・・金印塚


車内アナウンスの後、バスは大きく揺れて止まった。
沙嘴(さし)の向こうに広がっていた陸地に乗り上げたようだ。
いよいよ志賀島(しかのしま)である。

赤いシャツにベージュ色の小振りのリュックを背負った
大学生風の女の子が、運転席の傍に立ち何か尋ねている。
「・・小さな塚があるだけ・・公園になって・・」
運転手の声は幾分大きい。
が、後方の私の所には所々しか聞こえてこない。
途切れ途切れの話から推せば、
二人連れの彼女達も、どうやら「金印塚」を訪ねるらしい。

国民宿舎のある所でバスは止まった。
このバスは此処までだという。
二人の女の子の降り際に運転手は言った。
「この道を真っ直ぐ上って行けばいいから」
彼女達に続いて私もバスを降りた。
金印公園の傍で下車しようと思っていたのに、
此処から先は歩かねばならないらしい。

ガードレールに沿って海沿いのゆるやかな勾配をのぼった。
沖合いに小さな島が見える。
壇一雄の愛したという「能古島」(のこのしま)か。

波は穏やかに寄せてくる。南国の秋の日は思いのほか暑く汗ばむほどで、
山側の樹木の葉も紅葉にはまだ早い。
11月の半ば過ぎぐらいでなければ、
美しく色付くことはないのかも知れない。

どこからか香ばしい磯の香が漂ってきた。
イカの丸焼きか、サザエ・・
食いしん坊の私は想像に事欠かない。
何処からだろう。匂の所在を確かめるべく私は辺りを見回した。

少し前方に「お食事処」と紺地に白く染め抜いた細長い旗が見える。
民家そのままの道端の小さな店が、
庭先で魚や貝などの海の幸を焼いて客に供していた。
先ほどの女の子達も立ち寄っていたが、
また帰りにね、と店主らしき人に告げて私は通り過ぎた。

喉も渇いているし食指も動くけれど、
私は歩くことが任務でもあるかのように、
止まることなくそのまま歩を進めた。

海べりの大きな岩にカラスが一羽、
ずっと止まったままでいる。
波がそれほど大きくないとはいえ、
波が岩に砕けてもカラスは微動だにしない。
いや、しないように見える。
濡れ羽色とはこんな色か、
カラスの羽は不気味なほど黒く、艶々と光沢があった。

ガードレールにつかまって海を眺めた。
海は満ちているらしい。
波がひたひたと迫ってくるように感じる。
波に洗われて角の取れた丸い大小の石が無数に犇めき合い、
その石の上に覆い被さった波は、すぐさま石の隙間を走って引いていく。

シャアー
波の走る音が聞こえてくる。
私はまた歩き始めた。


海に張り出した山沿いの道のゆるやかなカーブに差しかかると、
遠くに赤いシャツとベージュ色の小さなリュックが見えた。
もうあんな方に。若者はさすがに足が速い。

時々疾走していく自動車に気を配りながらも、
幾曲がりかのカーブを越えて、
どうにかひとつ目の目的地に到着した。

「金印塚」である。

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: