Dog photography and Essay

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源氏物語1帖から20帖


「光り輝くような美貌から光源氏と呼ばれた」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



源氏物語第一帖の桐壺(きりつぼ)から学習。
源氏誕生から12歳までを描き桐壺は後宮の七殿五舎のうちの一つに居た。
七殿とは弘徽殿、承香殿、麗景殿、登華殿、貞観殿、宣耀殿、常寧殿の事。



五舎とは飛香舎(藤壺)、凝花舎(梅壺)、昭陽舎(梨壺)、襲芳舎(雷鳴壺)、
淑景舎(桐壺)を呼び源氏の母は桐壺は淑景舎(しげいさ)に控えていた。

淑景舎(桐壺)は天皇の御座所となる清涼殿から最も遠い場所にあった。
物語では帝(桐壺帝)から寵愛を受けた女性(桐壺更衣)が淑景舎にいたとある。



更衣とは天皇の居室(寝室)に立ち入ることが可能な女官の事を更衣と呼ぶ。
桐壺は美しい皇子を出産するが他の妃たちの嫉妬や嫌がらせが原因で病気に。

桐壺更衣は3歳の皇子を残して病死し桐壺帝は深く嘆き悲しむ。
桐壺帝を慰めるために亡き更衣である桐壺に生きうつしの藤壺を招く。



先帝の皇女(藤壺)が入内して皇子は帝の手元で育てられる。
皇子は亡き母(桐壷)に似ているという藤壺を殊更に慕うようになる。

帝は元服した皇子に源姓を与えて左大臣家の娘(葵の上)の婿にする。
元皇子はその光り輝くような美貌から光る君と呼ばれ光源氏の物語が始まる。



当時の天皇は皇室経費を削減し安定させるため皇子の多くを臣籍降下させた。
嵯峨天皇の妃には皇后(中宮)多くの女御・更衣・御息所などがいた。

皇后・女御など比較的身分の高い妃ではなく、更衣・御息所など、
比較的身分の低い妃が産んだ皇子から臣籍降下させた。


「源氏は空蝉ともう一度一夜を共にと思う」

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「帚木」(ははきぎ)は源氏物語巻名の桐壺に続く第2帖。
巻名は光源氏と空蝉が交わした和歌の帚木の心や消ゆる帚木に因む。
帚木帖と3帖の空蝉(うつせみ)4帖の夕顔と併せて帚木三帖と呼ぶ。



「帚木」は「桐壺」の後の話を描いているが数年間の時間が経過している。
「帚木」では正確な源氏の年齢は書かれていないが17歳夏から冬の話だ。

五月雨(さみだれ)の夜17歳になった光源氏へ友の頭中将が訪ねてきた。
さらに2人の近所の貴族も交え4人で女性談義をすることになる。



頭中将は女性と付き合うなら上流より中流の女性が良いと前置きする。
子までもうけた内縁の妻の話をするが正妻の嫌がらせに遭い家を出た。

頭中将の内縁の妻が夕顔で子供が玉鬘だということがわかる。
翌日紀伊守の屋敷に訪れた源氏は空蝉に興味を持ち強引に一夜を共にする。



強引に空蝉と一夜を共にして以来空蝉(うつせみ)を忘れられなくなる源氏。
源氏は紀伊守に計って空蝉の弟の小君を自分の元で仕えさせる事にする。

源氏から文を託された小君は空蝉に恋文を届けるが断られてしまう。
姉の返事を源氏に伝え自分になびかない空蝉ともう一度一夜を共にと思う。

源氏物語3帖へと


「悲劇的な最後の夕顔は読者の心に残る」

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夕顔(ゆうがお)については一度書いたが再度書いてみよう。
夕顔は源氏物語の第4帖に登場し帚木(ははきぎ)三帖の第3帖になる。
源氏物語に登場する夕顔は「常夏(なでしこ)の女」とも呼ばれている。



夕顔は葵の上の兄である頭の中将の側室だったが光源氏は葵の上の義弟。
頭中将の一女(後の玉鬘)を産むが本妻の嫉妬を恐れて姿を消した。

宮中を出て街中に紛れ暮らしていた時若い光源氏と情を交わしてしまう。
幼い娘(後の玉鬘)を残して若死にし悲劇的な最後が印象に残る女性である。



源氏17歳夏から10月従者藤原惟光の母親でもある乳母の見舞いの折の事。
隣に夕顔が居り垣根に咲く夕顔の花を源氏が従者に取りに行かせ和歌を頂く。

藤原惟光は源氏より少し年上だが源氏との密会の際に急死した夕顔を葬る。
街中で暮らす夕顔と和歌のやり取りなど光源氏のために働いていた。



夕顔の葬儀を終え源氏は夕顔がかつて頭中将の側室だった事を知る事になる。
源氏は夕顔に忘れ形見の姫君(玉鬘)の事を知り姫君を引き取りたいと切り出す。

騒ぎを恐れ制止され夕顔が暮らしていた家へ向かうが雑草に覆われていた。
登場する回数こそ少ないが悲劇的な最後が印象に残る女性夕顔は心に残る。


「若紫は源氏の妻の紫の上のことである」

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(2011/10時点の私の血圧94/132だった)

源氏18歳、若紫10歳の折の事柄が源氏物語の第5帖に描かれる。
若紫は幼い頃の紫の上の事を描いている事で若紫と呼ばれている。
光源氏が北山で若紫を垣間見てから二条院に迎えるまでを描がいている。



(中国での仕事中の血圧は116/162の時もあった)

源氏はマラリアの三日熱を病んで加持祈祷のために北山を訪れていた。
密かに恋焦がれる藤壺(23歳)の面影を持つ10歳の若柴を垣間見た。

若紫は藤壺の兄兵部卿宮の娘で父の正妻による圧力を機に心を病んだ。
若紫の母は若紫が生まれて程なくして病により亡くなっている。



(今回眩暈が続き始めて血圧を測ると52/88である)

若紫は祖母の北山の尼君の元で育てられてより10余年経っていた。
源氏は若紫の後見を申し出るが結婚相手には幼く尼君は本気にしない。

4月藤壺(23歳)は病で里下がりした折に源氏は藤壺と再会を果たすことに。
藤壺は源氏の文も拒み続けたが源氏の義母の藤壺は源氏の子を宿していた。



(1日2Lは飲めないが脱水と疲労から低血圧なのか?)

若紫は北山の尼君が体の調子を崩しその後若紫と共に都に戻っていた。
源氏は晩秋尼君を見舞いに訪れるが尼君は間もなく亡くなってしまう。

身寄りのなくなった若紫を源氏は父兵部卿宮より先に行動を起こす。
源氏は自らの屋敷二条院へ藤壺の身代わりに若紫を育てようと連れ去る。


「末摘花(すえつむはな)は異色の不美人である」

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(足が熱く2015/8/11に足湯バケツを購入している)

末摘花(すえつむはな)とは源氏物語巻名のひとつで第6帖。
茎の先端につく花を摘み取って染色に用いベニバナの古名でもある。
源氏18歳頃に末摘花と出会い生涯光源氏と関り続けた女性の一人である。



(足湯バケツを購入する前から足が熱かった)

源氏は「悲劇の姫君」という幻想に憧れと好奇心を抱いて求愛する。
親友の頭中将とも競い合うが彼女の対応はハッキリせず源氏を困惑させた。

ある雪の朝に末摘花の顔を覗いた源氏は美しくない顔に驚いてしまう。
その後も世間知らずな言動の数々に閉口しつつも源氏は彼女と逢っていた。



(冬の灯油暖房は足が熱く殆ど使わなかった)

彼女の困った表情や素直な心根に見捨てられないものを感じていく。
困窮した彼女の暮らし向きを思うにつけ援助を行うようになっていった。

末摘花は常陸宮と呼ぶ皇族の一人娘だが父親を早くに亡くし困窮していた。
僧侶の兄と国守に嫁いだ叔母がいるが経済的な援助は見込めなかった。



(4年ほどの手足の火照りが熱中症に繋がった?)

極端に古風な教育を受け一途で純真そのものの汚れのない令嬢だった。
末摘花は源氏物語の中で最も細かく容貌を描写された女性である。

座高が高く痩せ細り顔は青白く鼻が大きく異様に垂れ下がって見える。
鼻の先は赤くなっていると描かれ源氏物語の中では異色の不美人である。



(分からないが体は何かを訴えている事は間違いない)

皇族の父宮が亡くなる前の裕福さと亡き後の没落が見事に表現されている。
大人しく実直な性格で昔気質の気が利かない性格の為に源氏を困らせる。

彼女は源氏に忘れられていた間も一途に源氏の帰りを信じて待ち続けた。
源氏はその一途さに二条東院へ引き取り妻の一人として晩年も平穏に過した。


「紅葉賀(もみじのが)50歳の祝典」

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(各地で集中豪雨の被害情報が刻々と出ていた)

紅葉賀(もみじのが)は源氏18歳の秋から1年間を描いた第7帖をいう。
紅葉賀は人の名前ではなく五十路を祝う祝賀会と言ったところだろう。

朱雀院で開かれる紅葉賀に向けての準備で騒がしくなっていた。
桐壺帝は最愛の藤壺が懐妊した喜びに臣下たちも準備で動き回っていた。



(気象庁の解説で今回はレアなケースと放送)

だが藤壺の子は桐壺帝の御子ではなく最愛の息子光源氏の子であった。
政敵の右大臣側の勢力や藤壺のライバルに発覚すれば破滅は確実である。

源氏は藤壺の心配をよそに藤壺と再度交流をと手紙を送り断られていた。
源氏は華やかな式典で舞を披露する事になっても浮かない顔のままだった。



(テレビを見ている人の中で何人が理解できるのか)

源氏の唯一の慰めは北山から連れて来た藤壺の姪の少女若紫を見る事だった。
帝は式典に参加できない藤壺のためにリハーサルを宮中で催すことに決める。

源氏は雅楽の演目青海波を舞いながら何度も藤壺へ視線を送っていた。
藤壺も一瞬源氏を見るが源氏を憎む皇太后の弘徽殿女御は嫌がらせをする。



(レアなケースとは珍しい事態と言った意味だろう)

紅葉の中見事に舞を終えた翌日源氏が藤壺に文を送った返事が届き胸を躍らる。
桐壺帝が源氏に正三位と位を上げ弘徽殿女御は不満を露わにするのだった。

翌年二月藤壺は無事源氏にそっくりな美しい皇子(後の冷泉帝)を出産する。
桐壺帝は最愛の皇子を得て喜ぶが藤壺は罪の意識にさいなまれるのだった。


「花宴(はなのえん)政敵の娘の朧月夜だった」

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(側溝掃除は下水道になり綺麗なもので早く終わった)

桐壷帝が花見の宴を開いた折に源氏は朧月夜に会う。源氏物語第8帖。
朧月夜と聞けば文部省唱歌の菜の花畠に入日薄れが浮かぶことだろう。

紫式部の描いた源氏物語の全てのやり取りは和歌に終始し解釈も難しい。
花見の宴には藤壷中宮や弘徽殿女御や大勢が揃う中源氏は漢詩を詠む。



(もも同伴で自治会館の掃除と公園の草引きを行った)

吟ずる声も現在の宮中の歌会始めと同じ儀式なのだろうと思う。
源氏の詩も素晴らしく詠う声の調子も良く頭の中将もそれに続いた。

ともに美しい舞も披露し宴はさながら二人の独壇場であると描かれる。
宴が終わり散り散りに去りゆくが源氏はその場を去りがたい気持ちだった。



(地元消防隊の説明による消火器と消火栓訓練をした)

一人宴(うたげ)の余韻に浸り藤壷の部屋へ彷徨うも扉には鍵がかかっている。
引き返し藤壺が住む弘徽殿へ行くと鍵がかけてなく源氏は中へ入ろうと考える。

そこへ女性が「春の夜の朧月夜は最上の月夜」と口ずさみながらやって来た。
源氏は女の腕を掴んで招き寄せ和歌で口説きはじめ女も相手が源氏だと察知。



(ももは大勢の人たちに撫ぜてもらい幸せそうだった)

頑なな女だと思われたくなく素直に源氏を受け入れるが名乗ろうとはしない。
春の宴で源氏と出会ってより女性の朧月夜は物思いに沈む日々が多くなった。

源氏との一夜の出来事が忘れられないまま月日が流れ源氏20歳春となる頃の事。
素性も知らぬままに扇を取り交わして別れた姫君こそ政敵の娘の朧月夜だった。


「葵の上が亡くなり紫の上と結婚する」

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(後期高齢者限度額適用認定証の手続きに行って来た)

葵(あおい)は源氏物語の五十四帖の第9帖で源氏22歳頃の事。
桐壺帝が譲位し源氏の兄の朱雀帝が即位することとなった。

藤壺中宮の若宮が東宮となり源氏は東宮の後見人となる。
六条御息所の娘であり光源氏の従妹である秋好中宮が斎宮となった。



(妻の場合身障者1級で後期高齢者となり市役所へ)

斎宮とは天皇の即位毎に伊勢神宮に遣わされた未婚の内親王のこと。
賀茂祭とは葵祭で賀茂神社に奉仕する未婚の皇女が加茂川でみそぎする日。

源氏も供奉のため葵祭に参列するが六条御息所の一行も一目見ようと参列。
当時懐妊していた源氏の正妻の葵の上一行と牛車置き場で争いを起こす。



(手続きが終わり来週初めに認定証が発送されて来る)

葵の上の従者と六条御息所の争いにより牛車は破損し御息所は恥をかく。
元東宮妃である御息所にとり耐え難い屈辱で六条御息所は葵の上を深く恨む。

源氏は賀茂祭の役目を終え戻ったが事の一部始終を聞かされ驚愕する事になる。
源氏は謝罪に向かうが門前払いされるばかりで葵の上は病の床に就いてしまう。



(帰りに「もも」のトッピング豚バラ肉を買いに行った)

葵の上の病は六条御息所の生霊の仕業だが源氏も苦しむ葵の上に付き添った。
源氏は葵の上の看病中に六条御息所の生霊を目撃して非常に驚くと表現される。

葵の上は難産の末に夕霧を出産するが在京諸官の任命公事の夜に亡くなった。
源氏は夕霧の養育を左大臣託し美しく成長した紫の上と密かに結婚する事になる。


「源氏と朧月夜の密会が右大臣に露呈する」

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(ラジオ深夜便で明治10年の看病婦の話題を放送)

賢木(さかき)は源氏物語の五十四帖の巻名のひとつで第10帖。
源氏23~25歳、紫の上15~17歳、藤壷中宮:28~30歳の頃の物語。

正妻の葵の上が亡くなり六条御息所が源氏の正妻にと世間が噂していた。
だが生霊としての姿を見た源氏との縁が遠くなったと感じる六条御息所。



(日清日露戦争を経て大戦でも招集され戦地へ赴く)

悩める六条御息所は娘の斎宮と共に伊勢に下る準備をし出発間近となった。
このまま別れるのはあまりにも忍びないと源氏も御息所のもとを訪ねる。

源氏と顔を合わせると心が乱れると予定を変える事なく伊勢へと下った。
桐壷院は重篤になり死期を悟り朱雀帝に春宮と源氏の事を託し崩御する。



(日本敗戦の色濃く看護婦は重篤患者へ消毒液投与)

桐壷院の死で藤壷は実家へ戻ったが源氏は執拗に藤壷を口説いている。
藤壷に拒絶され源氏は紫野寺院に籠り勤行に励むが紫上や朝顔には手紙を送る。

源氏と朧月夜の密かな逢引は続いていたが朱雀帝の寵愛は深く許していた。
藤壷は春宮(冷泉帝)が源氏の子である事を思うと春宮を守る為に出家を決意。



(安楽死をさせたが今では消毒液が殺人に使われる)

桐壷院の一周忌のあと思いを貫き藤壷は出家を願い出て髪を下ろしてしまう。
藤壷の封禄は滞り仕える者の昇進も無くなり辞職し頭の中将も冷遇された。

危機の中で源氏と朧月夜の密会が右大臣に露呈し現場を押さえられてしまう。
激怒した右大臣と娘の弘徽殿大后は源氏を政界から追放しようと画策し出した。


「花散里(はなちるさと)源氏物語の第11帖」

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(熱中症の眩暈から10日後血圧を測ると52/88と低目)

花散里(はなちるさと)は源氏物語の第11帖で光源氏25歳夏の話。
花散里は「桐壺帝(源氏の父)」の妻の妹で源氏の信頼も厚かった。

花散里は源氏と葵の上の長男夕霧と孫と夕顔の娘の玉鬘の面倒をみる。
源氏は3人の世話を全て花散里に任せ裏から支えた聖母と呼ばれている。



(酷い眩暈と嘔吐が続いたが病院へは行かなかった)

五月雨の頃に源氏は故桐壺院の妃の一人麗景殿女御を訪ねる。
妹の三の君(花散里)は源氏の恋人で姉妹は源氏の庇護を頼り暮らしていた。

訪問の途中で中川の女(空蝉うつせみ)に歌を詠みかけるが拒絶される。
空蝉の邸は橘(たちばな)の花が香り昔を忍ばせるホトトギスが鳴いていた。



(塩分を摂り6日後血圧を測ると71/111と戻りつつある)

源氏は空蝉と昔話を語り合った後そっと孫である三の君を訪れた。
花散里は源氏の父桐壺帝の妻を姉に持ち源氏とは若い頃から関係があった。

容姿は端麗ではないが温和な慎ましい性格で裁縫や染物にも堪能な女性。
源氏の妻の中では葵の上と紫の上に次ぐ立場となるが葵の上は他界してる。



(十分な水分摂ってたが塩分控えた調理が体に影響かも?)

花散里は源氏の通い妻の一人だったが六条院造営後は夏の町の主となる。
夏の御方とか東の御方とも呼ばれ家庭的で信頼の置ける人柄を見込まれる。

夕霧と玉鬘の母代わりとなり夕霧の子の一人を孫として引き取り育てた。
源氏の死後は二条東院を遺産として譲り受け再び二条東院に移った。


「源氏は須磨(すま)送りを決意し全てを託す」

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(西日本大雨災害義援金の振り込みへ行って来た)

須磨(すま)は源氏物語五十四帖の巻名の一つで源氏26歳春から。第12帖。
朧月夜との仲が発覚し源氏は東宮に迷惑になると自ら須磨送りを決意する。

左大臣を始め親しい人々や藤壺に暇乞いをし東宮や女君には別れの文を送る。
一人残してゆく妻の紫の上には領地や財産をすべて託した。



(日本赤十字社を通じて届けられるとの事である)

源氏が葵祭りで勅使を務めた折に随従した尉の蔵人は官位を失った。
尉の蔵人は自ら願い出て源氏の須磨流しに随行を志願し須磨へ行く事に。

須磨の侘び住まいで源氏は都の人々と便りを交わしたり絵を描いたりした。
京の都に居た頃とは全く違う日常でまさしく淋しい日々を送る事になった。



(ボランティアで手助け出来ないので義援金だけ送った)

都から義兄で政敵でもある頭中将が訪ねて来て一時の再会を喜び合った。
源氏は明石の君の噂を聞き悪い事を思い巡らすが嵐が須磨一帯を襲う。

嵐は連日のように続き豪風雨になり眠れぬ日々を過ごす源氏一行だった。
二条院から紫の上の文が届き都でもこの豪風雨が発生している事を知る。



(私が送る義援金は車検費用程でスズメの涙でしかない)

悪天候のため厄(やく)除けの仁王会(にんのうえ)が開催され政事は中止さた。
京の都から文を届けに来た使いの者から聞き都に残してきた家族を案ずる。

源氏は以前幼い紫の上が住んでいた邸で宿直(とのい)した事を思い出していた。
源氏が生きた時代は紫式部が生きた50年前の時代で近衛府が夜間警備を担った。


「源氏は流された明石でも愛人を作る」

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(熱中症のあと初めて妻が療養する病院へ行った)

明石は源氏物語五十四帖のひとつで源氏28歳の物語。第13帖。
明石の君19歳、紫の上は20歳で紫の上や花散里に次ぐ地位を得る。

光源氏の明石時代の愛人で源氏の一人娘の明石の中宮を出産する。
明石の君の父は官職を捨て出家し明石の入道と呼び母は明石尼君。



(いつも通る道だが車の渋滞で中々進まなかった)

明石の入道は京の姫君に劣らない程の厳しい教育をほどこしていた。
住吉大社にお参りに来た明石の君は夕霧を連れた源氏を目に留める。

源氏の息子の夕霧が大切に扱われ隠し子のような存在の自分の姫と比較。
明石の君はわが身との差を感じ深く傷つき参拝せずに帰ってしまう。



(会計へ寄り入院費を支払おうとするが現金を忘れる)

源氏は右大臣の娘の朧月夜と縁が切れない事で京から明石に流されていた。
父の入道の肩入れで逢引を重ね源氏が帰京したのち明石の中宮を出産する。

田舎育ちで身分の低さもあり源氏の愛人達にひけをとるのではと懸念。
源氏の二条東院へは入らず父が用意した大堰(おおぜき)の別邸に住む。



(公園へ寄ると犬仲間のご主人が熱中症で入院中だった)

別邸で源氏と明石の中宮と対面が叶うが紫の上の養女として引き取られる。
明石の君は娘の行く末を考え手放したが成人するまで会う事は叶わなかった。

明石の君は冬の御方とも呼ばれ娘の入内を機に付き添い紫の上と対面を果たす。
我慢強く気品を備えた明石の君は紫の上の死後は悲嘆に暮れる源氏を支える。


「娘の将来を託して世を去った」

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澪標(みおつくし)は源氏物語五十四帖のひとつで源氏29歳。第14帖。
巻名は作中で光源氏と明石の御方が交わした和歌に因む。

「みをつくし恋ふるしるしにここまでもめぐり逢ひける縁は深しな」
「数ならでなにはのこともかひなきになどみをつくし思ひそめけむ」



罪を許された光源氏は都に返り咲き右大将から大納言へ昇進する。
清涼殿へ行き兄朱雀帝と3年ぶりに再会し兄弟水入らずの時を過ごした。

東宮と再会し東宮に仕えていた長男・夕霧は公爵の子として大人になった。
東宮から年明けには元服だと知らされ朱雀帝が退位するつもりだと悟った。



東宮も元服を迎えたのを期に朱雀帝は位を退き明石の御方は無事姫君を出産。
源氏は姫君のために祝い品を明石へ送るが子のない紫の上は密かに嫉妬する。

明石の御方は秋になり源氏を訪ねたのち源氏と共に住吉へ盛大に参詣した。
源氏の煌びやかな様子に改めて源氏との身分の差を思い知らされる。



同じ頃六条御息所も娘の斎宮と都へ戻っていたが御息所は病に倒れる事に。
御息所は見舞いに赴いた源氏に念を押し娘の将来を託して世を去った。

源氏は御息所の娘を愛人にしないようとの約束を守り自らの養女に迎える。
子供のない紫の上は大層喜び斎宮は梅壺に殿舎が決まり斎宮女御と呼ばれる。

「末摘花の幸運に嫉妬心を露わにする」

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(久方ぶりに往復160キロの運転は疲れてしまった)

蓬生(よもぎう)は源氏28歳から29歳の物語り。第15帖
光源氏が須磨へ蟄居(ちっきょ)し閉門になってから帰京後までの話。

源氏が都を追われ後見を失った末摘花の生活は困窮を極めていた。
邸は荒れ果て召使も去り受領の叔母が姫を娘の女房に迎えようとする。



(荒っぽい運転をする人もおり事故が減らないと思った)

末摘花は源氏が戻って来る事を信じ叔母の助言には応じなかった。
源氏が帰京したが末摘花は相変わらず忘れられたきりで嘆きに暮れる。

叔母の夫が大宰府次官となり末摘花が頼りの乳母子の侍従を連れて行った。
花散里を訪ねようと出かけた源氏は荒れた邸が常陸宮邸であると気付く。



(子供たちに熱中症の事を話すと叱られてしまった)

末摘花が去って行かず荒れ果てた邸に居ると聞き源氏は心打たれる。
源氏は末摘花の実直さと一途さに感心し末摘花のもとへ歩んでいく。

内気で不器用で世渡りを知らない末摘花に源氏が和歌を詠んだ。
末摘花を訪れて源氏は末永い庇護を約束して再び面倒を見る事になる。



(やはり話さない方が良かったのかも知れない)

再開を果たした2年後に末摘花を二条東院に引き取り東の院へ移した。
源氏の住まいと同じ敷地内なので源氏との接点も増え末摘花も幸せそう。

筑紫から戻った叔母は再び巡ってきた末摘花の幸運に嫉妬心を露わにする。
去って行った侍従も源氏の訪問を末摘花と共に待てば良かったと後悔した。


「尼となった空蝉を二条東院に迎える」

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(深夜ではサッカーも終わり街並みは静かだった)

関屋(せきや)は源氏29歳秋の物語。第16帖。
関屋(せきや)とは逢坂関の関守が住む番小屋のこと。

任地に赴いていた伊予の介と妻の空蝉は常陸国(茨城県)へ下っていた。
空蝉(うつせみ)は源氏が都を追われたことも風の便りで聞いてはいた。



(犬を連れて散歩している人も少なかった)

源氏が明石から都に戻り宿願成就の参詣に石山寺へ大行列で向かった。
石山寺へ向かう途中で常陸国から戻る空蝉と逢坂の関ですれ違う。

空蝉は車を木陰に寄せて源氏の大行列を右衛門佐とやり過ごそうとする。
右衛門佐は源氏が不遇の折に世間の噂を気にして空蝉に付き悔やんでいた。



(南夜空にはオレンジ色の火星が接近している)

源氏は右衛門佐を呼び空蝉へ今までも恋い慕っていたと手紙を託した。
空蝉との恋は源氏17歳の折で12年の歳月が流れても心動かされ返信を書く。

空蝉の夫の常陸の介は病がちで亡くなるが空蝉に対し親類は冷たかった。
悩ましい日が続く空蝉に紀伊の守の息子近づき空蝉は覚悟を決めて出家する。



(南東から南西へ動く火星は7月末が大接近)

その頃京に居た源氏は二条東院の改装や増築を執り行っていた。
源氏は妻の一人である花散里を西の対に住まわせる事にしていた。

源氏は末摘花と尼となった空蝉を二条東院に迎えて住まわせた。
更に空蝉(うつせみ)を二条東院北の対へ移す事にしたのである。


「絵合の勝敗が決まり御所の語り草となる」

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絵合(えあわせ)は源氏物語で源氏31歳で紫の上23歳。第17帖。
冷泉帝の後宮として入内した六条御息所の娘の梅壺女御(元斎宮)

冷泉帝と梅壺女御は絵画の共通の趣味をきっかけに寵愛を増す。
冷泉帝は弘徽殿女御も寵愛したが絵画の得意な梅壺は寵愛を受ける。



弘徽殿女御の父は絵画の事を知り冷泉帝の気を引こうと躍起になる。
宮中では絵画の批評が流行し冷泉帝の御前で絵合が開催される事となる。

梅壺方に負けまいと絵画の名人を呼び寄せて見事な絵を描かせたりした。
弘徽殿女御と梅壺女御の持ち寄った絵画は甲乙つけ難く中々決着しない。



絵合わせ当日須磨へ流された時に源氏が自ら筆をとった絵が出された。
現在栄華を極める源氏が寂しい浦を彷徨っている風景に誰もが涙した。

絵合の勝敗が付かない中で源氏が出した須磨の絵日記が人々の心を打つ。
すべてはこの須磨の絵によって絵合の勝敗が決まり御所の語り草となった。



宮中は益々絵の話題一色になり貴族たちの絵の収集や絵の話で盛り上がる。
源氏が秋好中宮(梅壺)に肩入れするので弘徽殿女御の心は嫉妬で乱れていた。

源氏は己の栄華を喜びつつも来世の事を思い仏道修行に励まねばと思う。
御堂を造るが世を捨てるにはしがらみも多く思い通りにはいかない源氏。


「京に入る明石の君と紫の上の心境は如何」

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松風(まつかぜ)は源氏物語のひとつで源氏31歳秋の話。第18帖。
巻名の松風は琴や琵琶の名手でもある明石の尼君が詠んだ和歌から。

「身を変へて一人帰れる山里に聞きしに似たる松風ぞ吹く」に因む。
いよいよ上洛する明石の君であるが源氏と紫の上の心境は如何なものか。



明石の君を迎えるために源氏が造営させた二条院の東の院が落成した。
西の棟に花散里を住まわせ東の棟には明石の君を迎えようとしていた。

源氏は明石の里に何度も上洛を促す手紙を送っていたが中々返事が来ない。
明石の君は高貴な女人達と生きるのは自信がないと返事を返さなかった。



自分のような身分の低い女が京の都でどう振舞えば良いか考えていた。
明石の姫君を片田舎に埋もれさせても良いのかもと心悩む日々を過ごした。

明石の君とは逆に父の明石入道は京都嵐山近くに着々と準備を進めていた。
縁者の無人の屋敷を改築し明石の君と姫君を住まわせようとしていた。



明石入道は源氏へ娘や孫姫が上洛の準備をしていると伝え源氏は安堵する。
紫の上に気を遣いながらも3年ぶりに明石の君と対面し3歳の姫君を抱き寄せた。

紫の上に姫君を養女にしたいと伝え快く承諾するが明石の君の心を思うと複雑。
子供のいない紫の上は喜んでいたが姫君と引き離される明石の君の心にも気遣う。


「冷泉帝が出生の秘密を知る事となる」

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(ももの便が火垂るの墓の節子のようにビチビチだった)

薄雲(うすぐも)は光源氏31歳冬から32歳秋の話である。第19帖。
「入り日さす峰にたなびく薄雲はもの思ふ袖に色やまがへる」

薄雲の巻名は源氏が藤壺の死を悼(いた)んで詠んだ和歌に因んでいる。
明石の君は姫君を紫の上が二条院で育てる事を考えた末に賛成する。



(猛暑の為に調子を崩したのかとビオフェルミンを飲ませた)

姫君の将来を考え最善だと明石の君は納得するが娘を手放す悲しみも深い。
娘がいなくなり源氏の足が遠のくのではと思い悩む日々だが心を決める。

姫君は明石の君と別れ際に寝ていて二条院で母の姿が見えない事に気付く。
紫の上は姫君を取り上げたと思うと源氏が明石の君と会うのを大目に見る。



(今朝ビニール袋で受け止めた便は程良い硬さになった)

東の棟に住む花散里の多くを求めない性格も沢山の幸せを呼び込んでいた。
大堰の明石の君もまた出過ぎた真似をせず源氏は変わらず足を運んでいた。

天変地異の上太政大臣が逝去し母である藤壺が37歳で崩御し冷泉帝は落胆する。
源氏も悲嘆のあまり念誦堂に篭る日が増えるが法要が終わる頃に問題が起こる。



(ももの食べ残したフードはその都度捨てている)

法要も一段落した頃不安定な政情の中で冷泉帝は益々不安な心持ちになる。
不安な帝に藤壺の時代から仕えていた僧が冷泉帝に出生の秘密を密かに告げた。

桐壺院が父親ではなく源氏が冷泉帝の父親と聞き衝撃を受けた帝は思い悩む。
実の父が臣下ではと思い源氏に位を譲ろうとするが源氏は強くそれを退ける。


「源氏と深い仲になれば不幸になる」

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朝顔(あさがお)は源氏32歳の秋から冬の話である。第20帖。
朝顔がムクゲ(槿)の古称でもあり槿(あさがお)と表記される事がある。

「見しおりのつゆわすられぬ朝顔の花のさかりは過ぎやしぬらん」
「秋はてて露のまがきにむすぼほれあるかなきかにうつる朝顔」に因む。
籬(まがき)に絡みつく朝顔のもどかしさで心中を表現した短歌である。



(ももが見てるのは社交ダンス教室ではない)

藤壺の逝去と同じ頃に源氏の叔父である桃園式部卿宮も死去した。
桐壺帝の弟・桃園式部卿宮の姫君の朝顔は桃園邸に籠る日々を送っていた。

源氏は若い頃から朝顔に執着して頻繁に桃園邸を訪ね紫の上を不安にさせる。
朝顔も源氏に好意を抱いていたが源氏と深い仲になれば不幸になると恐れた。



(ももの見ている教室の手前に近鉄本線が通っている)

朝顔への思いを諦めた源氏は朝顔の花のさかりは過ぎやしぬらんと歌を贈る。
源氏はこれまでの女性との過去を振り返るがその夜の夢に藤壺があらわれる。

冷泉帝に罪が知れて苦しんでいると源氏を恨む夢で密かに供養を行った。
源氏の恋愛遍歴と女君たちの顛末を知るにつけ朝顔は短歌だけの交際を保つ。



(ももは電車が通り抜けるのを今かと待っている)

源氏から和歌を添えた「帚木」の朝顔の花を添えた逸話より付けられた。
朝顔は高貴の出自のため正妻候補に幾度か名前が挙がった事もあった。

朝顔は源氏に好意を寄せていたが妻になろうとまでは思わなかった。
朝顔は斎院を長く続け婚期を逃し独身を貫き出家し物語の表舞台から消える。


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