読書日和 ~Topo di biblioteca~

読書日和 ~Topo di biblioteca~

2004 1月~2月に観た映画


2004年1月~2月に観た映画


ミステイック・リバー
シービスケット
タイムライン
ラブ・アクチュアリー
ロード・オブ・ザ・リング





ミステイック・リバー

2004年、最初に観た映画は「ミステイック・リバー」。
クリント・イーストウッド監督でショーン・ペンの父親役が話題になってました。
(出来れば観終わってから読んで欲しいです)

殺された娘を悼むショーン・ペン演じる父親の姿はとても胸に痛い。
柊にも娘が二人いるのでもう、親の気持ちになって観てしまう・・・。
(こんな風に突然の事故や事件に巻き込まれたりせずにいて欲しいと
切に切に願ってしまいます。)

でもその一方で自分の娘を傷つけた人間に対しては非情なくらい厳しい
姿勢で挑む父親の姿には共感しきれない部分もあって・・・?

自分の家族や信頼する間柄の人たちに対してはとても愛情深いのに
一歩その範疇を超えた人たちに対してはとても冷たい印象。
「愛する」っていうのは確かにそういう面を持っているかもしれない。
愛する人を守るためなら他の誰が傷ついても構わない・・というような。
もしも愛する人と通りすがりの他人とが同時に自分に助けを求めてきたら
迷わず愛する人に手を伸ばしてしまうような。
愛する人を傷つけた人間を同じような目にあわせてやりたいと心底
願ってしまうのも当然と思えるような・・・?

だけど他人にも自分と同じようにそれぞれ愛する家族や友達がきっと
いるはずで、それには目をつぶってしまっていいの・・・?

だけどだけど、すべての人を平等に扱うことは自分には
出来ないし・・・?

などというような割り切れない気持ちがぐーるぐると渦巻いて
しまう映画でした。

娘を殺した犯人は誰か・・・というミステリー的な面も所々付箋
が引いてあって最後まで緊迫してました。

ショーン・ペンの演技が話題になってましたが、柊は少年時代の傷を
背負ったまま大人になってしまったティム・ロビンスの演技もまた秀逸
だったと思います。…と思ったら、「ラスト・サムライ」の渡辺謙を
おさえてゴールデングローブ助演男優賞受賞(だったかな)
しましたね…。



シービスケット

ゆっくり…ゆっくりと人と人とが出会って、一つの奇跡が実現する
までの過程がとても丁寧に描かれているように感じました。
すべては偶然じゃなくて、必然だったんだなあと思えるように。

トビー・マクガイア演じる青年騎手が友達に話しかけるように、
シービスケットという馬に自分が読んだ本の話を聞かせたり、
励ましの言葉をかけたりしている場面がとても印象に残ります。
(トビー・マクガイアの声って特徴があって耳に残りやすい、と思う)

馬主、騎手、調教師・・・それぞれが過去に心の傷を負っていたからこそ、
再起できないと思える足の傷を負ってしまっても、
それを治し立ち直るまでにかかる長い時間を待つことができる・・・。
決してそこで見放してしまったりしない。つらかった出来事も次の
障害を越える力に変わる。

競馬=賭け事・・・という単純図式で今まで考えていたけれど
競馬場を駆けている馬たちが背負っているのはそのレースを見ている
万人の観客たちがそれぞれに思い描いている夢だったり、
希望だったり、未来だったり…
或いはそれまでの人生のつらかった過去だったり…ホントいろんな人の
いろんな思いを全部背負って走っているように見えてきて自然と
レースの場面で手を握って、心の中で「頑張れ、頑張れ!」って
応援してました。

実話を基にした映画って展開はシンプルだけどとても力強いですね・・・。



タイムライン

タイムトラベルをテーマにした映画です。

柊にとって歴史というのは長い長い、登場人物のめちゃくちゃ
多い物語のように思います。
何年に何が起きた、という羅列を頭の中に詰め込むだけじゃつまらない。
そこには必ず出来事に関わった大勢の人たちの人生があるはずだって。

歴史を勉強していると、教科書に書かれていることは、現存する資料に
基づいて作られた仮説の集大成だと(ちょっと乱暴かも)気づかされて
愕然としたことがあります。新たな資料が発見されれば簡単に覆されて
しまう仮説。
事実を確かめるには映画の中の主人公たちのように過去に行って自分の
目で確かめるしかないのだと・・・。

もしも、柊が過去に戻ってみることができるなら
日本古代史…大化の改新あたりの出来事をこの目で見てみたいなあ…。
授業を受けていて、一番好きな時代だったから(笑)

もちろん、無事に戻れるという保障付に限るけど。

映画自体は普通かな…?という感じでしたが、そんなことをつらつらと
考えてしまいました。



ラブ・アクチュアリー

ラブ・アクチュアリー

恋した相手に、一生懸命気持ちを伝えようとする人の表情には
いつだって嘘がなくて、素敵だなって思う。

一方でそんな風に一生懸命自分の気持ちを伝えてきた相手への答え方に
よって、その人の本当の姿・本質もまた見えて来るのだろうなと思う。
登場人物たちのそれぞれにハッピーな気持ちが今、柊に伝染している♪
こんな風に「良かったな~!」って最高の気分で映画館を出たときが、
単純だけど「幸せ♪」って思える。

この映画では様々な登場人物たちの様々な生活が切り取られてる。
柊が一番ジン…ときた場面はキーラ・ナイトレイ演じるジュリエットが
夫の親友マークのアパートで自身を写した結婚式のビデオを見ている
シーン。
マークに嫌われていると思っていたのに、マークがよそよそしい態度で
自分に接していたのは自分に恋をしていたからだと、はじめて気づく場面。
どうしたって彼女しか見えない…って告白しているようなビデオの映像を
観ていたら心臓がきゅう、となってしまう。
登場人物中・一番素敵な人だって思ったのはエマ・トンプソン演じる
主婦のカレン。
いつだって元気で、明るいイメージの彼女が、夫が浮気しているかも
しれないと一人寝室で涙する場面やその涙をこらえて子供たちと
接するところなどは思わず「頑張って!」って思っちゃう。
一番可愛かったのは初恋に悩む11歳の少年サム。初恋の悩みを義理の
父親と分け合うことによって次第に養父と打ち解けていくあたりがすご
く、可愛い。そのまま、素敵な大人になってねって願いたくなる。
そして笑っちゃったのはヒュー・グラント演じる英国首相。
政治家なんて昨今、人間味など感じられないイメージで捉えちゃうけど
恋に悩み、イギリス流の毒舌を飛ばし、ラジオから流れる音楽につい
踊っちゃったりする彼が首相になる国ならきっと素敵な国に違いない…
な~んて単純に思えてしまう。

クリスマスシーズン特有の、ささやかな奇跡を待ち望む幸せな空気が
溢れてる。クリスマスの時期にまた観たくなる映画…でしょう。



ロード・オブ・ザ・リング 三部作

三部作が完結。全編にわたる感想を残しておこうと思う。
…なので、もし読まれる方がいたら、
全てを観終えた人だけに読んで欲しいな と思う。

「旅の仲間」

物語の導入部(旅の仲間が揃い、いざ出発するまで)を長く感じたせいも
あり、映画館では唯一、一度しか観ていない。
(第三部まで観終えて、改めて大画面で観たい気持ちにかられてる。)
けれど、DVDにて何度も観返し、登場人物の一人一人に感情移入が出来る
ようになってくると、これからの長い道筋を思い、一番期待を込めて観て
しまう作品になった。
第一部の最初に描かれるホビット庄の美しい碧の風景。第一部しか見てい
なかった頃には、その風景の美しさよりもこれからの展開にばかり気をと
られていた自分に気づく。一番大事だったものはいつだって後から気づい
てしまう。第三部まで観終えた今、思い返すのは不思議な程、第一部に
あった伏線の数々の場面だったりする。

柊は第一部ではボロミアの最期から旅の仲間が分散するまでのシーンに
何度でも泣いてしまう。公開版だけの印象だとボロミアは指輪に誘惑され
てフロドを危険にさらしてしまった悪人(とまではいえないんだけど)の
ようにしか描かれないけれど、「二つの塔」の未公開映像を含むDVDにある
ボロミアの回想シーン等を観てしまった後では、いかに高潔な人物であっ
ても指輪の誘惑には勝てないのかもしれない…と尚更彼の死を痛ましく
感じてしまうのである。

「二つの塔」

ローハンを主な舞台とし、新しい登場人物たちが現れる。
旅の仲間は三つに別れたけれど、同時進行してみせてくれる編集の仕方は
素晴らしい。
柊は映画の前半から後半に至るまでのフロドの表情の変化が一番の見所だ
と思ってる。指輪に心が蝕まれていく過程がリアルだからこそ、フロドを
献身的に支えるサムの優しさに満ちた目や、指輪を再度手にしようと企み
つつ心が既に分裂してしまっているゴラムの哀れさが強調されてくるから…。

ヘルム峡谷での戦の場面など、迫力のある映像にはすごくどきどきした
し、手に汗握ったりもするけれど、朝日とともに崖を駆け下り、戦を勝利
に導く騎士たちの姿にジンとくるのも、そこに至るまでの多彩な登場人物
一人一人の表情や台詞が生きているからこそだ、と柊は思ってる。
「二つの塔」の最後の場面。指輪の力に負けそうになるフロドにサムが
語りかける場面…その台詞、表情は三部作を通して柊にとって、最も心に
残るシーンになっている。

「王の帰還」

2004/2/17の日記 その続編と思ってもらえれば。

名場面はたくさんある。
それを一つ一つあげていてはきりが無いほどに。
だからやはり一番印象に残った場面だけを留めておく。
それはやっぱり後半、フロドを抱きかかえながらサムが
「ホビット庄を覚えていますか」と話しかける場面だ。
(柊の記憶違いでなければ)この時、サムがホビット庄の思い出を語る
ときに、実際に回想シーンとしてホビット庄の風景は流れない。
サムとフロドの目に、観客の目に、現実の光景としてある風景は草一つ
生えていない瓦礫ばかりの滅びの山だ。それなのにサムの台詞とともに
脳裏に浮かんでくるのは第一部で観たホビット庄の美しい風景なのだ。
これって故意なんだろうか。戦の気配さえ感じることなく当たり前にあっ
た柔らかな風景を、現実に回想シーンとして見せることなく、心の中に思
い出させるのは…。

旅を終えて4人のホビット達は念願の故郷に戻ってくる。
柊にとって一番つらい場面…。
何故なら、目の前に広がっている美しい風景を旅に出る以前の無邪気な
気持ちで眺めることが出来なくなっていることに気づくから。
「第一部」に描かれるホビット庄の風景と「第三部」の後半に描かれる
風景は同じようであっても同じじゃないことに一層、心が傷つくから。
それを心のどこかで誰もが感じているからこそ、フロドの決断に対し、
仲間は笑顔で見送ろうとする。
(柊はきっと何度もこの三部作を観返すのだろうけど、物語の結末を
知った今となっては「第一部」の美しい風景をまっさらな気持ちで観る
ことが出来ない…そのことが寂しい。)

登場人物たちのそれぞれのその後に思いを馳せていたら本当にきりがない
けれど。
ずっとこの物語の余韻に浸っていたいけれど。
彼らに会いたくなったら、再び本のページをめくりさえすれば、
映画を観れば出会えるのだから…それが本や映画のいいところ…
だよね。




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