Dog photography and Essay

Dog photography and Essay

パタヤの夜


パタヤの夜の蚤の市


バンコクから1時間半ほど、
車で走った所に東芭文化村がある。

そして、パタヤからも1時間半ほど掛かり、
我々は東芭文化村パタヤへ引き返した。

予定ではパタヤのレストランへ、
6時に着いて食事をする予定だったが、
7時過ぎになってしまった。

6時に食事を予約をしてあったが、
現地ガイドが、7時に変更した。

私は、7時半から予約していたショーを、
見る事は出来なかった。

私の為に、3人の中国人も、
見れなくなり、後回しになった。

私は、フルコースを頼んであったので、
そちらのショーに行く事になった。

時間が大きくズレてしまい食事をしてから、
時間が折り合わず、40分ほどの時間で、
パタヤの街並みを歩いて見回った。

画像は、パタヤの夜の蚤の市。


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タイバーツも少なくなって来たので、
街の両替所を探して回った。

しかし、私には現地ガイドと添乗員から、
しっかりとガードするように言われて、
3人の医師の家族が付き添ってきた。

私は、道行く人や、客引きのお姉さんに、
両替所が無いかどうかを聞いていた。

この人って、怖いもの無いのかしら?などと
話している声も聞こえたが、それには
答えず先へ先へと歩き、やっと見つけて、
日本円を出し、両替をした。

そして、予定の時間になり集合場所へと、
戻ったが、私の遅れた所為で、
パタヤの街歩きの時間も少なかった。

お腹もそれほど空いてないまま、
パタヤの海に停泊している、
船上シーフードレストランへと向かった。


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メインストリートの歩道


タイのリゾート地パタヤの、
メインストリートを歩いていた。

私達、4人(医者のご夫婦と娘・私)で、
メインストリートの歩道を話しながら、
歩いていると、医者のご主人が、
急に頭部左側を押さえて蹲ってしまった。

私が車道側で、医師は商店側を歩き、
その奥さんと娘は私達の後ろを歩いていた。

娘は「バ~バ!バ~バ!」と言っている。
私は3mほど後ろへ後ずさりをし、
来た道の左側を見た。

そこには電柱が立っており、その電柱の
丁度1.7mほどの高さに変圧器のような
黒い物体が飛び出していた。

その角を触っていると、左側の、
露天バーから派手な服と超ミニスカートの、
お嬢さんが来て、何やら英語で話している。


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医師の娘がそれを中国語に訳して伝えてくれた。
ここでは、大勢の人が頭を打っているとの事。

派手な化粧のそのお嬢さんは、ここで頭を打ち、
皮膚が切れて大分血を流した人も居るという。

なぜ、ウレタンスポンジのようなカバーを、
しないのかと聞いてもみたが、
皆知らない振りををして何もしないとの事。

私は、ウエストバッグに擦り傷を、
負った時の為に、軟膏とバンドエイドを、
常備していたので、
それを医師の奥さんへ渡した。

もう少し明るいところへ移動し、
私が医師の左頭部を見てみた。

少し瘤(こぶ)が出来膨れ上がっていた。
その膨れた所を、髪の毛を掻き分け、
見ると切り傷状になり血が滲んでいた。

私の軟膏を奥さんが指に取り塗っていた。
余り強くするなよという仕草で、
首をすぼめる格好をしていた。


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私のガードの為に、怪我をする事になって、
その医師に詫びたが、奥さんが、
貴方のせいではないですよ!と、
不可抗力であり、本人の不注意と私に告げた。

画像は、その頭を怪我する前に撮っていた画像。
医師が頭を怪我をしてから、いくら私でも、
このような笑った布袋さんの置物を撮影は出来ない。

頭をハンカチで押さえながら、医師は無言で、
集合場所に向かった。

この夜の船上シーフードレストランへは、
参加されたのですが、元気がなかった。

いくら不可抗力とは言え、私のガードを、
引き受けなければ、こんな事にはならなかった。

上海に帰られてから、元気に患者さんを、
診察して頂きたいものであると思った。
しかし、頭に傷を負った患者さんを見る度に、
このパタヤでの日本人の事を思い出すのかとも思った。

きっとこの3人は、今では私を疫病神くらいにしか、
思ってないだろうなと思っているところで目が合い、
その時、私は微笑むことしか術を知らなかった。


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パシフィックシーフード


バンコクから車で2時間半走った所に、
リゾート地パタヤがある。

何処の街でも同じだが、パタヤの街でも、
昼と夜と雰囲気がガラリと変わる。

パタヤの海岸沿いには、如何わしい
派手に着飾った少女が立ち並ぶ。

現地ガイドの説明では、ちょっとした遊びで、
80バーツ(240円)でもOKという。

ヨーロッパの方からの観光客が、
夜のビーチに集まり、交渉が始まる。

私達は予定より遅れて、9時20分ごろに、
パタヤリゾートの堤防を歩いていた。


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大きなバスが入って来れないように、
杭が打ってあり、仕方なく歩く事となった。

このオプションツアーに参加した人は、
13名ほどであった。

オプションであり800バーツ(2400円)で、
予約する為、少なくなっていた。

また、夜に海鮮料理を食べた後で、
またシーフードレストランは、
気が引けたのかも知れない。

参加しない人は、そのままホテルへ
バスで送って頂いたようだった。


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堤防の上では、宣教師の人達が、
無料の聖書に関する本を配っていた。
私は勿論受け取らなかった。

私が、法輪講だと言ったら、彼らは中国語で、
「私達は法輪講ではありません」と、
如何に中国からの観光客が多いかも、
彼らの流暢な中国語を話す言葉で分かった。

400mほど堤防を歩いて行くと、そこからボートで、
目的の船上シーフードレストランへ送ってくれた。

その光景は香港で食べた船のレストランに似ていた。
その名前は、海鮮レストラン「JUMBO」

この香港の船上レストランの海鮮料理も、
味の方は、あまり良いとは言えなかった。

そのイメージを抱き、船はシーフードレストランの
ネオンが眩しい大きな船に横付けした。


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三角帽子とスキンシップ


タイのバンコクから車で2時間半掛け、
リゾート地パタヤへ着いた。

画像は、この1時間半のショーの終わりに、
出演者と共に写真が撮れると言うお決まりのもの。

この部分だけは、サイドからではあったが、
画像に収める事が出来た。

この船上パーティーでの海鮮料理は、
お世辞にも美味いとは言えなかった。

一晩に4回行うこのパーティーは、
800人が一晩に体験するためボーイたちも、
慣れた手つきで、まだ食べてないものまで、
片付けようとしていた。

腹が減っていれば文句の二つや三つは言う所だが、
私の所為で予定が1時間遅れて夕食を取った為、
腹は皆さん一杯だったので、不味く感じたのかも。


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観客が入っての踊りも終了し、本格的な、
踊りが披露されていた。

フィギアーのペアーダンスを思わせるリフトや、
回転なども見事であった。

床がアイスではなく、板だったので、
小刻みに足を動かせながら回転していた。

良くこれだけの踊りが披露できるものだと、
私も感動を覚え拍手を送った。

フィナーレが近づいてくる頃には、
全員に色んな柄の「三角帽子」を配って被らせた。

私も仕方なく被り、この画像に写っている
ダンサーの肩に両手を置いた。

そして、他の人達も私の肩に両手を乗せた。
軽快な曲が流れ、我々が先頭に立ち軽快に、
ステップを踏みながら前へ前へと進んでいった。


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行き止まりまで行くと小さく小回りして、来た方向へ、
またステップを踏みながら進んだ。

私達の後ろには「三角帽子」を被った多くの人達が、
後に続いてきていた。そして、すれ違いざまに片手を挙げ、
すれ違う人たちの手を、叩いてスキンシップを楽しんだ。

こうなれば、中国人もアメリカ人もイギリスもフランスも
同じメロディの元で心が一つに交じり合ったよう思った。

200人が「三角帽子」を被った光景はまた迫力があった。

撮影禁止と譬え撮ってもフラッシュなしでは、とても
画像にはならないと、あえて危険を冒さなかった。

我々のツアーのメンバーも、嬉しさを隠せない表情で、
楽しかったと若い中国人女性までが満足していた。

その感動の余韻を残して、我々はその船を後にした。
その時に撮影した船の画像であるが、
何となく船も別れを惜しんでいるように見えた。


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歓楽街のルーツは


タイのバンコクから車で2時間半の、
地点にリゾート地パタヤがある。

パタヤの海の船上レストランで、
「三角帽子」を被ってのフィナーレは、
目に焼きついたようである。

その「三角帽子」は上海からのツアー客の、
19歳の女子医大生が上海でパーティをする時に、
使いたいとまとめて持っていった。

私は当然の如く、そのような「三角帽子」など、
必要も無かったし、こんなものを被って、
管理職の会議に出ても、どうしようもないと思った。

夜も10時を過ぎていたが、次の船上パーティーに、
参加する人たちの列を掻き分けるようにしながら、
「すみません!ありがとう!」と通り抜けた。

すると後から付いて来た中国人のツアー客が、
貴方が日本語を話すものだから、並んでいる人達が、
私達までが日本人と勘違いして「ほら!日本人よ!」と、
「指を指されてしまいましたよ!」と言った。


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私は、どんな気分がしましたかって聞くと、
「悪い気分ではないですね~」と言っていた。

でも日本人になると、中国人から色々と、
言われてしまいますよ!それでも良いですか?
って、質問しようとしてその言葉を飲み込んだ。

折角、いい気分になっているのに、わざわざ、
そんな事を言ってぶち壊す事は無いと思った。

私達のバスは、私達を防波堤の側まで送り届けて、
そのまま帰ってしまったため、パタヤの夜の
歓楽街を歩いて大通りまで出る事になった。

思わぬ展開に、画像を撮れると思っていたが、
「日本先生は誰が見ているのですか」って、
一人が言うと、現地ガイドは「私達に付いて来て下さい」と、
念を押したので指でOKサインをしたがどうなる事か?

始めはネオンも、ちらほらだったが中頃になると、
眩しいほどのネオンに何度も立ち止まり、
最後にはツアーの人達が何処へ行ったのか、
見えなくなってしまった。


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始めは、これがパタヤの歓楽街かとも思った。
なぜならば、歓楽街とは名ばかりの、
ネオンも少なくひっそりとした感じだからだった。

画像は夜のパタヤの歓楽街である。
パタヤのこの辺の歓楽街は、昼間は寝静まっている。

しかし、夜ともなれば、オープンバーやスナック等、
それに付随する客引きの少女達も姿を現し、
ネオンが眩しいくらいにパタヤの歓楽街を照らす。

このパタヤや歓楽街のルーツは、1970年の
ベトナム戦争時代にアメリカ軍兵士の保養地として
作られた。はじめは静かな漁村地帯であった。


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しかし、ベトナム戦争が終結してからも、
燃料補給の為による船の船員や兵士達で栄えてきた。

今は、リゾート地として、殆んどのツアーの中にも
組み込まれるようなったようである。

画像に写っているような娘は、18歳から21歳まで
みんな若い子達ばかりである。

現地ガイドに聞いたが、飲み代が500B(1500円)
連れ出し料は1000B(3000円)泊りは3000B(9000円)
遊び代合計4500B(13500円)で、結構割高である。

一般のビールが街のスーパーで30B(90円)から
比べれば、断然高いが、どう価値観を理解するか?
警告--まず病気の危険性を考えてから行動しよう。

この画像に写っている子達は、手を振るとニコニコと
笑顔を見せ、愛想は良い。

この頃は、まだ現地ガイドや中国人女性たちの姿が、
私の視野に入っていたのであるが・・・?


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手を大きく左右に振って


タイのバンコクから車で2時間半の、
地点にリゾート地パタヤがある。

画像は夜のパタヤの歓楽街である。
パタヤのこの辺の歓楽街は、
昼間は寝静まっている。

しかし、夜ともなれば、
オープンバーやスナック等、
それに付随する客引きの少女達も姿を現す。

現地ガイドに聞いたが、飲み代が500B(1500円)
このドールハウスでは、ビール一杯45B(135円)
瓶のビールでも99B(297円)と相当安い。

瓶のビールの方で8割ダウンである。
これから計算するならば、
連れ出し料は1000B(3000円)が200B(600円)


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泊りが3000B(9000円)のところが、
8割引の計算で、600B(1800円)になり、

遊び代合計4500B(13500円)のところが、
遊び代合計で899B(2697円)になる。

パタヤの海岸に、客引きで立っている若い子が、
現地ガイドの説明では、ちょっとした遊びで、
80バーツ(240円)でもOKという話を聞いた。

だが、現地ガイドも嫌であると言っていた。

今の立っている所から、近かったので、
その現場へ行ってみたいとも思った。

そして、先ほどバスの中で話していた場所へ、
行ってこの目でその場を見て見たいとガイドに行った。

現地ガイドは、手を大きく左右に振って、
「絶対駄目です!今度迷子になったら危険です」と、
パタヤの夜のビーチで行方不明にでもなったらと、
思ったのであろうか?


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中国人が何度も執拗に歓楽街の事を聞き、
それには歯切れの悪そうな回答をしていた。

それもその筈で、現地ガイドの奥さんが、
この日も一緒にツアーに同行していた。

タイバンコクの人で非情に綺麗な女性だった。

よく考えてみると、自分の奥さんの前で、
話せる事ではないなどとも、この時に思った。

そして、先ほどまで中国人達の姿を見かけていたが、
この時点で、完全にガイドの姿も、
中国人達の姿も見失ってしまった。

どこかの路地へ、入ってしまったのだろうか?
などと人ごみの方を目を凝らしてで追ったが、
知らない人達ばかりであった。

画像は、知らない人達が通り過ぎ行き、
何とも言えない気持ちの自分を写したようである。


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やっと見つかった


タイバンコクから2時間半でパタヤへ着く。

私は上海からのツアーに参加したのですが、
日本の旅行社のこのバンコクやパタヤの
セールスポイントこのようなのがあった。

大人気のバンコク・パタヤのコースを、
厳選しました!あなただけの旅が、
きっと見つかりますよ!!

キャッチフレーズは、どのようにでも、
書く事が出来るが、「微笑みの国」のタイの中で、
バンコク・タイは結構楽しかった。

次回また行く機会が出来るのであるならば、
一人で自由気ままに旅がしたいと思った。


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私が、色々なオープンバーのお嬢さん達に、
気を取られているときに、現地ガイドと
中国人の人達を見失ってしまった。

私は、慌てて小走りにパタヤの歓楽街通りを、
走った。そして色々な通りに分かれており、
元来た道に引き返し、彼達が一体何処に、
行ってしまったのか?考えながら歩いた。

見失った地点から、200mほどの間を、
2往復したが、彼らの姿を見つける事は、
出来なかった。

船上のレストランからの踊りから、堤防を歩き、
今も歩き詰めなのと、皆の姿が見つからないので、
少々疲れ、オープンバーのお嬢さんに椅子を借りた。


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ビールか何かドリンクを飲めと言うが断った。
そして、椅子代として20B(60円)のチップを出した。

彼女もニッコリ笑いながら、ポケットの中に、
しまいこんでいた。

私は仕方なく、デジカメを再生側にし、
今まで撮った画像を店の彼女達と確認していた。

そこに現地ガイドが、何食わぬ顔で、
「日本先生!そろそろ行きましょうか」と、
上海のツアー客を連れて迎えに来ていた。

上海のツアー客の中国人は、
「この人はこの小姐達ともう友達になってる」と、
何か不満そうであったが、不満なのは私の方であった。


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「何処へ行っていたのですか?」と聞くと、
指を差し、キックボクシングの試合を見ていたと言う。

私が、オープンバーのお嬢さん達に手を、
振っている時に、見失った場所の前の店に、
「ムエタイ」からの出店があり見ていたと言う。

私は一気に疲れが出たような感じがした。
私が、皆さんを何度探した事かと言いかけ、
そんな事を言っても、パタヤのお嬢さんに、
気を取られていた私がいけなかったと反省した。

先ほど2度も見た刺青「TATTOO」の店の、
画像を取り込み、彼らの後にぴったり着いていった。

現地ガイドが、大通りで「トゥクトゥク」と、
値段の交渉をし、その後の荷台を座席にしたシートに
座った時には実にホッとした。

皆の顔を見渡しながら、微笑んだら皆も笑った。


DSCF9018.jpg


「中国写真ライフ」へ戻る。
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