風の吹くまま 気の向くまま

風の吹くまま 気の向くまま

ノンフィクション

『ミトコンドリアのちから』瀬名秀明・太田成男

『生物と無生物のあいだ』福岡伸一

『ネプ理科実験室』

『「指紋の神様」の事件簿』塚本宇兵

『世界の日本人ジョーク集』早坂隆

『99.9%は仮説』竹内薫

『常用字解』白川静

『子どもは判ってくれない』 内田 樹  洋泉社

 著者は大学教授でフランス現代思想専攻の方だそうです。哲学者ですね。
 でも、難しいことを書いているわけではなく、「大人の思考と行動についてレポートしている」本(著者曰く)です。
 でも後半部分ちょっとだれていて、思考停止状態で読んでいたらしく、よくわからない部分があったので、前半の方でなるほどと思った部分を紹介させていただきます。

 国と国の間のコミュニケーションも、「対話」だけから成り立つわけではないと私は考えている。何を考えているか判らないけれども、災いを為しそうな国に対しては、「対話」を成りたたせるより先に、まず「祝福」を送る、というのが人類が古来採用してきた便法である。
   ◇
 後悔には2種類がある。
 「何かをしてしまった後悔」と「何かをしなかった後悔」である。(略)
 私たちの心を長い時間をかけて酸のように浸食して、私たちを廃人に追い込むような種類の「後悔」とは、「何かをしなかった後悔」である。
   ◇
 論理的に思考できる人というのは、「手持ちのペーパーナイフは使えない」ということが分かったあと、すぐに頭を切り替えて、手に入る全ての道具を試してみることのできる人である。
   ◇
 人は「好きなもの」について語るときよりも、「嫌いなもの」について語る時の方が雄弁になる。そのときこそ、自分について語る精密な語彙を獲得するチャンスである。
 だから、「だっせー」とか「くっせー」とか「さぶー」とかいう単純な語彙でおのれの嫌悪を語ってすませることのできる人間には、そもそもおのれの「個性」についての意識が希薄なのである。
   ◇
 自分自身に「社会人として最低のライン」しか要求しない人間は、当然だけれど、他人からも「社会人として最低の扱い」しか受けることができない。そのことはわきまえていた方がいいと思う。
 (略)自分に敬意を払っていない人間は、他人からも敬意を受け取ることができない。
   ◇
 「愛する」というのは「相手の努力で私が快適になる」ような人間関係ではなく、「私の努力で相手が快適になる」ような人間関係を築くことなのである。


 私がちゃんとおもしろく読めたのはここまでで、このあと戦争とか国家とか国際関係などのことが語られていたのですが、なんだか仕事のあとに読んだせいか、頭に入りませんでした・・・。また機会があったら・・・て、たぶんないかな・・・。(2004.4.22)


『問題な日本語』 北原保雄

 日本語ブームの今、やはりベストセラーになっているようです。
 ファミレス言葉といわれる「こちら~になります」とか「~でよろしかったでしょうか」とかの言葉づかいや、その他よく聞かれるけれど、なんだかおかしいぞ?という言葉について、「どうしてそういう使い方になるのか」という観点からいろいろ解説してあります。
 その上で、正しいとかそうでないとか、ここに気をつけようとか、ポイントをおさえてあります。

 けっこう文学作品にも出ていたり、こんな使い方もあるというのがわかったりしておもしろかったです。
 言葉を逆から言うのも昔からあったんだなあ、と「へぇ」でした。「ネタ」というのは「種」をひっくり返したものだったとは、初めて知りました。

 それから「うざい」とか「きもい」とか「きしょい」とかの若者がよく使う言葉でも、当の若者が、「あまり使いたくない言葉」にあげている人が多い、というのにも驚きました。
 若者、健全です。

 さてこの著者は、『明鏡国語辞典』の著者ということもあり、さりげなく宣伝もしてあって、うまいな~なんて思ったりしました。この辞典、「週刊文春」でも広告を出していますが、それを読んだ感じでは、けっこう使える辞典かも、と思いました。買ってみようかな。


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