浜松中納言物語 0
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「紫式部の生涯 光源氏と藤原道長他の人物像6」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「光る君への人物像」の研鑽を公開してます。道隆の長女 藤原 定子(ふじわらのさだこ)高畑 充希(たかはた・みつき)道隆の長女。一家の繁栄を願う父の思いを一身に負い、年下の一条天皇に入内(じゅだい)する。清少納言らが集う、才気にあふれたサロンを作り上げ、一条天皇の最愛の妃(きさき)となるが、悲運に見舞われる。道隆の嫡妻 高階 貴子(たかしなのたかこ)板谷 由夏(いたや・ゆか)藤原道隆の嫡妻。宮仕えの経験があり、はきはきした知的な女性。道隆のあとを継ぐ息子たち、そして天皇への入内(じゅだい)が見込まれる娘の定子(さだこ)の教育に力を入れる。六十六代 一条天皇(いちじょうてんのう)塩野 瑛久(しおの・あきひさ)66代天皇。道長の甥(おい)で、幼くして即位した。入内(じゅだい)した道隆の長女・定子を寵愛(ちょうあい)するが、のちに道長の長女・彰子も入内し、世継ぎをめぐる政争に巻き込まれる。『枕草子』の作者 ききょう/清少納言(せいしょうなごん)ファーストサマーウイカ 歌人・清原元輔(きよはらのもとすけ)の娘。才気煥発(かんぱつ)。一条天皇に入内(じゅだい)した定子の元に女房として出仕し心からの忠誠を尽くす。道綱の母 藤原 寧子(ふじわらのやすこ)財前 直見(ざいぜん・なおみ)藤原兼家の妾(しょう)。一人息子の道綱を溺愛している。和歌にたけており、兼家との日々を『蜻蛉日記(かげろうにっき)』として残した、才色兼備の女性。まひろ(紫式部)も幼いころから、『蜻蛉日記』を読みこんでいる。道長の異母兄 藤原 道綱(ふじわらのみちつな)上地 雄輔(かみじ・ゆうすけ)道長の異腹の兄。知性豊かな母を持つが、本人は一向に才に恵まれず、父の兼家からは、嫡妻の息子たちより格段に軽く扱われている。性格は明るくお人よしで、憎めないところもある。 兼家の妹/懐仁親王の乳母 藤原 繁子(ふじわらのしげこ)山田 キヌヲ(やまだ・きぬを)藤原兼家の妹。兼家の娘・詮子が懐仁親王(やすひとしんのう)を出産すると、乳母(めのと)に任じられた。 道長のもう一人の妻 源 明子(みなもとのあきこ)瀧内 公美(たきうち・くみ)藤原道長のもう一人の妻。父の源高明が政変で追い落とされ、幼くして後ろ盾を失った。のちに、まひろ(紫式部)の存在に鬱屈(うっくつ)がたまっていく。 六十五代 花山天皇(かざんてんのう)本郷 奏多(ほんごう・かなた)65代天皇。東宮(皇太子)のころから、まひろ(紫式部)の父・藤原為時による漢籍の指南を受ける。即位後、藤原兼家の孫である懐仁親王(やすひとしんのう/のちの一条天皇)が東宮となったために、早々の譲位を画策され、大事件が起きる。 散楽の一員 直秀(なおひで)毎熊 克哉(まいぐま・かつや)町辻で風刺劇を披露する散楽の一員。当時の政治や社会の矛盾をおもしろおかしく批判する。その自由な言動に、まひろ(紫式部)と藤原道長は影響を受ける。一方で、本性のわからない謎めいた男でもある。 藤原 斉信(ふじわら の ただのぶ)の妹 藤原 忯子(ふじわらのよしこ)井上 咲楽(いのうえ・さくら)花山天皇の女御(にょうご)。寵愛(ちょうあい)を受けるが早逝(そうせい)。天皇の出家のきっかけとなる。花山の叔父 藤原 義懐(ふじわらのよしちか)高橋 光臣(たかはし・みつおみ)花山天皇の叔父。若い天皇を支える役として急速に出世する。しかし藤原兼家の謀略によって天皇は退位し、出家。一夜にして権力を失うはめになる。 次回より源氏物語の紫式部日記に戻る予定で進行。
2024.02.03
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「紫式部の生涯 光源氏と藤原道長他の人物像5」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「光る君への人物像」の研鑽を公開してます。倫子・彰子の女房 赤染衛門(あかぞめえもん)凰稀 かなめ(おうき・かなめ)女流歌人。源倫子の女房であり、さらに一条天皇の中宮となる娘の藤原彰子にも仕えた。姫たちに学問を指南するうちに、文学好きなまひろ(紫式部)とも交流することになる。道隆の嫡妻 高階 貴子(たかしなのたかこ)板谷 由夏(いたや・ゆか)藤原道隆の嫡妻。宮仕えの経験があり、はきはきした知的な女性。道隆のあとを継ぐ息子たち、そして天皇への入内(じゅだい)が見込まれる娘の定子(さだこ)の教育に力を入れる。貴族の姫 やよい 菊川 陽子 (きくかわ・ようこ)五節の舞の舞姫の一人に選ばれた貴族の姫。道隆の長女 藤原 定子(ふじわらのさだこ)木村 日鞠(きむら・ひまり)道隆の長女。一家の繁栄を願う父の思いを一身に負い、のちに年下の一条天皇に入内(じゅだい)する。道綱の母 藤原 寧子(ふじわらのやすこ)財前 直見(ざいぜん・なおみ)藤原兼家の妾(しょう)。一人息子の道綱を溺愛している。和歌にたけており、兼家との日々を『蜻蛉日記(かげろうにっき)』として残した、才色兼備の女性。まひろ(紫式部)も幼いころから、『蜻蛉日記』を読みこんでいる。道長の異母兄 藤原 道綱(ふじわらのみちつな)上地 雄輔(かみじ・ゆうすけ)道長の異腹の兄。知性豊かな母を持つが、本人は一向に才に恵まれず、父の兼家からは、嫡妻の息子たちより格段に軽く扱われている。性格は明るくお人よしで、憎めないところもある。道長の嫡妻 源 倫子(みなもとのともこ)黒木 華(くろき・はる)藤原道長の嫡妻。源雅信の娘で、宇多天皇のひ孫。おおらかさと強さを併せ持つ女性。まひろ(紫式部)とも交流があり、不思議な関係が築かれていく。倫子の父/左大臣 源 雅信(みなもとのまさのぶ)益岡 徹(ますおか・とおる)倫子の父。藤原氏の勢いには一歩譲るが左大臣に上りつめる。愛娘(まなむすめ)の倫子を入内(じゅだい)させるべきか悩むが機を逃す。藤原 道長(ふじわらのみちなが)柄本 佑(えもと・たすく)平安の貴族社会で、最高の権力者として名を残した男性。まひろ(紫式部)とは幼いころに出会い、特別な絆が生まれる。のちにまひろの『源氏物語』の執筆をバックアップし、宮中への出仕を勧める。花山の叔父 藤原 義懐(ふじわらのよしちか)高橋 光臣(たかはし・みつおみ)花山天皇の叔父。若い天皇を支える役として急速に出世する。しかし藤原兼家の謀略によって天皇は退位し、出家。一夜にして権力を失うはめに。一条朝 四納言 藤原 公任(ふじわらのきんとう)町田 啓太(まちだ・けいた)頼忠の息子。道長とは同い年で、友情を育むが、出世レースが進むにつれ関係が変化する。音曲、漢詩、和歌など文化面に秀でており、まひろ(紫式部)の『源氏物語』に興味を持つ。条朝 四納言 藤原 斉信(ふじわらのただのぶ)金田 哲(かなだ・さとし)道長、公任とともに青春時代を過ごす。道長の長兄・道隆のもとに仕えるも、道長が出世しはじめると、変わり身の早さを見せ、腹心として地位を築いていく。ききょう(清少納言)とも交流がある。一条朝 四納言 藤原 行成(ふじわらのゆきなり)渡辺 大知(わたなべ・だいち)道長よりも6歳下。道長政権下で蔵人頭に抜擢(ばってき)されると、細やかな気遣いで実務に能力を発揮、欠かせない存在として支え続ける。文字の美しさでは右に出る者がおらず、もてはやされた。
2024.02.02
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「紫式部の生涯 光源氏と藤原道長他の人物像4」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「光る君への人物像」の研鑽を公開してます。まひろの母 ちやは 国仲 涼子(くになか・りょうこ) まひろ(紫式部)の母。道長の兄に刺殺され亡くなっている。不器用な夫を支え、豊かとはいえない暮らしの中でも、幼いまひろや弟の太郎を、愛情深く育てる優しい女性。 まひろの父 藤原 為時(ふじわらのためとき)岸谷 五朗(きしたに・ごろう)まひろ(紫式部)の父。藤原一門であるが、下級の貴族。裕福な生活とは縁遠かった。和歌や漢籍に通じる文人であり、まひろに文学の素養を授ける。まひろの弟 藤原 惟規(ふじわらののぶのり)高杉 真宙(たかすぎ・まひろ)まひろ(紫式部)の弟で、幼名は太郎。勉学が苦手で、文学の才がある姉としょっちゅう比較されている。のんびり、ひょうひょうとした性格。まひろの夫になる 藤原 宣孝(ふじわらののぶたか)佐々木 蔵之介(ささき・くらのすけ)まひろ(紫式部)の父・藤原為時とは職場の同僚で同年配の友人どうし。世知にたけ、鷹揚(おうよう)な性格の男性。まひろのことは幼いころから知っており、よい話し相手となって温かく見守る。のちの最高権力者 藤原 道長(ふじわらのみちなが)柄本 佑(えもと・たすく)平安の貴族社会で、最高の権力者として名を残した男性。まひろ(紫式部)とは幼いころに出会い、特別な絆が生まれる。のちにまひろの『源氏物語』の執筆をバックアップし、宮中への出仕を勧める。道長の父/右大臣 藤原 兼家(ふじわらのかねいえ)段田 安則(だんた・やすのり)道長の父。藤原氏の中でも、名門中の名門。権力を得て政治のトップに躍り出ようと画策する。いずれは天皇の外祖父となり、栄華を息子らに継がせようと作戦を練る。道長の母 時姫(ときひめ)三石 琴乃(みついし・ことの)道長の母。兼家の嫡妻。出世街道を突き進む夫を支えつつ、とりわけ三兄弟の行く末を思い、見守っているが亡くなっている。道長の長兄 藤原 道隆(ふじわらのみちたか)井浦 新(いうら・あらた)道長の長兄。兼家の嫡男。才色ともに優れており、上品さ、明るさをも兼ね備えた、申し分のない跡継ぎ。権力を弟たちではなく、息子に継がせようと試みる。道長の嫡妻 源 倫子(みなもとのともこ)黒木 華(くろき・はる)藤原道長の嫡妻。源雅信の娘で、宇多天皇のひ孫。おおらかさと強さを併せ持つ女性。まひろ(紫式部)とも交流があり、不思議な関係が築かれていく。倫子の母 藤原 穆子(ふじわらのむつこ)石野 真子(いしの・まこ)源雅信の妻で倫子の母。まひろ(紫式部)には遠縁にあたる。倫子をのびのびと育て、穏やかな家庭を築いている。倫子・彰子の女房 赤染衛門(あかぞめえもん)凰稀 かなめ(おうき・かなめ)女流歌人。源倫子の女房であり、さらに一条天皇の中宮となる娘の藤原彰子にも仕えた。姫たちに学問を指南するうちに、文学好きなまひろ(紫式部)とも交流することになる。散楽の一員 直秀(なおひで)毎熊 克哉(まいぐま・かつや)町辻で風刺劇を披露する散楽の一員。当時の政治や社会の矛盾をおもしろおかしく批判する。その自由な言動に、まひろ(紫式部)と藤原道長は影響を受ける。一方で、本性のわからない謎めいた男でもある。
2024.02.01
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「紫式部の生涯 光源氏と藤原道長他の人物像3」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「光る君への人物像」の研鑽を公開してます。「光る君へ」の大河ドラマの事を楽天ブログのブロ友へ聞いたところ見ている人は数人だったのでNHK大河の視聴率が12%と頷ける。私は見ていて涙腺が緩み涙が零れる程であるが人其々だろう。「光る君へ」は、貴族文化が花開いた煌びやかな平安時代中期を舞台に、「世界最古の女性文学」と呼ばれる「源氏物語」を書き上げた「紫式部」の人生を描いた物語である。藤原道長(ふじわらのみちなが) 柄本祐(えもとたすく)は平安時代中期の政治家。藤原兼家(ふじわらのかねいえ)の5男。「光る君へ」では道兼によくいじめられるシーンが出るがそんな一族のうちの対抗者をしりぞけ、右大臣・氏長者(うじのちょうじゃ)となり(995年)、左大臣をへて、1016年に摂政(天皇てんのうの代理)に昇進。翌年、これを子の頼通(よりみち)にゆずり、太政大臣となって表向きは引退したが、死ぬまで政治の実権をにぎっていた。政治中枢の宮中を権力下に置いて藤原家の全盛を築き、紫式部に源氏物語を書かせた人物。藤原道長の姉 藤原 詮子(ふじわらのあきこ) 吉田 羊(よしだ・よう) 円融天皇に入内(じゅだい)し、父の望みどおり皇子をもうける。その懐仁親王(やすひとしんのう/のちの一条天皇)を溺愛、成人しても常に寄り添い、次第に宮廷での勢力を増していく。(まひろ)紫式部は学問をつかさどる父・藤原為時のもとで並外れた文学の才を発揮し、想像力と好奇心を育む。のちに、まひろが書きつづる『源氏物語』は、道長のバックアップを受け、天皇や貴族の間で大ベストセラーとなった。
2024.01.31
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「紫式部の生涯 光源氏と藤原道長他の人物像2」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「光る君への人物像」の研鑽を公開してます。藤原為信女(ふじわらのためのぶ の むすめ、生没年不詳)は平安時代の女性。紫式部の母親と伝わる。 略歴---摂津守・藤原為信の娘。天禄初年ごろ、播磨権少掾を勤めていた藤原為時と結婚し、紫式部、藤原惟規、その同母姉の一男二女をもうけた。紫式部たちの幼いころに亡くなってしまい、伝記は明らかではない。大河ドラマ『光る君へ』(2024年、藤原為信女を演じたのは、国仲涼子) - 作中の名前はちやはとなっている。子供たち藤原 惟規(ふじわら の のぶのり/これのぶ)は、平安時代中期の貴族・歌人。 藤原北家良門流、越後守・藤原為時の子。紫式部の同母兄もしくは同母弟。藤原 惟通(ふじわら の のぶみち)は、平安時代中期の貴族。藤原北家良門流、越後守・藤原為時の子。藤原惟規・紫式部らの異母弟。官位は四位・常陸介。定暹(じょうせん、980年頃?-没年不詳)は平安時代の僧侶。紫式部の弟。藤原為時の長女(ふじわらのためときの ちょうじょ、971年頃 - 996年以前)は、平安時代中期の女性。紫式部の同母姉である。父の為時は長徳2年(996年)に任官により家族で越前国へ赴くが長女は同行しておらず、これ以前(または同年)に死去していることが分かる。死因は天然痘。紫式部の夫は藤原宣孝で父親とは従兄弟。妻は4人居た。紫式部42歳の時40歳で死去。紫式部との間に藤原賢子(ふじわらのかたいこ・けんし)という娘が一人いた。のちの大弐三位(だいにのさんみ)のことで、紫式部と同じく優秀な女性に育ち、三十六歌仙のひとりにも選ばれ、小倉百人一首にもその歌が残る。
2024.01.30
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「紫式部の生涯 光源氏と藤原道長他の人物像1」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「光る君への人物像」の研鑽を公開してます。光る君へが面白くないとか分からないなど声が上がり見る人も少なくなっている。これは平安時代中期の人物像の背景が分からないからだろうと思う。今回から幾つかに分けて、「源氏物語の紫式部日記」を一休みし人物像に迫ってみたいと思う。源氏物語の作者、紫式部が主人公の『光る君へ』。NHK大河ドラマでは、平安中期の貴族社会を舞台に選び、幼き紫式部と藤原道長がふとした巡り合わせで出会い、人生を交錯させる。道長は後に紫式部へ源氏物語を書かせることになる。紫式部日記で、父が「くちをしう、男子にて持たらぬこそ、幸ひなかりけれ」(つくづく残念だ。この子が男子でないとは、なんと私は不運なんだろう)と嘆いたというエピソードが「光る君へ」のベースになっている。父が残念そうに紫式部の弟の藤原惟規(ふじわらののぶのり)に嘆いた。紫式部とは性格が異なる二人である。「まひろ」とは後に紫式部となる幼少時代の名前である。脚本されているので史実とは違うが面白いと思う。まひろの母が藤原道兼に後ろから刀で刺殺される脚本も実にリアルである。母は藤原為信女(ふじわらのためのぶ の むすめ)とだけ分かっているだけで、演出家の中島由紀の発想には驚かされた。まひろの母は家を支える為に縫物の針仕事に精を出す日々で、雨漏りのする家に住みかび臭いと夫が文句を言うシーンがあるが、まひろはカビの匂いは母のせいではなく雨漏りのせいだと父に言っている場面など人間臭さがあふれるシーンである。まひろの父親の藤原為時に母親を殺したのは藤原道兼と訴えるが父は道兼の父から禄を食んでおり、まひろへ母は病気で亡くなったと言い聞かせた。だがまひろの母を刺殺した事は道兼の父親も知っており脚本が実の良く出来ている。これより2週間ほど藤原一族の人物像を書いて行きたいと思っている。
2024.01.29
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