PR
キーワードサーチ
カレンダー
New!
aibopapaさん
New!
チビすけさっちんさんコメント新着
フリーページ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
孔明は盃を傾けながら、俺に問い掛けました。
「我が君」
「先ほどの一杯で、一つ疑問が残りました」
俺は笑いながら答えます。
「はい、何でしょう」
孔明は静かに盃を置いた。
「店長である我が君は、その場にいなかった」
「誰かが細かく指示を出していたわけでもない」
「それなのに、なぜ皆、自分が次に何をすべきなのか分かったのでしょう」
俺は盃の酒を呑み干し、少し間を置いて答えました。
「孔明先生」
「まず、一つだけ言えることがあります」
「『自分で考えろ』と言うだけでは、人は自分で考えられるようにはなりません」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
よく聞く言葉です。
「もっと周りを見ろ!」
「自分で考えろ!」
「言われる前に動け!」
俺自身も、似たようなことを言った経験はあります。
ですが、長年、人を育てる仕事をしてきて分かったことがあります。
それだけで出来るようになるなら――。
誰も苦労しないんですよね。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
例えば、
野球を始めたばかりの人に、
「とにかくバットを振れ!」
と言い続けたら、それだけで打てるようになるでしょうか。
なりません。
まず、指導する側がやって見せる。
構え方を見せる。
バットの振り方を見せる。
そして、教える。
実際にやらせる。
その姿を見る。
出来たら、褒める。
出来なかったら――。
「なんで出来ないんだ!」
と怒るのではありません。
なぜ出来なかったのか。
どこが違ったのか。
どうすれば出来るようになるのか。
そこを一緒に考える。
改善する。
そして、もう一度やらせる。
また見る。
出来たら、褒める。
まだ出来なければ、
また原因を考える。
また改善する。
そして、また挑戦させる。
その繰り返しです。
だから少しずつ、
昨日出来なかったことが、今日出来るようになる。
今日ぎこちなかったことが、明日は自然に出来るようになる。
仕事も同じなんです。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
新人へ、
「周りを見ろ」
と言ったところで、
そもそも、
何を見ればいいのか
が分からない。
「自分で考えろ」
と言っても、
何を基準に考えればいいのか
が分からない。
「動け」
と言っても、
どう動けばいいのか
が分からない。
何も教えていないのに、
「あれせぇ!」
「これせぇ!」
と命令する。
そして、出来なかった結果だけを見て、
「なんで出来ないんだ!」
と怒る。
俺は、それを指導だとは思いません。
自分の苛立ちを、
相手へぶつけているだけです。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
ここで俺は、
「怒る」と「叱る」は違う
と考えています。
怒るというのは、
自分の苛立ちや感情を相手へぶつけること。
では、
叱るとは何か。
何が出来ていなかったのか。
なぜ出来なかったのか。
何を直さなければならないのか。
次はどうすれば出来るようになるのか。
そこを筋道立てて伝え、
相手の次の行動へつなげることです。
もちろん、
時にはキツく言うことだってあります。
危険なこと。
お客様へ迷惑を掛けること。
何度伝えても同じことを繰り返すこと。
厳しく言わなければ伝わらない場面だってある。
ですが、その厳しさは、
相手を育てるためのものでなければならない。
自分の感情を晴らすためではありません。
怒るのは、自分の感情のため。
叱るのは、相手の成長のため。
ここを履き違えてはいけません。
そして――。
出来ないことを理由に怒る。
これは、指導する側が絶対にやってはいけないことです。
出来ないから、教える。
出来ないから、原因を見る。
出来ないから、改善策を共に考える。
そして、
出来るようになるまで育てる。
それが指導者の仕事です。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
孔明が静かに頷きました。
「なるほど」
「出来なかった者へ責任を求めるだけではなく、なぜ出来なかったのかを、指導する側も考えなければならないということですな」
「そうです」
俺は頷いた。
「そして、口で教えるだけでも駄目なんです」
まず、
自分がやって見せる。
そして、
教える。
やらせる。
見る。
出来たら、褒める。
出来なければ、
どこでつまずいたのかを見る。
原因を考える。
改善策を共に考える。
そして、
もう一度やらせる。
また見る。
出来たら、褒める。
まだ出来なければ、
また改善する。
そして、またやらせる。
これを繰り返すんです。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
孔明が少し笑いました。
「我が君」
「それは、どこかで聞いた言葉にも通じますな」
俺も笑いました。
「そうですね」
「有名な言葉がありますね」
ですが――。
今宵は、その酒まで開けません。
そこまで話し始めたら、
本当に酒がいくらあっても足りなくなりますから(笑)
大切なのは、
指導者が口だけで人を動かそうとしないこと
です。
自分では何も示さない。
教えない。
やらせた後も見ない。
出来なかった理由も考えない。
それで、
「やれ!」
「考えろ!」
「なんで出来ないんだ!」
では、人は育ちません。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
ただし――。
ここで一つ、
大きく間違えてはいけないことがあります。
細かく教える目的は、
いつまでも細かく指示し続けること
ではありません。
むしろ、
逆なんです。
最初は、
やって見せる。
そして教える。
次は、一緒にやる。
その次は、本人にやらせる。
見る。
出来たら褒める。
出来なければ、
何が違ったのかを一緒に考える。
もう一度やらせる。
そして、
出来ることが増えてきたら、
少しずつ手を離していく。
少しずつ指示を減らす。
考える余地を与える。
本人へ判断させる。
そして最後には、
何も言わなくても、
自分で考えて動けるようにする。
そのために、
最初は細かく教えるんです。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
孔明が頷きます。
「なるほど」
「指示を増やすために教えるのではなく――」
俺は頷いた。
「指示を減らすために教えるんです」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
先ほどの一杯で話した店も、
最初からあのように動けたわけではありません。
最初から、
店全体を見られたわけではない。
最初から、
自分で優先順位を判断できたわけでもない。
最初から、
誰かに言われなくてもフォローへ入れたわけでもありません。
そこへ至るまでには、
当然、積み重ねがあります。
まず、
俺自身がやって見せる。
そして教える。
やらせる。
見る。
出来たら褒める。
出来なければ、
何が違ったのかを一緒に考える。
改善する。
そして、またやらせる。
それを、
日々の仕事の中で何度も何度も繰り返す。
昨日教えたことを、
今日もう一度やらせる。
今日出来たことを、
明日は一人でやらせてみる。
出来るようになったら、
今度は少し先まで考えさせる。
そうやって、
少しずつ指示を減らしていったんです。
だから、
「言われたから動く」
から、
「自分で考えて動く」
へ変わっていったのです。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
そして、ここも大切です。
一度出来たからといって、
それで終わりではありません。
昨日出来たことが、
今日も出来るとは限らない。
忙しくなれば出来なくなることもある。
メンバーが変われば、戸惑うこともある。
違う状況になれば、
同じやり方が通用しないこともあります。
だから、
見る。
確認する。
出来ていれば、認める。
出来ていなければ、
また教える。
また考える。
また挑戦させる。
人を育てるというのは、
一度教えたら終わりではないんです。
積み重ねなんです。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
孔明は盃を傾けながら言いました。
「我が君」
「聞いていると、人を育てるというのは、身体を鍛えることにも似ていますな」
俺は孔明を見ました。
「ああ――」
「孔明先生、目の付け所が宜しいですね(笑)」
筋肉は、
「強くなれ!」
と命令しただけでは強くなりません。
どこを鍛えるのか。
どう鍛えるのか。
どれくらい繰り返すのか。
どうすれば、より強くなるのか。
鍛える側が、
それを知らなければならない。
人を育てるのも同じです。
「見ろ!」
「考えろ!」
「動け!」
と叫ぶだけでは、人は育たない。
どう教えるのか。
どうやらせるのか。
出来なかった時、
どう改善するのか。
出来た時、
どう次へ進ませるのか。
そして、
どうすれば最後には、
自ら考えて動けるようになるのか。
その方法を、
まず指導する側が知らなければならない。
俺は盃を置きました。
「人を鍛える者は、まず鍛え方を知らなければならない」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
孔明は静かに頷きました。
「では、我が君」
「人が自ら考え、自ら動けるようになるためには――」
「その先に、まだ何かあるのでしょうな」
俺は徳利へ手を伸ばしました。
「そこから先は――」
孔明の盃へ酒を注ぎます。
「またの酒席にしましょうか(笑)」
孔明も笑いながら盃を差し出しました。
「これは、まだまだ酒が必要ですな」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「周りを見ろ」
「自分で考えろ」
「動け」
そう言うことは簡単です。
ですが、
人を育てるというのは、
命令することではありません。
まず、
自らやって見せる。
教える。
やらせる。
見る。
出来たら、褒める。
出来なければ怒るのではなく、
何が出来なかったのかを見る。
なぜ出来なかったのかを考える。
改善策を共に考える。
そして、
またやらせる。
また見る。
その繰り返しの先に、
やがて、
自ら考え、
自ら動ける人が育っていく。
そして、
その時になって初めて、
指導者は少しずつ手を離していくことができる。
だからこそ、
人を育てる側もまた、
人の育て方を学ばなければならないのです。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「人を鍛える者は、まず鍛え方を知らなければならない」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
では、また次の一杯で。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
教える。
やらせる。
見る。
改善する。
そして、
またやらせる。
その積み重ねによって、
人は少しずつ変わっていく。
では――。
人が育った先に、
店はどう変わっていくのでしょう。
一人が動けるようになる。
二人が動けるようになる。
それぞれが自分の役割を果たし、
互いの仕事がつながり始める。
しかし、
人を育てるという話は、
まだその先があります。
何を教えるのか。
何を任せるのか。
そして、
どこまで手を離していくのか。
答えを急ぐ必要はありません。
その酒は、
また別の一杯で。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
孫権仲謀編 第一話 第十杯 人が違えば、… 2026.08.11
孫権仲謀編 第一話 第八杯 店長がいなく… 2026.08.09
孫権仲謀編 第一話 第七杯 店を作るとは… 2026.08.09