浜松中納言物語 0
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「なかなか仕立て直しができない」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。しもつけや をけのふたらを あぢきなく 影も浮かばぬ 鏡とぞ見る 下野(しもつけ)この桶の蓋は丸くてもつまらない あなたの姿が映らない鏡と思って見ており、あなたがわたしを思ってくれるなら 姿が映るはずなのにと、その蓋に、酒と肴とを入れて渡す。素焼きの土器(かわらけ)に書かれた女房の歌が詠まれていた。さし出でたる ふたらを見れば みを捨てて 頼むはたまの 来ぬとさだめつ さし出された蓋は本当の鏡ではないから 姿が映るはずがありません 姿が見たいとおっしゃるけれど ほしいのは酒でしょうなどと書いてある。 こうして時々あの人が訪れる中途半端な状態なので遠慮して、世間の人が忙しくする勤行もしないままで、十四日は瞬く間に過ぎていった。 十四日頃に、古い朝服の上衣の袍(ほう)を持って来て、 この上衣を上手く仕立て直してなどと言って寄こす。 着る予定の日も書かれてあるが、急いで仕立てようとも思わないでいると、使いの者が翌朝来て、手紙に、仕立て直しが遅いと書いてあり 久しとは おぼつかなしや からころも うちきてなれむ さておくらせよ なかなか仕立て直しができないとは頼りない よれよれになるまで唐衣を着よう、直さずそのまま送り返してくれとあるが、その通りにしなかった。
2019.03.10
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「世間では不吉なことと言われている」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。嫌な事も辛い事もすっかり忘れて晴れやかになったような気がして息子の道綱に参賀の装束をつけさせて送り出し、道綱が庭に下りて拝舞する姿を見ると、立派になった気がして涙が零れそうにになる。勤行でもしようと思っている今夜から、生理になるような感じだ。元日に生理が始まるのを、世間では不吉なことと言われているので、 またしても、わたしはどうなっていくのだろうと心密かに思う。 今年はあの人が幾ら憎らしいことをしても、嘆いたりはしないなどと心に思い描き、決心したのかどうかは分からないが、気持ちが楽である。三日は帝の円融天皇の元服ということで、世間では騒いでいる。白馬の節会(あおうまのせちえ)だが、興味もなく節会の七日も過ぎた。八日頃に姿を見せたあの人は、このところずいぶん節会が多くてなどと言い訳するが、明くる朝、帰る時に、あの人を待っていた従者たちの中からしもつけや をけのふたらを あぢきなく 影も浮かばぬ 鏡とぞ見るこんな歌を書きつけて、侍女のところに持って来た。
2019.03.09
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「いろいろな物思いに心を砕いていた」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。わたし以外なら、方角もふさがらないだろうなどと、不愉快なので おほばこの 神のたすけや なかりけむ 契りしことを 思ひかへるは 大葉子の葉を蛙にかけると生き返るといいますが わたしにはその神の助けもなかったのでしょうか あなたが約束を破ったのでと歌を詠んだ。いつものように日だけが過ぎて行き、月末、私が嫌っている近江の所へあの人が毎晩通っていると知らせてくれる人がおり、心穏やかではなく過ごしているうちに、月日は流れて、追儺(ついな)の日になった。追儺(ついな)とは、旧暦12月30日に行われる宮中における年中行事。 あの人が来られない気持ちも、分からないでもないし宮中の行事は分かっているが、私の悲しい思いとは逆に周りでも追儺の行事が行われる。鬼は外、鬼は外と大声で騒ぐのを、わたしだけは心静かに傍観していると、追儺は家族関係が上手く幸せな家だけがしたがる行事のように思われる。 外から、雪がひどく降っているという声がする。年の終わりには、なにかにつけて、いろいろな物思いに心を砕いていた思いがする。こうしてまた年が明けると、天禄三年(九七二)になったようだ。
2019.03.08
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「尼になりそこねたと皮肉られていた」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。あの人が来た時は、ひどい雨の最中なので、音さえも聞こえなかった。今になって、牛車を早く入れろなどと騒いでいるのも聞こえて来る。 長年のお怒りも、今日来た事で許してもらえると思うがなどと言う。 更に明日は、ここから私の邸の方角が塞がり、明後日からは物忌で、物忌をしないわけにはいかないからなどと、うまいことを言う。昔はどのような雨も苦にせずいらしたものをと書いたが、その 歌を持たせた使いは行き違いになっただろうと思うと、ほっとした。夜の間に雨がやんだようなので、それでは夕方になどと言って帰った。夕方来てその日のうちに帰ればいいのに、方塞がりだという事で、やはり思ったとおり、いくら待っていても、来なかった。 昨夜は、来客があって、夜も更けたので、僧に読経をさせてそちらに行くのをやめたので、さぞかし、いらいらされた事だろうと言ってくる。山籠りの後は、あの人から、雨蛙というあだ名を付けられていた。雨蛙と尼返ると洒落て、尼になりそこねたと皮肉られていた。
2019.03.07
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「妻戸を押し開けてあの人が入ってきた」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。あの人より、心穏やかではなく、あらゆる物思いをしながら生きており気力もなくなった感じがして、ぼんやり暮らしていると、四日間の物忌が次々に重なってね。せめて今日だけでもと思っているなどと文が届く。不思議なほど、こまごまと書いてあるが、十二月の十六日頃のことである。 肌寒い感じがしたが、しばらくして、急に空が一面に曇って、雨になった。 急な雨に、きっと困っているだろうと、さっきの手紙を思い出しながら外を眺めると、暮れていくようであが、雨はとても激しく降り続いていた。 来られないのも無理もないけれど、昔はそんなことはなかったと思うと涙が浮かんで、悲しくなるばかりなので、我慢できずに、使いを出す。 悲しくも 思ひたゆるか いそのかみ さはらぬものと ならひしものを 悲しいことにあなたはもう私のことを思わなくなってしまったのね。昔はどのような雨も苦にせずいらしたものをと書いて使いの者に持たせた。外を眺めながら、今頃使いの者が、着くころと思っている時に、南座敷の格子も閉めたままの外の方で、人の声がして、使用人はだれも気がつかず私だけが変だと思っていると、妻戸を押し開けてあの人が入ってきた。
2019.03.06
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「名残りを惜しんでいるうちに」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。袖ひつる 時をだにこそ 嘆きしか 身さへ時雨の ふりもゆくかな 袖が涙で濡れるのさえ嘆いていたが 今は袖どころか身体まで時雨に濡れてだんだん年老いてゆくと詠んだが、なにもかも生きてる事が無意味で、つまらないと、しきりに思われるこの頃である。そんな気持ちのまま毎日を過ごし二十日になり、夜が明けると起き、日が、暮れると寝るのを日課としているのは、ひどく妙だとは思うが、今朝も、どうしようもない思いで、外を見ると、屋根の上の霜が真っ白である。幼い召使たちが、昨夜の寝間着姿のまま、霜焼けのおまじないをしようと言って騒いでいるのも、とてもいじらしく思い、雪も負けそうな霜ねと口を袖で覆いながら、こんなわたしを頼りにしているらしい人たちがつぶやくのを聞くと、人ごとではない気がする。十月もしきりに名残りを惜しんでいるうちに過ぎ去り十一月も同じような状態で過ぎ、二十日になってしまったが、今日姿を見せたあの人はそのまま二十日あまりも訪ねて来なく、手紙だけは二度ほど寄こした。
2019.03.05
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「ひどく思いつめてお参りした」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。九月の末頃になり、とてもしみじみとした空の景色になり、いつもより昨日今日は、風がとても寒く、時雨が降ったりして、しんみりとした感じ。遠くの山を眺めると、紫色の感じに見え、空も染まったように感じる。 み山には あられ降るらし 外山なる まさきの葛 色づきにけり遠くの山ではあられが降っているらしい この山ではまさきのかづらが色づいているといった感じで色鮮やかに、野の景色は美しと思ったりした。見物のついでにお参りでもしたいわと言うと、前にいる侍女が、 ほんとうに、どんなに素晴らしいでしょう。初瀬に、今度はお忍びで、お出かけになったとき、お参りをされるとよいなどと言っていた。 去年もご利益を試そうと、ひどく思いつめてお参りしたけれど、石山のみ仏の霊験をまず見届けてから、春頃、あなたたちが言うように、出かけましょうと話すが、その頃まで、こんな辛い身の上で、生きていられるかしらなどと言って、心細くなって歌を詠む。
2019.03.04
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「涙があふれてくるのもつまらない」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。忘れねと 言ひしかなふ 君なれど とはぬはつらき ものにぞありける忘れてくださいと言って、その通りにしているあなただけど、見舞っていただけないほど、つらいものはないと文に返事を認めた。 お見舞いをしなければならないとは、誰よりも先に気づいていましたが、便りがないのはつらいものとわかってもらおうと思っていました。わたしの涙は、もう一滴も残っていないと思いますのにこぼれます。 今ははや 移ろいにけむ 木の葉ゆゑ よそのくもむら なにしぐるらむ今はもう 心変わりした 木の葉なのに 突き放されたわたしは、どうして未練の涙が流れ落ちているのか、もう疎遠になっているのに、涙があふれてくるのもつまらないことでと書いて送った。また折り返し手紙を持って殿の供が持ってきたが、それから三日ほどして、 今日下山したと言って、夜になる頃見えたが、あの人がどんな気でいるのかわからなくなったので、冷淡にしていると、あの人はあの人でじぶんは、悪くないといった様子で、七、八日ごとに僅かに通って来ていた。
2019.03.03
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「時間だけが虚しく過ぎるだけだった」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。あの人が、こんなに気を使うのは、わたしが昔のことをいろいろと、悲しく思い出しているだろうと思ったからだろうと思った。翌朝は、相撲(すまい)の節会(せちえ)などのあとで、その日の勝負に、勝った方の近衛大将が自邸で配下の人々を召して饗応が近いと帰った。何かと口実をつけて帰るもっともらしい言い訳をして帰っが、今更に、 いつはりと 思ふものから 今さらに 誰がまことをか われは頼まむ偽りだと 思うものの 今さら 誰の真心を 頼りにできるだろうあなたを頼りにするしかないと古今集の読人しらずを思うと、悲しくなる。時の過ぎる速さが年々早くなっているように感じる事が多くなっていた。その日から四日間、あの人はいつもの物忌ということだった。物忌が終わってから二度ほど姿を見せただけだった。還饗(かえりあるじ)は終わり、殿は奥深い山寺で祈祷をされることに、なってなどと聞いてから、三、四日経ったが、連絡もないままだった。雨がひどく降る日に、 心細そうな山住まいをしていると、普通の人なら、見舞うものと聞いていたが時間だけが虚しく過ぎるだけだった。
2019.03.02
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「早く早くと急き立てられて家に帰る」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。舟から岸にあがり泊まる部屋に入ってからも、飽きもしないで外を、眺めていると、例によって一晩中、篝火をあたり一帯に灯している。少し眠ったが、停めてある船端をごとごと叩く音がする。まるでわたしを起こすように聞こえて目が覚めた。夜が明けてより外を見てみると、昨夜捕れた鮎が、ずいぶん多い。京にいるあちこちの人たちへ贈物をしなければならないと、配分するようだが、好ましい旅の風情である。日がほどよく、高くなってから出発したので、暗くなって京に帰り着いた。今日の父の家でしばらく体を休めてより自宅へ帰ろうと伝えるが、侍女たちは疲れたということなので、帰ることはできなかった。 次の日も、昼頃まで父の所にいると、あの人から手紙が来た。 お迎えにと思ったが、貴女だけの旅ではないから、具合が悪いと思って、いつもの家に帰っているのかなどと書いてあるので、侍女たちから、 早く早くと急き立てられて、家に帰ると、すぐに見えた。
2019.03.01
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「夜が更けるのも忘れて見ていた」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。泉川は、水かさが増していて、どうしようなどと言っている時に、 宇治から腕のいい船頭を連れて来ましたと言うが、舟は面倒なので、いつものように、さっと渡ってしまおうと、男たちは決めたようだ。だが、女たちが、やはり舟で渡りたいと言うので、仕方なく、それではと、皆船に乗り、はるばると川を下って行くが、時節がら気持ちのよいもだ。見どころがあって素晴らしいと言うと、船頭をはじめ、大声で歌う。宇治が近くなってきた所で舟を降り、また牛車に乗った。京の家は方角が悪いということで、宇治に泊まることとなった。 鵜飼の準備がしてあったので、鵜飼の舟が数おおく川一面に浮かび、賑やかな声が聞こえ騒いでいるので、近くで見物しましょうと、川岸に幕などを立てて、踏み台を置き、降りながら川を見おろした。わたしが立つ下で鵜飼をしている舟が行ったり来たりして、灯りに、群がる魚など、今まで見たこともなかったので、おもしろく思われる。旅で疲れ気味だったが、夜が更けるのも忘れて、ひたすら見ていると、侍女たちが、これ以上特別な事はありませんからお帰り下さいと言う。
2019.02.28
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「精進落としというが精進のままである」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。ようやく祓殿(はらえどの)にたどり着いたが、雨の状態もわからず、ただ川の音がとても激しいのを聞いて、ひどく降っていると思う。御堂に登る時に、気分がたまらなく辛く苦しい気持ちになる。切実に願うことがたくさんあるが、このように気分が悪いので意識も、朦朧としていたのだろうか、何もお願いしないうちに夜が明けてしまった。 雨は同じように変わらず降っているし、昨夜の気味悪さに懲りて、ずるずると出発を遅らせ、昼まで延ばしてしまった。 森の前を、物音を立てないで通らなければならないと思うと心が騒ぐ。ふだんは騒がしい一行であるが、さすがに、静かに、静かにと、手を振り、顔を振って、大勢の人たちが魚のように口をぱくぱくするので、黙って通るのは当然とはいえ、どうしようもなく可笑しく思われる。椿市に帰って、精進落としなどと人々は言っているが、わたしはまだ、精進落としできないままで、そこをはじめとして、もてなしてくれる所が、先に進めないほどたくさんあり、褒美の品などを与えると、こころのほか、一生懸命に接待をしてくれるようである。
2019.02.27
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「夢の中で道をたどるような感じで」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。飛鳥寺に灯明(とうみょう)をあげるので、その間わたしは、牛車の轅(ながえ)を釘貫(くぎぬき)に引きかけたまま、あたりを見まわすと、木立がとても美しい所であると気付き、境内がきれいで、泉の水もとても澄んで飲みたくなるほどだった。 飛鳥井に 宿りはすべし をけかけもよし 御水もよし 御秣もよし催馬楽の飛鳥井に詠われた馬子唄で、催馬楽は平安時代の初期に、庶民の間で歌われていた民謡や風俗歌の歌詞に、外来の楽器を、伴奏楽器にして新しい旋律の掛け合いを生み出すこととなった。激しい雨が降り止まず、ますます降ってくるので、どうしようもない。 やっとのことで、椿市に着いて、あれこれ参籠に必要な物を整えて、出発する頃には、日もすっかり暮れてしまっていた。雨や風はまだやまず、松明を灯していたものの、風が吹き消して、辺りは真っ暗なので、夢の中で道をたどるような感じで、気味が悪く、 いったい、どうなることだろうとまで思い途方にくれていた。
2019.02.26
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「雨が激しく降って風が強く吹いていた」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。夜明け前には、鵜舟の篝火が輝く夜の鵜飼とは打って変わって、網で魚を捕る網漁(いさり)というものをしているが、この上なく、おもしろく感心したが、夜が明けたので、急いで出かけて行く。贄野(にえの)の池や泉川が最初見た時と少しも変わってないのを、見るにつけても、じぶんの変わりようが身に沁みるばかりである。色々と物思うことが多いけれど、騒がしく賑やかな周囲に気が紛れる。道をそれて少し進んだ森に車を止めて、弁当などを食べる。誰もがおいしそうに食べている。春日神社に参詣ということで、ひどくむさくるしい宿坊に皆で泊まることとなった。 翌日、そこを出発すると、雨が激しく降って風が強く吹いていた。三笠山を目指して被り笠をさして行くが、その甲斐もなく、ずぶ濡れになる供人が大勢いるが、やっと神社に着いた。神に奉献する供物の幣帛(へいはく)を捧げて、初瀬の方に向かう。
2019.02.25
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「目が冴え夜中過ぎまで物思いにふける」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。疲れているうえに、風が払うように吹いて、頭が痛くなるほどなので、風よけを作って、外を眺めていたが、あたりが暗くなると、何艘もの、鵜飼い舟が、篝火を灯しながら、川一面に棹(さお)をさして行く。この上なく面白く見える光景に、頭が痛いのも紛れたので、端の簾を、巻き上げて、外を眺めながら、私が思い立って初瀬へ参詣した時、帰りに、あがたの院をあの人が行ったり来たりしたのは、ここだったのだのだと、改めて思い起こしていた。ここに按察使(地方行政を監督する官職)さまがいらっしゃって、いろいろな贈物をくださったのには、身にしみて感激した。按察使(あぜち)は、のちに陸奥と出羽の2国だけになった。不幸なわたしの生涯でも、あんな楽しいことがあったのだと思う。思いを巡らしていると、目が冴え夜中過ぎまで物思いにふけっていたが、鵜飼い舟が川を上ったり下ったり行き違うのを見ながら、 うへしたと こがるることを たづぬれば 胸のほかには 鵜舟なりけり 水の上と下と、体の外と内とで焦がれるものはなにかと考えてみると わたしの胸の焔(ほむら)のほかには鵜舟の篝火だったなどと感じる。
2019.02.24
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「いかにも場所柄に相応しく見えた」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。あの人は香を急に投げ散らかし乱暴なことをしていたものの、その日は、訳が分からないまま過ごして、次の日に帰って行った。 その日より七、八日ほどして、初瀬へ出かけることになり、午前十時前後頃、従者を多く連れて、家を出た。きらびやかに行くようで午後二時前後頃に、あの按察使大納言さまが、所有していらっしゃる宇治の院に到着した。父の一行はこのように、賑やかだが、わたしの気持ちは寂しく、あたりを見渡すと、感慨深い。按察使(あんさつし)とは. 奈良時代の地方行政を監督する官職のこと。ここが大納言さまが心を込めて手入れなさっていると聞いた所なのだ。今月は、一周忌をなさっただろうが、そんなに経っていないのに、荒れてしまったと思うが、管理をしている人が、迎える用意をしてくれ、立ててある調度類で、あの大納言さまの物だと思われる。みくり簾や網代(あじろ)屏風、黒柿(くろがい)の横木に、朽葉色(くちばいろ)の帷子(かたびら)をかけてある几帳など、いかにも場所柄にふさわしのも、しみじみと趣深く見えた。
2019.02.23
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「一緒に初瀬のお参りに行くことにした」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。こうして、その日は物忌があいて、次の日また物忌になったと聞く。明くる日は、こちらの方角が塞がっていたが、その次の日には、 今日は来てくれるか待ってみようと性懲りなく思っていると、夜が更けてからあの人がやっと、供を携え来てくれた。先日の夜のことを、これこれだと弁解して、せめて今夜だけでもと、急いだので、忌違えに家の者がみな出かけるのを送り出して、そのまま、後のことは放っておいてやって来たなどと悪びれもしないで、平然と言うので、内心呆れて言葉も出ないほどだった。夜が明けると、知らない所に忌違えに出かけた人たちが、どうしているか、気になるからと言って来たので、あの人は、急いで帰って行った。 それから後、訪れもなく七、八日が経ったが、地方官歴任の父の所では、 初瀬のお参りに、一緒に行くことにして、精進をしている父の家に移った。場所を変えた甲斐もなく、正午前後頃に、急に先払いの騒がしい声がする。 呆れたことに、誰だ、あちらの門を開けたのはなどと、父も驚いている。あの人はすっと入って来て、私はここ数日、いつものように香を盛って、お勤めをしていたが、あの人は香を急に投げ散らかし、数珠も放り投げ、乱暴なことをするので、まったく意味が分からないまま過ぎた。
2019.02.22
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「夫婦の愛情が色あせていく嘆き」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。尚侍(ないしのかみ)とは、日本の律令制における官職で、内侍司の長官(かみ)を務めた女官の官名で、その方の手紙だった。どうして、そのような物思いのつのる住まいにいらっしゃるのでしょう。そんな物思いにも、くじけることなく夫に連れ添っていく人もいると、聞いていますのに、あなたが兄と疎遠になったようなことばかりおっしゃる。いったい、どうしたのかしらと心配でたまらないので手紙をしたためたと。 いもせがわ むかしながらの なかならば 人のゆききの 影は見てましあなたがた夫婦は昔のままの仲でしたら 絶えず通って行く、兄の姿を見ることができたでしょうに と詠んでいる。 さっそく、返事の歌を詠みしたためて届けた。よしや身の あせむ嘆きは いもせやま なかゆく水の 名も変はりけり わたしたち夫婦の愛情が、あせていく嘆きは どうしようもありません もうわたしたちは妹背〈夫婦〉とは言えない仲に変わってしまったのです。 山の住まいには秋の景色を見るまでいようと思いましたが、山でも、心が晴れないでふんぎりがつかないまま下山して、中途半端な状態です。わたしの深い悩みはどなたにもわからないと思っていましたが、どのようにお聞きになったのでしょうか、それとなく、おっしゃるのもごもっともなことですなどと申し上げた。
2019.02.21
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「穏やかにしていればよかったと思う」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。あの人は、どんなことがあって来られなかったのか、せめて、その理由だけでも知らせてくれたら気も休まるのにと思い乱れていた。そんな気がふさいでいる時なのに来客があった。 来客と聞いたときは、なぜこのような気分の時にと思うが、いろいろと話しているうちに、少し気分が紛れて来ていたから不思議だ。 夜が明けると、子供が何故父が来られなかったのか聞いて来ると出掛けた。 その返事を受けて戻って来て、昨夜は気分が悪かったそうですと言う。 急に、ひどく苦しくなったので、行けなくなったと話したようだ。 そんなことなら、なにも聞かないで穏やかにしていればよかったと思う。一言、差し障りができたなどと伝えて下さっていたのであれば、あれこれ、悩まなかったのにと不快に思っていた時に、尚侍様から手紙がある。手紙を開いて見ると、まだわたしが山里にいると思われたらしく、とてもしみじみとした趣で書いていらっしゃるので読み返した。
2019.02.20
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「悲しい思いがこみ上げてくる辛さ」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。昼頃に、殿がいらっしゃるはずですので、ここに控えているようにと、ご伝言がありましたと言って、あちらの従者たちも来たので、侍女たちが騒いで、日頃乱雑にしていた所までも、ばたばたと、整理しているのを見ると、いたたまれない思いでいた。すっかり暮れてしまったので、本邸から来ていた従者たちが、 お車の用意などもすっかりしてあったのに、どうして殿は今になっても、いらっしゃらないだろうなどと言っているうちに、だんだん夜も更けてきた。侍女たちが、やはりおかしい。誰かに様子を見に行かせましょうと言って、見に行かせた使いが帰って来て、ただ今、お車の支度を解いて、随身たちも、皆解散してしまいましたと言う。わたしは、いたたまれない気がして、悲しい思いがこみ上げてくる辛さは、とても言葉では言い尽くせない。 山にいたら、こんな胸がつまる悲しい目にあわないですんだのにと、山で予想した通りだと思うが、侍女たちも、訳がわからない、呆れた事だと、騒ぎあっているが、新婚三日ほどで婿が通って来なくなったような騒ぎである。
2019.02.19
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「道綱が本当にやつれたように見える」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。あの人が、いずれかの方角のどちらかが塞がっていると言うので、日数を数えてみると、思った通り、あの人の邸から、こちらの方角が塞がっていたので、どうしよう。ほんとうに困ったな。さあ、一緒にどこか近い所に方違え(かたたがえ)などと言う。わたしは返事もしないで、もう非常識なことをと思う。方塞がりなら、一人で帰ればいいのに、一緒にだなんてとんでもないと思って、横になったまま、まったく動かないでいると、一人で出かけるのは、億劫だが、方違えは無理にでもしなければならないと言う。方角が開いたらここへ来ればいいと思うが、そうすると例の六日間の、物忌になってしまうなどと、辛そうに言いながら出て行った。翌朝、手紙が来た。昨夜は夜が更けていたので、今朝は気分がよくない。あなたはどうだと、早く精進落としをしたほうがよいと書いてある。大夫(道綱)が本当にやつれたように見えるなどとも書いてあった。 こんな気配りも手紙だけのことと、気にもかけていなかったが、物忌の終わる日に、来てくれるかしらと半信半疑でいたところ、六日の物忌も過ぎて、七月三日になってしまった。
2019.02.18
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「私がわたしではないような気がする」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。周囲に引き回してある引幕などもはずし、立ててある几帳や屏風などを、みしみしと取り払うので、わたしはあまりのことに、ただ呆然とた。あの人はわたしをちらちら見ながら、とても嬉しそうに笑って、子どもが片付ける様子を見ていたようである。 部屋を片付けたのだから、出て行くしかないようだなとか、仏にご挨拶を申し上げなさいと、決まりの作法だからねと冗談を言う。さんざんに冗談を言われたが、わたしはなにも言えないでいた。わたしは、涙ばかりがあふれ、それをじっとこらえているうちに、車を寄せてからずいぶん時間が経っていた。あの人は午後四時過ぎにやって来たが、もう灯をともす頃になっていた。わたしが知らない顔をして動かないので、 あの人は、もういいと言い、わたしは帰るから、後はおまえに任すと言って、出て行った。子どもが、早く早くと、今にも泣きそうにわたしの手を取って言う。仕方なく出て行く気持ちといったら、私がわたしではないような気がする。大門から車を引き出すと、あの人も乗り込んできて、道すがら、笑ってしまいそうな冗談をたくさん言うが、わたしは夢の道を、たどっているようなのでなにも言えないで聞いているだけだった。
2019.02.16
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「あの子は立ち上がって走り回り」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。浮きのように気持ちが揺らいで思い乱れていると、誰かがやって来る。外を見ると、あの人のようで、そう思うと気も動転してしまう。この間は物忌中なので車から降りなかったが、今回ははばかる事なく、歩いて来て、ずかずかと入って来るので、困ってしまった。几帳を引き寄せて少し隠れたけれど、何の役にも立たない。香を盛って、数珠を手に下げ、お経を置いたりしているのを見て、あの人は、まさかこれほどとは、ひどく近寄りがたい様子だなと言う。もしかして寺を出られるのではないかと思ってやって来たが、俗界に連れ戻してはかえって罰が当たりそうだ。どうだ、大夫(道綱)、こんな生活を続けているのをどう思うと尋ねる。 とても苦しいのですが、仕方がありませんと言って、うつむいている。その姿を見て、可哀そうにと言って、では、母上が下山するかしないかは、おまえの気持ち次第だが、母上が下山なさるつもりなら、車を寄せなさいと。まだ言い終わらないうちに、あの子は立ち上がって走り回り、散らばる物を、どんどん取って、包や袋に入れる物は入れて、車にみな積み込んでいる。
2019.02.15
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「自分の心一つを決めることができない」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。殿がそちらに行かれた後に下山なさるのは、よくないことです。世間の物笑いになりますなどと、どの人も同じことを書いてくるので、 どうしようかしら。今度は何も言わせないで連れ戻すだろうと落ち着かない。落ち着かない気持ちでいると、わたしが頼りにしている父が、任国の丹波から、たった今上京したその足でやって来て、いろいろと言葉を選ぶように、 この間、手紙に書いたように、暫くはお勤めもよいと思ったのだが、この若君がすっかりやつれてしい、やはり早く山を下りなさい。今日でも明日でも迎えに来るから、わたしと一緒に帰りなさいなどと、当然のことのようにおっしゃるので、すっかり気落ちしてしまった。 わたしの気落ちした様子に、やはり明日だなと言って、帰って行った。 伊勢の海に 釣りするあまの うけなれや 心ひとつを 定めかねつる私は伊勢の海で釣りをする漁師の浮きなのだろうか。自分の心一つを、安定させ決めることができない。揺れ動く心を海の浮きに例え、自らでは、どうにもならない焦りや心細さの心の様子を表す(古今集・読人しらず)
2019.02.14
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「二度と迎えには行かれないでしょう」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。あの人は、まさかこのまま終わってしまわないでしょうなどと、わたしの気持ちを勘違いしたのだろうかと、子どもへ、参上したら、よくたしなめてあげなさいなどと父がおっしゃっていましたと言う。 どうして、あの人からそのように言われなくても、そのうちにはなどと、話すと、それなら、今日お帰りください。このまま私がお供しましょう。なんといっても、この道綱が時々京に出て行き、夕方になると急いで、山寺に帰るのを見ると、ひどく不安な気がしてならないなどと思う。それでもわたしがなんの反応も示さないので、しばらくぐずぐずしていて、帰って行ったが、このように下山するのを悩んでばかりいて、訪ねて来る人は、殆どの人は皆来てしまったので、もう他に訪ねて来る人はいないと思った。 このように過ごしているうちに、京のこの人やあの人から手紙が来たので、開けて見ると、今日、殿がそちらに行かれるはずだと聞いています。今度も下山なさらないなら、本当に薄情な人だと、世間の人も思います。殿も、二度と迎えには行かれないでしょうなどと書いてある。
2019.02.13
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「言葉もつまって涙で声が変わる気がする」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。兵衛佐が、木陰にたたずむ様子は、京を思わせて、趣深く見える。この頃は、後でまたと言って帰った妹も、ここに来ていて、兵衛佐は妹に関心があるようなので、ひどく気取って立っている。よくいらっしゃいました。さあ早く、こちらへお入りください。これまでの罪障が、無事に消えるようにお祈りしましょうと言うと、兵衛佐は木陰から歩み出て、高欄に寄りかかって、まず手水(てみず)で、手を洗い清めてから入って来た。いろいろなことを話していくうちに、昔、わたしにお会いになった事を、覚えていらっしゃいますかと尋ねると、忘れるものですかという。とてもはっきり覚えています。今でこそ、このようになかなか、お目にかかれないのですが などと言うので、あれこれ思いめぐらす。言葉もつまって、涙で声が変わる気がするので、暫く気を静めていると、相手もひどくしんみりとしてすぐには何も言わない。しばらくして、お声などもお変わりになったのは、本当に無理もないことですが、けっしてそのように思われることはないと思います。
2019.02.12
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「ご無沙汰していたお詫びも兼ねて」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。次に下さったお返事に、東の大里よりと書いてあったのを思い出し、とてもおもしろいと思ったのも、お互いどんな気持ちでいたからだろうか。こんなふうに日が経ち、ますます物思いに沈んでいる時、この寺の修行者が、御嶽(みたけ)から熊野へ、大峰越えに出かけたが、その人がしたのだろう。戸山だに かかりけるをと 白雲の 深き心は 知るも知らぬも 里近い山でもこんなに寂しいのに 女性のあなたがそれに耐えて、山籠りなさっているお気持ちはどれほどかと 事情を知る者も、知らない者も察していますが これから奥深い山に入るわたしは、なおさらよくわかりますと書いて、置いてあった。 こんなことも、あんなこともあったなと思いながら過ごすうちに、ある日の昼頃、寺の正門のほうで、馬のいななく声がして、人が大勢やってくる気配がして、木の間から見通すと、あちこちに従者たちがたくさん見えて、こちらに歩いてくる。兵衛佐(ひょうえのすけ)のようで、子どもの道綱を呼び出す。兵衛佐とは、藤原道隆で兼家の長男、母は時姫。道綱より二歳年長のこと。今までご無沙汰していたお詫びも兼ねて、参上しましたと挨拶する。
2019.02.11
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「心細いことをあれこれ書いて」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。鳴滝の奥深い山路を、誰があなたに教えたのでしょうと書いてある。鳴滝というのは、この寺の前を流れて行く川である。返事も、一生懸命心を込めて書いてある。お訪ね下さったにつけても、おっしゃるとおり、どうしてこんな、山籠もりをしてしまったのだろうかと思うのですが。 もの思ひの 深さくらべに 来て見れば 夏のしげりも ものならなくに わたしの物思いと 夏草が茂っているのと どちらが深いかを、比べに来たのですが 夏草など比較にもなりませんでした。山を下りるのはいつとは決めていませんが、あなたがあのように、下山をお勧めくださったことを思うと迷いそうになります。 身ひとつの かくなるたきを 尋ぬれば さらにかへらぬ 水もすみけり わたしだけがこんな身の上になり 鳴滝に来てみると わたしばかりか元へは帰らない川の水が澄んで流れていましたと思いますと。なんだか和歌のお手本があるような気がしましてなどと書いて送った。また、尚侍(ないしのかみ)さまがお見舞いくださったお返事に、心細いことをあれこれ書いて、手紙の表書きに、「西山より」と、書いたのを、どのように思われたのだろうかと心配する。
2019.02.10
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「世の中は思いもしないことになるもの」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。遠い親戚の人たちは、思いやりも深い分別のある人だから、本当に、私のことをかわいそうに思って帰っていることだろうと思っていたら、翌日、山寺で当分は過ごせるような必要な品々を、沢山届けてくれたのは、わたしには、言葉では言い尽くせないくらい、愛おしく身にしみた。 あまりの悲しさにどうやって帰ったのかわからないほどで、あなたが、はるばるこの木の高い山道を分け入って来られたのだと思うと、ますますたまらない気持ちになってなどと、いろいろ書いてあった。 よのなかの よのなかならば 夏草の しげき山辺も たづねざらまし ご夫婦の仲が世間のような普通の仲でしたら 夏草の繁った山辺まで、お出かけになったりはなさらないものを、このように山籠りする、あなたを拝見していながら、後に残して帰ってしまうなんてと思います。そんな事を思い巡らしていると、涙で目もかすみ見えないほどでした。あなたが、深く考えて悩んでいらっしゃるのがよくわかります。 世の中は 思ひのほかに なるたきの 深き山路を 誰知らせけむ 世の中は思いもしないことになるもの 鳴滝の奥深い山路を、誰が、あなたに教えたのでしょうなどと、まるで向かい合って話しているよう。
2019.02.09
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「とても悲しい別れの言葉をたくさん言う」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。子どもに手紙を託すが、この前のように、雨がひどく降り続く。雷がとてもひどく鳴るので、胸がつまり心配していたが、雨や雷が少し静まって、暗くなる頃に帰って来た。 子どもが光孝天皇稜辺りを抜けるのが不気味でなんとも言えず、恐ろしかったと言うので、かわいそうでならない思いがしていた。あの人からの返事を見ると、先日の様子より、弱気に見えるのは、勤行で疲れたのではと書いて、気の毒でならないとも書いてある。 その日が暮れて次の日、遠い親戚にあたる人が、見舞いにやって来た。わりご弁当などを、たくさん持って来てくれたが、どうしてこのような、山籠りなどなさるのでしょう。特別な事情がないとしたら、とてもよくないことですと言うので、わたしが心に思っていることや、現在の身の上を、少しずつぽつりぽつりと話し出した。 聞くうちに、なるほど無理もないと言うようになって、同情するかのように、とても激しく泣き一日中話し合って、夕暮れの頃、ここを訪れた人が、帰る時に、いつも言うように、とても悲しい別れの言葉を、たくさん言って、入相の鐘が鳴り終わる頃に帰って行く。
2019.02.08
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「あなかしこなどと書き添えて」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。侍女が殿の手紙を、読んで聞かせるので、またしても悲しくなる。こんなちょっとしたことでも、これほど身に沁みることがあるものだ。 卑しいわたしには、この手紙のように悲しみを深く理解するのは難しい。侍女から、奥方さまも、涙をこらえきれないほど、感じていらっしゃる。そんなお姿を拝見するわたしの気持ちも、どうか察してください。 思ひ出づる ときぞ悲しき 奥山の このしたつゆの いとどしげきに 華やかだった昔を思い出すと悲しくなります この奥山は木の下露が、ひとしお繁く 涙に濡れる毎日だからと書いて送ったようである。 子どもが、先日のお返事を、ぜひください。また父上から叱られますから、持って行きたいのですと言うので、いいですよと言って書きだした。 すぐにもお返事をと思いながら、どういうわけなのでしょうか、子どもがすっかり、そちらに参上しにくく思っているようなので遅くなって。山を出るのは、いつと決めかねていますので、申し上げようがありませんと、書いて、添え書きに何が書いてあったというのだろう、添え書きは、どんなことだったかしら、と思い出しても、不愉快になりそうですから、何も申し上げません。あなかしこなどと書き添えて、子どもを送り出した。
2019.02.07
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「世の辛さを知っているわけでもない」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。あなたがたもどんなお気持ちで、お世話なさっていることでしょう。 いにしへの しづのおだまき いやしきも よきもさかりは ありしものなり遠い昔、しづのをだまきは、倭文(しづ)という織物の材料の糸の、巻いた玉を指していおり、恐らく一本の糸が青や赤にまだらに、染められて、色ごとに玉があったのだろうと思う。この歌では倭文(しづ)は、賤(しづ)に掛けられて、賤しきを導いている。あるいは賤の男(を)までが掛けられているのかもしれない。歌の意味は言葉通りで、身分の低いものも高いものも、盛りの時期は、あったものだということで、ありしと過去形になっているので、今では年老いて、どちらも似たようなものになっているけれど、という含みがあるような気もする。 古今和歌集の配列から言えばこの歌は、読人知らずの、いにしへの 野中の清水 ぬるけれど、という歌と同じ出だしを持ち、読人知らず(作者不詳)の中の老いの歌の入口に位置している。身分の低い人も高い人も 盛りのときはあるものだを引用している。 身を捨てて うきをも知らぬ 旅だにも 山路に深く 思ひこそ入れ 出家したわけでも 世の辛さを知っているわけでもない旅でも 山路に深く、入りたいと思うものですが ましてご主人さまは どんな辛い思いで、お入りになったことでしょうと言ってきた。
2019.02.06
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「身にしみて悲しく物思いに沈んでいる」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。京からの手紙には、さまざまに見舞ってくれており、翌日、返事を出す。 いつまでもそんなふうにと言ってきた人に、このように、籠もってばかり、いようとは思わないのですが、物思いにふけっているうちに、時は、はかなく過ぎて、日数が経ってしまいました。 かけてだに 思ひやはせし 山深く いりあひの鐘に 音をそへむとは いくら思いを巡らしていてさえ、思いもしなかったことです 山深く入って 入相の鐘に わたしの泣き声を添えるとはと文を送った。 あまりの悲しさになんと申し上げたらよいのかわからない。入相の歌に胸が張り裂けるような気がしてと返事の脇に歌が書かれていた。言ふよりも 聞くぞ悲しき 敷島の 世にふるさとの 人やなになり 入相の鐘(日暮れ時に寺でつく鐘)とともに泣いていると言われる、あなたより、それを聞くわたしのほうが悲しくてなりません。この古里にとどまっていても 何になるのでしょうと書いてある。とても身にしみて悲しく物思いに沈んでいると、大勢いた侍女の中で、宿直をつとめてくれた人が、よほど思いやりのある人だったのだろうか、ここにいる侍女に、手紙で、いつも疎かには思ったことのないお邸ですが、お暇をいただいてからは、ますますめったにいらっしゃらない、お気の毒なお方だと、お偲(しの)びしています。
2019.02.05
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「日が経つにつれてひどく心配になる」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。魚でも食べて来なさいと、京へ送り出して、物思いにふけっていると、空が暗くなり、松風の音が高く鳴り、雷がごろごろと鳴る。今にも雨が降り出しそうなので、途中で雨が降らないだろうか、雷がもっとひどく鳴らないだろうかと思うと、とても心配になってきた。悲しくもなり、仏にお祈りしたためか、晴れて、まもなく帰って来た。どうだったのと尋ねると、雨がひどく降るのではないかと思ったので、雷の音を聞くとすぐに、あちらを出て来ましたと言うのを聞くと、とてもかわいそうになるが、今回、あの人からの手紙がある。 使いがひどく呆れて帰って来たから、この上また迎えに行っても、同じだろうが、わたしをひどく嫌だと思い込んでいるようだ。もし万一帰る日が決まったら、知らせてほしい。迎えに行こう。恐ろしいほど思いつめているようだから、当分はそちらへ行く気がしない。などと書いてあり、また、ほかの人たちからの手紙を見ると、いつまでもそんなふうにお過ごしになるつもりですかとか、日が経つにつれてひどく心配していますなどと書いてある。
2019.02.04
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「行いを慎み身を清めていた」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。今回の使いが帰った後は、今までよりもいっそう寂しく感じられるので、わたし以外の侍女たちは、今にも泣き出しそうな思いだった。 いろいろな人に、下山するよう勧められるが、気持ちは変わらない。父の言葉は、悪いと言われても良いと言われても反対できないのだが、父は最近京にいらっしゃらないので、手紙で知らせていた。父から、そのようにしばらくひっそりお勤めも良いのではと、返事があったので、とても気が楽になっていた。 あの人はわたしの気を引こうと、もう一度迎えに行くと言ったのだろう。すっかり腹を立てたようで、山籠りしている所を見届けて帰ったまま、どうしているとも尋ねてこない。わたしにもしものことがあっても、何もしてはくれないだろうなどと思って過ごしていた。 わたしが、これよりもっと山奥に入る事があっても京には帰らないと思った。 今日は十五日、精進潔斎で肉食を断ち、行いを慎んで身を清めていたが、子どもには無理に勧めて、魚など食べていらっしゃいと京へ送り出した。
2019.02.03
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「若君が訳の分からない精進は可哀そう」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。わたしは殿の使者に、今のところ、なにも考えていませんと伝え、そのうち帰らなければならないことが起きたら、帰ります。今は帰ってもなにもすることがありませんからなどと言った。心の中では、一人で帰っても迎えが来て帰っても、どんな帰り方をしても、下山するのは愚かなことで、帰るに帰れない気でいるのに、そんなわたしの、気持ちも知らないで、出家はしないだろうと思っているあの人が、そのようなことを言わせているのだろうと思った。また家に帰っても、あの人は、どうせ通って来ないのだから、お勤めよりほかに、何をすることがあるだろうと思うので、こうしていられる間だけ、いたいと思っていますと言うと、いつまでもこの山寺に籠っていらっしゃるつもりですねと言われた。なによりも、この若君がわけのわからない精進をしていらっしゃるのが、かわいそうでと、気が強い一方、泣きながら車に乗るので、こちらの、侍女たちが見送りに出ると、あなたたちも皆殿からお叱りを受けますよと、よくお話しして、早く出るように言いなさいと、言って帰って行く。
2019.02.02
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「こんな贈物をもらう境遇ではない」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。こんなことばかりしている人が、どこにいるでしょう。世間の噂のように、世を捨ててしまわれたのなら、仕方がないでしょう。こんな状態で殿のお言葉がなくなった時に、お帰りになって、お暮らしになるのも、ばかげたことです。それにしても、殿はもう一度はお越しになるでしょう。その時にも、お帰りにならなければ、本当に世間の物笑いになってしまうでしょうと、 偉そうにまくし立てていると、西の京にお仕えの人たちが、ここへ、いらっしゃったのを知って、献上した物ですと言う。献上した物を見ると豪華なものがたくさんある。山奥に入ろうと、思っているようなわたしのために、はるばる届けてくれたのだが、こんな贈物をもらう境遇ではないので、わが身の辛さがまず思われる。夕方になり、帰りを急ぎますので、今日はこれでと言い置き、毎日は伺えませんから心配です。ここにいるのは、やはりとても、よくないことです。いつ帰るとも決めていらっしゃらないのですかと言う。
2019.02.01
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「なんという事だとおっしゃいました」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。自分で求めた事だから、我慢しようと思うが、涙を堪える事ができない。しくしく泣いたり笑ったり、いろいろな事を話し合って、夜が明けると、 一緒に来た人が急ぐと言うので、今日は帰って、後でまた来ましょうと。とても心細そうに言って、ひっそりとした様子で妹は帰って行く。 気分は悪くないので、いつものように妹を見送った後、物思いしながら、外を見ていると、召使いたちが騒いでおり、あの人かしらと思う。とても賑やかに、京の町中にいるような感じで、美しい人たちが、さまざまに着飾って、車二台でやって来た。馬なども、何頭もつないで騒いで、破子弁当も沢山持って来ている。お布施を渡し、みすぼらしい僧たちに、一重の布などを配り回って、話をするついでに、殿のお指図でやって来ましたと話している。 こういうことで迎えに行ったが、寺から下りなかった。また行っても同じだろう。わたしが行ったのではだめだと思うから、おまえが行って、たしなめなさい。僧たちも、不届きにも経を教えるとは、なんという事だとおっしゃいましたなどと殿の意向を告げていた。
2019.01.31
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「ほんとうにやりきれない思いがする」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。五日ほどで生理も終わったので、また御堂に上った。先日からここに来ていた叔母が、今日は帰ってしまう。車が出て行くのを見ながら、じっと立っていると、車が木陰を、徐々に遠ざかって行くのも、もの寂しい思いがしてならなかった。見送って物思いしながら立っているうちに、のぼせたのか、気分がひどく悪くなって、非常に苦しいので、山籠り中の僧侶を、呼んで心身を堅固にしていただき、夕暮れになる頃に念誦の低い声で、加持しているのを、尊いと聞きながら思った。昔、山寺に籠もったり、僧の加持を受けたりすることが自分の身に、起こるとは夢にも思わないで、 悲しくもの寂しいことと思って、また、絵にも描き、黙っていられないで大きな声で言ったりして、 縁起でもないと一方では思った身の上に今のわたしがそっくりである。こうなる運命だと、何かがわたしに、前もって思わせたりしたのだと思い、横になっていると、京の家にいる妹が、 ほかの人と一緒にやって来た。近寄ってきて、どんなお気持ちかと家で心配しているよりも、山に入ってみると、ほんとうにやりきれない思いがすると言う。
2019.01.30
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「粗末な食事をして酷く痩せたのを見る」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。前の岡には、神社もあるので、僧たちが読経をあげたりする声を聞くと、どうしようもなく悲しくてならない。このように生理の間は夜も昼も、暇があるので、端の方に出て座り、物思いにふけっていると、幼い子どもが、部屋に入りなさいと言うので、その様子を見る。子どもは、わたしにあまり深く思いつめさせたくないらしい。 わたしがどうしてそんなことを言うのと聞くと、やはり体にとても悪いし、わたしも眠いからなどと言うが、ひと思いに死んでしまうはずだったのに、あなたのことが心配で今まで生きてきたけれど、これからどうしようかしら。まったくこの世から姿を消してしまうよりは、世間の人が噂しているように、尼になろうと思うが、尼姿でも生きていれば、心配にならない程度に、訪ねて来て、かわいそうな母と思ってください。山籠もりをしてとてもよかったと、わたし自身は思うのです。ただ、あなたがこんな粗末な食事をして、ひどく痩せたのを見るのが、とても辛くて、私が尼になっても、京にいる父上はあなたを、見捨てないとは思うけれど、私が尼になること自体が非難されることだから、こんなふうに悩んでいますと言うと、子どもは、しゃくりあげて泣いていた。
2019.01.29
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「小寺の小さい鐘を競って打ち鳴らしている」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。昔あまり悩みもなかった頃、杜鵑の鳴き声で、夜深く目を覚ましてしまった。なんともじれったく思ったほととぎすも、ここでは気楽に何度も鳴く。水鶏(くいな)はすぐそこと思うほど近くで叩くように鳴いている。ますます侘びしさがつのるもの思いが多い住まいである。 人から勧められた山籠りではなかったので、訪ねたり見舞ったりする人が、いなくても、けっして恨んだりすることはなく、気が楽であった。ただ、こんな山住まいまでするように定められた前世の宿縁ばかりを、つくづくと思うにつけて、悲しいのは息子のことであった。このところ長精進を続けてきた子が、すっかり元気がないようなのに、わたしの代わりに世話を頼む人もいないので、山寺に籠もりっきりで、松の葉だけを食べる覚悟での私と同じような粗末な食事をさせたので、なにも食べなくなったのを見るたびに、涙がいっそうこぼれてくる。こうしているのは、とても心が落ち着くが、ただどうかすると涙が、こぼれるのは、とても辛い。夕暮れにつく寺の鐘の音、ひぐらしの声や、周りの小寺の小さい鐘を、われもわれもと競って打ち鳴らしている。
2019.01.28
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「蛍は驚くほど辺りを明るく照らしている」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。昼はいつものようにお勤めをして、夜はご本尊の仏をお祈りする。まわりが山なので、人に見られるのではないかという心配もない。簾を巻き上げてあり、季節はずれのウグイスがしきりに鳴いていた。梅の花 見にこそ来つれ うぐいすの ひとくひとくと いとひしもをる梅の花を見に来たのに 鶯が人が来た、人が来たと鳴いて、嫌がっていると。鋭い声で鳴くので、人が来たのではないかと思って、簾を下ろさなければ、ならないような気になる。これもわたしの心が虚ろになっているせいだろう。 生理になったら山寺を出ようと決めていたが、やっと生理になった。 京ではわたしが尼になったと皆噂しているとすれば、帰っても、みっともない思いをするだろうと思って、寺から離れた建物に下りた。 京から叔母にあたる人が訪ねて来たが、普通とはまったく違う住まいだから、落ち着かなくてなどと話したりして、五、六日経つうちに、六月になった。 木陰はとても風情があり、山陰の暗くなっている所を見ると、蛍は驚くほどあたりを明るく照らしている。
2019.01.27
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「京へ出かけた子どもが帰って来た」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。手紙には、普通では考えられない人騒がせな昨夜のお越しでしたが、お帰りは夜も更けるのではないかと思いましたので、ひたすら仏に、 無事にお帰りになれるようお守り下さいとお祈りしていました。それにしても、どういうお考えでこんな山奥までお越しになったのかしら、と思うと、あの時すぐ帰るにはひどく恥ずかしくて、帰ることなど、できそうにない気がしたのですなどと、こまごまと書いておいた。その手紙の端に、昔、あなたもごらんになった道と思いながら、この寺に、入りましたが、昔のことを例えようもないほど懐かしく思い出しました。近いうちにすぐにも帰るつもりですと書いて、松の枝に結びつけた。 夜明けの景色を見ると、霧か雲かと思われるものが一帯に立ち込め、しみじみともの寂しい。昼頃、京へ出かけた子どもが帰って来た。 父上は出かけていらっしゃったので、召使に手紙を預けてきましたと言う。 もし、あの人が出かけていなくても、返事はないだろうと思った。
2019.01.26
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「子どもの道綱に手紙を託した」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。子どもから、父上をお送りして、私も車の後ろに乗って帰りますと言い、また、二度とここには来ませんと言って、泣きながら出て行った。 この子だけを頼りにしているのに、ずいぶん酷い事を言うと思った。なにも言わないでいると、人々は皆帰ってしまったらしく、子どもは、戻って来て、お送りしようとしたのですが、お前は呼んだ時に、来ればいいと言って、お帰りになりましたと言い、しくしく泣く。可哀そうだと思うが、あなたまでお見捨てになるわけはないでしょうと、言って慰めるが時は八つ(丑の刻・午前二時前後)になってしまった。侍女たちが、京への道のりは遠く、お供の人は間に合わせの人たちなので、京の中のお出かけより、とても少なかったですと気の毒がったりしていた。京のわが家に連絡することなどあるので、使いを出すことにした。子どもの道綱は、昨夜のことが気になるので、父上のお邸のあたりに行って、ご様子を伺ってきますと言って出かけるので、子どもに手紙を託すことにする。
2019.01.25
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「どうしても帰るわけにはいきません」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。あの人は今日まで穢れがあるので、車から降りることができないが、どこへ車を寄せたらいいかと言うので、気が変になりそうな感じがする。どういうお考えで、このように非常識にお越しになったのでしょう。今夜だけのつもりで、上って来ましたのに。穢れのこともあるというのに、分別のないことをなさいます。夜が更けました。早くお帰り下さいと伝えた。子どもは、あの人とわたしの言葉のやり取りの取り次ぎに、何度も往復する。一町(約110メートル)の間を、石段を上ったり下りたりするので、子どもは疲れきって、ひどく苦しがるほどになった。侍女たちは、まあ、かわいそうになどと、気弱なことばかり言う。父上は、お前がこれくらいの事を説得できないと機嫌が悪いという。子どもは、わたしとあの人の板ばさみで、しきりに泣いていたが、 どうしても帰るわけにはいきませんと言い切ったので、あの人が、もういい、このように穢れの時だから、いつまでもいるわけにはいかない。しかたない。車に牛をかけろと言っていると聞いて、ほっと安心した。
2019.01.24
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「木の間から松明の火が二つ三つ見えた」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。殿がいらっしゃることが、書かれてある手紙を見て、深い考えもなく、大げさに話したのではないかしら。まったくやりきれない。生理になったら、明日か明後日には寺を出るつもりなのにと思いながら、湯の用意を急がせて、身を清めてから御堂に上った。暑いので、しばらく戸を開けてあたりを見渡すと、御堂はとても高い所に、立っており、山が取り囲んで懐のようになっていて、木立がこんもり茂り、趣があるけれど、闇夜の頃なので、今は暗くて見えない。初夜の勤行をするというので、僧たちが忙しく動き回っているので、わたしも戸を開けて念誦しているうちに、時刻は、山寺のしきたりの、法螺貝を四つ吹く亥(い)の刻(午後十時前後)になってしまった。 大門のほうで、召使いたちが、殿がいらっしゃいましたと言いながら、騒ぐ声がするので、巻き上げていた簾を下ろして見ると、木の間から、松明の火が二つ三つ見え、子どもが取り次ぎ役として出て行くと、あの人は物忌中なので車に乗ったままで、迎えに来たと言う。
2019.01.23
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「そちらにお手紙があるでしょう」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。秋の野に なまめき立てる 女郎花 あなかしがまし 花も一時秋の野に 艶っぽく立っている女郎花 ああ 煩わしい 美しく咲くのも、ほんの一時なのにという歌を、何度も思い浮かべては、ひどく悲しくなる。 湯などにつかって身を清めてから本堂にと思っているときに、家から慌ただしそうに使いが留守番の侍女の手紙を持って走って来た。読むと、ただ今、殿のお邸からお手紙を持って使いの者が参りましたとある。使いの者が、わたしの山寺行きを止めなさいと殿がおっしゃり、殿もすぐにお越しになりますと言いましたので、ありのままに伝えました。 もうとっくにお出かけになり、侍女たちも後を追って行きましたと答えると、 どういうつもりで山寺などに行かれるのだろうと、心配していらっしゃった。どうしてそんなことを殿に申し上げられましょうと言いますから、これまでのご精進なさっていたことを話しますと、泣いていらっしゃり、とにかく、早速殿にご報告しましょうと言って急いで帰って行きました。きっとそちらにお手紙があるでしょう。そのつもりでいてくださいと書いてある。
2019.01.22
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「花が散って立っているのが見えた」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。わたしから、あの人への、急ぎの手紙に対する返事には、 なにもかももっともだが、ともかく出かけるのはどこの寺だ。この頃は暑くてお勤めをするにも都合が悪いから、今度だけは言う事を、聞いて、やめなさい。相談することもあるから、すぐ行くと書いてある。 あさましや のどかに頼む とこのうらを うち返しける 波の心よ 驚くほどあきれたことだ 心のどかに信頼をしていた わたしの心を、裏切るとは、本当にひどいと書き添えてある。その返事を見ると、ますます気が急いて出発していた。急いで出発したものの山道は特に風情もないけれど、しみじみと昔は、あの人と一緒に、時々ここに来たことがあり、わたしが病気になった時、三、四日この山寺に来ていたのも今頃の季節で、あの人は出仕もしないで、ここに籠って一緒に過ごしたこともあったなどと思い返していた。供人が三人ほど付き添って、都から遠い道のりを涙をこぼしながら行く。寺に着くと、まず僧坊に落ち着いて、外を見ると、庭先に籬垣が、結いめぐらしてあり、また、名前も知らない草花が茂っている中に、牡丹がなんの風情もなく、すっかり花が散って立っているのが見えた。
2019.01.21
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「あまりにも急な事と思ったのだろう」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。その薬草を侍女たちが見つけて、これは何でしょうと言うのを受け取って、そのまま畳紙に挟み、こんな歌を書いた。 さむしろの したまつことも 絶えぬれば おかむかただに なきぞ悲しき もうあなたを待つこともなくなったので、わたしはもちろんのこと、この薬草の置き所もないのが悲しくてならないと書いておいた。いづくへも 身をし変へねば 雲かかる 山ぶみしても とはれざりけりどこへ行っても、大切に思い慕っていても、私の体は二つに分けることが、できないので、雲がかかる山に籠もっても、訪ねてもらえない。この歌のように、生まれ変わらなければどこへ行っても同じですが、せめて、あなたが素通りなさらない所があるのではないかと思って、今日出発します。これも変な問わず語りになってしまいましたと書いて、子どもが、ずっと、お籠もりになるでしょう。それを知らせにと言うので、子どもにことづけた。 もしなにか聞かれたら、これを書き残して、母はすぐに出かけました。わたしも後を追って行くことになっていますと言いなさいと言って、手紙を持たせたが、手紙を見て、あまりにも急なことと思ったのだろう。
2019.01.20
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「飲む薬草が畳紙の中に挟んであった」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。あの人へ書いた返事は、とても珍しいお手紙なので、誰からの手紙なのか、わからなかったほどでで、ここへ帰って来てからずいぶん経ちますが、本当にどうしてわたしが帰ってるとお気づきにならないのでしょうか。それにしても、ここが以前お通いになった家とも気づかないで、素通り、なさったことが、何度もありましたが、これもすべて、今までこの世に、留まっているわたしのせいですから、もうなにも申し上げませんと書いた。考えてみると、こういうことを思い出すだけでも不愉快で、この前のように、後で悔やむようなことがあったら嫌なので、やはりしばらく、遠くへ行こうと、決心して、西山にお参りする寺があることを思い出し、そこへ行こうと思う。あの人の物忌が終わらないうちにと思って、四日に出発する。物忌も今日で終わるだろうと思う日なので、気ぜわしく思いながら、物を整理したりしていると、上筵(うわむしろ)の下に、あの人が朝に、飲む薬草が、畳紙(たとうがみ)の中に挟んであったが、父の家に行って、ここへ帰って来るまでそのままになっていた。
2019.01.19
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