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やあ ひっこりんだよ運動会のシーズンもう 終わっちゃったかな子供の晴れ舞台というのかなお弁当の思い出が一杯の運動会小学校の6年間は ほんとうにうれしかったお母さんがお弁当を持ってきてくれて同じ学校に通う兄弟と一緒に徒競走の順位などを発表しながら食べたんだ3番目のお姉ちゃんは 運動神経抜群で4番目のお姉ちゃんは いつもビリでも たまに組み合わせで上位をねらえる年もあってそんなときは自慢してたボクはというと3位までに入るともらえる鉛筆などの景品を自慢して 見せびらかしていたこれは 我が息子プーにゃんのリレー競争の写真 ちっちゃな体一杯使って走ってるこういった写真は今のデジカメでも撮れると思うけど三脚などを用意して 望遠側一杯でねらうんだよいくら手ぶれ補正があるって言っても 望遠側では それほど期待出来ないし被写体に合わせてカメラが動いちゃうから構図も旨くねらえないこれは三脚にカメラを固定してプーにゃんがこの位置に来たらシャッターを押すんだって事前に決めて撮ったものだよ写真って やっぱり良いよね可愛かった頃の思い出もしっかり写し込んでくれる
2008/10/05
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やあ ひっこりんだよこのところ 古いアルバムを整理して昔を懐かしんでいた訳なんだけどこんな写真が出てきたう~~~ん痩せていたんだよだれが?あははははぼくおおお かっくいい(早く消さなくっちゃね)
2008/10/02
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やあ ひっこりんだよ今日も写真の話白黒写真ノスタルジーを感じさせるその魅力はなかなか言い表せないよねもちろん 本当に古い写真はモノクロしかないそして、それがさらに古くなると変色してセピアカラーのようになるボクの使うデジカメには通常のカラーの他にセピアモード モノクロモードというのがあってそれを3種類同時に出力する機能がついている古い建物など撮ると 良い感じだよもちろん 白黒やセピアカラー現在、フイルムカメラにそれなりのフイルムを入れて撮影すれば写すことも出来るのでそれだけ見て ノスタルジーを感じてはいられないこの写真は古いと言っても 当然プーにゃんやクークが写っているわけだからさほど古くはないよね明治や大正昭和の初期ということはないよでも 雰囲気は カラーで撮った写真よりボクは好きなんだこの様なセピアカラーの写真はどうやって撮ったか解るかな?これはILFORDの XP2 ISO:400 というフイルムを使って撮っているんだこのフイルムはおもしろいフイルムで白黒フイルムなんだけど現像はカラーで現像出来るものなんだもちろんモノクロで現像すれば普通のモノクロ写真が出来るけどカラーで現像に出すと この様にセピアカラーで出来上がってくるんだぼくは このフイルムを良く使ったよ今でもこのフイルムはXP2 SUPERという名前販売されているよ「高感度、超微粒子、広いラチチュードが特徴のカラー現像用モノクロフィルム」というのがメーカーのコピーだよ作例では壁にフラッシュをバウンズさせて光を前からあたるようにして撮しているまあ 兄弟がテレビを見ている 何のことはない写真だけど少し 作品のようになっているでしょう下は 同じフイルムを使った写真だけどしっかりモノクロで現像に出したやつはははははクークとプーにゃんの若かりし日、友達同士でバスケを楽しんだときの写真こちらは やっぱりセピアカラーよりモノクロの方が良いよねクークと プーにゃん 何処にいるか解るかな?一番前に陣取ってボールを抱えているのがプーにゃん後ろの右から2人目 クマが縦に2匹並んだ服を着てるのがクークだよ
2008/09/30
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やあ ひっこりんだよねえ プーにゃんおまえも いつまでも子供じゃないんだからゲームばっかりしていないでもっと 有意義なことをしなさいえええええとおちゃんだってぼくと 同じくらいの時ゲームして 遊んでいたじゃないいや お父さんがおまえと同じ年の頃はTVゲームなんか無かったよそんなこと無いよボク知ってるよとおちゃんのアルバム見ていたらゲームしてる写真があったよ????おかしいなあそんな写真は無いはずだよじゃあこれは? ゲームしてるんじゃないの?こ、これは遙か昔大宇宙の彼方で・・・コリン星防衛のために若きひっこりん司令官と その妻ピッチがやっていた実験の写真じゃないかほら TVモニターもあるしゲームに違いないははっはこれは 宇宙を侵略するために悪の軍団に対抗するために2人の勇敢な戦士に戦闘訓練をしていたところだよこれが その2人の戦士だ地球人に見つかるといけないので地球型の動物に変身しているけどこれは コリン星の戦士なんだよへえ~~~~ そうなんだははははこうやって 宇宙の平和は守られていったんだ古い話だけどね
2008/09/29
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やあ ひっこりんだよははははははははボクが地球に来て人間の姿をしたときに選んだ体型気になる???(今の体型じゃないよ)はははじゃあ 本邦初公開
2007/10/11
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やあ ひっこりんだよう~~ん世の中はすっかり秋になってきたよ秋と言ったら結婚式のシーズン11月の中頃には会社の女の子が結婚するんだはははは若いっていいなあまあ ボクだって若いときは有ったよちゃんとピッチと結婚できたし誰だよ 今の体型から 想像できないという人はそれはスラッとして 格好良かったんだからねだって スーツもカッターだってY体だったしウエストだって58だよははははは文句有る?証拠?う~~~んじゃあぼくの 結婚式の夜のデレデレ写真を見せちゃおうはははははあ(昨日からこればっかし)初々しかったなああぁぁぁぁぁ~~~~はずかしいから やめて欲しいんだけどぉ~
2007/10/10
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やあ ひっこりんだよははははお久しぶり~~~みんな 元気か~~ぼくは・・・まあ、ちょっとだけ元気だ~~はははははぁ~まあ なんというかいいかげんに日記を更新しないと申し訳ないし体の調子が悪いというわけでもないしねさて今日は 前に何度か取り上げているボクの宝物今から・・・・そう、35年以上前に製造され今も大事に使っている1台のカメラオリンパス35SPについてだよ発売年度 価格 1969年 24,800円 レンズ G.ZUIKO 42mm f1.7(5群7枚構成) シャッター SEIKO FLA No.00 B・1秒ー1/500秒 露出 CdSメーター搭載プログラムEE及びマニュアル 画角 20度の平均測光と6度のスポット測光が選べる 焦点調節 距離計連動直進繰り出し ファインダ 採光式ブライトフレーム、倍率:0.7倍 大きさ・重 さ幅129・高さ76・奥行き61mm 600gこれがこのカメラの大まかな内容なんだけどなぜ このカメラが宝物なのか・・ということなんだこれはね 最初の所有者(今はほとんど忘れているだろうけど)が特別なんだははは 今でもボクの宝物なんだけどははははあははははははそう ボクの奥さん ピッチが最初の所有者なんだよだから、絶対に手放すことができないし 時々空シャッターを切って、時々露出計の点検電池の交換、フイルムを入れて動作チェックを欠かさないあと50年は大事にするんだははははあはh~~~~やっぱり 少し熱があるかなあ当時のピッチ ほら 肩に掛かったオリンパス35SPこのころかなあ 本当に彼女と結婚したいと思ったのは・・・
2007/10/09
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やあ ひっこりんだよ 今日の1枚スキャナの説明用に写真を整理していた時出てきた写真クークとプーにゃんの可愛いこと
2006/03/14
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やあ ひっこりんだよ今日は久しぶりに。。あれ 何も思いつかないよう~~ん今日はぼくが どうしてひっこりんなのかそもそもひっこりんとは我が家の小桜インコの名前なのだがそれは プーにゃんが付けた名前なんだよヒッコリーの木の上に留まるはげ鷲のぬいぐるみに付けた名前それがひっこりんなんだよず~~と そのぬいぐるみを大事にしていたんだけどやがて 飽きられてどこかに行ってしまい小桜インコが我が家にやってきたとき その名前を襲名したでもね1年と少し前2代目ひっこりんも死んじゃったんだよ新築の家に引っ越しして すぐのことなんだ今の新建材の臭いのせいかもしれないいまこうして ぼくが3代目を襲名してひっこりんの名前を引きついだんだ手乗りの小桜インコひっこりん部屋の中を自由に飛び回りみんなに愛嬌を振りまいていた子供が本を読み始めると本の隣に舞い降りていつもページめくりの手伝いをしていたひっこりん8年くらいしか一緒に住めなかったけどいつも一緒にいてくれた子供の友達だったひっこりんを忘れないためにひっこりんという名前をぼくは使うんだこれからもねはははははひっこりんの得意な言葉は何か知ってる?それはねピッチ、ピッチ!犬のピッチを呼ぶときの僕たちの声をいつもまねして一緒に呼んでたんだよピッチって
2005/12/01
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すごいんだよ8人兄弟なんだ上4人が姉下3人が弟下の弟は双子すごいよねひっこりんは長男4人の姉と両親に愛されて育ち(弟が出来るまでに6年のブランク)3人の弟に兄と慕われ他の誰も経験したことのない様な子供時代を過ごしたでも不思議なんだよ兄弟と遊んだ記憶が少ない姉とままごと遊びの記憶お駄賃ほしさに駄菓子屋に買い物に行かされた記憶下の弟の名前当てで間違えて馬鹿にされた記憶(一卵性双生児・・似すぎ!)プールで弟と遊んだ記憶そんな記憶しかない!なぜ?家族みんなで遊びに行く事はなかった両親も連れて行こうとしなかった8人つれて電車に乗って(今の自分でも想像できない)何か寂しくなってきた姉弟一緒に遊ぶ姉のすることを弟がまねる姉はいろんな事を弟に教える遊び方を教えるひっこりんは何処に行くにも家族で行動した近くの公園も遠くの遊園地も一緒に遊んだ子育ては誰かに任せるものじゃない夫婦でやっていくもの幼稚園にも保育園にも入れなかったピッチは子供達に真剣に接してくれた何処に行くにも2人を連れて行った姉が25歳、弟は20歳今もピッチは買い物に2人を連れて行く※コメントの最後にトラックバック追加したよ。
2005/01/28
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こんにちは ひっこりんです今日も写真に逃げるひっこりんです。子供の写真を撮る時ってどんな気持ちで撮ってる?こんな写真撮ってて、子供が大きくなってから見返してくれるんだろうか。ひっこりんは、心配になります。ひっこりんには、小さい時の写真がほとんど有りません。両親に写真を撮る趣味がなかったのと。兄弟姉妹が8人もいて、みんなで記念写真!そんな写真しかないんです。そんな写真も上の姉が持って行ってしまうので、写っていても手元にない!都合良く?ひっこりんの子供は2人なので焼き増しも1枚で済みます。2人なら何処に遊びに行っても平等に?写真を撮ってあげることが出来ます。だから自然と2人で写った写真も多くなります。今日はツーショットを、と思ってこの写真を選びました。ひっこりんは、子供が自分の写真を手にして、大きくなって見返した時思い出となって、これおとうさんが愛情込めて撮ってくれた写真だよってそんなふうに言ってくれる写真が撮りたい。今日のおまけ写真絶対内緒!ひっこりんの奥さん!真剣そうに何かしてたんで、つい魔が差して撮っちゃった!BR>もう、あまり若くない時の写真なので見つかるとやばい!でもね、これで 結構愛してるんだぞ!!わ~~~っ はずかしい!
2004/12/28
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ちょっと物騒なタイトルだなこの頃、ネタに詰まると写真に逃げるひっこりんです。まあ、その辺は解って付き合って頂いてると思い、甘えて・・今日も写真ネタです。今日は構図のお話。写真って言うと、良いなと思う写真は構図が決まってる。写真の中に安定感があり、不安感がない。だから撮した人の意図が読み取れる。それが、記念写真であっても、スナップ写真であってもです。ひっこりんの撮る写真が構図がしっかりしているぞ!という意味ではないですよ。他の人たちのいろんな写真を見て思うんです。構図にプラスするのはその被写体にどこまで寄るか、何処まで切ったら意図した効果が現れるか。上の写真は妻と子供達の写真です。動物園でのスナップですが、妻を中心に2人の子供をを大胆に切った写真です。写真の中に、妻と子供達の声を入れたかった。こういった写真も有りかな・・という例です。撮り手が意図した構図。後一つ写真を見て下さい。意図が見え見えの構図です。頭の部分を少し切り遊具に集中する子供の真剣な心の動きをねらった写真です。このように、自分の子供が幾ら可愛いからと言ってすべてをフイルムの中に納めるよりも、ほんの少し切り取って撮すことで愛情を入れることが出来るんじゃないかな。結構偉そうにうんちくをタレてますが。なんだかんだといって、撮り手が愛情込めて撮った写真は、世界中で一番の写真です。それでは、今日から「愛情!」というかけ声と共にシャッターを押して下さい。(どさくさにまぎれて妻の写真をアップしてしまった)
2004/12/25
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子供 親にとって子供達を見る目は特別ですまるで、光の中で輝いている宝石のように感じる時があります。今日は 光の中で遊ぶ子供達を見て頂きます。この写真は、晴れた日に子供達が遊ぶ姿を撮ったものです。子供達が無邪気に遊ぶ姿に、ソフトーンというフィルターを使って光のスパイスを加えたものです。明るい光も、柔らかく周りをつつみ、子供達が特別な存在になっているのが解るでしょうか。ひっこりんは、光がすきです。子供達には、光の中を歩んで欲しいと思います。今の世の中は、光が射さない暗い世界が目立ちすぎます。我が子には光の子であって欲しいと願います。周りの子供達にも光を差し伸べてくれるような子供に世を照らす光のような子供写真を撮っている時、ファインダー越しに子供が天使のように見える時。一瞬のシャッターチャンス。それが、ひっこりんを写真好き人間にしたんだと思います。
2004/12/24
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子供それは授かりものその無邪気な心、純粋な思いひっこりんのもっとも好きな1枚の写真です。光の中で戯れる子供達人生の中で この瞬間を目にすることが出来ることこれこそが 親として一番幸福でいられる時だと思います。今日は この1枚だけですひっこりんの思いを感じ取って下さい。
2004/12/21
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偶然の二重露出(この写真は偶然に撮られたもので合成写真ではありません)写真の説明: この写真(中央)は愛気が繭と一緒にひっこりんを秘密の場所に案内してくれた時の写真です。そして大きな写真は、他の日に彼の昼寝を撮った写真です。まず、なぜ二重露出した写真が出来たかの説明をします。 ひっこりんは、当時カメラに凝っていました。アンティークな壊れたカメラを修理して使えるようにすることです。(たぶん今でもそんな趣味を持ってる方は多いと思いますが)この日、前日に組みあがったOLYMPUS35DCにフイルムを入れて愛気の勇姿をカメラに納めました。カメラテストでしたので、2,3枚撮っただけです。その後別のカメラ(OLYMPUS L1)にフイルムをいれなおし、しまって置いたんです。普段は撮った枚数分空シャッターを切ってそこから撮し始めるんですが、その作業を忘れていてそのまま昼寝中の愛気を撮った訳です。出来た写真があまりにも旨く合わさっていたんで、こんな偶然が起きるんだ、光といい構図といい重なり具合といい絶妙なバランス。とても記念に残る1枚です。この写真を撮った日のことを少し書きたいと思います。この日は、久しぶりの休みでカメラテストのために子供達を誘って散歩に出かけたんです。少し家の近くを散歩するだけのつもりでした。しばらくして愛気がひっこりんに「ぼくの秘密の場所に案内してあげる」といってくれたんです。もちろん断る理由もなく、繭も賛成したのでそこに一緒に行くことにしました。彼はどんどん山道を進んでいきます。目的地が解らないひっこりんは『いつも、こんなに遠くまで、こんな山奥まで遊びに来てたんだ』と、その成長と冒険心に戸惑いながら後を追いました。何軒かの牧場を通り過ぎ、小鳥のさえずりの中、山道をただ目的地に向かって進む愛気の後ろ姿を見ながら、子供の成長と、親が想像する以上の行動範囲に感心しました。しばらく車の入れない山道を登って着いたのは、辺りが木々に囲まれた小さなため池でした。ひっこりんが「誰か友だちと一緒に来るの」と聞くと、彼は一人で冒険に来て見つけたのだと言いました。繭も愛気と一緒に2,3回一緒に来たことがあると言っていました。愛気はこの秘密の場所の池の畔で水を眺めていたそうです。この日、ひっこりんは、子供の成長に感動を覚えました。ひっこりんの忘れていた子供の時の冒険者だった頃を見つけてくれたんです。前回、繭の写真を載せたので今回は愛気の当時の写真を紹介します。
2004/12/18
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娘 ひっこりんの最愛なお姫様彼女が生まれたのは、ひっこりんが結婚して1年目の冬。その日、ひっこりんは仕事があり妻の陣痛があり入院したことを聞いたのは職場にいる時でした。妻は実家で出産をと四日市の実家に帰っていました。ひっこりんの当時の職場は知多半島の半田市(来年開港の予定の中部国際空港の丁度反対側)、車で1時間30分かかります。陣痛が始まったことを聞いたのは、お昼近く。早速上司に報告し早退を申請しました。しかし、無情にも当時の上司は許可を出してくれませんでした。ひっこりんは、妻の初めての出産に立ち会うことが出来なかったんです。仕事が終わったのは6時、定時で帰ることは許されましたが、その間のひっこりんは仕事が手につかず、終業のベルが鳴るのをひたすら待っていました。妻が心配でしょうがなかった。生まれてくる子供が5体満足でいて欲しい。それだけを思っていました。終業のベルと同時に会社を後にしたひっこりんですが、今度は渋滞に捕まりました。当時四日市までの道は国道1号線か名四国道(国道23号線)の2つのルートしかありませんでした。帰宅と帰社の車の渋滞に捕まったのです。心は、妻と子供のことしかありません。独りで運転する車の中、無事に出産することだけを願っていました。結局、ひっこりんが病院に着いたのは9時近く。子供も無事生まれ女の子だと看護婦さんに聞かされ、ほっとして妻のいる病室に向かい、半分涙ぐんだ妻の顔を見ることが出来ました。妻は、ぼくが側にいてくれなかったことが、とても心細かったといいました。本当に申し訳なかったと思いました。どれだけ一緒にいてあげたかったか、どれだけ我慢したか。口に出さず妻の手を握りました。しばらくして看護婦さんが連れてきてくれた赤ちゃんを見て、妻の笑顔が戻った時本当に良かった。母子ともに無事であったことに感謝しました。子供の名前はしばらく考えてから付けました。周りの人たちは字画のこととか姓名判断のこととかいろいろ助言をしてくれましたが、ひっこりんは結局誰の言うことも聞かず、妻と相談して「繭」という名前を付けました。たとえ暗い殻の中で何年も辛抱しなければならなくても、絹のような綺麗な心をまとっていてほしい。そして、未来には大きな羽根で大空を飛び回るように。今の写真は本人もいやがると思うので、子供の時の写真を少し載せます。ひっこりんが愛情を込めてとった写真です。
2004/12/16
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一枚の写真思い出が心に広がりそのころの時代がよみがえる。ひっこりんです今日の写真はこの写真ひっこりんは、高校の1年に、或る事件をきっかけに合気道を始めました。その後大学4年間、そして結婚後の何年か道場に通い稽古を続けました。この写真は、結婚後のある時、刈谷市の警察道場で稽古中のひっこりんです。結婚してしばらく後の時期、大学時代の合気道部の仲間と近くの子供達を指導していた頃のことです。でも、この後ひっこりんは合気道はしなくなりました。理由はどうしてだったんでしょうか。一言で言うと、もう強くなる必要が無くなったんです。自分の中で、強くなる事とはどういうことなのか。何のために稽古するのか。意識が変わったんです。ひっこりんは もっと家族を愛したい。みんなを愛したい。人を制することでなく人を愛したい。合気道も 人を愛する道。愛する気持ちの見つける道。だから心で合気道をやっていきたい。そんなふうに感じたのかもしれない。合気道の稽古をしなくなってしばらくして 2人目の子供、長男が生まれた時 愛気 という名前を付けた。
2004/12/14
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こんばんは ひっこりんです今日はひっこりんの結婚した当時の写真を1枚お見せします。この写真は今から××年前に妻(ピッチ)を撮った写真です。(ちょっとノスタルジックに白黒に変えてある)妻(ピッチ)と2人でよく週末に岡崎の矢作川の河原にモトクロスの練習をしに行きました。当時の彼女はとっても行動的でした。今の生活では考えられない一コマです。80ccのYAMAHAのモトクロス用のバイクが彼女の愛車ひっこりんはというと彼女のお抱え運転手でした。当時のひっこりんの愛車はダイハツタフトグラン1600ccの四輪駆動車でした。当時は四輪駆動車というと三菱ジープ、ランドクルーザー、ジムニーぐらいしかなくとても珍しい存在でした。当時はそのめずらしさから四輪駆動車に乗ってる人は路上ですれ違うと必ず手を振って挨拶をしていたことを思い出します。この少し変わったアイテムを手にしたひっこりんは、妻と娘のクークと一緒に野山を駆け回りました。林道ツーリングとオートキャンプです。国土地理院発行の地図を買い、林道を探し不整地を走破することが週末の楽しみでした。当時はまだ林道は本当?の林道で、当然未舗装。所々道は路肩が崩れ落石があり木が横たわっていました。そんな、道なき道を注意を払い、車の性能を信じて走破するわけです。今では必ず通行止めとなっているような道も、当時は通行止めになっていなかった。そんな中同じように四駆乗りが引き返してきて、この道は通れないぞと情報交換していたのです。(今では絶対にありえない!)そして、予定のコースを走破すると目的地のキャンプ場でオートキャンプです。当時のキャンプ場は、オートキャンプの出来るところがあまりなく、普通のキャンプ場は駐車場からかなり離れたところにテントを設営するしかなかったので、オートキャンプの出来る所を探すのも骨の折れる事でした。道中が危険がいっぱいなので、キャンプ場に着くのが夜中という時も良くありました。ひっこりんもピッチもキャンプが好きでした。満天の星空の下、火を囲んで飲む暖かいお酒と、明るい火に揺らぐ彼女の顔はひっこりんは大好きでした。テントの中で不自由でもクークを中に挟んで寝た思い出。今思うとすばらしい時間を共有してきたんだと思います。今日はこの辺で・・おしまい。体調も何とか戻ってきました。(相変わらず血圧は高いですが、頭痛の方は収まってます)心配をかけ すみません。
2004/12/12
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ひっこりんの青春もいよいよクライマックス【下宿生活】大学2年の後半に付き合いだした彼女は、時々四畳半のぼくの下宿に遊びに来るようになりました。最初はクラスメイトと一緒に、そして一人で訪ねてくるようになりました。一緒に過ごす時間がたまらなく嬉しかった。でも、ひっこりんには沢山の思いやりに満ちた合気道部の面々や同じ下宿に住む後輩たちがいて、彼女が来ると、必ずドアをノックして押し入ってくる。お酒を飲んだり、青春を語ったり、むさっくるしい男の下宿で気の良い仲間たちに囲まれた彼女はとても素敵に感じた。彼女が初めてぼくの側で一晩を過ごした時、一生放さないと心に誓いました。【美人】時々彼女と一緒に遊びに来る女性友だち(同じゼミの仲間)に一つ年上だがすごく美人ですらっとした女性がいました。その女性は謎の多い女性で、文学関係に長じ、化粧はしていないけれど、新聞社やTV局に出入りし、夜の街もよく知っていました。いつか新聞社の中年の社会部の記者に恋をしているといっていました。バンカラなひっこりんとキュートでかわいい彼女。そしてすらっとして美人な彼女の3人の関係は3年の終わり頃まで良く大学の学食やミルクホールで見かけることが出来ました。以前彼女たちを取り巻いていた男の子たちも、あまり近づいてこなくなりました。ひっこりんがいると、遠くの方から大きな声で後輩の挨拶があり、同期の合気道部員が寄ってきていたセイもあります。彼女たちは大勢の学ラン集団に守られていたんです。集団の怖さをよく知っているはずのひっこりんも自分がそのような中心にいたなんて、皮肉なことです。【城山の石橋の上で】大学3年5月ひっこりんが合気道部の校内合宿で校舎の近くの城山。大学院の隣の合宿所で生活していた時のこと。稽古のため大学の道場へ向かうため城山の堀にかかった石橋を道衣を着て歩いていた時、その美人の彼女がいるのに気づきました。彼女もひっこりんに気づき走り寄ってひっこりんの胸に飛び込み泣き出してしまいました。しばらくその場で彼女が泣きやむのを待ち、彼女に事情を聞きました。話によるとクラスの男子学生にひどいことを言われそれでひっこりんに合いたくなって合宿所に来たとのことでした。事情はともかくひっこりんは女性を泣かせるようなやつは許せませんでした。男子学生のいる講堂へ行きその男子学生の胸ぐらをつかみ、「二度と彼女に手を出すな」といってしまいました。彼はひっこりんのあまりの勢いに怖じ気づきもうしないからと謝りました。道衣のままの姿であんな行動をとったひっこりんは後になって自分の行動がとっても恥ずかしくおもいました。合宿所にもどったひっこりんは彼女にそのことを告げ今日は返るようにとさとし道場に向かいました。その日のひっこりんの稽古は全然気のはいらないものになったのは言うまでもありませんでした。一部始終を目撃した後輩たちに冷やかされました。変な伝説を作ってしまいました。【偽りの同棲生活】大学の4年生大学が郊外に移転することになりひっこりんも下宿を替わる必要が出ました。そんなとき、例の美人の彼女に或る相談を受けました。付き合っていた新聞社の中年の社会部の記者が彼女の下宿に良く行くようになり、困っている。形だけでも一緒に生活しないか。ひっこりんがいれば押しかけてこないから。ひっこりんには かわいい彼女もいるし手を出すようなこともしないので絶対に安全だから。彼女とも相談して決めてくれればいいからという内容です。ひっこりんは大好きな彼女に相談に行きました。彼女にとっても親友の窮状でした。彼女はひっこりんのことがとっても心配だったと思います。でもOKしてくれました。友を助けるためだから。でも、心配だった彼女は、親の許しを得てひっこりんと美人の彼女の隣のアパートに下宿することになりました。大学4年ひっこりんと2人の彼女の奇妙な同居生活が始まりました。でも、愛する彼女にとってかなりつらい1年だったと思います。決して手は出さないと信じていても同じ部屋に若い男女が同棲生活をおくることになったのです。彼女の泣き顔をよく見ました。もっと側にいて欲しいと言われました。ひっこりんもそんな彼女を見ているのがつらかったです。心の中で、彼女だけを見ていたいと何度も何度も思いました。【その後】大学を卒業して2年ひっこりんは最愛の彼女と結婚しました。美人の彼女はその後新聞記者と寄りを戻し、しばらくして少し有名な文芸作家と結婚しました。
2004/12/01
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