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山口さんちのツトム君
この歌、そしてこのタイトル。
なんと、山口勉(あるいは努であろうか)がフルネームで登場する。
通常、この手の歌では、さっちゃんとかミヨちゃんなどの愛称が使われる。
ではなぜ「山口さんちのツトム君」なのか?
ちょっとおかしくないか?
なんで、「山口勉君」じゃないのか。
曲を作った、みなみらんぼうは、勉の友達であるユミの心情を歌ったと語っている。
ではなぜ、推定年齢がせいぜい6歳、小学校入学前の女児(このことは「三輪車」の記述より推測される)がその友人を語るとき「山口さん」などという言い方をしたのか。
ここには生活環境における周辺の成人、多分、ユミの両親の影響を感じる。
この家族が周囲の子供たちを皆、わざわざ「○○さんちの」と呼称しているとは思えない。
仮にツトムという名の子供が近所に複数いるとしても「山口勉君」「佐藤努君」でよい。
つまり「山口家」に関しては、呼び捨てにしにくい生活環境があると考えられる。
そう、だから、「ツトムちゃん」ではなく「ツトム君」なのだ。実際、私はこの歌を「山口さんちのツトムちゃん」で歌ったほうが子供らしさを感じる。
では、「山口家」とは、ユミの両親にとって何なのか?
大家だろうか、町内会長だろうか、上司だろうか。
ここで話を最初に戻す。この曲ではツトム君の名を不自然にフルネームで晒(さら)しているように見える。
ここにヒントがあった。
作詞家は通常、曲の登場人物にフルネームを与えない。それは聴いた人間のイメージが固まってしまうからだ。
それではなぜ勉君は「山口さん」である必要があるのか?
なぜ、「勉君」は「ツトム君」であり、「山口さん」は「ヤマグチさん」ではなのか?
実は、ツトム君には山口さんであるが故の苦悩がある。そしてそれがこの曲で歌われている。
もう、お分かりであろう、山口とは苗字ではない。山口さんちのツトム君とはフルネームではない。
ツトムの母は極道の妻であり収監されたのであろう。
田舎とはもちろん地方の女子刑務所であろう。
当然、幼いツトム君は元気をなくすが、やがて刑期を満了して母親が家に帰ってきたときはその喜びはひとしおであっただろう。
ちなみに、歌詞に登場する「つんだばかりのイチゴ」という隠語は「巻き上げたばかりの一億五千万円」という意味である。
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