Dog photography and Essay

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華清宮-楊貴妃2


「花の命は短くて--楊貴妃7」

「上海発!写真の更新!」では、
西安華清宮の写真を公開しています。

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中国四大美人の3人目はモンゴルの遊牧民族の王昭君。
王昭君は北アジアモンゴル地方で紀元前1世紀頃に生まれ、
匈奴の君主より妃になる女性を差し出せと命じたため、
王昭君を選び出し、匈奴の君主である呼韓邪の妻になる。

その後、王昭君は男子を身篭り出産した。
だが王昭君の夫の呼韓邪(こかんや)は、戦いに破れ、
王昭君を残し、自殺してしまった。

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残された王昭君は匈奴の習慣に習って、
義理の息子の妻になって二女を儲けることになる。
だが、漢族は父の妻を息子が娶ることを実母との近親、
相姦にあたる不道徳と見なす道徳文化を持つため、
このことが王昭君の悲劇とされ、物語りは伝承されてきた。

このように四大美女を紐解くと悲劇のヒロインという事が、
分かって来ると同時に時代をも滅ぼす妖艶さがあった。つづく

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「花の命は短くて--楊貴妃8」

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中国四大美女の4人目が楊貴妃である。
玄宗皇帝の息子の嫁だった楊貴妃を寵愛し過ぎたために8年以上、
続いた安史の乱を引き起こし、楊貴妃は傾国の美女と呼ばれる。

玄宗皇帝は家臣より、安史の乱により滅亡の一途を辿ったのは、
楊貴妃の妖艶さに惑わされたためとし楊貴妃の殺害を要求した。

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玄宗皇帝は楊貴妃をかばいつづけたが、
しかし、家臣の強い要求により玄宗皇帝も、かばいきれなくなり、
楊貴妃は家臣の手で絞首刑に処せられたとある。

だが、物の本を読んでみると楊貴妃は絞首刑の半ばに、
救出され山口県まで逃れてきたとあり、更には長門市に、
難を逃れて日本に着き間もなく楊貴妃は他界し墓もあるという。
1300年以上前の出来事で何が真実かは分かりかねる。つづく

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「花の命は短くて--楊貴妃9」

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西安から東に30キロ離れた驪山の麓に華清宮がある。
華清宮は玄宗皇帝と楊貴妃とのラブロマンスの舞台である。

華清宮を入り左へ折れ、神女亭を通り抜けて行くと、
緑に囲まれた一角に黒塗りの石碑が見えて来た。

その石碑には、臨書で「中国の華 楊貴妃」と書かれ、
傍らには、「日本○寿 種谷扇舟」と認めてあった。
私は「日本○寿」と書かれた「○寿」の文字が気になっていた。

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しかし、その意味が分かると何となく気が抜けた感じがした。
「○寿」とは「傘寿(さんじゅ)」の略で「○寿」だった。

傘寿とは80歳の事であり、種谷扇舟さんが80歳の時に、
楊貴妃を偲んで建てた石碑だった。ちなみに、
古稀(こき)は70歳の祝いで、喜寿(きじゅ)は77歳、
米寿(べいじゅ)は88歳、卒寿(そつじゅ)は90歳。
白寿(はくじゅ)は99歳、百賀(ひゃくが)は百歳の祝い。

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「花の命は短くて--楊貴妃10」

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当時日本書道連盟楊顧問だった種谷さんが、
1914年生まれで、その種谷さんが80歳と言う事は1994年に、
造られた石碑と言うことが理解できる。

1994年という年は私にとっても意義ある年である。
この年の8月に中国の居住証を取得した記念すべき年号だ。

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石碑の左端に書かれた曲阜の文字にも興味を持った。
曲阜は世界遺産としても知られており、
山東省済寧市に位置し、省都・済南からは約130kmに位置する。

曲阜は中国政府の歴史都市の称号が真先にあたえられた。
また曲阜は孔子の故郷としても知られている。

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「花の命は短くて--楊貴妃11」

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一人で始めて来た観光地を見て回る場合に、
ガイドを付けず一人だけではどうしても無駄が多くなる。
しかし、団体ツアーでは経験できないことも多い。

特にカメラを持ち、撮影目的のための旅行では、
わけが分からないものを撮影している反面、
レンズ交換の時間もたっぷり取れるのが利点だ。
団体ツアーの場合には、レンズ交換などしている間に、
皆がどこかへ行ってしまって、探すのに気を取られる。

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誰でもが経験をし、またその経験を次の旅行に、
生かせないまま、何度も同じ無駄を繰り返している場合も多い。
だが、ツアーの場合の撮影には、気に入ったシーンを、
撮影しようと思っても、気に入ったショットなど出来ない。

写真撮影をして、旅行より帰って、写真を整理する段階で、
混乱してしまう場合が多くなる。本来なら撮影メモを残し、
あとで編集する場合に使用すると問題も少ない。

このようなメモを取ることも習慣になればと思う。
写真は間もなく玄宗皇帝の蓮花湯へ向かう所である。
蓮花湯の湯船と楊貴妃の湯殿が分かれている。つづく

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「花の命は短くて--楊貴妃12」

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華清宮華清池の驪山(りざん)温泉である。
この温泉は唐の時代に玄宗皇帝と楊貴妃が、
温泉入浴したことで有名であるが、この唐代の、
女官や重臣たちが入浴した星辰湯の浴場もある。

この温泉では玄宗皇帝が入浴した蓮花湯と、
楊貴妃が入浴した海棠湯に分かれていた。
写真は夕佳楼の入り口で左側に、
驪山(りざん)温泉の説明石碑を撮影した。

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りざん(驪山)を更に調べてみたところ、
中国、陝西省西安の東にある山で、海抜620メートル。
麓に温泉があり、古く唐の玄宗が楊貴妃のために、
離宮を建て華清宮と称したとの説明が出た。

今、中国でもサウナブームであり日本の健康ランド風で、
高い所では、日本より入泉料が高い。
そのようなサウナではマッサージ料まで高い。
私が偶に行くサウナは驚くほど安い料金で入れる。
貧乏性が身に付いて私には身分相応だろう。

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