上の子が二年生のときでしょうか?
今時めずらしい熱血な先生が赴任してきました。
既にお子さんが巣立っているぐらいの年配の女性。
でも、とてもエネルギッシュなんです。
そんな先生と、一度だけ私は電話で個人的な話をしました。
それこそ、
「貴女とは、お子さんが卒業してから個人的にお酒でも飲んで話し合いたいわ」
なんて、言ってもらうほど。
そして私も「それはぜひ。数年後を楽しみにしてます」と答えてしまうほど。
しかも夜中に三時間。
自分も相手もビックリな感じでした。
とは言っても子供のことだったので、
先生と母親という立場は決して消えません。
特に、電話のきっかけが上の子が
「誰かに意地悪をされて滅入っていた」という内容だったので、尚更です。
ただ。ああ、本当に人間「相性」なんだ。
そう感じるぐらい、その先生とは話ができました。
だからこそでしょう。
先生は「正直な気持ちをいいますとね」と前置きをし、
私にこんなことを言いました。
教師だって母親は怖いですよ。
我が子のためには牙をむき出しにしてきますからね。
こっちもそういう母親の子供を預かっているんですから、
毎日死に物狂いですよ。
私はその一言で、今年はとりたて大事なことは起こらないだろう。
小さないざこざはあったとしても、
供はきっと大丈夫だ――――と思いました。
そういう意味では、
先生の存在ってやっぱり大きいです。
安心できる先生に当たった経験ができると、
逆に不安な先生がどういうタイプかも明確に見えてきます。
そして、その時先生は電話の向こうで苦笑まみれに違いないという声で、
こうも言いました。
今のいじめと昔のいじめは本当に質が違うんですよ。
昔は出来ない子がいじめられてる場合が多かったのですが、
今はできる子が目立ちすぎてもターゲットになってしまい。
ある意味「理由があってないようなもの」「理屈も成り立たない」んですよ。
まさに、その通りな感じです。
もしくは、無理やり理由や理屈をつくってくるといえるでしょう。
いじめに母親の存在も大きく関与しますが、
やっぱり先生の関心の高さと職務感の大きさで、
本当に良くも悪くもなるんだな…と感じたのを今でも覚えてます。
先生、そう呼ばれている人は。
今一体何を一番大切に考え、
教壇に立っているんでしょうか?
そして、一体子供に何を教えるために、
また何を教えたくて、先生と呼ばれる仕事を選んだのでしょうか?
なんとなく先生と呼ばれる方に聞いてみたいな、と思うのは。
先生、十年後に教え子があなたのことを覚えている自信、ありますか?
「先生には――――を教わったよ」と、
笑ってもらえる自信、ありますか?
そしてその「――――」は、先生が教え、伝えたいと願い。
日々努力をしているものですか?
あなたを「恩師」と呼ぶ生徒は、
どれだけいるんでしょうか?
と同時に、あなたが二十年経っても忘れない生徒、
一体どれぐらいいるんでしょうね?