
九份を出て山を一気に下ると、途中にこのような滝が。「黄金の滝」というようです。
そして、その近くにはかつて鉱山の製錬をしていたと思われる廃墟群。
廃墟マニアにもたまらないところです。このあと九份から再び市内に戻り、故宮博物院へ。ここで同行者の友人とはお別れ。大変お世話になりました。
最近は大陸の中国人が大挙してここに来るようになったようです。
地元の台湾人はあまり来なくなったのかも。中華歴代王朝の「三種の神器」である宝物の大半が台湾にあるということを改めて大陸の中国人がここにきて知るとどう思うんでしょう。台湾が独立できない理由のひとつもこういうところにあるのでしょう。とはいうものの、そういうことを言ったらエジプトのロゼッタストーンとかはロンドンの大英博物館にありますし、あまり深く考える必要もないのかも。
博物院内は撮影禁止。WiFiはここでも行けますね。この後1時間少々見学。先般、日本で公開された翡翠の白菜のところは黒山の人だかりでした。
このあと淡水から再び市内へ。9月に宿泊した北投温泉の近くを通過。。
沖縄&台湾レポートその4、淡水から士林夜市へ。
地下の屋台街で今回もここの定番、カキ入りオムレツと麺で夕食。
店の人のてきぱきした仕事ぶりにまた感動。このあと、士林のマッサージ屋でこの夜は全身マッサージ60分。地元の台湾人の感覚では、マッサージは台湾発祥でなく、大陸発祥であまり関心ないとも。観光客向けに最近増えたという印象だそうです。確かにそんな気はしますね。
ここからは最終日、22日(月)。再び台北から那覇経由で東京へ戻りますが、那覇行きの便は7時発なので、3時過ぎに起きて4時ごろにはホテル出発という早さ。。
1時間弱で桃園空港に5時前に到着。深夜便もあるので意外と人はいますね。那覇までは1時間くらい。那覇でのイミグレーションはなんともありませんでしたが、その後の税関ではあれこれいろいろと聞かれ、リュックの中まで奥深く手を突っ込まれました。日本人が沖縄経由のみで台湾から日本に帰るというパターンはあまりなさそうなのと、私の風貌から確実に怪しい運び人と思われたのでしょう。ある意味納得です。しかし、この沖縄経由台湾というルートは、私が前から注目している国境周辺内外観光パック?という新しい分野としてもっと観光ルートとして関心をもたれてもよいと思うのですが。対馬・プサンとか、稚内・サハリンとかそういう組み合わせです。「地方創生」にもつながるし、他国ではこういう国境交流活性化などはよくある話なんですがね。ちなみに、今回は石垣~台北というルートも台湾へのルートとして候補に考えました。
で、那覇空港で3時間くらい乗継待ち。帰りもストップオーバーしてもよかったかも。
帰路の羽田便は左舷窓側席を予約しました。途中までは雲海が厚く広がる景色でした。
途中から雲がなくなり、富士山が見えてきました。沖縄からのフライトは陸から結構離れたルートを飛びますが、遠目の俯瞰の中に富士山とその周辺が地図を見ているように見えて感動です。手前は駿河湾と三保の松原のところ、右側に伊豆半島がくっきり。
去年の今頃行った伊豆の松崎あたりが真下に。肉眼では富士山がもっと真ん中にどんと見えている感じ。
伊豆大島が丸ごとはっきり。三原山の火口もこんなにくっきり見たのは初めてかも。数年前にあそこの火口の近くの温泉に行ったなあと思い出しながら。。
房総半島南端の東側、千倉のあたり。ここからも富士山がくっきり。
さらに房総沖で左旋回して北東側から羽田に入るルートへ。最後まで飽きさせない沖縄&台湾遠征でございました。。