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2008.05.31
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カテゴリ: 洋画

『シックス・センス』のM・ナイト・シャマラン監督作。
 原題は「The Village」。


粗筋

19世紀。
 ベンシルバニア州の森の奥にある村。周囲から孤立しており、村民は完全に自給自足の生活を強いられていた。
 といっても、村民は一つの家族のような関係を築いており、幸せな暮らしを営んでいた。
 ただ、その暮らしを守る為に、村民は様々な掟を守らねばならなかった。
 その中でも最大の掟は、村を囲む森に入らないこと、つまり村を出ないこと、だった。
 掟を破った場合、森の「生物」が村全体に災いをもたらす、と言われていた。
 ある日、外の世界にあこがれるある若者が森に踏み込んだ事実を明かした。それを境に村では怪事件が起こり始める。
 掟を破ったからだ、と村民は震え上がった。
 村民は掟の遵守を決め、外の世界への憧れを捨てた。
 そんな中、若者の一人が別の若者によって瀕死の怪我を負わされてしまう。傷口から感染症を患い、村の医療設備では手の施しようがない、と宣告された。助かるとしたら、村の外にある「町」から医薬品を手に入れるしかない、と。
 若者の恋人(ブライス・ダラス・ハワード)が、「町」に行って医薬品を手に入れてくる、と申し出る。
 村の長老らは、彼女を止めようとする。なぜなら、彼女は盲目だったからだ。森の「生物」に一瞬にしてやられる、と。
 しかし、長老の一人がむしろ盲目だからこそ適している、と主張。
 盲目の少女は、恋人を救う為に、森の中に入る。
 森では、「生物」が彼女を待ち構えていた……。


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感想

 初監督作品がどんでん返しで鑑賞者をアッと驚かせた『シックス・センス』とあって、「どんでん返し」の代名詞ともなってしまったM・ナイト・シャマラン。
 今回の場合、どんでん返しは「本作品の舞台は19世紀ではなく、21世紀。この村は動物保護区にある。犯罪被害者など、現在社会に絶望した者(長老)らがユートピアとして築いた代物だった。村の数々の『掟』は、村で生まれた者が外の世界に興味を持たないようにする為の措置」。
 盲目の少女が外の世界との接触に適していると一部の長老が判断したのも、目が見えないが故に近代的な外の世界を知らずに済むからだった。その結果、盲目の少女は動物保護区周辺をパトロールするレンジャーに発見され、目的の医薬品を手に入れ、村に戻る。自分が21世紀に住んでいることに全く気付くことなく。

『シックス・センス』の時にはどんでん返しは全く読めなかったが(特に読もうと思っていなかったからだろう)、本作品では何となく読めてしまった。
 ヒントが数多く提供されているからか。
 逆に提供され過ぎていて、作品全体に違和感ありまくり。
 長老の一人が背広姿で登場している場面は時代考証を間違えてしまったのか、と思ってしまったほど。
 19世紀の筈の世界を描いている(描いているように見せかけようとしている)割には、映像が綺麗過ぎる、というのも問題。
 あまりにも綺麗過ぎて、最後の場面で車が出て来た時、違和感が全くなかった。
 村での時の映像と、「現実社会」との映像の画質を変えていればよかったと思われる。

 M・ナイト・シャマランの作品は、よく起伏がない、と言われる。
 本作品も例外でなく、全体的に盛り上がりに欠ける。
 何もかも淡々と描かれているだけで、村の掟の不気味さや、それを破ったことで生まれる恐怖などが、上手く表現されているとは思えなかった。
『シックス・センス』の場合、幽霊が見る能力がある少年が登場。超常現象が超常現象としてきちんと表現されていた。
 が、本作品は超常現象と思われていたものは全て人間の仕業、となっている。人間の仕業である上、危害を加えることを目的としたものではない。そんな訳で、「超常現象」は映画としては迫力不足。

 本作品では、ホアキン・フェニックス(グラディエーターに出演。故リバー・フェニックスの弟)、エイドリアン・ブロディ(戦場のピアニストでアカデミー主演男優賞受賞)、ウィリアム・ハート(蜘蛛女のキスでアカデミー主演男優賞受賞)、シガーニー・ウィーヴァー(エイリアン・シリーズに出演)など、著名な俳優が数多く出演するが、どれも脇役的な存在。
 脇役でもそれなりの演技ができればいいのだが、監督がその機会を与えなかったらしく、まともな演技を見せていない。なぜこんな作品に出演することにしたのか、不思議に思う。
 主役である盲目の少女(といってもそれなりに歳を食っている)に焦点を当てたかったからか。演じていたブライス・ダラス・ハワードは、数々のヒット作を飛ばしているロン・ハワード監督の娘。見た目はそう悪くはないが、演技力は今ひとつ。何よりも問題だったのは、盲目の割にはよく見えていること(演出の問題だったのだろう)。

 本作品は、どんでん返しの物足りなさや、出演者の存在感のなさについて指摘するのは無意味なのかも知れない。
 監督が何よりも描きたかったのは、現代人が19世紀を模した「村」をユートピアとして人工的に築かなければならないほど現代社会に希望が見出せないこと。そしてそのユートピアも結局「恐怖」でしか維持できなくなることだろう。
 どんなユートピアも、自由が制限されてしまっては単なる牢獄になり下がる、と。
 ただ、こういった素朴なメッセージも、無名な俳優を使って小規模にやっていたならともかく、著名な俳優を大勢使って大規模にやってしまうと、伝わり難くなってしまう。
 本作は、大作にしてしまったが故に失敗したといえる。


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Last updated  2008.05.31 11:02:42
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