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Dog photography and Essay
保和殿で科挙試験
保和殿で科挙の最終試験
北京市内のホテルに旅行社が入り「一日周遊」の、
「故宮」に参加した。昨日は「万里の長城と明の十三陵」で、
アメリカ・イギリス人ばかりだったが、今日は中国人が、
15人ほどおり安心した。なぜならば中国語が使えるからだった。
「故宮」の事を「紫禁城」と呼び「紫」とは、
紫微垣に由来し、中国の天文学では、
太微垣・紫微垣・天市垣に分け、その中央の紫微垣である。
ではなぜ「紫禁」というかは、天「紫微」の支配を指し、
宮殿は一般市民には「禁」であり、
「禁断の皇宮」で「紫禁城」と呼ぶ。
今回は正面の午門から入らず、東華門から入った。
11年前に来て以来、故宮は3回目になるが古くなった感じがした。
明の永楽帝(1403~1424)は南京に3年住んだ後、
1406年北京に遷都し、故宮を14年の歳月をかけて完成させた。
明(1406~1662)清朝(1616~1911)の505年の間、
皇帝の居城となり、ラストエンペラーでも有名な、
溥儀(ふぎ)まで30人が紫禁城に住んだ。
画像は東華門から入り内金水橋越しに午門を撮ったものである。
故宮に入る方法は幾つもあるが、
一般には天安門から入り午門を抜ける方法が多い。
私は故宮の裏山の景山公園から入った事があるが、
初めて故宮(紫禁城)に行く人は、
正門から入り日本語のカセット案内を聞きながら、
そのガイドのカセットの声に従って見ていくのも良いかも知れない。
紫禁城の午門の前に立つ事があったら、
午門の三つの入口の真ん中に立ってみよう。
ラストエンペラーで溥儀が自転車に乗って止められた入口である。
その真ん中の入口から真っ直ぐ太和門の方へ歩いていくと、
「内金水橋」の真ん中の橋を通る事になる。
五本ある「内金水橋」の真ん中の橋は皇帝しか通る事が出来なかった。
他の貴族などはこの真ん中の橋を通る事は許されてなかった。
画像は「内金水橋」から「太和門」を望んだ。
太和門の両脇に貞度門と昭徳門が並んで建っており、
明の時代には奉天門と呼ばれ、この奉天門は4度の、
火災に遭ったが溥儀の前の皇帝の光緒帝によって再建され、
宮殿建築の木造門としては中国最大である。
上の画像は内金水橋の真ん中の橋の上に、
乗っている観光客を撮ったものである。
画像の後の建物は熙和門で午門を入って左側にある。
午門から故宮の中に入り「内金水橋」を渡り、
太和門を通り抜けると「太和殿」が見えてくる。
私は振り返り「太和門」を画像に収めた。
そしてその「太和門」に上がり「太和殿」と、
その前に集まる観光客を画像に収めた。
太和殿はこの故宮(紫禁城)の中心であり殿内は、
72本の楠の大支柱に支えられる。
11年前、故宮(紫禁城)を訪れた折に見た、
「龍の彫刻」はもっと綺麗であったのに、
何となく大袈裟に言えば風化したような感じに見えた。
以前見た龍の彫刻の肌はきめ細やかで威圧感があったが、
今はざらざらした感じであった。
太和門の石段や太和殿の石段の中央に作られた龍の、
荘厳な彫刻であったが残念。
太和門と太和殿の広場で観光客を相手に、
写真撮影している人達の現場写真を撮った。
太和殿か太和門をバックにして記念撮影をして、
生計を立てている会社である。
団体写真も撮影して旅行者に提供していた。
カメラは何を使っているのだろうかと近寄ってカメラを撮影した。
ニコンカメラに28ミリ広角レンズと東芝のフラッシュだった。
太和殿では明の永楽帝から清の宣統帝(愛新覚羅溥儀)までの、
30人の皇帝が即位の儀が行われ、
皇后の冊立もこの太和殿にて行われてきた。
ラストエンペラーでもこの太和殿で、
西太后から皇帝に指名された3歳の溥儀が、
父親である摂政王に抱かれ、太和殿の玉座に座らされて、
即位の儀をしているシーンが有名。
太和殿は故宮の中心の建物で、
この太和殿で朝廷を開いていた。
そしてこの建物の中に皇帝が座る王座があるが、
画像に収めたものの中が暗く上手く画像に収めきれなかった。
この太和殿での人気は多く旅行社の皆さん画像に収めた。
太和殿の石段の両脇に置いてある「焼香の鉄の器」
これって何と呼ぶのでしょうか?
禅宗の寺や儒教の寺の前に必ず置いてあります。
ここ紫禁城にも置いてあります。
これは香をこの中に入れて焚くと思います。
いろんな形の物がありますが、いつもこの画像や、
寺の前の背の高い焼香の器の紹介の時、
何と呼んでいいのか困ってしまいます。
このような焼香の大きな器を何て呼ぶのでしょうか?
上の「焼香の鉄の器」と書いて、でも何と呼ぶのだろう?と、
更新したところ、ネット友人の「さなちゃん」より、
「寺院のお堂の前に、大きな香炉が安置され、
参詣の人の多くは、線香を立てたりして、もうもうと立ち込める香煙に、
手で頭、肩、身体にふりかけると、香が悪気を払い、
病を癒し、清める事を願い、庶民の風習の一つです。」と、
ネット検索してコメントして下さいました。
そして「香を聞く日本文化を知ろう」ページを見ました。
更には「天安門と故宮」へ行き「巨大な香炉」が分かりました。
事務のお仕事中に、お手を煩わせご迷惑をおかけ致しました。
故宮のポスターが貼ってあったので画像に収めた。
夕陽に浮かび上がる紫禁城の乾清宮。
見る人の心理状態ではどのようにでも変化しそうな写真ですね。
このポスターを見て私が感じた事は、
「夕陽に浮かんだ屋根の動物達よ、そんなに悲しまないで、
陽はまた昇りあなた達を照らし、そしていつまでも思い出に残る感動を、
皆さんへ残しておくれ。だから悲しまないでそっとお休み」
上の画像は別のツアーのガイドさんだが、右へ左へ忙しい。
時には写真を撮ってあげ、そして私のような
「何処へ行くか分からない観光客」がいると、
本当に疲れてしまうのでは・・。
太和殿の前の4箇所にこの大きな香炉が置いてあった。
その取っ手を画像に収めたが、実際に画像を更新して見ると、
もう少し離れて撮影した方が良かったかなと思ったが、
この取っ手を銜えているのはどんな動物なのでしょうか?龍?
太和殿の石段の中央に彫刻された龍を画像に収めた。
この龍が彫られたのは一枚岩で北京郊外の房山から運ばれた。
この画像は小さい彫刻であり、紫禁城で一番大きい龍が、
彫られた岩の更新は、まだ後になる。
では紫禁城にある全ての大きな岩をどうやって、
55キロの道を運んできたのか?
その運ばれたのは冬の季節で冬の道に打水をし、
凍りついた道を総勢1万5千人の人手で約1ヶ月かけて、
運ばれて来たという事であるが、
55キロの道のりで1キロ運ぶのも大変。
中和殿は太和殿と保和殿の間に立つ正方形の宮殿である。
1420年創建された。太和殿で行われる式典の前、
皇帝はここで休憩し役人の朝拝を受けた後、太和殿に赴いた。
天壇、先農壇などの祭祀の際にはこの場所で閲見した。
太和殿の奥にある中和殿である、
また保和殿から見ると手前にあるのが中和殿で、
明の三代皇帝永楽帝が創建した。
上の画像は中和殿の中で皇帝が休憩する時に座った椅子である。
上の画像から想像できると思うが、中は薄く暗く、
人も押し合い圧し合いで、カメラの振動で、
4枚撮った中の一枚の画像である。
中和殿の横を通り抜ける時、一瞬のチャンスがあり撮影した画像。
この女性は中国の女性で画像に収めてより、
「貴女の後側ウエストの刺青は本物ですか?」と、
彼女は「本物ですよ」と答えてくれた。
今中国の若者の間でこの刺青が流行っている。
職業柄パンツのベルト通しの付け位置が、
左右で1センチ違う事に気付いた。
Low-Waistの場合、特にこのベルト通しの付け位置が悪いと、
品質基準を満たさないのである。
その後私は中和殿の裏へ回り中和殿の上から保和殿を撮影。
保和殿では、清代に入って大晦日の除夜と、
中秋節(旧8月15日)に蒙古や新疆の王との宴会を行った。
当時、残り物は給仕の宦官(去勢された男)たちが、
頂いても良いという慣わしで故宮に仕える男は、
去勢しないと仕えれなかった。
また官史採用の試験「科挙」の最後の試験、
「殿史」もここで行われた。科挙は1300年続いた。
科挙に合格するには、物心つく前から四書五経を始め膨大な、
儒教文献を暗記しなければならない。
さらに、童試・郷試・会試・殿試の4大難関に挑戦し、
その最後の殿試の科挙試験をこの保和殿で行った。
清の乾隆帝では皇帝自らが高官に任命。
保和殿で科挙の最終試験が行われた。
その科挙に合格するための競争は、子供の頃から始まっている。
裕福な家では、子供に論語・四書・五経を覚え込ませた。
科挙を受ける最低条件は国立学校の生徒である事と、
その学校に入るための試験に合格せねばならなかった。
その学校試は、3年に2回行われた。
保和殿から紫禁城の中で一番長い彫刻石越しに乾清門を撮影した。
撮影している時に、2人の公安(警察官)が上がって来て、
そのうちに4人になった。
一番年配の人が何か指示しているようであったが、
その後から急いでシャッターを切った。
案の定「あなた誰ですか」と職務質問を受けた。
私は尽かさず「カメラマン」と言って笑うしかなかった。
保和殿から下に下りて、紫禁城で一番長い一枚岩を画像に収めた。
この大きな岩をどうやって55キロの道を運んできたのか?
その運ばれたのは冬季で道に打水をし、
凍りついた道を総勢1万5千人の人手で、
約1ヶ月かけて運ばれて来たという事である。
運んできてより彫ったのか?運ぶ前に彫ったのかは定かでない。
紫禁城の保和殿の乾清門側より故宮で、
一番長い岩の両側の石段を左右に分け画像に収めた。
午門、紫禁城内の太和殿、中和殿、保和殿と進んできたが、
このように大きな石造物は何処にもなかった。
皇帝は大石雕と呼ぶこの龍の上を両脇の石段から、
持ち上げた輿(こし)に乗って通ったと伝えられている。
保和殿の大石雕の上の門の前に立って乾清門を撮ったのが、
公安(警察官)が写った画像である。
この場所に上ろうという人は少ないようである。
なぜならば下からの大石雕の雄姿が余りにも素敵で感動するからです。
しかし画像を収めようとするものは、
どの角度からでも想像を描いてちょっとした隙間からでも、
何とか画像に出来ないかと必死になる。
この姿は実に滑稽であろうと思う。
「中国写真ライフ」へ戻る。
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