私の授業では、いつも、生徒に授業評価をしてもらっています。
(もちろん、主催者の了承を得た場合ですが)
それは、「楽しかったか」で5段階評価
それと、「わかったか」で5段階評価
これだけです。
だから、とっても簡単。
ものの15秒で書けてしまいます。
あと、感想を書きたい人だけ、なんぼでも書いてもらいます。
こんなんで、ちゃんと評価ができるのだろうか?
とお思いになる方も多いと思います。
「授業評価」が、焦点になってきています。
が、「評価」となると、アレルギーがある場合が多いと思います。
確かに、評価は、管理・コントロールと裏表に使われます。
さらに、「生徒による授業評価」に疑問があるでしょう。
「生徒に授業を評価する力があるのか」という問題です。
でも、「評価」と言わずに、「アンケート」と考えたらどうでしょう。
例えば、消費財メーカーは自社で開発した製品について、
高いコストを払って、消費者にモニターになってもらい、
使い勝手についてアンケートを採ります。
実際の効果はどうか、買いやすかったか、
わかりづらいところはなかったか、、意見を吸い上げ、
それを製品の改善、改良に利用します。
授業もこれと同じじゃないでしょうか?
ユーザーである生徒に
メーカーである先生や文科省が開発・製品化した「授業」というサービスについて
アンケートをとると考えれば、
「生徒に授業を評価する力があるのか」という意見は
まったく的外れですよね、。
しかも、消費者はその商品が良くなければ購入しなければ済みますが、
生徒は授業が分かりにくいから受けないという訳にはいきません。
たしかに、 「学習効果」について
生徒が客観的に判断が下せるものか、という疑問はあります。
これは、結局、生徒の主観的印象にもとづく数値であり、
ご想像通り、授業に対する満足度(教員に対する好感度も含む)が高ければ
実際の効果とは全く無関係に高くもなれば低くもなりえます。
だから、「学習効果」の測定は教師の側の責任ではないだろうか?
という命題はあります。
その道のプロとして自らの教育効果の判定を棚上げして、
その評価判断まで生徒に委ねていいのだろうか、と。
相対的に自分のレベルを判断できない生徒にとって「効果」というのは
非常に主観的な判断になることになります。
下手をすると、単なる教師への人気投票に近いものになる危険があります。
たとえ、真面目で優秀な生徒でも、
全体的なカリキュラム構成を見渡せる知識を持ち合わせていない以上、
授業そのものの「効果」判定に、ゆらぎが生じるのは当然です。
また、個人の学習効果をもって、
授業の評価に代えて良いのでしょうか?
このように、疑問がいっぱいありますが、
それでも、生徒のアンケート結果は、重要だということは、
これまでの実績が、物語っています。
生徒は、教師の裏側まで、よく見抜いているものです。
そして、現時点での授業のうまさだけでなく、
教師の改善努力もしっかり評価しています。
つまり、教師の成長も、じっくりと見つめているのです。
ただ、これは、生徒の主観的な評価であって、
それを問う意義があるというものです。
客観的な学校や文科省が求める「学力」については、
学校側が測定しなければならないことは、明白です。
じゃ、主観的なアンケートの本当の重要性はどこにあるのでしょうか?
目的とすべきは、何なのでしょうか?
科学寅の授業で配られるアンケートは、何のためになされているのでしょうか?
これは、生徒の創造性をいかに伸ばしたかを、測る目安にするためです。
昨日の記事に、森の声さんが、
科学寅の科学授業は、
アートの表現教育と同じだ、というコメントをいただきましたが、
まさに、それに通じるものだと思っています。
おっと、これについては、また明日。
ここ数日、モーレツに忙しいです。
物理的にも精神的にも。
車をぶっ飛ばして、走り回っています。
でも、全然、苦ではありません。
1日飯も文字通り食べない日もありますが、
こんなにありがたいことはないと思っています。
子どもとの接触機会は、お宝です。
無条件にうれしいものです。
仕事をください!
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