Dog photography and Essay

Dog photography and Essay

上海酔白池2


「ノートPCが壊れた1」

「中国写真ライフ」では、
上海「酔白池公園」の写真を公開しています。

1.jpg

ノートパソコンが壊れたのは、今回で4台目である。
すべてが中国での出来事であるが、不注意から起こった。
1台目は、12年前の事で、太陽が燦々と照りつける朝、
急な3日間の出張で、手荷物も多くなり、パソコンは、
出張先にあるとのことで部屋に置いていった。

2.jpg

天気予報では、快晴が続くはずであったが、出張先に、
着いて2日経った夕方から夕立に見舞われた。
私は、部屋の窓を閉めてきたかどうか思い出せず、
3日間の出張を終え、6時間掛け車を走らせて、
夜中、住まいに辿り着いたが、そのまま疲れ寝てしまった。
写真は、上海から1時間半ほどにある酔白池である。つづく

3.jpg



「ノートPCが壊れた2」

「中国写真ライフ」では、
上海「酔白池公園」の写真を公開しています。

4.jpg

3日間の出張を終え、6時間掛け車を走らせて、
夜中、住まいに辿り着いたが、そのまま疲れ寝てしまった。
早朝4時ごろ目がさめ、バッグごと置いてある窓際まで、
見に行ったが、まだ日の出前で辺りは真っ暗だった。
急ぎ電気をつけ見てみると、雨で絨毯が乾かず、
その境目が良く分かった。そ~っと忍び足で歩いた。

5.jpg

それでも、スリッパを超えて水が靴下に冷たい水の感覚が、
伝わって来るのが分かった。バッグを取り上げると、
雨水で濡れたバッグ全体は重たく感じた。
おまけに、私が出張に出た4日前は、慌てており、
バッグのファスナーをも閉めずに窓際に置いただけだった。
中に手を入れてみると、雨水の湿気とバッグの底には、
まだ水が溜まっており、急ぎパソコンを取り出した。

6.jpg

開けてみるとキーボードには水滴が沢山ついており、
今、電源を入れては完全にショートして使えなくなると、
まず、ドライヤーで乾かすが、中に染み込んだ雨水は乾かない。
仕方なくデスクトップの電源を入れ、メールの確認をするが、
メールの内容は、出張先のPCで確認返信をしていたので、
また一眠りする事にし、ベットへ潜り込んだ。
写真は、酔白池公園前の獅子像。つづく

7.jpg





「ノートPCが壊れた3」

「中国写真ライフ」では、
上海「酔白池公園」の写真を公開しています。

8.jpg

デスクトップの電源を入れたが、メールは出張先のPCで、
返信処理していたので、また一眠りする事にした。
一眠りするはずが、一気に2時間半が過ぎており、
ベッドから飛び起きた私は、軽い食事をして、
迎えに来ている車に飛び乗り事務所へ向かった。

9.jpg

仕事をしている最中も、水に濡れたノートパソコンが、
脳裏をかすめては消え去った。この時代のバックアップは、
今のような外付けハードディスクは高価で手に入らず、
もっぱらフロッピーディスクにコピーするくらいであった。
この1年後からCD-Rを購入する事になったが、写真の、
JPG画像はデータ容量が大き過ぎて、沢山のデータを、
コピーする事はできなかった。つづく

10.jpg




「ノートPCが壊れた4」

「中国写真ライフ」では、
上海「酔白池公園」の写真を公開しています。

11.jpg

1998年当時のノートパソコン事情は、現在のようには、
普及しておらず、ノートパソコンの値段も安くて35万位だった。
おまけに、メモリーは256MBだったように覚えている。
今、35万出せば、メモリは8GBはあり、書き込み可能な、
DVDはもちろんのこと、HDDだって500GBはあるだろう。
だが、その当時は、フロッピーディスクに文書ファイルを、
書き込む位で、今考えると大分原始的なノートPCだった。

12.jpg

そのような高額なパソコンを雨水に浸けたようにしてしまった。
ベランダの風通しの良い所へ陰干しにし、帰宅してから、
2時間ほどドライヤーで乾かしてより、思い切って電源を入れた。
一瞬ランプが点いたが「パチパチ」って言うような小さな音の後、
パソコンは何も反応しなくなってしまった。この時は既に、
中国に居り、まだまだノートパソコンは出回ってはおらず、
それより、1年間ほどは中国のデスクトップで過ごした。つづく

13.jpg





「ノートパソコンが壊れた5」

「中国写真ライフ」では、
上海「酔白池公園」の写真を公開しています。

14.jpg

ノートパソコンが完全に乾ききる前に電流を通せば、
ショートして再生不能になる事は予感していた事でもあった。
壊れてより1年間ほどは中国のデスクトップで過ごしたが、
日本とのメールのやり取りで、文字化けが発生するくらいで、
そのほかは、外で使えない事意外は、不便さは感じなかった。
お陰でこの時期に中国語を打つスピードが一気に増した。

15.jpg

日本へ一時帰国した折に、新しいノートパソコンを購入した。
壊れたノートパソコン購入時点より、3年経っていた所為もあり、
パソコンの性能は、目覚しく発展している事に驚いた。
1台目がNEC、2台目がSony VAIOを買ってハンドキャリーした。
それまでは、デスクトップだったので外へ持ち出せなかったが、
新しいノートパソコンは、どこへでも持ち出し重宝した。
だが、使い出して3ヶ月ほど経ったある日、壊れてしまった。
その時の話は、次回話をしたい。つづく

16.jpg





「ノートパソコンが壊れた6」

「中国写真ライフ」では、
上海「酔白池公園」の写真を公開しています。

17.jpg

新しく購入したノートパソコンは、その当時中国では、
まだ珍しいSONY VAIOで、どこへでも持ち出し重宝した。
出張には必ずと言って良いほど持って出かけた。
ホテルでは、今のような光ファイバーのような設備もなく、
どこのホテルも電話回線しか使用できず、使用料も、
一晩で500元(7500円)を超える事もしばしばであった。

18.jpg

ある日の事、ホテルのデスクの上に置いてあったノート型、
パソコンを部屋の掃除に来た若い女性従業員が、
ベッド近くから延長コードで接続していたが、足で、
引っ掛けて床に落としてしまったから大変・・。
今回買ったパソコンは薄くB5型で軽かったので、
落ちて行くパソコンを見たときは、スローモーションでも、
見ているかのような、ゆっくりとしたスピードに見えた。
私がトイレから出て来た直後の事柄であった。つづく

19.jpg





「ノートパソコンが壊れた7」

「中国写真ライフ」では、
上海「酔白池公園」の写真を公開しています。

20.jpg

ホテルの若い女性客室係の足に引っかかったパソコンコードは、
そのまま、軽量コンパクトなパソコンと共に部屋の床に落ちた。
私がトイレから出て来た直後の出来事であり、声を上げるのが、
やっとという感じだった。その時はパソコンが壊れたなど、
思いもよらず、かわいい女性従業員が、私に謝るのを、
長いコードをピンと張っている方が悪いので、心配しなくても、
いいよなどと言ってみせたものの、客室係が再度頭を下げ、
部屋を出て行ってより、慌ててパソコン液晶モニターを見た。

21.jpg

液晶モニターは真っ黒になっており、初めスクリーンセーバーと、
思いながら、キーボードを叩いたりしていたが、電源が落ちたと、
想い、再度電源を入れ直したものの、何一つ電子音がしない。
私が、トイレに入ったとき、客室係は部屋に入っており、
片づけ出したところだったが、電源は入っておりハードディスクは、
当然回っていた。そこへ机からコンクリートの上に絨毯を張った床に、
落下したので、今回もハードディスクが、壊れたと思った。

こんな時は、ため息しか出ない。なぜか、客室係への恨みはなかった。
現に、後からホテルを出るとき、客室係とエレベーターの所で、
すれ違いざま、パソコン大丈夫でしたの声に、大丈夫ですから、
心配しなくとも良いですよと話していた。つづく

22.jpg





「ノートパソコンが壊れた8」

「中国写真ライフ」では、
上海「酔白池公園」の写真を公開しています。

26.jpg

3ヶ月足らずで2代目のノートパソコンのHDDが壊れた。
バッグにPCを入れ、ホテルを出るとき、コードを、
足で引っ掛けた客室係とエレベーターの所で、
すれ違いざま、「パソコンは大丈夫でした」の声に、
大丈夫ですからと、心にもない事を言った。

私は出張に来ていた広東省広州市のホテルを出て、
パソコンを扱うショップへと向かい、修理依頼をした。
だが、この時代の中国へは発売されたばかりの、
小型薄型ノートパソコンの流通はなかった。

27.jpg

日本のメーカーに中国から頼んで修理してもらってもよいが、
新しく購入した方が、安い可能性もあると言われ、ホテルへ、
帰ってからも散々考えたが、急ぎ帰国しても会社の経費で、
帰国は出来なく、身銭を切ってまで帰国するのもと思った。

と言うのも、この2ヶ月前に島根の義父の通夜に間に合わせるため、
急ぎ東京経由で帰国し、東京から出雲空港へと大分出費が、
嵩んだため、考えに考えた。最終、夕方またパソコンショップを訪れ、
中国のノートPCを購入したが、馬鹿デカかった。上海へ戻った私は、
友人から、日本語版「Windows95」をインストールした。
この当時のOSは「Windows98」が主流だった。つづく

28.jpg





「ノートパソコンが壊れた9」

「中国写真ライフ」では、
上海「酔白池公園」の写真を公開しています。

29.jpg

中国版のwindows98とは別に、友人から借りたOSの、
日本語版「Windows95」をインストールした。
この当時のOSは「Windows98」が主流であった。
中国語はWindows98で日本語はWindows95という奇妙な、
設定をし、次に帰国する4ヶ月間を過ごした。

その間に、Yahooでgeoitiesのホームページの開設をした。
その後、約11年間過ぎた2010年3月にyahooIDを削除しようと、
間違ってメインIDまで削除をしてしまうことになった。

30.jpg

YahooIDにしろ、他のIDにしても、削除するときは、必ず、
本当に削除してもよいかの確認画面が出て警告を促す。
しかし、今回の誤削除では、何の警告も出なかった。
その翌日、YahooはID削除が現在出来ないとお知らせが出た。

私は、自分自身の誤動作により語削除してしまったが、
あと1日早く、ID削除が出来ないエラーが出ていたらと、
やはり、悔やまずにはおれなかったが仕方のないことである。
今、別のyahooIDで全く同じホームページを更新していた事を、
思い出し、昨夜よりアドレスの書き換えを始めだした。つづく

31.jpg




「ノートパソコンが壊れた10」

「中国写真ライフ」では、
上海「酔白池公園」の写真を公開しています。

32.jpg

誤削除してしまったyahooIDは戻らないが、新しく別の、
IDを取得し、HPを作成し出してから丸1日が経った。
だが、11年前に作ったホームページの全ての内容を、
記憶している訳でもなく、途方に暮れていた。

2003年にノートパソコンのOSを含めて壊れる度合いも多く、
以前のホームページを別のIDで作ったホームページへ、
移していた事を思い出し、編集をし出したと言う訳だ。
しかし、indexページの各項目からリンクしていたページは、
誤削除して消えてしまったIDで削除したページだった。

33.jpg

すべてのページをファイルマネージャーで数えてみたが、
340ページ以上あり、その中の5箇所ほどのリンク先を、
変更して確認する作業は、気の遠くなるような作業である。

それより、もっと情けなかった事柄は、2003年に別のIDで、
作成したホームページ以降に、今は消え去ったHPのページを、
更新し続けた文章が、更新されておらず、その部分が、
消え去った錯覚さえ覚えたが、今はリンク先への、
変更作業で時間が無くなってしまう。つづく

34.jpg





「ノートパソコンが壊れた11」

「中国写真ライフ」では、
上海「酔白池公園」の写真を公開しています。

35.jpg

ホームページやメールやその他サービスがID誤削除で、
すべて失ってしまってから、メールは戻らないが、
ホームページだけでも、何とかデータをと思いながら、
やっとの思いで、ホームページを立ち上げた。

だが、11年前に作ったので、フラッシュなどは使わず、
全く手書きのHTMLの組み合わせホームページである。

36.jpg

そのホームページを作っていて、ウィルスにより、
OSデータが破壊され、HDDのフォーマットを繰り返し、
3代目のノートパソコンに不具合が生じた事が書いてあった。
かなり長文なので、見疲れるかもしれない。

添付型ウィルスの話
もし見る人は、midiが煩いので、ボリュームを下げて下さい。

37.jpg





「ノートパソコンが壊れた12」

「中国写真ライフ」では、
上海「酔白池公園」の写真を公開しています。

38.jpg

13日前の3月19日、1月に購入したノートパソコンが壊れた。

突然ノートPCがクラッシュ
↑その時のブログのページ

その後メーカーと連絡を取り合い、こちらからの要求は、
HDDの大部分は別付けHDDに保存してあるが、最近のデータは、
保存していないので、HDDのフォーマットだけは避けて、
もしもの事態には、必ず私に連絡をする要求を出していた。

39.jpg

4月2日、本日パソコンメーカーより、メール連絡が入った。
それによるとマザーボードの故障による通電不良と、
バッテリーのラッチ部破損の不具合との内容であった。

私は、くれぐれも慎重にHDDデータ誤削除のないように、
修理の依頼をしたが、どうしてこんな短期間でPCの、
マザーボードが故障してしまったのかは聞かなかった。
1週間後には、メーカーからPCを送って来れば良いが・・。

40.jpg



「ノートパソコンが壊れた2」へ戻る。
「中国写真ライフ」へ戻る。


© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: