ママ、もう泣かないで


ママ、もう泣かないで




大好きなママ
ぼく、虹の橋に来たよ
もうどこも痛くないよ
もう何も苦しくないよ
動物の神さまに抱かれているの


ママ、もう泣かないで
ママが泣いているとぼくも悲しいよ
ママと一緒だったあの日
あの春も、あの夏も
ぼくはいつも幸せだったよ


ママ、後悔なんかしないで
自分を責めたりしないで
「早く気づかなくてごめんなさい」
「もっとこうすればよかった」
「ああしなければよかった」
って、そんなふうに思わないで


ママ、いいことだけ思い出して
楽しかったよね、あの日
笑ったよね、あの時
ママとぼくは、幸せを与えあってたんだね


ママ、とっても寂しかったら
次の子をお迎えしてあげてね
ぼくはやきもちなんて焼かないよ
その子はぼくの代わりじゃなくて
別々に可愛いんだって
ぼく、ちゃんと知っているよ

ママとその子が楽しく過ごして
ママがもう一度笑ってくれたら
ぼくは安心してここで待っていられるの
だから笑顔で暮らしてね


ママ、もう泣かないで
ぼくはずっとママの心に住んでいるの
そしてずっと先のある日
ママと会えることを知ってるの


だから、ママ、もう泣かないで



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少し変えられたものがネット上に出回り始めていると知りショックです…。
これは私個人のオリジナルですので、転載はそのままでお願いいたします。

作者 いっけより






ひとりごと。

初めて「虹の橋」をご紹介した1999年頃には、この詩は今ほどメジャーではなく、動物が亡くなったことを「虹の橋に行った」と表現する人もほとんどいませんでした。
私は自身が、胸がつぶれそうに悲しかった時にこれを知って、とても救われ、それで同じような人たちにも知ってもらえたら…と思い、ネット上に載せただけのことでした。これによって何の利益も受けてはいません。雑誌にも二度載りましたが、掲載誌1冊の他は、金品を戴いてはいません。

「ママ…」の方は、私が嘆き悲しんでいた時に、お坊さんに伺ったお話が元になっています。「したことやしなかったことを後悔しないでください。良いことや楽しかったことだけを思い出して、あなたがまた笑うのが、一番の供養なんですよ」と。
このお話には本当に救われました。
そしてまた、「"死んだ子に悪いからもう飼わない"というのも、良いことではないですよ。それでは死んだ子が悲しみます」と言われました。
最近、知り合いが犬を亡くし、お坊さんのお話を思い出して、本当に一気に作ったのがこの詩です。
私は、虹の橋では時間の流れが違うと信じています。私たちが急いでそこへ行く必要なんてないと思います。あの子達は寂しがったりしないで、遊んで待っていてくれると思っています。

「虹の橋」は、今でこそメジャーになりましたが、昔は「新興宗教の宣伝か」とか「動物が死んだことをネタに金儲けでもするのか」と言われたりもしました。
「ママ…」は「気持ち悪い」とか「人間の勝手な妄想」などと、無記名掲示板に書かれているそうです。そう思われる方は、動物を亡くしてもこういうものが必要ない、強い心の持ち主なのでしょう。

反面、「救われた、ありがとう」というメールも本当にたくさん、数百通は戴きました。「ずっと自分を責めていましたが、初めて気持ちが楽になりました」とか「次の子を飼うとあの子が成仏できないのではと悩んでいましたが、私が楽しく暮らすことが供養の一つと知って安心しました」など、本当にたくさん戴いています。
「虹」も「ママ」も、ブログ等にもたくさん転載されてご活用いただいているようで、本当に嬉しく思います。

どんなものにも、好む人と好まない人がいるのは当然ですね。
どなたにも読めと強要するつもりは全くありませんから、お嫌いな方は、ただスルーしていただけませんか。私だって人間です。わざわざ悪く書かれるのは嬉しいはずがありません。そして、お気持ちにフィットした方が、ご自分なりに活用してくだされば、それで私は嬉しく思います(改変しての掲載はご遠慮下さい)。

ここまで読んでくださってありがとうございます。 管理人いっけ




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