牢の中で、イエスが「立って歩きなさい」と言われた。
その時は、信仰も弱まっていたときで、もう2度と彼の足は動かないとまで、
新聞で報道されるほどを粉々に足を砕かれていた。とても立てる状態ではなかった。
「主よ、無理です。とても立てません。それにここは牢の中です」と私は答えたが、
「牢は事実だが、真理ではない」とイエスはおっしゃった。
その言葉に従った。「事実であるが真理ではない」
私は牢をでて、なんと刑務所の外にいた
天国の人 ブラザーユン
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「事実であるが真理ではない」
この言葉が心にストンと入った。主は「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです」といわれた。イエスによって生きること、それは、
現実という事実の中に生きているが、それは真理ではない。主は真理に従って生きるようにと招いてくださっている。
昨日のブログで、
「私たちは小さいと同時に大きい。宇宙の塵であると同時に神の栄光だ。
恐れおののく弱い民であると同時に、すべての被造物の王である神の息子であり、娘である」
ナーウェンの言葉を引用したが、小さいこと、塵であること、恐れおののく弱い民であることは、私にとっての事実。しかしイエスの中で生きるとは、このイエス(=真理)の中に生きる、すなわち、主にあって大きい者であり、神の栄光、王の息子であるという真理の中に生きることだ。
御言葉こそ真理であり、真理=イエスの内にこそ、まことの安息が満ちているのです。
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