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まあなんとこれが今年初めての日記なんです。主人の状態が安定していてほとんど変わりがなく特に書くことがなかったから…今日はお隣のYさんの奥様達の三味線の会が、ボランティアで主人のホームで演奏されるため、自動車に便乗させて頂き、行って来た。4階に上がったら主人は丁度食事中だったので私がバトンタッチで食事を食べさせたが、前と同じで口に入れたものがなかなかスムーズに喉を通ってくれず捗らない。おまけに口に入れた途端喉の奥から咳をして、入れたものが飛び出してしまう。スタッフの方は毎度こんな状態でも上手に食べさせて下さり最近は90%以上は食べているというし、体重もまた増えて安定委しているというから不思議だ。頭が下がる。私の友人は昨年、今年と夫婦で10日間位の船旅を楽しんでいるが、本来なら私たちも… そんな風に老後を楽しむはずだった。今日、食事をさせながら 「あなたは私に 会社をリタイアーしたらヨーロッパのいろいろな国に旅行しような、方々へ連れて行ってやると約束しておきながら、病気になり約束を果たして呉れない。悲しい (;¬_¬)」と、愚痴をこぼして来た。わかっているなら辛いだろうが、きょとんとしていた。
2012.05.09
最近は、体重が減っている主人の栄養補給におやつや飲み物を持ってきて欲しいということなので栄養価の高そうなプリンなどを持参し、名前を書いて冷蔵庫に入れておく。今日は行くのが少し遅かったら、もう介護士さんがお昼を食べさせて下った後だった。せめて行った日くらいは私が食べさせ、少しでも助けになればと思うのだが…介護士さんの話では、一時食事が喉の通りが悪く体重も減り心配したが最近は喉の通りがよくなり、今朝測ったら元の体重に戻っていたとのこと。一人一人に細かい注意を払って下さることに頭が下がった。 先日、主人がワープロで作成した過去帳が出てきた。お墓を移した際にもらった手書きの記録をワープロに打ち込んで作ったようだが、何度も作り直し、重複していたり、たくさん書き込んであったり、天和2年(1616年)からはじまり、最後は先に戒名をつけてもらっていた義母の名前に没年を?として終わっていた。義弟のSさんから要望があったのでお送りした。こんなことをしていた主人が懐かしい。今更ながらどうしてこんな病気に…と悔やむ。
2011.11.21
義母が9月11日に大阪の病院で亡くなった。ちょうど100歳だった。 新神戸の葬儀場で13日に告別式、10月28日の四十九日も済ませ、お墓は千葉にあるので、納骨はこちらで。お寺の都合でこの日になった。義弟のSさんがお骨を預かってくれていたが、この日は早朝、神戸から持参して下さり、駅に迎えに行った次男がSさんを主人のホームにお連れし、兄弟を対面させてくれた。しかし弟を見ても何の反応もなかった由。本来なら長男である主人が執り行うはずだった告別式から納骨まで、全部Sさんにお世話になった。Sさんは主人とそんなに年も違わないのに、とてもお元気で、現在は電気工事の仕事で忙しい毎日とのこと。この日も日帰りで、あわただしく帰って行かれた。
2011.11.13
ずいぶんご無沙汰してしまいました。特に目立った変化もなかったので…(←言い訳)この日、ママと二人でホームの夏祭りに行きました。今年は屋内で盆踊り!なんと入居者全員、パパも浴衣を着せてもらっていました。スタッフの皆さんも全員浴衣姿で、どこからか盆踊りダンサーズ(中央で踊ってくださる踊りの上手なおばちゃまたちのことです、すみません)が来てくださり、東京音頭や炭坑節などおなじみの曲が流れ、とても盛り上がりました。いつも車椅子で生活されているHさんが、立ち上がって、輪に入って踊りながら一周されたのには、驚いたとともに、感動しました。盆踊りの音楽を聞くと、身体が勝手に動くのでしょう。きっとお祖母ちゃん(パパのお母さん)も、踊りが好きでしたから、まだもう少し元気な頃だったら、きっと手だけでも踊っただろうと思いました。パパは、特に反応ナシでした。どちらかというと、洋楽(クラシック)かカラオケ派だと思います。盆踊りの後は、焼きそばや飲み物、ジャガバターや、デザートをいただいて回り、パパと一緒に食べました。パパの食事はいつものミキサー食ですが、普通食の方と同じだけお皿の数があり、しかも、一つのお皿の中にも、たとえば「おかず」とその「タレ」と思われるのですが、2色(2層)になっている皿もあり、ミキサーにかけても、ちゃんとそれぞれの味を味わえるようになっていて、その配慮には頭が下がる思いでした。パパは30分ほどでおかゆも含め8割くらいはスムーズに食べました。ただ、私が途中から缶ビール(発泡酒ですが)を飲みはじめたら、明らかに表情が変わったのです。悲しそうな、うらめしそうな顔です。はじめは気のせいかと思いましたが、いや、確かに缶を見ての反応です。食後に、スプーンで飲ませてあげたら、ごっくんと、食事よりもしっかりとした口の動きで一滴も出すまいと、飲むではありませんか。その様子にママと二人、大騒ぎ!この程度の量なら何も影響ないと思いますが、苦くても出さずに飲むなんて、やっぱりお酒が好きなんですね。そんなに美味しいなら、たまには飲ませてあげたいと思いましたが、やはりお祭りなどの機会でもないとなかなか……最近特に変わった様子もなく、少し体重の増減はあるものの、比較的元気そうです。ベッドから車椅子への移動は、吊り上げる機械を使い手間がかかるのに、毎日明るいダイニングに連れていってもらい、皆さんと一緒に食事をさせていただいています。手当だけでなく、メンタルにも配慮してもらっているからこそ、こんなに穏やかな日々が続いているのだと思います。このホームでは常に心のこもった高レベルな介護が保たれ、さらに良くしようという努力も見られます。介護士さんの入れ替わりはありますが、新しく入られた方も、皆さんやさしくてまじめな方ばかり。初めは慣れない方も、どんどん頼もしくなられ、親しくなった方がやめていかれると、とても残念に思いつつ、パパもホームで古株になりつつあることを感じています。日々、入居者の介護をしつつ、変化を見守り、さらにこのような行事を企画するのは、とても大変なのではないかと思います。準備に実行にも大変な時間や労力を要するでしょうに、みなさん終始明るく楽しい雰囲気を作られ、退職されたMさんが来てくださっていたのにも、びっくりしたと同時に、素晴らしいことと思いました。
2011.07.30
友達が車で送るといってくれたので、急に出かけ、到着すると、丁度お昼の食事時だった。久しぶりに私が食べさせたが、タイミングが悪いのか、口に入れると咳をしたり大声を上げたり「グエッ」と派手な声とともに入れたものを出してしまう。こちらはたまに食べさせるだけだが、スタッフの方はこれが1日3回、毎度こんな大変な状態で食べさせて下さっていると思うと、さぞやイライラされるだろうと、申し訳なく思う。主人ともう一人男性がおられ、奥様が食べさせておられたが、その方も主人と同じように、大声を出されてたが、口を開け、しっかり食べておられた。2人共、同じような大声で「グエ-ッ」とわめき、傍で食事をしておられるSさんに申しわけなかった。スタッフのMさんが見かねて代わって下さり、私は流しの食器をすすいで、食器洗浄機へ入れるお手伝いをして帰った。いつもなら帰りにダイエーで買い物をするのだが、ぐったりして買い物をする元気も失せるほどだった。行った時はベッドで寝ていたのを、お昼はダイニングでみなさんと食事をさせていただいているため、車椅子に移動。つり上げ用のネットを主人の背中に敷きその紐をクレーンに繋ぎ、吊り上げて、車いすに移す作業は手間も時間もかかる。寝たまま食べさせれば楽なのに…ありがたいことだ。お世話下さるスタッフの皆様本当に有難うございます。m(_ _)m m(_ _)m m(_ _)m
2011.04.23
平日は東京のオフィス兼自宅に暮らす私は先週末は家に帰るのがやっとでしたので、今日、地震以来はじめてホームに行ってきました。ホームに被害がなかったかママと心配していましたが、近辺で建物が倒壊するような被害は起きていませんし、同じところに家族が入居している近所の方から、大丈夫だったと聞いていたので、特に変わったこともなく過ごしているのだと思っていました。何かあれば連絡があるでしょうから、こちらから電話をするのは遠慮していました。ホームがあるのは、液状化現象の激しく出た地域なので、ニュースやネットで見たとおり、駅は足元があちこち壊れていました。バスでホームに向かう道はどこも吹き出した細かい灰のようなグレーの土(砂)が地面を覆い、乾燥して風に舞っていました。ホームの前も、バス停が傾き、歩道の脇があちこち陥没しています。建物は頑強な作りですし、特に壊れた様子もなかったのですが、入り口にロープが張られそこに張り紙が!安全のため同じ敷地内のもう一つの特養に移っているとのこと。(パパのホームの入口付近)(一時避難中のホームに向かう途中)そちらに行ってみると、2倍の密度になっているわけで、沢山の入居者とスタッフの方、訪問の家族で混雑?状態でした。ちょうど水が届いたところで、とても忙しそう。スタッフの方に話しかけるのも気が引けましたが、皆さん、まずは母や家のことを心配してくださったり、いつもと変わらぬ笑顔と優しさで応対してくださり、なんだかとても活気があり、力強いものを感じました。どうやら居候組?にあたる、パパのホームの入居者ははじめは食堂に寝泊まりしていたようですが、長期化するため、今日から個室に振り分けられた様子。パパは別の男性と2人部屋。部屋に行くと、ベッドに寝ていました。それぞれの名前のついたバスケットに着替え1回分が入っていました。パパは私に気がつくと、いつものように声を出し、すぐに家族だとがわかったようでした。意識がはっきりしているようで、いつもよりむしろ元気そうでした。ベッドに一人寝ていて寂しそうにも見えましたが、一人に1つのベッド、明るい部屋の窓際、寒くもないし、落ち着いて寝られる環境にほっとしました。汚れたタオルがタンスの上にあり、いつものように食事をさせていただいた後だとわかりました。食堂には一緒に移られた皆さんが座っておられ、やはり母や家の事を気遣ってくださいました。いつもお世話になっている介護士のMさんに会えたので、何か家族にできること、求められることはと聞きましたが、いつものようにレジ袋などが家に余っていたらとか、ティッシュなど……とか。水がなくて困ったとのことでしたが、そのとき私にできることといったら、邪魔しないことしか思いつかず、情けない思いで家に帰りました。家に帰ってママに報告するとびっくりしていましたが、、ホームからは、ちゃんと「安全のため、隣の特養に移動しました」というお知らせがきていました。ママは説明書や文字ばかりの書類は人(私)任せで、読まないんですね~(^_^;)いつも読まないんですけど、こんなときでもやっぱり読まないんですね~(^_^;)まぁ、毎月届く請求書・領収書などと一緒に入っていたので、気にとめなかったのだと思いますが、★自宅の状況---------------わが家は液状化現象を起こした地域にありながら、ほとんど目立った被害はありませんでした。前の道路や、庭が少し地割れして、埋め立て地独特の灰色の細かい砂のようなものが出たものの、それもすくい取って片付く程度。レンガ造りの門柱などが少しだけ傾いていたり、平らだったと思う庭の土がでこぼこになっていたりもしますが、家の中は、天井のクロスに線ができた程度です。大地震の起こった日は電話も携帯も通じませんでしたが、兄が公衆電話から最初に無事を確認してくれたあとは、ママとパソコンで連絡し合えたので助かりました。電気は計画停電のみでずっと使えているのが何よりありがたかったです。水はしばらく断水していましたが、約1週間で出るようになりました。ガスは当初使えたようですが、その後安全のため止められ、現在も止まっています。復旧の見通しはまだ立たないようです。一番不便だったのは断水で、トイレが流せなかったり、洗い物ができないため、炊事に支障が。地震の夜職場から2時間半かけて歩いて帰った弟が、翌日小学校に水をもらいに3往復してくれたりしました。水が出るようになっても、ガスが出ないためお風呂が沸かせず、ママは池袋の私の事務所に入りに来たり、地元のディズ○ーランドやシーが閉園中なので、ベイのホテルが地元の人を入浴させてくれたりしたようです。食器棚や本棚に地震対策をしてあったため、少し本が落ちたりしたものの、食器など割れたものもなく、家の中が無事だったこともあり、日記の主(ママ)は断水やガスの出ない生活にもそんなに困った様子もなく、元気で明るく過ごしています。近所の方がいろいろ気にかけ、親切にしてくださるので、むしろいつもより幸せそうに見えるほどです。ただ、私もそうですが、あまりに余震が続いたので、揺れてもいないのに、一日に何度も揺れているような錯覚を覚えて落ち着かないようです。★おまけ---------------私のオフィスは池袋にあり9Fです。当時は出かけていましたが、帰ってみたら……廊下から部屋の入口のところに、コピー機が落ちて転がっていました。40kgのものが、1mの高さか落下したので、内部の部品も飛び散り、リースがまだ1年以上残っているのに再起不能(ToT)。下の階の人はさぞ大きな音にびっくりしたことでしょう。他にはパソコンや大きな姿見が倒れたりしましたが、壊れたのはコピー機だけでした。
2011.03.20
1月6日で81歳になり、今年もホームで誕生会をしていただきました。今年も大きなケーキを焼き、ちょうど泊まりにきている孫(私の次女)がデコレーションをしてくれました。今回は曾孫(私の孫)のメイ(3歳)もつれて行きました。メイはこちらに帰ってくるたび、私がホームに連れて行っているので、初めは怖がって、別人のようにおとなしく固まって(?)いましたが、だいぶ慣れてきました。今回はちゃんと「おじいちゃんの誕生会」とわかっており、お年寄りに囲まれると少々緊張気味でしたが、私や母が準備をしている間、おとなしく座っていましたし、ハピバースデーも、一緒に歌いました。皆さんも、おちびの参加を喜んでくださっていたようで場がなごみ、ケーキも美味しいと言っていただき、よい誕生会でした。パパは、去年の誕生日よりも、また少し細くなりましたが、状態(反応)はあまり変わらず、ケーキが食べられない人用に用意した、いちごのムースをぺろりと食べました。ホームの職員の皆さんから丁寧に書かれた色紙をいただきました。お忙しい中、こんなにきれいに丁寧に手間のかかるものを作ってくただき、感激。。。持ち帰ってゆっくり読ませていただいてます。****************************最近の様子。秋に珍しく熱を出しましたが、それはすぐに下がり、その後、特に変化なく穏やかな日々が続いています。それで日記に書くようなこともあまりないため、更新もだいぶさぼってしまいました。熱を出したという日記でしばらく止まっていたため、心配して下さった方もいらしたかもしれませんね、すみませんでした。お正月、今のホームと前のホームの両方でお世話になったTJさんから年賀状をいただきました。日記が止まっているので、どうしているか気にして下さったようです。新しいところに移っても、こうして思い出し心配して下さるとは…単に仕事として接していただけでなく、本当に愛情をもって介護してくださっていたことが感じられ、あらためて感謝しています。
2011.01.09
着いたら食堂にほとんどの方が出ておられた。主人は私の顔を見ると泣きそうな顔で大声を出した。やはり身内の者が分るようだ。前回、広島から来た長男の嫁と行った時も こんな声を出していた。今日は肺炎のワクチンを注射するため、お医者さんが来ておられ私が付き添って注射をして頂いた。針を刺す時、ぴくっと腕が動いた。やはり痛さは感じるようだ。最近はスリムになり顔も少し小さくなった感じ。相変わらず涎が多く、胸が濡れていた。
2010.12.14
行ったらベッドに横たわっていた。直ぐに係りのHさんが入って来られ「○○さんは熱があり風邪のようです」とのこと。額を触って見ると結構熱い。苦しそうではないが、時々咳の後大きな声を出していた。今日は内科の先生が来られる日、診察を受ける由。折角ガーゼを買って置いたのに うっかり持参するのを忘れた。Hさんが「ガーゼがなくなってるので如何にも雑に使ってると思われるといけないので説明しますが最近足の水虫も悪くなり、指の間に挟むので、早くなくなりました」とのこと。こんな時にガーゼを忘れて本当に申し訳なかった。口内消毒のうがい液と室内の消臭元は持参したのに‥今度の日曜日に京子が行く予定だがそれまでなくて困られるだろう。 夕方愛光園のHさんから電話があり、熱が38.5度あり、食欲もないので点滴で水分と栄養を補っていると報告があった。早く熱が下がって欲しい。
2010.10.25
9月25日(土)今日はホームでカンファレンスと懇談会があり、ちょうど次男夫婦がお墓参りに来たので、車でホームまで送ってくれ、久し振りに4階まで付いてきた。ちょうど食事中だったが、私達が顔を近づけると、なんとなく分るのか大声を出した。次男達が帰って行った後、私が食事を食べさせたが、驚いたことに口に入れたものはスムースに咽喉を通り、前回のように口から出さなかった。先週、娘が行った時は、ベッドに寝せた状態で食べさせると具合がいいと聞いてきた。常に首を前に曲げており、口に入れても直ぐ出てくるのでベッドに寝せた状態で食べさせたら、むせることもなく順調に食事が喉を通るとのこと。食事の形態を変えるのではなく、食べる姿勢を変えてみたというわけだが、相変わらず、常に考えて工夫をしてくださっている。(その後の話で、その日の状態により、ベッドで食べさせたり、座って食べさせたりしているようだ。ベッドで食べても、その後車椅子に座らせて、広いダイニングでテレビを見せてもらったりしているので、決してホームの都合で、車椅子への移動の手間を省くためにベッドで食事を摂らせているわけではないことがわかる。)カンファレンスでは、食事について、その話と、以前体重がどんどん減ったときに栄養ゼリーを与えたことがあったが今は体重も安定し、必要ないということになった。手を握り締めているので、爪で掌に傷をつけるため、だいぶ前からタオルのハンカチを掌サイズに丸めて握らせてもらっているが、通気のない手の平に何かできたり臭くなったりするので、今はタオルの内側にさらにガーゼをあててもらっている。ガーゼのハンカチを洗って使うのはまた手間なので、使い捨てするよう、大きなガーゼを正方形に切り持参している。この方法はこのまま続けるとのことなので、今日も持参したが帰りに又一反買って来た。出張の歯医者さんに歯茎のケアをしてもらっているが、これも続けて貰うことに。カンファランスの後、懇談会があったが、今浦安市で入居待ちの人が300人。せめてホームでも少しは受け入れられるよう来月からホーム内に何ヶ所か、さらに部屋を増やす工事を始めるとのこと。行った時、何時もの掌のハンカチガーゼが外されていたので、掌を開いて見たらさらっとして綺麗だった。何の抵抗もなく掌を擦り顔を擦り、撫で回したが少しの不快感もなく、如何に何時も行き届いた世話をして頂いているのかが伺われ嬉しかったと同時に、感謝の気持ちでいっぱいだった。****以下、by 娘本当にいつ行っても、きれいにヒゲを剃ってもらっていたり、パパの部屋のCDプレーヤーで音楽をかけてくれていたり、行き届いています。以前に比べ、より手のかかる入居者が増えたような気がしていますが、その日仕事をしている介護士さんの人数も多くなっているようです。年月を経てもサービスの低下は全くなく、常に本人にとってベストなケアを考え、即実行してもらっているのを感じ、このホームに入居できたことをつくづく幸せに思います。
2010.09.25
何時もより少し早いバスで行ったら丁度昼食を食べさせて頂いているところだったので急いでバッグを部屋に置きに行って、私が食べさせた。今日はイケメンのNさんが一人で世話をしておられた。今日は全然私の手におえず、入れても入れても、直ぐに出す。スプーンで受けられないのは、そのまま持参する特製のエプロンのポケットに落ちていく。スタッフの方も云われるが、本当にこのエプロンは今の主人になくてはならないものだ。京子はよく思いついたと感心する。今日も20枚持参したが、今日の様子では直ぐなくなるだろう。それにしても、こんなに手のかかる主人の食事に、1日3回も時間を取っていると思うと申し訳ない。最近は、自分で食べられない人が多くなり、今日もそのNさん一人が何人も食べさせて下さるのだからさぞお疲れになることだろう。私が主人の食事を交代したら、直ぐに別のおばあさんの食事を食べさせておられた。そちらは口に入れるときれいに飲み込まれ、主人とは大違いだ。主人の食事はもう見切りをつけて全部処分し、流しに山と積まれた食器を洗った(半分は食器洗い機にいれた)が私がしなければ、この作業も皆Nさん一人でされる筈。一人でご飯茶碗、味噌汁椀、メインの皿(主人はミキサー食なので何か分らないが他の方のお膳を見て太刀魚のあんかけ、さつま芋と何かの煮物、さらに何かの皿、デザートの皿と、5個の食器、の8~9人分。世話をしながら後片付け、本当に気の毒だ。頭が下がる。
2010.08.10
最近は少し体重が減っているとのことだが、穏やかな状態が続き、日記もおろそかにになっている。先週行った時に剃刀の替え刃、歯ブラシ(子供用)ウエットティッシュ詰め替え用、ガーゼ等のストックがないとのことなので、26日に持参した。掌を強く握り締めるので掌に爪が食い込み血が出るほど。それでタオルのハンカチを丸めガーゼで包んで掌に握らせて手の甲で結んである。ガーゼが汚くなるので今回はガーゼを沢山買い、持参し、あちらで切って畳んで来た。
2010.07.30
昨日は京子が行ったが、あまり変りはなく穏やかだったとのこと。天気がいいので車椅子で散歩に連れ出してくれた。今日愛光園から電話があり、昨日京子が行ったばかりだのに何か急変でも‥‥と、どきんとしたが内容は左手の薬指の爪の横が少し化膿していたので(?)クリニックへ連れて行き治療をして頂いたとのこと。「おとなしく治療させたのでしょうか?」と聞いたら大声は出したらしいが痛み止めの注射をして治療したので大丈夫だったらしい。世話をして下さった方々ご迷惑をおかけしたと思いますが有難うございました。追記 by 娘毎年冬にちょっと調子が悪くなりますし、去年は春に急に食べなくなったりしたので、なんとなく心配な時期ですが、今年は冬の間も安定して調子もよく、心配することなく春を迎えることができました。食事もわりとスムーズで、エプロンにこぼれる量も減っています。私が行く時間にはもう食事が終わっていることが多く、ちょうど車椅子に座っているので、天気がよければ、外に散歩に連れ出します。短時間ですが、すぐそこに海があるので気持ちがいいかなと。たまに大きな声を出しますが、前ほどの迫力はありません。顔をのぞき込むと、やっと家族が来たことがわかるのか、感情的な声をあげます。安定して穏やかな日々を送っているので、半永久的にこの状態が続きそうな気もしてきますが、何年か前から胃瘻にして、血色もよく穏やかに過ごされていたおとなりの部屋のSさんが先月亡くなりました。どうして亡くなられたのか詳しいことは聞いていませんが、1月の誕生会でもお元気そうなお顔を見ていたので、ちょっとびっくりしました。その日はまだだいぶ先かもしれないけれど、案外突然やってくるのかもしれません。
2010.05.17
主任介護士さんとして長くお世話になったKさんが3階に移られ、後任のYさんに今日初めてお会いした。部屋に行って見ると主人はベッドに横になっていたが、散髪もしてこざっぱりとし、それはそれは穏やかないい顔だった。一時の喚いていたことが信じられない位、若い頃の優しい顔。思わず話しかけてみたがやはり反応はない。でも嬉しくて話し続けた。云っても愚痴になるのだが、こんな病気になってなかったら‥‥先月ホームから電話があり「今日体位を変えるため体を動かしていたら壁に顔をぶっつけで顔に少し擦り傷をつけてしまいました。申し訳ありません。ベッドを壁から離し部屋の少し中程に移動させました」とのお詫びだった。床ずれが出来ないように枕を幾つも用意され、体を横に向け、ずれないよう背中や腰、膝へと当てて下さる。これを昼間だけでなく夜中も、当直の介護士さんがやって下さるのだ。「どうぞお気遣いなく、若し私が家で介護していたら、そこまで手を掛けられないでしょうし、絶えずもっともっとひどい傷をさせているでしょうから」とねぎらった。ベッドは窓に近くなり、明るくて主人も喜んでいると思う。何時もいつも感謝感謝で帰ってくる。
2010.03.09
今回の父の誕生日の日記を見て、TJさんが母にメッセージを入れてくださいました。1年前、TJさんの発案でダブルのスーツを着てお祝いをしたことを感慨深く思い出し、当時を振り返ってそのときの心配や満足など書いてくださいましたが、まじめな彼らしい内容でした。新しい職場に行っても、父のことを心配してブログを見てくださっていることを母も私もとても嬉しく思います。若さと優しい人柄、それにこのホームで学んだ質の高い介護の実際が新しい職場で存分に活かされ、理想(目標)とするお仕事が実現しますように。
2010.01.18
行ったら、ちょうど食事を食べ終わったところだったが、デザートを私がバトンタッチ。すでにエプロン(ビニール袋で作った特製の)のポケットには100cc以上の液体が‥‥ムースを口に入れても直ぐに出て来る。スプーンで受けて直ぐまた口に入れるが、2~3度繰り返したらそれがだんだん液体になる。飲み込もうとする気がない。頭を起こして少し前かがみにしてるからのどを通らないのだとわかり、左手でおでこを押して少し後ろに倒しながらムースを入れるとわりに出さずに成功 (⌒-⌒;) 終わってエプロンを外す時は、ポケット部分にたまった唾液や食べこぼしの液体をこぼさないよう、大変気を使う。このエプロンがなかったらタオルを2~3枚じゅくじゅくにするだろう。このエプロンを考案した京子は偉い!私たちはたまに行って少し手伝うだけだが、介護士の方は1日3回、さぞや鬱陶しく腹の立つこともあるだろうと思うと申し訳なく、頭が下がる。食事が終わって、ベッドに寝かせて頂き、暫く側に座っていても何の反応もないが、顔を近づけて目を合わすと「あーっ、」とか「うおっ、」というような大きな声を出す。身内と分るのだろうか?
2010.01.18
6日が誕生日だが、京子が休みの日曜日の今日、誕生会をして頂くことにした。今年もケーキを作って持参することになり、前日にスポンジの台を作った。京子は生クリームや苺を買い、ケーキを食べられない3人の方用にイチゴのムースを作って持ち帰ってくれた。ケーキは直径23センチの大型なので、クリーム2個、苺も2ケース。午前中に2人でデコレート。写真のような豪華なケーキが出来上がり、今日ばかりはタクシーを呼んで家から乗って行った。りんご農園に嫁いだ孫が作ってくれた、夫婦の名前入りのりんごも忘れず持って行った。今年は、最近入園されたNさんも一月生まれということで、合同の誕生会になった。テーブルには、ケーキ、ムース、Nさんのお持ちになったお菓子が並び、入居者の皆さんにハッピーバースディーの歌を歌って頂いた。京子と私は主人の両サイドに座り、皆さんが「美味しい」と喜んで食べて下さって、幸せな一時を過ごした。初めは主人のいるブロックの方だけだったが、となりのブロックの方も次々お祝いに来てくださり、テーブルはいっぱいに。そのうちケーキが足りなくなり、2段重ねを1段ずつお出ししたり、お皿やフォークも足りなくなって、いそいで洗ったり。来年は、ケーキサーバーや、フォークなども持って行くといいかも。80歳の誕生日。最近は、食事もよく食べている様子。体重も少し増えてきた。今日も比較的反応がよく、表情も豊か。ミキサー食を食べているのでムースをと思ったら、ケーキの方を喜んで食べた。今年もこのようにお祝いすることが出来、有難いことだと感謝している。
2010.01.10
介護士のSさんから電話があった。「新年会をするのですがその時に甘酒をお出ししますが、○○さんにも飲ませていいでしょうか?甘酒ですから少しはアルコールが入っていますが」とのことだった。「どうぞ飲ませて下さい、昔はアルコールが好きな人でしたから‥‥誕生会の時もワインを持参して飲ませたいくらいですから」と返事をしておいた。
2010.01.07
新しい消臭剤と自家製?食用エプロンを持って、ホームにいきました。炭のにおい?のルーム用消臭剤がなかなか落ち着いた感じのいい香りで気に入っています。食事用のエプロンですが、よだれが多いのと、食事に水分が多いため、毎回首のまわりがどろどろになってしまいます。洋服やシャツまで汚れるので、最近はベビー用の完全防水の、ポケット付きのエプロンを使っていましたが、首廻りがきついのと、繰り返し使うとやはりいたみが激しいので、ためしに、スーパーでもらうショッピングバッグを百円ショップで買ってきて、下を折り返してセロテープで留め、ポケットにして使ってもらうことにしました。使い捨てなので楽だと思いますし、しっかり首に結びつけられるので、首廻りも汚れにくいと思います。介護用品として売られているエプロンは、防水であっても、ひざまで覆う大きさで、口からこぼれた食べ物や水分を受けるポケットなどついているものはないようです。自分で食べるわけではなく、食べさせてもらうので、大きくなくていいわけですし、毎回どろどろに汚れるのだから、使い捨てにしたいわけです。百円ショップで売っている手つきのゴミ袋の中でなんとかちょうどいい大きさのものを見つけ、母がテレビをみながら、せっせとポケットを作っています。介護士さんは恐縮してくださるのですが、毎回パパに食事をさせるのがどんなに大変かわかるだけに、このくらいの作業はなんでもありませんと伝えました。今後またパパの状態の変化によっては、別のものを考えなくてはならなくなるかもしれませんが、これがいいと思われる間は、せっせと母(ふー)が作ってくれることでしょう。この日、ダイニングのテーブルには、Oさん(男性)の写真とお花がありました。車いすで移動する姿をよく見ていたOさんが、2,3日前に入院して、昨日病院で亡くなったのだと、Sさんが教えてくれました。そういえば、最近見掛けない方が何人かいらっしゃいます。顔なじみになった方がどうしていらっしゃるか、やはり気になります。Oさん(女性)は、たまにお会いするとお話をしますが、体調が悪かったり食欲がないとき、自分が食べたいと思うものが食べられないとちょっと悲しそうでした。生協を注文できたり、何かと融通がきくホームですが、お元気でも車いす生活の方には、悔しく思われることも多いのかもしれません。パパの場合、半強制的?に食べさせていただくので、食欲がないときなど、飲み込みが悪かったり口が開かなくなるなど、ずいぶん手間どらせてしまいますが、自分で食事をする人よりも、栄養はしっかりとれているのだと思いました。
2009.10.25
カンファレンス(介護方針の話し合い)の予約を入れていたので、母(日記の主=ふー)と二人でホームに行ってきました。毎週交代で(ママ2:私1くらい)どちらかが顔を出していますが、二人で行くのは久しぶり。春に食事がとれなくなった際、胃ろうをするか否かでちょっと意見が違ったりしたので、一緒に行った方が話が早いかなと思ったので。私たちが行くと、家族が来たのがわかったようで泣き顔になって、喜び(怒りかも)を表現します。珍しく部屋がかなりくさかったので、窓を開け、消臭スプレーを噴霧しました。間もなくにおいが消えたので、排泄やオムツ交換の後だったのかもしれません。カンファレンスは、前からお世話になっているベテラン介護士のKさんの説明を中心に、ケアマネージャーの方と私たち2人で行いました。パパの最近の様子とホームでのケアの仕方について説明を聞き、こちらからの要望などを伝えましたが、まとめると、今、とても調子がよく安定していて、あまり心配な要素がない状態ということでした。実際、私たちが会いに行くと、前にくらべて起きていることが多くなり、感情の表現も豊か、食事もよく喉を通り、食事にかかる時間も短くなっています。大声を上げたり、身体の緊張が強かったりで飲んでいた薬をだいぶ減らしたことによるものだと思われますが、結果的にまた少し声が大きくはなっていますが、前ほどではないし、また、夜しっかり寝るようになったため、朝ちゃんとおきて、朝ごはんも早めに食べられるようになり、その結果、お昼も前より早く食べるようになりました。(それで最近、私が行ったとき、お昼ご飯が終わっていて、お手伝いしそこなうわけですね(^-^;))一時減り続けて、50kgを割りそうになっていた体重もしっかり三食食べ、栄養強化のゼリーも食べているせいか、また増えて、理想的な範囲に入ってきたようです。いろんな面から、今はとても安定している状態ということで、ほっとしましたが、これからまた冬。。。毎年、冬にいろいろ悪化して、春に持ち直すという傾向があるので、この冬も無事に越えてほしいと思います。家族の方から何か希望があるか聞かれ、いつものようにホームには十分していただいているので、特にありませんと伝えました。最後に、また看取りについての、確認書をもらい、家で書いて次回持参することになりました。状態が急変したときに、呼吸器、食事、手術について希望するかしないかという質問ですが、実際、急変という状態がどのような場合になのか春のような食事があまり取れなくなったという状態でも家族内で意見が分かれたりしたので、そう簡単にこたえられるものではないと思いました。何かあったときはすぐにホームから連絡がもらえますし、確認書に書いたことを変更してもかまわないということなので、とりあえず母の考えでチェックを入れました。帰る前、久しぶりにリビングにHSさんがいました。前はよく怒られていましたが、最近は元気がなく、すっかり弱気で、かわいいおばあちゃんになっているのですが、この日はひどく機嫌が悪く、目が合っただけでも怒られる……、パパの部屋のドアをきっちり閉めなさいと怒鳴られる……でにこにこ話しかけてもダメだったので、最後は顔を見ないよう、逃げるように帰りました(^-^;)あの状態のHS、本当に手に負えなくて、介護士のみなさん、さぞ大変だろうと思いました。
2009.10.18
着いたら食事時で、介護士さんが主人ともう一人の方の食事を掛け持ちで食べさせておられた。相変わらず主人のエプロンはべちゃべちゃで、ポケットの中は洪水。ビニールのエプロンはベビー用で、いたみはじめているので、また次を用意しなくては。途中から私が引き受け、部屋へ連れて行った。少しは味覚があるのか、お粥のときは咽喉の通りが悪くすんなり咽喉を通らず、涎として水分がエプロンを流れるが、フルーツらしきものをミキサーにかけたデザートを入れるとすんなり咽喉を通った。終わって洗い物をするため台所へ食器を下げたら、さっきの介護士さんが「僕がするのでそこへ置いてどうぞご主人の側にいて上げて下さい、ご主人も喜ばれますよ」いくら私が洗うと言っても優しく追い返された。主人は前のように大声を張り上げなくなったが、私が正面から目を合わせると嬉しいのか、泣き顔になり泣く様な声を出した。 地区の老人会は活発でサークルもいろいろあり、囲碁、ゴルフ、コーラス、最近新しくクラッシックを聞く会も出来、結構皆さん愉しんでおられるようだが、主人が認知症にならなかったら、きっと解説したリ、CDを提供したりすることと思う。私も誘われるが、家に立派なリスニングルームがあるのにだだっ広い会館では音も跳ね返り、主人だったら気に入らないだろう。退職し、ゆっくり音楽を愉しむために主人の希望どおりのリスニングルームを作ったのに何年音楽を愉しんだだろう。こっそりルームの片隅に物を置いたら、「音が狂う」と文句を云われた位、音楽を愛した人。 現ホームに入所させて頂いた際、前のホームに面接に来て下さり、その後も事務手続きや連絡でいろいろお世話になっている相談員のSさんが、今月いっぱいで浜松へ転勤されることになった。TJさんに続いて、またお別れだ。今日エレベーターを出たところでばったりSさんにお会いし、今迄のお礼とお別れの挨拶をすることが出来た。どうぞお元気でご活躍下さい。
2009.09.22
約3ヶ月近く日記を休んでいたが、主人の状態が安定していて敢えて日記に載せることも無く過ぎてしまった。今日は浦安市の花火大会の日、ホームでもそれに合わせて夏祭りがあった。手伝える者は4時に行く事になっていたので、4時前に行ったが、まだ何もすることがないといわれ、部屋で待機していた。主人はベッドで目を覚ましていた。とても穏やかな表情。ベッドの側に座り、ずっと話しかけていた。まるで私の話すことが理解出来ているよう。「私誰だか分りますか?○○ですよ、あなたの奥さん!」「美人の奥さんが来ましたよ」(ずうずうしい、相手が反発しないのをいいことに…(^0^) )両手で主人の顔を撫で回し、おしゃべりし続けた。子どものこと孫や曾孫のこと。山口県が大雨で大変なこと。いろいろ聞かせたが、ずっと私の顔を見て聞いていた。顔をなでまわしても、いつものことだが、さらっとしていて不快感がない。毎朝顔を拭いて、髭剃りをして頂いてるのが分かる。思わずおでことおでこを擦り付けた。今年から家族が調理を手伝えないことになったとかで、スタッフ総出で準備をされた模様。ダイニングには飾り付けもされていて、お祭り気分が盛り上がっていた。食券(500円)が配られ、やきとり、お好み焼き、焼きそば、ベビーカステラと飲み物と交換出来るようになっていたので、仕事を終えてやってきた京子に運んでもらい、私は、スタッフの方が用意して下さったミキサー食を主人に食べさせた。今日は驚くほど大口を開けて、上手に食べて呉れた。中には酸味の強いお料理もあるらしく、口に入れると顔をしかめ酸っぱいのだなとわかる。味覚はあるようだ。(酸っぱい顔をするようになったのは、ごく最近のこと)口を大きくあいてくれ、また入れたものはしっかり飲み込んでくれてあっという間に食べさせ終った。こんなに気持ちよく食べてくれたのは何ヶ月、いや、何年ぶりだろう。京子のビールの飲みかけをスプーンに入れて口に入れたら凄く嫌な顔をした。あんなに好きだったワインを入れてもやはり嫌がるだろうか。試して見たい (=^ー^=)食事が終わったとたん、食事中はそんなに出なかったよだれがだらだら拭いても拭いてもすごい量出た。先日、私がレインコートを使ってよだれ掛けを作って行ったが、防水の布のはずが、裏地まで通って濡れていて、がっかりした。暗くなり、そろそろ花火を見る時間。京子が「パパをどうしよう」と云うので「どうせ見ても分らないでしょう」と云ったが綺麗なのはわかるかも…と連れ出すことに。食堂側のベランダへ車椅子を下ろしてもらい、花火の見える側へ移動。次々に車椅子の方達も出て来られた。今日はスタッフの方達はほぼみんな浴衣姿だった。看護士のRさんは可愛いお嬢さんを連れてこられ、母子で見ておられた。花火が始まったら、主人はずっとおとなしく見ていた。1~2度大声を出したが「たまやー」の掛け声のようであまり気を使うこともなかった。海の側なので潮風で肌がべとべとした。途中で車椅子の方達は次々と部屋へ戻られ、2組だけになったが、花火は少し離れているものの、正面からゆったり座って見られてよかった。今迄主人の担当だったTJさんが退職され、姿が見られないのが寂しかったが、帰りがけに、Kさんが「また私が受け持つことになりました」と云われた。Kさんはチーフをされているのに、またお世話になる。帰りにダイエーでベビー用のビニールのよだれ掛けを2枚買ったが、可愛い花柄のものしかなかった。レジの人がそれを見て「赤ちゃんのですか、可愛いですね」と云われたが、いくらなんでも本当の事は云えなかった(^^;)
2009.07.25
入り口で看護士のTさんにお会いしたら「最近ミキサー食にしてよく召し上がっておられますよ」と話して下さった。今日は初めての男性介護士さんだった。丁度食事が終わりお茶ゼリーを頂いているところだったが私の顔を見たとたん 大声を出して泣き声、顔も泣いてるよう。まるで家族が分るようだった。1ヵ月前は目もとろんとしていて焦点も合わず、1時間半掛かっても大匙いっぱいも咽喉を通らなくチュウブ云々と云う話まで出てショックだったが、今日は別人のよう。天気もいいので帽子を被らせて、散歩に連れ出した。久し振りに海まで出たが気温といい、自然の風、太陽、ともに素晴らしく、車椅子を押している足取りも軽やか。海の側は時には2~3人いたり誰もいなくなったり。車椅子のストッパーをかけ、私だけ海の近く堤防まで行って大声で歌った。後ろを振り返ると主人も涎を出しながら大声を。気持ちがいいので小一時間もいた。戻ってから部屋の中でも、私と目が合うと嬉しそうに大声を出したし、いよいよ帰る時も悲しそうな顔で大声を出し私が出口の方へ歩きすれ違うと顔を向けて私を追った。こんなことは初めてでびっくりした。スタッフの皆さんが愛情込めて世話をして下さったおかげだと心からそう思い、感謝の気持ちでいっぱいになった。
2009.04.30
3月中は家の中のリフォームをしてばたばたしていた。(この家を建てて23年、絨毯の室はフロアーに、壁紙も張り替えたりでリビングもダイニングも食器棚や飾り棚の中の物を全部出し、引越しのように大変だった。)主人の所へもなかなか行けず、日曜日に続けて京子が行ってくれたが、今日久し振りに私が行って来た。介護士のTさんがおしめを換えて下さるところだった。前にもTJさんが「最近尿の量が少ない」と気にしておられたが、Tさんも、それを気にしていた。京子からも聞いていたが、食事がのどを通らず、お茶や汁物(ゼリー状にしてある)も入れても、全部口から出てくる。1時間かかって大さじ1杯位しか食べなかった。間で看護士のRさんが入って来られ、最近の主人の症状について説明して下さった。最近食事を体が受け付けない。睡眠薬は与えているが前のように興奮を抑える薬は一切与えては居ないとのこと。食事は諦め片付けた。今日は内科の先生の往診があり、初めて立ち会った。前をはだけて、先生が「大分痩せたね」といわれた。食事を受け付けないことをRさんが報告され、私も状況を話した。先生は「どうしても口から食事が取れないようならチューブで入れるか、そのうち腹部に穴を開けて栄養を云々」と云われるので私はそれを拒否した。「自然の状態で」とお願いした。夜、TJさんから電話があった。TJさんは夜勤だったらしく昼間の日誌〈?〉を見て気にして下さったらしい。私が「主人の食事で時間をかけスタッフの方達に申し訳ない」と気にすることを気遣っての電話だった。看護士さんの間でも話し合われ、家族が来たら一度会って最近の状況をを話そうということになっていたらしい。TJさんも主人のことを一番よく把握しておられ、「最近目の焦点が合わないこと、黒眼が濁って(?)いるようで食事を目の前に持っていっても何の反応もなくなった」と。私も今日、目が気になった。目をつむっていて開いたら(5~6粍)白目で黒い目は見えなかった。黒目は上の方へ行っているから白目しか見えなかったのだろうがまるで睨んでいるようだった。私たちはたまに行って食べさせるだけだがスタッフの方達は毎日こんな思いで食べさせて下さってることが申し訳なく、TJさんは家族のその気遣いまでも心配して、それこそ気遣いでやさしい電話を掛けてくださったのだ。その時も診断の時先生にチューブをお断りしたことも話した。私の一存でお断りし、(何ヶ月か前には京子にはその旨話したことがある)食事を完全に受け入れなかったら、主人の 寿命はだんだん細くなり覚悟の上だが、長男は怒るだろうか。今日次男には話して納得してくれたようだが・・・このホームに入園出来、それはそれはスタッフの方達の温かい介護を受けもう充分に本人も満足していると思う。植物人間になり、ただただ生かされている主人なんて哀れ、発病前の主人だったら耐えられないと思うし、私も哀れな姿をさらして長生きはしたくない。延命拒否の書類を書いて日記帳に挟み京子に教えてある。*** 以下、by 娘 ***この日記は、しばらく公開するのを控えていました。急激な変化に皆ショックを覚え、絶望的な気持ちになったり(母・日記の主)これは一時的なものかもしれないし、まだその時期ではないと思ったり(私)母、私と兄弟の間で話し合いました。皆、父本人の気持ちを考え、延命措置はとらないという点で一致していましたが、実際、突然食べなくなったこの状態をどう捉えるべきかわからず、「胃ろう」(チューブ食)は延命というほどのものではない当たり前の措置だと思うと、私が無理矢理?みんなに同意を求めたり、実際みんな、胃ろうは受け入れるということになり、私がホームに行って、やはりチューブは拒否しませんと言ってみたり……ホームの方でも、母と私の意見が違うかもしれないと心配になったようで、母と私が一緒に来るように言われ、担当介護士のTJさん、看護士のRさんと4人で話し合ったりしましたが、食べなくなって間もなく、刻み食からミキサー食に切り替えてもらっており、切り替えて間もなく、ミキサー食を100%食べるようになっていました。食べるようになったのに合わせて、意識(反応)や目も元に戻ったようです。ホームとしても状況をつかみかねて、私たちにショックを与えるような言い方をして申し訳なかったと言ってくださいました。同じところの入居者に、クレーマー的な家族がいるらしく、これだけよくやってくださるホームなのに、異常に家族に気を遣い過ぎているようで、気の毒になりました。この件については丁寧に書きたかったのですが、このところとにかく忙しくて、ゆっくり書く余裕がありませんでした。私に孫が産まれたため、GWは留守にするので、その前にあわてて書いております。あとで書き直すかもしれませんが、ざっと最近の状況を書いておきました。*これは3月31日の日記でしたが、楽天ブログは2カ月前までしか書き込めないことになっているようで、書き込めなかったので、4日1日のところに入れました。ちなみに4月1日はふーちゃん(日記の主)の誕生日です。
2009.04.01
着いたら丁度食事だったので私が食べさせた。TJさんが食事の用意をして下さった。ご飯が大きな茶碗(小型どんぶり位の大きさ)に少し盛り上げた量「お粥とご飯が混ぜてあります」とのこと。私の食べる3~4倍でびっくり。更に寒天お茶がどっさり。前回は大変調子よく、食べさせるのに楽だったが……。TJさんが、最近おしっこの量が少ないので腎臓の方が心配だと言っていたが、水分を考えてか、いつもより量が多い気がした。最初はどうにか食べていたが、そのうち声が出始め、なかなかスムースに食べてくれない。テレビの側には例のH(S)さんがおられたので、大声を出す度に、申し訳なさそうにH(S)さんを見るが、私の困った顔を見て笑っておられた。前のように怒鳴られなくなった。それにしても今日の主人は機嫌が悪いような声で、私と目が合うと恐い目をした。食事が済んで洗い物をしている間に、TJさんが主人を部屋へ移動させ、おしめを換え、その後吸引をして下さった。痰が絡んで肺炎になることがあるので、まめに吸引して下さるらしい。食事を食べさせるのに時間がかかり、更に吸引と一番手が掛かっていると思う。TJさんがおしめを換えながら話しておられたが、最近笑わなくなった。怒っていることが多いし、時には泣いているそうだ。話してる間も何かしら怒鳴ってるようだったし、とても恐い顔をしていた。泣くといっても涙を出して泣くのではなく、泣き声を出すらしい。最近動物の番組で、動物の思っていることが分る人が動物と対話して、飼い主に通訳しているが、今の主人がどんなことを心に思っているのか聞いて欲しい。あんなによく世話をして頂いているのに、何を怒っているのだろう。泣くのだろう。笑わないのだろう。食堂にAさんがおられたが、先月100歳になられた由。口数は少ないが こちらから話したら受け答えされるし壁にかかってる色紙の絵を指して「あれは何という花か」とTJさんに聞いておられた。TJさんが、今月はお花見に皆を連れて行くと云われるので「主人は見ても分らないのだから連れて行かなくても結構です」と云ったら、「いや行けば喜ばれますよ」と優しい。皆さんの負担になるからどうぞ留守番させて下さい m(_ _*)m 14日は説明会があり、京子が行って呉れることになっている。
2009.03.07
今日はホームで、パパの誕生会をしていただきました。本文は後日……としておいて、写真だけで終わりにしようかと思っていたら、どうやらそれは許されないようなので(日記の主から催促あり)。。。今年のパパの誕生日の企画として、実は担当のTJさんから、別の案が出されていました。家で誕生日を祝うという案。まだ本人が歩けた頃、前の担当者のKさん(女性)が、自ら運転して車にパパを乗せ、家まで連れ帰ってくださいましたが、今は状況が違います。完全に車椅子の生活。階段を上がれるという特別な車椅子まで用意するからとTJさんが提案してくださいましたが、いろいろ家の状況を考えて、無理だと思いました。リビングやダイニングは2階にありますし、階段が険しくて狭いこと、1階のオーディオルームがいいかなと思いましたが、入口すぐのところにピアノがあり、車椅子が入れないこと。。。それに、前回すでに、家に帰ってもパパにはもう、家に帰ったことすら理解できていないようだったこと。そんなわけで、今回もママがケーキを焼いて、ホームでお祝いをしていただくことになりました。普段から、ホームは、パパに少しでも前の自分の生活を思い出してもらおうと、いろいろ提案してくださいますが、今回、TJさんは、パパにスーツを着せたいと。パパの背広などは、パパの弟のSさんにお譲りしたり、処分したりで、もう黒のダブルしかなかったのですが、ちょうどスリムになったところですし、それが着られそう。。。ネクタイは沢山ありますし (業務連絡、ブランドもの多し、 早い者勝ちで譲るので、欲しい人はふーちゃんまで)次男から白いワイシャツを借り、こうして、この晴れ姿が実現したわけです。前日ママがケーキのスポンジを焼き、当日、午前中に生クリームで飾り付け、今年も、タクシーでそろーっと運びました。固形物を食べられない方には、プリンを用意。少しだけ生クリームをトッピングして、がまんしていただくことに。パパの着替えは、思ったよりスムーズでした。ワイシャツは難なくクリア。背広を着るのに、関節が固いため少し手こずりましたが、3人いれば、なんとかなるもんです。ネクタイは、TJさんが自分の首で輪を作り、上手に締めて下さいました。いつも常に声を出して、締まらないパパでしたが、どうです?なんだか、スーツを着たら、しゃきっとしたじゃありませんか?表情まで、違う気がします(^o^)でも、このパパの様子を一番喜んだのは、家族の私たちよりも、TJさんだったかも知れません。思った通り、予測した通り、いや、それ以上?のできあがりだったかもしれません。沢山写真を撮りたくなるような、晴れ姿でした。ためしに、鏡の前に車椅子を向けてみると、しばらく気が付きませんでしたが、やがて、鏡の中を凝視……無言で見入っているようでした。何か感じてくれたでしょうか。誕生会のBGMとして、TJさんから「G線上のアリアがいいのでは」と聞いていたのですが、メカ音痴のふーちゃんと私、パパのコレクションにありそうでいて、みつからなかったため、YouTubeで見つけたのをラジカセで録音して持って行きましたが、なんと、TJさんが「お友達」からダビングしてもらったというCDを用意してくださっていました。ただ、お誕生日にふさわしくない曲も入っているということで、誕生会の間は「G線上のアリア」のみを繰り返し流すことに。……ところで、ここだけの話ですが、TJさんプロデュースの今回の誕生会、TJさんのパパに対する優しい心遣いに感動すると同時に何かとセンスの良いアドバイスをしてくださるお友達の存在に注目。。。お友達はステキな女性に違いないと…(^^*)職場を離れてもパパのことを考えてくださっているTJさんに、改めて感謝。さて、ダイニングテーブルに皆さんお集まりいただいたところに、TJさんの司会で、誕生会が始まりました。拍手の中、パパが登場。「似合うじゃないの!」と皆さん、暖かい言葉で迎えて下さいました。ホームからお花と、プレゼントも用意して下さいました。ちょうどひびが入っていたということで、お茶碗と汁碗を戴きました。ありがとうございました。そして、ケーキを。12等分しましたが、パパも一切れ、きれいにいただきました。お誕生会のあとは、TJさんが他の人にもパパの晴れ姿を見せたいということで、あちらのブロックへ。スタッフの方も入居者の方も、みなさん、暖かい言葉をかけてくださいました。いつも大きな声を出して、迷惑をかけてばかりだというのに、本当に優しい方ばかりで、つくづくありがたいと思いました。実は日頃なにかとパパともめるH(S)さん、この日はご機嫌があまりよくないとのことで、あえて誕生会の席にはお呼びしませんでした。(何かあって会が台無しになると大変だからとの、ホームの配慮でした)会が終わってから、一人でケーキを召し上がっているところに、そーっとご挨拶に行くと、案外ご機嫌がよく、意外にもやさしい声をかけて下さいました。その後、いきなり態度が激変していつもの鋭い言葉の攻撃を浴びせられましたが、ケーキを前にこの笑顔のH(S)さんと妙に威厳のあるこの日のパパの姿に怖い顔、いや、もう、なんだか無性におかしくて(^▽^)せっかく、パパのよだれと食べこぼしから、なんとか背広を守り通したのに、このときHさんが、食べなさいよと差し出して下さったクリームが、袖に付いてしまいました(^-^;)おかげさまでとても楽しく、感慨深いお誕生会となりました。すばらしい企画だったと思います。TJさん、ホームの皆様、本当にありがとうございました。
2009.01.18
先日ホームから、介護保険の認定調査の日が16日に決まったので、都合がつけば立ち合って下さいとのメールを頂いていたので今日行ったのだが、私の勘違いで16時と思い込んで15時に行ったらもう終って帰られた由。14時だったそうだ。家に帰ってメールを確かめたら、16日の14時となっていた。私は16日の16という数字が頭にありもう一度確かめもせず、失敗をしてしまった。(えーっ、またですか?……←陰の声)主人は部屋の車椅子にいた。昔ほど大きな声ではないが、唸るような声を出し、口の端には唾が今に落ちそうに溜まるが、次の声を出すために息を吸うと落ちない。しかし涎は別で、よく出る。最近よく目を見る。しっかり目が合ったときは嬉しそうな声を出す。10日に行った時、食事をさせるのに、なかなか口を開けず般若のような顔で歯を喰いしばってギーッともウーとも唸るような声を出すので、私も同じような顔をして睨むと悲しそうな泣き声を出した。今日もおやつを食べさせている時、嫌な声を出すのでTJさんに「なんでこんな嫌な声を出すのでしょうねぇ」といったら「自分で思うように動けないから欲求不満なんでしょう」と。やはりTJさんは優しい。主人の身になって理解しておられるのだ。TJさんが、18日に主人の誕生会で主人に背広を着せて上げたいといわれ、黒のダブルがあったので、10日に運んでおいた。一時のことを思えば、今は大分細身になってるので着られるだろう。今日は体重を測る日だった。車椅子ごと測り、車椅子分を引き、55、6キロ?「これ以上体重を減らさないようにしなければ」と云われ「軽い方が世話をするのに皆さんの負担にならないから」と私が云うと「体重が減りすぎると、免疫力がなくなり風邪を引いたり病気になりやすいから」と云われた。帰るときTJさんが、誕生会の時「G線上のアリア」を流したいと。家に帰って探す約束をしたが...。昨年は介護士のKさんがサックスを演奏して下さり、とても良かったが今年はTJさんがいろいろ考えてくださり、また素敵な誕生会になりそう。明日はケーキのスポンジを焼く予定。
2009.01.16
主人の所へ着いたら丁度今から食事とのこと。「私が食べさせます」と引き受けたが、それはそれは大変だった。前回のように歯を食いしばって「イーッ、イーツ」と声を出しなかなか口を開けない。やっと入れたと思っても、咳やくしゃみで、私やあたりに撒き散らす。全然捗らない。時々介護士のOさんが「どうですか?」とのぞいて下さり、私と代わって「歯を喰いしばってる時は絶対に口が開かないので、待って、終わった時口に持って行くと開けられますよ」とスプーンを口のところに持っていかれると口が開いた。理屈では分っていても私がすると開かない。あまり口を開かないので、私が文句を云うと、凄い恐い目をして私を睨んだ。正常な時はあんな恐い目をしたことがなかったのに‥最初食事の量を見た時うんざりする位多い。ゼリーのお茶も大茶碗に2杯はたっぷり。固めのお粥は大茶碗にこれまたたっぷり。おかず2種類とゼリーのスープ。更にデザートのぜりー。絶えず口から涎がだらだら。スプーンとお絞りやティッシュと交互に持ち替えては食べさせたり拭いたり。一度は体を反りかえるように「イーッ」と云ったとたんずるずると車椅子からずり落ちそうになり、大声で介護士さんを呼んで来て貰い、抱えて椅子に乗せて頂いた。腰を痛められないかひやひやした。今日は1時間半近く掛かった。私が下手なのもあるが、毎度こんなに迷惑を掛けているのかと思うと申し訳ない気持ちでいっぱいだ。「あなた、もう限界ですねぇ、これだけ大事にされ世話をして頂いたのだから思い残すことはないでしょう。そろそろお迎えがあってもいいですね、益々あなたの品格が下がるばかりですから‥」と云ったら悲しそうな顔で急に泣き声のような声を出しびっくりした。「私の云うことが分るんですか?ごめんね」思わず涙がでた。Oさんが入って来られ、「食事が終られたらベッドメーキングします」と云われリビングへ連れ出したが、テレビの側にSさんがおられ、困ったなぁと思ったが仕方がない、「うるさくてすみませんねぇ」と云ったらなんと、なんと、驚いた。「いいのよぉ あの声は怒ってるのではなく喜んでるのよ、云わして上げなさいよ」とにこにこ顔。思わずOさんの顔を見たら「最近変わられてああなんですよ」とのことだった。今日は疲れた。
2008.12.08
兼ねてよりTJさんから提案いただいたフラワーロックが、とうとう主人の部屋に設置された。TJさんに箱から出してもらい、電池を入れセットして貰ったが想像していたよりはるかに巧妙でラジオのクラシック音楽に合わせて花だけではなく茎や葉っぱもくねくね踊り、色も赤、ピンク、ブルー、緑、黄色、紫と変り可愛くて私まで欲しくなった。当の主人は本当に見てるのか目の焦点が合ってないみたいだったが、誰もいなかったらきっと見て心が和むのでは‥‥大事な自分の時間を割いて何度も下調べに行って下さったTJさんに感謝。昨日、主人が永年勤めた会社のOB会から住所録が送られて来たが、もう必要もなく、本棚の場所ばかりとり、処分するにも個人情報が洩れるので捨てることも出来ずに困る。今日OB会に電話をし「今後は送らないで下さい」と断ったら名前を聞かれ、確認して「ああ、○○んですね、昔、××△△でご一緒させて頂きました、僕はまだ20歳のぺーぺーで随分お世話になりました、凄いクラシックファンでした」と云われ驚いた。沢山のOBの方の中で偶然にも‥‥
2008.12.02
先月のカンファランスで話合った施設で受けるサービスやこちらの希望等の計画書が出来たので都合のいい日に‥と連絡があったので、こんどは京子が行く予定だったが珍しく朝から体調が悪く、風邪ならいけないので私が行って来た。エレベーターを出たとたん主人の大きな声。(大分離れているのだが)食堂で昼食兼おやつをTJさんに食べさせて頂いていた。食堂には99歳で最年長のAさんとそのご家族、男性のOさんもおられた。私の顔を見て声が一段と高くなる。「お騒がせして済みません」と頭をさげたら「奥さんが来られたのが嬉しいんですね」と皆さん好意的で嬉しかった。バトンタッチで私が食事の続きを食べさせたが、私は座ると食べさせにくいのでので、立って食べさせていたらTJさんが「高い位置から食べさせると気管に入ることがありますので座って食べさせて下さい」と云われた。時々むせって思いっきり咳をし入れたものが飛び散ることもありくしゃみをしそうな時は特にかまえる。TJさんは正面からもろに顔にかぶったことが2~3回あるのとこと。本当に申し訳ない m(_ _)mなかなか口を開けず強引に入れようとしていると「咽喉を見ているとまだ何かあるときは咽喉が少し膨れていますが凹んだらもうないのでスプーンを口の側へ持って行くと開けられます」と云われその通りにすると、確かに口が開いた。細かい所にも目をつけて研究しておられるのに感心した。今日行った目的の計画書の説明が3時半からだったので、食事はOさんに代わって頂き、TJさんと別室に。書類に従って説明を聞いた。前回同様細部にわたり行き届いた世話をして頂いており、(手の皮むけや陰部の汚れにによる傷) 手を握りしめ掌に傷がつくためハンカチを丸めて握らせたり、排泄後、陰部をペットボトルの水で洗い流して下さる由、目に見えない細かい所まで手をかけて頂いてることに感謝の気持ちで一杯だ。でもTJさんは「よくあちこち痣を作ったりさせて済みません」といわれるので、私がこの前もKさんから「車椅子からすべり落ち…」云々と電話下さったけどそんなことでいちいち電話頂かなくても‥私が世話をしていたらもっとひどいことになってるでしょうから」と云うと「いえ、電話することで本人のいましめにもなるのです。実は‥今日も」と話されたのは、主人を支えてトイレに座らせようとしたら二人して転ぶのではなくゆっくり抱きついたまま床にねてしまったと笑って話されたが56キロの体重を支えて本当に力のいる作業。それを聞いた時、主人のことより、TJさんが体のどこかをねじって怪我をされなかったか、その方を心配した。 余談だがTJさんはこの後本当ならコタロウの散歩(園で飼っている犬、職員が交代でしている由)の時間と云われるので「TJさんは動物アレルギーでも行くのですか?」と聞くとそのためOさんに代わって貰うので、その時間Oさんの代わりに僕が介護の仕事を続けます」「私が散歩をさせましょうか?」と云ったのだが30分もさせるからいいと断られた。本当に遅くまでご苦労様です。
2008.11.16
今日はお隣の奥様達が、ボランティアでホームに三味線を弾きに行かれる日だった。何度か声をかけて頂いていたが、なかなか都合が合わず、今日とうとう、ご一緒させて頂いた。1時過ぎに着いて部屋に行くとベッドでうとうとしていた。TJさんがおられ、「最近は寝ていて凄い歯ぎしりをされ、時には歯茎から血が出ていることがある」とのことだった。食事はもっと後なので先に三味線の会場に行った。三味線はお二人、更に今日は別の方が潮汲みの踊りをされた。たった20~30人が集まる(殆んどが車椅子)だけだのに着物姿、踊られる方は留袖に幅広の袋帯を派手に蝶結びで踊られた。頭の下がる思いで鑑賞させて頂いた。部屋に戻ったら主人は食事をさせて頂いているところだったのでバトンタッチして私が食べさせたが、今日は大声と云うより歯をかみ締めてウィーーーーと云うような声。まるで猛獣の側にいるようだった。噛みしめているので口が開かず食べさすのに手間取った。はじめは食堂で食べさせていたが、あまりにも声が大きいので気がひけて、部屋へ移動して食べさせた。咽喉の調子が悪いのか、よくのどの奥から咳をするので、折角口に入れたものが飛び散る。時にはくしゃみをするので、出そうな顔になったときは空になったお皿等を持って口の前で構える。油断をするともろに、私の顔や服に飛び散る。それにしても毎度思うのだが、食事の量が多い。動き回る私が食べる量より多い。Kさんに「量が多いですね」と云ったが「あの位しっかり食べて頂かないと、体重が増えないんです。今の体重を維持しないと・・・・」と前にTJさんからもお聞きしたようなことを云われた。食べさせるのに時間がかかったが、散歩に連れ出した。前回京子がたんぽぽの綿毛とツーショットで写真を撮ったのを思い出し、私も真似てみたが、風がありたんぽぽの綿毛は飛んで大きな白い毛だけになった。だんだん寒くなると散歩を出来なくなるだろう。部屋に戻っても変な声は続いていた。TJさんが「この声は奥さんが来られて喜んでおられる声ですよ。声が高いのは嬉しい時、怒ってる時は歯をかみ合わせてうーっと云う声をされます」(もう1つの表現の声は???聞いたけど忘れた)車椅子を押して私をエレベーターのところまで一緒に送って下さった。優しいTJさんにいつも感謝して帰って来る。
2008.11.06
「季節はずれのたんぽぽと巨大わた毛」仕事が忙しくて1カ月以上ママにばかり行ってもらってましたが、久しぶりに私がホームに。紫外線アレルギーの私も傘なしで歩ける風も穏やかな日だったので少しだけまた、外に連れ出しました。お風呂に入ったばかりのせいか、真っ白な髪がふわふわでたんぽぽの綿毛みたいと(^o^)と思ったら、なんとたんぽぽがさいていて、綿毛まで!!パパのことはそっちのけで、大小たんぽぽのツーショット撮影に燃える娘(^-^;Aパパの体重が減ってきたので、おやつをあげてみようということだったので、ビスケットを持って行きましたが、失敗。やっぱりたまにしか食事の介助をしないと、だめですね。ビスケットのようなものは、歯にべったりくっついてしまい大変。歯磨きが難しいので、ティッシュでふきとっておきました。また、電気カミソリを買っていったのですが、電池を忘れ、動きません。なんだかいろいろ課題を来週に持ち越すのも……と思い、バスで一度近くの駅に戻り、ママを呼びだし、二人で一緒に、おやつや着替え、電池、口内洗浄液、薬用シャンプーなど買い込み、再びホームに。ホームに到着したのは夜の8時すぎ。こんな時間に行ったのは初めてでしたが、問題なく入れました。パパは、すでにパジャマを着せてもらっていました。TJさんが言うには、微熱があるとか。(もしかして、お風呂上がりに、散歩に連れ出したから?!)最近は喉の吸引をしてもらっているということで、今回初めて見ました。毎回嫌がるらしく、しばらくくしゃみや咳をして辛そうにしていましたが、それでも大暴れすることもなく、案外おとなしいなと思いました。本当は看護士がすることになっているらしいのですが、看護士の指導を受けて、前のホームでも今のところでも、介護士さんがやってくれているそうです。ただ、ホームによって見解が違うらしく、今のホームでは鼻は鼻腔を傷つけるからと、必ず喉から痰を引くことになっており、前のホームでは、喉を傷つけるからと、鼻からやっていたそうです。ちょっと不思議。 (私には、どっちも怖くてできませんが、 孫のA(私の娘・ナース)は、上手にできるんだろうか。。。 フェレットの爪を切るのも怖がってましたが(^_^;))食事に関して、最近は「きざみ食」にしてもらっていますが、よくむせるため、むしろまた普通食にしてみようかと検討中だとか。普通、きざみ食がだめなら、流動食になりそうなのに、いろいろ考えてもらえて、本当にありがたいことです。おやつも少しずついろいろ食べさせてみて、見極めてくださるようでした。
2008.10.26
カンファランスの日。京子に行って貰いたかったが、京子が忙しく日曜日しか時間が取れないことと介護士のTJさんの時間が一致せず私が…部屋に入ったとたんベッドから声は聞こえるが今までのように喚く声ではなく、唸る(?)ような声。歯軋りも。TJさんの話では昨日まで風邪を引いていたそうで、熱が9度まで上がったそうだが、ポカリスエット等を与えて下さったとのことで、もう熱は下がっていた。 カンファランスはTJさんと、ケアーマネージャーのSさん。(今回初めてで優しそうな男性)最初に基本ケア一覧表、施設サービス計画書、体重表等の書類を頂いてそれに副って説明を受けた。体重が今57キロ。減りすぎることを心配されていたが世話をして下さる方のためにも喜ばしいことだと思う。あまり減り過ぎると風邪を引きやすくなったり、他にも健康上よくないらしい。様子を見てこれからも減るようなら食事の内容をを考える必要があるとも。前はご飯だったのをお粥に変え、それにご飯を混ぜ大茶碗にたっぷり。それに副菜、ゼリー状にした汁物、デザート。最初、これだけの量が食べられるのかと驚くが、口に入れるものは全部食べつくし感心するのだが…。睡眠も以前薬を飲んだ時や現在、目覚めている時、熟睡している時、まだらな時等データーが何枚もありたった一人のために、こんなにも手をかけて頂いていたのかと驚いた。痣(あざ)が出来ることを気にされ、例えばTJさんはよく肩を持つとか押さえるとかされるらしく「そこが痣になる」と気にされていたが、あのふらふらする体を支えるには仕方のないこと。「年を取ると一寸当たっただけでも痣になり、私も知らぬ間に出来てることが度々あります。もし家で私が介護していたら体中痣だらけにするでしょう」とこたえた。床擦れを防ぐために 夜も2時間おきに体位を変えて頂いている。絶えず枕2個の他、布団やタオルケット等も当てある。 最近左の腕が硬直になり、服の脱ぎ気が困難とのこと。手もしっかり握り爪で掌に傷がついたり、臭くなるのを防ぐために絶えずハンカチを丸めて握らせてある。最近痰が絡むようになり、吸引機で吸い出して頂いているとのこと。大声を出すので他の方に迷惑が掛からないよう、私が行った時はドアを閉めるのだが「のれんがあるとそれ程気にならない」とTJさんはおおらか。TJさんの提案で、一人部屋に閉じこもっている時、大声を出したらそれに反応するフラワーロックを置いて見たらどうだろうと。自分の声に反応して、お花でも人形でも動いたら誰かが側に居ると思って喜ぶのではないだろうか。また、大きな家族の写真や関係した会社の人の写真なども持って来て欲しいとも。これからは散歩にも度々連れ出したいとのこと、私が行った時は出来るだけ連れ出すつもりだ。昨日熱を出した時ポカリスエットを与えたら、とても美味しそうに飲んだそうで「昔甘いものが好きだったのですか?」と聞かれ、子どもの頃の甘い想いで回想??(忘れた)甘いものは体にも必要プリンやゼリーなども食べさせて上げたいとも。今回は日記(このブログ)が話題になり、(TJさんには、最近このブログのことを教えたそうです。だめじゃん! by 娘(^-^;A))TJさんはあれを読んでいい参考になると。最初から読まれたようだ。リスニングルームを自分で希望通りに作り、音楽を聴きながら読書をすることなど夢見て、折角これから楽しむと云う時に病気になり可哀想だ、仕事人間で家では無口、一切仕事の話をしなかったこと等、お二人が楽しそうに聞いて下さるので調子に乗ってつい昔のことをぺらぺらしゃべリ、遅い時間までひっぱってしまった。主人は食事が終ったところだった。私が食器を洗い終って部屋に戻ると女性介護士のMさんが主人をベッドに移し パジャマに着替えさせて下さっていたので私も手伝ったが、TJさんが云われるとおり左腕が硬直して腕に袖を通すのが大変だった。華奢なMさんが主人の体の向きを変えては着せて下さるのを見て、いつも昼間に来ていて夜の介護は初めてだったが、毎日こうして手のかかる主人のパジャマを着せて頂いていたのをあらためて知り、頭が下がる思いだった。家庭で介護をしていたら、こんな面倒なことはしないと思う。お風呂に入れて頂いた時着替えた服のままでもいいのに…。 今日は今までにない声を発していたし、歯軋りもひどく少しびっくりしたがTJさんが 「でもお風呂で湯船に浸かった時はとても嬉しそうにされ、本当に○○さんはお風呂が好きだと分ります」と話して下さった。 今度持参するものかみそりが大分傷んできたらしく買い換えるか、シックの刃が沢山あるのでそちらの剃刀を先ず持参。・プリンやゼリー。・写真・手に握るハンカチの追加・肌着が大分痛んでいるので追加・もし見つかったらフラワーロック。・ガム(口腔洗浄液)
2008.10.17
早昼を済ませていつもより早く行った。主人はベッドに横たわっていたが目は開いていた。いい顔をしていた。頭や顔を擦りまわしてもさらりとしていて気持ちがいい。髭を剃ってもらい、有難いなぁと思う。いつものように食事をさせたが「今はHさん(天敵?!)が部屋に入っておられるから、広いところで食べさせて上げて下さい」と云われ食堂で食べさせたが、絶えず大声を出すので口は開きっぱなしで楽に食べさせることが出来た。それにしても あんなに声を出し続けて疲れないかと思う。メンタルクリニックの先生は「肺活量も増え、体のためにはいいことだ」と云って下さるが、周りの方には迷惑だ。今日は晴れていてもかんかん照りではなくさわやかだったのでまた海の側まで車椅子を押して散歩に出かけた。時々大声を出していたが人が少ないので平気だった。つりをしている人は12~3人。それを眺めている人。のどかだった。あずまやの椅子に座って私もリラックス。時々大声を出していても……。私より少しご年配らしい女性が一人で散歩しておられ 「大変ですね、でも元気でおられるだけでもお幸せですよ、私なんかさっさと死なれて寂しいものです。奥さん頑張って下さい」と私の手を取って行きすぎられた。たったそれだけの会話だったが涙が出た。いつもより長い時間散歩して帰った。帰りのバスで一緒に乗られた方が「ご主人、お元気そうですね、今日も遠くからお声が聞こえてましたよ」と云われ「うるさくてすみませんねぇ」と云うと、「私はお掃除をさせて頂いているものです、初めてお側に行った時、私の顔を見て急に大声を出され 私、何か悪いことをしたのかとびっくりしましたら、□△さんが(○○さんは女性のかたが好きなんですよ。喜んでおられるのです)と云われました」と話して下さった。
2008.10.09
撮影に成功しました?!……ご本人の許可なしにのせております。TJさん、もし不都合があれば、削除しますのでご連絡ください(^^)ノ
2008.10.08
夏バテで体調がいまいち良くないものの、半分義務心もあって、ホームに。ママが、前回眠ってばかりで大変だったというので、覚悟していったが、担当のTJさんから報告があり、昼間の眠気が強くなってきたので、薬の量を減らしたとのこと。しっかり起きている時間が増えた反面、また声が大きくなっている。体重が少し減ってきたから、薬の効き方が強くなってきたのかも。(前回、おかゆにかえて体重が2kg減って、59kgになったが……と聞いたけれど、まだ痩せて心配になるほどではないし、あまり噛まなくなったので、おかゆがよいと思うし食べさせるのも楽なので、良いと思うと返事していおいた。)薬を減らした結果、また大きな声が出るようになり、絶えず声を出すので、口は開く。だから、食べさせるのには都合がよいが、なぜかよだれがおおくなった。(前は薬を増やしたときに、よだれが多くなったのだが?!)2週前の花火のときは、食べるときよだれを全く出さず、飲み込みも良かったが、今回は、口には入るが若干飲み込みが悪くなっていた。健康体の私だってこの暑さで体調を崩したり、胃の調子だって変化するのだから、週に1度会いに行ったときの調子だけを見て、一喜一憂するのもよくないかもしれない。この日は「天敵」のHSさんがダイニングに居て、真横で食べさせた。珍しくHさんは機嫌がよく、にこにこしながら、いやなら離れればいいのに、大声を出しながら、よだれを垂らし、汚らしく食べるパパをずっと見ていて、「食べさせてもらってるのに、そんなに大声出して」とか「ほんとうに、馬鹿……今にみんなにそっぽを向かれるわよ」とかパパのことをぼろくそに言う(>_
2008.08.10
今日は曇り空なので公園に連れて行こうと思って出かけた。着いたら今から食事との事。「私がたべさせますから」と食事を受け取り部屋に入ると車椅子の上でぐっすり眠っていた。「食事ですよ」「起きて下さい」呼びかけても全然起きない。最初はお茶のゼリーだのに全然口を開けない。アイスノンで頬をさすってもだめ。こんなに眠ってるのは初めて。介護士のOさん(?)ちょこちょこのぞきに来られ「耳元で大声を出すと口を開けられますよ」と耳元で「○○さーん」と云われると「あ”-」とも「お”-」とも違う声を発し、口が開くので慌ててお茶ゼリーを入れる。彼が出て行かれ私が大声を出しても全然起きない。時間はどんどん経つのに、お茶すら殆んど捗らない。アイスノンで頬をパチパチ叩いてもたまに口が開くだけ。でも直ぐに閉じるので2回に1回は失敗。だんだん私もいらいらして来て「何で起きないんですか!散歩に連れて行かないから」と声も荒くなる。介護士さんたちもさぞ腹が立つだろう。身内でもこんなにいらいらするのだから‥‥。今までで一番時間も掛かりいらいらも最高。終わり頃になってやっと、目が開いた。私が恐い顔をしてみてたら、主人も恐い目で私を睨んでいた。「もう帰ります。散歩には連れて行きませんからね!」くたくたに疲れ いらいら。外では雷も鳴り出し、部屋を出た。丁度車椅子のSさんと出会う。「もう帰るの?この間は京子ちゃんが手伝いに来て呉れてよく働いていたよ。疲れただろうね」と。(7月26日は浦安市の花火大会でこのホームの4階からよく見える場所。この日京子が手伝いに行き焼きそば作ったり、手伝った。孫も夫婦でおじいちゃんに会いに行った。
2008.08.05
前回、TJさんから云われていた小型ハンカチを6枚持参。これは主人が手を固く握りしめているので、爪で掌に傷が付くことと汗で臭くなるのを防ぐためとのこと。丁度食事をする所だったので私が食べさせたが半分眠っているのか、大声を出さない代わりになかなか口をあけて呉れない。私はコーラスグループに所属しているのだが、自治会の夏祭りで歌うエーデルワイスやアロハ オエの歌詞がなかなか覚えられなくて、バスの中でも暗譜、主人に食べさせながら、小さい声で歌い始めた。すると、驚いたことに、歌に合わせる様に嬉しそうに声を出し、口が開いた。それからは面白い程に口を開いてスムースに食べて呉れた。機嫌もよかった。今日は初めて会った男性の介護士のYさん。食後のトイレの世話をして貰ったが、未だTJさんほど上手ではなく、私も手助けをした。立った時、トイレの側の柱を捕まらせるのだが、最近捕まらないとか、握る力が弱くなったとも。Yさんが世話をしながら「写真を見ました(箪笥の上に飾ってある現役時代のもの)立派な方だったのですねクラシックがお好きなんですね、クラシックがかかったらとても嬉しそうにされます」と。
2008.06.26
有料老人ホームに働いていたTJさんのことを私はあまりというか、実は覚えていなかったのですが、彼は、そのホームをやめて、今パパがいるホームに偶然転職してきたわけです。パパがいるのは4階ですが、彼はまず3階に配属になり、たまたまそこで「徘徊者リスト」に見覚えのあるパパの名前を発見!え? と思って、「会いに」来てみたら○○さん本人だったんですよ!と。そこで、「見に来た」と言わず、「会いに来た」というところに、彼の介護の姿勢が表れていると思いました。そして、今パパの担当になったことを、「呼ばれて」いるような気がしましたという言い方をしてくれました。本当に、彼がパパの世話をしているときの、姿、顔をすごいと思うのです。仕事として、機械的にやっているのとは、全然違うのです。力のない女性介護士はもうリフトのような機械で身体を起こし、移動するのですが、彼は、実に見事にパパをすくっと立たせ、車椅子に座らせ、また同じように立たせ、トイレに座らせ、用を足させると、手すりにつかまらせて、苦労して支えながら汚れたところを拭くのですが、もちろん、彼の体格や力があるからこそできることなのですがその際、汚いところが自分の服にふれようがお構いなし…決して汚いとか臭いとかそういうことを気にしないで、ただただやるべきことをいかにパパが心地いいようにこなすかそれしか考えていないようなのです。それはもう、見ていると、感動します、本当に。ありがたくて、拝みたくなるほどです(^_^;)家族である私たちが、とっくにパパはもう何もわからないとあきらめてかかっているというのにTJくんは、「○○さん、喜んでいますね」とか今日は嬉しそうですとか、表情がちがいますとか……ほとんど、パパのことを尊敬のまなざしで見るかのごとく、それはそれは大事に愛情をこめて、接してくれるのです。まるで、神様のように見えてきます。夏服を補充するのに、どんなのが好ましいかきいたところ、着替えがさせたいものというのではなく、本人が本来着たがるような服、ジャージのようなものでなく、普通のズボン、つまり、パジャマっぽいものでなく、休日のお父さん服的なものを着せたいとのこと。私もそうしたいと思っていましたが、世話をしにくいのではないかと思っていました。病院ではなく、家にいるというように生活させたいということです。また、いろいろと面白い話も聞けました。★同じブロックにいる、Aさんというおばあちゃんのことを、 パパはお母さんと勘違いしているらしく、 そばにいると、パパはにこーっとするらしいです。 たしかにそのAさんというおばあちゃん、うんと小さくて、 雰囲気は他のおばあちゃんたちの中で一番近い!!★大声をだすのに、午前中はいつも日当たりのいいリビングに 出してもらっているのだとか。 ただし、気むずかしいSさんのいないときだけ。 Sさん以外のおばあちゃんたちは皆さん、 パパの大声を聞いて、「今日は元気そう」とか、 パパに優しいことばをかけてくれるのだとか。 最近入ったおじいちゃんも、「俺よりわかいのに、気の毒に」 など、友好的なのだかとか。TJさんと私が話している間、車椅子の上で、パパはいつもよりさらに大声で、うるさかったです。あまりの大音量に、私が車椅子を後ろに1.5mほど動かしたほど。TJさんによると、「自分が蚊帳の外と思って不満なんでしょう」と。本当にそうだったらしく、私がパパのあごをなでて「いつもこんなに綺麗におひげもそってもらって」と言っていると、静かになり、ネコのように気持ちよさそうに(^^)なんでも、隣のブロックにひげそりチェックの厳しい介護士さんがいらして、TJさんが、パパのひげをそり忘れていると、何か言われるらしいです。ほんとに、いつも綺麗にしてもらっています。
2008.06.01
介護計画についての話し合いに行ってきました。最近の身体の状態に沿った介護方針と、その具体的な内容について、きっちり文書にしてホーム側と家族が話し合うというものです。ホームが立てた計画の説明を、家族が聞いて確認したり、要望を言ったりということになります。この春からパパの担当になったTJさんから、(Tさん何人もいるので、今後はTJさんとします)プリントされた介護方針や、最近のパパの変化とそれに対応する対処方法などを聞きました。●飲み込みが悪くなってきた→パパの場合、流動食にすると、かえって飲み込みにくくなるので、 細かめに刻んだものにとろみを付けたものにしたい。 (ほかにそういう食事の方はいないそうで、 給食サービスの会社と交渉中とのこと。いずれにしても、 ホームでそのつど、個別に一手間かける必要がありそう)●外への散歩(車椅子で) 現状では、人員不足で、ほとんど無理ではあるが、 提案として上げておくのと、それをしないとのとでは 違うので、なんとか少しでも、屋外に連れ出したいと、 働きかけてくれるようです。 家族が行ったときに、なるべく連れ出すようにしたいと言うと、 ありがとうございますと、頭を下げられました(^_^;)●今は紙パンツ+パッドをつけながら、一日に何度か トイレに座らせて、そこで用を足すことも多いけれど、 足腰が立たない現状では、スタッフの間から、一人では 難しいという声が出始め、不本意ながら、 人での足りない夜間はオムツで済ませたいとのこと。 前から、あまりにも大変そうに感じていたし、 すでにオムツのようなものを当てているので、 それでいいと伝えました。●入浴方法について。 最近の日記でママが書いたような機械での入浴方法でよいかどうか。 介護士の間で、賛否両論あるとのこと。 機械を使った入浴では、本人が寝たきりで完全に機械任せのため、 残された機能をできるだけ使うという前提にあわないとのこと。 でも、本人はジャグジーを喜び、担当介護士が気にしている 陰部を綺麗に洗えるという長所こともあり、 私は機械がよいと思うと言っておきました。その他、家族に対するお願いという形で、○週替わりで、聞かせる音楽を替えたいということで、 違うCDを何枚か用意してほしいということ○おむつや紙パンツを収納する、引き出しつきの カラーボックスを用意してほしいということがありました。家族の方から、何か要望がないかと聞かれ、何も考えていなかったし、思いつかなかったので、私はこんな風に、思っていたことを伝えた。「このホームの介護士さんたちは、みんな本当にまじめで理想が高く、ほんとうによくしてもらっている。家族(私とママ)としては、いつも感謝しているし、むしろ介護士さんたちが、あまりにも頑張りすぎて、精神的に疲れやめてしまうことを心配している。ちょっと理想が高すぎるのではないか。こうあるべきという考えにしばられ、理想やマニュアルと違うことをすることに、罪悪感を感じてしまうのではないか。家族としては、理想や介護常識にとらわれることより、本人が快適に感じるか、世話をする介護者に無理がないかということの方を優先してほしい」というようなことを、伝えたところ、担当のTJ氏は、しばらく沈黙したあと、そんな風に考えたことは無かったので……ととても嬉しく思いますと言ってくれました。どこまでも、純粋でまじめな人(ホーム)だなぁと思いました。TJ氏のことは、今までにもいろいろ書いてきましたが、若くハンサムで体格も良い優しくて、愛情たっぷりに接してくれ、観察が鋭いという特に好印象の介護士さんで、幸運にも最近「担当」になっていただいたたことを、ママも私も喜んでいたのですが、、そういえば前のホームで働いて、偶然再会した人だったのです。(2につづく)
2008.06.01
ホームからから「5月3日はホームの2周年祭です。入居者、ご家族、職員でお祝いをしたいので…」との案内があったので行って来た。着いた時、主人は談話室で車椅子の上で眠っていた。新しく入居された男性の方が車椅子でおられた。初対面だったので、「いつもうるさくてすみませんねぇ」と挨拶をしたら、私も職員と思われてか、「いつも有難うございます」と手を合わされ、見ているとどの介護士さんにもいちいち手を合わせてお礼を云っておられた。主人と大違いだ。主人を部屋へ連れて行きクラシックをかけたが全然起きない。昼間眠ると夜 眠らないと聞いていたので無理に起した。とたんに大声が出た。また、音楽で時々音の大きいところになると嬉しそうに声を出していた。やはり音楽が少しは分るようだ。3時前にTさんが「そろそろ行きましょうか」と来られたので、私だけが行こうとしたら「○○さんも一緒ですよ」「大声を出して迷惑になるからおいていきます」「いや、一人おいていて事故があるといけないので一緒に行きます」場所は3階のバルコニー、いつも犬のコタロウのいるところ。次々と車椅子や手を引かれて来るお年寄り、ざっと数えただけで車椅子が50台以上。その中で主人だけが大声を張り上げ、その度に私が開いた口を手で押さえ、声を止めるのでが、周りの人が笑い、「気にしなくていいですよ」と云って下さる。Tさんも「堂々としていて下さい」と私を気遣って下さり「僕がここについてるから奥さんはあっちのSさんたちの側に行って座っていてもいいですよ」とも。エレベータを出たところに陣取っていたのだが、そこへ別の棟の男性の車椅子がエレベーターから出て来て主人と並んだ。いつも大声が聞こえてくる主だった。介護士さんたちが「合唱だ」と笑われたが、そちらは高い細い声、主人はだみ声で一段と大きい。そのうち彼の方はバルコニーの方へ。声は聞こえない。主人だけは大声でわめき、その度に私は手の栓。周囲の人は皆好意的で「気にしないで」と云って下さるが心身ともに私はくたくた。2周年を祝って、梅の苗木を2本植え、皆に小さなカップにお茶やシャンパン、ジュースが配られ、乾杯を。私はエレベーターの開いた隙に主人を連れて4階に逃げ帰った。前回は海の側に行き、散歩の方達に大声を聞かれたが、平気だった。しかし今日は狭い場所にぎっしりの人。その中で喚くのだから本当に辛かった。疲れた {{{{(+_+)}}}}
2008.05.03
部屋に入るとベッドに横たわっていたが眠ってはおらず、薄目を開けていた。「来ましたよ」と声を掛けると、大声を出した。話しているつもりか、しきりに声が出る。「起きますか?」と手を引っ張っても全然動かない。今度は肩を持って起そうとしても駄目。何度か試したが効果なし。介護士さんはこんなに重いのによく起して下さるなぁと感心する。どの看護士さんも腰痛持ちとの事、申し訳ない気持ちだ。箪笥の上に洗濯網とバスタオルにシャツやズボンや上着、タオル類がくるんで置いてあったので、洗濯したのが運ばれて来たのだと思い、持参したシャツ3枚も各々の引き出しに片付けておいた。少しは手伝ったつもり…天気はいいし主人を散歩に連れ出そうと廊下に出てみたら、主人の担当のTさんがおられたので、車椅子に乗せて頂くよう頼んだ。今日は最近になく大声が出て気が引けた。公園は広く殆ど人はいないので声が出ても平気だったが公園を横切り海の方へ行くと、犬を散歩させている人や海辺に座ってる人達。広々として気持ちよく素敵な筈がおお声を出し続け、皆が振り向く。最初は少々恥ずかしかったが、だんだん平気で図太くなった。2~30分して帰ったら Tさんが「今からお風呂へ入れます、前に話した機械の…」一緒に行って見せて頂くことにした。なんとさっき箪笥の上に置いてあった洗濯物はTさんがお風呂に行くために着替えなど用意していた物だったのだ (^^;)手伝ったつもりが余計な事をしたのだ m(_ _*)m 風呂場へ行くと専用のベッドがあり、車椅子からそちらへ移動させ、寝た状態で体を洗うことが出来る。今までは座った状態で洗っていて、陰部のところが充分に洗えていなかった。ベッドでは隅々まで洗える。先ずシャンプーから始まり手際よく洗われ「洗って見ますか?」と石けんのついたタオル渡され足元にいた私は足を洗った。陰部はTさんが洗って下さり、背中は体を横に向けて右、左と洗った。その後シャワーで石けんを流し、ベッドの上の部分が機械で隣の湯船の方へ移動し静かに湯の中へ。やがてジャグジーで泡がぶくぶく出だしたら「あー、あーあっあっあー」と嬉しそうな大声。Tさんが「こんなに喜ばれるんですよ」とTさんも凄く嬉しそうに話され、主人の声とTさんのそう云って下さる嬉しそうなお顔を見て涙が出そうになった。本当にTさんが愛情を持って接して下さってる気持ちが伝わって来た。主人は気持ちよさそうにずっと声を出し続けていた。さっき海辺で出した声とは違っていた。その時Tさんが「○○さんはNという女性の介護士が好きだったんですよ」「分かるのですか?」と聞くと明らかに違うそうで、Nさんが来ると、今のように嬉しそうな声を出したとの事。移動で主人のいる区画から別のところへ移られた由。こんなに惚けていても顔を見て分るのだろうか。話の内容も、話して下さるTさんも素敵で嬉しかった。
2008.04.25
食事の時間に間に合うように、早くホームにいきました。ベッドで食事をするために、ベッドの上半分を起こしてありましたが、よく寝ていました。下瞼が下がってしまうのか、白目をむいて寝ているのがちょっと怖かったです(^_^;)食事とわかるとしっかり目があいたので、まず、口の周りを冷えた保冷材でマッサージ。いつものように、はじめにゼリー状のお茶をたっぷり。今日はびっくりするほど調子がよく、よく口を開け、その都度飲み込んでくれるので、はかどるし、こぼれないし、声もあまり出ません。調子の悪いときの半分の時間で食べ終えました。相変わらず、柔らかめ、小さめに切った普通食です。同じようにしても、前回は食べさせている間中、眉間と鼻の上にしわを寄せて、怖い顔でにらみ「あー」と叫ぶので、一刻も早く終わらせて逃げて帰りたくなりましたが、今回は自己満足とは思いながらも、ちょっと親孝行?している気になるようなひとときでした。ただ、前回と違ってベッドで食べさせるため、お尻を半分ベッドに乗せた姿勢というのがなかなか辛くて、翌日見事に左のお尻だけ筋肉痛になりました。(筋肉痛になったのは、翌日です。←ここ大事♪)変に身体に力が入る様子もなく、声もそんなにひどくないので、久しぶりに散歩に連れ出すことにしました。と言っても、私一人では、ベッドから車椅子に移すこともできません。介護士さんに手伝ってもらって、部屋においてあるリフトでつりあげて車椅子に乗せました。慣れていても、きっとリフトでつり上げる作業は、面倒なはず。女性の介護士さんは、トイレへもそうやって移動しているようです。最近は、お腹もだいぶへこみ、手足の浮腫みもひいて、メタボのようだった体型がずいぶんすっきりしたのですが、それでもやっぱり、まだまだどっしりと重いなと思いました。この日はとても天気がよく、風も弱くて、紫外線アレルギーの私が日傘をさしながら、余裕で車椅子を押すことができました。埋め立て地なので人工的な海と言えるかも知れませんが、それでも海の地平線(?)が見えるというのはステキな環境です。本人はそんなことも全くわからないのでしょうけれど、連れ出せる間は、たまには、外の空気、太陽の光を浴びさせてあげたいものです。介護士さんたちもそう思ってくれているようで、私が連れ出すと言ったら、なんだか申し訳なさそうでした。気持ちのよい場所に落ち着くと、あっという間に寝てしまいました。しばらく日光浴して、ホームに戻ると、体重測定の日とのこと。車椅子ごと乗って測る体重計でした。「あら、京子ちゃん、お母さんは?」といつも聞いてくれる、Sさんも車椅子なので順番待ちしていました。認知症ではない方なのに、家族とお会いしたことがなく、きっと寂しい思いをされていることでしょう。最近はママと交代で毎週顔を出していますが、(ママが2回に対して私1回位かな)入居者の中では頻繁に通っている方みたいです。交通の便も環境もよくなかった前のホームと違い、今のホームは本当に全ての面で良いので、車がなくて、電車とバスで通う私たちでも、面会にいくことが、苦にならないのが有り難いと思います。そんなパパにも、年金特別便が来ました。行数にして、20行近く?本人がこんなになっていなければ、きっといろいろ照らし合わせて返信をするのでしょうけれど、私たちにはそれが正しいかどうかもわからず、それでも返信しなくてはなりません。
2008.04.06
テレビのBS深夜番組を見てる時、クラシックの名曲がメドレーで次々流れ(ヒーリング・クラシック)(クラシック・メモリーゾーン)の紹介をしていて、たまらなく欲しくなり申し込もうと思って、泊まりに来ていた次男に話したら「そんなのはお父さんの持っていたCDに皆入ってるから、パソコンに入れて上げるよ」と直ぐに入れて呉れた。なんとこのパソコンからいい音が聞こえるのには驚いた。昨日、食事をしながら名曲を聞いていたら、好きな曲が次々と流れ、主人はリスニングルームでこんな素敵な曲を聴きながら読書をするのを楽しみにしていたのに、アルツになり理想の余生を果たせない今を思うと、私が「メンデルスゾーンの○○が好き」と云えば、早速その曲の入ったCDを買ってきて、嬉しそうに「買って来たから聞きに来いよ」と誘ってくれたことなど思い出され、可哀想で、次から次から涙が出て来た。
2008.04.02
メンタルクリニックの先生の往診の日。エレベータに乗ったら先生と一緒になった。「後から行きますから」と3階で下りられた。部屋に入る前から主人の大声が聞こえた。別のグループ(区画)におられた女性の介護しさんが食事をさせておられた。「Mです、こちらにかわって来ました」と挨拶あり。親しみやすそうな感じの方、私の話もよく聞いて下さった。私がベッドに座って話していたら、しきりにこちらを向いて嬉しそうに大声を出す。明らかに喜んでいるみたいだった。途中から私が食べさせたが、今日は表情がとても機嫌よく、私を見る目がいきいきしていて張り合いがあった。食事もよく食べ苦労なく終わった。ただ缶詰のデザート、何か分らないが硬かった。2センチ角位の果物を口に入れるとよく噛まずに飲み込むらしく、咽喉に詰まったように少々苦しそう。次から小さくスプーンで切ろうとしても、硬くてうまく切れない。りんごや桃だと楽に切れるのに、あんな硬いものはもっと小さく切って欲しいと思った。先生がホームの看護士さんと入って来られ、主人の大声を聞いて「ああ、元気そうだ。奥さんと2人のとこを邪魔してわるかったですね」と冗談。短時間で出て行かれた。S相談員が来られ、車椅子を決めたが、高額のもので(11万230円)了承頂きたいと、申し訳けなさそうに云われた。その他事務的な話をして行かれた。その後、主人担当の介護士のKさんが来られ、大きな人事異動があった旨、話して下さった。Kさんが主人のグループ(区画)のリーダになられ主人担当の介護士はTさんになった由「Tが行き届かない時は私に云って下さい、私が善処します」「私、Tさん好きです」「ああよかった」と。美人のHさんが辞められ、別のグループ(区画)Mさんともう1人、男性が来られたそうだ。
2008.03.13
まだ自分でクレジットカードを使っていた頃、高額な同じ品物を繰り返し買うなど、経済的に不安になったり、主治医からの勧めもあり、成年後見人の登録をした。私(娘)は後見人として、パパの財産の管理する立場となり、身体状況と財産について、毎年報告書を提出している。成年後見人制度は、スタートしてもうだいぶたつというのに、未だにあまり浸透していないし、登録したものの、我が家にはとっくに必要もなく、ただただ、面倒で融通の利かない腹立たしいだけの制度となっている。この制度を考えている人は、デメリットもよく調べた方がいい。一度登録すると、必要がなくなっても、登録を解除することはできず、毎年細かに報告書を出す義務を課され、全ての通帳を記帳して、コピーと内容説明を提出することが強いられる。また、今後の収支の予定まで計算させられたり、預貯金の動によっては、お叱りを受けたりもする。何が不愉快って、毎年家庭裁判所から、それを「事件」という名目で、その報告書を出すように言ってくる。毎年、私は苦手な会計報告?をするほかに、本人の身体状況を報告するわけだが、1年前の報告書のコピーを見て、今年の分を書きながら、今回は特に、あぁ、1年でこんなに……と思った。自分で歩けなくなったし、自分で食べられなくなった。寝返りも打てなくなった。こんなに進んでしまったという思いと同時に、ホーム(介護士さんたち)には、こんなによくしてもらったとつくづく思うことの多い一年だった。いつもこの時期、寒さのせいか、手足がぱんぱんにむくみ、反応が悪くなるが、その点については、だいぶやせたせいか(といっても、まだメタボ気味)むくみも少なく、反応も良いように思える。相変わらずホームに任せきりではあるけれど、以前より、介護をしてくれる人たちを身近に感じ、より親しみを感じ、ホームに通うことが億劫でなくなっているように思う。
2008.02.17
京子が行ったばかりだったが、昨日ホームから21日の予定だったメンタルクリニックの先生の往診が都合で明日になったとメールがあったので、行って来た。Hさんが昼食を食べさせ、終わったところだった。おとなしかったのに私を見たとたん笑うように大声を出した。部屋へ連れて行き、向き合うように私も椅子に座ったが、今日は今までで一番穏やかだった。血色もよく時には声も出したが、気にする程でもなく私をじっと穏やかに見ているので、一時的に昔のように正常になり、私が誰だか分かって呉れるのではないか、儚い期待を持って「私誰だか分りますか?」と話しかけたとたん大声が出た。(;¬_¬) 現実に戻る。先生が来られ、見たとたん「今日はいい顔をしておられますね。血色もいいですね」と云って下さった。後は看護士さんと事務的は話をされて終わった。Kさんが「おしめを換える前にトイレに少し座らせましょう」と、要領よく便器に座らせ「こうして座られてる時に出ることもあるのですよ」とのこと。私がついていますからと他の仕事をして頂いた。暫くして立たせると、少しだが大便が出ていた。Kさんは後始末をして下さり、小柄だのに要領よく主人を立たせ(側に手すりがあり上手につかまらせる)、 車椅子に。おやつを食べさせて帰った。 先月、市から要介護の審査で係りの方が園に来られ、相談員や介護士さん立会いで行われたが、その結果が今日届いた。予想していた通り、要介護5になった。ますます園の方々には迷惑を掛けると思う。心から「よろしくお願いします」と云う気持ちだ。
2008.02.14
今日はホームでパパの誕生会をしてくれるというので母とケーキを作って行きました。直径23cmの型で焼いたので、かなり大きいケーキになりました。到着したら、パパはまだお昼を食べていなかったので、まず昼食を。カレーライスと、ブロッコリーなどの炒め物とコンソメをとろりとさせたもの、デザートは桃の缶詰。今日は比較的飲み込みがよく、調子よくすいすいはかどりましたが、あーあー言うのも忙しく、食事を口に入れても声を出すものだから、飲み込まずに、口から出そうになったり、風邪を引いているので、喉に詰めやすく、何度もむせたり、大きな咳をしては、ものすごい顔をして私をにらみ、いっそう大きな声でわめいたり。母と二人で、もうこのくらい食べればいいよねと、終わりにしようとしたら、介護士のTさんが、やってきて、まだ食べたがってますよと。確かに、お膳の食べ物を真剣に見つめています(^-^;)Tさんがフルーツを大きいまま口に入れるので、そんな大きいのを大丈夫?と思ってみていると、すいすいきれいに食べるではありませんか。Tさんはイケメン(関係ない?)の若い男性ですが、あまりに手際よくきれいに食べさせるので、見とれてしまいました。甘さ控え目のケーキは皆さんにとても喜んでもらえました。お昼を食べたばかりのパパも、12分の1をしっかり完食。食べ終えたところに、本日の目玉、介護士のKさんが、音楽好きのパパの為にサックスを吹いてくださいました。アルトサックスの暖かみのある音色にもう何も言葉を理解しないと思っていたパパが、感激のあまり、顔をくしゃくしゃにして、大きな声で力の限りわめく(吠える?)のです。それはそれは感動的な光景でした。ただ、実際はかなり異様な光景。せっかくの演奏をうち消すほどの大声も冷や汗ものでしたが、まだ飲み込みきれていなかったケーキが、大声をあけるたびにあふれ出てきて、正面でケーキを食べている方に申し訳なくて、それをひたすらティッシュでとり続けました。感動的であると同時にかなり見苦しい光景でしたが、もう皆さん慣れていらっしゃるので、こんなに喜んで~、良かったねー、っと優しい言葉をかけて下さいました。イエスタデー・ワンス・モアや冬ソナのテーマには反応がイマイチだったのですが、モルダウや木星の演奏中はもう、一緒に歌うかのように叫びまくっていたので、やっぱり好きだった曲はわかるのだと思いました。特別養護老人ホームで、誕生日に生演奏が聴けるなんて、認知症の症状がここまで進んでいるのに、こんなに暖かい誕生会をしてくださるなんて、なんてすてきなホームなんだろうと思いました。と、私と母は満足して帰ってきたわけですが……×・×・×・×・×・×・×・×・×・×・×・×・×・×・×・×同じブロックの8人の皆さんの中で普通にお話が通じる方は二人だけ。90台後半の方3人を含めいろんな方がいるので、それはそれは、にぎやかで楽しいんですよ。ケーキなんていらないとか、みんなよく食べるわねと言って、介護士さんにこそこそとたしなめられるMさん。朝食でご機嫌を悪くしたまま、すねて部屋にいたのに、サックスにつられて出てきて、「こんないい音楽聞きながら、大きな声だして、おだまりなさい!」とパパ(本日の主役)を叱りつけるSさん。父がプレゼントをもらったのを見て、なんだか不満げに私の時は絶対いらないと言い張るSさん。介護士さんたちは、身の回りのお世話だけでなく、けんかの仲裁や、苦情やわがままへの対処など、精神的にも本当に疲れる仕事だと思いました。
2008.01.06
メンタルクリニックの先生のご都合で一週間早い診察日。いつもエレベーターを出る時(主人の声が聞こえません様に)と祈る気持ちだが今日は聞こえなくてほっとした。部屋へ行くとTさんともう一人 知らない若い女性。「今日は実習生が来てますので…、今から食事する所ですがどうしましょうか?」「私が食べさせます」とバトンタッチ。実習生は順○○大学の看護学校の生徒。何日か前からいろいろな施設を実習して回り、今日が最終日だそうで「実習生のOです」と自己紹介をされた。今日の献立はスパゲティと別の容器にミートソース、青菜をスープでどろっととさせたもの、アスパラガスの煮物。デザートはりんごか何かの缶詰。Tさんが、鋏でスパゲティを切って下さり、アイスノンで頬のマッサージして下さった。主人は前ほどではないが時々大声を出していた。口を開けないのでうまく食べさせられない。見かねてTさんが「僕は○○さーんと呼びかけるんですよ、そしたら大きな声を出されるのでその時に入れるんですよ」呼びかけなくても正面から目を合わせると嬉しそうに大声が出る。その時を狙ってさっと料理を入れる。更にTさんが「○○さんは噛む時いつも左側で噛んでおられるので左側に入れて上げると噛んでおられますよ真中や右側に入れると食べ物が上あごについたままでうまく飲み込めない時もあります」と教えて下さった。よく観察して下さってるんだなぁと感謝。Oさんに「実習に行かれても可愛い赤ちゃんや子供だと可愛いし、楽しいでしょうね、こんな年寄りの所では つまらないでしょう」と云うと「いいえ、私はむしろお年寄りの方のほうが好きなんです」と云って下さり、若いお嬢さんでもこんな方もいらっしゃるのだと、胸が熱くなり嬉しかった。そのうち気が付いたのだが主人は、若い彼女を見ると、凄く嬉しそうに一段と声が大きくなり、口も大きく開く。その時を見計らって、どんどん口に入れた。入れすぎて時々むせった。Tさんにもその話をしたら、時々Tさんにも凄く笑うことがあるそうで、それは「僕の髪が長いから女と思われるのかも知れません」とのこと「でも、奥さんや京子さんが来られた時はやはり違いますよ、とても嬉しい表情をされますよ」とも…Tさんは髪の形も顔もイケメンで、優しく、本当に感じがいい青年。あんなに沢山あったお料理も、おしゃべりをしながら食べさせていたらきれいになくなっていた。タイミングよく、メンタルの先生と看護士さんが入って来られ、前回、大声を出したこと、今日は調子よく食事も出来たことなどを話し、今日は若い実習生を見ると一段と大声を出して笑ったこと等を話したら先生が「奥さんの妬けることも分かるけど、大声を出すことが如何に体に良いか、どんどん笑わせて下さい、大声を出したからと周りを気にすることはないですよ」と云われた。帰りのバス停で一緒になった方は3階の方は、ご主人は脳梗塞でいくつも病院を移らされ、やっとこちらへ入園された方。頭はしっかりしているが、口は効けず、ゴルフが好きでよく行っていたのに、したいことが出来ないのが悔しそうで、お友達が見舞いに来られ、ゴルフの話になると辛そうとのこと。驚いたことに奥さんは、1日置きに行ってるそうだ。朝10時位から3時ころまで。お昼はお弁当持参で、一緒に食べている由。バスも乗り換えで、時間も交通費も相当かかるらしいのに。真似は出来ない( ̄_ ̄*)
2007.12.13
ホームに着いたのが1時40分位、エレベーターを降りて主人の部屋の方へ曲がったとたん凄い声。急いでスリッパを履いて行くと、食事が始まるところで食堂にいた。バッグやジャケットを部屋に置きに行く間も憚れてそのまま主人の側へ直行し、口を押さえた。今日の声は一時おさまっていたあの大声が‥‥。「気にしなくていいですよ。皆もう慣れてますから」と車椅子のSさん。介護士のKさんが食事前にするアイスノンで頬をマッサージして下さり、私が食事を食べさせたが、今日は前回と違い、入れた物を出すこともなく、大声を出すたびに開いた口に入れるので、どんどん捗り、前回の半分の時間で終わった。涎も出なかった。Kさんの話ではあの日と、次の日涎がひどかったが、その後は楽に食べているそうだ。それにしても、今日は食事中もずっと大声を出しっぱなしだった。今日は隣の市の特老ホームで踊りがあるらしく、KさんがSさんを連れて行かれ 静かなリビングは主人の大声だけがひびいた。そこへZさんが歩行器を押しながらやって来て「うるさい! ブツブツ‥」と恐い顔で‥。「すみませんねぇ、もう直ぐ部屋へ連れて行きますから」と謝った。私の顔を見てそのまま、Uターンして部屋へ。食事が終わったら、急いで部屋へ連れて行く戸を閉めた。 その後もずーっと大声を張り上げていた。咽喉が痛くならないか、疲れないかと気遣う位、1時間半以上吠え続けていた。携帯のムービーに顔と声を録画、京子に聞かせたら、驚いて「ターザンみたい」と云った。
2007.11.23
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