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2006.11.29
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カテゴリ: 邦書

 島田荘司の推薦によってデビューした綾辻行人のデビュー作。名探偵(?)の島田潔が登場する。


粗筋

ある孤島にある十角館。その島は、中村青司という建築家が所有していたが、数カ月前妻と使用人夫婦と共に焼死した。姿を消した庭師が関与しているのでは、と思われていたが、その庭師の行方は分からないままだった。
 大学のミステリ研究部の六人が、この島を訪ねた。十角館に泊まる。殺人が起こった島を見てみたい、という好奇心からだった。
 一方、本土に残った別のミステリ研メンバーの江南は、奇妙な手紙を受け取る。「お前たちが殺した千織は私の娘だった」と書いてあったのだ。
 千織はミステリ研のメンバーだった。新年会で急性アルコール中毒に陥り死亡した。事故だったが、そうでないと思っている者がいるらしい。江南は、別のミステリ研のメンバーである守須に連絡したところ、彼も同様の手紙を受け取ったという。江南は、この件の真相を探るための調査を開始する。
 千織の家族に会おうとするが、できなかった。彼女の父親こそ孤島で焼死した中村青司だったのだ。千織の死後に焼死事件が発生したのである。
 江南は唯一生き残っている肉親である中村青司の弟を訪ねた。手紙を見せると、その弟も同様の手紙を持っていると言った。友人の島田潔という男を紹介される。江南は、島田と共に捜査を開始する。
 孤島では、ミステリ研のメンバーが次々死んでいく。島には自分ら以外誰もいない筈。犯人は自分らの中の誰かなのでは、と疑心暗鬼に陥る。ただ、元メンバーだった千織の父親がこの十角館を建てた人物であることを知る。
 中村青司と思われた焼死体こそ行方不明の庭師で、中村青司は実は生きていて、娘を死なせた自分らを殺しているのでは、とメンバーは考えるようになった。
 その間もメンバーは次々殺されていく。
 江南と島田も、中村青司は実は生きているのでは、と考えるようになる。千織の父親は実は中村青司ではなく、その弟ではないかと。それを引き金に妻や使用人を殺したのでは、と。
 弟は、真相を明らかにする。千織は兄の子ではなく、自分の子だと。中村青司は、確証はなかったが、気付いていた。千織の死をきっかけに自棄になり、妻と使用人を殺し、自殺した、と言う。
 十角館が焼失した。中にいた全員が死んだとされた。一人が五人(六人ではない)を殺した後、自殺したと……。


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解説

ミステリ研では、メンバーをエラリィや、アガサや、ルルゥなど、推理作家の名を当てて互いを呼び合っていた。作中では彼らの本名は最後まで明らかにされていない。だから孤島にいるメンバーの一人(ヴァン)と、本土にいる守須が同一人物とは分かり難い、というのがメイントリックになっている。
 つまり、守須は、孤島と本土の間をボートで行き来していたのだ。昼間は孤島でメンバーを殺し、夜は本土に戻って江南と連絡をとり、まるで自分が孤島に行っていないように装った。
 孤島と本土の間を犯人はボートを行き来していた……。「孤島ミステリ」となれば誰も入って来れない、誰も出られない、という先入観があるから、犯人が自由に行き来していた、というのは予想外。ある意味では反則かも知れない。
 作者綾辻行人は、デビュー作で既に映像化が不可能な文章トリックを使っている。
 これは発表当時新鮮なトリックだったのだろうが、自分が本作品を読んだ頃には綾辻作品を数冊既に読んでいたので、特に新鮮に感じず、逆に「またかよ」とウンザリしたほど。
 トリックはそれなりに面白いものの、犯人の動機が弱いのが問題。
 守須は実は千織と付き合っていた(それがあまり重視されていないのは不思議)。自分が参加しなかった新年会で、自分の恋人が急性アルコール中毒で死んだと知り、その新年会にいた六人に対し復讐せねば、と考えたというが、狂気の沙汰としか思えない。
 守須は両親と妹を強盗に殺されたこともあって、やっとできた恋人を亡くしたことはかなりのショックだった、という風になっている。が、それだけで単に新年会に居合わせた全員を抹殺しようと考えるのは行き過ぎではないか。守須が殺した一人は引っ込み思案で、千織の「殺人」に加担したとは思えず、しかも千織の親友だったのだ。
 殺人手法もどうかと思う。一人一人個別に殺すのは非常に危険。作中でも触れているように、一ヶ所に集まったところを爆破して一気に殺した方が合理的。守須は六人に対し恐怖を味わせたかったというが、六人は結局誰に、何の為に殺されたのか分からないまま死んでいくのだから、復讐は守須の自己満足になってしまっている。
 ボートで本土と孤島を行き来する、というトリックも、失敗の可能性が高過ぎる。目撃される可能性があるし、高波で戻れなくなったりした場合どうするつもりだったのか。作中では成功したが、現実味がない。
 手紙を江南らに送ったのは無論守須。こうすれば江南が捜査を開始し、自分が捜査に協力することで、事件中本土にいた、というアリバイを成立させられると考えたからだが、これも危険。江南が、孤島にした昼間に連絡を取ろうとしたり住まいを訪れたりしたらどうするつもりだったのか。あるいは孤島へ足を運んでいたらどうするつもりだったのか。
 被害者の一人は口紅に仕込まれた毒で死ぬが、唇に塗るだけで毒が致死量に至るかは疑問。
 ミステリ研のメンバーである守須は、家族を強盗事件で亡くしている。実際の犯罪の被害者が、ミステリという、いわば架空の犯罪を描いた小説なんて読めるだろうか。
 問題の手紙はワープロ書きだった。作中では「ワープロなんて面倒なものを使うより、手書きにする筈」という下りが見られる。
 発表当時はワープロ普及率は低く、精度もよくなかったからこんな下りがあったのだろうが、現在はワープロが当たり前で、逆に手書きだったら不自然だろう。
 1987年の作品で、特に古い作品ではないのに、この場面だけで時代を感じさせる代物になってしまっている。
 守須のあだ名はヴァンだった。ヴァン・ダインから取ったものだろうが、これはおかしい。作者は、ヴァンが名で、ダインが名字だと勘違いしたらしい。ヴァン・ダイン(van Dyne)は、一見二つの名のようだが、実は一つの名字。
 フルネームはS. S. van Dyneで、S. S.が名なのだ。ま、ヴァン・ダインは筆名なので、あまりくどく言っても意味ないが。しかしミステリ研にしては不勉強。
 また、他のメンバーのあだ名がミステリ作家の名だったり名字だったりちぐはぐしているのはなぜだろうか。エラリィ、アガサは名だが、他のルルゥ、オルツィ、ポゥ、カー、ドイルは名字。

 綾辻行人は、島田荘司と共に二大本格推理作家となっているが、方法論が異なる。
 島田荘司は、作中の事件をトリックとして、それを論理的に解決することが驚きを生むという。作中のトリックは読者は勿論、登場人物も悩ませる。
 綾辻行人は、作品そのものをトリックとしている場合が多い。事件の解決より、どんでん返しで読者を驚かせる。作品のトリックは読者に対し直接仕掛けられ、登場人物にとってはトリックでも何でもないことが多い。
 個人的には島田荘司の方が正統的に見える。綾辻行人のトリックは読者に直接仕掛けられる為(男と思われた登場人物は実は女だった、兄だと思われていた登場人物は弟だった、極端になると人間と思われていたキャラクターは実は猿だった等々)、読者を馬鹿にしている印象を受けてしまう。
 綾辻行人が後に書くようになる登場人物は実は人間ではなかった、のような極端などんでん返しになると、アホらしくて呆然とするだけなのである。



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Last updated  2006.11.29 14:20:51
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