”Mustache君”と

”Mustache君”と"トラ君"の「日記」&”あごひげ君"の「登山とロードバイク」のブログ

■まず生きること・忘れること■



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 北海道で獣医をされている前野七彦さんから「古老と語る」と「今、目の前の
人・物・出」というお話をお送り頂きましたのでご紹介します。
 社会のシステムは、みんな人間が作ったもの、しかし、自然は人間が作ったも
のではない。だから自然という原点を感性でとらえて、それをよりどころにして
生きていれば、世の中の流れがどうなっていくか、それにどう対応するか、その
へんも適切な判断ができるそうです。             京増弘志
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 荒れ果てた山全体を、牛の口と蹄によって、美しく生態系豊かな牧場に変貌さ
せた斉藤 晶さんという古老と、昨日、ある山奥の牧場で、酒を飲み語りあかし
てきました。

 斉藤さんの牧場は、広大な日本庭園のようで、これまでここで多くの人が癒さ
れ、自分を取り戻して帰っていきました。

 斉藤さんは、いろいろなことを語ってくれました。

「石とササだらけの山で、開拓農業に行き詰まり、身も心もずたずたの極限状態
になった時、山のてっぺんの木に登って、周りを眺めながら考えたんですよ。
 鳥や虫たちは、いつもゆうゆうと何の文句も言わないで生きている。人間だっ
て、あの仲間と同じような姿勢に立ったら、どうなるんだろうって。自然に溶け
込めば、金は儲からなくても、生きてはいけるんじゃないかいってね。それで、
やまの自然をそのまま生かす形で、牛を飼うことを思いついたんですよ。」

 「ノイローゼとか、うつ病とか、化学物質過敏症になった人も、うちの牧場に
来て山菜取ったり散策しているうちに、みんな治っていくんですよ。人も牛と
同様に、放牧するといいのかも・・。」

 「お釈迦様も、キリストでも、結局は自然の理法を教えたはずだと思っている
ですよ。だから、ほんとうに素直に謙虚に、自然ってものをとらえる姿勢さえ
自分が持っていればね、お釈迦様やキリストの言ってることにも、みなつながる
はずだってことなんです。」

 「社会のシステムなんてのは、みんな人間が作ったものなんです。ところが、
自然ってのは人間が作ったものじゃないんですよ。だから自然という原点を感性
でとらえて、それをよりどころにして生きていればね、世の中の流れがどうなっ
ていくか、それにどう対応するか、そのへんも適切な判断ができるってことなん
ですよ。

 だから一喜一憂することないよってことなんです。どんな逆境になっても。
これもひとつの過程だってとらえるわけですよ。その過程をクリアーしていかな
ければ、自分の考えてる理想的なところには、行かないよって受け止めて、状況
に応じるってことなんです。

 前向きの姿勢でそうしたふうにとらえていれば、落ち込むこともなけりゃ、
そうガタガタすることもないよ。いろんな変化が起きてきた場合は、これも何か
に気づけというひとつの試練だな、というふうにとらえることもできるってこと
なんですよ。みんなひとつの勉強の過程になるんです。
 だから「災い転じて福となす」なんて諺があるとおり、自分のとらえ方しだい
でそうなるわけですよ。

 あらゆることが、自分の勉強の過程になるし、マイナスになるものなんてない
よってことなんです。条件が悪ければ悪いのをプラスにする方法だって、工夫す
れば、なんぼでもありますよってことなんです。」

 「人の考え方を変えていこうなんていうことじゃなくて、自分の方が先に気が
付いたら、変わってしまえってことですよ。自分が生き方を変えてどういう答え
が出るか、やってみればいいんです。それで、一時はもうダメかというような
きわどい所も通っていくだろうけども、そうならずに切り抜ける方法が見つかっ
てくるんですよ。もがいてるうちに・・・・・

やっぱりギリギリの極限状態まで行って、固定観念を捨てた人がね、新しい
ものを創り出す感じですよ。」

 「学校に行くとね、忘れるってことが一番マイナス要素になるけどね、本当は
忘れるってことは、とても大事なことなんです。私みたいなのは自然に忘れるか
らいいんですよ。恥かいたのも、賞をもらったのも、全部忘れるんですよ。
だから、新しいことに踏み出せるんです。」

 「一番大事なのはいのちで、生きることなんです。いつも、いのちの輝きかん
じているかい!?」

 まだまだ、たくさんのお話をされました。このじいさん、やはりただものでは
ないみたいです。興味のある方は、インターネットで「斉藤 晶」を検索して
みてください。たくさんあるみたいですよ。

 このじいさんお酒も強くて、おかげで、わたしは二日酔いで吐きながら往診し
ました。斉藤 晶さんは、仙人なのかもしれませんね・・・・・

 世の中にはいろいろな人がいて、まっことおもしろか~~~!!!

「今、目の前の人・物・出」

 わたしたちが、命を輝かせて生きることができるのは「今」だけです。過ぎ去
った過去や、まだ来ぬ未来には、生きることができません。
 お釈迦様は、「人生の長さは、この一瞬、一瞬の刹那であり、今のこの一瞬、
一瞬を最大限大事にして生きることが大切であり、今、目の前にいる人、目の前
にあることを大事にしなさい。」と言われました。

 今、目の前にいる人が、恋人であろうがホームレスであろうが両者に違いは
ないのだそうです。どちらであろうが、今、目の前の人が、あなたにとって一番
大切な人なんですよね。

 西遊記で有名な、三蔵法師こと玄奘は、このお釈迦様のこころをよく理解して
いる方だったそうです。玄奘が仏教典をもとめて天竺に向かう時の出来事です。
長安の郊外で、一人のボロ布を纏った老婆に出会います。

 その老婆は、体中に膿がわいた状態で、道に打ち捨てられていました。
「どうして、こんなところに一人でいるのですか?」と玄奘が尋ねたところ、
老婆は「家族に捨てられたんです。」と答えました。

 当時、そのような病気は、体の膿を吸い取ってもらうと、治ると信じられてい
ましたが、家族の人たちは、膿を吸い取ることを断り、老婆を外に連れ出し道に
うち捨てたそうです。この老婆は、やさしく声をかけてくれた玄奘に、「家族の
代わりに膿を吸い取ってくださらないか!?」と懇願しました。玄奘は一瞬躊躇
しました。

 これから大事な仏典を取りに行く身、膿をすって病気になってしまったら・・
しかし玄奘は、お釈迦様のこころを思い出し、「わかりました。」と言って老婆
の膿を口で吸い出しました。その瞬間、その老婆は、突然に空に舞い上がり光の
塊になり、その中に大きな観音様が現れました。そして、観音様は、玄奘にこう
言われました。

「玄奘よ、そなたの決意はわかった。これからの天竺への旅において多くの艱難
辛苦に出会うであろう。もし、死にかけて、これ以上命が持たないと思った時、
この般若心経を唱えなさい。神仏界は、どんなことをしても、そなたを守りとう
してみせる。」

 目の前の人は、すべて観音様の光を持つ存在なのかもしれませんね。外見に惑
わされないほうがいいのかもしれません。さて、みなさまは、目の前の人をどう
されます・・・・・・・

 前野 七彦 拝
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