育~iku~ 宇宙から、育む わたしを超えて、育む。

育~iku~ 宇宙から、育む わたしを超えて、育む。

2008.01.05
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カテゴリ: 日々を記す
3日の帰り際に、なんとか母に、わたしの思っていることを言えた。

わたしは、わたしの望む人と、望む関係を持っていきたいし、
わたしの望むようにやっていく。
結果的に、それがママを傷つけるような形になることもあるかもしれないけれども、
これはわたしの人生だから、わたしの思うようにやっていく。
わたしの人生は、わたしの責任だから、わたしの責任でもって、
わたしがやっていく。
そう宣言したのでした。

これを言わなきゃ今年は始まらない、と思っていたのですが、

あやの意見はあやの意見、
ママの意見はママの意見だから、
これからもそれは言う、ということでした。

宣言することはできたのだけど、
その母の返答に、違和感を感じていました。

いつものことなのだけど、わたしがなにかを言っても、
母は全然聞いてくれない。
受け止めてくれていないのがわかる。
今回もそう。
でも、理解してもらうことは手放しているので、
これでいいのかな、と思っていたのですが、なんだかひっかかっている。


と表面上は言っているけれども、
エネルギー的には、わたしを従わせたいというものを感じたからなのでした。
全然納得してない。

わたしはいろいろなできごとなどを伝えるとき、
母が当然、反対意見だということを、わかっているわけです。

何も言わずに無視してやることもできます。
でも、わたしの中で、それは無視にならないんですよね。
それはわたしの中では、秘密になっちゃうんです。
秘密じゃだめ。
だから伝える。

で、伝えるときには、母は納得しないだろう、反対意見だろう、
ということは重々承知の上なわけです。
母はそれに気づいているのか、いないのか?

考えに考えて伝えていることであっても、
伝えるときは、極力さらっと伝えるようにしているので、
母は気づいていないのかもしれないし、
気づいていても、わかっていないだけなのかもしれない。

でも取り合えず、次に話すときは、それを伝えようと決めました。
母が、反対意見だということはわかっていて、あえて言うのだと。
わたしがすること、していることが、母の気持ちからしたら、
Noであることは、最初からわかっている。
意見なんか、聞かずとも、Noだとわかっている。
それでもあえて言っているということ。
それをどういう気持ちで言っているのか、それも伝えなければ、と思った。


母に対して、Noと言い切れない自分。
そこになにかのひっかかりを感じて、探っていっていたら。。
ある本を読みながら、ふっと急に気づいたのは、
今までわたしが付き合ってきた男性たちの、ある共通性。
それは、みんな自由を求めていながら、それを強く抑圧している人たちで、
わたしはその自由になりたい、という思いに惹かれて、
近づいていくのだな、と気づいた。
なぜならわたしも求めているから。

わたしは、いままでお付き合いした男性の中にある、
自由を求めるエネルギーに惹かれて、
(自分の中にも同じようにあるから)
でもなぜか、自由になりにいこうとするのではなく、
その男性との関係性に、自らしばられにいったのだと気づいた。
その関係性は、自由とは離れていってしまっていて、
苦しくなったときに、わたしはいつも、その関係性にNoと言って、
去っていっているのだな、と。

自らしばられることを許し、
求めている状態ではないと気づき、
自由をもとめてNo!!!と言って、飛び出てきていた。
そんな恋愛パターンに気がついた。
そしてそれは、母の象徴からの影響による。

母は、父にしばられにいっていた。
父は厳しい人だったし、母はそれに従うことで、
自分の自由を手放して、そのかわり苦痛を得て、
でもそうしなければならないと思って、自らしばられにいっていた。
わたしは父がなくなってから、父の役割をするようにもなった。
それは母のために!!!
しばられる対象のいなくなった母のために。。
母は父がいなくなったことで、今度は、
わたしという存在にしばられにきている。
自分の自由を、相手に明け渡し、自分をしばることで、
そして相手をしばる。
自分が、自分の自由を手放して、犠牲になることで、
相手も犠牲をはらわなければならないとばかりに。

母は、大きな寂しさを抱えているのだということが、
今ではよくよくわかる。
わたしがNoと言って去ったら、
母は、しがみつくものがなくなるから、
いやがおうでも、その寂しさと向かい合わざるを得なくなるのでは?
それがあることに気づき、向き合っていくことで、
本当の癒しや、心の安定といったものは手に入っていくけれども、
母の世代、そしていまこの年で、母にそのつらさと向きあうってことを、
させるのは酷ではないか??と思っていた。
だからNoと言い切れない自分がいて、
母から離れることを、自分が許していなかったのだと気づいた。

でも、わたし自身は、そのつらさと向き合うことで、
自由や幸せを獲得してきた!!
その機会を母に与えないということは、
わたし自身が、母に自由を許していなかったということ!!

母は、わたしという存在の鏡であるとして、
自分に自由を許さないということは、
母にも自由を許さない、というのと同じこと。

母にNoと言ったら、母が苦しむと思っていたけれど、
それが大きな間違いだった。
相手をしばり、自分をしばるつらい状態から、
母に、自由になる選択を与えることができる。
母がまたべつの対象に、しばられられにいくか(苦しみをえらぶか)は、
それは母の選択だ。
それこそ、母の自由である。

母にNoということで、母は自らの呪縛から手をひく選択ができるかもしれないし、
できないかもしれない。
少なくともわたしは、呪縛から解き放たれて、自由になれる。

そうしたときに、わたしは初めて、男性と健全な関係を持てるかもしれない。
母にとっての父の役割を卒業すると同時に。
そして男性でなく、すべての人たちと、健全なコミュニケーションができるかもしれない、
そう思った。


これでまた、自由になるための、大きなキーを手にしたかな。
そうしたら次は、それをちゃんと使わないと。
もっているだけでは、だめなのだ。






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Last updated  2008.01.05 13:56:38
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