Dog photography and Essay

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オランダ広場


「マレーシア/ヒンズー教寺院」


マレーシアの首都はクアラルンプール。

東南アジアの大陸部の先端に位置する
マレー半島部(西マレーシア)と
ボルネオ島北部(東マレーシア)に分かる。


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半島部の北はタイで、南はシンガポールと
陸路で国境に接している。

ボルネオ島は南部のインドネシアと、
国境に接しており、ブルネイ王国も
東マレーシアに囲まれいる。


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マレーシアの首都であるクアラルンプールは
「川が交わる場所」と言う意味である。

先進国の仲間入りを目指すマレーシアの中で、
中国の経済協力で急速な成長を続けている。


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市内中心部はお洒落なカフェや多種多様な、
レストランが立ち並び、クアラルンプール発展の、
シンボルともいえるツインタワーは、
この街に着けば直ぐに目に入ってくる。


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インド人ばかりが集まっていた寺院。
象の頭をした知恵と幸運、富をもたらす幸福の
守護神はじめ商売の神でもる。

頭が象なのは、母の入浴の番をしていた時に、
そこに入ろうとした父のシヴァ神さえも阻止、
怒ったシヴァ神に首を落とされた後、
象の首をつけられたためとか・・・。


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ヒンズー教との食習慣は、
何でもよく食べるが、牛の肉だけは、
絶対に食べない。

ヒンズー教にとっての牛は、
聖なる動物とされている。


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ヒンズー三大神の一人で、ヴィシュヌ神の
化身で、獅子の頭と人間の
身体をもった守護神とか、

富と幸運、豊饒をもたらす守護神の話も、
聞いたが、宗教が違うと何を聞いても分からない。

豪雨、台風などで樹木や家屋を破壊すると同時に、
植物を育て生命の源をはぐくむ存在の神もある。


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「マレーシア/バトゥー洞窟」


マレーシアの首都はクアラルンプール。

マレーシア郊外にバトゥー洞窟がある。
日本では馴染みがないヒンズー教である。
この宗教観は分からないところである。

しかし、何となく垣間見たような気がした。


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本場インドのヒンズー教より、
原始的なヒンズー教を伝承していると言われ、
現地ガイドは人気ある観光名所の一つと語った。

バトゥー洞窟は、クアラルンプールの北方へ、
13キロ行った所にあるインドヒンドゥー教の聖地。


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「宗教」とといえばキリスト教や、
仏教やイスラム教など、日本で育った私に、
とって仏教が荘厳のようにえてならない。

バトゥー洞窟の、この聖者スブラマニアンを、
祭る洞窟寺院は鍾乳洞ライト・ケイブの中にあり、
272段の急勾配の階段を上っていくが私は、
急勾配の階段は上らなかった。


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あとは現地ガイドから、洞窟内の寺院の空間は、
吹き抜けになっていて天井からこぼれる、
自然光は神秘的な空間を生み出してるとの事。

そして階段下にはアートギャラリーがあり、
ヒンズー教の神話の壁画や彫刻が展示してある。


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陰暦の毎年1~2月の3日間にヒンドゥー教の、
お祭りタイプーサムが行われ大変な賑わいになる。

その時に出くわしたのかどうかは、
分からなかったが、大勢のインド人が居た。



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写真を撮っても良いですか?と聞いたが、
何を思ったのか、この白っぽいパウダーを、
私の眉間に塗ろうとするので驚いた。

始めはこの黒いものは何だろうと思っていたが、
どうやらヒンズー教の神の一人・・・?


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そして何故か?椰子の実が沢山置いてあった。
少し行くと、この椰子の実の皮を剥いで、
上に1センチほどの穴を開けて、
太目のストローを差し込んで並べていた。

画像にしようと思ったら、
持っていた大き目のナイフをこちらへ向け、
撮影してはダメと言っているようなので、
カメラをポケットに入れ両手を挙げたら笑った。


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30メートルは有ろうかと思うほど高い黄金の
像が右手に見えてるが、これがヒンズー教の
神なのか?予備知識が無い為分からなかった。

この時には現地ガイドとは分かれ、
私一人で行動していたので、インド人が
並んで礼拝しているところも見に行った。


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「マレーシア/マラッカ」


マレーシアのマラッカには「三宝の廟」
「三宝のあずまや」「三宝の井戸を守る」と、
「三宝の山」がある。

木が生い茂るのは「三宝の井戸」があるから。


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マラッカ近くの原住民部落へ行った。
この地方は、年間を通して熱帯地方である。

私が行ったとき、上海はマイナス2度だったが、
こちらでは34度あった。


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家の作り方は実に簡単であった。
私が中学校や高校の頃にプレハブの、
勉強部屋件、遊び場として使っていたが、
その部屋より、質素な感じだった。


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部屋の中も観光客に見せていた。
と、言うよりこれが生活の糧なのだ。

生活の匂いが漂っていた。
この家の住人がラジオから聞こえる音を、
気遣いイヤーフォンを耳にあてがって、
読書をしていた。


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質素な家の作りとは対照的に、
重厚な茶箪笥が応接間の中央に、
置いてあった。

置時計や効果に思える宝石箱なども
置いてあったが触る事はしなかった。


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応接セットも実に質素な感じだったが、
このような暑苦しい国にクーラーも無かった。

色々と勉強していたのだろうか?
それとも観光用のセットなのだろうか?
などとも思いながら見ていた。


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壁に綺麗なピンクのドレスが掛けてあった。
このようなドレスを一体どんな時に誰が、
着るのだろうかなと聞いたが分からなかった。

その右側には細い番手のアクリルの糸で、
編んだカーディガンが掛けてあった。
イブニングドレスとカーディガンの
アンバランスさにも興味が湧いた。


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「マラッカ/最古の仏教寺院」


マレーシア最古の仏教寺院。
開基は1646年で、本堂の完成は1704年。

当時の姿をそのまま残す本堂の、
建築資材はすべて中国本土から、
運ばれたものだという。


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建築発願は明朝遺臣の李為経によるもので、
内陣に彼の肖像が掲げられている。

明朝は満州族に滅ぼされ、
李はマラッカに逃れここに明国再興を、
祈願した。本尊は観世音菩薩です。


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その明朝遺臣の李為経の肖像だそうだ。
相当古ぼけた様相であった。

前には菊の花だろうか?
供えられていた。


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16世紀から、マラッカは相前後して、
ポルトガル・オランダとイギリスの、
植民地になっていた。

1957年に至って、マレーシアはイギリスから、
独立を宣言する。


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16世紀後で、ポルトガルやオランダまた、
イギリスなどの海洋の国家は次から次へと、
アジアに遠征して、植民地にしていった。

マラッカは大量のポルトガル、オランダと
イギリスの植民地統治の時期の遺跡を保留した。


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マラッカ港の山の中腹の上で、
オランダ人の残した赤い屋根の家。
それが鄭和の記念館である。

館内は鄭和の肖像画、ミニ石像などを設置。
船艦、陶磁器の食器、古書などの文化財が、
沢山保存してある。


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宝山亭の赤い門を撮ろうと、5分ほど辛抱強く、
待ったが、この女性は頑として動かなかった。

痺れを切らせた中国人が私を呼びに来た。
「皆さんは、大分待ってますよ!」
私は、仕方なく彼女も、まるごと撮ったつもりが、
更に外の女性までが入ってしまった。


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「マラッカ/オランダ広場」


クアラ・ルンプルから南へ90Kmで、
マラッカ海峡が見えるマラッカへ着く。

観光バスで約2時間半位の道程である。
いきなりの画像は、オランダ広場で、
お客を待っているタクシーである。


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実に鮮やかな花でタクシーを、
飾り着けている。初めは何だ?と、
異様な光景だったが、
慣れれば可愛らしく綺麗である。

この車を操作しているのが、
地元のおじさん達だから、
何とも情緒豊かである。


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1650年に建てられた
東南アジア最古の
オランダ建築スタダイス

そのオランダ広場の前に綺麗な花
私はこの花の名前を知らない。

そして、無理にお願いして花の名前を、
書いて頂きました。

「黄色がマリーゴールド」
「赤がケイトウの花」


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ふと皆の「キャー!」と言う、
叫び声の方へ行くと大きな、
ニシキヘビを首に掛けた叔父さん!

思わず反射神経でシャッターを押した。
叔父さんも反射神経で、こちらを
指差し、写真は罰金ですよ・・!


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オランダ広場中央の噴水画像。
噴水の中央の一番上までは、
撮れなかった。

噴水の水の勢いが弱かったので、
池の中の様子が、良く見える。


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噴水の中を良く見ると、
コインが一杯入っていた。

これってオランダ広場だろう?
何となくイタリアローマの、
トレビの泉のミニチュア版って感じ。


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マラッカはマレーシア最古の街で、
東西交易の要衝として最初に、
発達した町である。

古い街とは言いながら、
中々色鮮やかな町並みみ心引かれた。

画像は、オランダ広場のキリスト教会。


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「マラッカ/歴史博物館」


このオランダ広場の建物は1641年に、
建てられたオランダ総督の住居で、
現在は「マラッカ歴史博物館」である。

博物館には、マレー王国の時代から、
ポルトガル、オランダの植民地時代、
英国占領時代、日本軍の進駐時代の、
歴史が展示されていた。


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画像は、オランダ広場のキリスト教会。

ピンク色の壁に映える純白の十字架が、
印象に残った。また高さ30mの教会の、
組み合わせにも釘を一本も使ってないと、
現地ガイドは話してくれた。


この協会に向かって右側に歩いていくと、
「スタダイス」と呼ばれる建物がある。


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その博物館に入っていくと、
まず植民地として入って来た国の、
国旗が掲げられていた。

その中に掲げられている国旗を、
良く見て行くと日本の国旗も、
掲げられていた。

日本がマレーシアを侵攻したのだから、
当たり前といえばそれまでだが、
中国人から、あなたの国の国旗と、
言われる度に、苦笑いを浮かべていた。


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そしてマレーシアの独立の戦い、
独立に至るマラッカの歴史が、
豊富に展示物として紹介されていた。

オランダ広場の時計塔と噴水は、
英ビクトリア女王に捧げるために、
1904年に作られたもので、
記念撮影の定番スポットだ。


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オランダ広場からキリスト教会の、
前の道を通り、小高い丘へ登る途中で、
振り返りざま撮影した教会の後姿。

この教会は、オランダ建築の代表例で、
木造のプロテスタント教会。
1753年に完成した。


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