非常に適当な本と映画のページ

非常に適当な本と映画のページ

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Calendar

Category

カテゴリ未分類

(341)

洋画

(280)

邦画

(85)

邦書

(140)

洋書

(57)

ニュース

(736)

DVD

(8875)

Comments

Favorite Blog

まだ登録されていません
2015.06.01
XML
カテゴリ: 邦書

 二階堂黎人によるハードボイルドのパロディ短編集。
 ハードボイルド風に物事を捉える自称私立探偵の幼稚園児・渋柿信介(シンちゃん)が、刑事の父親健一(ケン一)が抱える事件を、元アイドルの母親瑠々子(ルル子)と共に解決へと導く。


解説

本短編集の最大の「トリック」は、渋い口調で一人称を展開する私立探偵は、実は自称「私立探偵」の五歳児、という点にあるらしい。
 人気漫画「名探偵コナン」の変則型、といった設定と言える。
 この「トリック」も、最初の1篇目の10ページ目で解明されてしまう。そうなると、後は五歳児の「渋い」描写が延々と続くだけで、単に鼻に付くというか、読み辛いだけ。
 特異な設定の為、1篇ごとに「渋い声で語っているのは、実は五歳児でした!」という「トリック」が披露される。これらの短編がそれぞれ雑誌に連載されている段階では特に気にならないのだろうが(というか必要不可欠だったのだろう)、こうして短編集として1冊の本にまとめられ、通しで読むと、単にくどいだけ。特に好きでもない芸人のどこが面白いのかさっぱり分からないギャグを繰り返し見せられている気分(好きな芸人で、面白いと思っているギャグでも、不必要に繰り返し見せられたら、飽きる)。
 もう少し抑え気味に出来なかったのか。
 このお決まりの「トリック」の他、主人公の父親が刑事で、母親が元アイドル、という登場人物の説明(まさにアニメ化か、テレビドラマ化を目論んだかの様なキャラクター設定)も毎回行われるので、なかなかストーリーの核心部分に入っていかない。入ったと思った瞬間、アッという間に「解決篇」に入っていて、終わっている。
 登場人物が全て普通だったら、本の厚みは半分以下に収まっていたと思われる。
 というか、大半は2分間ミステリ(問題篇5ページ、解答篇1ページ)のクイズレベル。それを気取った描写や現実性に乏しいキャラ設定で50~100ページの中短編に引き伸ばしている。
 そんなもんだから、いずれにおいても間延び感があり、退屈してしまう。折角の興味深い謎、そして折角の驚愕の真相も、知らされた所で「はいはい、そうでしたか」くらいの感想しか思い浮かばない。
 ガンガン読み進めるのは事実だが、それは読み易い文体だとか、軽く読めてしまう内容だからではなく、単に蛇足的と感じる部分を読み飛ばしてしまうから(後になって重要だと知らされて、とりあえず読み返してみる、という状況に何度か遭遇)。

 作中には、様々な芸能人の名が述べられ、自動車の描写があるが……。
 本作は、元は1996年に出版されたもの。連載は、それより更に前だと思われる。
 名を挙げられている芸能人は、当時は誰もが知っている大スターだったのかも知れないが、今となっては「あの人は今……」で辛うじて取り上げられる輩ばかり。
 作中で登場する自動車も、当然ながら古い。
 著者は、流行を精一杯調べ上げて、作中で連ねてみせたらしいが、今読むとただただ古さしか感じず、注釈が必要になってしまっている。
 流行・最先端は、アッという間に過去のものになってしまう。当然ながら、それを満載したフィクションも僅か数年で古臭くなってしまうのは、悲しいばかりである。

 1篇1篇を検証すると、おかしい部分も多い。

【私が捜した少年】では、警察が追っていた容疑者は、愛人によって殺され、解体されたという。
 愛人は風呂場で男を殺害して解体し、ゴミ袋に詰め、踏み込んできた警察がそれに気付けない程完璧に痕跡を消し去っていたという。同様の行為を何度もやっていたならともかく、完璧過ぎないか。
 追っていた容疑者が愛人が住む女子寮に逃げ込んだという情報は掴んでいたのに、警察は女子寮を監視するだけに留め、1週間後に逮捕状を得て漸く踏み込む(その間に容疑者は殺され、解体され、数回に亘って生ゴミと共に処分されていた)、というのはのんびりし過ぎ。監視していた刑事は「容疑者は女子寮から出ていない」と豪語していたらしいが、無理を感じる。

【アリバイのア】では、アリバイの決め手となったのは、楽曲の長さだったという。
 警察がそんなアリバイを、受け入れるとは思えない。仮に国内盤・輸入盤の違いに気付かなかったとしても、「似たような別の曲を聴いていたのでは」と思うだろうに。
 こんな奇妙なアリバイになったのは、容疑者である漫画家が、アリバイを証明してくれる事になる編集者から腕時計を取り上げ、楽曲でしか時間の経過が分からない状況をわざわざ作り出したから。ただ、現在は携帯電話があるので、腕時計を取り上げても時間が分からなくなる、という事態にはならない。腕時計と携帯電話まで取り上げなければならないが、それだと編集者も、警察も不自然に思ってしまうだろう。「小説が発表された当時はまだ携帯電話は広く普及していなかった」という注釈が必要になっている。

【キリタンポ村から消えた男】では、ヤクザが使う「若い」という表現が、一般的に使われる「若い」の意味合いとは異なる、というのがメインのトリックとなっている。
 ただ、警察が「山下の年齢は?」という初歩的な質問を関係者の誰にも訊かない、というのは有り得ない気がする。もし訊いていたら、警察は早い段階で山下の人物像を掴んでいただろう。
 ヤクザを取り締まる警察が、ヤクザが使う表現を全く理解していなかった、というのもおかしい。

【センチメンタル・ハートブレイク】では、男性の新たな愛人は男性だった、というのがメインのトリックになっている。
「この業界では珍しい事ではない」と作中で示されているが、女性の愛人を何人か抱え、妻もいる男性が、「実は男色でした!」というのは唐突過ぎる。
 本作では、旅客機を使ったアリバイトリックも使われている。
 トラベルミステリーでありがちだった「列車を乗り継いで、時刻表の盲点を付き、アリバイ工作をする」という展開でさえリアリティに乏しいのに、旅客機となると、よりリアリティに乏しい。
 旅客機は分刻みで離着陸出来る代物ではない。必ず遅れが生じるし、天候にも左右され易い。欠航も頻繁にある。フライトスケジュールの盲点を突いてアリバイ工作しました、と説明されても「所詮フィクションでの出来事だからね」と思ってしまう。

【渋柿とマックスの山】では、犯人は偶々現場にいた女子大生をアリバイ工作に利用している。犯人はスキーの上級者だったので、初心者だった女子大生より先に下まで降りられた、との事だったが……。
 そこまで上手い具合に初心者を見付けられるとは思えないし、先回りしようとしている段階で別の人に目撃されてしまう可能性も高かったと思うが。
 衝突現場に居合わせた男性と、下の救難小屋にいた救助隊員を、スキーウェアを着替えただけで「別人だ」と勘違いしてくれるだろう、と期待するのも危険過ぎるし。犯人が自身が思っている以上に特徴的であったり、もしくは女子大生が予想以上に冷静で観察力があったりして、「あれ? さっきお会いしませんでしたか?」といった展開になってしまったら、どうするつもりだったのが。
 何故死体を隠しもせず、手の込んだ形で「発見」させ、事件とした理由も分かり辛い。


粗筋はこちら


関連商品:

人気blogランキングへ






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2015.06.01 11:42:17
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: