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「目の前に三角形が現れる。青いたくさんの数の三角形が、私の目の前に現れている。やがてそれらは形を変え、四角形になっていく。赤い円が突然現れる。それは、最初は10円玉ぐらいの大きさで、やがてどんどん大きくなり、その赤い円はいま、あなたがいる部屋いっぱいの大きさにまで変化していく。そして、円の色が変わっていく。黄色、緑色、青色…まるで、青空か海のようなきれいな青。しばらく、青い円を見つめてみよう。この青い円が立体的になってくるのを、あなたは感じている。球になっていく。それは、コロコロと回りだす。あなたはしばらくの間、この回転する青い球を見ている。回転する球が、いつの間にか、地球になっていく。暗い宇宙空間で、ゆっくりと回転する青い地球。あなたはいま、宇宙の外から地球を眺めている。どんな気分だろうか。あなたはその気分をじっくりと味わっている。突然、景色が変わる。冬の景色。あなたは、どこかの田舎道にいる。雪が降っている。積もった雪の上を、あなたは歩いている。その感触、その音、その冷たさ、その景色、その空気の匂い、あなたは、すべての感覚を総動員して感じている。サクサクと足音が聞こえる。空気がさわやかで冷たい。吐く息が白く見える。遠くで寺の鐘が鳴っている。いつの間にかあなたは、暖かい南の島の海岸にいる。空は青く、日差しは柔らかく、あなたの肌は暖かさを感じている。潮の香り、足下の砂の感触、波音、海は広々と広がり、波が次々と岸へ押し寄せてくる。あなたは砂浜を歩いている。砂が熱い。あなたは水際に走り、足を水に浸す。熱さがスーッと溶けていくのを感じる。とても気持ちがいい。挽き立ての珈琲の香りが匂ってくる。鼻をくすぐる、とてもよい香り。あなたは、目の前に現れたカップを口に運ぶ。コーヒーのほろ苦さが、口の中に充満する。いつの間にかあなたは、林の中を歩いている。天気のよい日、木洩れ日があなたと地面を照らし出している。なたは、林の中に続く小径をあるく。林の中を歩いていると、前方から一人のおじいさんがやってきた。あなたたちは、お互いに立ち止まり、そしてあなたは、おじいさんに話かける。あなたにとって、幸せとは何か。あなたにとっての幸せはどこにあるのか。あなたは老人と話をしている。老人は何事かを話しはじめる。あなたは、その言葉に耳をすます。あなたは、心ゆくまでおじいさんと会話を楽しむ。さあ、ゆっくりと背伸びをしてください。そっと目を開けましょう。おじいさんが語った言葉は、あなたの潜在意識からのメッセージです。」●効能あなたの身体的な全感覚が目覚めます。五感を使ってイメージすると、心の中にリアルな感情がわき起こります。リアルな感情は、あなたのイメージをダイレクトに潜在意識に届けます。そしてそれは、集合的無意識と結びつき、あなたの人生に、楽しい偶然の一致(シンクロニシティ)を呼び込むことでしょう。これが願望実現の秘訣です。このイメトレによって、願望実現の秘訣を学ぶことができます。
2020.07.24
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私達の行動の裏には必ず動機がありますよね。さっぱり行動しない、全然勉強しない、などは動機が足りないのです。この動機に関わり、「運を高める」のに必須の神経伝達物質が、セロトニンと並んで有名な、ドーパミンです。これは、誰かにほめられたり、得をしたときなど、脳が喜びを感じると分泌され、私たちに快感をもたらします。どうすれば効率よくドーパミンは分泌されるんでしょう?最も効率が良いのは、恋愛だと言われています。誰かに恋をして、その相手からも愛されるときには、心がドキドキします。ドーパミンが分泌されている証拠ですと言っても、恋愛はひとりではできませんそこで、ひとりでできる「妄想」をおすすめします。この妄想だけでも、ドーパミンは分泌されるということがわかっています。さらに、自分自身への恋愛でもいいのです。「自分は何て凄いんだろう」という妄想です。お笑い芸人の中には「目力」がすごい人がいますね。目がギラギラいていて、独特の力強さがあります。彼らは、おそらく自分で自分に恋をしているのでしょう。テレビカメラの向こうに何千・何万のファンが拍手喝采をしている姿が思い浮かべられてるのです。ドーパミンは健康にもいいですし、美しくもなれます。何せ、よい妄想は元手がかかりませんし、いつでもどこでも簡単に手に入る粧品であり、媚薬です。さらに、教育者である私が声を大にしてアピールしたい、脳内物質(ホルモン)があります。それは、自分より弱い立場の存在の人を愛しいと思うとき出るオキシトシンです。これは記憶力や学習の能力を向上させてくれるのです。主に母親が出産のとき、子育てのときに、分泌されるものですが、これが何と、自分の本当の子ども相手でなくても、分泌されるということがわかってきました。さらには、女性でなくても、男性が子育てをする場合でもオキシトシンは出るのです。子どもに限らず、部下や後輩を愛情をもって育て・指導したときもです。弱い立場と言えば、身体障碍者や病人の世話もそうです。昔から、「教師が一番成長する」と言われます。これは、「教える練習を繰り返しするから」、ということ以上の秘密があったのです。生物の歴史を見ても、私たち現生人類(ホモサピエンス)の亜種のひとつに、ネアンデルタール人がいます。なぜ、彼らが我々ホモサピエンスとの競争に負けて絶滅してしまったのか、謎だったのですが、最近の研究では、ホモサピエンスの方が、「妄想が上手だったから、」というのが定説となりだしています。つまり、女・子どもなどの弱者を共同体で守る力が強かったのです。これは考古学的研究からも言われています。また、神様や王様などの目に見えない権威を認め、社会性をより発達させたこと。言語のコミュニケーションを発達させたことなどです。すべて、妄想力が土台となっています一般に願望実現のための引き寄せの法則では、リアルなイメージを描く力が大切だと強く言われます。しかも、それは五感そのものを、イメージの中でいかに働かせることができる、が勝負だそうです。これのトレーニング・ナレーションを聞いてみましょう。
2020.07.24
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どうしてある人には、面白くてワクワクするものなのに、ある人には退屈でつまらないものになってしまうのでしょう。私は、気づいたのです。それは、体験や経験の違いがあるからです。どうしたら、たくさんの面白い体験をもってもらえるのでしょう。結局は感受性の問題。ですが、その感受性もその人の意識の固定観念です。そもそも体験や経験というものは、その人が持つ意識の固定観念の中でしか認識されないものです。先日、私は車の免許証を紛失して、大変な騒ぎを起こしてしまったのですが、これは、私の想像力が、疲れた身体を通して産み出した空想の産物だったわけです。そもそも「これは現実だ」と思っていることの多くが、空想のものなら、「多くの体験を積ませる」なんて、つまるところ、人間の脳に、いかに信じ込ませるイメージを描かせるか、ということになってしまいます。と言うことは、物事を見る目、すなわち視野が変化すれば、現実が変わるということです。ここで、私は、とても重大なワークを思いついたのです。人間の心は、「自己検閲」を自然に行ってしまうものです。人の表面に表れる意識は、その人の視野と固定観念で、体験する出来事に意味付けをしている、ということです。人は無意識のうちに、制限された視野の中で「意識を編集」してしまうのです。自分が興味がないと思うこと、意味が感じられないこと、自分にはどうでもいいと思えることを削除して、新たに構築された「現実」なのです。ということは、人間は常に、体験した出来事の情報の断片のみを、しかも検閲された形で受け取って、それを自分の潜在意識の中に、感情を伴った「体験」として溜めていっているということです。そうやって潜在意識は形づくられてきて、それがその人の生き方を、偏らせてしまうのです。だとすれば、この自らの自己検閲をたたき壊せば、視野を広げることになって、人生を変えることになるんじゃないでしょうか。#ここからが、エクササイズです。これを1日5分、1週間続けてみてください。人生が変わりますよ。日常生活の中で、わたしたちはさまざまなことを感じながら生活しています。しかし、その感覚は、私たち自身が無意識のうちに選択したものなのです。試しに以下のエクササイズを行ってみてください。思ったよりむずかしいと思いますが、このエクササイズをイ日5分、1週間も続けていくと、いつのまにか、自分自身の意識の枠が広がっていることに気が付くはずです。意識の枠が広がるということは、あなた自身の視野が広がるということです。そしてそれは、あなたの心の中の固定観念が変わっていくことでもあります。★いま、あなたがいる場所で、あなたが感じること、聞こえること、見えること、思うことを、ありのままに口に出してみてください。自分自身に対して報告するつもりで、実際に言葉にしてみるのです。〇外で車の音がするなら、 そう口に出す。〇何かが見えるなら、 そう口に出す。〇何かを身体で感じるのなら、 そう口に出す。〇何かの音楽が思い浮かんだなら、 そう口に出す。〇何も思い浮かばないなら、 そう口に出す。〇自分は今、何て馬鹿らしいことをやっているんだろうと思うなら、 そう口に出す。●ポイントやってみるとわかりますが、自分がどうでもいいと思うことや、意味が感じられないことを、あなたは自然に無視しようとするはずです。そうした心の動きには、できるだけ抵抗してみましょう。何とか、頭に浮かんだことを、ありのままに口に出してみるのです。●効能あなたの顕在意識による常識が、あなたの内面から湧き出てくる意識や思考・イメージに対して、自己検閲することが困難になっていき、無意識からの情報を、ありのままに受け取ることができるようになります。
2020.07.23
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一流のプロのアスリートやビジネスマンに、「あなたのような一流になるためにはどうしたらいいでしょう?」と聞くと、「とにかくどんな仕事も、ワクワク面白がることだよ」と答えてくれる場合がほとんどです。面白がるといい仕事ができるというよりも、仕事を楽しんでしている姿が、周囲の人々に好印象を与えるんでしょうね。実は、「面白い」は、「今」を見ての言葉ではなくて、先を見ている言葉です。今、目の前にある課題そのものは、難しかったり面倒であったりするんですが、それをクリアした後に面白いことが待っている、面白さが手に入るということを「見ているから」出る言葉だったのです。瞑想では「今」に集中するようにと言われます。それは、心がここにないからです。存在しなくなっている心を今にまず引き戻すこと。その上で、今、存在しない未来を「今」に存在させること。これが成功するために必要なのです。つまり、「面白がる」とは、未来の現実化なのです。
2020.07.23
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最近、マインドフルネスという瞑想をいたるところで見かけます。この瞑想はもともと「ヴィパッサナー瞑想」と呼ばれる。仏教の瞑想に端を発しています。「ヴィっパッサナー」という言葉は、パーリ語で「よく見る」という意味で、同じパーリ語の「サティ(気づき)をもとに、英語で「マインドフルネス」と翻訳されました。この瞑想は、ブッダがそれで悟った瞑想として知られています。お釈迦様と同じ修行なら安心ですよね。現在、東南アジアの上座仏教を中心に実践されています。1970年代に、米国正チューセッツ工科大学マインドフルネスセンターの所長が、その仏教色を抜いて、ストレス軽減法として脱宗教化した瞑想が、このマインドフルネスです。この瞑想法は、現在では、宗教・文化の枠を超えて、世界中で広く実践されています。世界的な一流企業、インテル・グーグル・IBMなどの社員研修として活用されています。日本の企業でも取り入れるところが少しずつ増えてきております。おすすめのマインドフルネスの基本コースは、①からだの部位に意識を向ける5分間②鼻の呼吸に意識を向ける5分間の計10分間を、1日1回できるときに行う、ということです。わかった。この深呼吸みたいなものを毎日やればいいのね。でも、これってどういう良いことがあるの?この瞑想を20分以上やった人からは、高い確率でα波が出やすいことが大脳生理学的に実証されています。さらに継続してやっていると、日常生活のどこでも簡単に瞑想状態に入れるようになってきます。ということは、思いがけずイライラするアクシデントに出会っても、一瞬で自分を取り戻せるのです。集中力を復活できるのです。サラっと書きましたが、これって凄いことですよね。集中できなくて困っている人は本当に大勢います。そういう人ライバルたちを簡単に振り切って自分の世界をすすめるのです。ですから、マインドフルネスの本の宣伝に、「頭が超よくなる」と書いてあるのも当然だ、と納得します。問題に巻き込まれた時でも、全体を俯瞰できる「鷹の目をもつ」ことができるのですから、問題解決能力もアップします。また、からだや呼吸という自分の中で起こっていることにしっかりと気づけるようになるということは、自分のものの感じ方や考え方について、徐々に気づけるようになるということです。ということは、自分の価値をちゃんと自覚できる、ということです。今の自分にはとてもとてもできそうにないと思うかもしれませんが、これは、脳のトレーニングなのです。この新しいトレーニングを続けていれば、障碍者の脳に起きたような、奇跡的な超能力も夢ではないはずです。さあ、受験生こそ、このマインドフルネスをやってみましょう。受験勉強が何倍にも進むこと間違いありません。マインドフルネス 仏教瞑想と近代科学が生み出す、心の科学の現在形 (別冊サンガジャパン) [ 蓑輪顕量 ]楽天で購入
2020.07.22
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従来の定説は、大人の脳は、本質的には構造においても機能においても変化しない、というものでした。しかし、それは間違いだったのです。脳は偉大な可塑性をもっていたのです。つまり、構造においても、機能においても大変身できるのです。大人になっても。しかも、それが、外部からの薬物とかの影響ではなく、自分がどんな経験をするか、どんな考え方をするかで、脳はどんどん変化していくことがわかってきたのです。目の見えない人が点字を読んでいると、指の触覚的世界が視覚的世界を開いていくことがわかってきたのです。同様に、耳の聞こえない聴覚野からの情報が、視覚情報に変換されることもわかってきています。もともと別のことをしている脳に、どうやら新しい機能をもたらせることが可能のようなんです。いいですか。障碍者でもそうなんですから、普通の脳をもっている人たちの性格を変換することが可能なのも当然ではありませんか。「前向きな思考ができない」「悲観的になってしまう」脳のクセを変換は可能なのです。その偉大な実験にお釈迦様も挑んできたのです。そのことを今後、まとめていきたいと思います。「私は勉強に不向きだ」と思う方、ぜひお読みください。
2020.07.21
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ストレスはどうして生まれるんだろう。簡単な答えは、世界を自分と自分以外のものに分けて考え、自分以外の物事に気を向けてしまうからです。それらに対する思いや感情に巻き込まれるからです。自分と自分の外にあるものの間で、生み出される緊張状態の中にあるからです。だったら、この緊張状態をどうしたら解消・緩和できるのでしょうか?答えは簡単です。自分の心が外に向かうことで気散じ=ストレスが起こっているのなら、心が自分の外に向かわないようにすればいいのです。つまり、外に向かう心を、自分の内側に向ければいいのです。では、どうやって?瞑想です。瞑想の方法は、数千あると言われています。宗教色のあるものから、純粋な呼吸法にいたるまで。例えば座禅ですと、半眼で前下方を集中せず、ただ漠然と眺めることによって、自分の外にある特定の対象に意識が向かうのを止め、自分の心の内側に意識が向くようにしますあるいは、密教で行う月輪観という瞑想ですと、目の前にある月の輪の形を心に刻んで集中することで、心を自分の内側に向けさせます。といった具合に、心を自分の内側に向け、外へとすべりださせずに留めるやり方は、瞑想ごとに千差万別です。しかし、「心を自分の内側に向ける」という点では、すべての瞑想は同じしくみを持っているのです。
2020.07.21
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燃えつき症候群と呼ばれる状態の人がいます。そういう人は、物事を直線的にゴールまでつながっていると考える人みたいです。しかし、真実は螺旋状の階段なのです。らせん状だからこそ、どこまでもどこまでもネジのように上っていけるのです。直線の目標は、ゴールまで来たら、その先がないのです。常に次の目標があるのです。燃え尽きることはないのです。
2020.07.21
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VRを使ったスポーツの練習法が注目を浴びています。アメフトのQBは何度も何度もこれで練習をするそうです。相手が別な反応をした時にことも想定して、×何百のパターンも。ただのビデオによる学習は、何世代も前の化石と化しているそうです。これです。VRを使った学習です。目指すのは。今は実現できないでしょう。(5年もしないうちに、我々の身近な存在になることは明白ですが)でも、この考えで学習することはできます。たとえば「コロンブス」の学習では、コロンブスにまつわる様々な角度からの情報を「コロンブス」というワードの重ね合わせていくのです。そして、もし、「こうなったら」というIFの世界をできるだけアリアリと描き出してみるのです。その苦労を重ねていくと次第にコロンブスが立体的なVRの情報であなたのものになります。現実に体験した記憶くらい強いものはありません。最強の学習となるでしょう。VRは現実ではありません。しかし現実以上に強烈に私たちの心を掴みます。ある種の洗脳にも使えるでしょう。
2020.07.18
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信じられないところにパスを出す一流選手。それは、その選手にとっては活躍している場が、日常的な物理空間か、抽象思考のできる仮想空間かの違いだ、ということです。つまり、地上で常識的な物理法則のもとで戦うのか、エバンゲリオンのように新兵器を使って戦うのかの選択だ、というわけです。もちろん片方は空想の世界です。しかし、空想でも脳は、現実と区別ができないのです。最近の中学生が読んでいるファンタジー・ノベルも、物凄く激しいものです。読んでいて、おじさんはアタマが疲れてフラフラになってしまいます。彼の脳の中では、物凄いスポーツをしているんだなあ、と感心することがあります。
2020.07.17
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サッカーやバスケットのプレーの違いだけではありません。一般社会でも同じです。プレーを一段高いところから観ることができる人というのは、つまり、簡単に言えば「教えられたことはできる人」と「今まで見たこともない問題も解ける人」の違いです。これはどこから来ているのでしょう。別な言葉で言えば、「高い視点をもてるかどうか」苫米地博士流に言えば、「抽象度が高い」世界を持てるかどうかなのでしょう。博士の言葉を借りますと、IQというのは、抽象度の高い宇宙に対して身体性を持って操作できるかどうか、という能力ということになります。たとえば実際には存在していない虚数の空間をまるで存在しているかのように、指や身体で感じて、臨場感を持って話をできるかどうかの違いだそうです。つまり、目の前の具体的なボールの位置とか、相手の突然の動きに引きずられないで戦略を考えられるかということです。実は、一流プレイヤーが演じている世界はリアルの現実世界ではないのです。映画と同じ、仮想世界に入っているのです。その仮想世界でいて、なおかつ臨場感をもって戦略的に動いているのです。これには深いリラックスが必要です。リラックスをしながら超集中をするのです。
2020.07.16
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私は中学時代、バスケットボールをしていました。自ら望んだのではありません。そもそも運動のセンスが高かったわけではないのです。身長が中一で178センチあったからで、目立ったのです。それで強引にスカウトされたのです。と言うか拉致されたんです。もちろん、身長の影響で、歩幅もありましたから、そのお陰で、徒競走も比較的に早く、学校代表のリレーの選手にもなりました。で、バスケットのバの字も分からずにバスケットを始めてしまったのですが、苦しい練習を私は真面目に頑張りました。繰り返し、繰り返し練習しました。自宅にリングまで作ってもらって夜遅くまで練習しました。お陰でシュートの成功率は高まりました。友だちからは、コンピューター付きのランナーだと言われるまでに。しかし、私は大きな壁にぶつかりました。単純に練習量を増やしてシュートの成功率を上げるだけでは超えられない壁です。当時、先輩たちの中には、県の代表にもなれるだろうと言われる一流のプレイヤーもいたのです。その先輩たちとプレーをしました。その時、強烈な衝撃が走ったのを覚えています。ボールが思いもよらない方向から飛んで来るのです。また、予想もしない方向に走っていくのです。そして、そこにパスを出すことを求められるのです。当然、怒鳴られました。まるでネイティブの英国人たちの中に入り込んだ、日本の子どものようだったのです。チンプンカンプンで、相手のプレーの意味が分からないというより、コミュニケーションが全く取れないのです。しばらく頭を冷やしてから、冷静に先輩たちのプレーを眺めてみました。すると、分かってきたことがあります。先輩たちは、試合全体が見渡せているのです。それに対して、私はボールしか見えていないのです。これは後から気が付いたのですが、サッカーの中田選手が、まるでアタマのてっぺんに目がついているように、高いところからコート全体を見渡せる能力をもっているかのような能力です。そして、この能力があるかどうかが、一流と二流を分ける違いだってことも。
2020.07.16
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病を患っていようとも、悪い運命にあろうとも、心がそれを気にかけなければいいのだ。そのためにこそ、瞑想とりうものがあるのだろう。我々は、身体に栄養物を取り入れる時、これは食べてはいいものか、悪いものか、栄養になるか、身体のためになるかならないか、ということなどをよく吟味します。ところが、心や精神に、外界からあらゆる情報を受け入れるときに、それらをチェックしているだろうか?私達の人生は、日常的な私達の考え方や思いが、血となり肉となってあらゆる人生を形創ってきているのだ。特に私達が発する言葉は、何気ないものでも、どんな言葉も、、我々の観念が、言葉となって出てきているのです。自分の言葉ほど強い感化力・暗示力をもったものはありません。言葉は薬です。毒薬です。細心の注意を。
2020.07.15
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僕たちの身の周りは、映画の画面のようなもの。どんなに悲惨でも、また、どんなに幸運でも、私そのものの実体まで悲惨や幸運になる必要はない。もちろん、その方がハッピーなら大いに画面と同一化すればいいんだけれど、あくまで映像だよ。入り込まないこと。ハッピーなときはマアいいでしょう。問題は、不幸な時。身に病があっても、運命に非なるものがあっても「心まで病ますまい。」私は「力の結晶」だ。病にも運命にもあたゆるものに打ち克つ力だ!
2020.07.14
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自然界のすべてのものや現象は、究極的には「空」と名付けられれる「唯一の存在」に内在する事柄から発現したものです。そこから、人間はどのような時でも、その心は、断固として積極的に、厳として「空」を認識すべきだということになります。つまり、「感謝の念」をもって人生の一切に対応してこそ、空の宇宙で自分の人生を有意義に導くことが出来るのです特に、不平・不満を心に感じた時には、その原因を探り、取り去ることで、その感情を感謝の念に振り替えるように努めましょう。インド哲学をもとに創りあげられた中村天風先生の「積極精神」とは、実は「無念夢想」の心のことじゃないでしょうか。つまり、事ある時も事なき時も、心は何かに対峙するのではなく、常に泰然として惑わされない状態にあることです。先生は、その姿勢こそが「絶対的積極」なのだ、と説いているのだと思います。宮本武蔵の名言に「構えあって構えなし」があります。自分の心が、目の前に現れた現象を、惑うことなく在りのままに受け入れている状態こそが「積極心」だと考えられます。それを意識し、打ち負かそうとする心などは、いわば「相対的積極」であり、如何なる病や災い、さらに悪運に見舞われようとも、心がそれらを相手として認めないこと。これらを積極心、またの表現で、「折れない心」というのだと思います。科学的にも人に人に助けられた時以上に、人を助けた時こそ、「感謝の念」をもつべきだ、ということを脳科学者の中野信子先生がおっしゃってます。一見犠牲を払っているように思える場合も、脳は運がよくなる社会的な報酬をガッチリ頂いているのだ、とさえ見なせるのです。
2020.07.11
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数学とは何でしょうか?それは、数学の宇宙があることを前提とした学問です。数学が嫌いという人は、この数学宇宙がつかめないでいる可能性が高いと思います。数学宇宙とは、物理宇宙以外の数式で表現される世界のことです。物理宇宙以外の宇宙なんてあるんでしょうか?マイナスの計算の世界も物理宇宙ではありませんよね。一種の情報空間です。虚数を扱う複素空間なんか、まさに宇宙空間から飛び出しています。しかし、現実的に複素空間は存在します。数学上にしか存在しない空間も実在するのです。なら、「空」の世界も存在するでしょう。「信仰の宇宙」も存在するでしょう。「運」の世界も存在するでしょう。この世には存在しないものを存在させるのが数学だ、とも言えると思います。面白いのは、現実性に関係のない数式を使って、計算を展開していくと、現実世界を表現できることです。この不思議な数学という宇宙を好きになる子の割合が日本の場合、極端に少ないことが問題です。
2020.07.09
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自分が運がいい人間だ、と決め込んでしまう。これが運を良くするコツのひとつだ、ということはよく言われます。本当でしょうか?「空」でも昨日、お話しましたように、何の根拠もなくていいのです。これまでに、自分にはこんなツイていたことがあった、という過去の実績がなくてもかまわないのです。私の経験なんて、「様々な知覚の集まり」に過ぎないのです。つまり私の経験とは、疑似的な感覚にすぎないのです。ホントウの現実と一致しているかどうかは何の保証もないのです。実際、僕たちはよく勘違いや錯覚をします。だから、その経験がホントウに現実と一致しているかどうかなんて、ワカラナイのです。そうなんだけれど、「自分が運がいい」と思った方がお得なのです。いろんな理屈が考えられます。ぜひ、あなたも考えて列挙してみてください。たとえば仕事で失敗したとしましょう。自分が運のいい人間だ、と思っている人は、「自分は運がいいのに失敗した、ということは、準備の段階で自分にミスがあったかもしれない」と考えます。一方、自分は運が悪い人間だ、と思っている人は、「自分がこんなに努力しているのに、自分が運が悪いから成果を挙げられないのだ」と考えてしまいます。どっちがその後の行動に良いかは一目瞭然です。あるいは、夫婦や恋人同士などの人間関係も同様です。「私は運のいい人間だから、この人と一緒にいられる」と考えるのと、「こんな人を選んだ私は運が悪い」と考える人ではその後の運命も決してしまっていますね。
2020.07.09
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「空」とは釈迦が直接唱えた用語ではありません。弟子の龍樹が「般若経」にまとめあげたものです。この経緯の解説はあとでするとして、「色即是空」の般若心経でおなじみですよね。これは600巻以上の超巨大書物をたった262文字にまとめあげたもので、作者不詳です。いろんな解説本が本屋に行くと売ってますんで、お好みのものを選んで読んでみてください。ここでは、科学寅さんが考える般若心経の科学的解釈をお話します。「色即是空」「空即是色」ですが、これは「物体には実体が無い」という意味であり、それをラップ調に格好良く言っているだけで、単純に「A=B」をこれでもかと強調して言っているだけです。龍樹の「空」は、釈迦が悟ったことのひとつ。「縁起」の概念を発展させたもののようです。では、縁起とは?それは「あらゆるものは、必ず何らかの縁によって起こって生滅をし続けており、永遠不変のものとしては存在しない」という釈迦一流の洞察です。よく「ご縁があって、参加させて頂きました」のご縁です。「たまたま知り合いに誘われた」「急に予定があいた」程度の「小さな間接的な原因」のことです。龍樹はこの「縁起」に基づいて、「あらゆる物事、現象は相互の関連性によって成り立っており、確固とした実体としてそこに存在しているわけではない」と「空の哲学」を拡張させたのです。この空の哲学は、現代物理学にも十分通用できるのです。というよりも、現代の量子物理学者は、この空の哲学から量子論を立ち上げたともいえるのです。たとえば、間違いなく物質として存在している鉄の塊を考えてみましょう。鉄は鉄原子が集まってできています。原子は、ご存知のとおり、原子核と電子という部品の組み合わせでそう呼ばれているだけであり、「鉄原子」という確固たるものがそこに存在しているわけではないのです。原子核と電子をバラバラに分解すれば、鉄原子は露のごとく消え失せてしまうのです。そして、原子核も同様に、陽子と中性子からできています。原子核という確固としたものが存在しているわけではないのです。陽子も同様です。陽子は複数のクォークからできています。では、クォークこそが確かな実体なのか。いや、ここまで来ると、もう物質でもないということになってしまいます。いずれにしろ、私達が普段、「確固たるものとして確実に存在している」と思っている「物質」でさえ、実は、パーティーのデコレーションと同様の実体のないものだったのだ。つまるところ、私達は「ある要素の集まりからある部分だけを切り出して名前を付けていただけ」であり、その名前にあたるものが、「独立した確固たる。永遠普遍の何か」としてそこに存在しているわけではないのです。#名前付けと因果関係についてさて、ここで「ある部分だけを切り出して名前をつける」ということについて、「どこをどう切り出したらいいのか」は決まっていません。人それぞれ好き勝手でやってもらっていいのです。必ず、こう切り分けなければならない、という規則があるわけではないのです。だから、たとえばですよ、自転車の「ハンドル」とその周辺にある「酸素分子」、そしてその向こうにたまたまあった、「郵便ポスト」。この3個をひとつの塊として切り出して、「カメハメハ」と名前をつけてもいいのです。もちろん、それによって何らかの価値(メリット)を享受できるのでしたら、なお良いのです。当然、ほとんどの人はこのメリットを理解できません。こんなことに名前をつけるなんて異常なことのように思えてしまいます。だって、そんなものはもともと「無い」からです。さて、ここまでは、空間上の静的なモノについての「色即是空」の話でしたが、同じ話は「事象(出来事)」という「時間軸上の動的なものお」についても適用できるわけです。「空の哲学」のあらゆるものは相互関係によって成り立っているという概念を理解するには、こっちのほうがわかりやすいかもしれません。理科で、あらゆる物理現象は『相互作用』である、と習いましたよね。相互作用とは文字どおり「互いに作用する(影響を与え合う)」ということです。現代物理学では宇宙に発生するすべての物理現象は「電磁気力、重力、弱い力、強い力」の四種類のどれかによって引き起こされており、このいずれもが「相互作用」であるのです。つまり、「あるものが別のものに一方的に影響を与える」という事象は決して起こり得ないのです。私達は、事象を「原因」と「結果」に分けて捉え、「原因→結果」という関係性を絶対的なものとして考えてしまいます。しかし科学的に考えれば、これらは個人個人の「思い込み」だ、ということが明確です。だって、相互作用しかないのですから。さて、このように、私達が日常的に確実な存在として認識している物質Aや「事象AがBに○○した」というのは実のところ、僕たち個人個人の「思い込み」によって「そう見えているだけ」にすぎなかったわけです。本来、世界の真の姿とは、「AともBとも言えないような、どっちがどっちとも言えないような、そんな全てがドロドロに混じり合った海のようなもの」なのです。これが西洋哲学になると、イギリスの懐疑論のヒュームのようになって、「真の因果関係はわかりません」となるのです。ということは、ここからが今日の私の本論です。どうせわからないのです。独断と偏見で、思い切って自分に都合の良いように断言してしまってもいいのではないでしょうか?たとえば、入試に合格する人は「運のいい人」であって、運がよくなるためには「自分が運のいい人だ」と思い込む人のことである、と。そんな独断理論を次回並べてみたいと思います。もちろん、それにはそれなりに理屈があります。科学でさえあります。でも、重要なのはこれらが真であるかどうかではありません。役に立つかどうかです。出は次回をお楽しみに。空の哲学改装版 ヴィギャン・バイラヴ・タントラ (タントラ秘法の書) [ オショー・ラジニーシ ]楽天で購入
2020.07.08
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そもそも釈迦も「悟りの境地」である老病死の不幸を克服する境地を求めていたはずです。それなのに、なぜ、こんなことを言ったのか?それは、ウパニシャッド哲学にはひとつの致命的な問題があったからです。それは「大衆というものは、必ず誤って理解する」ということを忘れていたことです。ヤージュニャヴァルキヤは、「私の本質」を「アートマン」という言葉で定義していたのですが、このアートマンは、「に非ず、に非ず」としか言えないものだったわけです。別の言葉で言えば「私(アートマン)は、捉えることも害することもできないもの、である」とそもそもヤージュニャヴァルキヤは伝えたわけです。それを大衆は、そういう概念としてアートマンを認識しちゃったのです。つまり、「私は〇〇である」という形式をやめようとしなかったのです。これは、インド哲学について何も理解していないと同じなのです。つまり、古代インドでは、このことを「踊り子」と「観客」という言葉を使って解説する伝統があるようですが、今日では「映画」と「観客」という言葉に言い換えた方がわかりやすいかもしれません。真っ暗闇の映画館のなかで、たったひとりで映画を観ている人がいるという状況を想像してみてください。観ている映画があまりにもリアルで素晴らしい出来栄えであったため、自分が観客であることを忘れてのめり込んでしまうことを。映画の主人公に感情移入うしてしまうことを。もちろん、どれほど感情移入して自分自身を映画の主人公と同化させようが、実際のところ、映画とそれを観ている観客の間には、何の関係もないわけです。仮にその映画の内容がどんなに素晴らしい人間を映したものであっても、また惨めな人間を映したものであったとしても、「観客」が素晴らしい人間になったり、惨めな人間になったりすることはないはずです。ヤージュニャヴァルキヤは、現実世界のこのリアルも映画と同じだと言っているのです。ところが大衆は、映画の偉人伝を観ては、「うわー、俺って何て素晴らしい人間なんだ!」と大声で自慢してしまうのです。逆に「うわあー、俺は生まれて来なければよかった!」と悲嘆に暮れるのです。傍から見ていたら、単純に「バカな奴」です。問題を抱えている人に何て言って励ましてあげればいいでしょうか?現実的な対処法をいろいろ教えてあげるより、「落ち着け!これはただの映画だ!」で、一発で問題は消えてしまうのです。ヤージュニャヴァルキヤは、「自己(アートマン)とは、鑑賞者(観客)であって、決して鑑賞物(踊り子)と同一のものではない。そして、どんな鑑賞物が現れようが、鑑賞者(観客)を汚すことも破壊することもできない」ということを言って、無敵の境地を指し示したはずでした。ところが、残念なことにアートマンという言葉と、その概念が実体化できると勘違いが広まってしまったのです。さらに、その無敵のアートマンになるためには苦行が必要だと勘違いをするひとが大勢あらわれ、その馬鹿さ加減を示すために釈迦も苦行をやめてしまったほどです。ここから釈迦がテーマとしたのが「空」なのです。さあ、ここから、受験生にとっても役立つだろう、「空」の解釈(科学寅流の)をしていくこととします。空の思想史 (講談社学術文庫) [ 立川 武蔵 ]楽天で購入
2020.07.07
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ヤージュニャヴァルキヤは、「私(アートマン)」がいるという前提で論理を展開しています。そして、その私(アートマン)の本質を知ることで、無敵の境地に達すると主張していたわけです。しかし、その私(アートマン)がそもそもいない、と主張する者が現れたのです。そう、釈迦です。つまり、釈迦は「私(アートマン)なんて存在しないよ」と主張することで、古代インドの哲人たちのウパニシャッド哲学を虚仮(コケ)にしてしまったのです。これは古代インドの伝統的な哲学を信じ、アートマンの本質を理解しようと必死に苦行に努めてきた人々にどれほどの衝撃を与えたことでしょう。ヤージュニャヴァルキヤのめちゃくちゃ偉大なところは、「私とは、認識するもの(認識主体)である。」と、定義したことです。これは、どんな凶悪な懐疑にも耐えられる「真理」です。しかし、同時にこうも言っています。「認識するものを認識することは絶対にできない」これは20世紀最大のカリスマ哲学者であるサルトルが「存在と無」の中で、言っていることと同じです。サルトルは20世紀ですよ。それに対してヤージュニャヴァルキヤは紀元前600年頃ですよ。東洋哲学の凄さがわかりますよね。
2020.07.06
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西洋では、「世界の根源とは何か」「絶対に正しいことは何か」といったことを考え続けました。すなわち、「人間の外側」にある「何か」について考えたのだと言えます。そんな中で、アリストテレスという「万学の王」があらわれ、科学をはじめとする「外側の世界を把握し制御するための知識や技術の体系」が発達していったわけなんですが、東洋では、学問をサボっていたわけではなく、遅れていたわけでもないのです。あえて言えば、東洋の「関心のベクトル」が西洋とは逆だったのです。東洋では、インド哲学にしろ、中国哲学にしろ、西洋では科学に振り向けていた分のエネルギーと情熱は、東洋では「自己(私)」という「内側」の探求にすべて振り向けていたのです。なかでも古代インドでは「自己とは何か」についての哲学的議論が活発であり、国中から識者を集めて公開討論の場をもうけるという風習まであったのです。その場で常にぶっちぎりの勝利を重ねていた最強の論客が、ウパニシャッド(インドの奥義書)最大の哲学者と呼ばれるヤージュニャヴァルキヤ(BC650~550)でした。彼の哲学は、いまでは「梵我一如」という言葉で知られています。これは簡単に言ってしまえば、「世界を成り立たせている原理(梵=ブラフマン)」と「個人を成り立たせている原理(我=アートマン)」が実は「同一のもの(一如)」だよ、という理論です。そして彼はこう主張します。『アートマン(我、自己、私)の正体がブラフマン(梵、世界の根本原理)と同一であることを知った人間は、すべての苦悩から解放され「究極の真理」に到達する。』始めてこれを聞くと、何か宗教っぽいし、古代人の迷信、妄想に思えるかもしれません。いや、ところが、この「梵我一如」は現代にも通用する明晰で、明快な哲学となっているのです。これは先日わたしが書いた、西洋のデカルトの哲学、「われ思う故に我あり」をも超える哲学の金字塔です。解説は後程、じっくりさせていただきますが、私が「私が実は神である」と主張する根拠になっています。科学寅さんの単なる世迷言ではないのです。
2020.07.05
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人間である私達の認識はすべて間違いかもしれません。すべて嘘かもしれません。あらゆるものを疑うことができてしまいます。でも、この世のすべてを疑えたとしても、それを「疑っている私」がいるということだけは『疑えない』のではないだろうか!たとえ、その疑っている私の存在を疑ったとしても、やっぱり『疑っている私』がいることは真だから。つまり、たとえすべてが夢(虚偽)であっても、その夢を見て、夢じゃないかと疑っている自分が存在することそれ自体は、決して疑えないのだということです。幻影を見せる悪霊だって、そもそも「幻影を見るもの」が存在しなければ、幻影を見せようがないのです。結局、どんな懐疑にも耐えられるもの、それは、まさに「疑っている自分自身」だったのです。
2020.07.05
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多くの人たちは神と自分とは別々の存在だと思っているのではないでしょうか。だからこそ、神なんていない、とか、天罰が下るとか、そうした表現をするんじゃないでしょうか?だからこそ、「神の意図を生きる」といわれるとなんだか息苦しいし、不自由だし、何かを犠牲にしないといけないように感じるんですよね。献身とか、自己犠牲とか、清貧とか・・・そういうことを要求されているように感じる人もいるかもしれません。よく、自己肯定感が大切だ、と言われます。でも、自分って、そんなに凄いところはないよな~って思いませんか?客観的に冷静に考えれば考えるほど、落ち込んでしまいますよね。自己肯定感が大事なのはわかってる!でも何もない自分をどうやって肯定したらいいの!?そんなふうに悩んでおられる方がたくさんおられます。ところが、哲学的に考えると、私というのは、「神」なのです。そんな!このことに気づいたのは、私が高校3年生のときでした。ふと、聖書のイザヤ書を読んでいたときです。『恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。』イザヤ書41:10聖書では、神である主がいつもすぐ、そばにいるんだから、「恐れるな」「恐れてはならない」と何度も何度もくり返されます。しつこいくらいに。なぜでしょうか?もしかしたら、主と「私」が実は、一心同体だ、ということを言いたいのではないでしょうか?だったら、聖書の主を私に置き換えて読んでみたら、別の真実が見えてくるのではないでしょうか?常識的に見れば、目の前の問題に比して自分を見るなら、あまりにも弱く、小さくて見えます。しかし、どんな問題よりも神様は大きく、強いのです。神にとってむつかしすぎる問題は何一つありません。だから恐れる必要はないのです。問題は、私たちが今ここにおられる神様(私の真実)から目を離してしまうところにあります。主は今ここにおられるのです。だって、私が神なんですから。天の軍勢も私とともにいます。何も恐れる必要はないのです。シャローム、主は貴方とともにおられます。God bless you!宣言しましょう。わがたましいよ、聴け!『恐れるな。主はあなたとともにいる。たじろぐな。主ががあなたの神だから。主はあなたを強め、あなたを助け、その義の右の手で、あなたを守る。』
2020.07.04
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哲学者のジェームズ・アレンは言っている。「すぐれた思考や行動から悪い結果が生まれることはない。間違った思考や行動から良い結果が生まれることもない。それはトウモロコシからはトウモロコシ、イラクサからはイラクサしか育たないのと同じである。人はこの自然界の『原因と結果の法則』を理解しているにもかかわらず、自分の人生にその法則を活かせる人のなんと少ないことか。」同様に、受験生についても言えるわけです。なかなか夢を達成できない人に限って「考え方を変えずに結果だけを変えよう」とします。そんな「うまい話」があるわけがない。イラクサを植えて、どんなに一生懸命に水や肥料をやって手入れをしたところで、トウモロコシが収穫できるわけがないのです。収穫物(結果)が気に入らなければ、蒔く種(考え方)を変えなければならない。夢を達成したければ、思考法を変えなければならない。ジェームズ・アレンは同様に、「人はことを丸く収めようとすれば小さくまとまり、支配欲が大きければ大物いなれる」と言っています。賢王と言われたソロモンも、「人は心に思い描いているとおりの人間になる」と言っています。考え方や信念によって成功の度合いや人格が決まってくるなら、「才能」すらも自らの考え方次第ということになる。優秀な指導者のハードルは高いのです。だから優秀なリーダーの下で得られる成果は輝かしいものになるのです。
2020.07.03
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成功している人が必ず実行していることとは何だろう?頂点を極めた人と、そうでない人との違いは何だろう?いろんな考えがあるだろう。しかし、これだけは言える。「考え方の違いだ」と。考え方一つで、いかに人生が変わるか、過去の人たちの歴史をひもとけば明々白々です。
2020.07.02
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よじのぼる水楽天で購入2枚重ねになっているティッシュペーパーを、2回、3回、5回と重ねて折り、ばらけないように、何か所かをホッチキスでとめて、はば1センチほどの帯をつくります。上記の帯の片側をコップの水にひたします。もう一方のはしは、コップの外に長くたらします。このとうにしたら、コップの水はティッシュをつたって、外に流れ出すでしょうか?予想ア・水はコップの内側のティッシュを濡らすだけ。イ・水は外側のティッシュまで濡らすが、流れ出ない。ウ・水は外に流れ出る。答えコップの中の水は、ティッシュの中をつたわってのぼり、コップのふちをのりこえたあと、そのティッシュをつたわって、コップの外に流れ出てきました。答えはウです。
2020.06.30
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筆を墨の中にいれると墨がのぼってきます。ふきんやティッシュペーパーも、水をすいこみます。筆の毛や布、紙なども、水となかよしなのです。反対に、プラスチックは水をしりぞけます。それでこぼれた水をふきんでふくことができるわけです。ここで問題です。ティッシュは水をどれくらいの高さまで引っ張り上げるでしょうか?こんな実験をやってみます。長い棒にティッシュをつなぎ合わせた広い膜をぶら下げます。その紙を静かに水につけます。そして、水がどのくらいの高さまでのぼってくるかを見るのです。予想ア・いくらでものぼってくる(一番上まで)イ・10センチぐらいまでのぼるが、それ以上はのぼらない。ウ・5センチものぼらない。答え高さが5センチをすぎるころになると、水がのぼるスピードはだんだんと遅くなりました。8センチを過ぎるあたりでは、もうほとんど動かなくなりました。結局、だいたい10センチぐらいのところで、水はそれ以上のぼることができなくなるのです。
2020.06.29
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チューブで連結された2本のペットボトル。それぞれの飲み口に大きさの違うシャボン玉を作ってチューブをふさいでいるクリップをはずすと、大小のシャボン玉はペットボトルとチューブでつながっていることになりますね。さて、二つのシャボン玉はどう変化するでしょう? 大きい方から小さい方へ空気が流れて同じ大きさになりそうな気がしますが、観察していると大きいシャボン玉はさらに大きくなり、小さいシャボン玉はさらに小さくなります。ちょっと不思議ですね。水は表面張力(液体の表面積を小さくしようとする単位長さ当たりの力)が強い物質で、シャボン玉のようにふくらませようとしてもこの力ですぐに壊れてしまいます。でも、水に洗剤(界面活性剤)を混ぜると、表面張力が弱まってシャボン玉を作ることができます。シャボン玉はこのシャボン液の表面張力と内部の空気の圧力(内圧)とがつりあっている状態で、シャボン玉の内圧はシャボン液の表面張力に比例し、シャボン玉の半径に反比例します。二つのシャボン玉を作っているシャボン液の表面張力は同じなので、結局、シャボン玉の内圧は半径に反比例することになり、小さいシャボン玉の内圧は大きいシャボン玉の内圧よりも高いことになります。このため、大小二つのシャボン玉を連結すると、内圧が高い小さいシャボン玉から内圧が低い大きいシャボン玉の方に空気が流れ、小さいシャボン玉はより小さく、大きいシャボン玉はより大きくなるのです。
2020.06.29
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もし、人生が思うようにうまくいってなかったとしたら、現状を語るのをやめてみよう。現状を語るのではなくて、思い切って、「ホラ吹き」になってみよう。これは引き寄せの法則、つまりスピリチュアルの世界では常識ですが、あなたの、今日という日の現実は、あなたの過去の思考と波動の積み重ねの結果、証拠です。今の現実結果になるように、同じような思考や波動を、3ヶ月、半年、1年と、考え続け、発し続けたのです。だから、「叶ってる」わけです。そこから、状況を変えていくために、「まだ現実化していない未来を先に語る」ことをしていましょう。まだ目の前に起きてないわけだから、周りの人からすると、「ホラ吹き」になります。しかし、3ヶ月後、半年後、実際にそのようになれば、ウソでもホラでもなくなります。「やっぱり言ったとおりだったじゃん」となるのです。まずは、大ボラ吹きでOK。頭の中で、作り込みましょう。作り込んで作り込んで、完全にそうなっているかのように。言葉を変えましょう。頭の中のおしゃべりを変えましょう。言葉があなたの人生を形成します。うまくいっていなかったのは、うまくいっていないんだよね、と考えたか、言葉を使ったか、です。だから、今から、上手くいっていると言葉を使いましょう。思えなかったら、上手くいくような気がする少しだけ好転したような気がするなど、気持ちが、本当にそう思える、気軽な気持ちになれるくらいの言葉でOKです。大丈夫。あなたの人生、今日から、きっとよくなりますから。今日も応援しています^^
2020.06.29
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膨大なデータを片っ端から調べるのは、頭の悪い証拠理屈は後からどうにでもなる最初に魅力的な結論をまず持ってくるのだ。だから、何を魅力的と考えるのか、それを閃くことが最も大事なんだ。つまり、普段から、自分が何を魅力的に考えているかについて、内省しておくことが重要なんだ。
2020.06.28
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この質問にハッキリと答えられる人は、主体性をもって仕事をしていると言えます。しかし、これに答えられない人は、主体性を組織に預けてしまっていると白状しています。主体性をもっていないと、どう良くないのでしょう。まず、才能・能力が何十分の一に小さくなってしまいます。たとえ、現在、裁量権がわずかしかなくても、意識の上では、組織全体を包み込むくらいに広げることが可能なはずです。そういう人は、必ずや大きい仕事を任せられるはずです。能力を伸ばし、ラッキーなことが舞い降りてくるためにも、主体性をもった生き方をしましょう。
2020.06.28
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遊び心がないと、仕事で不幸になる?!by DAIGO同じ人生を歩むにしても、黙って黙々歩よりも、歌を歌いながら歩んだ方がいい、ということですね。歌に限りません。自分で楽しめるようにアレンジしましょう。それこそがマジメな仕事の仕方なのです。
2020.06.28
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まず、数学って問題を解くための道具ではないということ、これが分かっていない人が多い。問題を解くためではなく、問題を見つけ出すためのものです。そもそも、問題を解いた人と、問題を見つけだす人では、どっちが価値があるのだろう?フェルマーの最終定理を見れば明快です。問題を提起したフェルマーの名は何世紀も人々の頭を悩ましてきたのに、これを解いた数学者の名前をどれだけの人が知っているのだろうか?ちなみに、解いた人間の名前はアンドリュー・ワイルズだけれど、結局、賞賛されるのはフェルマーなのです。つまり、証明は後からでもいいのです。解き方も後からでもいいのです数学的才能があるというのは、誰にも見えていない問題をいち早く見つけて、いち早く解くということではないだろうか?できれは、一瞬で解いてしまうことだ。たとえば、新しい企画をプレゼンする時、頭の中には、成功した結果がはっきり見えていることが必要だ、ということではないだろうか?こっちが本質なのに、数学が苦手な人は、説得力を持たせるためにマッキンゼー式論理思考などをこれから学ぼうとすることと同じじゃないだろうか。本末転倒じゃないだろうか。ビジネスとは新しい展望を見せてあげることだとしたら、まず、新しい展望を把握することが先決です。解はおのずと見つかってくるのです。ニュートン力学の説明をすることが物理学の本質ではないのです。誰も知らなかった宇宙のカラクリを見つけ、解明することなのです。ロケット旅行で新しい世界を見せてあげることです。これは、数学に限ったことではないのです。すでに発見された問題を解いても評価されず、仕事としても認めてもらえない。これが学問の世界の共通認識なのです。
2020.06.26
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外に出ると、突然の豪雨。あんたはすぐに会社に戻らなければなりません。幸運なことに、目の前には傘が買えるお店があります。傘を買うことに決めたあなたは、どちらを選びますか?A.コンビニで、500円のビニール傘を買うB.百貨店で、一万円の高級傘を買うAのビニール傘を選んだ人が多いかもしれませんね。なぜでしょうか?「安いから?」「今をしのげれば十分だから?」「どうせ捨てるから?」たしかに、目の前の雨さえしのげれば、目先の問題は解決します。500円で濡れずに帰れるなら、安い買い物かもしれません。しかし、残念ながら「ビニール傘」を選んだ人が将来、お金持ちになる可能性はきわめて低いと言えます。お金持ちになる人はB.の「高級傘」を選びます。「そりゃ、お金持ちはお金に余裕があるから……」以前は私もそう思っていました。しかし、違ったのです。あなたが将来、お金持ちになるか、ならないかーーーその秘密が、実は「傘」に秘められています。それをご説明する前に、少しだけ私の昔話にお付き合いください。つづく
2020.06.24
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量子力学では、原子や電子のようなミクロの世界の物理法則は、ニュートン力学のように粒子の位置や速度が完全に決定できず、その確率しか計算できないようです。つまり神様はサイコロを振って粒子の行く末を占っているらしいのです。とはいえ、その粒子がある位置に来る確率は厳密に決定できるのですから、その意味では決定論的な物理法則であるとも言えます。ただ、古典力学とは異なり、確率という物理量を問題としている、と考えればいいのです。私達は、この確率の世界に慣れていません。常識と違うところがあるのです。この神様の賭場で勝つには、いや、逆に負けないには、「ギャンブラーの錯誤」に注意しなければなりません。丁半博打で、丁ばかり4回続けて出れば、5回目は半になりそうだと私達は常識的に錯覚してしまいます。丁が何回続こうが、その次に丁が出る確率はやはり二分の一なのです。特に丁の確率が下がるわけではないのです。賭場では、熱くなった方が負けるみたいです。神様の賭場では、クールさが求められているのかも。いずれにしても、確率を学ばなければならないのは確かなようですね。
2020.06.24
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今では大方の人は、科学技術を研究するところは大学だと思っていることでしょう。それを大学でやるようになったのは、近々19世紀のことなのです。 そもそも大学は、別に科学を盛んにするところではありませんでした。だいたいもともと中世以来の大学というものはアリストテレスを議論したり、そういう古い講義を保存するだけであって、その中で議論ばかりしているというところでした。17世紀に科学革命を行って、新しい「サイエンス」というものを始めたイギリスでは、そうした議論を主にどこでやったかというと、ロンドンの学会でやったのです。大学ではありませんでした。自分たちの同好会というか、彼らのロイヤル・ソサイエティというのはいまや有名にはなっていますが、1660年ごろにできたものです。それなんかも各人がかなり勝手にやっていました。イギリスというのは、政府が金を出しません。勝手にやれ、です。やってみて、もしうまくいくようだったら「ロイヤル」という名前を与えてやるというような、そんなもんでした。政府よりも一般社会、民間が結構強いイギリスだから、自分たちで学会をつくり科学革命をやることができたわけです。私も昔、ニュートンも王立協会の会長をしていたと聞きましたから、てっきり王様がバックアップしているものと思っていましたが、そうではなかったのです。「ロイヤル」と言っても王様から名前だけもらうという意味だったのです。だから、ロイヤル・ソサイエティを王立と訳すのは間違いで、王認協会と訳すべきだと言っている人もいます。これがフランスのアカデミーと違うところで、ドイツとも性格の違うところです。
2020.06.24
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この意味がわかるかな? 注意しなければならないものばかりです。一般的な意味 意味が変わる複数形の時の意味①air「空気」 airs「気どり」 putt on airs「気取りを着る→気取る」②arm「腕」 arms「武器」③custom「習慣」 customs「税関」④glass「ガラス」glassses「メガネ」⑤good「善」 goods「商品」⑥letter「手紙」 letters「文学」 English letters「イギリス文学」さて、難関大ならこれにも注意を 解答は下①force「力」 forces「軍隊」②manner「方法」 manners「?」③pain「苦痛」 pains「?」 take pains「?」④ruin「破滅」 ruins「?」 ⑤spectacle「光景」 spectacles「?」⑥spirit「精神」 spirits「1?」「2強い?」答え① 軍隊 ② 行儀作法 ③ 骨折り take pains 苦労する ④ 遺跡 ⑤ メガネ(イギリス英語) ⑥ 気分 (強い)アルコール
2020.06.23
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大学を目指して勉強している人がいると思いますが、そもそも大学というものはスコラの成果です。スコラの学問と言うと、多くの人は、学問の停滞とか科学の否定とか、マイナスのイメージをもってしまいがちです。たしかに、そういった側面があることは否定しませんが、その中からいろんな新しいものが出てきたことを見逃してはいけません。つまり、学問は生きていたのです。中世の大学では、とにかく議論することが学ぶことでした。もちろん羊皮紙の文書などを写して覚えることもすることはするのですが、大事なのは議論です。とにかく朝から晩まで議論しているわけです。当時の大学では、議論して勝たなければ卒業資格が得られなかったのです。どういうふうに議論したかというと、たとえばこんな具合です。議論のテーマは地動説だったとしましょう。「中世に地動説?」と聞くと眉につばされるかもしれませんが、脱線しますが、地動説というのは、実は古代ギリシャの時代からアイデアとしてはあったのです。アイデアとしてはとしてはあっても、もちろんそれは観測上でどうこうということではありません。まして、天動説に代わる学説として提唱されていたわけでもありません。要するに、勝てばいいだけの議論のネタ、議論の題材にしかすぎません。さんか 学生を2組に分けて、こちらの学生は「地動説反対」、もう一方は「地動説賛成」と決めて討論をやらせるわけです。そして議論の判定係がいるわけです。たいてい先生が勝ち負けを判定するのですが、それで勝負がついたら、今度はチェンジコート。立場を逆にしてもう一度討論をするというやり方です。そう、ディベートです。ここで大事なのは、どちらの論理が一貫しているか、説得力があるかということで、勝敗はそれによって決まります。参加者がその議論の中身をホントウに信じているかどうかは問題にされません。言い換えれば、真理が大事なわけではないのです。あくまで論理の一貫性です。実験で判定されるわけではないので、論理で押し通すしかないのです。時代が進んで16世紀から17世紀ごろ、近代科学が成立するときになって、このスコラの論理重視主義が邪魔になってきます。「やみくもに論理ばかり追求していてもしょうがない。もう少し実際にモノを見てみよう。実験しよう」ということを一部の科学者が言い始めるわけです。これに対してスコラの学者は要するに論敵に勝てればいいわけで、自然などどうでもよかったのです。観察する必要も認めなかったのです。それを、もう少し自然について見てみよう、さらに自然について実験もしてみようと言い出されたとき、スコラには対抗する「論理」がなかったのです。「判定を自然に問おう」というのがガリレオ以下の近代科学と近代科学者となるわけです。今でも「スコラの科学」という言い方をすることがあります。スコラは論理の構成を重視しましたし、数学的な思考で強みを発揮しました。とにかく筋が通っていないと評価されません。今のヨーロッパやアメリカの大学にもスコラ的傾向は残っています。 学位論文の最後の審査で、先輩たちや先生たちが論理のアラを探して攻撃してくるのです。その攻撃から自分の論文、すなわち論理を守り抜いてはじめて、学位をもらえるわけです。それを「ディフェンス」と言います。欧米では今に至るも、オーラル(話し言葉)の能力が非常に重視されているのです。一方、これらのことを日本人に話すと、「ずいぶん形式的ですね。そんな厳しい口頭試問は必要ないでしょう。」という反応が返ってきます。日本人ばかりでなく中国人も同様で、筆記試験でないと信用しません。紙に書かれたものでないと信用しません。「口頭試問なんてものは、いくらでもえこひいきできるじゃないですか。そこに試問者の主観が入ってきて、公平じゃない」と言われるのです。この口頭試問の軽視、というより、紙による試験万能主義の思考の原形は、中国の科挙に由来するのでしょう。これは、多くの出世志願者のあいだに能力の差別をつけるために行われたのです。とくに新しいアイデア、パラダイムになるようなアイデアが競われたわけではありません。その反面、西洋の議論による競争は、基本的には個人プレイで、多数の受験者から公平に才能を選び出すことが目的だったわかではありません。その代わり、試験というよりも、試合というような緊張感があり、相手に勝つために新奇な説を誘発することになり、ひいてはパラダイム・シフトを持ち出す人を多く出現させることになります。皆さんはどちらがいいと思いますか?結局、近代科学はこうした論争の緊張感から生まれたのです。いずれにしても、なぜ東洋に科学革命は怒らなかったのか?という疑問の解答のひとつは、スコラにあると言えるかもしれません。他に東洋には一神教がなかったかたら、それで万物に通用する法則を考えることができなかった、という説もありますそ、資本主義、重商主義が発達しなかったから、というのもあります。また、逆にそもそも科学革命というものが歴史上きわめて特殊なことなのだ。普通なら、どこの文明でも科学革命は怒らなかった。むしろ革命を起こした西洋の特殊理由を知ら得るべきだ、という意見もあり、同感です。
2020.06.23
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小学1年生からの質問です。あなたなら、何と答えますか?「何でそれが不思議だと思ったの?」「女の子はお乳をあげるけど、男の子は上げないのに、なんで、おっぱいがあるのかな?と思いました。」そりゃ、そうです。あなたなら、進化論的に説明しますか?進化論的に言っても、要らなくなったものは消えちゃうのでしょうか?要らないんだけれど、消すのが大変なので、とりあえず残しておこう、というものなんでしょうか? 正にそうなんです。そういう説明がなされています。つまり、お得じゃない、という。コストとメリットのバランスです。いらなかったものも、結構使えるじゃん、ってみたいなこともあるからね。
2020.06.22
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これも夏休みこども科学電話相談からです。6年生小学生「植物についてなんですけれど…。植物に「早く育ってね」とかよい言葉をかけると、よく育って、よくない言葉をかけるとよく育たないっていうのは、本当なのかを…聞きたいと思いました」司会「そのお話はどこかで聞いたの?何かで読んだり、誰か大人から聞いたりしたのかな?」6年生子ども「ええと、おかあさんが言っていたから、そうなのかな?って」司会「そうなんだ。解かりました。『枯れちゃえ!』って言うと枯れてしまう?ってことよね。『元気に育ってね』とか『かわいいね』って言うといい?ってことね」※※※ほかの先生方、後ろでちょっと困ったような笑い※※※植物生理学 田中修 先生「これはね……。早く育ってねとか、かわいいねとか言っているだけでは、普通に育つと思います」子ども「はい」田中先生「でねー、ひどい言葉を、言ってても、普通に育つと思います」子ども「はい」※※※ 質問の子ども 楽しそう※※※田中先生「枯れちゃえ!』って言っても枯れることはないと思うよ。それは1回、実験してくれたらいいの。何かの植物に向かって、毎日、ひどーいこと言ってみて!」子ども「はい」※※※みんなで、くすくす笑い※※※田中先生「ただ、態度を伴ったらあかんけどね。悪いことを言いながら水をあげへんとか、そんなんはあかんけれども…」子ども「はあい」田中先生「言葉だけやったら、何にも起こらないと思います。でもね、「元気に育ってね」と言ってたら本当に元気になるっていう人がいはります。そういうこと言う人は『ホントウだ!』っていわはるんです。」田中先生「そんな人がいはったらね、聞いてみて?『かわいいって言いながら触ってなかった?』って。なでるとね……。植物ってのは感じるんです。」子ども「はい!?」田中先生「触られると、茎が太く短くたくましくなるって性質があるの。ほとんどの植物が、触られているのを感じるの。そやから触らへんほうが細く長くなるのを見て、『どっちが元気や』って言ったらね。茎が太く、短くたくましいほうが元気やからね。元気に育ったということになるの。」子ども「あー、はい!」田中先生「でね、本当に言葉はわかってないのか?ってことはね、簡単に調べられる…。それは、ひどーい言葉を言いながら、なでてさわってたら、やっぱり太く短くたくましくなるの……」子ども「はい!」※※※司会者さんも思わず、くすっと※※※田中先生「今の時期やと、秋に向けてキクの苗がたくさん出てくるからね、キクはこの反応をよく出すので、やってほしいんやけどね。キクを2本用意して、片方は触って育てるの。一方は、知らん顔して育てるの。でも、ちゃんと水とかは同じようにやらなあかんよ。しばらくしたら、触ってたほうは太く短くたくましく育つよ」田中先生「植物って賢いからね、自分の茎で支えられる大きさの花を咲かせるんです。だから、短くたくましくなった苗は、大きな立派な花を咲かせるんよ。何にも触らなかったほうは、細く長くなってるから…」子ども「うん!」※※※質問の子ども前のめりになって聞いている様子※※※田中先生「小さな花しか咲かせへんのです」子ども「あーなる…ほおどお(笑い)。はい!」※※※後日談※※※先生「その実験をやったら、このお話は全部わかってもらえます。 夏休みの間、8月の終わりまでにわかります。 背の高さの違いは1週間もたたないうちにでます。 自由研究のテーマにいいですね。」司会「気を付けることは『他の環境は変えない』ことですね。」先生「そうです。ひどい言葉を言ってるからって、悪いことしたらあかんよ」※※※再び一同爆笑※※※ 司会「同じ場所で、同じように光を当てて、水やりも同じで、ひとつはなでて、ひとつはほうっておくと…」先生「そうです。」司会「お母さんも興味がおありのようだから、ふたりでやってみても楽しいかもしれませんね」※※※もうちょっと解説※※※植物の接触刺激(触る、なでる)に対する反応は、風に対しての補強と、補色動物に対しての防衛の意味があります。後者では、植物体の強化(太く、短くたくましく)のほか、化学物質を作って葉の味を悪くすることもあります。植物を食べる動物の「嫌がる匂い」を出すのも防衛です。動かない(逃げられない)植物だからこその生存戦略です。受験生のまるちゃんを応援しています。
2020.06.20
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NHK夏休み子ども科学電話相談から印象に残った回を実況中継します。5歳、子ども「なぜ、鏡に映ると右左が反対になるんですか?」司会者「ああ、よくありますね。これ、わからないですね。」竹内薫先生「鏡に映ったものというのは、右と左が反対になるのではないんですよー。ちょっとむずかしいんですが、前と後ろが反対になるんですね」子ども「はい……」竹内先生「今、鏡はありますか?すぐそばになければ、あとでいいんですけれど、鏡を見てくださいね」子ども「はい」竹内先生「そうすると、鏡の中の……あなたは、どっちを向いているか、ということなんです。」先生「鏡の中のあなたが、本物のあなたと同じ向きを向いているなら、頭と後ろとか、背中が見えるはずですよね」先生「でも、実際には顔とか胸が見えるでしょう? ということは、鏡の中のあなたは、本物のあなたと反対方向を向いているんですよ。前と後ろが反対になっているんです。」先生「これ、実はすごくむずかしい問題なんですけれど……。右と左は逆さになってないんですね。前と後ろが逆さなんです。」※※※ほかの先生方のため息と感嘆の声※※※先生「どうでしょう……。大人でも右と左が逆さまだと思ってる人が多いんですけれど……」司会者「いいですか?」子ども「はい」司会者「司会のおじさんも、よくわからないんです」先生「これを、右と左って感じてしまうのは、人間の体の形が右と左で同じようになってるからなんですね。だから右と左が逆さまだと思うんですけれど、鏡で逆さまになるんだったら、上と下も逆さまになるはずなんです」先生」「でも、上と下は逆さまにならないですよね。難しい言い方ですけれど、右と左が反対だと思うのは『錯覚』なんです」子ども「はい」先生「右と左が逆さまに感じるけれど、本当はそうじゃない」子ども「えええー」司会者「へぇ…。前と後ろが逆さまだと思ってくださいね」子ども「は…い」
2020.06.19
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サイコロやトランプゲームなどの賭け事が大好きな神様だと思っていたら、その確率計算すらできないでいることがわかってきたようです。天気を聞いても、結局、下駄を投げて占うことをすすめられてしまう。何せ、この世はカオスなのだ。カオスを特徴づけるキーワードがフラクタクルと呼ばれる入れ子構造のようです。宇宙はマトリョーシカ人形のようなもの。いろんな物の構造を巨視的に見ても、微視的に見ても、その構造のパターンがそっくりなことが多すぎます。また、構造だけでなく、その動く軌道のパターンもそうなのです。仏教で使われる、曼荼羅の絵みたいなものがこの宇宙の本質なのか?カオス・カオスと騒いでいるが、カオスの規則性は曼荼羅の中に、明確に見てとれます。カオスとサジを投げていたのに、そこにこそ、美しい秩序が隠れていたのです。確かに、この世は複雑です。それで、明日の天気すらわかりません。このカオスやフラクタクルを表す数式も、まだ開発されていません。しかし、現実に実在しているのです。数学者や物理学者の研究を待つしかないのですが、我々の毎日の課題は待ってくれません。今、今、に決断しなければならないのです。ということは、我々が一種の「悟り」をつかまなければならないということでしょう。ヒントは、神様がなぜか、この世を相似性をもつ仕組みとしてくれていること。原子や素粒子の振る舞いかたはじまって、大宇宙の行動まで。つまり、神の意思はきっと微細なものの中にこそあるようです。また、この宇宙曼荼羅を複雑怪奇なものにしているのが、どうも宇宙が無数に存在するらしいのです。それぞれの宇宙に「神」がいるのなら、フラクタクルの仮説と合わせれば、この世は、唯一の神どころか、八百万の神の世界じゃないかと思えてきます。受験勉強で必勝法を考えていますが、もしかすると、小さな成功を産み出す方法、その中に、この宇宙で大成功するためのヒントがきっと潜んでいるはずだ、と予測されます。何でも「これはいい」となった経験はりませんか?それがきっとヒントなのです。大リーグボールを産み出した、禅問答みたいなものなのです。大それた成功を求めなくてよいのです。顕微鏡でしか見えない、成功のネタに注目することに成功のカギはあるのです。まるちゃんを応援してね
2020.06.19
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私は本腰で物理学を学んだわけでもなく、ミーハーな見物人にすぎないが、アインシュタインが抗議したように、どうもこの宇宙を創った神様は、ひたすらサイコロ遊びにうつつをぬかしているようです。サイコロ遊びじゃヤクザじゃないか、と言われるなら、トランプゲームよりももっと賭博性が強い、パチンコ遊びや玉突きゲームにも熱中しているようです。確率だったら、計算できるのですが、現実はこの確率すら計算できないようなんです。つまり、カオスです。神が創りたまいし自然は、カオスに満ち満ちているというのです。フラクタクルと呼ばれる多重世界の入れ子構造であることが解明されています。また、宇宙は初期においても無限個の宇宙の誕生が示唆されているんだって。つまり、唯一の絶対神よりも、八百万の神のほうがナウいんです。さらに、非対称性からしか、宇宙が生まれないとすると、平等・一様・普遍などの、民主主義の土台すらも、葬りかねないものです。「なぜ」です。どうして神様はこんな宇宙を私達に示唆するのでしょう。そもそも科学は「なぜ」に答えられないものだから仕方がありません。受験生のまるちゃんを応援しています。
2020.06.17
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集合論が、どうして数学の基礎、数学の骨組みになるのか?私はこんなふうに考えています。「数学」という学問は、「そもそも」を非常に大事にする学問だからだ、と。そこで、この学問を展開する上で、用いられる言葉の定義を、まず、一つ一つはっきりとさせたいのです。そこから、数学という学問はスタートするんだって。そのために、集合論が使われるって。「何でもいいから何かを集めてきてください」って集合論は冒頭に言います。え?何?ってなりますよね。でも、このなんでもいい、「何か」にいろんな条件を付け加えていって、これまで親しんできた「数」や「図形」をあらためて定義しなおすのが、集合論の手法です。その中で、複数の情報によって、またはそれらを並べることによって、あることが雄弁に語られるというという世界もあるはずです。それが複素数であり、ベクトルのわけです。
2020.06.15
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すべての勉強にいえることですが。いくら時間を費やしても、それで学力が伸びるわけではありません。大事なのは、何時間やったかではなく、どれだけ力をつけたかです。「昨日よりも1時間長くやったか」ではなく、「昨日よりも3問正解が増えている」を喜びましょう。「昨日よりも10分長く頑張った」ではなく、「前回よりも5分早く解けた」ことを喜びましょう。つまり、「実力チェック」を常に自分でやって、喜びましょう。楽しみましょう。まるちゃんのブログを応援しています。
2020.06.14
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病気の療養の一つに、転地療養というのがあります。気候風土の変わったところへ移ることで、病気が軽減する例がいっぱいあったからこそ、こういう方法の名前ができているわけです。どこにいたって、勉強は勉強だ、同じじゃないか、と考えたくなりますが、土地のもっている空気、生理的なコンテクストが変わると、我々の生体は、大きく変化します。それが薬とは違った効果を上げるのです。稲でも、苗床に蒔いて、よく育つものも、田植えをして、二度手間をして花を咲かすものもあります。常に環境に疑問を持ち続けよう。まるちゃんを応援しています。
2020.06.13
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勉強は、一種のスポーツとして捉えるとモチベーションが保ちやすく、かつ学力アップにもつながります。 とくに、テストや試験はすべてのスポーツの試合と同じだと私は思っています。入試も、ライバルとの勝負を楽しみながら、すこしずつ力をつけていき、合格をつかみとるワクワクするスポーツだと思い込みましょう。ただ、長丁場、強い意志を持ち続けるのは大変です。どこかに楽しみを見出さなければ、やっていられません。最終的な勝ち負けだけに注目するのでなく、途中にいくつかのチェックポイントを設けておくのが、コツです。たとえば、テニスなら、「ゲーム」や「セット」。野球なら「イニング」。この一つひとつの勝負を味わう感覚です。つまり、スモールゴールをいくつも設定してあげるのです。これで心が折れそうになるのを防ぐことができます。応援しているブログがあります。受験生のブログです。まるちゃんのブログ
2020.06.12
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中学3年生の生徒がいます。サッカー部です。コロナで大会が無くなりました。試合が全て無くなりました。練習もできません。このままでは、3年生は飼い殺しです。これでは受験勉強にも燃えられません。彼らに必要なのは、ハートに火をつける新たな目標です。学生たちに問いましょう。あなたのハートに火をつけるには、どうすればよいのか、と。常に自分自身に質問しつづけよう自分の胸に聴こう。いつでも、どこでも。これが、どんな受験勉強よりも、学習塾よりも、参考書よりも最も大切なことだ。
2020.06.11
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私もどんなに貴方を愛していることでしょう。朝夕、お写真に祈りを捧げております。現在の私は本当に幸福です。貴方の愛は、私の全神経を支配しています。私の一番の喜びは「貴方に愛されること」なのです。貴方は私の恋しい方です。初恋です。最初の恋です。そして私の最後の恋にいたします。世界一、強い恋です。貴方をおいて、私の恋人はありません。私は貴方を一刻もわすれたことはありません。夜中に貴方を夢見て、眠られなくなることもあります。貴方のお写真に話かけるときには涙が出て、どうしようもなくお会いしたくなって胸が苦しくなります。やがて喜ばしい現実が巡ってくると思い、今は何もかも時に任せましょう。私は勉強します。貴方が命をかけて栄冠を得られたように、私も命をかけるつもりです。『竹取物語』のレコードをお送りくださるとのこと、夢ではないかと思いました。美しいいくつかの場面を思い浮かべ、貴方の曲を聴く喜びを感じています。貴方の曲は音楽会の脅威の的となるでしょう。私はうれしくてなりません。私の胸が今破れそうに興奮しています。愛する、そして恋しい、好きでたまらない貴方!朝に夕べに、貴方の健康を祈ります。貴方のことを思います。私の心が貴方を取り巻いて、固く抱擁するに違いありません。そのとき、貴方は眠ってください。尊い使命を与えられている貴方です。どうぞ健やかでいてください。調子がよくないときには、お便りをくださらなくても私は貴方を信じています。そして愛しています。一世紀に一つの恋!どこかでそんな言葉を聞いたような気がします。私たちの恋こそ、それに違いありません。これ以上に愛するということはできませんもの。 ひたすらに貴方の健康を祈りつつ 金子より私の命、愛する愛する 古関勇治様※※※勢いは止まりません。
2020.05.26
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久しぶりのハガキが来た数日後、熱烈な手紙が届きます。※※※貴方は私の最も親しい友達です。否、友達以上のものです。今さら、友達にしてくださいなどと言わないでください。もう前から親友じゃありませんか。私の理解者で後援者は、ただひとり、金子さん!貴女だけです。文通によって友となった貴女がこれほど私を慕ってくださいまして、本当になんとお礼を申し上げればよいのやら、わかりません。 幾百の友人をもつよりも、ただひとりの最も良き自己の理解者を持つこと、その素晴らしさを今、私は実感しています。一度もお目にかかったこともないのに、貴女の手紙を読んでおりますと、友として超えてはならないある垣根を超え、友以上の存在と感じています。二人は遠く離れていますが、私のこの気持ちは永久に変わりません。どんなことがあっても、貴女を忘れることができません。最も良き、私の芸術の理解者となってください。私のお願いです。私は自分の創作する芸術に対し、最大の満足を感じています。いかに外部の人々が反対しようが、自分の意思を、音を通して表現するとき、限りない喜びを感じます。仕事が忙しくなったそうですね。職業を持つことは芸術の勉強には邪魔になるかもしれません。しかし、一定の職業があれば、生活の安定が得られます。大変でしょうが、芸術の勉強はしっかりなさってください。名古屋には、商業学校在学中に就学旅行で行きました。豊橋市は汽車で通っただけでした。そのころ、金子さんは豊橋にいらっしゃったんですね。本当に不思議な二人の運命ですね。名古屋では、鶴舞公園に行きました。いいところですね。もう桜は咲いたのでしょうか。貴女のお写真を前にして、お手紙を読むと、貴女のそばにいて、話をしているかのような気がします。私の最も愛する(これ以外に自分の胸中を表現する文字はありません)内山金子さん。私のことを信じてください。 ♥の持ち主 古関勇治より私の最も慕ふる 内山金子様※※※同じ日に、もう一通、勇治から手紙が届きます。イギリスで、勇治の作曲した舞踊組曲『竹取物語』のレコーディングが決まったこと。そのうちの1枚を、金子に送るように手配したこと。そして次のように結ばれていました。※※※貴女のために、全神経を音楽に注いでいるこの哀れな病弱な作曲家をいつまでもいつまでも愛してください。1930年、なんて幸福な年でしょう。貴女が恋しくて恋しくて心が躍ります。 作曲家ロバート・シューマン古関勇治より私の恋しきクララ・シューマン内山金子様 御♥に※※※愛と芸術に生涯を捧げたといわれる作曲家ロバート・シューマンが恋したのは、天才少女と呼ばれ、ドイツで最も高名なピアニストとなった美貌のクララでした。 それまでもっぱらピアノ曲を書いてきたシューマンは、クララとの結婚を機に歌曲を書き始め、結婚した年だけで100曲以上の作品を残しています。その年に発表された歌曲集『詩人の恋』の『美しい五月に』が金子は好きでした。ハイネの詩です。勇治の手紙を読むたびに「美しい五月に」のメロディが金子の脳裏に流れたことでしょう。
2020.05.26
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