駒田信二先生


「中国書人伝」というエッセーを、4年間雑誌に書かれたことがあった。
(後年『中国書人伝』(芸術新聞社刊)に纏める)

それは書法についての論評ではなく、
書聖といわれた王羲之や鄭道昭など中国の代表的な書人を取り上げ、
古くから言われる「書は人なり」との観点から書人を見つめたものである。

「書は本来、彫るもの」であり、
中国の書人たちの「書」がそれを教えてくれた、と言われる。
「筆を動かして字の(あるいは字に似た)形を書いているだけのもの」は
(日本の)書道かもしれないが「書」ではない、と。
手厳しいが慧眼と言わざるを得ない。

純文学の同人誌『まくた』の題字は、
200号の記念に駒田信二先生が揮毫されたものである。
さすがに墨は紙背を徹し、深みがあり、何よりも品がいい。
厳しさとふくよかな優しさとを併せ持ち、
頑固さとどこか可愛らしさをちらりと覗かせる。

不遜をお赦しねがって分析を続けさせて戴くならば、
唐様(からよう)つまり、中国の書法に則り、
始筆は蔵鋒で重く送筆部は静か。
慎重な筆遣いが随所に見られ、
終筆からは、何事もきちんと対処される几帳面さが窺える。

強靭な思想であるがゆえに多くのものを包容しうる、
威厳と温かさと品格に満ちた
中国文学者<駒田信二>そのままの「書」だと思う。

以前、漢詩を編んだ著書を戴いたことがあるが、
ページを繰るごとに私は息を飲んだ。
誤植のすべてを、ルビの一つ一つまで、
赤鉛筆で直されていたのである。
地名の横には、東へ○○キロメートルなどと加筆されているものもあり,
費やされた時間とエネルギー、
その煩しさとを思うと胸が痛む。

数年前、同人誌『まくた』が月刊から季刊に変る時
表紙のデザインを担当させていただいた。
先生の題字を横書きに変え、
抽象的な図柄(心象)を下部に入れて一新した。
おこがましくも、先生との合作ということになり、
記念すべき仕事のひとつとなった。

暮れに『まくた・紅柳忌増刊号』が届いた。
「書きつづけて死ねばいいんです」との師 駒田信二の言葉そのままに、
「まくた」の同人達は頑張って書き続けているようである。

扉の、痩身の遺影は、あくまでも清々しく凛々しい。
次ページにはタクラマカンの熱砂に咲く紅柳、
その2葉の写真に、ウルムチからの帰朝報告会や、
千駄木での葬儀を思い出す。
あなたはフリーパスですから、と笑顔で出入りをお許しくださったものの、
伺ったのはほんの僅かばかりであった。
威厳があり、凛として近寄りがたい存在ながらも、
その笑顔は実に親しみ深いものであった。

結びに、もう落手する術なき先生からの賀状の
最期の詩句を引く。
「春来還發舊時花」
ゆるぎない文字が認(したた)められてあった。


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