【メディアウォッチ】



日本に核武装を勧める仏人トッド氏と若宮論説主幹との対談を「頭の体操」と掲載する朝日

論議も否定したのに

 実は、この記事にお目にかかる前は別のテーマで本稿を書くつもりだったのだが、それが吹き飛ばされてしまった。昨日(三十日)の朝日オピニオンページに掲載された若宮啓文論説主幹とフランスの人類・歴史学者エマニュエル・トッド氏の対談は、核論議すら封印しようとしてきた朝日に、あろうことか核武装論の主張が堂々と登場していたからだ。これは見過ごせない。

 対談には「風考計」とのタイトルがある。これは一カ月に一回程度、オピニオン面の左肩に掲載される若宮氏のコラム欄の名称なのだが、今回はオピニオンページすべてを使っている。それほどの力の入れようだ。

 日ソ国交回復五十周年などでモスクワとワシントンを訪れる道中にパリに立ち寄り、対談したという。トッド氏は自ら中道左派の反軍主義者と名乗り、『帝国以後』の著作で知られる。朝日の論説主幹にはおあつらえ向きの対談相手だった。

 ところが、対談は思わぬ方向に進んだようだ。リード文で若宮氏は「鋭く米国や中国を批判する彼は、何と日本に『核武装』を勧めるのだった。刺激的な議論になったが、頭の体操だと思ってお読みいただきたい」と記している。麻生太郎外相や自民党の中川昭一政調会長の「核論議」論にすら黙れとばかりに凄んだ朝日(二十日付社説)にとっては確かに刺激的だったに違いない。

 トッド氏の核保有論は米国の「核の傘」を疑い単独で核武装したフランスにあっては常識的見解とも言えるが、若宮氏にとっては「何と」になり、オピニオン面なのにまるで娯楽面のように「頭の体操」に、と捨てぜりふ的に言うほかなかったのだろう。中川政調会長もこれからは「頭の体操」と切り返せばよい。

切り返される非核論

 それはさておき、対談の中身を見てみよう。

 若宮氏はまず北朝鮮の核問題で見解を求めたが、トッド氏はいきなり日本に核武装を勧めたのだ。「核兵器は偏在こそが怖い。広島、長崎の悲劇は米国だけが核を持っていたからで、米ソ冷戦期には使われなかった。インドとパキスタンは双方が核を持った時に和平のテーブルについた。中東が不安定なのはイスラエルだけに核があるからで、東アジアも中国だけでは安定しない。日本も持てばいい」と。

 これには若宮氏は思わず「日本が、ですか」と聞き返したが、トッド氏は「(日本が)核を持てば世界はより安定する」。若宮氏は広島の原爆ドームを持ち出し「核の拒絶は国民的なアイデンティティーで、日本に核武装の選択肢はありません」と迫ったものの、トッド氏にひるむ気配はない。

 「私も日本ではまず広島を訪れた。国民感情はわかるが、世界の現実も直視すべき…核兵器は安全のための避難所。核を持てば軍事同盟から解放され、戦争に巻き込まれる恐れはなくなる」

 これではおさまることができない若宮氏は「唯一の被爆国」「NPT(核不拡散条約)の優等生」などと主張したが、トッド氏に「核を保有する大国が地域に二つもあれば、地域のすべての国に『核戦争は馬鹿らしい』と思わせられる」「核攻撃を受けた国が核を保有すれば、核について本格論議が始まる」と、ことごとく切り返された。

 そればかりか若宮氏が靖国を例に「日本が戦争のトラウマを捨てたら、アジアは非常に警戒する」と贖罪(しょくざい)論を提起するが、これにもトッド氏は同調しなかった。

 「第2次大戦の記憶と共に何千年も生きてはいけない。欧州でもユダヤ人虐殺の贖罪意識が大きすぎるため、パレスチナ民族の窮状を放置しがちで、中東でイニシアチブをとりにくい。日本も戦争への贖罪意識が強く、技術・経済的にもリーダー国なのに世界に責任を果たせないでいる。過去を引き合いに出しての『道徳的立場』は、真に道徳とはいいがたい」

反米核武装を啓蒙?

 “産経ばり”のトッド氏に朝日論説主幹は完敗だ。対談を述懐し若宮氏は「日本がイラク戦争を支持したとき、『もっと毅然(きぜん)としたら』と政府の幹部にただしたら、『フランスみたいに核を持ってないからねえ』と答えたのを思い出す。私がトッド氏に反論しながら、どこか耳が痛い気がしたのは、そんな記憶のせいに違いない」と書いている。

 ならば朝日は、反米を貫くためにフランス並みの核武装論に宗旨替えするか? とまれ、この対談を掲載した朝日の“勇気”は認めよう。これをもって晴れて核保有論議は解き放たれた。(増 記代司)


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