Dog photography and Essay

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「枕草子(まくらのそうし)」を研鑽-4



「蓮の葉は他の草よりも素晴らしい」

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「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。



草は、菖蒲(しょうぶ)。菰(こも)。葵(あおい)は、とてもおもしろい。
神代から始まって、あのような髪に挿す物となったのが、とても素晴らしい。
葉の形も、たいそうおもしろい。沢瀉(おもだか)は、面高(おもだか)という
名前がおもしろい。面高だから、思い上がっているだろうと思うので。



三稜草(みくり)。ひるむしろ(浜人参)。苔(こけ)。雪の間の若草。
こだに(ツタの一種)。かたばみは、綾織物の紋様になっているのも、
ほかの草よりはおもしろい。あやう草は、崖っぷちに生えているというのも
危ういという名前の通り頼りない。いつまで草は、これまた儚くかわいそう。



崖っぷちよりも、こっちの方が崩れやすいだろう。本格的な漆喰壁などには
とても生えないだろうと思われるのが欠点だ。事なし草は、思うことを
成し遂げるだろうと思うのもおもしろい。しのぶ草は、とてもあわれだ。



道芝(みちしば)は、とてもおもしろい。茅花(つばな)もおもしろい。
蓬(よもぎ)は、たいそうおもしろい。山菅(やますげ)。日陰(ひかげ)。山藍。
浜木綿(はまゆう)。葛(くず)。笹。あおつづら。薺(なずな)。苗。浅茅(あさじ)は
とてもおもしろい。蓮の葉は、ほかのどんな草よりも優れて素晴らしい。


「日本のなでしこもとても素晴らしい」

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妙法蓮華の例えにして、花は仏に奉り、実は数珠の玉に貫き
阿弥陀仏を祈念して極楽往生の縁にするのだから、そして花のない
夏の頃に、緑色の池の水に紅く咲いてるのも、実に素晴らしい。
漢詩の「翠扇(すいせん)」は蓮葉、「紅衣(こうい)」は蓮花。



翠翁紅(すいせんこう)と、扇ではなく翁と書いてあるのは、誤写だろう。
唐葵(からあおい/たちあおい)は、日の光が移るに従って花が傾くというのは
草木とは言えないような分別がある。さしも草。八重葎(やえむぐら)。
つき草(露草/つゆくさ)は、色が褪せやすいというのが嫌だ。



草の花は、なでしこ。唐なでしこ(石竹)は言うまでもない。日本のなでしこも
とても素晴らしい。女郎花(おみなえし)。桔梗(ききょう)。朝顔。かるかや。
菊。つぼすみれ。竜胆(りんどう)は、枝ぶりなども入り組んで煩雑だけれど
他の花がみんな霜枯れているのに、際立った色彩で姿を現すのは、おもしろい。



また、わざわざ取り上げて、一人前の花として扱うべきでもないけれど
かまつかの花は、可愛らしい。「かまつか/鎌柄」という名前は嫌だけれど。
「雁の来る花」と漢字では書いている。かにひの花は、色は濃くないけれど
藤の花ととてもよく似ていて、春と秋に咲くのがおもしろい。


「夕顔は花の形も朝顔に似ていて」

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萩は、とても色が濃く、枝もしなやかに咲いているのが、朝露に濡れて
なよなよと広がってうつむいているのがいい。
牡鹿が好んで寄って来るらしいのも、ほかの花とは違う。八重山吹。



夕顔は、花の形も朝顔に似ていて、朝顔、夕顔と続けて言うと
とても素敵な花の姿なのに、実の形がとても残念だ。
どうしてあんなに大きな実がなるように生まれたのだろう。
せめて酸漿(ほおずき)くらいの大きさであってほしい。



でも、やはり夕顔という名前だけはおもしろい。しもつけの花。葦の花。
この草の花の中に薄(すすき)を入れないのは、とても変だと人は言うようだ。
秋の野を通じての風情は薄にこそある。穂先が蘇芳色で、とても濃いのが
朝露に濡れて靡いているのは、これほどのものがほかにあるだろうか。



でも、秋の終わりは、まったく見所がない。いろいろの色に咲き乱れていた
花が跡形もなく散ったのに、冬の末まで、頭が真っ白く乱れ広がっているのも
知らないで、昔を思い出しているような顔で風になびいて、ゆらゆら
揺れているのは人間にとてもよく似ている。このようになぞらえる気持ちが
あるから薄(すすき)のことを特にあはれと思うのだろう。


「姿がはっきり見えてはいけない」

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歌集は、万葉集(奈良時代末期に成立した日本に現存する最古の和歌集)
古今集(古今和歌集/天皇や上皇の命により編纂された歌集)。



歌の題は、都。葛(くず/万葉の昔から秋の七草の一つ)。
三稜草(みくり/多年生の抽水植物。地下茎を伸ばして株を増やす)。
駒(こま/馬に使われる)。霰(あられ/雪霰や氷霰など)



不安なもの。比叡山で十二年の山籠りをしている法師の女親。
闇夜なのに知らない所へ行った時に、姿がはっきり見えてはいけないと
いうことで、灯りもつけないで、それでも並んで座っているとき。



新しい召使いで性格もよくわからないのに、大切な物を持たせて
人の所に使いに出したところ、遅く帰って来るときや、口もきけない
赤ん坊が、そっくりかえって、人にも抱かれようとも
しないでただ泣いているときも不安になる。


「明けてくるに連れ近くに聞こえる」

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(束の間の夕焼けの光りに照らされた「もも」)

比較しようがないもの。夏と冬と。夜と昼と。雨が降る日と日が照る日と。
人が笑うのと腹を立てるのと。年取っているのと若いのと。
白いのと黒いのと。愛する人と憎む人と。同じ人でありながら
愛情のある時と変わってしまった時では、本当に別人ではないかと思われる。



火と水と。太っている人と痩せている人。髪が長い人と短い人と。
夜に烏(からす)がたくさんとまっていて、夜中頃に寝ぼけて騒ぐ。
落ちそうになって慌て、木を伝わって、寝起きの声で鳴いているのは
昼間の感じとは違っておもしろい。人目を忍んで逢っている場所では
夏がおもしろい。非常に短い夜が明けてしまう。



なので、まったく寝ないでいたことになる。前夜からそのままどこも
開けっ放しにしてあるので、涼しくあたりを見渡せる。もう少し言いたい
ことがあるので、お互いに受け答えをしているうちに座っているすぐ上から
烏が高く鳴いて行くのは、見られたような気がしておもしろい。



また、冬の夜、とても寒いので、夜具をかぶったまま聞くと鐘の音がまるで
なにかの底からしているように聞こえるのは、とてもおもしろい。鶏の声も
はじめは羽の中で鳴く声が、口ごもったように鳴くので、とても奥深く
遠くに聞こえるが、明けてくるにつれて、近くに聞こえるのもおもしろい。


「不満そうに大きな声で言って」

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恋人として来ているのは、言うまでもなく、ただちょっと話したり
また、それほどでもないが、たまたま来たりする人が、簾の内に
女房たちが大勢いて話などしているところに入って座り、すぐには
帰りそうもないのを、その人の供の男や童子などが、何度も覗いてる。



主人の様子を見て、斧の柄も腐ってしまいそうだと、嫌で堪らないようで
長々とあくびをして、密かにと思って言ったらしいが、ああ、つらい。
まったく苦悩煩悩だよ。もう夜中になっているだろうって言っているのは
ひどく不愉快だ。こんなことを言う者は、取るに足りない者たちだろう。



別になんとも思わないが、この座っている人のほうが、風情があると
見たり聞いたりしたことも消えてしまうように思われる。また、それほど
はっきりとは言えないで、不満そうに大きな声で言って、ため息をついた。



心には 下行く水の わき返り 言はで思ふぞ 言ふにまされる

心の中に地下水がわき返っているように 口に出さないけれど
あなたを思っています その思いは口に出して言うより優っています。
などという気持ちなのだろうと、思うとかわいそうだ。


「最後まで仲のよい人はめったにいない」

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立蔀(たてじとみ)や透垣(すいがい)などの所で、雨が降ってきそうだなど
と聞こえよがしに言うのも、ひどく憎らしい。格別身分の高い人の
お供などは、そんなことはない。貴族の息子などのお供はだいたいよい。
それ以下の身分の場合はみなそんなふうに無礼だ。大勢いる従者の中でも
気立てを見極めて連れて歩きたいものだ。



めったにないもの。舅(しゅうと)に誉められる婿。また、姑(しゅうとめ)に
可愛がられるお嫁さん。毛がよく抜ける銀の毛抜き。主人の悪口を
言わない従者。まったく癖がない人。容貌、性格、態度も
優れていて、長く生きるほど、少しの欠点もない人。



同じ所に住んでいる人で、お互いに恥ずかしがって、まったく隙を
見せないようにしようと思っていても、最後まで隙を見せないように
するのは難しい。物語や歌集などを書き写す時に元の本に墨をつけないこと。



立派な綴じ本などは、非常に気を使って書くけれど、必ず汚ならしく
なるようである。男と女の間柄は今さら言わないし、女同士でも
深い約束をして親しくしている人で、最後まで
仲のよい人はめったにいない。


「童などが来ている時には都合が悪い」

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宮中の局は、細殿がとてもおもしろい。上の方の蔀(しとみ)が上げてあり
風がたいそう吹き込んで、夏もとても涼しい。冬は雪、霰(あられ)などが
風と一緒に降り込んでくるのも、とてもおもしろい。



部屋が狭くて、童などが来ている時には都合が悪いが、屏風の内側に
隠しておいておくと、別の場所の局に来たかのように、大声で
笑ったりしないので、大変よい。細殿は、昼なども
油断しないで気をつけていなければならない。



夜はなおさら気を許すことができそうにないのが、とてもおもしろい。
一晩中聞こえていた沓(くつ)の音がとまって、ただ指一本で戸を叩くのが
あの人だなとすぐにわかるのがおもしろい。ずいぶん長く叩いているのに
音もしなかったら、眠ったのかと思うだろうと癪(しゃく)だから、少し体を
動かす衣ずれの音で、起きているようだと思ってくれるだろう。



冬は女が火鉢にそっと立てる火箸の音も、まわりに気を使ってるなと
聞こえるのに、男がどんどん叩くので、女も仕方なく声に出して
返事をするのだが、それをわたしは物陰ににじり寄って聞く時もある。


「きれいな硯を引き寄せて手紙を書き」

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大勢の声で詩を朗詠したり歌などを詠う時には、戸は叩かないけど
こちらから先に開けるので、ここへ来ようと思っていなかった人も
立ち止まってしまう。大勢すぎて座る場所もなく立ったまま
夜を明かすのもやはりおもしろそうである。



なのに、几帳の帷子(かたびら)がとても鮮やかで、帷子の裾や褄(つま)が
少し重なりあって見えている局の前で、直衣(のうし)の後ろにほころびが
大きくあいている若君たちや、六位の蔵人が、青色の袍などを着て得意気に
局の遣戸(やりど)のそばに寄りそって立つこともできないでいる。



塀の方に背中をくっつけて両袖を合わせて立っているのは、おもしろい。
また、指貫(さしぬき)のとても濃いのをはき、直衣の派手なのを着て
袖口から何枚もの下着をちらつかせている人が、簾(すだれ)を押して
体半分を局に入っているようなのは、外から見ると、とてもおもしろい。



だが、その人がきれいな硯を引き寄せて、手紙を書き、あるいは鏡を借りて
鬢(髪)を直したりしているのは、すべておもしろい。三尺の几帳が
立ててあるが、帽額(もこう/簾の上部)の下はほんの少し隙間があるが
外に立っている男と中に座っている女が話をしていて、その顔のところに
とてもぴったりなのがおもしろい。背が高い人や低い人はどうだろうか。


「いつもと違って趣深く聞こえる」

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背が高い人や低い人は別にして、普通の背の人は、きっと目が合うだろう。
まして、賀茂の臨時の調楽(ちょうがく)の時などは、実におもしろい。
主殿寮(とのもりづかさ)の役人が、長い松明を高く灯して、首は襟の中に
入れて行くので、松明の先が物につきあたりそうで、おもしろい。



楽を奏で、笛を吹き立てるので、格別な気持ちでいると、若君たちが
束帯(そくたい)姿で局の前に立ち止まり、女房に話しかけたりするので
お供の随身が、先払いの声をひそかに短く、自分の若君たちのためだけに
やっているのも、楽の音にまじって、いつもと違って趣深く聞こえる。



やはり戸を開けたまま戻って来るのを待っていると、若君たちの声で、
荒田(あらた)に生(お)ふる富草(とみくさ)の花と謡っているのは行きの時より
今度は、もう少しおもしろいが、どういう生真面目な人なのだろうと思う。
そのまま無愛想に歩いて行ってしまう人もいるので、笑ってしまう。



ちょっと待って。どうして、そんなにこの夜(世)を捨ててお急ぎになるのとか
言うわよなどと言うと、気分でも悪いのだろうかと、倒れそうになるほど
もしかして人が追いかけてつかまえるのではないかと思えるほど
慌てて退出する人もいるようである。


「人を遣って見届けさせたりする」

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中宮様が職(しき)の御曹司(みぞうし)にいらっしゃる頃は
木立などがずいぶん古びて、建物の様子も高く人けもなく
もの寂しいのになんとなく趣深く思われる。



母屋は、鬼がいるというので、南側に間仕切りを設け
南の廂の間に中宮様の御几帳を立てて御座所とし
又廂(またびさし)(孫廂)の間に女房は伺候(しこう)している。



(鈴鹿青少年の森公園の中国無錫の太湖石)

近衛の御門(陽明門)から左衛門の陣(建春門)に参上なさる上達部の
前駆(ぜんく)たちのかけ声、殿上人のは短いので大前駆(おおさき)
小前駆(こさき)と名づけて、聞いては大騒ぎする。



何度も重なるので、その声もみんな聞き分け、あの人よ
彼よなどと言うと、また他の女房が、違うわよなどと言うので
人を遣って見届けさせたりするが、言い当てた者が
だから言ったでしょうなどと言うのも、おもしろい。


「思い通りにならないとため息をつく」

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有明の月の頃、ひどく霧がかかっている庭におりて、わたしたちが
歩き回っているのをお聞きになって、中宮様も起きていらっしゃった。
御前にいる女房たちは皆端近に出てきて座ったり、庭におりたりして
遊ぶうちに、しだいに夜が明けてゆく。



左衛門の陣に行ってみようと言って行くと、わたしもわたしもと話を
聞いて行くと、殿上人が大勢大声で、なにがし一声秋(いっせいのあき)と
詩を吟じてこちらへ来る音がするので、職の御曹司に逃げ帰って
その殿上人たちと話などする。



月を見ていらっしゃったのですねなどと感心して歌を詠む殿上人もいる。
夜も昼も殿上人が訪れない時がない。上達部まで参内なさる途中
特別急ぐことがない方は、必ずこちらへ参上なさる。



おもしろくないもの。わざわざ思い立って、宮仕えに出た人が
宮仕えを億劫がって、面倒くさく思っているのとか養女で顔の醜いの。
婿になるのをためらってた人を、無理に婿しておいて
思い通りにならないと、ため息をつくのはおもしろくない。


「隠れて寝ていたわたしも起きて」

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気持ちよさそうなもの。卯杖(うずえ)の法師。
神楽の人長(にんじょう/指揮者) 神楽の振り幡(ふりはた)とか
いうものを持っている者。卯杖とは新年に用いる邪気を払うための杖。
梅,桃,ぼけなどの木でつくられ,いろいろな装飾が施されている。



御仏名(みぶつみょう/12月19日から3日間、罪障消滅を祈る仏事)の翌日
清涼殿の地獄絵の屏風を上の御局に持って来て帝は中宮様に
お見せになる。そら恐ろしく気味が悪いことこの上もない。
中宮様は、これを見て、これを見てとおっしゃるけれど
全然見ようとしないで、気味が悪いから小部屋に隠れて寝てしまった。



雨がひどく降って、退屈だというので、殿上人を上の御局に呼んで
管弦の遊びがある。道方(みちかた)の少納言は琵琶で、とても素晴らしい。
済政(なりまさ/源済政)が箏の琴、行義(ゆきよし/平行義)が笛
経房(つねふさ/源経房)の中将が笙(しょう)の笛など、おもしろい。



一回だけ演奏して、琵琶を弾くのをやめたところで、大納言殿(藤原伊周)が
琵琶、声やんで、物語せむとする事おそしと吟唱なさった時に、隠れて
寝ていたわたしも起きて、やはり屏風絵を見ない仏罰は恐ろしいけれど
こういう素晴らしさは、がまんできないと言ってみなから笑われる。


「袖で顔を隠して見ようとはしない」

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頭中将(藤原斉信/ただのぶ)がいい加減な作り話を聞いて、私のことを
ひどくけなして、どうして一人前の人間だと思って誉めたのだろうと
殿上の間で酷い事をおっしゃっていると人から聞くだけでも恥ずかしい。



噂が事実ならともかく、嘘なのだから、自然と誤解を解いて下さるだろうと
笑っていたら、黒戸の前などを通る時にも、わたしの声などがする時には
頭中将は袖で顔を隠してまったく見ようとはしないで、ひどく憎まれる。



私はなんとも言わず、見ないようにして過ごしていたら、二月の末
ひどく雨が降って退屈な時に、宮中の物忌みで頭中将も退出できないで
宿直になって、やはり寂しくてならない。なにか言ってやろうかと
おっしゃっていたわよと、女房たちが話している。



そんなことはないでしょうなどと相手にしないで、一日中じぶんの
部屋にいて夜に参上したら、中宮様はすでに寝所にお入りになっていた。
女房たちは長押の下に灯りを引き寄せて、扁つき(遊戯)をしている。

扁つきとは平安貴族が漢字の偏と旁(つくり)を使っての文字遊戯で
主に女性や子供が漢字の知識を競うために行った遊びである。


「いつの間にいるのが分かったのかしら」

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旁に偏を付けて文字を完成させる遊びに、まあ、うれしい。
早くいらっしゃいよなどと、わたしを見つけて言うが
中宮様がいらっしゃらないのでは興ざめな気持ちがして
なんのために参上したのだろうと思ってしまう。



火鉢のそばに座っていたら、そこにまた、女房たちが大勢座って
話などしていると、だれそれが参上していますと、とてもはっきりと
言う。変だわ。いつの間にわたしがいるのが分かったのかしらと
尋ねさせると、主殿司(とのもりづかさ)の男だった。



ただわたしのほうで人伝でなく直接申し上げたいことがと言うので
出て行くと、男は、これは頭中将殿がさし上げられたのです。
ご返事を早くと言う。ひどく憎んでいらっしゃるのに
どんな手紙なのかしらと思うが、今すぐ急いで見るほどでもない。



行きなさい。すぐに返事をしますと言って、懐に入れて、それでも
やはり女房たちの話したりするのを聞いていると、男はすぐに
引き返して来て、返事がないなら、さっきの手紙を
もらってこいとおっしゃるのです。


「火鉢に消えた炭があるのを使って」

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お返事を早く、早くと言うが、まるで、いせ物語のようねと思って
見ると、青い薄様の紙に、とてもきれいに書いていらっしゃる。
不安になって胸がどきどきするようなものではなかった。
蘭省花時錦帳下(らんせいのはなのときのきんちょうのもと)と
書いて下の句はどうだとあるので、どうしたらいいのだろう。



蘭省花時錦帳下とは、白楽天(白居易)の廬山草堂雨夜独宿の中の一節で
藤原公任の和漢朗詠集にも収録されている有名な詩である。
中宮様がいらっしゃるなら、お目にかけるのだが、この下の句を
知ったかぶりに、おぼつかない漢字で書くのもあまりにも見苦しい。



あれこれ考えるひまもなく、返事を急き立てて困らせるので、ともかく
その手紙の余白に、火鉢に消えた炭があるのを使って、草の庵(いおり)を
誰かたづねむと書いて渡したが、それっきり返事も来ない。みんな寝て
翌朝ずいぶん早く局に下がったところ、源中将(源宣方)の声がする。



(ももは避妊手術してより2キロ太った)

頭の中将(藤原斉信)は清少納言に、漢詩の下の句を知っているかと
彼女の教養を試したと思われ、もちろん清少納言は知っていた。
そのままの漢詩で答えては面白くなく、草の庵(いおり)を誰かたづねむと
和歌の下の句の形で、ちゃんと七・七になっているのがすごいと思った。


「平気な顔をしているのもしゃく」

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ここに、草の庵はいるかと、おおげさに言うので、不思議ね。どうして
草の庵なんて人間らしくないものがいるのでしょうか。
玉の台(たまのうてな/美しくりっぱな御殿)と
お探しなら返事もいたしますと言う。



ああ、よかった。下局でしたね。御前の方で聞いてみようとしてたのですと
言って、昨夜あったことを頭中将の宿直所(とのいどころ)に少し
気の利いた者はみな、六位の蔵人まで集まって、いろいろな人の噂を
昔今と話題にして話したついでに、頭中将が、やはりあの女と
すっかり絶縁してしまってからはいいことがない。



もしかして何か言ってくるのではないかと待っていたが、全くなんとも思わず
平気な顔をしているのもひどくしゃくだから、今晩このまま無視するのが
良いのか悪いのかはっきり決めて終わりにしてしまおうと言って皆で
相談して届けた手紙を、今はここでは見ないと言って中に入ってしまった。



主殿司(とのもづかさ)の男が言うので、また追い返して、ただもう、手を
つかまえて、有無を言わせないで返事をもらってこないなら手紙を
取り返せと厳しく言って、あれほど降っている雨の最中に行かせた。


「早く知らせたいとわくわく」

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雨の中行かせたが、とても早く帰って来て、これをと言ってさし出したが
さっきの手紙だから、返事を書いたのだなと言って頭中将が一目見るなり
おお、と叫ぶので、妙な、どうしたのだと、みなが寄って見た。



たいした奴だな。やはり無視するわけにはいかないと言って、見て大騒ぎし
これの上の句をつけて送ろう。源中将つけろなどと、夜が更けるまで
つけるのに悩んで、結局つけることができなかったことは、
未来までも、語り草になるななどと皆で言い合った。



本当にきまりが悪くなるほど話してくれて、今はあなたのお名前を草の庵に
したよと言って、急いでお立ちになるので、ひどくみっともない名前が末代まで
残るなんて情けないわと言っている時に、修理亮則光(すりのすけのりみつ)が
大変なお慶びを申し上げようと、御前にいらっしゃると思って来たのですと言う。
修理亮則光は橘敏政の長男で、清少納言の夫としても知られている。



なにごとですか。司召などがあるとも聞いていないのに、なんの役に
おなりになったのですかと聞くと、いや、本当にとても嬉しいことが昨夜
あったので、早く知らせたいとわくわくしながら、夜を明かしてしまったが、
これほど名誉なことはなかったと言う。


「上の句をつけようとしても」

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昨夜のことを最初から、頭中将がお話しになったのと同じことを言って
ともかく、この返事によって、勅勘を被るような、いっさいそんな者が
いたとさえ思わないと、頭中将がおっしゃったので、みんなでいろいろ考えて
送ったのだが、使いの者が手ぶらで帰って来たのは、かえってよかった。



返事を持って来た時は、どうなるだろうと胸がどきっとして、本当に出来の
悪い返事なら、私にとっても悪いことかもしれないと思ったのに並一通り
どころではなく、大勢の人が誉めて感心して、きょうだい、こっちに来いとか
これを聞けとおっしゃるので、内心はとても嬉しいけれど、そういう和歌の
方面には、全くお付き合いできないわたしでと申し上げた。



意見を言えとか、聞いて理解しろというのではない。ただ、本人に話してやれと
いうので聞かせるのだとおっしゃったのは、きょうだいとしては少し残念な
気がしたけれど、上の句をつけようとしても、いい言葉が見つからない。



それにまた、これに返歌がいるのだろうかなどと相談して、返歌をして下手だと
言われては、かえって癪(しゃく)だろうというので、夜中まで考え込んで
いらっしゃった。これはわたしにもあなたにも、大変な喜びではないか。


「改めて胸がつぶれる思いがする」

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司召で少々の役についたって、これに比べれば嬉しくもなんともないよと
言うので、なるほど大勢でそんなことをしているとも知らないでうっかり
返事をしたら恥をかくところだったと、改めて胸がつぶれる思いがする。



この「きょうだい」というあだ名は、帝まですっかりご存じで、殿上でも
修理亮という官の名前は言わないで、きょうだいと、あだ名で呼ばれていた。
話などをして座っている時に、中宮様が、ちょっととお呼びになったので
参上したところ、あの件についておっしゃろうとしたからだ。



帝がお笑いになって、わたしに話してお聞かせになり、殿上の男たちはみな
あの句を扇に書いて持ってるなどとおっしゃるので、呆れてしまいどんな
魔性の者がわたしに憑(つ)いて、あんなことを言わせたのだろうと思った。
それから後は、頭中将は袖を几帳のようにして顔を隠すのはやめて
機嫌を直されたようだ。



翌年の二月二十日過ぎ、中宮様が職の御曹司に出ていかれるお供について
行かないで、梅壺に残っていた次の日、頭中将のお便りで、昨日の夜鞍馬寺に
参詣したが、今夜方角がふさがっていたので、方違え(かたたがえ)に行く。
まだ夜が明けないうちに、帰るだろう。ぜひ話したいことがある。


「お起きになることはないでしょう」

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局の戸を何度も叩かせることのないよう待っていてとおっしゃったが
局で一人なんてどうしていられるの。ここで寝なさいと、御匣殿が
お呼びになったので、そちらに行った。御匣殿は藤原道隆四女。



ぐっすり寝て起きて、局に下がったら、下仕えの女が、昨夜ひどく誰かが
戸を叩いていらっしゃいました。やっと起きたところ、御匣(みくしげ)殿の
御前なのか。それなら、こうこうと申し上げてくれとのことでした。



お取次ぎしても、まさかお起きになることはないでしょうと言って
寝てしまいましたと話す。気がきかないわねえと聞いていると
主殿司(とのもつかさ)の男が来て、頭中将殿からのご伝言ですと。



今から退出するが、話したいことがあると言うので、どうしても用事で
御前に上がっていますと言って男を帰した。局では戸を開けられるかもと
胸がどきどきして、面倒なので、梅壺の東面の半蔀(はじとみ)を上げて
こちらにと言うと、頭中将は素晴らしい姿で出ていらっしゃった。


「見所もあるにちがいないだろう」

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桜の綾の直衣(のうし)の何とも言えない華やかで、裏の艶などは
言いようもないほど清らかで、葡萄染(えびぞめ)のとても濃い指貫には
藤の折り枝の模様を豪華に織り散らして、下の衣の紅の色や、砧(きぬた)で
打った光沢なども輝くばかりに見える。指貫(さしぬき/はかま)



白いのや薄紫色などの下着が下にたくさん重なっている。狭い縁に片足は
縁から下におろし、少し簾のところに近く寄って座っていらっしゃるのは
実際絵に描いたり、物語で素晴らしいことと言っているのは
こういうことだなというふうに見える。



梅壺の庭の梅は、西のは白く、東のは紅梅で、少し散る頃になっているけれど
やはり美しく、うらうらと日差しがのどかで、人に見せたい気がする。
御簾の内側に、もっと若い女房などで、髪が美しく、こぼれかかっている。



物語に言っているような姿で、頭中将に受け答えしているなら、もう少し
おもしろく見所もあるにちがいないだろうが、ひどく盛りを過ぎ
古びた女で、髪などもじぶんのものではないからだろうか
所々がちぢれ乱れて、だいたいが喪服で色が違う時である。


「可笑しくもあり気の毒でもある」

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色があるかないかもわからない薄い鈍色の表着(うわぎ)や、色合いも
はっきりしない唐衣ばかりたくさん重ねて着ているが、全然引き立って
見えないし、中宮様もいらっしゃらないので、礼装の喪もつけないで
袿姿で座っているのは、せっかくの雰囲気をぶちこわす様で残念である。



袿(うちき)姿とは、平安時代の女性の中着で、着物衿、広袖の袷(あわせ)で
単(ひとえ)の上に何枚も重ね、一番上を表着(うわぎ)、下を重ね袿と言った。
後世5枚と定まり五衣(いつつぎぬ)と称し、十二単の正装に用いられたほか
袿と袴(はかま)だけの袿袴(けいこ)という略装も行われた。



頭中将は中宮職へ参上するが伝言はあるかと、あなたはいつ参上すると
おっしゃり、それにしても昨夜、方違えの場所で夜を明かさないで
こんな時刻でも、前から言っておいたから、待っているだろうと思って
月がすごく明るい頃に西の京という所から来るなり、局を叩いた。



やっと寝ぼけて起きてきた様子や、応対のそっけない事といったらなどと
話して、お笑いになり、まったく嫌になってしまったよ。どうして
あんな者をおいているのとおっしゃるので、可笑しくもあり
気の毒でもある。しばらくしてから頭中将は出て行かれた。


「どんなに大騒ぎして誉めるだろう」

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外から見る人は、男の素晴らしさに、内側にどんな美しい人が
いるのだろうと思うだろう。奥の方からわたしの後ろ姿を見る人は
外にそんな素晴らしい男性がいるとは思わないだろうと思う。



日が暮れたので、中宮職に参上した。中宮様の御前に女房たちが大勢集まり
帝付きの女房なども傍にいて、物語の良い悪い、気に入らない所などを
議論して非難する。宇津保物語の涼(すずし)や仲忠(なかただ)などの事を
中宮様までも劣ったり勝ったりしていることをお話しになる。



まずこれはどう。早く意見を言って。中宮様は、仲忠の幼児期の生い立ちの
賎しさをしきりにおっしゃるわなどと言えば、いや、仲忠は琴なども
天人が降りるほど弾いたし、そんなに悪い人ではないわ。
涼は仲忠のように帝のお嬢様を貰ったのと言ってみた。



仲忠びいきの人たちは勢いづいて、そうよねえなどと言うので、中宮様が
物語の人物のことより、昼に斉信(ただのぶ/頭中将)がやって来たのを
見たのなら、どんなに大騒ぎして誉めるだろうと思っていたとおっしゃる。
そう、本当にいつもよりずっと素晴らしくなどと言う。


「親しく付き合っていない人でも」

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わたしは、何より先にその事を申し上げようと思って参上しましたのに
物語のことに気をとられてと言って、さっきのことをお話しすると
誰もが見ていたけれど、そこまで縫ってある糸や、針目までは
目がいかなかったわと言って笑う。



頭中将が、西の京の趣のある事と言ったら、一緒に見る人がいたらなぁと
思ったよ。垣根なども皆古びて、苔が生えていてなどと話すと宰相の君が
瓦に松はありつるやと答えたのを、頭中将が大変誉めて、西の方の都門を
去れる事いくばくの地ぞと口ずさんだなどと、女房たちが
うるさいほど話して聞かせたのは、おもしろかった。



里に退出していて、殿上人などが来るのを、妬ましそうに人々は話を
こしらえて言っているようである。私がひどく思慮深く引っ込み思案という
評判は、おそらくないから、そんなことを言われたって別に憎らしくはない。



また、昼も夜も来る人に、どうして、いないと言って恥をかかせて
帰せるだろうか。本当に親しく付き合っていない人でも
そんなふうにして来るようだ。あんまり煩わしいので
今度はどこにいるとは皆には知らせないでいた。


「もう少しで言ってしまいそうで」

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左中将経房(つねふさ)の君と、済政(なりまさ)の君などだけが
知っていらっしゃる。左衛門尉則光(さえもんのじょうのりみつ)が来て
話などをしている時に、昨日、宰相の中将(斉信)が参内なさって、
妹(清少納言)のいる所を、幾ら何でも知らないはずはないと言う。



まったく知らないと申したのに、しつこくお尋ねになるので、無理に
白状させようとなさってなどと言って、知っていることを、知らないと
言い張るのはとても辛いね。もう少しで言ってしまいそうで、左の中将が
まったく無表情で知らない顔で座っていらっしゃった。



あの方と目が合ったら笑ってしまいそうで困ってしまい、台盤(食卓)の
上に海藻(わかめ、あらめなど)があったのを取って、どんどん食べて
ごまかしたものだから、食事時でもないのに、変なもの食べてるなと
見たことだろう。でも、そのおかげで、どことは言わないですんだ。



笑っていたら、ぶちこわしになる。宰相の中将が、本当に知らないようだと
思っていたのも、可笑しかったと話すので、絶対に教えないでと言ってより
何日かだいぶ日が経った。夜が大分更けてから、門を大げさに叩く音がした。


「適当な所をお連れし歩きまわった」

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門をたたく音に、誰がこんなに無遠慮に、家屋から遠くない門を音高く
叩いているのだろうと聞いて、尋ねさせたら、滝口の武士だった。
左衛門尉からと言って、手紙を持って来た。



みんな寝ているので、灯りを取り寄せて見ると、明日、御読経の
結願(けちがん)の日で、宰相の中将が物忌みに籠っていらっしゃいます。
女きょうだいのいる所を言いなさいと責められるので、どうしようもない。



もう隠すことはできない。ここですと教えましょうか。どうします。
あなたのおっしゃる通りに言ってきた。返事は書かないで
海藻を一寸ぐらい紙に包んで持って行かせた。



それから後で則光が来て、あの夜は責められて、適当な所をあちこち
お連れして歩きまわった。本気で責められるので、とても辛かった。
ところで、わたしの手紙になんにも返事をしないで、思いもしない海藻の
切れ端を包んでくださったのか。変な包み物。人の所にあんな物を包んで
送ることがあるものか。間違えたのだろうと言う。


「歌を詠んだらみんな敵だと思う」

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まったく分からないと思うと気にくわないので、なにも言わないで
硯箱にある紙の端に歌を詠み書き留めた。

かづきする あまのすみかを そことだに ゆめいふなとや めを食はせけむ

海にもぐる漁師のように姿を隠しているわたしの住みかを そこだとさえ
絶対に言うなと目配せ(布食わせ)したのに、それに気づかないとはと。



歌をお詠みになったのか。絶対に見ないよと言って、扇で紙をあおぎ返して
逃げて行ってしまった。このように話したり、お互いの世話をしているうちに
どうということもなく、少し仲が悪くなっている頃、手紙をよこした。



都合の悪いことがあっても、やはりきょうだいと約束したことは忘れないで
ほかの人からは、きょうだいと見てもらいたいと思うと言っている。
則光がいつも、わたしを好きな人は、歌を詠んできたりするのではない。
歌を詠んだら、みんな敵だと思うから、もうこれが最後で、別れよう。



歌を詠み書いた手紙の返事に

くづれよる いもせの山の 中なれば さらに吉野の 川とだに見じ

崩れてしまった妹背山の間を流れる川を吉野川として見られないように 
壊れてしまった私たちの関係では もう、きょうだいとあなたを
見ることはできないと言ってやったが、本当に見ないままに
なってしまったのだろうか、返事も来なかった。


「自分ではとても素晴らしいと思っていた」

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悲しそうに見えるもの。鼻水を垂らして、ひっきりなしに
鼻をかみながら話す声。眉毛を抜くのは悲しい。
平安時代成人女子は眉毛を抜いて眉墨を引くのが習わし。



左衛門府の役人の詰め所の左衛門の陣などに行った後で、里に退出して
しばらくして、早く参上しなさいと中宮様のお手紙の端に側近の女房が
左衛門の陣に行ったあなたの後ろ姿をいつも思い出していらっしゃいます。



どうしてあんなに平気で古くさい格好をしていたのでしょう。
じぶんではとても素晴らしいと思っていたのかしらなどと書いてある。
中宮様のお返事には、お詫びを申し上げて、側近の女房には
どうしてわたしが素晴らしいと思わないことがあるでしょうか。



中宮様も、なかなるをとめ(まるで天女のようだ)とご覧になったと
思いますがと申し上げさせたら、折り返し、おまえがとても
ひいきにしている仲忠の不名誉になることを、どうしてわたしに言うのか。
すぐ今夜のうちに、すべてのことを捨てて参上しなさいと中宮様のお言葉。


「仏のおさがりだけを食べる」

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中宮職の建物の部屋に中宮様がいらっしゃる頃、西の廂の間で
途絶える事が無い読経があるので、仏の画像などを掛け
僧たちがいるのは、今さら言うまでもない。



始まって二日ほど経ち、縁側で卑しい者の声で、あの仏のお供えの
お下がりがあるでしょうかと言うと、僧が、何故だ、まだ法事も
終わってないのにと言っているようなのを、誰が言っているのだろうと
立って出て行って見ると、少し老いた女法師がひどく汚ならしい
着物を着て、猿のような格好で言っている。



あの人は何を言ってるのと言うと、女法師は気どった声で
仏のお弟子ですから、仏のお供えのおさがりを頂きたいと申し上げるのに
このお坊さまたちが、お供えを惜しがってくださらないのですと言う。



声は派手で優雅である。こういう者は、しょんぼりしているのが可哀そうな
気がするのに、いやに陽気だなと思って、他の物は食べないで、ただ仏の
おさがりだけを食べるのか。それは殊勝(しゅしょう)な心がけだなと言うと
こちらの様子を見て、どうしてほかの物を食べないことがあるでしょうと。


「おもしろいことや滑稽なことを言う」

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他のお供え物、それがないから、おさがりをいただくのですと言う。
果物やのし餅などを、何かに入れて与えたところ、やけに
馴れ馴れしくなって、いろいろなことを話す。



若い女房たちが出て来て、夫はいるの、子供はいるの、どこに住んでいるのと
口々に尋ねると、おもしろいことや滑稽なことを言うので、歌は謡うのとか
舞などはするのと尋ね終わらないうちに、夜は誰とか寝む、常陸の介と寝む。
寝たる肌よしと謡い、そればかりかこの歌の下の句がとても長い。



さらに、男山の峰のもみぢ葉、さぞ名は立つや、さぞ名は立つやと謡う。
頭をくるくる振り回すのが、ひどく憎らしいので、笑いながらも腹が立って
もう行って、あっちへ行ってと言うので、かわいそうに。このものたちに
何を与えようと言うのを中宮様がお聞きになっていた。



ひどいわね、聞いてはいられないことをどうしてさせたの。
とても聞いていられなくて、耳をふさいでいたわ。その着物を一枚与えて
早く向こうへ行かせなさいとおっしゃるので、これをくださった。
着物が汚れているようだ。この白いのに着替えなさいと言って投げ与えると
ひれ伏して拝み、肩に着物をかけて拝舞の礼をするではないか。


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