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2012.07.11
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カテゴリ: 洋画

 鬼才サム・ライミが監督・製作を勤め、トビー・マグワイアが主演して大ヒットとなった前シリーズをリセット。
 主演はアンドリュー・ガーフィールドにバトンタッチ。
 本作は、新シリーズの第1作となるらしい。
 主人公・ヒロインは若手が占める一方で、ピーターの伯父ベン・パーカーを演じるのはマーティン・シーン、伯母メイを演じるのはサリー・フィールド等、大物俳優が脇役を固めている。
 原題は「THE AMAZING SPIDER-MAN」。


粗筋

 高校生のピーター・パーカー(アンドリュー・ガーフィールド)は、両親が失踪した8歳の時から伯父夫婦の元で暮らしていた。
 ある日、ピーターは父リチャード(キャンベル・スコット)の共同研究者だったコナーズ博士(リス・エヴァンス)の元を訪れる。そこの研究室で特殊な蜘蛛に噛まれてしまう。その直後、ピーターの体には異変が起きる様になる。
 そんな中、伯父のベン(マーティン・シーン)が、暴漢によって殺されてしまう。殺されるきっかけを作ったのは自分だ、と悔やむピーターは、自分が得た特殊能力を使って犯人を探し出そうとする。その姿はマスコミに「スパイダーマン」として取り上げられるようになった。
 失踪した父親を探してもいたピーターは、コナーズ博士に、父が残した化学方程式を教えていた。それこそが自分が長年求めていたものだ、とコナーズ博士は確信し、それを基に研究を進める。その結果、自分のように失った手足を再生する薬の開発にこぎつけた。しかし、上層部から直ちに臨床試験へと移らないと解雇だ、と宣告されていたコナーズ博士は、自身を実験体として薬を投与。失った右手は再生し、薬の開発は成功したように思えたが、徐々に薬の基となったトカゲの遺伝子が暴走し、コナーズ博士はトカゲ人間になってしまう。ピーターの父が方程式を隠していたのは、こうなる事が予想出来ていたからだったのだ。
 トカゲ人間となってしまったコナーズ博士は、精神が乱れ、この姿こそ人間が進むべき進化だと信じ込むようになり、全市民をトカゲ人間へ変えようと企む。
 トカゲ人間を生み出してしまったのは自分の責任だ、と知ったピーターはスパイダーマンとしてコナーズ博士の阻止に動く。


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感想

 前シリーズの第1作が公開されたのは2002年。
 10年前。
 見方によっては大昔だが(10年前のデジタルカメラと、今のデジタルカメラは完全に別物)、映像技術においては、まだまだ「最近」と言える。既にCG技術は2002年の時点で充分以上に高度だったのだ。
 ここ1、2年の映像革新といえば3Dだが、3Dを観ない者からすれば、「無い」に等しい革新である。

 そんな状況で、新シリーズをわざわざ立ち上げて何か意味があるのかね、と心配したが……。

 やはり、全体的なストーリーの流れは前シリーズ第1作と同じ。
 ピーターが蜘蛛に噛まれ、特殊能力を得て、スパイダーマンになる。
 スーパーヒーローになれたものの、それに伴う大きな代償についても知り、深く悩むようになる……。
 ……焼き直しにも程がある。
 これだったら前シリーズに3D加工して再公開した方が安く済んだのでは、と思う。

 前シリーズはやけに説教臭い部分があり、それが鼻に付いたが、今回はそうした説教臭さは身を潜め、純粋に楽しめるようになっている。
 その面においては「改善」と言えるが、これは単に監督や脚本家の世界観の違いだけで、入れ替わっていたら逆に「今回のはやけに説教臭いな」となっていただろう。
 新シリーズならでの展開が観られないのである。

 ストーリーもご都合主義が多い。
 父が勤めていたオズコープ社に乗り込み、父の同僚コナーズ博士と接触。そこでは、クラスメイトのグウェンがインターンとして働いていた。
 ピーターはグウェンと付き合う事になったが、彼女の父親は警察官で、「悪漢スパイダーマン」を追う立場の者だった。
 ピーターは、スパイダーマンとして少年を救助。その父親はクレーンオペレータで、危機に陥ったスパイダーマンを手助けする。
 グウェンの父親は、スパイダーマンが娘の恋人だ、と知る。知った途端に「スパイダーマン=悪漢」の立場を翻し、ピーターと共にトカゲ人間の野望の阻止に奔走。
 ……等々。
 2時間ちょっとの作品なので、ご都合主義を全て廃除してしまうと、登場人物が無限に増え、ストーリーが袋小路に陥る、という現実的な問題はあるのだろうけど、それでも「それはないだろう」的な部分が多過ぎる。

 前シリーズで主人公を演じたトビー・マグワイアはやけに童顔で、出演した時点では20代後半だったのにも拘わらず高校生の役を見事演じ切ったが……。
 本作のアンドリュー・ガーフィールドも、同じく20代後半だが、特に童顔でない為、高校生を演じてみてもどうも違和感が。
 これは、ヒロインのグウェンを演じたエマ・ストーンも同じ。まだ20代半ばだが、実際よりも大人びて見え、高校生には到底見えない。
 実際に10代の俳優を採用してしまうと演技力に難があるのだろうが(日本では逆に10代の「俳優」をやけに使うが)、どうにかならないのかね、と思わないでもない。

 それなりの味を出していたのは、ベン伯父さんを演じたマーティン・シーン(地獄の黙示録で主人公を演じた。息子のチャーリー・シーンの奇行をどう思っているのかね)と、メイ伯母さんを演じたサリー・フィールド(すっかりお婆ちゃんに)。
 ベン伯父さんは作中で殺されてしまうので、次回作(あれば、だが)の登場はないと思われるが、メイ伯母さんはあるだろう。
 サリー・フィールドをキャスティング出来ればだが。

 本作は、つまらなくはないのだが……。
 前シリーズが完結してからまだ殆ど経っていないのに、また新シリーズを立ち上げる必要があったのか、という疑問を払拭するには至っていない。
 演出やテーマに明確な違いがあれば、「こういうやり方もあったのか」と納得させられるのに(007シリーズが良い例。主演が変わると作品の空気がガラリと変わる)。


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Last updated  2012.07.11 19:32:43
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