はるがやって来た

はるがやって来た

運命の日・・・



 久しぶりに、実家に帰ろうと思い、早めに検診を受けることにしました。
検診時、チビちゃんの足の骨が1ヶ月程短いと指摘されました。前回の検診でも同じように短かったが、今回は念のために精密検査を受けるように勧められ・・・。
 病院の公衆電話から、K病院へ電話をしました。翌日の受診が決定しました。
心臓がバクバクして、不安で不安でたまらない・・・。パパさんと実母に泣きながら電話をしました。(母が福岡からとんできてくれました。)

家に帰ってから、インターネットで調べまくりました。
『ダウン症』・・・その言葉に目がとまりました。それ以外にもいろいろな病名が検索され、不安で不安で眠れませんでした。

03.07.18【23W4D】

 K病院へ受診。パパさん、母が心配してついてきてくれました。
待ち時間・・不安で不安で、何度も涙があふれ出てきそうになりました。

そして、診察・・・。
FL(大腿骨長)だけでなく、手も足も骨が短いということ・・・。『四肢短縮症』という診断名がつきました。
Drの説明では、「極端に短いわけではないので、成長と共にわからなくなる場合もあるし、他に障害がある可能性もある。」ということでした。
『生まれてみなければわからない・・・』それがこの時の答えだったように思います。

 その後、F病院のDrへ報告に行きました。
ここで、待っている間も涙がボロボロ・・・。気づくと私は自分を傷つけていました。青染みができるほどに、自分の体をつねっていました。なぜ、こんなことをしていたのか?痛みで気持ちを紛らしていたんでしょうか?よく分かりません・・・。パパさんも涙をこらえていたような感じでした。

周りは、幸せそうな妊婦さんばかり・・・顔も上げられませんでした。

F病院のDrには、「今のところ他に問題がないので、当院で経過を見て出産も出来ますよ!」と言われましたが、もし生まれた子どもに問題があった場合、母子ともに離れ離れになるため、K病院へ転院を決めました。
※悠が生まれた翌月、この病院にもNICUが出来ました。

 お腹の中にいる子どもには、障害があるかもしれないという事実。
子どもはみんな元気に五体満足に生まれてくるものだと思っていた。いや、そうでない事があることも知っていた。でもまさか…。自分がそのような立場になるかもしれないと分かった時、今までの自分が思い描いていた『幸せな家庭』が崩れていった。障害児の母親になるかもしれない…どうしたらいいのか分かりませんでした。
 それから、「パパに悪いことしたなぁ。」そう思いました。私なんかと結婚しなければ、こんな事にならなかったかもしれない。そして、パパの両親にも「息子さんの子どもをこんな風にしてごめんなさい。」そして、自分の両親へも…「初孫なのにごめんね。」
自分を責めることしか出来ませんでした。

 隠していても仕方がない事実を、両親へ報告することにしました。
まず一言目に「詳しい検査は出来ないの?」と言われかなりショックを受けました。実は、私もそう思っていたから・・・。
でも、今真実が分かったとして、私は何をするつもりなのか?中絶・・・?
でも、そう出来る時期はとっくに過ぎていました・・・。

切迫流産を乗り越え、退院してから、体を少し動かすにもゆっくりゆっくりチビちゃんに相談して行動していたのに、この時からわざとはげしく動いたり・・・自分の感情がコントロール出来なくなっていました。

この日から、泣いて泣いての日々が始まりました。

※時々、おそろしくなることがあります。もう少し前に、お腹の中の悠に異常が見つかっていたら・・・?
 もし、異常を理由に堕胎していたら・・・?
 こんなにかわいい笑顔をする「悠」には会えなかったんだな~♪
 私たち夫婦に会いたかったから、わざと隠していたんだろうな♪

この後、インターネットで調べて、御利益のある神社にお参りに行きました。
「チビちゃんの手足が、少しでも標準に近づきますように・・・。何にも問題がありませんように・・・。」

そして、少し遅くなったけれど、この頃「安産祈願」に行きました。神主さんは、とてもいい方で「大変な思いをされましたね!」とゆっくり話まで聞いてくれたんです・・・(*^。^*)そこには、今でもお世話になっています。


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