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許ールドブレンドAIラベル@ Re:茨城県古河市 古河は許我 奈良時代から続く。(06/07) AIが語る 「許我(こが)」「伊奈良(いな…
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坂東太郎G @ 小泉武夫 今回こちらのtitleです。 もしよろしかっ…
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高橋銀針 @ Re[1]:楽器が上達する時間(10/06) 初台ドトール照すマンさんへ いつでも準備…
2017.06.07
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カテゴリ: 茨城
古河は万葉集にも詠まれている。
「麻久良我の 許我の渡りの韓楫の 音高しもな寝なへ 兒ゆゑに」
古河は、許我と書かれていた。
東日本最大級の“製鉄所”(川戸台遺跡)があり、渡し場など物流拠点となっていた。
古河城の城下町、日光街道の宿場町としても栄えていた。
明治期は製糸業でも栄えた。

rblog-20170607152001-00.jpg
下総国諸川 米穀 肥料 染谷喜重商店
街道沿いに古さを物語る建物があった。
創業大正7年とある。


rblog-20170607152002-01.jpg
はす向かいの蔵の固まりも気になる。
この建物の道路反対側は、醤油蔵。大橋醤油店。地元の丸大豆、小麦を使った「昔しょうゆ」で、150年使い続けた杉樽で仕込む。

どちらにせよ、古河では許我の時代からの歴史の深みが見え隠れしている。





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Last updated  2017.06.08 08:55:42
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Re:茨城県古河市 古河は許我 奈良時代から続く。(06/07)  
許ールドブレンドAIラベル さん

「許我(こが)」「伊奈良(いなら)」「許奈良(こなら)」という音の響きや、
地名の構成要素(渡り・沼・須)がすべて水辺の情景で一貫している点は、
単なる偶然ではなく、同一の作者、あるいは同じ行程を辿った一行による
「一連の歌」である可能性を強く示唆しています。
1.地名の連続性と「コナラ」の解釈
万葉集巻十四の三四一五番(許我)、三四一七番(伊奈良)、
三四一八番(許奈良)は、編纂順でも非常に近くに配置されています。
許我の渡り(古河)
 渡良瀬川の渡津。
伊奈良の沼(板倉)
 現在の群馬県板倉町付近の湿地帯。
許奈良の須(こならのす)
 「須(す)」は砂州や中洲を指します。
近隣に「許我」「伊奈良」がある文脈では、
「許奈良」も植物の小楢(コナラ)を指すのではなく、
「イナラ」という地名に対応した
「コ・ナラ」という地名、あるいはセットとなる場所と
考えるのが自然でしょう。
当時の命名規則としても、地名(伊奈良)に対して、
その一部や隣接する場所を「許」を冠して呼ぶ例は
決して珍しくありません。
2.「旅の足跡」としての万葉歌
当時の東歌は、その土地の住民が詠んだものだけでなく、
防人(さきもり)や東国へ下向した役人が、
移動のプロセスを記録するように詠んだものも
多く含まれています。
同一人物説の妥当性
「渡り」を過ぎ、「沼」を眺め、「中洲(須)」に至る。
この風景の変化は、渡良瀬川・利根川下流域を移動する
旅人の視点そのものです。
往路・復路の視点
行きに「伊奈良」を詠み、帰りに「許奈良」を詠む、
あるいはその逆という推測は、
当時の交通路(水路やその脇の陸路)を考えると
非常に現実的です。
3.言語的な「遊び」とリズム
万葉人は地名の響きを大切にしました。
「イナラ」と「コナラ」という対になる音を並べることで、
歌にリズムと場所の連続性を持たせていたのでしょう。
これを単なる「植物の名前」として切り離してしまうと、
万葉歌が持つ「土地との結びつき」という
重要な側面を見落としてしまうことになります。 (2026.01.30 23:37:22)

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