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Dog photography and Essay
洛陽・龍門石窟の旅1
「一体中国のどの辺りなのか」
「中国写真ライフ」では、
河南省の洛陽・龍門石窟の写真を公開しています。
河南省と聞いても一体中国のどのあたりなのか、
分からないことと思うので説明したい。
北側に河北省、東北側に山東省、東南方向に安徽省、
北西側に山西省、西側に陝西省、南側には、
湖北省と隣接している。
河南省の大部分が黄河の南方向にあるため、
黄河の河と黄河の南側とで河南と称されたが、河北省の、
名前の付け方も、黄河の北側だけで付けたのかなどと思う。
人口はというと、四川省とほぼ同じで約1億人。
四川省と河北省の人口だけで日本の人口をはるかに凌ぐ。
「得意になって話してくれた」
「中国写真ライフ」では、
河南省の洛陽・龍門石窟の写真を公開しています。
河南省には鄭州市、開封市、洛陽市など合計17市ある。
今回 その中の洛陽市と開封市へ何故行ったのかは、
私のいつも行く目の不自由なマッサージ師の故郷が、
洛陽市だったという単純なことから行った。
マッサージをしてもらう度に洛陽の話を、
聞いており、竜門石窟の話は得意になって話してくれた。
だが、目の不自由な人がどうやって広がる光景を、
あたかも見たように言ったのか謎だったが、小学5年生頃から、
段々と目が見えなくなり、それまでは見えていたと事だった。
洛陽に行く為のもう一つの目的の為と旅に出たが、
それは只の言い訳だったのかも知れない。
「娘と妻に届けるもの」
「中国写真ライフ」では、
河南省の洛陽・龍門石窟の写真を公開しています。
今回、湖南省洛陽や開封へ来たのは、もう一つ理由があった。
いつも私を送り迎いをしてくれている運転手の故郷が、
湖南省洛陽であり、奥さんに届け物をするためだった。
届け物は、かさ張るものではなかったが、運転手の
6歳になる娘と妻に届けるもので、運転手が一生懸命働き、
貯めた4000元(60000円)の金を届けるために行った。
だが、私が洛陽へ旅に出ると言ったのが事の発端だった。
「鋭いもので削ぎ取られていた」
「中国写真ライフ」では、
河南省の洛陽・龍門石窟の写真を公開しています。
以前訪れた敦煌の莫高窟での石窟では洞窟の中に、
掘られていた石窟の中には、盗難に遭った仏像もあり、
残念な事であるとガイドの女性も悲しんでいた。
今回来た龍門石窟の仏像は、ほとんどが首や手が、
鋭い刃物で削ぎ取られていた。
私は他の中国人団体のガイドの説明を聞いた所、
文化大革命の頃に紅衛兵を筆頭に押し掛け、
削ぎ取って行ったという事だが俄かには信じられない。
「太陽の光で明るかった」
「中国写真ライフ」では、
河南省の洛陽・龍門石窟の写真を公開しています。
敦煌の石窟では、盗難に遭うため、
また石窟の盗難を防ぐため石窟の入り口に、
頑丈な鉄の扉を取り付け、二重の鍵が取り付けられていた。
だが、洛陽の龍門石窟では、一切囲いも鍵もなく、
それにより盗難や傷つけられる可能性は高いが、
敦煌の石窟に比べ、洛陽の石窟は太陽に照らされ明るかった。
「歴代の王朝によって」
「中国写真ライフ」では、
河南省の洛陽・龍門石窟の写真を公開しています。
洛陽の龍門石窟へは、洛陽駅からバスで45分ほどかかる。
龍門石窟バス停を降りて、標識の通り歩いて15分ほど、
黄河の支流に面した岩壁に沿って造られており、
大小の石窟群に1万体の石仏があるのかと思ったら、
10万体以上あると言われ驚いた。
現在2500もの石窟があり、今から約1500年前に北魏が、
大同から洛陽に都を移した頃から龍門造営が始まった。
隋、唐などを経て宋に至る歴代の王朝によって、
掘り続けて来られたが、その苦労して彫った仏像に頭はない。
「手を合わせている事を願う」
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河南省の洛陽・龍門石窟の写真を公開しています。
中国の文化大革命ではチベットも大打撃を受けた。
10日間に渡り紅衛兵は、チベット寺院内聖堂を破壊し、
全ての仏像はもとより、聖典なども破壊された。
戦前の話ではなく、1966年から10年間に起こった事である。
洛陽龍門石窟の仏像を200人の学生が襲ったと聞いたが、
紅衛兵の皆が、石材用のノミを持って破壊に来たのか。
その頃の紅衛兵は今、55歳から60歳ほどの年齢である。
今は、仏像の前で手を合わせている事を願わざるを得ない。
「岩肌2キロにわたり石窟」
「中国写真ライフ」では、
河南省の洛陽・龍門石窟の写真を公開しています。
洛陽の龍門石窟は中国三大石窟の一つであり、
敦煌の石窟、大同の石窟と、この洛陽の石窟である。
元々大同の石窟と敦煌の石窟の二つであったが、
北魏から洛陽へ都を移した494年ごろから石窟が始まる。
北魏から唐代末までの約400年にわたり石窟での、
石仏彫りが続けられたものの動員された人たちも、
この道のプロしか使えないだろうし、相当な人力とも、
伺え、先祖何代にもわたり石仏彫りを続けて来た。
石窟は龍門山の岩盤の山肌を2キロにわたり、彫られている。
「石窟に費やされた歳月」
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洛陽から13キロ離れた所に龍門石窟がある。
龍門山岩肌に彫られた石窟に費やされた歳月や、
係わった人々の苦労は、ひとしおだっただろうと想う。
493年ごろ、大同の雲崗石窟造りを引き継ぐ形で、
洛陽の龍門山岩肌に龍門石窟が彫られていった、
その年月は400年にわたって彫り続けられ、
長さは1キロの間に2000を超える石窟がある。
「美意識が少しずつ変化」
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日本へ仏教が伝来したのは6世紀の欽明天皇のころ。
朝鮮半島の百済の使者が欽明天皇に金銅の、
釈迦如来像や経典、仏具などを献上。
飛鳥の時代より仏教は広まったが、日本には、
石窟という文化はないのではないだろうか。
飛鳥時代より仏教彫刻はあったが、鎌倉時代後期には、
衰退し出しており、その点については、中国の仏教彫刻の、
歴史の方が早く衰退している。中国では唐代以後の、
石窟塑像から、美意識が少しずつ変化し豊満で
壮健、落ち着いている感じを美としていた。
「仏教はいつ頃から衰退したのか」
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中国の哲学と言えば、儒教がまず浮かぶだろう。
儒教は紀元前700年以上前から存在する。
孔子は紀元前500年前後に更に不動のものにした。
道教は紀元前5世紀ごろと言われているが、
実際のところ起源は不明とのことである。
だが、紀元前5世紀ごろに老子が活躍しており、
その後、紀元前3世紀ごろに道教を体系化している。
仏教が中国へ伝来したのは、1世紀になってからで、
中国では、すでに儒教や道教が広まっている中で伝来。
しかし、10世紀ごろに仏教は衰退し始めた。
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