Dog photography and Essay

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永定土楼探訪1



「永定土楼探訪1」

「中国写真ライフ」では、
福建「永定土楼」の写真を公開しています。

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福建省アモイ市内のホテルフロントで、
永定土楼への行き方について説明を受けた。

フロントの女性はバスを利用したことがなく、
ホテルの誰かに連絡を入れていた。

暫くして年の頃40歳ほどの中国人男性が、
私が待つロビーへ来て永定土楼ツアーの、
パンフレットを差し出し説明をし出した。

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路線バスの場合にはアモイから龍岩まで行き、
龍岩で土楼民族文化村行きバスに乗り換える。

アモイから龍岩までは直通バスが30分毎に、
運行しており3時間ほどで着くとのこと。

龍岩から土楼民族文化村への直通小型バスが、
出ており2時間丁度で着き、アモイから5時間程の、
時間がかかりチケット代は往復150元とのこと。

私よりアモイから土楼民族文化村までの直通で、
行くバスがないか聞いてみたが直通はないとの事。


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面倒ですねと言うと日帰りツアーのパンフレットを、
テーブルの上に置きバス料金と土楼民族文化村の、
チケット代などすべて含んで350元との説明。

バスも直通なので4時間ほどで着くので、往復、
2時間以上の時間の節約ができる。

ということで、350元(4900円)を支払いホテルを出て、
アモイ市内の繁華街まで出掛け食事をした。

中国人の日帰りツアーなので350元だが日本人の為の、
日本語ガイド付なら1300元ほどだから安いのかも。

写真は土楼民族文化村のゲート付近である。

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「永定土楼探訪2」

「中国写真ライフ」では、
福建「永定土楼」の写真を公開しています。

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1912年に建設された永定土楼民族文化村は、
永定県湖坑郷洪坑村にあり、アモイから、
西部方面へ直通バスで4時間ほどの道のり。

写真は振成土楼は永定土楼文化村のゲートを、
入りほどなく見えて来た水車を撮影したが、
この水車は観光用だが、地元の人も水車の、
回転動力を利用して脱穀や製粉をするとの事。

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永定土楼民族文化村の事はNHKのBS放送で、
見たことがあり、アモイへ行ったときに、
何としても行ってみたいところだった。

テレビでは、世界建築模型展覧会での説明では、
万里の長城や雍和宮に並び中国の三大建築として、
有名になったとナレーターが話していた。

旅行社のガイドが引率したが、私は撮影に夢中で、
いつの間にかツアーの列から外れてしまった事を、
知らずに、そのまま撮影を続けていた。

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写真の振成楼の内には224室の部屋があり、
今でも4百人以上の人々が生活している。

振成楼は永定県でも最も優れた円形土楼の代表で、
部屋に宿泊も可能とのことであった。

私は、三角の旗を持つガイドが私たちのガイドと、
思い込み、そのツアー客たちについて行った。

だが、そのガイドやツアー客たちは、広東省からの、
バスツアーで、勘違いしたことに気付くのは、
まだまだ先の事になるが、言葉の違いも、
分からないほど撮影に没頭していた。

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「永定土楼探訪3」

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福建土楼の永定土楼の中でガイドが、
中国人ツアー客達に土楼の説明をしていた。

その時間に私は土楼内の土産物売り場に、
積み上げられた土楼の土産物を撮影した。

土楼とは、日本の土壁のように土にワラを混ぜ、
補強した土壁を、杉の木を使い建てた円楼に、
厚く塗って作った集合住宅で共同生活をする。

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私が今居る土楼は振成楼と呼ぶ丸い円楼だが、
円楼以外にも方楼や多角楼など色々な形がある。

土楼には多くの家族が共同生活し、その人数も、
300にんから400人以上の人がおり、
まるで小さな村といった感じである。

昔は角楼も建てられたが、時代とともに、
角楼より円楼の方が建築材料の節約になると、
円楼を多く建てるようになったという。

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また円楼に変化したのは風の抵抗が少なく、
台風などの強い風からも土楼を守ってくれる。

円楼であると全ての部屋が同じ大きさで、
共産主義の根本の平等を表しているという。

だが共産主義が生み出したものは平等ではなく、
貧富の差が広がり、ちょっとした切っ掛けで、
暴動が共産主義政府に向くのではと全ての、
都合の悪い情報に蓋をし庶民に知らせていない。

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「永定土楼探訪4」

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客家とは、中国の民族名で漢民族の一種で、
客家の呼び方は、日本語でハッカと読む。

紀元4世紀の初めから12世紀の初めにかけ、
黄河流域から徐々に南方に移住した漢民族で、
現在では広東省や福建省また広西省などの、
地域に広く居住するようになり客家方言を話す。

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客家は何故、土楼という建物文化を築いたのか。
客家は長年続く戦乱から逃れるため南方へ、
民族大移動をしたが、王朝が変わるたびに、
土地を追われ南下を繰り返した。

モンゴル王国の元が南方征伐で、南宋の皇帝が、
浙江省から広東省まで避難した時代に客家も、
皇帝に従い広東や福建の山奥に暮らすようになる。

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清朝の時代になると経済の発展につれて客家の
人口が急増した事により移り住んだ土着民の間で、
争いが繰り返され、さらに客家の一部は、湖南や、
広西、四川などに移住することになる。

移動したのは一部の客家だったが土着民との接触が、
多い永定県の客家は、集団で暮らすようになった。

集団で暮らすために住む家を繋げて集団住宅が誕生。
写真は客家の生活の為のルールが書かれた祭壇。

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「永定土楼探訪5」

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福建省永定土楼の散策をしているが、
ここに住む人々を客家と呼んでいる。

私が広東省に5年ほど住んでいた時、
客家の人とよく食事をしたものだった。

彼の故郷は福建省だったが詳しい住所までは、
聞いていたと思うが忘れて気にも留めなかった。

彼はマレーシアに住み、よく中国へ来ていた。
その16年前に客家とは中国国籍を持ち外国に、
住んでいる中国人だと理解していた。

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だが、その思いはごく一部分の事であることと、
中国国内に住む客家が断然多いことに気付いた。

中国国内客家出身で有名な人は、中華民国の
総統である孫中山で日本では孫文の名で知られる。

また孫中山の妻であり後に中国の国母の、
宋慶齢も客家の出身であり、蒋介石の妻の、
宋美齢も当然だが客家出身である。

後に国民党と共産党の戦争の狭間で宋慶齢と、
宋美齢の姉妹は永遠に会う事はなかった。

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また新儒教である朱子学の創始者の朱子は、
福建省で生まれ、晩年は福建省で没している。

その他、中国共産党初代元帥の朱徳や中国の、
改革開放政策で知られるトウ小平も客家である。

中国の周恩来が養子にし首相までなった李鵬など、
他にも沢山の歴史に残る人物を輩出している。

よそ者の意味をもつのが客家だが戦争難民として、
南下して来た名門の出身であり皇帝からの贈り物が、
伝わってる客家の家も有ると言うから驚く。

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「永定土楼探訪6」

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アモイから直通バスで4時間西側へ、
走ったところに永定土楼はある。

永定土楼の中の土産物売り場では、
木の根っ子を利用して顔を彫り、
根はひげとしてそのまま利用していた。

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原木で、その土地にまつわる人形を彫って、
土産物として販売しているのはよく見かけた。

だが、写真のように器用に木の一部分を彫り、
販売している土産物は少ない。

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確かに、雲南のシーサンバンナや江西省では、
弥勒菩薩などを、木の根を利用して彫られ、
販売されているのは見たことはある。

だが、客家の人々が彫ったと聞かされ、
工房には案内されなかったものの、
その受け継がれた技法にシャッターを押した。

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「永定土楼探訪7」

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福建省の土楼の中には共同井戸が、
掘ってあり生活用水として一族が使う。

だが、飲み水として飲む場合は、
現地の人でもお湯を飲んでいる。

20年以上前日本人が中国へ行って、
不注意に飲んでしまうのが水道水だった。

井戸水も火を通さずに飲むと、
おなかの調子を悪くしてしまう人もいた。

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25年ほど前、中国を旅行した折に、
旅行社の人から、生水は飲まないようにと、
何度も注意を受けたことを思い出す。

注意を受けても、いい加減に受け答えしていたが
中国へ行ってからは注意して市販されている、
ミネラルウォーターを買っては飲んでいた。

旅行ではなく中国へ居住するようになって、
中国の人達から、中国の水道水を直接、
飲んではいけないと何度も言われた。

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まだ一度も生水は飲んでいないが、夏などに、
喫茶店で氷を入れてある場合は、注意をしないと、
氷が水道の水で作られている可能性があり、
それが原因で肝炎になった人もいる。

日本は軟水で世界の中でも最もきれいな水が、
飲めれる国として自慢できるが、他の国では、
硬水なので、体の弱っているときなどに、
生水を飲んでしまった場合、肝炎になり易い。

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「永定土楼探訪8」

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福建土楼では客家の部屋を見学できる。
自由に部屋の中を見て、生活空間を、
感じ取ることができる。

部屋の中に入ると床は土間になっていたり、
真新しい材木で床が敷かれている。

各部屋にはベッドが置かれており、
子供たちのランドセルがベッドの上に、
無造作に置かれていた。

さらに階段を上って上の階へ行こうと、
思ったものの階段の上り口の壁には、
「請注意防火」と木片に書かれていた。

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日本でいうところの「火の用心」だが、
中国の人は見学をしながら平気で、
タバコを吸う人も多く、また火のついたまま、
至る所にポイ捨てする人も少なくはない。

中国国内旅行であっても、旅をしている人は、
中流階級と思っている人が多いが、
その人達でさえマナーの悪い人も多い。

注意が書かれた下には「立ち入り禁止」と、
真新しい木片に書かれた注意事項があり、
プライベート空間のために立ち入りを、
禁止しているのか聞いてみた。

建物の老朽化で、一度に大勢の人の重みで、
事故が起きては困るので禁止にしているとの事。

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「永定土楼探訪9」

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福建土楼の福興楼に来たが、この土楼は、
円楼ではなく方楼の長方形の形をしている。

1820年頃の清の時代に建てられた土楼で、
門は1箇所にしかなく不便なようだが、
攻め込まれた場合には返って、
守り易いのかも知れない。

福興楼は3階建てになっており階段は、
4箇所にあったが上がらなかった。

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190年ほど経った古い土楼で壁が、
ひび割れた個所が多く見受けられたものの、
土を盛りあげ、手入れは行き届いている。

写真は赤いテーブルを父親と共に、
運んでいるところだろうが、子供が父親の、
腰に手を当て、ヨイショ!ヨイショ!と、
掛け声を掛けている光景は微笑ましかった。

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福興楼の売店の前に来たが、小売部と、
書かれた奥にはジュース類や洗剤などが置かれ、
手前には、お茶葉っぱで、ゆで卵を長時間ゆで、
ゆで卵の中が茶色っぽくなった卵を売っていた。

下の客桟と書かれた宿泊所の前に来た。
食事が出来るほかに20元(280円)だせば、
宿泊できる所謂、簡易ホテルである。

夜露を避けるためには良いが、泊まろうと思えば、
かなり勇気を振り絞らないとならないと思う。

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「永定土楼探訪10」

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福建土楼の福裕楼は永定土楼の中でも、
代表に、その名前を連ねている。

1880年から建設が始まり3年の歳月を、
費やし敷地面積は2100坪以上ある。

写真は福裕楼の入り口付近だが、
何かの祝い事があったのか爆竹の跡が残り、
火薬の匂いがあたり一面漂っていた。

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中国では爆竹の使用は一時禁止されたが、
庶民は我慢できず、いつの間にか、
夜中でも朝方でも爆竹を鳴らしている。

下の写真は、もうすぐ60歳を迎えると、
話してくれ、生まれた時から土楼で育ち、
二人の子供が授かったが、一人は村を飛出し、
娘はこの村の青年に嫁いで、孫がいるとの事。

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初め許可を得ず、上の画像を撮影していたが、
段々近づいて来て、レンズを指さすので、
てっきり怒られるのかと思っていた。

だが、どこから来たのかとか、カメラマンかとか、
矢継ぎ早に質問攻めにあったが安心した。

そして北京から来たと話すと北京へは一度だが、
行ったことがあるよと、私はこれ以上話すと、
言葉に詰まり、ばれてしまうとその場を去った。

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「永定土楼探訪11」

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福建省永定土楼の中の見学をしている。
アモイ地元の中国人ツアーに混じって、
ツアーに参加したが、撮影をしている間に、
自分のツアーガイドたちとはぐれてしまった。

やっとアモイからのツアーの小旗を持ったガイドを、
見つけついて行ったが、私のバスのガイドと違い、
観光をしている中国人たちの顔も見たことがない。

待ち合わせ時間は聞いており、心配する事をやめ、
土楼の中の庭へ入り込み撮影を続けた。

庭の真ん中には井戸があり、その横では、
女性がひとりで洗い物をしていた。

片隅に置かれた台の上に花が置かれていた。

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植物が鉢植えされていたが、名前がわからない。
ただ、南天の実という事だけは分かった。

だが、上の花は何という名前か分からない。
ネット友人の雪桃さんやさなちゃんなら、
何の花の名前かがすぐに分かるだろうと思った。

下の写真の両手首から広げた手のひらの置物。
中には直径3センチほどの筒が置いてあった。

花瓶のようでもあったが、中は乾ききっており、
花を生けたような跡はなかった。

そんな折、アモイから同じバスで来たという人に声を、
掛けられたが、その二人の女性たちもガイドから、
はぐれてしまっているとのことだった。

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「永定土楼探訪12」

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アモイを朝8時に出発し昼ごろに、
福建土楼に着いたので4時間ほどの道のり。

客家土楼駐車場には2時間半後に集合して、
午後3時に出発する予定を聞き、
土楼文化村の中へ入って行った。

永定土楼からアモイまでの帰り道も、
4時間掛かったとして夕方7時頃に着く予定。

アモイからの現地日帰りツアーで参加したが、
日本人専用ツアーも多く組まれているとの事。

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日本からのパッケージツアーならば、
初めから組まれているので問題はないようだ。

写真は円楼ではないが、3階まで上がってより、
2階の生活空間や中庭の風景を撮影した。

土楼には水道が通っていなく、井戸のみである。
だがモーターを使って汲み上げ鉄管を通り、
中庭の壁を鉄管が伝い蛇口を捻れば水が出る。

各土楼には2・3つの井戸が彫ってあり井戸の、
周りでは話しに花が咲き、異部族の侵入により、
移動を繰り返すような運命であったが、各土楼を、
見て来て一族が暮らして来た空間が見えたようだった。

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「永定土楼探訪13」

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土楼にも当然ではあるが大小があり大きな、
土楼では、四重の囲屋に囲まれた土楼がある。

土楼は4階建てで高さが13メートルある。
円楼の1階部分だけで70部屋ほどあり、
4階あわせて部屋数は280室ある。

二階建ての円楼でも各階44部屋で88部屋となる。
平屋の小さな円楼でも部屋数は36室ある。

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客家(はっか)が使う言葉は、他の方言に比べ、
客家語には、中華文化の発祥地である中原の、
河南省一帯古語の方言が多く残っている。

中国語方言も大きく分けて八方言ある。
北京語、上海語、呉語、?南語、潮州語と、
湘語、客家語、広東語の8方言だ。

細かく言えば56民族それぞれに方言があり、
更には20キロ離れると聞き取り難い言葉になる。

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日本においても方言はあり何を言っているのか、
分からない場合があるが、中国の場合は、
日本の比ではなく、全く通じない。

中国では20年ほど前から、少数民族や広東語を、
使う香港などでも、学校の授業では普通語を、
使い休憩時間でも共通語で話している。

だが年配の人達は、テレビで普通語が多いとはいえ、
普通語を聞くことは出来るが話せない人も多い。

普通語とは、共通語であり現代中国語の標準語の事。

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「永定土楼探訪14」

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客家土楼を探索中に遊んでいる子供に、
出会って、彼女たちと会話した。

初めは警戒心たっぷりの表情で、
「あかんべえ」をされたが何度も、
レンズを向けても恥ずかしいのか、
表情は硬いまま、心を開いてくれなかった。

観光客は、こんな中まで入って来ないのか、
私がいる間、誰も入っては来なかった。

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子供たちにレンズを向けると目をとじたり、
白目をむいたりするので、おかしくもあった。

私のカメラの液晶モニターに映し出した画像を、
見せると目を丸くして見つめていた。

そして彼女たちの目をとじた写真や白目の、
写真の画像を見せると声を上げて笑った。

その後に撮影した彼女たちの写真だが、
閉ざしていた心を開いてくれたように感じた。

カメラバッグからチョコレートを出し彼女達へ、
手渡したが、あまり良い事ではないような、
感じがして少し後悔をしていると携帯が鳴った。

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「永定土楼探訪15」

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福建省の永定土楼にて撮影を続けていたが携帯電話が、
私を呼んでいるのに気付き電話に出るとガイドから、
「今どこにいるのですか」とあわてた様子の声。

「予定より30分早く出発する事になったから出来るだけ、
早くバスまで戻るよう」との内容電話だったが、時計を
確認すると集合時間までには、まだ1時間ほどあった。

私は「まだ3分の1ほど見ていないから予定通りの時間に
バスへ戻ります」と伝え電話を切ったが、少し心配だった。

地元の人に入り口まで歩いてどれ程か聞いてみたところ、
早歩きで20分程との事で今自分自身が立っている位置が
どの辺りか聞くべきだったと思いながらも奥へと歩いた。

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歩いていると、また携帯電話が私を呼ぶので出てみると、
ガイドだった。日本語の話せる中国人に替わるからと、
携帯を持ち替える雑音の後「もしもし」と女の声。

「出発するので早く帰って来て下さい」と話す。
私はわざと早口の日本語で話すと、もう少しゆっくりと、
話して下さいと言うので、中国語で話しましょうと、
中国語を話しだすと、「あなた一人のために皆さんが、
迷惑するので、できるだけ早く帰って来て下さい」と、
話した後ガイドに替わった。

私はどうして予定通りの行動をさせてくれないのかと、
ガイドに文句を言った後、引き返す事にしたものの、
あちらこちらへと行ったので帰り道が分からなかった。

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客家地元の青年に10元でバス駐車場まで乗せもらい、
バス駐車場に辿り着いたが、中国人は35人中7人ほどしか
集まっていなかったので更にガイドに文句を言うと、
こんなに早く戻って来るとは思わなかったと、
馬鹿正直な私を申し訳なさそうに笑った。

結局、予定時間を30分過ぎた頃にバスは出発し、
私が慌ててバスへ戻ってから1時間15分あとだった。

ガイドは、中国人は約束の時間を守りませんから、
あなたも同じだろうと思って電話で催促したとの事。
それを聞いてより余計に腹が立ったが、4時間の
帰り道がアモイへ着く頃には気分も晴れていた。

今日は12月31日大晦日、よいお年をお迎え下さい。

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