Dog photography and Essay

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広東汕頭潮州旅情2



「潮州旅情6」

「中国写真ライフ」では、
広東「汕頭・潮州」の写真を公開しています。

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潮州に建つ中国とタイの文化交流の澹浮院で、
出会った人民解放軍の軍人たちと行動を共にした。

彼らから、中国語が上手いですねとか、何処で、
中国語を習ったのですか、中国は何年程ですかなど、
質問攻めになったが、彼らのグループが二分して、
歩くような形になり、私が返って気を使う感じになった。

私は、自由に撮影がしたいので、先に行って下さいと、
彼らに告げ握手をして別れたが、もう一方の軍人達に、
手を出しても、日本人を嫌って握手を拒否した3人は、
また同じように、無視をして歩いていた。

私は脇道へ逸れ、自分のペースで歩き出しホッとした。
少し歩くと1匹のスピッツに出会い写真を撮った。

何となく「花咲か爺さん」の「しろ」の事を思い出した。
「ここ掘れワンワン」ではないが、暫く眺めていた。

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スピッツは人懐っこく尻尾を振りながら、私の周りを、
行ったり来たり、ビスケットをカバンから出し、
食べさせたが、もっと食べたいと私の方を見つめていた。

私は膝を折り曲げ、犬の目線まで、しゃがみこんで、
日本語で、お座り、お手などと言っても首を傾げていた。

いきなり、ワンワンと吠え走り出し、見ていると、また
私の所へ戻って来てワンワンと吠えるので犬が走る方へ、
20mほど着いていくと、急に地面を掘り出した。

急ぎシャッターを押したが、その様子は上下の写真で、
分かる通り、とにかく一心不乱で土を掘っている。

見る間に掘る穴が大きくなったが、何も出て来なかった。
犬が土を掘るのは、食べ物を隠す為とか只遊んでいるだけ、
ストレス解消のために掘っているとの説などいろいろ。
ストレス解消ならば、突然私と出会ったからだろうか?

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「潮州旅情7」

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潮州に建つ澹浮院は、中国とタイの、
文化交流が目的であり、両国の文化財が並ぶ。

中国とタイの両方の歴史文化が備わっており、
中国各地に在る寺院とは趣きが違う。

別段、中国の文化を誇張するわけでもなく、
タイの文化を誇張させているわけでもない。

強いて言えば、澹浮院の中に入った瞬間、
西安にある秦始皇兵馬俑のレプリカが目に入る。

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澹浮院の中の係員に、異様な雰囲気を例えて、
この寺院には焼香する場所が無いし、線香の
匂いもしないですねと聞いてみた。

係員からは、澹浮院は寺ではなく博物館の類と、
聞かされたものの、外に置かれた香炉を指差し、
外では線香を焚く事が出来るのですねと質問。

係員からは、澹浮院では他の寺院のように、
線香は売っていませんので、線香を焚く人は、
ほとんどいらっしゃいませんとの返事だった。

写真は金箔の釈迦牟尼世尊像、亀が振り向いた姿、
龍の彫刻が施され香炉のなど、次のページより、
秦始皇兵馬俑
のレプリカの写真などを紹介したい。

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「潮州旅情8」

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澹浮院の中へ入ると直ぐ目に入るのが、
金箔に包まれた釈迦牟尼世尊像である。

その釈迦牟尼世尊像の写真は、下のページ
汕頭潮州旅情28のとおりである。

釈迦像を見て振り返ると写真のような、
秦始皇兵馬俑の兵士の像が目に入る。

澹浮院を建てた意味は中タイ文化交流で、
中国史初の皇帝であった秦始皇の墓を、
守る兵馬俑が交流に最適と思ったのか?

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秦始皇は紀元前221年に史上初めて中国を、
統一し中国史上はじめて皇帝となった。

中国の黄河・長江文明の7000年前の、
歴史からみれば秦の時代は2230年ほどと、
歴史は新しいが、現存する兵馬俑の事実を
考えれば、中国の文化を象徴するものである。

ゆえに、中泰文化交流の場である澹浮院に、
保管するものとして秦の始皇帝の兵馬俑が、
最適なのではないかと思った。

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「潮州旅情9」

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中国とタイの文化交流が目的で潮州に建てた、
澹浮院の中には、タイ寺院を連想する像がある。

はじめ澹浮院は中国の寺院と勝手に思っていた。
だが、中へ入ってみると、異様な光景に驚く。

正面に置かれた 金箔の釈迦像 を、
撮影したのち、振り返ると、
中国初代皇帝の始皇帝の兵馬俑の、
兵士の像が置かれており、一体何を目的に、
建てられたものだろうと思いながら見て回る。

釈迦牟尼世尊の仏教はインドから中国へ、
伝来したが、中国の皇帝ではじめて仏教を、
信奉したのは後漢の桓帝である。

西暦60年ごろに皇帝から悠久の時間を掛け、
中国国内に伝わったが、文化大革命の10年間で、
仏教思想を語る者さえいなくなってしまった。

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中国は10年間の文化大革命で世界から孤立し、
人々の思想まで変え、その当時子育てをし、
頑張っていた人たちは中国古来の礼儀作法さえ、
忘れ去って、人が良い事をしても良いと、
言えない国民性に変わってしまったようだ。

だが、文化革命時代に育った人々の子供たちが、
現在中国の4・50代になり、子供のころに受けた、
教育が悪い事だと知っているものの変えられない。

今後の中国を大きく変えようとしている子供達、
それが今の中学・高校・大学生・青年である。

教育で人の思想は変えられて行くのは歴史が語る。
中国でも四川大地震では日本の救援隊に対し、
国民の多くが感謝の念を抱き日本人の心を見た。

だが、数年で今度は日本国旗を焼き捨てるまでに、
中国の人の心が変わってしまったが、これも、
洗脳されてしまったが故に起こってしまった。

写真の像はタイ文化を象徴したもの。
ワットプラケオ(エメラルド寺院)

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「潮州旅情10」

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交泰殿の「泰」とは、安らかとか穏やかとの、
意味で、交流をする中で安泰に心穏やかにとの意。

集合時間が迫ってきており、ガイドからも、
私の携帯電話へ連絡が入り、もう10分前に、
バスで待っていますよとの内容電話。

私はバスを降りる時に集合時間を聞かなかったが、
途中で会った同じ現地ツアーに参加した中国人から、
集合時間を聞いたが、まだ20分以上あると抗議。

ガイドからは、中国人の皆さんは面白くないと、
早く帰って来ましたが、日本人の貴方がまだ、
帰って来ていないので、出発出来ないでいるとの事。

北京故宮の交泰殿 北京故宮の交泰殿

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私は出来るだけ早く帰るからと電話を切ったところ、
直ぐに電話が掛かってきて、どうして切っちゃうのと、
不服そうな声のトーンに、今度は何ですかと応対。

今、何処に居るのですかとの問いかけに、
交泰殿に入る所だと言うと、そんな所に入ったら、
30分以上掛かるから、直ぐに帰って来て下さいと、
今度はガイドから電話を切り、ツーツーと侘しい音。

交泰殿の人に、大型バスの駐車場までの時間を聞いた。
交泰殿から15分ほどというので、今から帰って、
丁度、集合時間になると、交泰殿の外観のみ撮影し、
中に入る事は、控えたが、何とも残念な思いだった。

交泰殿の中では、中国各地の書道の大家の作品が、
展示されており、広州付近の硯などの展示販売を、
行っているとの事だった。

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「潮州旅情11」

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広東省潮州の澹浮院入口に建つ大きな、
鳥居型の門を潜った所を右に曲がると、
中国の歴代の書道の碑林があると聞いた。

引き返したい気持ちに駆られたが、
すでに15分以上私が来るのを待つバスの、
中国人ツアーの事や集合時間が迫り、
後ろ髪を引かれる思いで前を急いだ。

途中、樹齢1000年ほどかと思うほどの、
素晴らしい大木に出会い撮影した。

いつのまにか急ぎ足になっていたが、
やっと、バスの待つ駐車場が見えてきた。

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来るときには見かけなかった景色が、
帰るときには目に入って来たので、
レンズを向けながら歩いた。

その広場に孔子の像が建っており
その孔子の後ろ姿を撮影した。

やっとバスまで20mほどの所まで来たが、
洋紫荊と呼ぶ香港行政区の花が目に入り、
暫くの間、花を撮影した。

だが、この日は風が強くシャッター速度を、
早くしても花が揺れ画像はブレた。

バスからガイドが、早くして下さいよと、
不満げな大きな声に時計を見ると、
出発予定時間を5分ほど過ぎていた。

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「潮州旅情12」

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潮州の澹浮院のバス専用駐車場のバスから、
写真なんか撮っている場合じゃないよ!
皆、かれこれ30分は待っているんですよ!
などと、中国人から大きな声で文句を言われた。

私は時計を見ながら集合時間より10分間、
遅れているだけで、そんなに大きな声で、
文句を言わないようにと言ったところ・・・。

中国人にとっては国内旅行なのだが、ある程度、
裕福な家庭の人が多い。しかし、言う事は、
私が知る中国語の中で、一番下品な表現だ。

日本人は、中国人のツアーには参加できないのよ!
ガイドに聞いたけれど、流暢な中国語を話すので、
旅行会社が許可したらしいけれど、あなたの中国語は、
上品過ぎて、こちらが疲れてしまうのよね!と・・。

ここでは、文章にできないが、私が分からないと、
思っているのか、下品な言葉を話している。

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ガイドが中国人に、聞こえたら不味いからと、
制していだが、うっ憤を晴らすかのように話す。

私も下品な中国語を話せるが、話してしまったら、
雰囲気が壊れてしまうので、違う言い方をした。

私は集合時間は、ガイドが決め皆に伝達する。
私たちは、決められた集合時間までに集合する。

この事は十分承知しており、観光地が面白くないと、
早く帰って来たからと言って、少し遅れて来た人に、
文句を言うものではないと思いますよと言い、更に、

今回は私が10分間遅れたので、謝罪しますと話し、
貴女方は30分遅れても、何も謝罪をしないと思ったが、
言葉には出さず、思った言葉を飲み込んだ。

写真は、貔貅(ひきゅう)で伝説上の猛獣の名前だが、
この貔貅の置物やストラップの販売店へ連れて行かれた。

中国人は幾つも買っていたが、私は、この為に、
急いでいたのかと思うと、半ば興ざめしていた。

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「潮州旅情13」

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広東省潮州市の湘子橋に着いた。
昨夜は潮州市内の四つ星ホテルに泊まった。

三つ星ホテルでも問題ないのだが、
三つ星ホテルでは浴槽が付いておらず、
シャワーだけでは何となく物足らないからだ。

だが、四つ星の浴槽でもスリッパの跡が、
ベッタリと付いているときには石鹸で、
ゴシゴシ洗っている自分がいる。

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昨日と同じバスが中国人達を乗せて最後に、
ホテルまで迎えに来てくれた。

バスに乗ると、中国風のキツイ嫌味を言われた。
中国人はこの上なくプライドが高い。

日本人は、直ぐに差をつけようとするんだから、
私たちと同じホテルにしておけば、わざわざ、
時間を掛けて迎えに来る必要もないのに・・!

ガイドは困惑した様子で、三つ星のホテルは今、
すべてシャワーだけしかなく、その点、四つ星の
ホテルには浴槽を備えている所が多く、日本人は
浴槽に入らないと風呂に入った気がしないようで、
旅行社から予約したので皆と場所が違うと話す。

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このように援護をしてくれたが、中国人からは、
入郷随俗という中国語を知っていると質問される。

入郷随俗とは、郷に入れば郷に従えの意味である。
いやはや、何とも先が思いやられそう・・・。

写真は、中国第一の開閉式浮き橋を船から撮影。
10隻以上の船をつなぎ、その上に板を置き、
人が川を渡れるように工夫してある。

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「潮州旅情14」

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広東省東部に流れる韓江を船で遊覧。
写真は明代初めの1370年の年に大規模に、
改築された広済橋に面した潮州城東門である。

中国で開閉式浮き橋は河北省の趙州橋、
福建省泉州洛陽橋と盧溝橋事件で世に、
知られた盧溝橋と並び中国四大古橋と言われる。

下の写真は高台に建つ天后宮の下に建つ、
玄天閣で、道教の神が祀ってある。

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船を降りた私たちが向かった先は、またまた
土産物店だが、お茶の専門店である。

広東省といっても、福建省に近い潮州なので、
福建省安渓の鉄観音が所狭しと並べてある。

私は14年ほど前に広東省広州に住んでおり、
鉄観音を真空パックにしたお茶を土産として、
友人や近所の人に渡したものである。

近所の奥さんから私の妻に、中国のお茶って、
結構苦いですねと言われ中国までメールが来た。

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仕事も忙しく、いつの間にかメールの事を、
忘れていたところへ妻から電話が入った。

いきなり「どうしてメールの返事くれないのよ」
もう1か月以上過ぎていたので初めは何のことか?

少し怒ったような口調で、お茶が苦いって言われた事を、
気にかけての電話だったが、私は、そんな事ぐらいで、
国際電話しなくてもと言い、今晩メール送るからと、
電話を切ったが、お茶の入れ方を中国人に聞いた。

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あまり沸騰したお湯は使わず、お湯を入れてより、
そのお湯を一度捨て、再度入れ直すとの事だった。

そして、1杯目は苦いが、その苦みを味わい、
2杯目のお茶は、とても美味しく、5杯まで飲めれると、
そのまま、メールに認め送ったが、それより14年経った。

その後、妻から近所の奥さんのとコミュニケーションが、
うまく保たれているのか、何の感想ももらっていない。

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「潮州旅情15」

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広東省潮州の土産物屋を見て回ったあと、
皆でワイワイ言いながら歩き広済橋まで来た。

広済橋は南宋の1171年に船を繋いだだけで、
その上を渡る橋として利用され現在に至る。

広済橋まで来る途中、日本でいう鳥居のような、
アーチ形の建造物がある通りを歩いてきた。

街の名勝の地などに建てられる装飾用や、
記念用のアーチ形の建造物で牌坊などという。

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アーチ形の建造物には「状元」と書かれている。
状元とは科挙の進士に合格した者が受ける試験。

合格すれば皇帝の下で働くことができる。
科挙試験は今は廃止されているが、清朝までは、
科挙試験が行われており、童試から始まり、
郷試・挙人履試・会試・会試履試、そして、
状元である殿試まであるが、毎年試験はない。

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3年に一度の試験しかなく、落第すれば、
次の試験までに3年間の期間が必要になる。

また晩年は会試・会試履試・状元の殿試は、
西安や北京まで集合して試験が行われていた。

歩く事40分ほどで、広済橋まで着いた。
広済橋ははじめ、広を健康の康をつけて、
康済橋と呼んでいたが、大改修を行った後、
康済橋から広済橋と呼ぶ名前に変え現在に至る。

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「潮州旅情16」

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広東省潮州市にある広済橋に着いて直ぐ、
広済橋の橋の名前をアップで撮った。

ツアー客たちやガイドと離れては、
また探すのに大変な思いをすると思い、
何時に何処へ集合かを決めて下さいと提案。

すでに先へ進んでしまった中国人女性が、
居たもののガイドから伝えると1時間半後に、
広済橋の入口横で再開することとなった。

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広済橋は全長520mほどで、往復1040mほど。
ただ、ゆっくりと歩くだけであれば20分位だが、
撮影をしながら進んでも1時間あれば十分だ。

広済橋は南宋時代の1170年に建造が始まったが、
韓河の流れが急なため橋を造るのに困難を極めた。

その困難さは半分9脚の橋脚を造るのに56年掛かり、
残り半分の9脚の橋脚に15年の歳月を費やした。

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東西の河岸からそれぞれ9脚づつ造るのに、
気の遠くなる長い年月を費やした。

橋の建造は中間の約100mの部分の水流が激しく、
また900年以上前の橋を造る技術は現在ほど、
優れてはいなかったため断念してしまった。

結局、100m間は橋がなく渡し舟で間にあわせた。

300年以上過ぎた明代に橋の修築が行われ、
西側と東側の橋脚はそれぞれ増やしたが、
中間の部分をつなげることはできなかった。

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「潮州旅情17」

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広東省潮州市を流れる韓江に架かる広済橋。
500年ほど前より幾度か修復が行われた。

だが橋脚自体木造であり、補強しても、
木材は腐り、洪水に耐えられなくなった。

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広済橋は2003年から4年の歳月を掛けて、
橋脚から全てを鉄筋コンクリートで修復した。

2007年6月に広済橋の修復作業は完了し、
内外より著名人を招待し記念式典もが行われた。

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補強や復元する前の広済橋にあった望楼などは、
全て腐り影も形もなくなっていた。

明代に橋脚の上に建てられていた楼閣の古い、
図面を頼りに花崗岩とコンクリートで復元された。

現在、遠くを見渡すための望楼で多くの、
観光客が立ち止まり遠くを眺めている。

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