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2007.02.01
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カテゴリ: 洋画

 マーティン・スコセッシ監督作。
 警察に潜入したマフィアと、マフィアに潜入した警察官の攻防を描いている。
 レオナルド・ディカプリオ、マット・デイモン、ジャック・ニコルソン、マーク・ウォールバーグ、マーティン・シーン、アレック・ボールドウィンなど、大物俳優が大勢出演。
 香港映画「インファナル・アフェア(Infernal Affair)」のハリウッドリメーク。
 原題は「The Departed」。「故人」「死者」「殉職者」を意味する。


粗筋

犯罪者の一族に生まれたビリー(レオナルド・ディカプリオ)は、その生い立ちと決別する為警察官を志し、優秀な成績で警察学校を卒業した。しかし、警察に入るなり、彼はマフィアへの潜入捜査を命じられる。ビリーは、決別したと思っていた世界に逆戻りすることに戸惑いを感じたが、「警察組織にそのままいても、結局『警察の振りをしている』としか見なされないだろう」と言われ、最終的には了承する。コステロ(ジャック・ニコルソン)率いるマフィアに潜入した。
 一方、コリン(マット・デイモン)は、コステロに可愛がられて育った。コステロの指示で警察官になる。内通者となる為だった。コリンは警察組織内で昇進していき、コステロに次々情報を提供する。
 コステロは、自分の組織内に警察の回し者がいることに気付いていた。そこで、コリンに対しその回し者が誰か探し当てろ、と命じた。
 警察側も、自分らの組織内にコステロに内通している者がいる、と感付いていた。ビリーに、内通者の身元を掴め、と命じた。
 ビリーが徐々に追い詰められていく一方で、コリンは警察官という立場を利用してコステロの組織に潜入した回し者を追い詰めていく……。


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感想

上映時間が2時間半で、このところの映画としては長めだが、長さはあまり感じなかった。
 追う者が追われる者になったり、追われる者が追う者になっていたりと、展開が目まぐるしいからか。

 ただ、映画としては長い2時間半も、三部作だった原作インファナル・アフェアを一本の作品にリメークした為か、省かれた部分・描き切れなかった部分が多い感じがする。

 マフィアのボスのコステロだが……。
 ジャック・ニコルソンの怪演のお陰で、凄味のあるキャラになっていた。
 しかし、長年悪事を働いていたマフィアのボスにしては乱暴で、スマートさに欠ける。犯罪組織の頂点に立つ者が、自ら前線で陣頭指揮を取るなんて、どう考えても有り得ない。ボスなら下っ端にやらせ、いざとなった尻尾切りするのが普通だろう。殺人や麻薬取引など、悪事に直接手を染めながら、警察に全く尻尾を掴まれない、なんて無理があり過ぎ。警察側がよほど無能だった、としか言いようがない。
 修羅場を抜けてきたのだから物凄く勘が働くのか、というとそうでもないし。結局新入りのビリーが警察に通じていた者だ、という事実を知ることなく死ぬのだ(コリンによって射殺される)。ビリーが元警察官(実は警察官のままだったが、潜入の為警察学校卒業直後に暴行事件を起こして警察を解雇されたということになっていた)、という事実を知っていたのに、「自分の組織に警察の回し者がいる」と判明した時点でビリーを真っ先に疑わなかったのはどう考えてもおかしい。

 ビリーの行動も、不可解な部分が多い。
 警察の回し者だ、という事実を掴まれたら即殺される立場にあるのに、警察官の精神カウンセラーを勤める女性に何度も会いに行くのはおかしい。
 マフィア側がビリーの後を付けていて、その女性について知り、女性の身元を調べていたら、一発で「ビリーこそ警察の回し者だ」と発覚してしまっただろう。
 ま、結局マフィア側はビリーと女性精神カウンセラーの関係について全く気付かなかったが(その意味でもマフィア側は間が抜けていたといえる)。

 本作は、コステロが死ぬのと同時にバタバタと終結に向かっていく。
 あまりにもバタバタと向かっていくので、拍子抜け。

 マフィアに潜入していたビリーは、直接の上司であり、ビリーの潜入について知っていた2人の内1人が殺害されたことで、自分の身の危険を感じる。警察に潜入していたマフィアの身元―コリン―をようやく掴み、直接対決。
 さあ、ビリーはどうやってこの危機を逃れるのか、それが最大の見所になるのだろう、と思いきや、あっさりと殺されてしまう。しかもコリンではなく、警察に潜入していたもう一人のマフィアによって(作中では、その悪徳警官について全く知らされず、ビリーを殺した後に「実は俺もマフィアだったんだ」と明かす)。2時間半近くにわたってビリーの苦悩などを見守ってきただけに、ビリーの呆気ない死に様には「え? 本当かよ?」と愕然した。
 コリンは、ビリーに身元を掴まれながらもどうにか切り抜けた(マフィアだったことを明かした悪徳警官を射殺し、自分の罪もその悪徳警官に被せた)。このまま逃げ通すのか、結局「勧善懲悪の逆をなぞる作品なのか」と思いきや……。コリンがマフィア側の内通者であることを掴んだ別の警官(マーク・ウォールバーグ)によって殺されてしまう。映画はそこで終わり。
 ダブル主役なのに、最終的な運命はいずれも雑魚と同じ。
 物足りない。
 といって、無理にハッピーエンドを捻り出されても面白くなくなるので、これはこれで良かったのかも知れないが。
 実際の潜入捜査官や、警察内通者の運命は、こんなもんなのだろうけど。

 本作は、「マフィアに潜入した警察官と、警察に潜入したマフィア。二人は同じ女性を愛してしまった……」という触れ込みになっていて、「また無用なベタベタ恋愛劇に発展するのか」と恐れていたが、その恋人役の女性精神カウンセラーは、あくまでもコリンの恋人。ビリーとは「よい友達関係」に留まる。したがって、この女性を巡ってビリーとコリンがどうこうする、という間の抜けた展開にはならなかった。
 その意味では、抑制が効いたプロットだったといえる。
 尤も、この女性精神カウンセラーは作中でこれといった役割を果たす訳ではないので、いなくてもよかったと思う。
 この女性がいないと野郎ばかりの映画になってしまうのは事実だが。

 本作は、監督が巨匠とされるマーティン・スコセッシとあって、キャストが豪華。
 他の作品で主役を務めてきた俳優(マーク・ウォールバーグ、マーティン・シーン、アレック・ボールドウィン)が準主役の地位に甘んじている。
 マーク・ウォールバーグとアレック・ボールドウィンは、過去とのイメージからあまりにもかけ離れていたので、なかなか気付かなかったけど。

 省かれた部分、描き切れなかった部分が多いような作品だが、それでなくても2時間半にもなる大作なので、止むを得なかったのかも知れない。
 逆に全てを描き切っていたら「しまりのないダラダラした映画」になっていただろう。

 また、製作者が意図していたのかどうかは不明だが、どの登場人物も突き放して描かれているので、主人公二人が死んでしまう、という悲劇的な結末になっているにも拘わらず、後味が全然悪くない。
 悲劇的なラストの映画、て観た後落ち込むので、「一度観れば充分」と自分は思ってしまうのだが、これにはそれがなく、「また観てもいいかな」と思わせる。
 鑑賞者が登場人物の運命に感情移入できない、というのは製作者側からすれば失敗なのかも知れないが。

 本作はR-15指定。
 出演者全員が、下ネタや、好ましい言葉でない筈の「fuck」を連発しているのだから、当然といえる。
 一方で、性描写は皆無。その意味では「安心」して観られる。


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Last updated  2007.02.01 19:10:52
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