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2008.07.10
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カテゴリ: 洋画

 紀元前480年に起こった「テルモピュライの戦い」を描いたグラフィックノベル(日本でいうと劇画みたいなものか)の映像化。
 ジェラルド・バトラーがスパルタ王レオニダスを演じる。
 原題は「300」。


粗筋

紀元前480年。
 ギリシャ連合を構成する都市国家のスパルタの王であるレオニダス(ジェラルド・バトラー)の元に、ペルシア帝国の皇帝クセルクセス(ロドリゴ・サントロ)からの使者が訪れる。
 使者は、ペルシア帝国に服従するようスパルタに求める。
 レオニダスは服従を拒否。ペルシアからの使者を葬り去った。これにより、ギリシャ連合は強大なペルシア帝国と戦争することになった。
 レオニダスは、ギリシャ連合の支援を求める。が、ギリシャ連合の中にはペルシアとの衝突を避けたがる勢力もあり、意見がまとまらない。
 レオニダスは、スパルタ単独でペルシアとの戦争を挑むことを決意。300人の精鋭たちと共に、100万とも言われるぺルシアの大軍と戦うことになった……。


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感想

 グラフィックノベルの雰囲気をそのまま実写化したことで、これまでにない映像美を描いた。
 全編、実写とCGが複雑に合わさった、古い油絵が動いているような映像になっている。
 事実、殆どのシーンはブルースクリーンを背景に撮影され、後に背景がはめ込まれたらしい。
 歴史スペクタクルというと、「コスプレした連中を映したもの」と成りがち。だが、本作は、独特の質感から、古代の記録フィルム(そんなのが存在する筈はないのだが)を掘り起こしてそのまま上映した、といった感じになっている。

 本作は実際にあった戦闘を描いているが、歴史的な資料として製作されたものではないので、省略された部分や、誇張された部分や、美化された部分が多い。
 あくまでも娯楽映画、と割り切っている。
 そんな訳で、本作は「スパルタ=善」「ペルシア=悪」と単純に分かれている。
 ストーリー的には分かり易い。

 アクション映画というと、細切れのシーンを繋ぎ合わせるのが最近の流行。
 観ている方は、何が起こっているのかさっぱり分からない、というのが多くなってしまっている。
 一方、本作はスローモーションを多用。
 全てのアクションシーンを存分に堪能できる。
 堪能でき過ぎて、残酷なシーンが苦手、という人にとっては悪夢のような映画に仕上がっている。
 ただ、全編の特殊な映像により、例えば斬られた生首が飛ぶシーンも、超現実的には感じず、残酷性が和らげられていて、そういったシーンにも映像美を感じさせてしまうから不思議。
 残酷で、本来なら嫌悪感を抱くようなシーンも、どうにか観られるものに仕上げる技は、さすがハリウッドといった感じ。

 本作では、スパルタの思想なども簡素化しながら紹介。
 新生児は全て長老に見せられる。戦士に適さない病弱な新生児、小さめな新生児は、全てその場で処分される。
 子供の頃から戦闘術を叩き込まれ、いわゆる「スパルタ教育」が施される。
 こうして、スパルタの男子は全て強力な兵士となる。
 こうした教育は、古代時代を生き残るには必要だったのかも知れないが、本作で繰り返し述べられるほど人々は「自由」でなかったような。
 スパルタは捕虜を取らないので、倒した敵は全て殺す。本作では、スパルタ兵が倒れたペルシア兵を蹴り上げて、まだ生きていると知ったら即座に止めを刺す、という場面が何度も見られる。これも、史実に基づいていて、当時としては当然の行為だったのだろうが、現在の感覚からすると、「スパルタ=善」という図式は必ずしも成立しない感じがする。
 スパルタでは、戦士となれない者は二流市民扱い。したがって、本作では差別的と受け止められる場面もしばしばある。これも、「史実だから」という理由を許されてしまっているようだが、近代を舞台とした作品、もしくは空想上の世界を舞台とした作品で同様のことをやったら、糾弾されそう。

 本作は一応歴史的な戦いを描いているので、ファンタジー的な要素が入り込む余地はない筈。
 しかし、独特の映像からか、ファンタジー的になっている部分も多い。
 そんなもんで、ペルシア(なぜか黒人俳優が多かった)を絶対悪として描いていて、人種差別的、という批判も挙がったが、そういった批判は的外れのような。

 レオニダスは、本作を観る限り、非常に勇敢で、兵士から絶大の信頼を得ていた王だ、というのが分かる。
 前線で身を張って戦い、最終的には部下と共に玉砕されるのだ。前線から遠く離れた場所で指揮を取る王とは全然違う。
 ただ、政治家として優れていたのか、戦士として優れていたのか、というと疑問に思ってしまう。
 今回の戦いは、「スパルタは誰にも服従しない!」とレオニダスが言い放ったことから始まった。一国の王として、誰にも服従したくない、というのは理解できるが、だからといって強大な軍を持つ国家と真っ向から対決するのはどうか。服従した振りをして、様子を見て、相手が隙を見せたら叩く、という手段にだって出られた筈。「スパルタ(というか俺)は誰にも服従しない!」という信念だけで300人対100万人という勝ち目のない戦いを強いられる兵士の、本当の思いはどうなのかね、と思ってしまう。政治家というのは、無論信念を持っていなければならないが、私情を排除し、必要に応じてしたたかになれなければ勤まらないと思うが。
 レオニダスが戦士として優れていたのか、という点でも疑問。
 確かに、レオニダスは敵軍の兵をバンバン殺し、百人分の力を発揮している。
 ただ、最後の最後の場面で、ペルシア皇帝クセルクセスと直接対面。クセルクセスに向かって槍を放つのだが、槍は掠るだけで、クセルクセスを殺すまでには至らなかった。
 難を辛うじて逃れたクセルクセスは、攻撃を命令。レオニダスとその部下は玉砕される。
 レオニダスがクセルクセスを計画通り殺せたら、戦士として超一流の評価を得られたのに、本作を観る限りでは「ここ一番で弱くなる」という評価しか得られない。
 史実では、クセルクセスはこの戦いを生き抜き、ペルシアに帰国する、となっているから、映画としてはレオニダスがクセルクセスを殺す、という場面を盛り込めなかったのは理解できる。ただ、史実に従えば、レオニダスとクセルクセスが対面する場面もおかしいということになってしまう。

 本作は、歴史授業の教科書としては特に役に立たなさそうだが、歴史に興味を持つ為の入り口としては、悪くない。
 少し前に観たトロイより、マシに感じられた。
 ただ、今回の独特な映像も、本作だけならいいが、同様の映像を何度も観る羽目になったら、飽きそう。

 本編では特に触れていないが、今回の戦闘により時間を稼げたギリシャは、後の「サラミスの海戦」でペルシア軍を撃破。
 この敗北により、クセルクセス(クセルクセス1世)は戦意を喪失し、ペルシアに帰国している。
 最終的には、クセルクセス1世は側近の権力抗争に巻き込まれる形で暗殺される。
 ペルシアとギリシャとの戦争は、クセルクセス1世の息子の代にまで事実上続いた。


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Last updated  2008.07.10 19:52:10
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